流れる水の中に...雨音

 

 

木を打つ。 - 2003年10月22日(水)



ここ最近 鑿と木槌を片手に木材を打っている。
新しい能面づくりに取りかかっている。
打ち込むごとに気がついたのだけど
なんとはなく 心が落ち着くようである。

きっと神経も手元も疲労しているだけなのだと
思うのだけど
それでも心が穏やかになるのだから
木と向き合うのは 自浄作用があるのかもしれない。

人からは「穏やか」だと言われるけれど
本当に親しい人だけが知っている 私の激しさ。
その種の激しさは 人と人とのかかわりでは
到底昇華しきれずに
心の片隅に 堆く積もり行く。
そんな思いも 汚れた衝動も 全部全部。

打ち鑿が木にくい込んで
剥がされるごとに
ひとつ またひとつ
私の心を縛り付ける固い固い筋肉のような緊張感を
ほどいてゆく。

そこから生まれた塊は私の為に。
その塊から生まれた表情は面の為に。

木を打ちつける音が響く。
きっと誰にもわかる筈は無い。
私の思いなど。



...

夢/出合い系サイト - 2003年10月21日(火)



気持ちの悪い夢をみた。

出会い系サイトで知りあった男性と待ち合わせをする夢。
お化粧や髪のセットに手間取り 
時間に30分おくれてしまう。

待ち合わせ時間を過ぎても現れない私の携帯に
電話もかけてこないようじゃあ
約束をすっぽかされたのかと思い
出会い系サイトなんぞでの出会いの待ち合わせを
真剣に信じていた自分をばかばかしく思う夢。

気持ち悪いなあ。

大体 出合い系サイトなんぞ利用しないし。
大体 待ち合わせなんぞしないし。
大体 ......。


なんでこんな夢をみるんだ。大体。


気持ち悪いなあ。




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シンプルで居させて。 - 2003年10月20日(月)



以前 家庭のある人を好きになったことがあった。

彼も私も あまり口数が多くはなかったけれど
なにがしかの感性が似ていたようで
愛でるもの 笑う事柄 想い巡る思考のきっかけを
同じ場所で発祥していた。

当然 ただ好きだっただけで
だからどうとか それからどうするとか
それ以上の考えなどなかった。
ただ単に好きだっただけだった。

状況が許せば 一緒にいた。
一緒によく出かけたし ふざけあったりもした。
同じ本を同じように良いとおもうし
同じお芝居を同じように質の良いものだと感じられた。

彼は以前 役者をしていたから
そういう意味でも とても感受性の鋭い人であった。
それが良くもあり 悪くもあった。

一つの言葉から広がる無限の意味合いの可能性を
遠くまで見渡して 片殻を探さねばならなかった。
きっと 彼にとっても そうであったのかもしれない。

単純ではなかった。

考えが違うと そこで没する。
没した意見を拾い上げて 理解する意味がなかったから。

考えて悩んで問いかけようと思ったとしても
理解しあう意味がないと感じていた。
そう 彼に話すと 彼もそうだと感じていた。

人と人との関わりで
もっとも親密だけど 
もっとも理解しあわない関係というのは
こういうものだろうと思った。


すっきりしないものを捨てて行くと
生活も環境もシンプルになる。
だけど私は
シンプルで居させてくれる人を大切に思う。
望めば望むだけ 何ごとも複雑になる。
だから本当は シンプルで居ることが 
一番難しいのでは無いかなと思う。


私の口から溢れる言葉に
もう一つの意味合いを含ませないように

シンプルで居させて。




...

無知の知 - 2003年10月19日(日)



金曜日に茶道裏千家淡交会の近畿地区大会に参加した。
そこで新しく準教授・茶名拝受および新規会員をあつめて
「つどい」というものが行われ、お家元のお話を賜るというもの。
御存知のように昨年暮れに鵬雲斎お家元が勇退なさり
若宗匠であった坐忘斎お家元が引き継がれたのであるけれども
そのことについて坐忘斎宗匠は「仮衣装」を着ているような思いだと
お話された。
それは宗匠がまだ「家元」として未完成であり
この肩書きを背負うにはまだ何かが足りないと
思い続けていることにあると仰られた。
そしてその仮衣装というものを大島紬に例えられて
大島紬というものは自分の体に馴染むのには20年はかかるといわれ
そして宗匠にとっての肩書きというものも
日々新しい事柄に出会い 一つ一つ経験しそれをしっかりと
受け止めて理解し吸収することによって
自分に馴染んでくるものなのだと そうお話された。


ソクラテスの言葉の中に「無知の知」というものがある。
真の知に至るには まず自分が無知であるということを
自覚せねばならないということだ。
誰でも経験していることだと思う。
何かを知れば知る程 自分は何も知らないと言うことに気がつく。

一つの物事に対して 人の数だけアプローチの違いがある。
ある人はAという面からアプローチし
またある人はBという面からアプローチする。
だから発展途中で まだCという面をしらなくても
恥ずかしくはないし これから学んで行けばいいのだと思う。
Aを知って全てを理解したつもりになるのは恐ろしいことだけど。

そうとはわかっているのだけど
あっちにもこっちにも 新しい事柄が発生してきて
毎日出会って 手をつけられずに放っておいていることが
沢山たまり過ぎて 恐ろしくなる。
本当にこれら全部を対処することができるのかどうか。


人の数だけ 知識の数もある。
それら総べて全うするのは「全知全能の神のみ」なのだろうけど
ああ 私がこれから進んで行きたいと思う道には
たった一つだけでも多く自分のものにしてしまいたいというもどかしさを 
いつ穏やかにさせることができるのだろう。







...

