『対岸の彼女』 角田光代 (文藝春秋) - 2005年01月31日(月)
あああ、今の話聞いて、私の結婚願望、確実に七十パーセント減った。こうして結婚しない、子ども産まない女が増えんのよ。少子化の元凶は働く女じゃなくて、幸せな主婦の愚痴だね 直木賞受賞作品。現代に生きる女性必読の書である。 角田作品の良い読者ではない私であるが、まず読後の率直な感想として“とっても気配りの出来る作家”であると強く感じた。 “恋愛小説”の名手である角田さんが本作のような“友情小説”で直木賞を受賞したのは嬉しい限りである。 昨年ヒットした『負け犬の遠吠え』は、30代以上・独身・子なし女性を“負け犬”という名で呼び、女性の複雑な心理面を見事に観察したエッセイであったが、一方、本作はフィクションである。 角田さんの凄い所はフィクションで描き切れる極限のところまで到達している点である。 前述した『負け犬〜』は滑稽さも混ぜ合わせて語り、いわば“負け犬”に属する読者にエールを贈ってるのであるが、本作の主題はもっと深くて前向きである。 本作はどちらかと言えば、既婚者は独身者に対して、独身者は既婚者に対してそれぞれお互いの認識を深めるのに一役を買っているような気がする。 少し残念なのは本作を販売するにあたり、勝ち犬・負け犬という言葉が氾濫して使われている点である。 出版社の意図なのであろうか・・・ もちろん対照的な2人を描写することにより、本作がより読者にとって入り込みやすくされている点は否めない。 しかしながら、角田さんの意図とはかなりずれているような気がする。 実際、読んでみて葵が負け犬で、小夜子が勝ち犬だとは思わない。 本作には読まれた方なら誰でも認識できるであろう主題がある。 価値観の多様化しつつある現代において忘れがちな“真の友情”の大切さである。 物語は独身者である“葵”の過去(主に高校時代)と既婚者である“小夜子”の現在が交互に描かれる。 2人の共通点は人づき合いが苦手な点である。 現代においては葵と小夜子は同じ大学出身で30代半ばの設定。 専業主婦に疲れた小夜子は3歳の娘を預け、葵の経営する旅行会社(の中のハウスクリーニング部門)にて働くようになる。 物語の一番のキーパーソンは葵の高校時代の親友である“ナナコ”。 誰もが感じるのは過去のナナコと葵との関係が現在の葵と小夜子との関係に非常に似通っている点。 本作は読者(ここでは女性読者と限定しよう)の過去・・・それも人生において最も多感な時期の心の葛藤をあぶり出している。 登場人物と同年代の女性が読まれたら、過ぎ去った過去ではあるが、リアルにこの小説で語られているシーンが甦ってくるのであろう。 読者は否応なしに心を痛めつつも“自分の現実を直視せずにはいられない” 男性読者の私が客観的に見て、全体を通してやはり女性世界特有の優越感と劣等感をとっても的確に描写してくれている点は見事だと思う。 読者は本作にて学ぶべき点がある。 たとえば、わたしたちが生きていて、“ああ、あの時もう少し勇気を持って行動すれば良かった”と思うことがあろう。 作中の2人(葵&小夜子)が、読者に代わって演じてくれていると言えよう。 年齢を重ねると人間って変化していくものである。 傷つくのを恐れてはいけない。 “対岸”を渡る勇気さえあれば明日が開ける! 性別問わずとっても普遍的なことであると捉えたく思う。 “人生に勝ち犬も、負け犬もない”・・・出版社の意図とは逆行してるかもしれないが、角田さんの最も伝えたかったのはこの点であると私は思っている。 読後はたしてあなたは対岸で誰の姿を見るであろうか? 小夜子?葵?それともナナコ? いや、きっと3人とも待ち構えてくれているのであろうか・・・ 心を震わせながらも、読書を終えた満足感が満喫できるこの瞬間。 この切ない気持ちをいつまでも忘れたくないと強く思う。 そのためには本作のページをめくる事から始めなければならない。 人は誰しも年齢を重ねる。 本作は年齢を重ねるにつれ、時には忘れがちになる、人生における“希望”を思い起こさせてくれることが出来る。 本作を傑作と言わずしてどの作品を傑作と言えよう。 評価10点。超オススメ 2005年12冊目 ... 『FAKE』 五十嵐貴久 (幻冬舎) - 2005年01月26日(水)
