『追憶のかけら』 貫井徳郎 (実業之日本社) - 2005年02月27日(日)
貫井さんの熱心なファンの方が聞いたらお叱りの言葉を頂戴するかもしれないが、貫井さんもここまで書けるようになったのかと感心してしまったのが読後の率直な感想である。 作中作として戦後すぐに自殺した作家が記した未発表手記が本作の半分近くを占めるのであるが、これが初め旧仮名遣いの為に文章が読みづらいのであるが読み進めて行くうちに主人公の気持ちに読者が引き込まれていくのである。 これは本当に素晴らしい、貫井さんの隠れた才能を垣間見た気がするのは私だけであろうか・・・ 作品全体としては、動機付けや主人公のうだつのあがらない性格など、いささか感心しない点があったのも事実。 たとえば主人公の奥さんが実家に帰った(別居)為にこの物語は始まるのであるが、そのいきさつ等も少し不自然なような気がする。 貫井さんの優しさが少し詰めの甘さに繋がっているようにも感じられたのは残念。 個人的には手記が秀逸だった為に、その語のミステリー解明部分が二転三転して結果として欲張りすぎたような気がする。 しかしながら、読者がこの作品を読んで、“今、まわりにある大切なものを見つめなおすいい機会”となった方は大きな収穫のあった読書だったような気がする。 評価が分かれる作品と言えそうだが、少なくとも貫井フリークの方には1冊で2冊分楽しめた作品なのは間違いないところであろう。 評価8点 2005年18冊目 ... 『アフターダーク』 村上春樹 (講談社) - 2005年02月14日(月)
“読みやすいけど理解し辛い。” 従来から村上作品に対する私が持っていたイメージである。 どことなく翻訳本を読んでいるような感じで自分の中に消化できない。 ファンの方には申し訳ないのだが、自分の追い求めてる読書スタイルと村上春樹さんが醸し出すイメージとが微妙に(というかかなり)ずれており、何度か挑戦しつつも一冊も読破したことがなかったが、本作に関してはなんなくクリアした。 本作はまるで“春樹初心者”をターゲットとして書かれたようにも感じられたのは気のせいであろうか? いや、単に以前の残念ながら村上氏の他の作品を読んでいない私には、たとえば氏の変化や進化論等を論じることはできない。 言い換えれば、“楽観的な読者”とも言える。 実際、本作がストレート作品か、あるいは変化球作品か検討もつかない。 物語に登場する浅井姉妹(マリ&エリ)は本当に対照的である。 主役ともいえる妹・マリは深夜にデニーズで読書に耽る。 一方、姉のエリは終始ベッドで眠っている。 姉妹の関係(特に姉の状態)は物語が進むに連れて明らかになって行くのであるが、マリがわずか一晩のあいだに遭遇する事件や人々によって自分自身を見出し、姉との関係の修復に立ち向う点をいわば村上春樹スタイル(と呼ぶのであろう)で描かれている。 失われつつある姉妹の関係の修復が本作の最も読ませる部分である。 失礼な言い方かもしれないが、意外な発見もあった。 たとえば本作に登場のカオリ・高橋・コオロギ。 いずれもが、“人間臭い”のである。 さて、わたしたちのまわりにも取り返しのつかないと思い込んでそのままにしていることってないであろうか? 時代は暗澹としているが、心の持ちようでどうにでもなるのである。 少し“希望”を見出せる所が共感出来た。 率直な村上作品の感想として“人生”というより“世の中”というものをクールかつドライに描写してるなと思う。 ただ、“ハルキスト”のように何回も村上作品を読み返したりするほど感動的な側面を本作には見出すことが出来なかったのも事実である。 “若葉マーク”の私にとっては(笑)、いろんな意味において有意義な読書であったような気がする。 読書の幅が広がったのは事実である。 評価7点。 2005年17冊目 ... 『雪の夜話』 浅倉卓弥 (中央公論新社) - 2005年02月12日(土)
