流れる水の中に...雨音

 

 

夢 - 2003年11月29日(土)



おかしな夢を見た。

ある何気ない街のまん中で 暴力的な狂気集団に
その辺りに居た十数人が捕らえられ 
監禁される夢だ。
その中に私が居て 姉が居た。
私は 隙をみて 其処から逃げ出した。
姉と連れ立つ時間はなかった。
後から助けに向かうつもりで居た。
私は 命からがら塀を乗り越え
そして細い路地を怯えながら走り続けた。

時が変わる。


私は古びたアパートの前にいた。
どうやら其処は私の家であるらしく
郵便受けに溜っている郵便物を確認してた。
電話がなった。
電話の向こうにいるのは彼だ。
彼の指示で 新しいマンションに向かう。

時計を見ると 夜の12時を過ぎている。
しかし 辺りは不自然なほどに明るい。
陽射しはまるで 冬場の昼の3時ころの傾きだ。
電話の向こうの彼に呟く。
おかしなほど 明るいね と。
すると彼は 知らなかったと答える。
ずっと3階の実験室に居たからと。

坂道を走った。
何故だかわからないけど 道を急いだ。
信号は青なのに 黒い服を着た人員整理の係員に
横断するのを遮られる。
新しいマンションのオープニングレセプションらしい。
そこはかつて 私と姉が監禁された場所だった。

嫌な胸騒ぎがした。
私は あの場所に駆け付ける。
まだ いまなら間に合うかも知れない。
だけど 辺りを見回して愕然とする。
昔の面影すら ない。
まるで過去の出来事を葬ってしまうように。
私の膝が崩れる。
呼吸が苦しくなり 泣き叫ぶ。
心臓が激しく脈を打つ。
息が苦しい。

そして目覚めた。

それから暫く泣いていた。




...

日記 - 2003年11月27日(木)



夜が更けてから お善哉を炊きはじめる。
別にお祝事があるわけではない。
ただ気が向いたから。
小豆のお誘いは断ってはいけないらしい。
姉がいつも私にいう。
ひとくちだけでもお食べなさい と。


数年前 私にケニアの写真を送ってくれた人がいた。
アングルは大草原のまん中に地平線があり
それを遮るように 一頭の群れからはぐれたキリンが
朝焼けの中に写っていた。
彼がケニアで撮影したものだ。
その写真を 私はとても気に入っていたのだけど
あるとき 何ごともなく 捨ててしまった。
ときに そういう事がある。
ある人の日記の写真をみて ふと 思い出した。


今年ももう一ヶ月と少しで終わってしまう。
もうすぐ来年がきて きっと何もかも変わる。
あと残された日々は 何かと用事も多いし
多分 飛ぶように過ぎてゆく。
私は私の予定をこなし 彼は彼の用事を片付ける。
私はそういうのが 好きだ。
私は私だし 彼は彼だ。
本当は依存など したくはなくて
私は私の道を歩き 彼は彼のしたいようにすればいい。
だけどどんなときでも 相手を一番とする味方であればいい。


最近新しくできた 大きなマーケットが
商品の趣味が良くて 今気に入っている。
チーズやバターのコーナーにはカルピスバターまで
常備していて嬉しくなる。
売れ行きが悪いとはっきりしたら
きっと 撤去されて 何処にでも並んでいる安値のバターに
とって代わられる。
いつか どこにでもあるマーケットの
何処にでもある商品棚になるのだろうなと思うと
残念におもい せっせと珍しいものばかり
カゴに放り込んで行く。
趣味の良いチョイスを いつまでも守ってほしいから。


小豆は常に空気に触れないように差し水しながら
ゆっくりと煮なければならない。
もう一時間と少し経った。
明日には 美味しいお善哉が食べられるかな。





...

