ぼんやり日記
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2002年08月30日(金) |
ジーン・ヘグランド「森へ」 / おてつだいひょう |
たまには読んだものの記録をしとこう。
2日前に借りた本。 表紙を見るとまるでSFジュブナイルって感じだし 帯の文章は「もし、電器も電話もガソリンも使えない日が来たら? 森のなかで姉と二人だけで生きのびていく 17歳の少女がつづった知恵と勇気の物語。」 なんて書かれてあるものだから、大草原の小さな家とか アーミッシュの生活とかそんなエコロジカルで冒険チックな 話だと思った。
アメリカの話なのは間違いないが、遠いところで戦争があり (この国はいつもそう) 政府が国を治めきれなくなる。ライフラインは途切れ、 郵便、報道も途切れる。 薬もなく近代設備の医療器具は使えず、伝染病が蔓延する。
そういう今まで確固たるもの、と思っていたもの(国・制度)が 途切れたシビアな中、人里離れた森に住んでいた家族。 両親が亡くなった後、二人姉妹が生きていく様を 日記という形で語っていく。
人の作った物は消費され、文化的と思われる生活様式が どんどん廃れていく。 そんな中で、人類として森に回帰する主人公たち。
彼女たちは自然と暮らす、というより自分たち自身が自然となって 暮らすことを見いだした。 両親の死も体験し、肉体の死を具体的にみつめた。
でも待って、それがよりどころ? 街の人々から得る情報は、彼らが深い絶望と 混乱の中にあることばかり。 そりゃそうだろう。 この本の表現では抑えられているけれど現実に国が崩壊し、 誰も自分たちを助けない、いつ生活が復旧するかわからないまま、 と悟ればもっと酷い事態が起こるに違いない。
主人公が書斎から必要な本を選ぶシーンがある。 聖書は必要ないので本棚に戻した、とある。
確固たるものを持つこと、持ち続けること。 自分の存在意義を確認していること。 聖書は実用書より、それらを確証するために有益な書物である。
そうではない価値観の人が、どういうものを希望や生きる目的にするのか それはそれで興味深いものだなあ、と思った。
よし、夏休み読書感想文の宿題できた〜(笑) 学校用の作文って難しいもんね、ふざけてもダメだし、 あまりスゴイ事かいてもダメ。 学校の作文はキライでした。
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いつの間にかリビングの壁に貼り付けてあった表。 ちゃんと円形にしてピンでくるくる回るようにしてある。 2年生ともなると芸も細かくなってきた。
かあさん嬉しいよ(ほろり) で、何をお手伝いしてくれるの?
ぐーっと携帯電話を近づけて写メール。 『ごばんのじゅんび』と『ようふくのせいり』ね。 感心感心。で、誰がするの?ん? ・・・・・・・・・・・・・・・ この小さい字、もしかして『おかあさん』って書いてない?
ち、ちょっと待て。 かあさんも仲間なの?おてつだいするの? 「そうやで」と憮然とした態度で返事をする長女。 あー。えーと。
かあさんの「おてつだい」をしてくれるための 「おてつだいひょう」じゃないの? 誰を手伝うための「おてつだいひょう」??? 私は自分を手伝うの? で、助かったわ、ありがとうって自分に言うの?
