流れる水の中に...雨音

 

 

ネガティブシンキング。 - 2004年09月27日(月)

また今夜も眠れなかった。
もう夜も明ける。


取り留めもなく 
いろんなことに考えを巡らせていると
最後には 自己嫌悪やら悲しみやら
憤りやら 不安やら
そんなネガティブな気配が頭の中を占領して
私はいつの間にか 涙を拭いている。

温かいお湯に浸かりながら考えていると
まるで私の状態は このバスタブの中のようだなと
思ったりする。
温かく心地よいけれど 身動きが取れない。
それはきっと私だけではなく
みんな自分の運命のバスタブの中から逃れられないんだろう。
死ねるかな と考えたけど
リストカットじゃ死ねないし 薬も現実的で無い。
それができるほど まだ自分を見失っては居ない。

束縛は嫌いだ。
バスタブなんて ごめんだと思う。

「不安定」

そんな一言でくくられてしまう。
いい歳をして「不安定」なんて。10代の女の子じゃ あるまいし。


現実的な問題が 目の前に立ちはだかるとしても
それもそれで とても辛く逃げ場が無いけど
諦めもある、乗り越える術もある、無いものもあるけれども。
現実的で無い問題が 私を苦しめる時
私はそれを本当の意味で乗り越えられるのか。
甘えていると言われるかも知れないけれど私は

「最悪感」やら「不安」やら「悲しみ」やら「憤り」やらに
押しつぶされてしまいそうだ。



...

つづき。 - 2004年09月26日(日)



だけど 考えてみた。
人の所為にするのは よくない。

もしかして悪いのは 私が心が狭いからなのではないのか。
今まで自分に対して「心が狭い」と真剣に考えたことが
なかった気がする。

そんな気がしてきた。


自分で自分を追い詰める性格らしい。
「こうである べき」「そう せねばならない」
そうやって タイトに私を締め付けて
結局 私自身が一番 しんどい思いをしている気がする。

なんでもありだという姿勢が 何故だか生理的に嫌いで
私は私の奴隷になっている気がする。


何かに忠実に 誰かに誠実であることは
当事者にとっては とても良い事だろうけれど
誰かにとって私は とっても退屈な女で
「誰か」にとって退屈な女であっても 構わないのだけど
自分にとって退屈で窮屈な生き方は
やっぱり楽しくないよなあ。


心が広い人は 無責任なのではなくて
きっと沢山のことに責任をもてる人なのだろうなと思う。

私なんて責任の持てる範囲がとても狭いから
だからこそ 心も狭くなるのかな。

ちなみに 自由奔放と 心が広い というのは異義。

ルールの中に生きているのだから
なんでもしてよいワケはないよ、Rさん。



...

LIE LIE LIE! - 2004年09月25日(土)



私の周囲には嘘つきが多くて困る。

私は嘘に敏感で また不要な嘘に対して
物凄く潔癖なところがあるから
他人の嘘が 必要以上に目につくのかもしれない。
それとも 世の中の人はみんな 
そんなものを容認して過ごしているのかな。

人を傷つけない為の嘘はつく。
私だって どれだけ偽ったかわからない。

だけど虚飾の嘘は どうしても我慢ならない。


世の中の人はどう感じて どう対処しているのだろうかと
不思議に思う。
それとも そういう狼少年は 最初から排除してしまうのかな。

帳尻合わせの為に 嘘に継ぐ嘘。
見栄っ張りの嘘。
勘違いという範疇の嘘。

皆 現実を受け止めるのが恐いのか
現実のまま評価されてしまうのが恐いのか。


皆 意外と自分に自身をもって生きていないのだなと
不思議に感じるよ。

とても可哀想に思う。




...

消えた猫と波の音とそのほかのこと。 - 2004年09月24日(金)



眠れない夜から逃げ出す為に
ベランダで しばらく夜の空を眺めていた。
まだ 夜風が体に障る寒さでもない。
風も無く静かな夜だった。



最近 街から猫が消えた。
街に出ると 必ず3匹の猫には出会えていたのに
今では 出会える事が珍しい。

毎日 同じ時刻に出会える事が大切だと
きつねが言ってたから私は
いつも同じ頃を見計らって
ある特別な場所にマタタビを置いてた。
いつか あの縞猫と友達になれるかもしれないと 思っていた。

