『草原からの使者』 浅田次郎 (徳間書店) - 2005年03月31日(木)
『沙高楼綺譚』の続編。 前作より聞き手側やオーナーの細部の描写シーンが少なくなっており、それぞれ(4編からなります)の語り手の話に集中できる点が良かったかな。 前作と同じスタイルだが、全体的には趣向が少し違う。 読者にとって良いように改良されてるといえよう。 前作は浅田氏も談山先生と小日向君にも個性をもたせようと躍起になっていたきらいがあった。 その分、読者も話しに集中し辛く、その結果として、語り手側の魅力が損なわれていたような気がするが、本作は語り手が“語り部ぶり”を充分に発揮しきっているいる点が素晴らしい。 とりわけ、表題作の「草原からの使者」が印象的だ。 ハイセイコーが日本ダービーに破れた実話をまじえて“人生は運だ”という浅田節を披露している。 その他、題材がカジノや選挙など、男にとって自然と興味が湧くところが心憎い。 浅田氏は読者に“人生とは何であるか?”を問いかけている。 もちろん、作中のような人物は“氷山の一角”であるのは否定しない。 しかしながら、少しでも夢のある人生をと読者に至福の時間をもたらせてくれているのである。 読者は知らないうちに“沙高楼”という名のサロンに座っているような心地にさせられる。 正直なところ、本作は浅田氏の代表長編と比べると物足りないかもしれない。 ウォッカでも飲みながら、音楽に耳を傾けるような感覚で気楽に読むべき本である。 きっと読者の心の中に“男のロマン”がジーンと伝わるであろうはずだから・・・ 評価7点 2005年26冊目 ... 『れんげ野原のまんなかで』 森谷明子 (東京創元社) - 2005年03月30日(水) れんげ野原のまんなかで 森谷 明子 東京創元社の看板シリーズである、ミステリフロンティアの1冊。 本好きというより図書館好きの方には本当によだれの出るぐらい楽しい本なのには間違いない。 内容的には北村薫や加納朋子の作品と同系等(日常のミステリ)といったらよいであろう。 ただ、主人公文子の個性がやはり先輩たちの名作と比べたら弱いような気がするのは私だけであろうか・・・ 次作以降、偉大なる先輩に本作以上に肉薄することを心から希望したい。 舞台は某地方都市の図書館でその名は秋庭市立秋葉図書館。 市の名前と図書館名が一字違ってるのが物語全体を左右するのであるが、これは読んでのお楽しみ。 最初は些細な話だったのだが、徐々に奥深い話への変化と文子の恋心の描写が出てくるところが読みどころである。 探偵役の能勢さん(既婚であるが)への淡い恋心はもちろんのこと、途中から登場する独身男性との恋模様が多少なりともヤキモキさせるところが心地よい。 これからぽかぽか暖かくなっていく季節柄、図書館でじっくりと没頭出来る1冊であることには間違いないであろう。 森谷さんに聞きたいのは、図書館が舞台だからこそ、きっと読者には買って読んで欲しいという願いが込められているのだろうか? 凄く複雑だろうな・・・ 現実の図書館って私の思い過ごしかもしれないが“事務的”であるイメージが強い。 本作を読みながら、少なくとも図書館の裏側というか細部を学んだ読者が大半であろう。 そういう観点で言えば、図書館利用者のマナーアップにも1役を買っているのかもしれない。 読書って人間に心の平和をもたらせてくれる。 その理由は本作を読めば明確である。 なぜなら、本好きにとっては本作の装丁を見てるだけでうっとり出来得る1冊であるから・・・ 図書館が生活の一部と自負している方には必読の1冊であると断言したく思う。 評価7点 2005年25冊目 ... 『最後の願い』 光原百合 (光文社) - 2005年03月25日(金)
私たち読書好きにとって、新たにお気に入りの作家を発見した時の喜びって本当にひとしおである。 その高い才能を感じ取れれば感じ取れるほど・・・ まるで、子供たちが遊園地でお気に入りのアミューズメントを発見したかのごとく・・・ 本作は誰が読んでも、お気に入りとなるであろう作品である。 それほど光原百合の素晴らしさがギュッと凝縮された1冊だと言えそうだ。 本作は七編からなる連作短編集であるが、実質は長編と言ったほうがいいのであろう。 読み終わった後の構成力の巧妙さには脱帽。 果たして“大団円で幕が閉じるのであろうか”あなたも是非体感して欲しいなと思う。 