陣痛。 - 2005年06月05日(日) 金曜日から 陣痛待ちである。 臨月に入ってからと言うもの 毎週金曜日に 定期的に診察があるのだけれど 39週を迎えた妊婦には 毎回診察前に モニターというものをつけられ 30分間ベルトに固定され 胎児の心拍数と胎動とお腹の張りの様子を 監視される。 胎児が元気かどうか また陣痛が自覚がなくても 起こっている場合があるので それで測定するというもの。 何の気なしに 暢気にそのベッドの上にのり 余りもの退屈さに 本を片手に30分過ごしたわけなのだけれど モニターが描く電子グラフには 6〜7分間隔で丸く描かれる山があり 明らかに その間だけ 横隔膜のちょい下あたりが ぎゅるるると絞られる感覚があるのだった。 30分後 助産婦さんが装置外しと データを回収する為にやってきて その折れ線をみると 「結構な陣痛がはじまってますねえ」といわれ 驚いてしまった。 もともと お腹の張りというものが どんなものか わからなかったから その定期的な波にも 気付かないでいた。 その後診察を受けると まだ胎児は骨盤まで あまり下がってはおらず、また子宮口も 1〜1.5センチしか開いていないとのことで 「取りあえず 自宅で待機してもらいます」とのことだが 「経産婦なら即入院」といわれ いよいよかと 覚悟してしまった。 先生にも その後の助産婦さんとの保健相談のときにも 「今帰ってもらっても、今晩また来てもらう事に なるかもしれない」といわれ できる限りの連絡を周りにしてしまったのだけど 結局「狼」になってしまい ちょっと反省。 旦那様もしばらくの仕事をキャンセルして ずっと側についていてくれるし 義母は義母で 地方にいく予定をキャンセルし 臨戦体勢である。 私の母だけは さすが4人も産んだだけあって 「それじゃあ、まだ来週までかかるわね」と あっさりと切り捨てられてしまって やっぱり経験者は凄いなと 感心してしまった。 結局臨月までに10キロの体重増加があったのだけど それまでの私の主食はフルーツとパンとケーキとクッキーと 言ってしまっても良いほど 好きなものを好きなだけ食べたし お肉にしても 私は脂ごてごての部位が好きだから 節制には 程遠い生活をしていたように思う。 だけれども、保健相談で体重コントロールを 「良く頑張りました」と誉められてしまったし 臨月に入っては まだ出産もしていないのに 毎週体重が減少して行く。 妊娠線にしても 美容の観点から 私は怯えていたのだけど (姉いわく「凄い人は虎のパンツを履いているようなほど」) だからこそ、妊娠3ヶ月目のころから ストレッチマーククリーム というのを買い込んで入浴の度にお腹にすり込んで いたけれど、結局1週間続けた頃に お腹がクリームでかぶれてしまって以来 何もつけるのが嫌になり なんの努力もしなくなってしまったけれど 妊娠線などというものは 発生しなかった。 結局 お産なんていうのは どんなに立派にバースプランをたてたところで 本人のもって生まれた体質やら 自然の力なりが 一番作用するもので 予防にはなるけれど 思い描いた通りにはならないということだなと 妙に悟ったり。 ということで まだハンマーで腰骨を砕かれるような 痛みなんてのは 全く発生していないので 今日もリフレクソロジーとマッサージにでも 出かけて行っちゃおうかと思っているのである。 ... 雨。 - 2005年06月02日(木) 雨が降っている。 もうすぐ訪れる梅雨の気配を孕んだ雨。 昔から レインコートと雨靴が苦手だった。 それでも母は 私にそれらを身につけさせて 小学校へと送りだした。 真っ赤なレインコートだった。 友達の雨傘が 雨粒をはじいていた。 今では珍しいものではないけれど その当時の私には とても綺麗で興味深いものだった。 雨が傘の布に落ちると 雨粒はまるで 真珠みたいに丸くなり ころころと 傘の上を転がって弾け飛ぶ。 ぽん。 ころころ。 ころころ。 昔 割ってしまった水銀計の中の水銀が 床の上をころころと 弾きながら 転がってゆくのに とても似ていた。 私も一緒に こぼれた水銀を追い掛けようと 手を出した時に 母に酷く叱られた。 まだ とっても小さかった頃の話だ。 雨の日は 昔から 嫌いだった。 身体が雨で 湿り気を帯び 私の気持ちまで 憂鬱にさせた。 決まって梅雨の時期に私は 鬱に入り 自分の部屋の中で ひとりで過ごす事が多かった。 学校で三者懇談会があったときに 母は担任の先生に この頃 一人で閉じこもって 何を考えているのかわからない と 私の横で話した事を 覚えている。 それを とても不思議に感じた。 だって なんにも考えてなど いなかったから。 意識があるのかないのか わからない時間を ただ 過ごしていただけだった。 私は子供らしい子供では なかったのかも知れない。 あの日も雨が降っていた。 神戸の街角のカフェの2階。 窓からは 段々雨あしが強くなるのが見えている。 いつ来るのか わからない人を待ってた。 私は2回 係りの女性を呼んで 誰かを待っている人は 居ないかと尋ねた。 自分で確認するのが 恐かった。 1時間30分。 時間が経過すればするだけ 私は惨めになった。 私の為に靴を濡らす理由が もう 彼にはなかったからだろう。 私は席を立ち上がり 周りを見渡さないで 店をでた。 少しでも誤解できる余地を 残したかったのかもしれない。 雨は やっぱり今でも苦手だ。 緑の森に降る雨は とても素敵だけど コンクリートの街を包み込む雨は 私を窒息させる。 そして そんな街にも生活にも 私の靴を濡らす理由がみつからない。 だから 雨は嫌いだ。 ...
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