だけど最近 縞猫は姿をみせず
特別な場所には マタタビだけが増えて行くだけだった。

昨日 偶然であった黒猫に話を聞こうとしたら
私の姿を見て 一目散に逃げ出した。
こんなに用心深い猫達でなかったのに。

私がヨーロッパに出かけていた間に
何かが変わってしまったようだった。



今度 秋の海のホテルへ出かける。
例の波打ち際に建つホテルでは またきっと
波が激しく岩にぶつかる音をたてて
コールタールのような漆喰の海が私の意識を
呑み込んでしまうのだろう。

同じリズムで繰り返される波の音に目を閉じれば
心の奥底の恐怖とともに
何か その中にある小さな手がかりのようなものが
見えてくるかもしれない。



寄り添う言葉は 意識の相似を意味するのでは無いと思う。
きっと誤解している。
いや 誤解しようとしているのだろう。

曼珠沙華によせて。





...

感情の共有。 - 2004年09月18日(土)



ヨーロッパから戻り 私の生活のサイクルが
とことん乱れきってしまったようで
吐き気はあるし 出血も続き 
眠剤で眠っても3時間ほどしか眠らせてもらえない状態が
続いていて 心も体も参っている。
目の下にクマなどつくる体質でもないのに
それらしきものが現れて来て げんなりしている。

今さらだけど オーラソーマのページに辿り着き
4種類の色のミニボトルを選び そのカウンセリングを
読んでいると ワケもなく悲しい気持になって
涙がこみあげてくる。
67,62,57,43
こんなもので 私がわかるわけもなく。
なにも辛い事などかかれているわけでは無いのに。

かなり疲弊しているような気がする。



時や感情を 誰かと共有する事は難しい と
ある人に話すと 
彼もまったく同意見で だから旅は苦手だと話していた。
彼も私も 淋しい人種なんだなと ふと思った。

共有できる相手は きっとこの世の中の何処かには
存在しているに違い無いとは思うのだけれど
彼にしても 私にしても
まだ そんな相手には出会えずにいるのだろう。
そしてこのまま 出会えずに終えてしまうのかもしれない。


疲れてしまったから 薬を飲む事にした。
しばらく眠り続ける事にする。













...

タイミング。 - 2004年09月14日(火)



私は何かと気が短くて ゆっくりと待つ事ができない。
だから 何か先にプランがあったとしても
そこに辿り着くまでの行程を楽しむのではなく
先に結果を求めてしまう。
先の楽しみにして とっておくことが苦手で
先に先に手に入れようと とてもイライラしてしまう。
犬の躾のように「おあずけ」なんてされようものなら
ただ事でないほどの癇癪をおこしてしまうので
親しい人は 絶対にそのような真似はしない。

行程を楽しめる人は しかしながら 私にはとてもうらやましい。
あれこれと 思いを巡らせながら その当日を待つ。
きっと その事実だけを楽しむ人の数倍は
幸せだろうなと感じる。
だけど私には ただ苦痛なだけでしかない。

昔の恋人に けっして自分から動こうとしない人がいた。
それはプライベートのみならず、商談においてもそうで
相手の動きをじっとみて、我慢できずに相手が
動き出したところで 取り引きを持ちかける。
彼にとっては その方法が一番の攻略法だったようだけど
「そんなことをして にげられちゃったりしないの?」と聞くと
「逃がした魚は大きかったなあって後悔することもありますよ」と笑って答えていた。
そうやって 笑ってしまえるのがとても不思議で
とてもうらやましくて仕方が無かった。

後悔は「してしまった」後悔と「しなかった」後悔があって
私は「しなかった」後悔をより深く悔やむ性格だから
なんでもかんでも 一歩足を踏み入れてしまう。
これが自分のクオリティを下げている理由だということを
嫌と言うほどわかっていると言うのに。


ある本に
「何かを強く求めようとすると、それはやってこない。
 避けようとすると、それは向こうからやってくる。」
こんな言葉があった。
これは 私にとって とても何ごとにおいても衝撃的な言葉で
それは 私の一番弱い部分の行動規範の
最も強い脅迫観念を否定してまで この言葉に基づこうとした。
「憶病者は二度死ぬ」という言葉とともに。


良い事も悪い事も。

もっと じっくりとゆっくりと何かを組み立てて行きたい。
何かに流されることなく、焦らず、厳しく。


与えられるべき時に 与えられるものは少なく
飽和状態であるときほど 更に与えられる量は増えるって事なんだろう。
そういうもんだな。
時はいつも 遅すぎる。


望む時に願いが叶う人は 
多分 世の中で一番幸せな人なんだろう。









...




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