流れる水の中に...雨音

 

 

雑談として。 - 2005年01月27日(木)


お腹のベイビーちゃんは 順調に育っている。

妊娠前の体重に比べ 今現在2キロの増加にとどまっている。
妊娠六ヶ月でこの体重だと 結構優秀なほうであるなと
自分を誉めたくなってしまう。
胎動はもう一ヶ月以上前から感じはじめて
不思議な事に 話し掛けるとポコポコと返事を返す。
内容は理解してはいないだろうが なんらかの反応を示すというのは
とてもよい事のように感じる。
可愛いとか 母の実感とかは いまだに感じない。
出産の恐怖はある。
産む時の痛さよりも 過呼吸やパニック障害だ。
立ち合い分娩になるだろうから なんとかなるだろうが
苦しいのは私と ベイビーちゃんだけだ。
担当医にも 旦那様にも 助産婦さんにも 到底わかるまい。

先日 後期の母親教室とやらに参加してきた。
そこでは 皆にマイクを回して 自己紹介をさせられるのだが
私は昔から皆の前で話をするのが とても苦手で仕方がない。
順番がまわってきたら 名前と予定日と あとは適当に話をしたのだけれど
他の女性達は なんとも多弁であること。不思議で仕方がない。
「先生に逆子といわれまして....」「体重増加が気になっていまして...」
などと個人的なことを話しはじめる。
そんなことは わざわざ見知らぬ他人に話さねばならないことだとは
到底思えないのだけれど 彼女達は何の気なしに話し続ける。
とても不思議で仕方がなかった。

私は仕事をしていたときに 女性によくありがちな
「話し過ぎる馬鹿」というのをよく目にしてきた。
本人は自慢気につらつらと語るのだが
周りは すっかり白けきっていて 目は全くの軽蔑の眼差しだった。
話す時と場合と必要性と それから何よりもその要点が端的でないと
どんなに高度な事象を織りまぜても ただの「饒舌な馬鹿」になる。
脱線。

最近また気分の悪さが あらわれる。
妊婦貧血と疲れやすさの所為だろうけど ちょっとつらい。
先日のエコーで ベイビーちゃんの3D画像をプリントアウトしてもらった。
親バカだが なかなかの美人である。
エコー担当のドクターに そういうと 笑いながら首を傾げていた。
だけどその写真を 私の母に見せてもやっぱり美人だといってくれた。
祖母馬鹿とでもいうのだろうか。
いや 祖父母とはそういうものだから あえて呼び名はないのかな。

最近の私にとって 能面は重荷になってきた。
形のあるものは 目に見えて完成か未完かを提示する。
格闘するその精神力もかなりのものだけれど
ものを扱うのも 手間だったりする。
脱落してしまうのは悔しいから またいつか再開するつもりではいるけれど
それはきっと数年後のことだろう。

出産、育児は そうやっていろんなものと引き換えにやってくる。
本当に大切なものとか 必要なものとかを
そういう機会に浮き彫りにされる気がする。

私には一体何が残るんだろうなと 漠然と考えている。









...

光陰矢のごとし。 - 2005年01月09日(日)

先日 茶道の先生のお宅で初釜が開かれたのだが
最近では社中が増えたために 顔だけは知っているけれど
余り良く知らないという人が増えて来ていて
2,3度茶会で御一緒したけれども 言葉を交わしたこともない人と
同席することになった。
彼女は女子大生だということは 何処からか伝え聞いて
知ってはいたのだけれども あまり認識していなかった所為か
今年成人式を迎えるという話題にも無頓着でいた。

先生が何気なく 彼女の干支をたずねると「ねずみです」と答えて
私は余りにも吃驚してしまった所為か 素頓狂な声をあげてしまって
皆に笑われてしまったのだけれど
今年成人式を迎える女の子が、私と干支がひとまわり違う子なのかと
思うと 改めて自分の年齢と言うものをしみじみ思い知らされてしまった。

まだ「若い」とは 別に自分で思い込んでもいなかったけれど
自分が老けたという認識もしていなかった。
付き合う友人達も まだフラフラ遊んでいたし
サロンなどで接する女の子達は 確かに私よりは若いけれど
それが羨ましいとも思わなかったし 何かにおいて劣っているとも
考えてみもしなかった。
正直、あぁあ という気分だ。

しかしながら あたらめて考えてみると
私の周りの男達も 結構良い年齢になってきているし
街で声をかけて来る人も つい2〜3年前までは
まだ結婚しているかしていないか、という若いリーマンタイプの男性だったけれど
最近では 胸にポケットチーフなんかをしているようなオヤジが増えてきていた。ひえぇぇぇ。

「もう歳だから」と嘆く友人に 「それは気合い負け」と
叱咤していたけれど なんのことはない 私が気づくのが
おそかっただけなんだな。

30過ぎて 若い男の子にしか興味を抱かない友人がいるけれど
正直私には不可解だったけれど
なんだか少しわかる気がしてしまった。
少しでも若さに触れて 感化されたいんだな、あれは。
ああ おそろし。


初釜の帰り、父とそんな話を迎えの車の中で話していると
「成人式の写真を写真館に撮りにいったのは 
ついこの間のことだったのになあ」と
父もなおさら 感慨深そうにつぶやいたりする。
私の感じる時間の経過よりも きっと父のほうが早いのだろうな。

「光陰矢のごとし」とは 良くいった言葉で
振り返った時間と 未来を臨んだ時間との
時の大小で その感慨や切なさも それぞれ違って来るのだろうけど
やっぱり何よりも 時間が一番大切であるのだなと
思ったりしたのだった。












...




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