光原さんが描くと平凡な人間も“個性的”となる。 1編1編は決していわゆる切ない話のオンパレードではなく、例えば他人に知られたくないような話の方が多いかな。 それを、劇団を立ち上げようとしている度会&風見がまるで当たり前の如く推理を披露し解決する。 本作はいわば、ジャンルで言えば“安楽椅子探偵”ものとなるのであろう。 実際、滑稽ながらも見事に度会&風見コンビが読者を招待してくれる。 各編とも本当に素晴らしいのであるが、とりわけ「最後の言葉は・・・・」が印象に残る。 もちろん大半の光原ファンは謎解き要素だけでは満足していないはずだ。 それよりもむしろ、人との出会いの大切さ・仲間を作ることの重要性を再認識された方が多いのであろう。 私は特にこの点を高く評価したいなと思う。 例えば、これから新学期や新年度が始まる時期である。 本作を読めばひとりひとりメンバー(仲間)が増えていくのが楽しみでもある。 そういった意味あいにおいては季節の変わり目に読むのには恰好の1冊だと言えよう。 光原さんの作品に大きなトリックはない。 人間の奥底に潜むわだかまりが、彼女が描くと心地よく読者に伝わり、払拭されるのである。 人生もドラマである。 光原さんから、その暖かいまなざしを分けてもらった今、明日から劇団φのメンバーのように熱い人生を演じたいなと思う。 評価9点 オススメ 2005年24冊目 ... 『僕たちの戦争』 荻原浩 (双葉社) - 2005年03月12日(土)
戦争が終わって今年で60年となる。 昨年発売された本作は同じく“回天”を題材としてるところから横山秀夫氏の『出口のない海』とよく比較されるが、内容的には異質のものである。 横山さんの作品はまさしく“直球”まっしぐらな“熱き”作品であるが、本作は“チェンジアップ”満載の作品である。 両作家のそれぞれ持ち味が充分に発揮できている点が、読者に取っては嬉しい限りである。 未読の方は是非読み比べて欲しいな。 本作はいわゆる“タイムスリップ”ものの秀作に仕上がっている。 片や同時多発テロの起こった2001年から1944年にタイムスリップするフリーターの健太、もう一方は1944年から2001年にタイムスリップするお国の為に日々訓練に明け暮れていた飛行術練習生の吾一、どちらも同じ19歳である。 荻原さんの巧みな点は、どちらも現代(2001年)と過去(1944年)を象徴する“ある意味平凡なキャラの人物を起用”することによって、戦争を私たち読者に身近なものとして提示している点である。 他の作家ならもっと“戦争もの”と言えば身構えて読まなければならないのであるが、荻原さんの作品だと容易に入っていけるのである。 あたかも読者が本の中に“タイムスリップ”したように・・・ 読者は否応なしに、現代から過去にタイムスリップした健太と、過去から現代にタイムスリップした吾一との境遇を比べてしまう。 どちらも当然の如く驚愕の毎日を過ごすのであるが、もちらん現代にタイムスリップした吾一の方が平和で安全である。 あと、作中に出てくる恋人役のミナミも印象的だ。 恋愛&友情小説としての側面を本作で見出したのははたして私だけであろうか? ラストにてミナミが身ごもっていることが明らかになる。 吾一の子なのであるが、健太が自分の子と同じように感じ育てていくであろうと読み取った。 お互いが入れ替わった2人が会ったこともないのに“確固たる友情”を築いた証だと受け取りたく思う。 いや、お互いがお互いの“分身”なのであろう・・・ 淡い青色の海に突進していくミナミの後を追いながら吾一は思った。 そういった意味あいにおいては、回天のシーンなど感動的な側面においては横山さんの作品の方が上であるが、清々しさでは本作の方が上だと言えそうだ。 必然的に本作はいろんな読み取り方・感じ方が可能である。 それは荻原作品の醍醐味でもあるのであろう。 例えば、“自分さがし”的な読み方をしても面白いのかもしれない。 あるいは、恋人や配偶者に対する接し方などを考え直してもいいのかも。 少し余談であるが、もし同時多発テロが発生してなかったらこの作品は生まれていたのであろうか? もういちど、私たちの今生きている平和な環境について考えて見たいと思ったりする。 評価8点 2005年23冊目 ... 『あなたまにあ』 小川勝己 (実業之日本社) - 2005年03月10日(木)