こういう小さいパラドックスは家庭生活の至る所にある。
だから気にしないで先に進もう。 他にどんな項目があるのだろう。 これは『おそうじ』『しんぶんとり』ふむふむ。 あとは『ぶたこのおせわ』と『おふとんしき』 なるほど。 具体的に何をするか、というのはあまり記されていないが まあいいだろう。
で? 『けっとうちのてつだい』『おかたづ(“ず”になってるが)け』 ふうん。『おそうじ』と『おかたづけ』はどのように区分されているのだろうか。
担当者は誰なんだ、むむ。『だれでもいい』のか、そうか。 なすりつけあいになるぞ。 いやまて。カッコ書きがある。 『(できればおとうさん)』
そうか、できればおとうさん、か。 なんて遠慮がちなんでしょう。 あなた、素敵な娘達じゃありませんか。 本当によくできた気だてのよい・・・ねえ。(涙ぐむ) じゃ、あなた、よろしくお願いしますね。 あ、『できれば』でいいんですのよ、ほほほっ
2002年08月29日(木) |
試験が終わった〜っ / ちょっと借りてみた |
昨日、パパの資格試験だった。 お休み返上で頑張ってきたパパ、ひとまずお疲れさまでした。
私もほっとした。 合格率10%だか13%だか、とにかく準備も試験内容も大変で 帰ってきたパパは、子ども達と一緒にすごく早くからぐーぐーぐー。
もっと協力して、もっと助けてあげられれば良かったなあ。 そう思いながら寝顔を見ていた。
これから、パパの休日は一緒に遊びに行ける。 家族が一緒に行動できるって貴重なこと。 大切に考えて、時間を使っていきたい。
で、土曜日はどうしましょうか?
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TSUTAYAに寄ってみた。 昨日、アーヴィングの本が借りられなかったのがよっぽど不満らしい。
で、本は買わずに映画のレンタルコーナーへも行かずに (“アメリ”観たくてうずうずしてるくせに) JPOPのCDをぶらぶら。
何を借りていいやらうろうろしていたが、ふと数年前に、 やる気のない司会者の音楽番組を見ていて(朝日かフジか) これはと思うバンドがあった事を思い出した。 さらっと聴いた印象が、ビビビ婚じゃないけどいい感じだった。
誰だったんだろう。そんなに良かったんなら 名前くらい覚えとけばよかったのに 私ったら全くこんな人生さ。 でも似たようなバンドいっぱい出てくるし。(言い訳)
で、これかなあと迷ったのがDragon Ashと ブランキー・ジェット・シティ。 どうなんだろう? あまり時間もないので、とりあえずパッと手に取ったDragon Ashの “Viva La Revolution”をレジに持っていった。
聴いてみて、あ、これは違うと(笑) ご本人も“HIP HOP最強”とか言ってるし。 迷わないで両方借りてこれば良かった。 そうだ、そうすれば良かったんだ。 でも悪くなかった。 すごく崖っぷちの前向きさがあふれていて良かった。 なんたって“Viva la revolution”なんだもん。 ライブだと高揚しちゃうんだろうなあ。
歌詞も見ながら聴いていたが、この感じは以前は音楽ではなく 別のもので受けとめていた気がする。 そうそう、小劇場演劇。あれです。 音楽もすごい事になってきてるなあ。(おばさんの感慨)
“Let yourself go,Let myself go”いいですね。
果たして私がビビビになりかけたのは、 ブランキーさんなのでしょうか??
ほぼ2週間に1度は図書館に通う。 最近、ネット上から本の貸し出し予約や延滞申し込みが できるようになり便利になってきた。
今日は朝から久しぶりのどしゃ降り。 生まれたところでは、このくらいの雨で“どしゃ降り” なんて言わないが。
雨に図書館に行くなんて、間抜け。 大阪市内なんて滅多に雨なんか降らないのに。 (故郷とくらべたら、という意味です)
アーヴィングを久しぶりに読みたくて探した。 「サイダーハウスルール」だってまだ読んでいないのだ。 この間からすごく読みたくなっていたので、 図書館へ行くのが楽しみだった。
ない。
なんでアーヴィングがないんだよ、イライラする。 おかしいな、探す場所を間違えてるんだろうか。 外国作家の棚をなめるように探したが、1冊も見つけられなかった。 全部貸し出し中なんだろうか?
