『砂漠の船』 篠田節子 (双葉社) - 2004年11月30日(火)
篠田さんの作品は現代社会に生きる私たちにいつも問題点を投げかけてくれるのであるが、本作はあまりにもどうしようもなさすぎて辛過ぎるというのが正直な読後感である。 たとえば学歴問題。 もはや子供のことを集中して考えられるのはごく一部の恵まれた経済的環境にある方のみかもしれない。 茜の選んだ行動が“新しい時代の象徴である”。 “人間らしい生き方の模索”と言えば聞こえがいいのかもしれない。 “価値観の多様化”の時代である。 それにしても主人公・幹郎は不運な人生を歩んでいる。 人は幼い時の環境によってこれほどまでに将来に対する考え方を左右されるのだろうか? 自分の両親の取った行動を踏まえつつ、家族のことを思って取ってきた行動が裏目裏目に出てまわるのである。 篠田さんにひと言、苦言を呈したいのは、“登場人物の学歴を実名を使っている点”である。 これはどうにかならないだろうか? あくまでもフィクションに徹してほしかったな。 その大学を目指している高校生や浪人生、篠田さんの小説を読む時間があるとは思えないが、そこまで夢を壊すようなことはどうかなと思う。 暗澹たる世の中であることは認めるとしても、少しは希望のあるものとして物語を収束させてほしかったと思う。 本作は男性には少し儚すぎるというのが本音であります。 少なくとも彼は家族円満とうい夢を持って長年頑張ってきたのであるから・・・ 前後して読んだ『明日の記憶』(荻原浩)の主人公より悲壮感の漂ったと感じるのはやはり男性読者だけであろうか? 誠実に生きるってむずかしいのに何故に報われないんだろう? その答えが本文中の次の言葉に集約されているような気がする。 「ところがここは腕も力もある男がお払い箱にされる国だ。若い娘が歌、歌って一日で何億だか稼ぎ出す国だ。飽きればポイッと捨てて、なんでも買って済ます。こんな狂っちまった日本で、俺たちはもう生きちゃいけない。だから俺は行く」 全体を通して少し曲解かもしれないが、“世の中の男性諸君よ、少しは要領良く生きなさい”とういう風にもとれるのは非常に残念だった。 ユーモアタッチの作品だったらやむをえないが、篠田さんの説得力のある文章はそれにほど遠い。 でも、女性が読まれたらわりとサラッと読めるのかもしれません。 妻や茜の気持ちがよくわかるし幹郎に対して息苦しく感じることであろう。 ということで“女性のしたたかな生き方講座的作品”ということで“女性に”強くオススメしたいと思う。 私が選んだ着地点である・・・ 評価7点 2004年107冊目 ... 『明日の記憶』 荻原浩 (光文社) - 2004年11月27日(土)
本作は、主人公が“若年性アルツハイマー病”に罹って段々悪化していく過程を描いたものである。 内容からも推測できる通り、いつもの荻原さん特有のハチャメチャなユーモアが完全に抑制されている。 そこに氏の並々ならぬ本作への“熱き想い”を感じ取られた方も多いのであろう。 本作を通して読者はアルツハイマー病という病気の恐さを否応なしに知ることが出来る。 荻原さんは本文中の日記において病気の進行度を如実に描写した。 始めは誤植かな思われた方もいらっしゃることだと思う。 一番胸に打たれたのはやはりアルツハイマー病に罹っているとわかりつつも、愛娘の結婚式まではなんとか会社に残りたいと言う愛情である。 ただ、この作品ほど周りに患っている人がいるか否かによって感じ方が違う作品はないのだと思う。 幸い私自身身近にいないので自分の幸せを身に沁みて感じ取ることが出来た。 しかし危ないのは私自身である。 本作における様々な兆候が自分自身にも見出すことができるのであるが、果たして私だけであろうか? 自分には関係ない思えるのはせいぜい20代ぐらいまでで、やはり30代に突入すると物忘れも本当に激しくなる。 年々忘れっぽくなっている自分を自覚されてる方も多いであろう。 しかし敢えて周りの人々=家族の大切さを謳った作品であることを強調したいなと思う。 「もういいよ、俺のことは。おまえはまだ若いんだから、俺がいなくなってからのことを考えろ」 すなわち、本作において1番大切な点は病気の恐さを身を持って知ってほしいことではない。 それは2番目に大切な点だと思う。 いたわり合い慈しみ合うことのできる人がいることの喜びだと思う。 荻原さんのシナリオは寸分の狂いもなくラストへと導かれて行く。 ラストシーンがいつまでも脳裡に焼き付き、心に小春日和をもたらせてくれた。 私は主人公に代わって、奥さんに強く感謝したい気持ちで本を閉じたのであるがみなさんはどうであろうか・・・ 病気は深刻であるが、“主人公は幸せものだ”と声を大にして叫びたいなと思う。 評価8点 2004年106冊目 ... 『幸福な食卓』 瀬尾まいこ (講談社) - 2004年11月24日(水)
