『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年10月30日(水) 髪を洗う、風の洗礼。


毎日は、洗いません。
髪を洗う手が、
洗われすぎて、バリア機能をうしなって、よくないから。

そうして、
ふやけて剥がれ落ちていく「余計な皮膚」が
まだ留まってほしい「元気な皮膚」までも
削ぎ落としてしまうから。


とるものもとりあえず
一週間に一度くらい
わたしは髪を、洗います。

黒い髪の毛。
でも、すこし茶色い。
のばしっぱなしの髪の毛。
肩下までのびていた、髪の毛。

わたしは体の中でたぶんいちばん唯一
この髪の毛だけが、好きなんじゃないだろうカナ
と、思うときがたびたびあります。

たとえば冬のひるまに
ふわふわと髪の毛を通っていくつめたいけどやわらかな風を
かんじるとき、なんか。

それが最近、失われつつあります。
もともと夏の終わりから秋にかけては
髪の毛が抜け易い時期では、あったのだけれども。
それにしても、ことしは。

洗い髪、
シャワーで流しながら
しめりけを、与えながら
お湯を通しながら

ごそり、ごそり、と、髪の毛が抜けていった。

なまじ、一本一本が、長めなものだから
お風呂から上がるころには、髪の毛の黒々としたかたまりが
半開きにしたお風呂のフタの上に固まって
存在を主張していました。





………こわいです。無性に、こわいです。



でも。


もしもこのまま抜け続けて
脱毛症とかになってしまったとしても
そうしたら
これからは冬だし
帽子だってわたしの毎日では定番のものだし
(帽子がないと今一歩の安心が出なくて外に出られないのです)
いっそ、なくなっちゃったなら、そのときは
ショートのかつらでもかぶっちゃって
何年ぶりかのショートカットやら茶色い髪の毛を
楽しんだりしてもいいじゃないか、と
お風呂のなかでお湯をちゃぷちゃぷさせながら考えていました。
洗い髪は、あきらかに後頭部のあたりが以前より頼りないボリュームで
薄くなっていること、ひしひし感じられて
不安におもった言った、、、、だけど。

湯上りにみつめた鏡の中の顔は
例によって
機能スキンケアをさぼってしまた代償としての、だんだらに炎症を起こしかけた
白と赤とのコンストラストの激しい顔色になっていた。
覚悟していたからあまりショックじゃなかった。
そうして、ひどくなりかけの定番の
右の眉毛がほとんど抜け落ちていて、こわかった。

また、日ごろはつかわないアイライナーなどにお世話になって
すっぴんの素肌の上に、ポイントメイクだけをすませて
ごまかしながら暮らしていようかなと思う。
わたしの眉毛がどうなろうか、知ったことではないかも知れないけど
でも、それでも。
やさしい職場の職員さんたちは、色々と気に掛けてくれるから。
それから、ロリータになりたくて、ぴちっとそろえた
ぱっつんな前髪と帽子とでうまいことかくして
胸をはって、萎縮しないで、誰かに会いににいけたらいい。


ただ、ごっそりと抜ける髪の毛をみていると
なんだかとても、怖くなります。

わたしはどこまでいくんだろうと。


でも、いつかまた、のびるよね。
きちんとした生活をして
ごはんを頑張って食べて……
頑張りすぎてオナカを壊さないように気をつけていたら
きっと、また、
冬のつめたい空気に触れて冷えていく
ふわふわと波打つ髪の毛を、わたしはきっと
いつか、取り戻せるよね。


……そう思えて、それに疑いを持たないように、ひっそりと暮らしている、
今日の一日。

明日から少し、あしたがんばって
一種躁状態だったときに決めてしまった
学祭のことを、がんばってみようと思います。

いいえ、がんばらなければならないと、思います。


あたらしいジェーンマープルの服に袖を通して
編み上げのスカートを、きっちりと締め上げて
あの、なつかしいフィット感のなかで
わたしは

きっとだいじょうぶ、

そう言い聞かせながら
夜を生きています。



まなほ



2002年10月29日(火) 茉莉花茶

「陽気なのと元気なのは、ちがうよね」

今日、そういうふうに思った。
こわくて眠れなくてごろごろして腕をひっかいて
不安に苛まれてガタガタしていたその翌日に
がらっと変わってふわふわしてる自分を見つけて
そう思った。