いちげんさん おことわり。 - 2003年10月11日(土)



ある創作イタリアンの店にいく約束をしている。

そこはいわゆる取材拒否 雑誌掲載拒否
しかも「いちげんさん お断り」などという
今どき馬鹿げたことを宣っている。
その店は 2時間完全貸しきり制になっていて
その時間は 他の客はとらない という形態をとっているものだから
昼と夜を合わせて 1日に3組の客しか取れない。
そんなもんだから予約を入れるこちら側としては
できるだけ友達も誘って4人以上にしてあげないと 
などといらない気をつかってしまう。

その店は定休日も無いと言うのに
向こう3ヶ月予約で埋まっていて 今から予約をとれるのは
来年の1月、しかも休日は既に満席で 平日しか無理だという。

「へえ〜」 と 今度誘った友達は有り難く驚いてるが
私からすれば なんとも腹立たしいシステムでもある。


ある老舗のお菓子屋さんでも 紹介がないと買えないと言う店がある。
宮内庁御用達だか 政治家御用達だか知らないが
たかが菓子折り一つで と思い馬鹿馬鹿しい。
そういう店には不躾に抵抗したくなるのだが
直接電話をかけて 菓子折りを二つ用意してくれというと
ああ 偶然御用意がございました とすぐに売ってくれた。
商売なんて そんなもんだ。

私はそういう商売の形式が大嫌いだ。
客はどこまでいっても客であるし
お商売は どんなに勿体ぶっても 結局客で成り立つ。
店が客を選ぶのでは無く 客に選ばれるのだ。
それをどこか誤解していて
流行ってくると 勿体を付けたがる店がなんともおおいこと。
そういうわけで「味にこだわる頑固おやじがいる店」なんてのも
私は嫌いだ。
商売人の風上にもおけぬ。頭を下げてナンボだろ。


創作イタリアンのホームページを開くと
そこを訪れた客がBBSに感謝の言葉を綴っている。
「店主の温かいサービスに.....」
「○○(店の名前)に行けたことは私の自慢です!」


店がどのような付加価値をつけて経営しようと勝手だけれど
そこのところ 騙されないようにしなきゃあ
いけないよ なあ。











...

自分の中の明確な「歯軋り」と どう対岐するか。 - 2003年10月07日(火)



独白。







秋は深まって行くと言うのに。



私が穏やかでいられないのは
私は私自身のことを 
客観的に ある種 自蔑的に見つめているから。
自分自身がどうであるか
他人から言われるまでもなくちゃんとわかってる。

明確な「違い」を突き付けられたとき
(いや きっと無意識だろうけれど)
歯軋りに似た軋みを心に覚える。
それは自分では どうしようもない事実であるから
更に。


ジレンマ。


「納得」や「理解」や「自己肯定」はしたくない。
嘘つきにはなりたくはない。


穢れなく    いや
そのほうが狡猾であったりもする。
いや    しかし。



気高い野良猫は今日もまた 
人間から餌をもらう。








...

「朝のリレー」 - 2003年10月06日(月)



  カムチャッカの若者が
  きりんの夢を見ているとき
  
  メキシコの娘は
  朝もやの中でバスを待っている



ある夏の朝 何気なくテレビをみていると
まだ明けたばかりの曇りがちな 
空の映像を背景に この詩が映し出された。

私は全ての動きをとめて この画面に引き込まれた。



  ニューヨークの少女が
  ほほえみながら寝返りをうつとき
  
  ローマの少年は
  柱頭を染める朝陽にウインクする

  この地球では
  いつもどこかで朝がはじまっている


  ぼくらは朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば交替で地球を守る

  眠る前のひととき耳をすますと
  どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

  それはあなたの送った朝を
  誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ



単純な言い方だけれども 「打ちのめされた」気がした。
誰がかいたのか知れぬ詩ではあったけれど
地球が自転しながら 朝をリレーしてゆく様を
なんとも詩的に なんとも映像的に
言葉で綴っているのだろうかと感動した。
今まさにこの時も そして夜眠りにつく時にも
いつも何処かで目覚まし時計のベルが鳴っている。
そしてそれを
「誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ」と
リレーのバトンのように比喩して締めくくる。


この詩は一時期 中学校の教科書に取り上げられた詩であったらしい。
意図としてはこの地球上の東西南北、
世界中は一つの星であり 地球を共同体として人類の連帯感の大切さをうたったものであるらしい。 
  