お目当ての本を探していると、これはこれはという本が 目に付くことがある。 あら、ガルシア・マルケス、お久しぶり!(友達かい) ん〜もう一回「百年の孤独」読んでみようかなあ、 でも時間ないからまたね。
アップダイクにも誘惑され、ダニエル・キイスにも挨拶され、 今はそんな気分じゃないからまたね、と断ったが胸が痛んだ。 またね、っていつ読むんだろう?(^^;)
アーヴィングも見つからないし(なんで見つからないんだよお) じゃあ何を読もうかと、誘惑された本たちを見ていたが なんだかドラフトの外れ1位を指名するようで 気持ちがへこんでしまった。
へこみついでに手にとったのが「ブリジッド・ジョーンズの日記」 これ、映画になったヤツ?へええ、あ、本当に日記になってる。 現在の体重・・・日記のジャンルは“ダイエット”だな(笑)
気晴らしに読んでやろうかと思ったが、 よく考えると他人様の日記なんてWeb上で好きなだけ読めるから、 まあいいやと本棚に戻した。 (しかもジャンルは“ダイエット”やし)
で、全然知らない人のを借りてきました。 ジーン・ヘグランド作「森へ 少女ネルの日記」 あ、また日記やんか(笑) 今、PCに打ち込んで初めて気が付いた。 やっぱ間抜けでした。
2002年08月26日(月) |
しゃぼん玉とんだ〜♪ |
5月の東京土産に買ってきたしゃぼん玉。 未だに開封されずに置いてあったのを、次女が取り出してきた。
マンションの前の道路でやっておいで、と送り出した。 ちょっと変わったしゃぼん玉で、何やら不明の液体が入っているらしく 触ってもすぐには割れないらしい。
子ども達がきゃあきゃあと大騒ぎして遊んでいる声が ベランダ越しに聞こえた。
15分ほどで帰って、おや、と思ったら、掃除をしてくれている おばちゃんに「汚れるからやめて」と言われたらしい。(^^;)
汚れるのかあ ふとベランダを見ると、月桂樹にくだんのしゃぼん玉。
試しに触ってみる。割れない。 でも時間が経っているからか、 しわしわになってつぶれた。 何となくぐしゃっと蜘蛛の糸のような物体が残る。 ああ、これじゃ掃除してくれてるのに「汚れる」と言われても 仕方ないかもしれないなあ。
おばちゃん、ごめん。 今日は暑くなりそうな大阪でした。
2002年08月25日(日) |
再びグリーンスタジアム神戸 |
GS神戸へ行った。 生まれて初めて行ったのが3月のオープン戦。 あんな遠くへは、なかなか行けないだろうと思ったけれど 3回も足を運んでしまった。
片道2時間は遠いけれど、ほんとに気持ちのよい場所だ。
ナイターというのも初めてで、心地よい風と (上空は強風のようでHR飛び交いまくり 笑) ほどよい熱気で試合もそれなりに面白く、楽しんできました。
はっきりしたこと。 私はライオンズとBWとどちらを応援しているのか。 もう始めっから思いっきりBWファンだった。
しょうがないよねえ、ライオンズぶっちぎりだし。 ブルーウェーブ弱すぎるし。(しょうがないのか?)