イベント前の
あの不安と恐怖がいつもよりばかみたく大きくなって突き上げてきて
わたしをつつみこんで離してくれなかった。
そのなかにぽっかりあいて
台風の目みたいな凪の場所があるけど
そこはきっと台風の中心なんだ。

不自然なふわふわ。
遠い視界と
遠い世界と

油断していると
腕のきずがすこしふえた。
でも、すぐ消えるから
きっとだいじょうぶ。

だいじょうぶ。


消えないものは、もっとほかにたくさんあるもの。



きょうもまた
茉莉花茶で眠ろう

眠りたいな
眠れるといいな
こわい夢はついてこないで
やわらかいからだのまま
目を覚ましたいな


一歩外に出たらなにがどうなっているんだろう
よくわからないまま、わたしは
外へ出て行かなければならないから、
歩いていこうと思った。

抜けていく髪の毛をみて、
お風呂上りのからだをみて
昨日の夜、はじめて思った。

「もうこれ以上、痩せるのはやめたい」

だから今日からは、がんばって、きちんとごはんを食べようと思います。
食べることというのが不自然で難しいおかしな状態だけど
でも、30kg台になろうとするのは、もっと不自然だと
きのうはじめて考えました。

だから

食べられるものをさがして。
じぶんを傷つけることなしに。

わたしを水みたいに透明にしてくれたらいい。




まなほ



2002年10月27日(日) 不安のなかみ

不安のなかみ。

ひとつ。

収入と支出の差。
減っていく貯金残高が余命宣告に見える
と言ったら大袈裟すぎるんだけれども
無駄遣いということをあまりしてこなかった身には、このところの
衝動買いやお金への麻痺感覚が、数字としてあらわれてきた最近
それがとみに、わたしをつぶす。

いらないわたしを
ひっぱりだして
虫干しをして
そらに掲げて

わたしが生きて暮らしているスピードのあまりの遅さ。
あんまりじかんが早くながれていくので
そうして予定ばかりが向こうから
両手を広げて迫ってくるので
わたしは途方にくれてしまう、ぐらりぐらり、と、そう
足元が崩れるみたいに。

エネルギーかエナジーかが不足しているらしいとだけは漠然とおもう。

大学の学祭に、おまけみたいに出させてもらうことになりました。
あと数日でその日がくる。
知り合いに引っ張られて画廊で展示会をすることになりました。
桜の花の咲くころ、その日が来る。
いくらか夢中だった時期を過ぎて、今はただ、こわい。
そのためにかかるたくさんの費用と、力と、
それから無関係にながれていくカウントダウンの数字と
つくりかけのはりぼてが、
からっぽの手のなかが、
それを飛び越えて消えてしまう人たちが、


わたしをつぶす。


「ぐしゃり。」


………………これで、おしまい。

あとはただ
他人にひっぱられながら
明日から春までのスケジュールを埋めていく
残骸みたいなものがいて
わたしをやっている。

春まで。
そうしてその先のないスケジュール。


「……ぐしゃり。」


こんなふうになかみを判るのならそれは正体が明らかなものだから
心理学用語では恐怖に入るのかと以前に仕入れた知識をひっぱりだして
くだらないことを考えてみたりする。

でもやっぱり

不安、は、不安、とよばれて
それ以外に名前の付けようのわからない色をしていて
つまらない日記だな、と思いながら
ここにいる。

ここに。


不安発作と手をつなぎかけて。
どくどくどくどく流れていく
変に脈動するじぶんの身体。


今日はつめたい雨もなくて
おひさまはあたたかで
自転車はすいすいと走った。
空は青かった。
ひさしぶりになにかを作りたがった自分のために
いくらかの買い物をすませて
少し熱の出た頭で、うちに帰ってきた。

さっきまでは笑えていたのに
今はおかしい、奇妙にどきどきするからだを抱えて
ここにいる。


ていねいに、お茶を入れて
ていねいに、のみほして


そうして、眠りに入りたい。


望みなんてそれっきり単純なものなのに、どうして、
こう大袈裟に仕立ててしまうのだろうか、いつも
わたしってやつは。

まったく、もう。




まなほ



2002年10月24日(木) 懐かしい空

毎日毎日。
つめたい雨がよく降る。

わたしは
外に出ないで、ここにいる。

口をひらいてこぼれだすことばが
なんだか
自分のものじゃないみたいに感じながら
ひとつ、奥まった場所から
ひとごとのように外を見ている
膝を抱えて。

つめたい手。

もう、冬が近いのだなと思う。
あの春頃のはださむいときから
時間が止まったままみたいなわたしのなかみと
外の世界の温度が、だんだんに
重なっていくみたいな、
そう、

