流れる水の中に...雨音

 

 

typhoon - 2003年05月31日(土)



深夜 午前三時
台風はもう そこまで近付いていた

荒れた風は樹木を 獣のたてがみのように揺らし
轟々と 止むことなく 唸らせていた

雨はまだ 小降りで
風に運ばれて 開いた窓からも 部屋の中へと
刺し込んできた


雨を孕んだ冷たい風に 髪を靡かせながら
この 激しい風に 吹き攫われてしまえればいいのにと
心のどこかで 願っていた


空を渡る雲は
勢いを強めて 風の向く方向へと
急ぎ足で 流れていた


仕材置き場の保護幕は
風を捕まえて 大きく大きく うねっていた


風の渦に巻き込まれた
街も 木も コンクリートの建物も
電線も 夜も 私さえも


荒々しい この腹立ちまぎれの低気圧の化物に
喰われてしまえばいいと
空を睨みながら 願っていた


化物が残すのは 
風に散らされた まだ青い木の葉と
たぶん 眩しい程の好天気と

空虚なままの 私で あるのだろう






...

ピアスの穴。 - 2003年05月29日(木)



私が高校生のとき
校則のゆるい学校に通っていた友人が
耳にピアスの穴を開けたことを境にして
まるで人が変わったようになった。
話をきくと彼女は その年の夏の彼女の誕生日の日に
彼にお祝をしてもらうため 夕方 彼との待ち合わせの場所に
赴いていた。
その途中で事件がおこった。
ちんぴら風の若い男3人組につかまり
彼等のうちの一人のへやに連れ込まれて レイプされた。
16歳になったばかりの日だった。

浅はかにも彼等は 自分の部屋に連れ込んだものだから
すぐに捕まり 処分を受けた。
彼女はそのときすぐに 私にその誕生日の出来事を
泣きながら話してくれたのだけれど
その態は 失意のどん底というよりも
どこか投げやりで 諦めた感情や ひえきった塊のようなものを
抱えてしまったように見えた。
そして そのあとすぐに ピアスの穴をあけ
人がかわった。

ピアスの穴をあける痛みが 
彼女の心をどう癒したのかはわからないけれど
彼女がそのことによって なにだか痛みに鈍感に
なってしまったように思えて 痛々しかった。

最近は ただのファッションで
簡単にピアスをしたりするのだけれど
そういうひとたちとはまた別に
なにかの戒めのように また 何かの痛みをやわらげるために
沢山のピアスの穴を開けたりする人たちもいる。
手首を切る代わりに 穴をあける。

穴を開ける痛みを 
穴を塞ぐステンレスを
必要としないときがいつかくればよいのにと思う。

彼女は今 どうしているのか知らない。
余りに自暴自棄な振る舞いで
どこか遠くにいってしまったから。


今日 ピアスを外した人がいる。
なにだかの印であったわけだけれども
もう それも必要無い。

何かが 代わりにその穴を塞いだのならいいのだけど。





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駒の進め方。 - 2003年05月26日(月)



人はチェスの駒では無いけれど
だけどある程度 人事はチェスのようなものだ。
人生をゲームに例えるなんて
ちょっと軽率な感じもするけれども
そうじゃない。
相手の駒の進め方が何通りあるのか 先に先に
読んでいなければならない。
そういう 数種類のパターンを想定することが
ゲームと同じだということ。
自分の足場を固めるのはまた別の作業であり
地道な作業だ。

そうやって 頭の中でいくつかの手段を想定して
身の振り方を考えて
自分自身も いくつかの進み方を用意しておく。
常に逃げ道を用意しておくことが大人だということらしい。

何かを得るには 人のできないことを
時には しなくちゃならない。
それこそ 命懸けで。
誰にだってできることなら 誰かがやってる。
誰もできなかったからこそ 勇気を出した者が
何かを得ることができる。