五十嵐さんの作品は『1985年の奇跡』に次いで2作目だが、本作を読み終えてまたまた“コンプリートしたい作家が出現した!”と声を大にして叫びたく思う。 ひと言でいえば本作は“手に汗握って読める究極のエンターテイメント作品”である。 文章も読みやすいのが嬉しい限りである。 内容的には大きく3章に分かれる(Doubt、Sting、Fake)。 少し最初のカンニングの章(Doubt)の詳細描写が長すぎると思って読んでいたが、やはりかなりの伏線(特に登場人物に対する)が張られているのに気付くはずだ。 後半のポーカーシーンはどこでFAKEが見破られるかはあらかじめ予期して読んでいたのだが、手に汗握らざるにはいられない。 細部にわたり、いささか説明不足な点もあるが、全体の流れとしたらプロット上やむを得なかった部分もあるのであろうと理解したく思う。 悪者役の沢田はもちろんのこと、最後までわからない西村親子の正体など・・・ 西村親子が意外と活躍するんだよね。 結果として、読者が最後には五十嵐さんにまんまと“フェイク”される。 何も考えずにひたすら本に没頭出来る作品である。 映像化されたらよりドキドキ感が増すであろう。 本作はほんの少しだが恋愛部分もある。 主人公(と言えるかな)宮本の亡き友人(加奈の父親)に対する思いなんかを胸に秘めて読めばラストシーンなんかとりわけ熱く感じることができるんじゃないかなと思ったりする。 個人的にラストの哀愁感がたまらなく好きだ。 読者である私たちにも人生において区切りが必要なのかもしれない。 同時にいつまでも純真でいたいものだと強く感じた。 評価8点 2005年11冊目 ... 『ボーイズ・ビー』 桂望実 (小学館) - 2005年01月21日(金) ボーイズ・ビー 桂 望実 私たちが生きていてこんなことがよくあると思う。 “まさかこの人とこんなに親しくなれると予期してたであろうか?” 人生における出会いとは本当に奇遇である。 薄い220ページ余りの本の中に、私たちが生きて行く上で最も普遍的な友情・兄弟愛・親子愛・自己再建というテーマが盛り込まれている。 友情を結ぶ人物(栄造と隼人)の年齢差がなんと58歳。 本作は世代を超えて読み継がれるべき恰好の1冊となった。 現実的にはたとえば祖父と孫以外には考えられないかもしれないが・・・ 老人の頑固さと、少年の純真さが上手く溶け合って物語り自体を凄く厚みのあるものとしている。 小説としての設定は本当に唸らせるほど巧みである。 年老いた靴職人の栄造が自分を取り戻す為に靴作りに精を出す。 必死に見守る隼人の姿が読者の脳裡に焼き付いて離れない。 その他プリンを作る場面、室田先生の財布からお金が盗まれた事件。 欲張り読者の私は、作中に亡くなった母の双子の妹・美佳が一緒に住むと言うエピソードがあるのだが、もしパパの幸せを願って一緒に住むことを了承した兄弟というのも見てみたかったような気がする。 幅広い年代に読まれるべき作品だから、無理だったのでしょうが・・・ 私自身は隼人って優しいだけじゃなく、とっても心の広い少年だと思っているから。 「か、母さんはーーみ、美佳おばちゃんじゃない」涙を袖で拭った。「美佳おばちゃんは母さんになれない。そんなこと、父さんだってわかってるでしょ。そ、そんなことーーずっとわかってると思ってたよ。淋しいよ。淋しいんだよ。誰がいたって、淋しいんだよ。母さんじゃなけりゃ、淋しいんだよ」 隼人少年に教えられることって本当に多い。 人間誰にでも栄造のように頑固で偏屈な面は持ち合わせていると思うから。 作中の栄造にとっての隼人存在が、読者にとってのこの本自体の存在に等しい。 生きる勇気を与えてくれるのである。 とりわけ男の子を持つ母親が読まれたら、きっとこんな子に育って欲しいと感じることであろう。 少し父親の視点から語りたい。 隼人・直也少年を子とした父親・正和って幸せものだ。 亡き妻・美穂が残してくれた至福のプレゼントである。 ずっとずっと大切にして欲しい。 心から願っている。 有意義な読書を終えたあとの心地よさをあなたも味わって欲しいなと思う。 評価9点 オススメ 2005年10冊目 ... 『アイム ソーリー、ママ』 桐野夏生 (集英社) - 2005年01月17日(月)