つめたい手。

365日をまんなかに挟んで、わたしは一緒になれるのかな。
置いてきぼりになってしまった時間を重ね合わせて
光に透かす、トレーシングペーパーみたいに。


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窓をあけたら月があかるかった。
だからもっと窓をあけた。
真夜中も過ぎて、未明のころ。朝焼けはずっと遠くにあって

つめたい手で、わたしは窓を開けた。

星がひかっていた。
冬の星、
冬の星座。

今年はじめてのオリオン座とシリウスを満月の夜にみた。
きれいなあかるい月のとなりで、いちばんあかるい星が
冬の証拠にゆらゆらと光を溜めていた。
瞬きは空気の流れがつめたい証拠。

なぜだか、なつかしかった。

夏の空も、春の空も、たくさんたくさん見上げたのに
この、冬の星座がつらなる空だけど、どうしてこんなに
なつかしいとおもうんだろう。
ただいま、と言いたくなるんだろう。

わたしには、よくわからなかった。

ガラス窓をあけて
腕を伸ばして
外の空気に触れながら、そこはだんだんに冷えていて
肌のあたたかみはなにもない。
寒いはずの時間のなかで、だけどやっぱりわたしは
すこしだけサトくんのことを思った。
今はもういないひとのことを、思った。
やさしくて、あたたかいひとのことを
思った。


つめたい手。


遠いとおい星のひかり。


ちいさなうさぎの星座を見つける日も、
たぶんもう、すぐそこまで来ているんだね。




まなほ



2002年10月22日(火) お薬を変える

なにをしても動けなかった日にむりやりピリオドを打って
動き出した今日の朝は恐怖と不安ではじまった。

わたしは、バイトにどうしても行かなければいけないと思ってる。
たぶん、それはわたしにとって
ひとつの「最後の砦」だから。
そこまで頑張らなくてもいいと
最近、家人は言うようになったのだけれど
かと言って
この頑張ることをやめてしまったらわたしはたぶん
何処にもいられないような気がして
肩身を削り落とすように小さくなっていくような気がして追い立てられるみたく
とにかく、それだけは止められないのだった。
働かないで収入もないようなやつは家から出て行けと、
そう罵倒されて追いつめられた記憶が
そうさせるのかもしれない。昔からずっとずっと
わたしをばっさりと切り裂いた父の言葉や行為と
そうやってわたしが切り裂かれてだらだら血を流していても止めない母と。

最後の最後に残れるのはじぶんだけで
だれもわたしのことを守ってはくれない
どこかでわたしは考えている。
誰もわたしを守ってはくれない。

だから誰にも頼ったらいけない。
ちいさいころにそう思ったの。
頼っていることを盾にとられて脅されるのなら
それなら、最初からひとりでやってやる、
そんなふうに。


けれど電車を降りたころには
なんでなのと泣きたくなりそうな怖さと不安がからだになみなみになっていて、
ホームに降りる人のほとんどがこわかった。
あんまりそれがひどいから
つながらないとわかっている携帯電話に電話をかけて自分に鞭打った。


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帰りがけ、
精神科に寄りました。
あたらしいお薬をもらいました。
請求してきた、というほうが近いような気がするけれど。

ここのところ数ヶ月同じ処方を続けていました
精神科。同じ処方を続けるということはまた同じ毎日を続けるということで
不安とか恐怖に追いまくられている毎日がまた続くということ。
それは、わたしにとってのひとつの絶望、です。
ああまたあのおんなじ日を続けなくちゃいけないんだ
そう思いながら診察費を払ってお薬をもらって
まっくらな帰り道をひとりでたどるのは、なんだかとても

こころぼそくて
さむくて。


はんぶん、
喉がつまったようで声がでなかったけれども
とりあえず終わりそうな診察を食い止めて、訴えられて、
訴えの内容よりも訴えている私の様子がどんどんおかしくなっていくのを見て
お医者はカルテを書き換えたみたいだったけど
とにかく
なんだか大量に書き込みがされているわたしのカルテには
またあたらしく、いっぱいの字が書かれていって、
そうしてやっと、おくすりがかわった。

ちょっとばかり強力な精神安定剤。
その副作用を抑えるために出されたのはパーキンソン病のための薬だった。
緊張と不安が強いときのために追加されたおなじみの抗不安薬。

お薬だけで治らないのはわかってる。
ほんとうのところ「病んでいる」のはこの頭の中じゃなく
わたしの、生きてきた証そのものらしいから。

でも
でもね

効いてくれるといいんだけれど。
すこしでもいいから
この
不意打ちの音にいろんな人にびくついて強張っていく怯えたからだが
やわらいでくれたら、わたしはそれで


もうすこし、
生きていかれるかもしれないでしょう?