“新刊が出て真っ先に買って読みたい作家をひとりあげなさい”と言われたら誰を選ぶであろうか? ほとんどの方には非常に難しい質問かもしれない。 しかしながら私の解答は明確である。 瀬尾さんの作品が今現在において、“もっとも買ってすぐに読みたい衝動に駆られる作家”である。 大きな賞を取ったり、あるいは宣伝力で売れてる駄作の数々よりも、もっと瀬尾作品に光明がさされてもと思っている。 本作は瀬尾さんの第4作目である。 ジャンル的には家族小説と言えそうであるが、恋愛小説と青春小説も兼ねている。 読者のスタンスに合わせていろんな読み取り方が可能であると言えよう。 個人的には今までの作品の中でベストだと自信を持ってオススメしたく思う。 作中のマフラーみたいに“クリスマスプレゼントとして愛する人に贈りたい素敵な作品”に仕上がっている。 デビュー作であり中編集『卵の緒』は例外として、長編である『図書館の神様』や『天国はまだ遠く』の主人公と違って主人公は中学2年生。 人生においてもっとも多感な時期を過ごす主人公を中学生の講師を兼任している瀬尾さんがもっともテンポの良い言葉で紡ぎ出す。 文体の溌剌さなんかは『卵の緒』のテイストに近いものがあるかな。 出てくる食べ物なんかもふんわりとしていて、凄くこの作品にマッチしてることを忘れてはならない。 主人公佐和子をとりまく家族環境を少し説明しよう。 父親が5年前に自殺未遂を果たし、母親がその後別居生活をしている。 佐和子は父親の事件がトラウマとなり、毎年事件のあった梅雨時期には体調を壊すことがしきり。 6才年上の兄・直は成績優秀であったのだが大学進学を諦めて農業に携わる。 物語はある日突然父親が「父さんが今日で父さんを辞めようと思う」というセリフで始まるのである。 全4章からなるが、3章目までは過去の瀬尾作品より落ちるかなというのが率直な感想であった。 ところが、最終の第4章(「プレゼントの効用」)にて一気に読者は目を釘付けにして読むことを余儀なくされてしまうのである。 第1〜3章までは“前書き&伏線”、第4章が“本編”といった感じであろうか・・・ それほど最終章のインパクトは大きい。 少しオーバーな表現かもしれないが、一瞬“心臓が止まりそうになる”のである。 恋人役の大浦君がとっても印象的だ。 過去の瀬尾さんの作品にも必ず登場する相手役であるが、爽やかさにおいて彼に勝るものはいない。 女性読者なら、きっと大浦君の虜となるであろう。 男性読者が読めば大浦君が羨ましく思い、女性読者が読めば佐和子が羨ましいと思う。 それも当たり前のようにごく自然と・・・ 瀬尾さんの作品って意外と普遍性が強いんだと思う。 主人公佐和子が作中で大浦君に癒されたように、読者も瀬尾作品によって大いに癒されページを閉じた。 少しため息をつきつつ、切なさをかみしめながら・・・ 瀬尾作品の主人公のように、読者も“多感”でなければ瀬尾作品に対応できない。 なぜなら瀬尾作品は“純愛小説”より“純粋”であるから・・・ 本作は私に命題を与えてくれた。 “本当の幸せ”について考えてみる必要があるのではないか? それほど私にとっての瀬尾作品は、私という人間の“原点”に立ち返る絶好の機会であると言えよう。 「いやだ。いやだ」私は泣きながらそう叫んでいた。止めようとしても、涙も声も止まらなかった。胸が痛くなるほど鼓動が鳴って、息が苦しくて、手足が震えた。身体は何一つ思うように動かなくて、涙も声もどんどん激しく突き上げてきた。もう自分では何もできなかった。歩くことも、泣くことを止めることもできなかった。 評価10点 超オススメ 2004年105冊目 ... 『散る。アウト』 盛田隆二 (毎日新聞社) - 2004年11月22日(月)