人間ってこんなに邪悪なものだろうか? 読みながらずっとそう感じていた。 巷では3部作と呼ばれているみたいだが、私的には他の2作とは根本的に違うような気がする。 たとえば前2作(『グロテスク』、『残虐記』はそれぞれの実話をモチーフにして語られている社会派作品である。 読後人生そのものについて考えることが出来る心に残る作品である。 本作は実話があるのかどうか定かじゃないが、内容的に重過ぎるし救いがなさすぎるのである。 確かにテンポ良く進むのであるが、読後感は決して良くはない。 いや、早く忘れ去りたいと思ったりしたが正直な気持ちである。 あまりにも容赦なく狂気が読者に迫ってくるので読者は身構える隙もない。 少なくとも、もっと普通の環境で生まれ育った人が変わっていく過程を描いて欲しかったと言うのが正直な気持ちである。 アイ子にはほとんど同情の余地はない。 悪意が無意識的に備わりすぎている。 『「アイ子はお母さんの写真もないんだぜ」と言ったのは上級生の男子だった。卒園してからそいつのアパートに行って、火を点けてやったが、大火傷をしながらも生きているって聞いたのは残念だった。火はあたしの大好きな味方だ。火を点けてしまえば何もかもが焼けてなくなる。』 もちろん、エンターテイメントとして割り切って読めばそこそこ楽しめるであろう。 凄くテンポが良くて登場人物も上手く繋がっている。 しかしながら、はたして読者がそこまで桐野氏の作品に対して切り替えが出来るであろうか。 エンターテイメントとして書くならば、もう少し楽しい話を書いて欲しいな。 個人的な意見であるが、前述したとおり、桐野氏にはもっと人生や世の中を考えさせられる作品を上梓してほしい。 社会派作品として読めば訴えられるものがほとんどなく、物足りないというのが正直な感想である。 本作を読みながら「早く捕まれ〜」とずっと思ってたのは私だけであろうか・・・ 他の読者のご意見を聞きたいと言う点では必読かもしれない。 評価6点 2005年9冊目 ... 『となり町戦争』 三崎亜記 (集英社) - 2005年01月16日(日) となり町戦争 三崎 亜記 直木賞作家をはじめ人気作家を数多く輩出している小説すばる新人賞であるが、今回で17回目を数えた。 私だけでなく年の初めに刊行されるのが楽しみとなっている方も多いのであろう。 それほど確固たる地位を築いてきた賞だと言えそうだ。 さて、本作であるがとっても内容的には奥深い作品である。 すばりレビューアー泣かせの作品である(笑) 私の結論としては新しい“スタイル”の作品という点では、伊坂幸太郎氏の斬新な作風に匹敵すると思うのである。 良きライバルとなり得る逸材である。 時代設定は現在より少し先(年号は平成じゃなく成和23年となっている)になるのであろう、主人公が住む町“舞坂町”と“となり町”とのあいだで戦争が始まる。 主人公である北原修路は町役場から偵察業務従事者に任命されるのである・・・ 過去の戦争を書いた作品は数多いが、近未来のそれもとなりの町との戦争を書いた作品なんてお目にかかれるものじゃない。 なんと“戦争で町の活性化をはかろうとしている”のである。 決してSF的な話じゃないし、非現実的なんだけど登場人物がリアルに描かれているのが目につくのである。 三崎さんって、私が思うに繊細な心情描写が持ち味なので、今後は純文学的な作品路線(たとえば堀江敏幸のような)を邁進した方が才能開花するんじゃないかなと思う。 