まなほ



2002年10月21日(月) 「落下する夕方」

日曜日の午後、
夕方、
腫れだした炎症の痛みがなかなか取れないで
記憶はうすい。


「落下する夕方」をビデオでみようと思った。江国香織原作。


好きな小説を映像にした作品を見るときわたしはあまり
もとのことを考えない。折に触れて持ち歩き十辺も読んでしまったような小説なら
なおさら。

なんにもかんがえない。
ただ、みるだけ。
そこに差し出されてゆくものを
ただ、みるだけ。


言葉は、あまりなくて
そのかわりに
つぎはぎされたショットと
動きと、音楽が、語る
内包しているストーリーと
こころの動き。

それから逸脱している誰かがいて、それがどこか狂気的で。

「華子」

無邪気に笑う
狂乱的なくらいに
子どもっぽい大人は
いい気になってるって他の大人から叱られるけど
でも

「わたし、おこられるの、だぁいっきらいっ」

赤いくつしたを脱ぎ捨てて
言いたいことだけ言っているようで
したいことだけしているようで
赤いスカートでぐるぐると回って
夕暮れの海辺はきんいろでひかりを思うさま撒き散らして
深い息をついてどさりと座った浜辺の

おひさまが残していった、あたたかさと

しのびよってくる、しぃんとした、つめたさ。

水を含んでしっとりとした顔で背中からふうっと寄ってくる
しずかな、おだやかな、つめたさ。


(それから彼女は月が消えるみたいにいなくなった)


ひっきりなしにやってしまう「自傷行為」から少し解放されてわたしは見守る。
そうやって画面をみつめて画面に吸い込まれて物語の一部になって
お話が終わったら目がさめる……はんぶんだけ。
残りのはんぶんのわたしはまだむこうがわにいて物語の中で
うとうと眠ってる。

そういうふうに半分だけ生きていることを
(逆にいえば半分は死んでいることを)
お薬と本を枕もとに眠りはじめてから
正しく、身につけはじめたような気がします。


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北野武、といい、
EUREKA、といい、
しずかな
うっかりすると眠ってしまいそうにしずかな
そうして危険な気配をはらんだような空気が漂う
そういう映像をわたしは最近
かなり好きらしい。

ストーリーは劇的じゃなくていい。

現実が小説よりも波乱万丈だったのなら
小説の中には色とりどりにふんだんなドラマはなくっていい、と
そんなふうにおもう。

痛みも。
かなしみも。
いとおしいと言う言葉も。
ひとの生き死にだって。

そんなに素晴らしい音楽を背景にしてドラマチックに
語られなくってもいいとおもう。

日常生活には効果音はついていない、
こころにあわせた音楽なんて流れてくれない。
わたしを引っ掻き回すいろんな無意味な音が溢れて極彩色にびかびかした
がちゃがちゃの景色はたくさん目にうつるけど。

涙を誘うような演出はいらない。
ただ、たんたんと
流れていく時間を追って
手品の種明かしみたいにぜんぶを見せてくれるわけでもなくて
わからないことがたくさんあって
不可解で

嘘みたいで、リアル。

このせかいから少しだけはみだしているような人たちが生きているさまを
それをごく普通のことのように描いて、描いて、さいごまで描く、
そういう「お話」を、わたしは好きらしい。
奇妙なひとを奇妙に描くのではなくて
ふつうの人の奇妙さをただふつうに描く、
そういうありかたを。


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あとで思えばここ数日わたしはすっかり「欝」だったようでした。
過ぎ去ってからわかる嵐のことは
それは、皆目見当のつかない暗い場所で
ただ不安定に平穏で、たいらな地面の上で
それでもまっすぐに立つことができない気がした。
怖い気持ちと無気力さがないまぜになって何も色褪せてみえる。
きのうまで、まぶしかったことがらも、ぜんぶ。