デビュー作『四日間の奇蹟』のヒット(80万部らしい)と映画化決定で、ベストセラー作家への仲間入りを虎視眈々と狙っている浅倉氏であるが、第3作の本作でようやく宝島社以外の出版社から上梓、前途洋々な作家のひとりである。 本作は年に1度雪が積もるか否かのところに住んでいる読者の私なんかよりも、ずっと北国に住まれてる方の方が感情移入できることは容易に想像出来る。 それほど浅倉氏の情景描写は卓越している。 寒さの厳しさを身を持って体験している(浅倉氏は札幌出身らしい)氏のまなざしは一貫して優しい。 表紙の装丁も印象的で、まるで主人公の相模和樹が書いたようだ。 高校2年の冬に初めて雪子と出会って以来、8年ぶりに再会出来るには必然的に東京での挫折が必要であったのであるが、東京において挫折感を味わう過程が特に巧みに描かれてる。 特に水原・山根・吉田との関係というかバランスが現実的に書かれていて、読者も他人事ではない。 実際、主人公と同じような気持ち(挫折感&孤独感)を持って生きている人が多いような気がする。 というか、誰もが持ち合わせている“心の側面”をピンポイントに描いた作品なのである。 後半の8年前と全然変わっていない雪子を見て、驚き、やがて命の大切さを知って行く過程で読者の大半が心が洗われる。 物語において妹、夏子の現実主義者としての演じる役割は大きい。 和樹は東京で馬が合わなかった吉田と夏子の婚約者である沢村とをオーバーラップしてるのだが、夏子に言わせれば所詮“似た物同志”なのである。 個人的な本音を言えば、この話は大人の童話としてもっと徹底してほしかった。 雪子が去って、美加との交際が始まるのであるが、雪子の生まれ変わり的存在として演出してほしかったなというのが私の希望である。 浅倉氏もロマンティックであるが私もロマンティックなのであろう(笑) 結果として本作は“現実とファンタジー”を融合させた力作と言えるであろう。 というのは、和樹が支えられたのは雪子だけではないからだ。 いや、雪子には“大事なことを教えられた”と言うべきであろう。 前述したが、妹・夏子の兄に対する“説教”に兄妹愛を強く感じたのであるが、ラストの“もうひとりの雪子”という着地点のつけ方からして浅倉氏も“兄弟愛”を力説したかったのだと思ったりする。 最後まで読み終えた後、もういちど序章の4ページを読み返して欲しい。 きっと感慨ひとしおになるであろう。 そう、公園はもうないのである。 読者も現実の世界に戻らなければならない切なさ。 真冬に読んで、せめて心の中だけでもぽっかぽかに暖かくしてほしい。 私だけでなく、浅倉氏の切望するところであろう。 評価8点 2005年16冊目 ... 『禁じられた楽園』 恩田陸 (徳間書店) - 2005年02月11日(金)
“現代の語り部”という作家を評する形容があるが、現在一般的には宮部みゆき氏か恩田陸氏のどちらかに使われてる場合が慣例となっている。 いわば、作家に対する最大限の賛辞だと思うのであるが、大きな文学賞に縁遠い恩田氏に対して違和感なく使われてるというのはそのファン数の質・量ともに群を抜いていることの証拠とも言える。 読者を物語の世界に引き込む圧倒感は他の追随を許さない点は認めざるをえない。 本作はジャンル的にはホラーになるのだろう。 元来ホラー自体、苦手部門の私なのであるが、恩田さんの後押しで恐さに背筋をゾクゾクさせられながら(笑)読み切ることが出来た。 烏山響一というカリスマ性を持った人物の神秘性が物語を奥深いものとし、読者は捲るページを止めることが出来ない。 途中から舞台が和歌山県の熊野に移される。 ここからがタイトルともなる“禁じられた楽園”の始まり始まり! 近畿地方に住む読者として、物語の雰囲気ととってもマッチしていてより作品に入り込めたような気がする。 あと、登場人物のひとりW大生平口捷の平凡さというか等身大性も忘れてはならない。 絶妙な配役なのであるが、惜しむべくはラストの唐突な展開である。 少し着地点としたら無理があったように感じるのは私だけであろうか。 ディープな恩田ファンの率直な意見を聞いてみたいなと思ったりする。 作中の烏山響一のように恩田陸という作家はファンにとってカリスマ性を持った作家なのであろう。 私的意見で申し訳ないが、恩田作品の楽しみ方について語りたい。 恩田陸の作品は子どもが遊園地で楽しむアミューズメントのようだと思う。 “ジェットコースター”であったり“観覧車”であったり・・・ たとえば本作と『夜のピクニック』や『ドミノ』なんかと読み比べて“その引き出しの多さ”を体感して歓喜の声を上げるべきなのだろう。 まるで作中で捷や律子が“インスタレーション”でハラハラドキドキしたように・・・ 評価7点 2005年15冊目 ... 『夏の名残りの薔薇』 恩田陸 (文藝春秋) - 2005年02月07日(月)