ちょっと話が外れた。


だけど 想定通りいかないことも沢山ある。
そう。ハプニング。

なぜ こんな話をするのかというと
その「ハプニング」が 今日 身にふりかかったから。

駒の進め方を数種類、先の先の先まで想定して
そうすれば自分はどう動くか
いくつか用意していたのに

全部 吹っ飛んだ。


だから人生は ギャンブルなんだ。 

まったく、もう。







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この世の果ての。 - 2003年05月25日(日)



泣きそうだ。

すべての部屋にあかりが灯り テレビは鮮やかな色合いで
様々な場面や表情や音楽を流し続けている。
私は 土曜日深夜1時過ぎ
たった独りきりで
この世の中に たった独りきりで
瞼を開いて この深夜の静寂と向かい合っている。


窓の外には 
灯りの消えた暗幕のようなビルの窓が並んでいて
それとは対照的に
煌々と灯る 街灯だけが力強く
光を放っている。

ときに 通りを横切る猫の姿も今は無く
私はたった独りきりで
この世界の重さと戦っている。


声を聞きたいと思った。
いま 会話の成り立つそれを聞きたいと思った。
この世の果ての その向こう
この陸地の 海の その向こうにいるかもしれない
たった独りでもいいから
会話の成り立つ何ものかと
この世界の形を 再確認しあいたかった。

だけど しかし。

ここにいるのは私独りきりのようで
そして私はまた

世界のこっち側とあっち側の曖昧な境界線を
ゆらゆらと 漂い続けている。


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散るもの。 - 2003年05月23日(金)



芍薬の花びらが一斉に落ちた。

芍薬は一番美しく花びらを広げた そのときに
トランプで作ったピラミッドのように
一斉に崩れ落ちる。
跡形もなく。

芍薬が美しいのは その所為かもしれない。
枯れた花びらがいつまでも茎に留まり
色褪せてしおれてゆく姿を ずっとさらし続けるよりも
美しいときに惜しまれたまま
消失してしまうことが
逆にことさらに この花を堪能しないからこそ
見る側の心を満足させない。


潔さ というのはとても大切なことであると思う。
いつまでも何かにしがみついていることによって
生まれてくるものも確かにあるし
そしてそれはとてもしっかりとした
揺らぎないものかもしれないけれど
第一に 美しくない。

すべての尺度が「美しさ」で測れるものではないけれども。


興味のある何かの不足を感じたら 私はそれを必死になって
補おうとする。
それはまるで飢餓状態のように貪欲に。
不足を満たし 満足し そしてそれらを乗り越える。

だけれども本当は
満たされないもののほうが大切なことがらで
多分 それらが私を少しずつ 引き上げてくれる。

しかしながら その逆に
潔く散ってゆくものたちは 特別に
こちら側のことを 気にもかけていないことは
気がついていなければならないね。

芍薬の花のようにね。









...

273 - 2003年05月18日(日)


いっとき 恋をしていた男性が 
とってもパフュームに詳しい人だったものだから
私は ひとときパフュームに狂った時があった。

香りは不思議と それを多用していた時代を私に思い出させて
そのときの楽しい気持ちが ふと蘇ったりする。
そういう意味で彼は 私に忘れさせない面影を
上手く焼きつけたのだと言える。

はじめて私に香水を与えてくれたのは
年の離れた姉だった。
大学生になるのなら香水のひとつも必要でしょう と
百貨店のカウンターで好きなものを選ばせてくれた。
そのとき私が魅了されたのはディオールの「プアゾン」。
あの濃厚な香りよりも その妖艶なイメージに
憧れたのだった。

母は以前から「MITSOUKO」を愛用していた。
鏡台から白粉の粉っぽい匂いとともに
鼻先をかすめるのはMITSOUKOだった。
今でも街でMITSOUKOと行き違えば 母を感じて振り返る。

トレゾアが好きな友人は 奔放で色っぽかった。
節操なく恋愛をくり返していたけれど
彼女も今は最愛の彼を見つけて 香水も変わった。
「プチサンボン」。
そこまで化けるか?(笑)

私の最愛のポメラニアン。
名前は「DUNE」。
毛の色は 焼けた砂丘のような 茜色。

「273」
ロデオドライブにあるフレッドヘイマンの。
映画『プリティーウーマン』で火がついて爆発的人気に。
初めて手にした夜はうれしくて
某有名女優のように 「273」を身にまとい
眠りに就こうと.........したのも随分昔の話。