義務と契約という言葉だけわたしを縛っている。

その綱をばっさりと切ったらむこうのせかいへふわっと
そうだ、

ふわっと

両腕を広げておちていけると思っていた。
半分死んでいて半分生きているわたしは
ただしずかな顔でどこまでもいけると思っていた。

この怖いことが満載の傍若無人なせかいでないところなら、
どこへでも。



まなほ



2002年10月18日(金) 一日の終わりに降った雨

嵐みたいにしずかな日だった。
昨日の夜
わたしはひとりで国道沿いのまっくらな道にずっと立ってた。
ひとりじゃないけどひとりだった。
………そう思う。

一日の終わりに
わたしのうえに
降ってきた見えない雨は
かつて、友達だった子と
その子が私に伝えようとした
宗教だった。

よくある話なのかもしれない。

没交渉だったひとからあるときふと電話がきて
久しぶりにごはんでも食べないと誘われて
実はそれが、政治や宗教の勧誘だったなんていう、ことなんて。
キャッチセールスみたいな目的で、昔に結んだ「ともだち」のえにしを
使われてしまうようなことなんて、

よくある話なのかもしれない。

その可能性を思いながらも
もしかしたら違うかもしれないのに、と
出かけていったわたしが
ただ、ばかなのかも、知れない。

……だけどわたしはそうやって彼女を疑いたくなかったから。

もしも違っていたらものすごく失礼な話ではないかと思って、
宗教かな政治かなと思わず考えてしまった自分をとてもいやだなと、思ってた。
そうして出かけていった。

そうしてただ
その予感があたっただけの話。


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見た目でわかる病気を抱えて
お薬をたくさん持ち歩いて
精神科に通っているようなこの「わたし」は
そういうひとから見れば
攻めるところのたくさんある
とても"かわいそう”で"救ってあげなくてはならない"存在なのかも知れない。

……だけど。

そうやって押し売りされる神様はいったい
どんな神様なんだろうとわたしは呆然とおもっていた。


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かみさま、とわたしはよく言うけれど
それはどこにいるのでもないかみさまだって前にここで言った、
ような気がする。

わたしを守ってくれるかみさま?
サトくんを守ってくれるはずだったかみさま?

ちがう、それは。
そのかみさまは
きっとなにもしてくれない。
わたしはそう思っている。

このかなしみをすべて引き受けるのはじぶん。

そうして
わたしがずっと抱えているこの病気をすべて引き受けるのはじぶん。
誰のせいでもなくて、誰が悪いわけでもなくて、
痛いのも苦しいのも自分が醜く思えて仕方なくてのたうちまわるのも
誰のせいでもなくて、そうして
わたしは病気でここに生きていることを不幸とは思われたくなかった。

それがまっさらな善意からうまれでた言葉なのかも知れなくても
(きっとそうなのだろうとは思ったけど)
あなたはそんな病気を抱えちゃって不幸でしょうと優しい顔で
まったく知らないひとから言われたくはなかった。

わたしが病気でなかったら
わたしはここにいいない
それは、はっきりしているから。

それだけならまだよかった。
だってわたしは
生きのびているもの。
降ってこない雨のかわりにファミレスなんかで一時間も
元友達だった知らない彼女と、本当に初対面の人を相手にぽつんと座って
正気を失うほど泣き続けていやというくらい
自分に自分で涙を注いだとしても
それでも
わたしは車に轢かれることも誰かに攫われることも
溜め込んであるお薬に手を出すことも、なく、
この朝もこうして
目を覚ましたもの。


……ただ。

死後の世界というあるのかないのか判らないような場所のことを話題にして
いなくなってしまったサトくんのことを
あの、やさしいひとのことを
その人たちの思う死後の世界というかたちでひとくくりにして語られるなんて
それだけは、まっぴらごめんだった。


そのひと死んだ今も成仏できなくて酷い思いをしているんだから早く救ってあげなくちゃ
ほんとうに成仏できるのはこの仏様を信じてた人だけなんだから
その人の死に顔、苦しそうだったでしょう?