私は 詩を読み説くというのはナンセンスだと感じる。
そこに作者の意図があろうとなかろうと
それはそれとして
まずは「感覚」で楽しむことができれば
それで良いのだと思う。

絵画にしても 神話や聖書を軸とした古い絵画も 
意図や象徴を読み説く面白さはあるだろうけど
私は 頭で感じる感動よりも 心に沸き上がる感動を
楽しみたいと思う。


この「朝のリレー」という詩を
テーマの押し付けである という批評があることを知ったが
それはそれとして
そのようなテーマを考えるよりも
読者に与える感動が 先にダイレクトに
胸にズトンと響いたならば
詩として 表現としいて
成功しているのではないかなあと思う。

ということで 私はこの詩が谷川俊太郎氏のもので
あると知ったのは 昨夜のことである。
 

谷川俊太郎「朝のリレー」


...

1年に1度は婦人科検診を。本気です。 - 2003年10月03日(金)




最近 子宮から出血を何度も繰り返していたけれど
私は粘膜が弱いので それほど気にもとめていなかった。
とうとう周りにお尻を叩かれて
仕方なく婦人科に赴いたのだけれど
結局やはり只の炎症で 点滴と薬を処方されただけだった。

そんなとき
時期を同じくして姉が やはり出血続きで
心配していたのだけど 例のごとく婦人科なので
診察を拒んでいた。
しかしながら今日 意を決して訪れた婦人科で
言い渡されたのは 野球ボール大の卵巣腫瘍だった。

数日前 「心配だ」と泣きながら
電話をかけてきた姉の様子を思い出した。
私はまさか こんなことになるとは思いもしなかったから
まずは彼女の気を鎮めるためにと
安易な気休めを並べ立ててしまった。

まだ 全ての検査が終わって居ないので
良性か悪性か判断しかねるようではあるが
いずれにしても手術は必要なようで
あまり恐ろしい現実を伝えないと言うのも
それはそれで彼女へ親切ではないと思ったので
そのことをメールで伝えた。
彼女からの返信はなかった。

彼女は人一倍心配性であるから
こんなとき とても不安でしかたなかろうと思った。
こんな夜も彼女は 独りきりで過ごすのかと思うと
私が暢気に眠ってしまうのが心苦しく思えた。
今私が何かをすることができるわけではないけれど
彼女の痛みを私も感じないでいることが
とても卑怯なように思えた。

姉は私とは10歳以上離れていて
まるで親のように 世話を焼いてくれたり
心配してくれたりした。
姉ではあるけれど 姉以上のことをしてくれてた。
そんな姉は結婚もせずに独りで暮らしていたから
私は姉のことも 両親と同じように 心配だった。

今夜はやはり眠れそうにない。
姉のことを思うと胸が詰まるし
姉のことを忘れると 忘れた自分が嫌になる。
ちょっと 今の私は普通でない。

卵巣は「沈黙の臓器」といわれている。
知らないうちに成長していて
手後れで死んでしまった人を何人も知ってる。
なんらかのサインがあらわれた時には
かなり病状が進んでいるらしい。
どうか これを読まれた女性の方。
お嫌でしょうが 1年に1度は婦人科検診してください。
本当に。
万が一のことがあれば
貴女だけでなく 周りの皆が辛い思いをしますから。
本当に。
是非に。
是非に。



...

抜け殻。 - 2003年10月02日(木)


勢い良く 大きな伸びをすると
私の背中にひとすじの亀裂がうまれ
まるでそれは
私を閉じ込める檻であったかのように
突然 新鮮な空気が流れこんだ

私はそこにある空気を
吸ってしまって良いものかどうかと
頭の片隅で考えたけれど
恐怖心もあいまって
息を止めた

私の背中が覗く世界は
私の目が眺める世界とは
色も気配も温度も違っていて

そこには空気とおなじように
新鮮な世界が広がっていて

このまま此処にとどまれないのに
この殻を破り脱ぎ捨てることを恐れて
もう既に殻となってしまったこの檻に
再び戻って知らんぷりを決め込もうとする

今羽を広げなければ
羽はしわくちゃのまま
このまま固まって死んでしまうのに

新しい世界は私の
変化を突き付けてくるから
足を踏み出すことができずに
恐くて此処で震えていた

太陽が背中の亀裂を
閉じてくれたなら
私はこの檻のような殻の中で
死んでしまってもよいと思ったのに
それは ただそこに
じっと在り続けるだけだった

片羽を伸ばして空に突き立ててみたけど
辺りはざわめきすら起こさずに
無気味な程 静かだった

もう片羽を伸ばしてみたら
小さな涼しい風が 羽を揺らし
心地よく私を慰めてくれた

このまま
飛び立ってしまわねばならないことを
知っていた。
此処にはもう抜け殻しかないから
木の葉はもう私を
育んではくれないから

私は 鮮やかな花を求めて
羽を翻した
鱗粉が 辺りを微かに煌めかせた

私はもう
抜け殻のことを忘れてしまった





...




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