ぼけっとしていたので写メールも忘れてしまいました。 あの客席係員が夏服に替わっていたので、 撮影しとけばよかったなあ。 グリーンの上着を脱いで、棒タイを結んでらっしゃいました。
花火ナイトも思っていたより迫力があって、 思わず「ジャスコ素敵!」と拍手をしてしまいました。 夏の終わりの花火でした。
進藤のランニングホームランは見逃したけど 相川のグランドスラムよかったよ♪
……朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。 そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。 新約聖書 ルカによる福音書12章33,34節
自分の宝がはっきりしていて、それに心がまっすぐ向いているなら 人生に迷うことなんてないのかも知れない。
私の宝。 そこに私の心がある。本音がある。
私の生活、周囲との関係、所有する物、興味の対象・・・・ そういうものを見つめ直してみる。 これから、しばらく時間をかけて(でも間延びせずに) 整理していこうと思う。
結果、見かけは全然変わらないかも知れない。 変わらざるを得ない部分も出てくるかもしれない。
痛いけれど、それをしなければ私の人生の意味が 見えてこない気がする。 曖昧なままでも人生は過ごせるし、それでもいいと 思ったこともあるけれど やはり、できればすきっと人生を送りたい。
整理整頓。
女とカラスは光り物が好き
クレヨンしんちゃんのひまわりちゃんが「ひかりものが好き」という 設定になっていて、ほんとかおい!と思っていたのだが 友人の娘さんが赤ちゃんの時、ぬいぐるみには目もくれず ガラス玉やにせものアクセサリーに目を輝かせていたのを見て これはこれで事実の一端なのだろうと唖然とした。
たしかにぴかぴか光るものはきれいだものね。 自分も小さい頃、海岸にうち寄せられたガラスの破片を集めて (もう角がとれて丸くなってる)綺麗だなあと持って帰ったことを思い出した。
さあ、ぶたこ。 お姉ちゃんのビー玉を、 おままごとのお皿に入れてご満悦。 お目目もきらきらなんですよ。 見せてあげたい。 パパに「私が宝石好きでなくてよかったね」 と言ったら 「ぶたこ、金銀より素晴らしい物があるんやで」 とむきになって2歳児に説教しておりました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」 新約聖書 使徒の働き3章6節
生まれつき足のきかない男性。 エルサレムの神殿で物乞いで生きていかざるを得なかった方。 彼がペテロさんに物乞いをする。 ペテロさんはお金持ちでもないし、医者でもない。 でも、自分にあるものを上げよう、といって イエスの名によって宣言すると彼は歩き出したとある。
私にあるもの・・・ 物質ではなく、本当に人の心を満たすことができる、 そんな物を私はしっかり握りしめているだろうか?
月、火と西武−ダイエー戦のTV放映があった。 少し見ていたけれど、あまりに一方的なゲームで だんだん気が重くなってきた。
一方的、というのはゲームでの点差のことではなく、 試合に対する覇気とでもいおうか。
「選手に覇気が足りない」 よくファンがこんなことを口にするが、実際の気持ちなんて 選手にしかわからない。 はたから見て勝手なことを言っているにすぎない。
けれど、月曜のダイエーチームを見ていると、 優勝から遠ざかってしまった失望の中で試合をしなければ いけない空しさを感じてしまった。
日曜までは「まだ希望がある」と思い、 敵地所沢に乗り込んだかもしれない。 しかし対戦してみて、西武の壁はあまりにも厚かった。 それを思い知らされている、そんな気がした。
城島。 憎らしいやつだ。 敵意むき出し。生意気。不作法。 ここぞという時にタイムリーを打って塁上で舌を出す。 西武ファンにとって典型的なヒール役の一人。
マスク越しの彼の目から闘志が消えていた。 ありありとTV画面からそれがわかった。 私は悲しくて目をそらした。 私は城島を西武ファンとしていつまでもキライでいたい。 彼もそう願っているだろう。 こんな城島なんて見たくない。 もっともっと私たちを悔しがらせてほしい。
昨日の近鉄。試合後の梨田監督の談話。(SANSPO.COMより) 「もう西武うんぬんは言いづらい。大きな負けです。西武は関係ない」 あの週末3連戦で力つきたのか。 待ってよ。まだ8月やっと下旬なのに。 数少ない私の野球観戦の中で、どれだけ大阪ドームで いてまえ打線にいてまわれたのを観たことだろう。 それが悔しくて悔しくて、だからこそ1勝がどれだけ嬉しいか。
これじゃあ勝っても寂しいよ。 選手はそんなことないだろうけど。
今日の収穫?
目標を見失う、ということがどれだけその人に影響を与えるかを 覚えました。 失望の中、それでも日常生活をこなさなければならない、 それがどれだけ虚しいのかも。 自分に目標はある? 人生のビジョンは?しっかり握ってる? 今日はそれに向かって何をする?