『夜の果てまで』の文庫化のヒットでブレイクした盛田氏の待望の書き下ろし最新刊である。 今までの氏の良い所をミックスさせたような内容の作品で、初めて氏の作品を読まれる方には恰好の入門書となることであろう。 舞台は東京の日比谷公園→モンゴル→シベリア→富山→フィリピンと流れていく、まさにジェットコースターノベル。 モンゴルで知り合ったヒロインのダワが素晴らしい。 もはや日本においてうだつが上がらない存在となっていた主人公の木崎耕平。 彼を見事に変身させてくれたのはダワのひたむきさに他ならない。 先物取引に嵌ってしまい妻子を失って浮浪者に成り下がっていた耕平が、ダワと触れ合うことによって彼女の“自分とは比べ物にならない位に辛い過去”を知り、国籍・男女を超えた人類愛に目覚めていく。 とりわけ迫力満点のマフィアに追われて逃亡するシーンと、日本に戻ってアヘンを届けないと決断したシーンがとっても印象的である。 少し意味合いがあやふやだったのでネット辞書で調べた所、“chill out”って<米俗語>で“落ち着く”とか“頭を冷やす”とかいう意味であるらしい。 やるせなさを感じた時に読めば必ず“人生って満更でもないじゃない!”って痛切に感じさせてくれる説得力を持った作品である。 盛田氏の作品の中はもちろんのこと、他の作家との比較においても本作は新しいタイプの小説と言っていいのであろう。 簡単に言えば恋愛小説とハードボイルドとをうまくミックスされている。 しかし、そういった単純なカテゴリーにおさめたくないような気がするのである。 あえてネーミングすれば“再生小説”といったところであろうか・・・ 個人的には、いろいろ(例えば外国の諸事情など)勉強をさせてもらった稀有な作品であるとも思っている。 盛田氏の綿密な現地取材が読者によく伝わってきた証拠かな。 あと前半とラストに登場する砂田の存在が物語を一段と印象深い物としている点を忘れてはならない。 砂田と同様、読者も耕平の変貌振りに驚愕し感激して本を閉じることが出来ただろう。 人は1ヶ月でこんなに変われるものであろうか? 今頃耕平はどうしてるのだろうか? 本を閉じたあとも彼の存在が気になるのである。 あたかも実在している人間のように・・・ 誰もが持ち合わせている“人間の弱さ”を耕平の中に見出し共鳴したのであろう。 “たかが小説、されど小説!”である。 盛田氏の作品を読めば“人間ってちっぽけなものなのだな”と痛感する。 だからこそ“懸命に生きなければならないのだ!”ということを学び取ったはずである。 必ず、“勇気が湧いて本を閉じることが出来ます”と断言したい。 また少し落ち込んだ時に本作を手に取ろうと思う。 だって、“人間って何かを信じて生きていかなければならない!”から・・・ 盛田氏の作品が“精神安定剤”のように感じられる今日この頃である・・・ 評価9点 オススメ 2004年104冊目 ... 『真夜中の五分前 sideA&B』 本多孝好 (新潮社) - 2004年11月14日(日)
その透明感溢れる文章で読者を虜にしてくれる本多さんの最新刊である。 寡作な作家なので一字一字味わい深く読んでみた。 小気味よい会話分が主体なのであっという間に読み終えれますね(残念) 主人公の“僕”は過去の恋愛を引きずって生きている26才の男性で広告会社の社員である。 彼の性格はどういったらいいのだろう? 率直な所、少し人生を徘徊し過ぎてるのかなという印象を受けた。 男性読者の私は別にどうでもいいが、女性読者は主人公にウットリするだろうか? 繊細というより小心物かつ無頓着なようにも受け取れる。 そのあたりもう少し本多さんも考えて書いて欲しかったな。 対して女性の2人(かすみ&ゆかり)は上手く描けている。 双子のモチーフも当然だが女性だから成り立つ話である。 しかしながらロマンティックさにはSide-Aのラストを覗いては欠けるように感じられた。 読者は本多さんにロマンティックさを求めてはいけないのであろう。 特筆すべきは、過去の佳作にも垣間見られた脇役達の描写の見事さである。 例えば、年上の女上司小金井さん、転職して高額の給料を払ってくれる野毛さん、Side-Bで登場する高齢の渋谷のマスターとバーテンなど・・・ とても人間臭いのである。 全体的には“喪失からの再生”がテーマなんだけど、ちょっと中途半端な気がする。 恋愛小説としたら物足りない。 Side‐Bの帯に“愛したのは誰?”とあるがはたしてこの作品を読むにあたりそのことに集中し関心を持って読まれてる方って少ないのじゃないかな・・・ そのあたりが微妙なところであります。 でももう少しグローバルにこの作品を捉えたら(例えば再生小説・青春小説)評価が高くなるのかもしれないな。 2分冊になってる点も賛否両論ありそうだ。 