父と。 - 2003年11月26日(水)



昨日 父と激しく言い争いをした。

私と父が争うこと等 ほとんどない。
なぜなら私は 父の扱い方を充分すぎる程 心得ていたし
それに私は とても良い子であろうとしてきたからだ。

自尊心が強く 頑固で短気な父を
まるで いつ爆発するともしれない爆弾のように
緊張感を保ちながら 子供の頃から生活してきた。
長女と次女は反発し 三女は無関心 そして私は
彼女達と父との間のバランスを取る役割を果たしていた。

父は昨日 私の主人について言及した。
考え方の違う主人を 父は認めなかった。

私が主人を選んだ一つの理由は
何ごとにも融通のきかない父がかもし出す緊張感から
逃れたかったからだった。
彼は私の存在を そのままで認めてくれたし
不安定をもたらす緊張を私に与えなかった。

父は私に 彼の考えを改めさせるように といった。
自分の主人の間違い一つ 改めさせることはできないのかと
私を怒鳴った。
父の意見は それはそれで正論でもあったけれど
彼にも彼の正論があり
そして私には私の意見があった。

父は理解しているのかどうかわからないけれど
私が父の意見をたてるとすれば
彼の家へと嫁いだ私は 彼の家を後にせねばならず
三十を過ぎた私が 実家にもどったところで
一番困るのは 父に違い無いのに。

父は無鉄砲にも それなら戻ってこいという。

幾つかの争いや心配や心外を受け取ったとしても
こうすることが 父にとっても そして私にとっても
正しいことであると判断したから
今の私があるというのに。


私はもう帰れないんだよ お父さん。
あなたの意見をきいてあげたいけど
私にはもう その家には帰れない。
それなのに
此処も駄目だと言うのなら お父さん。
私に どうしろというの。


昨日は かつて私達が入籍した日であると
知ってか 知らずか
私は父と言い争いをした。


帰り道 中央分離帯に 季節外れの百日草が咲いてた。
なんだかとても悲しくなってた。














...

小旅行。 - 2003年11月14日(金)




高層ビルの窓から 雨の街を見下ろすと
夜の闇の中に 沢山の傘の花が咲いていた。

私の知らない街だった。
人の数は 余りにも多くて 
余りにも騒がしかったけれど
まるでそこには 体温のある生き物が
まったく居ないのじゃあ 無いかなとすら
思っていた。

そこには何でも揃っている。
古い文化も 新しい兆しも 亜種も スマートも
洗練されたイメージも 溢れる程に。


その土地を歩く。
歩くと言うイメージ。
その街で 歩くイメージを本当に感じられるのか疑問だった。
まるで飲み込まれて 渦の中に 放り込まれた感じしかしない。

「歩く」というのは もっと自分の体重の重みを感じながら
その重力を地面に叩き付けながら足を進めること。
そこでは本当に そんな風に感じている人が
いるのだろうか。


歩くと言うことを知らない人たちが沢山いる。
いや もしかして自分が「歩いている」とは
思っていないのかも。
ボードの上に両足を付けたまま
波の上をするすると滑っているイメージなのかもしれない。

そしてそのまま滑り続ける。渦の中に。


思わず立ち止まってしまった。
こんなふうに感じたのは初めてだった。
それは私が歳を取った証拠かな。


まるで基礎工事のなされていない街。
すがるもののない 容赦のない街。

ちょっと恐かった。





...

砂嵐 - 2003年11月02日(日)



昨夜から苛立っている。
ホルモン剤を飲んでいる所為か。
眠れるようにと 睡眠薬を規定量の2倍摂取する。
頭が朦朧として 幻覚に近いものをみる。
天井で魚が泳いでいた。
昨夜の出来事は覚えていない。

泣きたくなる。
泣いたって どこに逃げたって逃れられない。
楽しいことなんて 世界中の何処を探したってない。
私を誰も幸せにはできない。
君にだって。

痛みも 幸せも 面倒で
眠ることにも倦怠感を感じて
いつか全部を投げ出してしまうかもしれない。


苛立ちが私を砂に変える
ざらざらの。
形もなさずに。
風に吹き飛んでしまえばいい。


ある本には
嵐をどう乗り切ったかが大切なんだとある。
同感。

だけど私には乗り切りたいと言う意思もない。
砕け散ってしまえ。



...




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