確信に満ちて彼女達は私に言った。


それだけは
それだけは

わたしは許すことができない。

今ここに生きているわたしのことをどう取り扱おうとかまわない
でも、もういなくなってしまったあの人のことを
涙を流すことも名前を呼ぶこともできないあの人のことを
確信に満ちた顔で踏み荒らすような行為だけは
わたしは許せなかった。

あの、がらんどうの部屋の中で、ひとりで、
お棺のなかで眠っていたあなたのことと
なすすべもなくて無力にほほえんでいたおばさんたちや、いとこや、
こみ上げてきた涙のことも
届かないと判っていても、それでも
必死な思いで摘んだ花のことも

すべてがあっさりと踏みにじられていく。

笑顔で。

すべてが無効で、
すべてが無力で、
懸命に押し出すたびにあっけなくぱちんぱちんと弾けて割られていく
わたしのなかのたいせつなことばを見ながら
わたしはもう泣くことしかできなくて
ばかみたいにもうそのお話だけはしないでくださいと何度も何度もくりかえした。
見ず知らずのあなたがたにあの人のことを説明したくはありません。
たぶん真っ赤な目で二人を睨みつけてそう言って
それはほとんど憎しみに近かったと、おもう。

うまく表せることばがどこにもみつからなくて
いくら書いても、ただ、
めちゃくちゃになっていくだけみたいな気がして
転がり落ちているみたいな気がして

……この嵐をどう言ったらいいんだろう

わからない。


ただ
こんな人たちもせかいにはいるのだとまざまざと目の前で知りました。
泣きたくても泣けないわたしのことを
そっとしておいてくれる人たちだけが今までわたしの身の回りにいたけれど
それだけではないのだということ。


わたしのおとむらいはあの人には届かない。
それと知っていて
呪いが融けるのをただ待ってた。
いつかあの人の笑っている顔を思い出したかった。
すべて自分のためにすること、そう知っていて、
それでもやらないではいられなかった、たくさんの悼み。


そのわたしにはとてもたいせつなことが
いとも軽々と知らない人の話のひとつとして扱われていくのを
ただ、彼女達の信じるものを強化していくひとつの材料にされていくのを
わたしは目の前にしていて

わたしは無力で


ひとりじゃないけど、ひとりだった。
荒れ狂う嵐みたいに
ひどく暴力的にしずかな
夜だった。




まなほ



2002年10月17日(木) あと1グラム

あと1グラム

あと1グラム

あと1グラム

あと1グラム

あと1グラム

あと1ぐらむ

あと1ぐらむ

の負荷がこのあたまのうえにかけられたらわたしは

消える。

きえる。


ぐるぐるとまわる未来、マグカップにいれた
ヒラミレモンの希釈水どうしようもなくわたしを拒んで
浮遊して沈殿して絞られた果実の、もと果実だったあかし


そこらへんにころがっていれば
いい
ころがされていれば
いい
なにもしなくて
いい


面倒をみられないにんぎょうでいい


いいから


かみさま



2002年10月15日(火) aka

それは真夜中のできごとで
わたしは久しぶりの
オクスリなしの眠りに早々と落っこちて
そうしてほんの3時間か4時間で
そこから這い出してきたところだった。

あついお湯に全身をひたして
石鹸の泡だらけになる。
夏が終わった
冬がくる
そう思ってどういうわけか少し安心してた。

はさみをこの手から手離して、もぎとって、封印して数ヶ月。
約束をやぶるのが怖いから
わたしはかみそりを手にしなかった。
つまりは、腕も足も剃らなかった。
夏中、きっと女の子達はいろいろな方法でこの細い体毛を刈るのだろう。
だけどわたしはそうすると、また余計な場所も「切ってしまう」ような気がして
だから、年齢には似つかわしくない行為かも知れないけど
かみそりを手にするのをやめた。

長袖とタイツで隠せばいい。
どうせ弱い肌だから
直射日光にさらさないで
覆う部分をいつもよりすこし増やせばいい。
そうかんがえて、

だから

この夏のあいだ
いちどもサンダルははかなかった。
大好きだったけど
いちどもはかなかった。


だけど今日
なぜだろう、もう大丈夫かなとわたしはかんがえてかみそりを手にした。
するすると肌の上をすべらせて、削り落としていくわたしのいちぶ。
ふわふわと落ちて行く、細い細いたよりない毛のかたまり。