旧約聖書 箴言29章18節 幻がなければ、民はほしいままにふるまう 新改訳聖書
預言がなければ民はわがままにふるまう 口語訳聖書
幻なき民は滅ぶ。 文語訳聖書
どうして小さい子は、穴に興味があるのだろう。
長女はしなかったが、次女は鼻に2回、物を入れた。 まわりを聞いてもよくある事故だ。
ぶたこ。 わんわん怒りながらやってきた。 「いたい、いたい」 ほとんど無意味に「いたい」を連発し、人の気をそそるぶたこだが、 姉達とケンカしたわけでもなさそうだし、いつもと少し様子が違った。
「どこが痛いの?」 「おはな」 ぶたこたるゆえんの上を向いた可愛いお鼻。
もしや??? 仰向け抱っこで鼻の穴をのぞく。何か青い物が奥に見える。
あーもう! とるものもとりあえず耳鼻科へ走る。 先生がピンセットでつまみ出した物と同一のビーズ。 まん丸ではなく、少し平べったくなっている。 よくこんな大きな物を入れたものだ。
とってもらったぶたこは、すっきりしたのか上機嫌で「いやいや」を連発。
余談ですが、反抗期の時って、機嫌がいい時も嬉しそうに 「いやいや」って言うんですよ。
上の写真、決して遠近法で大きく見せているわけではないです。 ちなみに、鼻の中に物をつめたら素人が取ろうとすると危険だそうです。 さらに奥に入れてしまう可能性が高いので、すぐ耳鼻科へ行きましょう。 うちは次女の時に救急夜間診療に走ったことがあります(^^;)
もちろん、鼻の穴だけでなく耳でもそうです。 目の中にわざと物を入れようとする強者はいないと思うので、 小さいお子さまをあずかる方々、とりあえず鼻と耳にはご注意を。
お盆休みのお終いの日。
「夕食は回転寿司でも食べようか」と手抜き宣言。 わあーっと拍手するうちの家族は庶民of庶民である。
その寿司屋に行く途中で見た風景。 ワンボックスカーを家の前に停め、だるそうなご夫婦らしき方が降りてきた。 ドアを開けると、たくさんの荷物・荷物。 キャンプに行ったんだろうなあ。 これから荷ほどきをし、子ども達の世話をし、明日から仕事。 大変だろうなあ。
回転寿司。 早く行かないと混むので5時過ぎ到着。 それでも10組ほど待たされた。
私たちが食べ終わる頃は6時過ぎだったろうか。 帰る頃には長蛇の列。 小雨がぱらつく中、外で待っている人も。
お休みの最後の日だから、外食でもしようか。 やっぱりお腹ふくれて安い回転寿司(全皿100円)にしよか。 そんな大阪の庶民の会話が聞こえてきそうだった。
明日からお仕事。 暑さも少しやわらぎました。 気持ちよく朝、目覚めて職場に行けるといいですね。
私は相変わらずの日々ですが。
2002年08月16日(金) |
ヒットチャート / 大味な試合でございますが |
新聞の夕刊に毎週載っている“今週のベストテン” 今日、何の気なしに見てみたが全く知らない曲ばかり。 ただの1曲も知っている曲がないのだ。 我ながら「知らないんだなあ」と自分の現在の状況を確認した。
かろうじて耳に入ったアーチスト名が何組かある。 その程度だ。 それにしても何でこう、タイトルもバンド名も アルファベットばっかりなんだ? ん?RED HOT CHILI PEPPERSは洋楽だよね? こんなに売れてるのか。そーか。でも知らない。
昔から洋楽中心に聴いていたので、邦楽は得意ではなかったけれど それでも歌番組は見ていたから、売れてる曲は知っていた。
私のいろんな意味での人生の転機は'89年。 自分がアーチストだったらこの年のことを歌にして 歌いたい気分だ。すごい年だった。 ベルリンの壁崩壊。天安門事件。チャウセスク政権崩壊、射殺。 自分も一度、世の流れにさよならした年。