文春の“本格ミステリ・マスターズ”シリーズの1作。 舞台はある山奥のホテルということで久々にミステリーを楽しもうと思って手に取ったのであるが、肩透かしを喰らわされたと言うのが偽らざる気持ちである。 “幻想小説”あるいは“叙述小説”として違った視点で読まれる方は、楽しめるのかもしれない。 それぞれの章(第一変奏〜第六変奏という名で表している)ごとに語り手が変わって行き、徐々に人間関係が露わになっていく過程の描写が特徴である作品なのは間違いないのであるが、全体を通して三姉妹はもちろんのこと、桜子兄弟など登場人物に共感出来ないという気持ちが強いのも事実である。 不倫はいたしかたないとしても、近親相姦は受け付けないな(笑) どこまでが嘘でどこまでが真実なのかに読者は振り回されるのであるが、果たして心地よく感じられるであろうか? あと、随所に映画「去年マリエンバートで」引用文献があり、興味を持たれてる方には面白いのかもしれないが、逆に中途半端な引用であるようにも感じられた。 小説は作者の想い入れが伝わらなければどうしようもない。 読んでいてその部分(引用)があるから醒めてしまったような気がする。 たとえば、巻末の恩田さん自身のあとがきや評論家の解説を踏まえつつ、もう1度読み返してみたら、かなり楽しめる作品なのかもしれないが、そこが根っからの恩田ファンであるかどうかの分岐点だともいえそうである。 ファンでない方には多少なりとも、モヤモヤしたものが残るような気がする。 本作は恩田さん自身が好きなように書かれた実験的作品だと思う。 読者にリスクを負わしたその恩返しとして、巻末にインタビューを載せているのだろうか・・・ 本文よりインタビューの方が楽しめた方も多いような気がするのはなんとも皮肉な結果である。 本作は恩田ファンを飛び越して、“恩田フリーク向けの作品”だと言えそうだ。 私が導き出したひとつの結論である。 評価5点 2005年14冊目 ... 『TVJ』 五十嵐貴久 (文藝春秋) - 2005年02月05日(土)
『FAKE』に続いて読破したが、『FAKE』に負けず劣らず、肩肘張らずに楽しめる極上のエンターテイメント作品に仕上がっている。 五十嵐さんの最も読者に伝わる点は“面白い小説を書こうという努力を怠っていない点”である。 極論かもしれないが、現在、不況の出版業界においてベストセラーとなり得るのには2種類の方法があると思う。 ひとつは作品の文学賞の受賞。もうひとつは作品の映画化(ドラマ化)である。 五十嵐さんがこの作品を書くにあたり、そこまで目をつけたかどうかは定かではないが、本作は2001年にサントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞したもの(いわゆる応募作)の大幅リライト版であるので五十嵐さんもビジュアル的に楽しめるものをと考えて書かれてるような気がする。 ここ数年の小説からの映画化の数は右肩上がりに上がっていると言える。 というのは、慢性的な脚本不足もあるだろう。 また、小説を映画化することによって映画だけでなく、原作本も売れるという相乗効果もある。 しかしながら、はたしてこの作品の映画化は良かったのか?と映画ファンというよりも小説ファンの立場からして異議を唱えたくなる作品も多々あったのが本音である。 そこで“真打作品登場”というわけである。 もし、本作は映画化(ドラマ化)されなかったならば、大きな損失である。 出版界にとっても、映画界にとっても・・・ 私の予想では本作の舞台ともなっているお台場のテレビ局あたりが映画化(ドラマ化)しそうな予感(笑) 少し先を見越しすぎだろうか・・・ 小説の内容については、ここでは細かい内容には触れたくない。 “あの《ダイハード》の女性版!”という宣伝文句で充分であるからだ。 少しだけ語らせていただくが、交渉人“大島”と“少佐”との対決はやはり頭脳的な心理戦として読者の脳裡に焼きついたことだろう。 そう言えば『交渉人』という五十嵐さんの作品もあったっけ、これも読まなくっちゃ(笑) 私自身、必ず映画化されると信じて疑わない。 映画化された暁には、小説では味わえない迫力や同時進行の妙を味わいたいなと期待している。 あなたは読んでから観るか、それとも観てから読むか・・・ 小説ファンのあなたならもちろん読んでから観てほしい。 余談だが、五十嵐さんって結構ロマンティックなんだなと思ったりする。 少しでも由紀子の熱き想いが伝わったならば、“等身大のエネルギッシュな生き方”を明日からは実戦出来るであろう。 ワクワクしながらページをめくってほしい。 評価8点 2005年13冊目 ...
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