香水も 今は ふと 思い出したときに
女であり続けるために 少し首筋に撫でる。
そっと耳打ちしたときに やわらかく香り立つ。
その一瞬のためだけに ほんの少し。


良い香りがするね と鼻先を近付けられたなら

もう 私の勝ち。











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やつあたり。 - 2003年05月16日(金)


彼に八つ当たりをしてしまった。
別に彼が悪くともなんともない。
だけどこんなとき マイナス思考の極みで
いろんなところにいろんな形で出してしまう。

普段怒ってもけっこう冷静。
本当に怒ったときほど かなり冷静。
感情的になるのは 「怒るべき時だ」と
頭が認識したとき。
それほど腹立たしいことで無くても
かなりきつくピシャリと言い放つ。

だけど八つ当たりばかりは
どうにもコントロールできない。
八つ当たりしなけりゃ 鬱へと沈む。
人を責めるか 自分を責めるか。
そのコントロールが難しい。

性格的にあまり悪口が言えない。
悪口を言う程 他人に対して熱意がない。
人はひと。
私は特別(笑)

ああ 
いやなこともある毎日だけど
まあいいや。

私は私。
私は特別。


八つ当たりして ごめんなさい。



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蜥蜴よりもちっぽけな世界 - 2003年05月12日(月)



夜中に目がさめると そこにはどんよりとした
海底の澱が漂っていて
その中で私は必死に息をしようと 呼吸を荒立てる。
しばらく止まない胸の鼓動 息苦しさ。
そして隣に眠る人の存在に とてつもなく感謝して
ほんの少しだけ 悔い改める。


ひとりきりでないことを知っているから
独りになりたがる。
君が自らだけの道を進みはじめたら私は
きっと何処にも繋がらない。
人生を背負うことはとても大変なことだから
誰にだってできることじゃない。
そんなことをわかっているから
やっぱり今の私には君しかいないのかもしれない。


毎日沢山の小石を水で洗う。
水の中で小石はぶつかりあって音をたてる。
がちりがちり。
澄んだ水で毎日毎日。単純な作業。
何のために 何を毎日行っているのか
良く分からなくなるけれど
でもたぶん こういうことが大切なような気がして
がんばっているんだ。


君は私の後を追い
私に長い鎖をつけて 「さあ自由だよ」という。
だけど そんな私が暮らしているのは
目の前の 木の根の横を
走り抜ける蜥蜴よりも
ちっぽけな世界。




...

PHOSPHORESCENCE 〜読書日記〜 - 2003年05月09日(金)



太宰の小説に「PHOSPHORESCENCE」というものが有る。
夢と現実が錯綜したような幻想的な話なのだが
彼は小説の中で 「夢もまた私たちの一部分であり
或る意味では現実である」というようなことを述べている。

私達はみな一様に眠り そして夢を見る。
そして私たちは夢の中でも成長している。
夢の中での感情は現実へと繋がっているし
夢の中で泣いていて 目覚めたら実際に涙を流していることもある。
夢の中と 現実とが感情で結びついているのだから
それもまた現実である ということだ。
だからこそ人というのは 普段見えている部分だけをみて
理解しているようなつもりになっているけれども
それは 本当に理解しているとは言えないということだ。

ところでこの「phosphorescence」。
日本語に訳すと「燐光」ということ。
燐光を放つ現象をそういうらしい。
蛍光灯を消しても しばらくぼんやりと
仄明かりを放っているあれも燐光である。

太宰の小説の中にあらわれるphosphorescenceという花。
実在するのかどうかわからないけど
夢の中でジープに乗ってきた人に
phosphorescence の花束を渡されるというのは
なんとも示唆的だ。

青白く頼り無い燐光。
雨上がりの墓場に発生する燐が自然に発火し
それが 人魂の正体である などという一説も関連して
なあんとなく。(笑)