今はどんな歌が世の中にあるのかあまり知らない。 たまにレンタルショップをのぞくけれど、 何が良いのかわからないので手ぶらで帰ってきてしまう。 FMをつけて、聴いてみてもあまりピンとこない。 そのうちうるさくなって消してしまう。
歌を聴かないわけじゃない。 ゴスペルはいつも流しているし、自分でも鼻歌を歌う。 でも世の中の人はどんなものを聴いているのだろう。 私は世捨て人ではないので、その辺はまだ興味がある。
音楽を聴いてどきっとしたり、びびっときたり。 そういうアーチストにまた出会うことができるだろうか。 そういう可能性があるのなら、いろいろ聴いてみたいです。
誰を聴こう。
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こんな試合こそ中継してもらいたいな>NHKさま
西武ドームに乗り込んだ近鉄ファンは気合いも入りまくっていたらしい。 彼らにすれば去年の9月24日(大阪ドーム)の 西武ファンの気持ちと同様だったか。
ここで一気にやってしまう可能性が高いのが近鉄。 近鉄の怖さといったら、あのブライアントの(いつの話や)
オリックス戦を観ながら、途中経過を見ると脱力。 2回の表で0−9で近鉄めった打ち。 そこまで打たんでもええやろ、と思ったらやっぱり吉岡が打っていた。 西武戦では彼がよく活躍する気がする。
で、次の途中経過は5回裏。 10−9。どぇえええええ〜!? な、何が起こったんだ、そーかこれがパ・リーグの試合か(爆)
でも観てる人にとってはたまらない試合でしょう。 すごく意味のある試合だからこそ、この大ざっぱなスコアも許せる。
結局、松井がだめ押しHRで12−10の勝利。マジック34が点灯。 オリックスなんて今日やっと勝って38勝だってのに(涙)
負けた近鉄だが、ふと思い出したことがある。 8月7日、大阪ドームでの西武戦、この日も西武の勝利だったのだが、 「4回で9点差だったら、まだまだいけると思ったが」という 梨田監督のコメントが毎日新聞に載っていた。 結果的には更にその4回に12−0となり、 あきらめざるを得なかったようだ。
それにしても、「4回で9点差だったらいける」というのは あらためてすごいコメントだなあ、と笑わせてもらいました。
さすが近鉄!そうこなくっちゃあ。 だから、もうちょっと頑張ってよ。 前川、早く戻ってきなさい。
2002年08月14日(水) |
琵琶湖帰り / 滋賀県・高島町 |
だめだあ〜 写メールでは、太平洋と琵琶湖の違いが出せない。 太平洋を見て育った私。 今回、間近でじっくりと琵琶湖を見たのは初めての体験。 まるで“海”ではあるけれど、波のこじんまりしていることったら。
波の満ち引きはあるのだろうか? もしあるとしても、それは可愛いものだろう。 その理由として、陸路との高さ設定が圧倒的に違う。 水位が高いのだ。 田舎に住んでいると、川と海の水位というのは無意識に気にしている。 少しでも高ければ命の危険があるからだ。
それと同じ感覚で道路を車で走っていて、湖の方を見るとぎょっとした。 高すぎる。この道路、かん水するよぉ〜 ってくらいの水位に感じた。 琵琶湖の水があふれるということはないのだろう。 それだけでも住んでいる環境の違いを実感した。
みんなが海水浴(湖水浴?)して、「海の家」が並んでいても やはり景色がちょっと違った。 特に夕方からの幾重にも墨でなぞったような空の様子。 静かな日没。
言葉でも写真でも伝えられないのがもどかしい。