狂気の世界を独自の視点で描く作家、小川勝己氏の作品は本書で2冊目となるのであるが、お気軽に読める短編集に仕上がっている。 いや、お気軽に読めると言うのは小川作品に慣れている方に限定されるかな。 なぜなら、小川さんの作品を読むときは“小川モード”のスイッチを入れることを読者が余儀なくされるからである。 全編を共通して言えるのは、普通の人生から転落した人間が登場。 本当にアブナイ、アブナイ。 少し真の愛情が欠如している点は読者もしっかりと受け止めなければならない。 グロテスクな作品、シニカルな作品等本当に狂気に満ちていてバラエティに飛んでます。 印象に残っているのは「聖夜」。タイトル名から醸し出されるイメージとラストとのコントラストが凄い。 あとダメなヤクザを描き切った「壁紙」も心に残る。 グロテスクな「蝦蟇蛙」や「春巻」はちょっと受け入れられなかった。 個人的には作者の引き出しの多さを感じつつも、やはり統一感に欠けている(寄せ集め的な作品集)だと感じざるを得ませんでした。 どちらかと言えば長篇向きの作家のような気がするのであるが、そのあたり小川フリークのご意見をお聞きしたいところである。 評価6点 2005年22冊目 ... 『弘海 息子が海に還る朝』 市川拓司 (朝日新聞社) - 2005年03月05日(土)
弘海は不器用な子供だった。おそらくぼくに似てしまったのだろう。彼はまるで、この星の重力や言葉にどうしても慣れることができなくて、故郷の星に帰りたがっている小さな訪問者のようだった。 市川拓司さんと瀬尾まいこさんの新刊は必ず2度読むことにしている。 なぜなら、2度目には違った部分の感動が得られるからだ。 通常、彼らの新作を読むときにはまるで受験生が合格発表を見に行く際にごく自然に出てくる胸の高鳴りを味わうことが出来る。 しかしながら、本作は2度目を読む気力が失せてしまったと言うのが偽らざる気持ちである。 もちろん、綺麗な文章は健在で本当に読みやすい。 本作においても、市川さんお得意の親子愛はもちろんのこと、理想の夫婦愛を見出すことが出来る。 しかしながら、例えばミリオンセラーとなった『いま、会いにゆきます』や前作『そのときは彼によろしく』のような読者の心に響く物語であるかどうかと問われたら、答えはどうしても否定的なものとなってしまうのである。 なぜなら、読者がタイトルから推測する通りに話が展開し、それも現実感が乏しく、かつファンタジーというほどでもない。 なんか中途半端な感じなのである。 予定調和すぎてあっけなさすぎる点は否めない。 例えば、前作『そのときは彼によろしく』のように、最後にタイトル名の真相を気づかせるというウルトラC的な要素は皆無である。 もう少し含蓄のあるタイトル名にして欲しかったような気がする。 内容的には市川さんのひとりのファンとして率直な意見を述べさせていただくと、もっと弘海少年の苦悩や淡い恋心を描写して読者のハートを射止めて欲しかったと思っている。 あまりに親の視点から中心に描きすぎていて、一方通行過ぎるのかもしれないと感じられた。 なぜなら市川さんのファン層はもっと広いはずであるから・・・ 少し否定的なことも書いたが、もちろん素晴らしいシーンもある。 弘海が公太と別れるシーンである。 やはりこのシーンはグッと来ましたね、さすがに・・・ 市川作品は本作で5冊目である。 もし、氏の作品を初めて読まれる方がいたら本作以外の作品を薦めたく思うのは果たして私だけであろうか・・・ 感動的な作品を書けて当たり前のステージに登りつめた今、氏に対する大きな期待が少し辛口な感想となってしまった。 次作以降、さらなる飛躍を期待したく思っている。 評価6点 2005年21冊目 ... 『雨恋』 松尾由美 (新潮社) - 2005年03月04日(金)