そのPHOSPHORESCENCEとやらを一度見てやろうかと
家で実験してみた。
マッチ箱の側面にある薬品を塗ってある部分。
あそこには赤燐が含まれている。
その部分だけを剥がして燃やし 後に残るヤニのようなものを
ラップでこそいで 暗い場所で揉んでやると
ほわっと一瞬光る燐光がみられるという。

ということで 部屋の電気を消して暗闇の中
実験開始。
燃やしてできたヤニをラップでこそいで 
さあ いざ もまん としたところ
「ボッ!」っと勢い良く炎が発火。

燐光どころでなかったことは 言うまでも ない。




*参考

太宰治「PHOSPHORESCENCE」より。






...

茶香爐とサクランボティー - 2003年05月07日(水)



「香り」と名のつくものには 昔から目がなかった。

幼いころは 花やハーブを乾燥させてポプリを作ったし
少し大きくなると 香水やインセントに嵌った。
お風呂では 入浴剤で芳香浴もしたし
お紅茶に凝りはじめた時にはハーブティにも手をのばした。

そんな私は 昨今定着している「アロマテラピー」というものには
どうしても馴染めずに
とはいうものの 香り好きの私に友人がプレゼントしてくれた
香爐と数種類の精油だけは 一人前に所持していた。
アロマオイルという代物は なぜあんなにも香りがきついのか。
「癒し」というけれど 余計に気分が悪くなるなと
思いつ アロマグッズを持て余していた。

ところが最近 とても香りの良いお紅茶に出会った。
ルピシアのサクランボティーだった。
サクランボティーとはいうけれど
ファーストノートの甘酸っぱい香りは まるで香しい桃の実のようだ。
もう少し 茶葉に顔を近付けると
木の実特有の青臭い香りがプンと鼻についた。
アセロラの香りにも似ていた。

これはよい と思い 早速香爐を持ち出してきて
天皿に茶葉をティースプーン1杯分 汲みだしてのせると
天皿の素焼き部分が熱せられるとともに
柔らかな茶葉の香りが部屋中に充満してきた。
香しいながらにも あまり主張しない優しい香りが
とても心を穏やかにさせた。

茶道の先生にその話をすると
ほうじ茶やお煎茶などでもするのよ と教えて下さった。
茶香爐を使っての芳香浴は中国茶でだけだと思っていただけに
不思議ではないけれど 何だか新鮮な発見の気分。


レピシェでは 多様なフルーティな香りのお紅茶を販売している。
私はこのサクランボティーとともに
サクラティーも購入した。
よくかんがえてみると サクランボもサクラも同じだったなと
ちょっと可笑しくなった。
(香りは全く違うのだけど)


そんなわけで 私は今
茶葉のちょっと違った使い方に嵌ってしまっている。




...

彼女 - 2003年05月02日(金)



いつ切れてもおかしくないような
そんな細い細いつながりを
ぷつんと切れてしまわないように
大切に大切にしている彼女は
今日もまた
自分のものでもない只の猫を
可愛がっていて
どこかに自分を結び付けようと
その糸口を探っている
本当はひとりぼっちの彼女は
ひとりぼっちであることに
大きな感情の揺り返しとか
衝動的な顛末とか
そんなことがあるのだなんて
気がつきもせず
気を向けもせず
毎日を静かに行き過ごしている
彼女がその部屋に戻ることを
必要としてくれる何かが
彼女には必要であったから
彼女は今日もまた
自分のものでもない只の猫に
餌をやってる
なにかに組み込まれてそれが
彼女を回転させてしまえば
きっと
彼女は
綺麗な月の夜をじっと
眺めたりなんかしなくなる
屋根の上に一匹で
月明かりに照らされる猫みたいに
淋しいふうをするわけでなく
だけどひとりぼっちで
毛づくろいしながら
にゃあと鳴いても
誰の耳にも
届きやしないよ
彼女は

目の前を行き過ぎる様々な
しがらみとか
つながりとか
愛情とか
そういうものを零しながら
それを掴もうともせず
流れに乗ろうともせず

今日もまた
只の猫に 餌をやってる





...




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