琵琶湖は異国でした。
琵琶湖の旅の終わりは、高島町の「びれっじ」というところへ。
古き良き町並みの商店街の中、美しい家屋をそれぞれ工房や喫茶店にしている。 キャンドル工房、染色工房。 高島町は工芸の町だったのだろうか。
そんな古風な建物の中「アイリッシュガーデン」という場所が。 アイルランドとの交流があるというわけで、課の国のお土産物も置いてある。
石畳の向こうに英国風ガーデン。 ガーデンの方は、 中途半端かもしれないけれど、 昔懐かしい日本家屋とのマッチングが 素敵だったのでパチリ。 さすがに写メールでは無理なので、 デジカメで撮った。 サイズ小さくしたけど、ちょっと重いかな、 すいません。
おまけに肝心の日本家屋が暗くてわからないですね。 ストロボ外付けで持っていってなかったし(今どき外付け)
この奥のカフェでお茶をしていたら、暗雲たれこめてきました。 親子連れがちょうどお帰りになるところも、黙ってパチリ。
傘を差した親子の写真。 なんとか小さくしてみたものの、傘は消えてしまいました(^^;)
でも、これはこれで石畳がきれいなので貼り付けます。
また旅行に行きたいものです。
私はあまり化粧をしない。
せっかくきれいに顔を洗い、化粧水なんかで整えて ぴっかぴかにしたところへファンデーションを塗るなんて、 肌の立場からすれば「ひぇ〜なにすんねん!」 ではないかと思うのが大きな理由である。
それでも、化粧をすると顔が変わる。 別人かというほどの変わり様を見ると時々は自分でも挑戦したくなる。 したくなるんだけど、できない。 化粧には技術も年季もセンスもいる。 美術センスもなく、ぞうきん1枚に2時間かけてる私にはかなり難しい。 ってんであきらめちゃってるのがもうひとつの理由。
子どもを生んでびっくりしたのが肌のシミ。 へええ、こんなになるんやあ、と思いつついつの間にやら 3人も生んでしまったらこりゃ大変。
仕方がないので、夏場の日焼け止めだけは塗るようにした。 手元にはSPF6のソフトな日常用のものと、SPF30の リゾート用のものがある。
でも、このぎらぎら太陽では日常の「ちょっとお買い物」でさえ ソフトな分ではおっつかない。 で、毎日リゾート用をぬりぬりしている。
確かに、それなりには予防できているが、汗・水に強いだけあって 今度はそれを落とすのに大変だ。
毎朝、強烈な日焼け止めクリームを塗り、外出前にはもう一度塗り、 夜、お風呂に入る時にそれを落とす。
この「囚人さまの土を掘って埋める作業」のごとくばかばかしく 思える行為に辟易している。 ぶたこのトレーニングパンツの垂れ流し作業も 同じ事の繰り返しだけれど、それでも何かしらの意味が 見いだせるような気がする。 (たとえ1日12回、パンツを脱がせ、床を拭き、 お尻を洗ってやり、薬をぬってパンツを履かせるという作業を 繰り返しても、だ)
世の中の女性は、みんなこんなことを毎日しているのだろうか? 洗顔したり、歯を磨いたりするのと同じことと考えていいのだろうか? うーちょっと違う気がする。
それとも私には根気が足りないのだろうか? 美容のために世の女性達の多くは、もっともっとたくさんのプログラムを 消化しているはずなのに。
私に根気が足りないのはまぎれもない事実だが、でもでも。 せっかくきれいに塗ったものなのに、またそれを跡形もなくはがすって やっぱりちょっと悲しいというか、無駄足というか、屈辱的というか、 ああ朝の、あの一生懸命ぬりぬりした自分の行為は、 こんな仕打ちをうけて精算されてしまうのかと思うと口惜しいのだ。
やや、人が手すりに乗っている!