特に作中の主人公と香西との距離感のもどかしさが印象的だ。 終盤明らかになる彼女の兄弟のエピソードには驚いた。 リストラ等、不況の世の中公務員のあり方が問われているが、果たして香西のような仕事に邁進する公務員っているのであろうか? 現公務員の著者の理想とも取れるし反論とも取れる。 このあたり微妙なところである。 作者って本当に平和主義者なんだと思う。 もはや世界一平和な国に住んでいる私たちに戦争って言葉は非日常的な言葉である。 でも世の中は変わっていく。予断を許さない。 作中で主人公の代わりに亡くなる人がいる。 人が殺されていくことの辛さを少しでも感じ取れたらと願ってるのであろう。 読み終えた方の大半はさまざまな思いを胸に本を閉じられたことだと思う。 次作もっと期待して待ちたく思うのは私だけじゃないはずである・・・ 評価7点 2005年8冊目 ... 『オレたちバブル入行組』 池井戸潤 (文藝春秋) - 2005年01月13日(木)
初挑戦の池井戸さん、構えて読んだのだが意外と読みやすいのには驚いた。 “警察小説”の第一人者が横山秀夫さんなら“金融小説”の第一人者は池井戸さんに違いないと断言できる作品に出会った。 舞台は大阪、バブルもはじけ銀行不倒神話が崩壊してしまった現在。 主人公の半沢は融資先の倒産による焦げ付きを支店長以下自分へと責任転嫁されるのである・・・ 主人公であるバブル入行組の半沢の気性が読者を刺激する。 正義感が強くて逆境にも挫けない男気の性格。 希望に燃えバブル絶頂期の1988年にに入行した5人の男たちのその後・・・ 本作は銀行出身の池井戸さんだからこそ、その経験を生かしたリアリティ溢れる設定や会話を堪能できます。 ネットで知ったのであるが、第1章と最終章は追加で書き下ろしらしい。 少し不満点はやはり入行前の面接で集まった半沢を含む個性豊かなメンバー(すべて慶応大生)のその後があんまり詳しく描写されていない点であろう。 そのあたりタイトル名と少しかけ離れているような気がした。 しかしながら勧善懲悪的要素を持たせながら、テンポ良く読ませてくれます。 平易なビジネス解説をまじえながら、ストーリーの展開に目が離せません。 特に印象的なのは支店長浅野の妻の行動。 すごく“しおらしさ”が出てて巧みな演出だと舌を巻きました。 私たち読者が働く職場にも不条理な事は多々あると思う。 しかしながら本作の銀行内における矛盾は我慢の限度を超えている。 いわば半沢の意地が読者の意地でもある。 痛快に読め、ストレス解消となる点は高く評価したく思う。 私のように普段ビジネス書を手に取らない人には特にオススメ。 評価8点 2005年7冊目 ... 『Q&A』 恩田陸 (幻冬舎) - 2005年01月11日(火)
その引き出しの多さを持ってファンの心を虜にする恩田氏であるが、本作においては特殊な形式で物語を紡いでいる。 タイトル通り『Q&A』方式(インタビュー形式といったらわかりやすいかな)で物語が進行するのである・・・ 恩田陸は現代人の心の闇を描写するのが巧みである。 私たち日頃抱いている不安感を否応なくあぶり出してくれる。 恩田さんは本作において、具体的な事件の年月日を明確にすることによってかなり日本自体の危機感を訴えている。 本作を読まれた読者はスーパーマーケットに買い物に行かれた際に、必ず本作を思い出す。 それほど脳裏に焼き付く作品である。 本作における事故の原因は解明されずに終わっている。 多少なりとも不満を持って読み終えられた方もいらっしゃるのかもしれない。 私は次のように解釈した。 “どんな原因であろうが起こり得るということを読者に訴えている”と・・・ まさに読者もパニックに陥るのである。 本作を読んで、いろんな事情を抱えて生きている人々に遭遇する。 彼らの“本性”を見せつけられた読者はどう思ったのだろう。 背筋をぞくぞくさせながらも安堵のため息を吐いた方もいらっしゃるであろう。 それほど“不条理な時代に私たちは生きているという現実”を自覚せねばならない。 本作の表紙は暗澹たる時代を象徴している。 このような時代だからこそ、本作のように自己を戒める作品を手に取るのもいいのかもしれない。 少しは冷静に・・・ さて今度は読者であるあなたが質問する番です。 準備はいいでしょうか・・・ 評価7点 2005年6冊目 ... 『野ブタ。をプロデュース』 白岩玄 (河出書房新社) - 2005年01月08日(土)