するする
するする
する

手はごく自然に、すっぱりと潔くすべり
刃はわたしのあしくびの肉のあいだに挟まって
赤い血がながれた。

自分の血が赤かったことを、フシギな気持ちで思い出して見ていた。
ぷくっとふくらんで、しずくになって、
それはいつか先輩が言っていた
赤いビーズの珠のようだった。

そのうち珠はこわれて流れていった。
止まらない。
手を伸ばしてティッシュを一枚しゅっとだして
傷口らしいえぐられた場所をおさえてあかを吸い取った。

そうして

ぷくり、
ぷく、
するする、

また流れだした、わたしのあか。

痛みはかんじなくて、
でも数回それをくりかえしてだんだらに赤くなったティッシュに
もういいかげん止まるだろうとたかをくくって
わたしはぺたぺた台所のゴミ箱に行ってそれを捨てた。
それからいつもみたいに眠る前のお茶を入れて
ミルクを加えて電子レンジに入れてスイッチを押した、ミルク温め、弱め、
1分と35秒。

けれどふと下を見たら
ばらばらと飛び散るみたいにパジャマの裾のあちこちについてしまった
あかいにじみのあとをが電子レンジのオレンジのひかりに照らし出されていて
わたしは少し途方にくれてしまった。
ベージュのパジャマの裾の、右足と左足に、点々と、あかいあと。

それは真夜中のできごとで
わたしはちっとも
そんなつもりじゃなかった。

こんなつもりじゃなかった。


血がとまらない。


そうして、わたしは、また、
あかにとりつかれている自分を、あたまのうしろがわのほうに、みた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


一昨日の夕方に北野武の「Dolls」をみた。
このひとの映像と唐突な語り口は
わたしの呼吸とおかしなシンクロをするらしくて
わたしはなかなか帰ってこられない。
だから、昨日も、今も
唐突にばらまかれぶちまけられた暴力的なあかや
乱舞する色とうつろな目と空気とがわたしのなかに残っていて
そうしてわたしはむしろ
戻ってくるよりも、「Doll」になりたいと思っている。

人形は生と死の両方ともをいっぺんに「生きて」いるのだとすなおに思う。
さしずめ
せかいに口をあけているエアポケットやマンホールの蓋や
そのようなものに食べられかけ足をとられているひとというのも、また、みんな、
Dollsになりかけた
なかばひと、なかばにんぎょう、
そんなような存在なのかもしれないとずっと考えている。


せかいからはみだしかけた、ひともまた。


するすると出て行くあかは
またひとあし
わたしが「Doll」に近づいた証であるような気がして
それはまったくの錯覚と左の側で思いながらも
右の側では、うつろによろこびをおもっている
わたしが真夜中に
息をしている。


すうすうと
ふきぬけている
秋の風に
眠る前のお茶は
とうに冷えてしまいました。




10月15日、早朝  まなほ



2002年10月10日(木) ふつうの生活


スティルライフ、
それを望んでた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ふつうの生活ってなんだろう。
そう思いました。
病気といっても、病気にもなりきれないので
あまり自分が病人だとは、いつもいつもは思っていないのだけれど
昨日まではすべすべで、産毛さえやわらかで
このままうまくいけるかな、と思ったこのからだが
ほんの数時間でまっかに腫れあがって空気に触れるのさえ痛がるようになると

息をしていても
目をあけていても
何をしていても

びりびりとつづく痛みからは逃れられないので。

欲という欲はきえうせて、ただ
イタイだけでからだじゅうが満たされる。
ほかのこと、なあんにも、ない。
イタイイタイイタイ。
それだけ。

明日はバイトの日。
だけど出かけられるかわからない。
目を覚ましたとき、自分がどんなふうな顔で、どんなふうなからだで、
そこにいるのか想像がつかない。見当もつかない。
およそ、賭け事ばかりに乗ったみたいな「明日」。


ひとつには、それだから、
わたしは、眠るのがこわいのかもしれません。


目覚めたときに待っているだろう「未知」が、こわいから。


ただばらばらと落ちる皮膚の残骸が確実に
わたしを汚れたものに感じさせて追い込んでいきながら
世界から消えたい消えたいと、このからだを捨てたい捨てたいと、
おかしな方向へ走っていかせようとするのは
かなしいかな
確かなことでした。


たったそれだけのことに空まで舞い上がったり地面の奥深くまで落ちたり、
単純にふりまわされる自分が、まだまだよわいとかんじて
だけれども、わたしはそれをどうしようもなくて、ただ
今日もおふとんをかぶってふるえていました。