なんてことはもちろんなく、ライオンズファンが、 大阪ドームのレフト席にてお手製カブレラ人形を(地蔵と申していたが) 貼り付けていたのでありました。 「ここまで飛ばせカ〜ブレラ!」です。 この日のカブレラは渋いヒットで次の和田につなげてくれておりました。 いい感じですね。嬉しいですね。
まさか二日続けて観戦すると思わなかったけど 子供達が球場に喜んで足を運んでくれるようになって (逆にせがまれて)嬉しい限りです。
ってことで応援グッズの少ない我が家ですが ミニバットも2組、購入することになりました。
知り合いが近鉄応援席にいたので、ちょっとのぞきに行きましたが ・・・・怖かったです。
あ、今日は「ですます」調になってる。
ややや、力士に果敢に挑むぶたこちゃん。 堺にある相撲協会・・・じゃなくて、大型児童館「ビッグバン」と言う場所へ遊びに行った。
4階に様々な展示物があるが、その中の一つ。 実物大と思われる力士人形が立っていて、 お腹に張り手をさせてもらえる。 もらえるったってお人形なんだからビビることはないんだけど 全体的に不気味。 そしてリアルに作ろうとしたため皮膚の弾力が なんともふにゃ〜っとシリコンチック。
写真を撮りたいので、ぶたこに「ぽんぽんしておいで」と言ったが 彼女もさすがに2、3度さわってそそくさと離れた。
続いてこれ。壁からわいて出たキューピーちゃん。 大きさはぶたこ(2才)よりちょっと大きいだろうか。 身長は推測1メートルといったところ。 何せ、壁からわいて出てるので、あくまで推測。 この子のお腹を押すと、キューピーちゃんがくすぐったそうに 何やらしゃべってくれる。 変な児童館だ。 ほんとに児童館なのだろうか。 間違えて前衛アート館にでも入ってないだろうか。
そんな不安にかられてしまわれると困るので(そんなことないか) もう少しだけ説明する。
当然ながら不気味な力士や、壁からわいたキューピーちゃんばかりが 並んでいるのではなく、昭和30年代の町並み再現ジオラマや、 こどもキッチン、工作室、自分の描いた絵を大きなスクリーンにCGアニメで 動かせる施設もある。
松本零士が館長を務めているので、彼のオリジナルキャラによる、 シミュレーションシアターもあり、これに乗ると 麻上洋子さんそっくりの(ヤマトの森雪ね)声優さんの声のお姫様や ワープ体験ができる嬉しい11分間を体験できる。
もちろん張り手の練習ばかりでなく、体全体を使って遊べる 巨大ジャングルジムもある。
今HPの方に、レポをまとめているが、駐車場の料金がいくらか失念してるので わかり次第アップします。
でも、やっぱこの写真だけ並べると変な場所ですね。 なんでこんなのばっかり撮ったんだろ。
びっくりした。
次女の健診へ、子供3人連れて行った。 長女と次女は病院が見えると、わあっと走って行った。 ぶたこは歩いていたが、あっちへふらふら、こっちへふらふら。 下手に手を出すと「うるたい〜!(うるさい)」や「や〜や!(いやだよ)」 を連発され、しまいには泣かれるので、じっとお付き合いしていた。
花屋の前で、派手な色のスエットを来たおじさんが 急に膝を落として、ぶたこの前で手をひろげた。 なんとなく立っていたぶたこはそのまま抱っこされ、そして。
そしておじさんは、ぶたこを抱いて立ち上がり、 そのままずんずんと歩いていった。 あまりに堂々と、あまりに当たり前のように。
はっと気が付いて「ちょ、ちょっと、どこに連れて行くんですか!?」 と言うと、おじさんは笑いながらぶたこをおろし、 そのまま大股で向こうの方まで行ってしまった。 その間ずっと無言だった。
あまりに急な出来事だったので、ぶたこも私も状況把握ができなかった。
健診が終わり、百貨店で買い物をし、それでもまだ心の整理がつかず 帰宅した頃、じんわりと恐怖にとらわれた。
あの時、少しでも私が目を離していたら? (そういう事はよくあるのだ) ぶたこを抱っこしてどこへ連れて行く気だったのだろう? あるいはただの冗談か?
反抗期のぶたこは、自分で歩くと言い出したら聞かない。 歩くことを覚えないといけない時期でもあるので、 できるだけ自由にさせてやりたい。 じっと見ていても、子どもはふっと予期せぬ方向に走る。 雑踏で見失うことも決して珍しいことではない。
こわい。 都会の怖さが皮膚に張り付いた。
神様、守ってくださってありがとう。 これからの無事もお願いします。
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