本作の著者の白岩玄さんは京都市出身の21歳。 第41回文藝賞受賞作であるが、今回芥川賞にもノミネートされた。 発表前に読むのは選考委員になりきって読めるので楽しみである。 ちなみにもし受賞されれば男性としては史上最年少となるらしい。 若い世代の作家らしく言葉が溌剌としている。 どちらかと言えば純文学というより、エンターテイメントの方向を目指して書かれた方が成功するような気がする。 なんといっても描写力に優れた作家である。 たとえば、主人公桐谷修二が人気者になるべくプロデュースする、転校生の野ブタこと小谷信太の登場シーン。 生理的に受け付けない男に対し、女はとてつもなく残酷だ。その残酷さは出会い頭にいきなり辻斬り無茶苦茶なもので、この太平の世に無情な人斬りがうようよいるかと思うと、世の気持ち悪い要素を持つ男性諸君はいつ斬られるかとビクビクしているだろう。 物語は序盤は“野ブタ。”のキャラを中心に笑いを適度に交えて進んでいくが、中盤以降は主人公の生き方(作中では“着ぐるみショー”と言う言葉を使っている)を中心に方向転換。 結構リアルな話となっている。 やや内面描写が稀薄な気もするが作者の言いたい事はしっかりと伝わってきた。 言葉は人を笑わせたり、楽しませたり、時には幸せにすることもできるけれど、同時に人を騙すことも、傷つけることも、つき落とすこともできてしまう。そしてどんな言葉も、一度口から出してしまえば引っ込めることはできない。だからこそ俺は、誰にも嫌われないように薄っぺらい話ばかりしてきた。言葉には意味を、意志を持たさぬように、俺は徹底してきたつもりだった。 ズバリ本作は“自分探しの物語”なのである。 学生・社会人・主婦に関わらず、読者も必然的に日常の自分の周囲で起きる物事に対して少し考え直しきっかけとなる作品であろう。 少し心に“メスを入れられた”って感じがする作品である。 このあたり作者の非凡な才能を垣間見たのは私だけであろうか・・・ たとえ今回芥川賞を逃しても、近い将来直木賞の有力候補になる可能性の極めて高いハイポテンシャルな才能を持った作家の誕生を祝福したく思う。 評価8点 2005年5冊目 ... 『霧笛荘夜話』 浅田次郎 (角川書店) - 2005年01月06日(木)
連作短編集とういか“グランドホテル形式”の小説である。 ある編に脇役となる登場する人物が次の編の主人公となる。 全部で6人の男女が登場。 案内役の老婆の語り口も味があっていい感じである。 まさに浅田ワールドだ。 本作を読めば読者はつつましく生きることの難しさと素晴らしさを体感出来る。 生きるって本当に難しい。 しかしながら不幸を背負いつつもひたむきに生きている姿が涙を誘うのである。 圧巻は最終篇である。 各篇のひとりひとりの生き様はもちろん、最終篇であからさまとなる管理人である老婆・太太の霧笛荘に対する愛着が一番感動的であった。 ふと自分の毎日の生活を顧みてみた。 どこか自分に甘えて生きていないだろうか? たとえ満たされた一生でなくても、魅力的な人間として光り続けたいという強い意志を感じ取れた。 本作は浅田氏にとっても思い入れの強い作品であると思われる。 というのは3つの時期に分かれて雑誌に掲載されているからだ。 最初の3篇が1994年に雑誌掲載、4篇目が1999年、5〜7篇目が2004年に掲載されている。 3時期とも雑誌の名前が違うのである。 最初の2雑誌は途中廃刊となって名前を変えている。 出版社も背に腹は変えられない。 “苦節10年、やっと本が出た!” 本作のサイドストーリーである。 是非、出版不況と作家の苦しみを噛みしめながら本作を手にとって欲しい。 必然的により一層の感動が得られることであろう。 評価8点 2005年4冊目 ... 『グラスホッパー』 伊坂幸太郎 (角川書店) - 2005年01月04日(火)