確かに読者の負担は大きい(笑) でもAとBのあいだに2年の月日が流れており、主人公の職も変わり愛していた人も亡くなる。 装丁も素敵なんでまあ仕方ないかなとは思った。 少し辛口に書いたが本多さん特有の人に優しい文章は健在である。 濃密な恋愛小説は苦手な人にはオススメします。 文章の上手さで勝負出来る稀有な作家であることに異論はありません。 本多さんって読後“読者の想像力にその評価が委ねられてる”と言っても過言ではないかなと思うのは私だけであろうか・・・ 読者も感性を研ぎ澄まして読まなければならない。 “自分の居場所”について少しでも考え直すことがあれば収穫があったと言えるであろう。 評価7点 2004年102,103冊目 ... 『別れの後の静かな午後』 大崎善生 (中央公論新社) - 2004年11月10日(水)
端正な文章に定評のある大崎善生さんの最新恋愛短編集である。 今回のテーマは別れと出会い。 過去の悲しい別れ(というか死)に浸る話もあるし逆に誰かの死を通してより仲睦まじくなっていく話もある。 大崎善生さんの作品に没頭してる時って変な表現かもしれないが“読書に恋愛している瞬間”であると思う。 それほど彼のの文章は美しい。 人は様々な別れを経験して成長して行くのだろう。 映画やドラマはどうしても演じている人の個性が前に出てどうしても客観的に観てしまうが、小説の場合は自己に置き換えて主観的に見ることが出来る。 本を読むことによって何かを吸収し、豊かな心を養えることって多い。 恋愛小説ってどうしてもその時恋愛しているか否か、あるいは恋愛してても絶頂期か倦怠期かによって感じ方が違ってくる。 大崎善生の作品を読めば、読者により過去の自分に浸ったり、あるいはこれからの自分の将来を垣間見たりと本当に哀しい話が多いにかかわらず没頭出来るのである。 それは読者がやはり哀しい話であると予期して身構えているからであろう。 いわば、哀しい話を心地よく享受しているのである。 ただ、既読の過去に出た短編集(たとえば『九月の四分の一』や『孤独か、それに等しいもの』)に比べるとやはり印象度というか胸の痛み度は薄いかもしれないなというのが本音である。 私なりに原因を究明してみた。 どの編も約30〜35ページと短めで主人公の描写がやや唐突で違和感を感じざるを得ない。 そのために感情移入しにくくなっているのである。 枚数が少ない為に、少し予定調和に徹しすぎて、物語部分のきめの細かさが欠けてるような気がした。 全6篇中、一番気に入ったのは「空っぽのバケツ」である。 読後、凄く前向きになれる作品で出来るならラストに読んで本を閉じたかったな。 これからはこう言った作品も必要となってくるであろう。 大崎善生さんもそろそろ転換期に来てるのかも知れない。 果たして私は贅沢な読者なのであろうか・・・ あなたも“静かな午後”に読んでじっくり考えて欲しい。 評価7点 2004年101冊目 ... 『いとしのヒナゴン』 重松清 (文藝春秋) - 2004年11月07日(日)
重松清さんの最新刊は来春井川遙・伊原剛志主演で映画化されるファンタジー作品である。 ファンタジー作品といえどもテーマは地方自治体合併問題とふるさとのあり方。 ただ、文章の滑らかさや登場人物のバラエティさは他の作品とは違ったテイストに仕上がっている。 “重松節”から“重松ワールド”へ(この違いはかなりの重松作品を読まれてる方にはわかっていただけるであろう)、後年転機となった作品だと語り継がれそうな作品といえそうです。 従来の重松さんの重いイメージを払拭する作品である。 幅広い読者層をターゲットとして意図的に書かれていると思う。 主人公2人(といって良いだろう)の浮き彫りの仕方が見事である。 2人とは物語の語り手で少し酒癖の悪い信子(25歳で比奈町出身)と、超個性的なイッちゃん(40歳で比奈町長)の2人である。 イッちゃんのキャラに心和まされた人も多いことであろう。 これからの日本を背負って立つ世代(25歳)と、人生の折り返し地点に差し掛かった世代(40歳)との両方を巧くコントラストすることによって、読者に今の日本人にとって何が大切なのかを問いかけてくれます。 脇役陣も豊富である。 イッちゃんの幼なじみのドベ、ナバスケ、カツ、信子の同級生のジュンペと西野、あるいは雑誌記者の坂本など・・・ 過去のエピソード作りや後半の展開なんかはまるで浅田次郎さんの作品を読んでいるのかと錯覚してしまった。 