松尾さんの作品は今回初読みである。 ご存知の方も多いと思うが、この作品、帯がかなり話題となっている。 あの松尾由美が、こんなにストレートな切ない恋愛を書くなんて 出版社の販売戦略の凄さに驚いた次第であるが、ラブストーリーを期待して読まれた方はどう感じたことだろう・・・ 少なくとも、これまで松尾さんの作品を多数読まれてきた方には、やはり驚くべき部分=“作風としての変化”を見出せるのであろうか? 本作はジャンルとしたら“SF恋愛ミステリー”という括りに当てはまるのであろう。 読んでみてミステリーとしたら本当に巧みに書かれていると思う。 今までの松尾さんの力量が文章に乗り移っているのであろう。 多少なりとも、女性作家ならではの、男性主人公・沼野渉に対する描き方が少し納得行かない部分もあるのだけど、読者の大半が女性だからいたしかたないであろうか・・・ ただ、やはり本作のセールスポイントとなる“恋愛色”も多少なりとも忘れてはならない。 正直、私自身それほど感動した話ではない。 本来、本作をはミステリー面と恋愛面、どちらも均等に楽しむべき作品なのかもしれない。 不器用読者の私は(笑)、それが出来なかったのである。 私自身は“ミステリーに程よく恋愛面がブレンドされた作品である”と認識して読んだのである。 逆の読み方(“恋愛面中心”)をすればあんまり楽しめなかったのではないかな。 そう言った意味合いにおいては、賛否両論ある帯の文句(どちらかといえば否の意見の方が多いようである)は、従来からの松尾作品のファンの方が“恋愛面をもブレンドさせた作品を書くようになった!”ことを認識すべく言葉だと捉えるのが無難なような気がするのである。 帯のことに言及したので装丁についても語りたい。 特筆すべきは表紙の装丁の素晴らしさである。 これは本作を読んだ人にしかわからないのが残念だ。 男性読者なら、必ず千波の顔を想像しつつ楽しんだことに違いない。 あと、書き下ろし作品の為に文章に一切無駄がなく、わずか250ページ余りだけど読者を充分に堪能させる内容である点は高く評価したく思う。 もうひとつ付け加えると、“ネコ”好きな方が読まれたら楽しさ倍増かな。 次は“犬”が出てくる『スパイク』に挑戦予定です(笑) 少し余談になるが、出版界もどしゃ降りとまでは言わないまでも、“雨か曇り”の状態が続き本当に“本が売れない時代”である。 作家も生き残りの為に、今までと違ったジャンルや、あるいは本作のように融合したジャンルの作品を書くことを余儀なくさせられそうであることは想像にかたくない。 いったいいつになったら“日本晴れ”がやって来るのだろうか? 渉と千波の晴れた日の再会を願うように本が売れる時代の復活を願いたく思う。 評価8点 2005年20冊目 ... 『だいこん』 山本一力 (光文社) - 2005年03月03日(木)
時代は江戸中期、天明・寛政の頃。 江戸浅草で一膳飯屋“だいこん”を営むつばき一家の物語である。 日頃、心暖まる小説に飢えている人は本作を手に取ればいい。 明日からは“もう少し頑張ってみよう!”と読者に必ず思わせてくれるところに直木賞作家の底力を垣間見た気がする。 なんと言ってもヒロインつばきのキャラが素晴らしい。 男性読者が読めば、必ず惚れ込む事間違いなし。 過去を遡れば、たとえば藤沢周平さんの『蝉しぐれ』の牧文四郎がとっても印象的であるが、本作のつばきも文四郎に負けず劣らず読者を引き付ける魅力的な人物だ。 いわば、読者が主人公に惚れる作品の典型的な例として語り継がれる作品だと言えそうだ。 とにかくヒロインつばきの“芯の強さ”を読者は見習わなければならない。 ただ単に、ひとつのサクセスストーリーとして読むのもいいのだろうが、やはりそのひたむきな性格と卓越した商売に対する才覚を実感しながら読むと、“読書って楽しくて有意義なものなんだな”と肌で感じることが出来る作品である。 もちろん、私たちが生きている現代は、この作品のように簡単には行かない。 しかし、少し物ごとに対して後ろ向きに考えがちな人(私も含めて)が手に取ったら、必ず主人公のつばきが読者の背中を押してくれるような気がするのである。 なぜなら、彼女のひたむきさは、現代小説の作中の人物では実感できないレベルだから・・・ 少し物足りなく感じた点は、ヒロインつばきの恋模様の描写が少ない点であろうか・・・ 山本さんはその宿題を続編にて応えてくれるであろうと切望したく思う。 少し余談となるが、タイトルともなっている“だいこん”。 安くて美味しい庶民的な食べ物の代表である。 このネーミングは、ヒロインつばきのイメージだけでなく、家族の情愛を描かせたら右に出るもののいない作者・山本さんの人柄をも彷彿させられたのは私だけであろうか? “だいこん”を食べるように、お気軽に手にとって欲しい一冊である。 評価9点 オススメ 2005年19冊目 ...
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