例えば“伊坂幸太郎ってどんな作家なの?”と聞かれたとする。 答えになっていないかもしれないが私は次のように答える。 読者に“「この作家の新刊だけは必ず買おう!”と思わせる数少ない作家だよ!” 今やネット界だけでなくその実力人気共にトップスターにのし上った感の強い伊坂氏であるが、意外と本作に対する評価というのは低いものである。 私が思うには下記の2点が挙げれるかなと思う。 まずひとつはやはり殺人が発生するので読後感が良くないという点。 次に他作に比べると感動的と言う面では弱いという点。 確かにその通りかもしれない。 ただ読者も伊坂氏の頭脳のように柔軟性を持って臨む必要があるのかもしれないなと思ったりするのである。 ズバリ、本作は“ユニークな会話”の楽しさと“巧みに張られている伏線”を中心に楽しむべき作品である。 まず前者であるが、伊坂氏の近年稀に見る卓越したユーモアセンスに基づく文章展開は本作において頂点を極めたと言って過言ではないような気がする。 “漫才を読んでいる”という言葉がピッタシかもしれない。 後者はスピード感溢れる展開のところどころに張られているのでじっくり読みましょう(笑) 種明かしを楽しみにして・・・ 本作は、鈴木・鯨・蝉の3人が交互に描かれている。 読者はどこで登場人物がクロスするのか捲るページを止めることが出来ない。 各章の始めにハンコ状の○の中に3人の名前が書かれた文字が印象的である。 展開はテンポが良いという言葉がまさに当てはまる。 個人的には鯨と蝉との対決が本当にワクワクしたことを書き留めておきたく思う。 ズバリ、キーポイントは主要登場人物のひとりである“鈴木”の立場に立って読めるかどうかであろう。 少し気弱なところが実に魅力的な人物として描かれている点は印象的だ。 私なんか鈴木さんが未来の伊坂作品に登場しないかなと密かに期待しております(笑) ↑でも少し述べたが、伊坂作品に接する際に楽しみのひとつでもある圧倒的な家族愛・親子愛であるが、本作においてはいささか弱い。 確かに鈴木の亡き妻に対する夫婦愛がクローズアップされてはいる。 たとえばラストにおけるバイキングのシーンはいいのであるが、長男の健太郎と次男の孝次郎兄弟に対する気持ちはいささか飛躍したというか無理が生じたなと思ったりしている。 そのあたり少し“伊坂幸太郎はまだまだ発展途上である!”と思いたい。 これは氏の資質の高さを物語っている言葉のつもりである。 伊坂氏は本作において人間ひとりひとりの弱い部分をさりげなく描写している。 こんな人間性の豊かな殺し屋っているのだろうか? あなたも是非体感して欲しく思う。 伊坂作品を楽しむことによって、私たちも索莫とした時代だから心だけは豊かになりたいものだ・・・ 評価8点 2005年3冊目 ... 『さまよう刃』 東野圭吾 (朝日新聞社) - 2005年01月02日(日)
どちらかと言えば、エンターテイメント系の大作が主流だった東野氏であるが『手紙』あたりから社会派作品を発表している。 本作はサスペンスフルな社会派作品に仕上がっているが、読者によってはかなり重く感じられる方も多いかもしれない。 覚悟して読むべきであろう。 もちろん登場人物ひとりひとりに感情移入が出来る点は東野氏のレベルの高さを表している。 ただ、氏の他の代表作と比べたら全体的なまとまりには欠けてるかなというのが正直な感想である。 あまりにもテンポが良すぎるのである。 以前ある女優が東野氏との対談で下記のように話していたのを思い出した次第である。 