架空の動物ヒナゴンを登場させることによって、従来の重松作品にありがちな最後にふっと前向きにさせてくれる構成じゃなくて、物語全体をハートウォーミングな世界で構成しているから万人受けしやすい作品に仕上がったといえるであろう。 といっても全く身につまされる話がないわけではない。 テーマとなっている地方自治体の合併吸収問題については登場する比奈町が直面している問題である為にリアルに描かれている。 比奈町は合併される側であるから特に辛い立場である。 きっと地方に住まれてる方や地方から都会へ出てきてる人は、自分のふるさとについてもう1度よく考える機会を提供させてくれている。 逆にふるさとの持たれてない方は自分の身の回りの人に対しての“つながり”・“接し方”・“結束”について少しでも見つめなおす機会を提供させてくれている。 重松作品に接することイコール“読者にとって格好の人生勉強の機会”であると再認識した。 物語が終わって、ふるさとに居続ける物もいればふるさとを離れるものもいる。 しかし共通している点はふるさとをこよなく愛している点である。 私が力説したい点は、本作は重松作品の中ではもっともエンターテイメント性の高い作品に仕上がっているという点である。 本当に読みやすい。 従来の作品のように涙するような話ではないが、楽しく読める点ではみなさんにオススメしたく思う。 はたしてヒナゴンは現れるであろうか? ワクワクしながらページをめくって欲しい。 評価9点 オススメ 2004年100冊目 ... 『俯いていたつもりはない』 永井するみ (光文社) - 2004年11月06日(土)
久々に永井さんの作品を読んだけど巷の予想通り(?)やはり評価の分かれる作品といえそうです。 個人的には恋愛小説として読めばなかなかのもの、ミステリーとして読めば少し物足りないと思った。 主人公の緋沙子のようにたとえ報われないと分かっていても、いつまでも愛する人との純愛を育んで生きている姿は共感を呼びました。 個人的には決して永井さんのいい読者ではないが、最近の作品より過去の作品の方が良かったという声をよく耳にする。 元来筆力の高い方だから周囲の期待も大きいのだろうか? 物語は一応、殺された凛子の理由と誰が殺したかの2点が焦点となって進んでいくのであるが、前者は永井さんにしてやられたという感じで収束し、後者は少しあっけなかったかなという感じであった。 著者の得意分野でもある社会派部分(キッズスクールのあり方、あるいは事故後のマスコミの報道の仕方など)は本当にリアルである。 幼児がいらっしゃる女性が読まれたら身につまされるかもしれませんね。 あと、周平と希央の子供のロマンスが微笑ましかったのも付け加えておきたい。 子供の視点からの世界、ハッという描写にゾクッとさせれらた方も多いんじゃないかな。 ミステリー的にはもうひとひねりあっても良かったのかとも思うが、ほとんど登場しない(といっていいんだろうね)知らぬ内に、凛子の存在感というか固定イメージが読者の中に出来上がっていたのは著者の人物造形の確かさと言えるだろう。 少し余談であるが、果たして緋沙子と凛子のどちらの立場の方が苦しいのだろうか? どちらもひたむきに生きているのには違いない。 女性読者に聞いてみたいと思う(笑) でも私なりには男性読者の方が共感出来る作品だろうと思ったりしている。 なぜなら亡き妻の命日に内緒で墓参りする高柳氏に対して、強烈に嫉妬した後妻の凛子とかつての恋人の緋沙子。 とっても素敵な女性2人に愛された高柳氏。 この2人の愛情には打算のかけらもない。 男性読者ならきっと高柳氏にジェラシーを強く感じるに違いない。 ジェラシーを強く感じる要因は2人の女性の魅力につきる。 男性読者の大部分は凛子に対するイメージがいい意味で読み始め部分から違ってたので胸をなでおろして本を閉じられた方も多いことだと思う。 少し儚い作品かもしれないが、儚さも人生においては美しいと思う。 健気に生きている彼女たちから吸収すべき点はとっても多い。 純愛小説として読まれた方はきっと満足して本を閉じたことであろう。 少し人生に冷めた読者には恋愛にとどまらず、大切な何かを思い起こさせてくれる1冊となり得る力を本作は持っているということは強く感じた・・・ 評価 8点 2004年99冊目 ...
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