イタイイタイイタイ。
イタイイタイイタイ。


そうして一日が暮れる。



スティルライフまでの道のりは、まだまだ、遠いようでした。





まなほ



2002年10月07日(月) 赤い毛糸と雪

もしも。



この指の先に

つながるものがあったとして、それを見つけたとしてそのときわたしは

それがただ自分とは別個のものであると

どこまでわたしは

信じられるのだろう

ぐるぐると境界線をひきながら校庭中をあるきまわった

運動靴のあしあと。

吸い込んでしまった石灰のしろい粉は

いつでも粉雪を匂わせた



いともかわり易い世界をみわたしてわたしがおもう

ころされていったささやかな笑顔は

鉱石になってきらきらひかる

つきささる空は頬につめたく、円環の中央に屹立するのは

氷のようにまぶしい柱。

ぽたりとおちる解けた水のつめたさをわたしは欲して

ただぐるぐると描いている、それに向かって

こごってつめたい指先に薄くひえた金属をにぎって

わたしは描いている



冬の王はすぐちかくまでやってきた

けれど、ここにはかれを招き入れるための玉座の用意がないがため

わたしはまた、ぐるぐると

めぐりはじめる

指先につながる糸をたどって

(それはおそらく血脈の糸)

春と夏と秋と冬と、ただ無節操に粉雪はふりつづけた

それらの粉が、わたしをうずめてこごらせたとしても

それはかれらの意思でもなく、ただ

わたしが逃げおおせなかっただけのこと。



この指先からつながる道のさき

茫洋とした空白をみつけたとして、そのときわたしは

どこまで信じられるのだろう

その空白がほんとうに

わたしからつながり生まれ出でたものであることを

その空白がほんとうに

わたしに属するものであることを





まなほ



2002年10月04日(金) 見えない傷痕。

朝。

痛いことはきらいです。
だけど、わたしはよく痛いことと手をつなぐ。
気がついたら一昨日辺りから顔が「タダイマ炎症発生中」でまるで熱があるみたいに
頭がぼうっとする。目がうるんでくる。
流れる涙は目のまわりやほっぺたにしみて痛いのであまり泣けない。
ピリピリととんがった痛みが二十四時間つづくので
精神の弱いだめなわたしは参ってしまって朝から弱音をはいたり、する。
じわじわ攻め立てられるのは、いつまでたっても慣れなくて
ただ、目の前の痛いことと闘うのがせいいっぱいになる。

昨日、精神科に通院してきました。
わたしのあたまのなかのカレンダーはよくめくれていなくて
うっかりしたらまだ前の2月あたりをふらふらしているので
日付感覚がよくわからないのだけど
お医者がつぶやいたことによれば、通院はひとつきぶりだったみたいだった。
三週間分の処方のオクスリを一月かけて飲みつないでいたみたい。
おかしいの。

診察の間中、床ばかり見ていた。
いっぺんも目を合わせることをしなかったのは
たぶんこれがはじめてだとおもう。

痛いこと。

ひとのことば。舌打ち。降り落ちて来る文句。
不平不満。対象がわたしでなくとも
ちぢこまる、わたし。
今日はそんな日みたいで、わたしは到底おうちにいられないから
要求どおり部屋の掃除なんてはじめたら、たいせつなものを次々こわして
叩き割って引き裂いていきそうで
正気でいる自信がない。
だから、熱があっても、今日は外に出て行こうと、おもう。


めざわりなわたしをここから消したい。


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腕を切ることは痛いこととはちがう。それは痛々しいことかも知れないけど
ほんとうは、ちっとも痛いことじゃ、ない。
ざっくり切ったらまた話は違うのかな。

けれど。

あるひとたちをかなしませる行為なのでわたしは切らないことをがんばっています。
じぶんを切るための道具になっていたわたしのはさみは
封筒に入れられて、わたしが病みはじめてそれが慢性化しはじめたころ
とてもお世話になった大学の先生が、ガムテープでぐるぐる巻きに「封印」してくれた。
それに触れないように。
封印を解かないように。

それだから
自傷の、いちばんはげしいカタチは、前よりはずいぶん減りました。
まだときどきアルバイト先で、はさみやカッターを手にすると
おかしい気分にひっぱられていくけど。
気がついたら、はさみが皮膚を切ろうとしていたり、傷つけていたり、するけど。


・・・・・・でも、ほんとうに痛いことは、そんなこととは、ちがうんだよ。

・・・・・・ねえ、サトくん。あなたはたぶん


とても、とても、痛かったんだね。




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