「先生の作品は一気に読んでしまうのがもったいないような気がします」 まさしくその通りであるのだが、困ったことに一気に読めてしまうのが東野作品の特徴である(苦笑) 登場人物ひとりひとりの葛藤が本当に理解できるだけに、東野氏の器用貧乏さが目立った作品だとも言えそうです。 というのは、どうしても社会派作品の為に問題提議が大きすぎるような印象は拭えないのである。 例えば、長峰(被害者の親)の立場だったら長峰の気持ちが良くわかるし、犯人の親の立場だったら彼らの気持ちもよくわかる。 注目すべき点は、刑事の気持ちかな。 これはやはり読者の代弁者的な気持ちを吐露していてるのが良かったような気がする。 私の結論としては・・・ 少年法、抜本的に考え直すべきではある。 でもやっぱり長峰の行動って肯定は出来ない。 気持ちは本当によくわかるのだけど・・・ 常軌を逸した行動だったと捉えるべきであろう。 ただ、そういう点では単行本の“帯”は不要なのかもしれない。 裁く権利は誰にあるのか? だからやはり社会派作品というよりサスペンス作品として割り切って読んだ方が楽しめる作品なのかもしれません。 東野氏も読者に結論を求めてるわけじゃなく問題提議をしてくれていると思って読むのが賢明な読者なのかもしれないな。 そう私たちが普段考えている不条理なことを小説という手段を通して・・・ 明日からは三面記事を今まで以上に丹念に読むことになりそうだ。 本書を手に取った大いなる収穫である。 評価8点 2005年2冊目 ... 『アキハバラ@DEEP』 石田衣良 (文藝春秋) - 2005年01月01日(土)
昨年の石田氏は4作品もの新作を刊行、それぞれ違ったジャンルの作品であった。 そのトリとして出された本作であるが、唯一の青春小説となった。 私的には、氏の躍動感あふれる文体には青春小説が一番よく似合うと思っている。 石田氏は本作を通して“夢を持ち続けることの大切さ”を読者に訴えている。 本作は氏の代表作である『池袋ウエストゲートパーク』と同じく勧善懲悪型の作品であるが、突出した魅力的な登場人物はいない。 池袋シリーズでのマコトやタカシのように読者が魅せられる人物は皆無なのである。 たとえば、本作のページ、タイコ、ボックスひとりひとりを取ってみると個性的ではあるが少なくとも魅力的ではないような気がするのである。 唯一の例外は女性であるアキラぐらいかな(笑) 読者は6人が一体となってひとりのキャラを創り出していると捉えるべきであろう。 ひとりひとりが一人前じゃないから読者も否応なしに肩入れして読んでしまうのである。 石田氏も第2のマコトやタカシはいらなかったのであろう。 しかしながら、オタクな人物でもここまで溌剌と描けるものだろうか。 このあたり石田氏の術中に嵌ったような気がする。 私が特筆したい点は、本作が約3年前から連載されてたという点である。 石田氏の才能からして雑誌連載(別冊文藝春秋にて約2年半連載された)なので世の中の時流に合わせてどのようにでも書けるのであろうが、すごく現在にマッチングしているような気がしてならない。 そのあたり氏の“先見の明”を称えたく思う。 ただ、今こうしてネットにて感想を書いたり読んだり出来る読者には理解が許容範囲内であろうが、たとえば普段ほとんどネット生活に縁のない方が読まれたらかなりチンプンカンプンの世界かもしれないな。 そのあたり自分のファン層を充分にマーケティングされてると思うのであるが・・・ 物語は前述したオタク6人がアキハバラ@DEEPという会社を興し、AI型サーチエンジン“クルーク”を開発する。 ところがそのクルークが盗難されてしまうのである・・・ ページを追うごとに団結心が強固となって行くメンバーたちにページを捲る手は止まらない。 はたして傑作サーチエンジン“クルーク”はどうなるのだろうか? 7人目の“アキハバラ@DEEP”の社員になった気持ちで是非読んで欲しいな。 そう手に汗握らせながら・・・ 評価8点 2005年1冊目 ...
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