流れる水の中に...雨音

 

 

ロープで引かれる子舟 - 2002年05月31日(金)




彼が漕ぐボートに ロープで繋がっている私が乗る子舟は
彼が漕ぐ手の勢いを増せば 私も引かれて速度を速める。
ロープ一本で繋がっていて
しかも私はオールも持たず漕ぎもせず
ただ水の流れに流されているかのように
引かれるままに、流されるままに。

彼は進み行く方向ばかりを眺めている。
けして私の方を見ることもなく。

彼は言う。
「子舟の中で、好きなことをしておいでね。
 そのために僕は一生懸命にオールを漕いでいるのだから。
 いつかお前のオールを見つけて
 一緒の船で漕げたらいいね」と。



私は子舟に本を積み込んで のんびりと読書を続ける。
本の重みが増して、彼の漕ぐ手も大変そう。
でも いつも心の中では 自分のオールを早く見つけたいって
思っている。
そう思いながらも私は どんどんと本を積み込み続ける。

ロープが重みに耐えかねて、
もしかして、いつか切れてしまうかもしれない。
そういう不安を毎日毎日かかえながらも

私はやっぱり子舟の中に本を積み込み続けている。




「専業主婦は不良債権だ」って、誰かが言った言葉だけれど
私なんぞは 本当にどうにもならないほどの高額な
不良債権だなあと 自分でも感じる。

だから 私は自分が嫌いだし
彼には 感謝している。


いつか、本当に自分のオールを見つけたいって
思っているんだよ。

ごめんね。




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連ねて想うことごと - 2002年05月25日(土)




快晴だなあと 思う。

ずっと向こうに見える高層マンションのベランダの
鯉のぼりが風にはためいている。
鯉のぼりって 一体いつまで出し続けるのだ?

雲一つない。空が何処までも青い。

快晴って なにか普通ではないような気がする。
信じられないほど良いことがあると
逆に何か不気味に感じたりする そういう感覚とおんなじだ。

なにだかの映画のスクリーンの中に
すっぽりと包まれてしまった感を思わせる。
超現実的ということか。

超現実的といえば『ダリ』
そう ダリの絵画さえ思い起させる。
快晴の空の中に燃えるキリンが居たとしても
なんとも違和感を感じない。そんなかんじ。

とにかく。

快晴はなんだか異様な雰囲気だ。
なにか間違ったことをしでかしてしまいそうになる。
月の夜に狂気になると言われるのと同じように(笑)

なんだか高いところからダイブしたくなる。
キモチイイだろうな。きっと。
あとのことを考えると恐いけど。

飛行機になりたい。
銀色の小さな飛行機に。鳥になどなりたくない。
もっともっと高いところを飛びたい。
雲の上を飛びたい。いつも奇麗な晴れ間だからね。

たかいたかい空の上で銀色の飛行機になって
ずっとぐるぐるぐるぐる旋回していたい。

乗客はだれも乗ることができないんだ。
きっと目を回しちゃうよ。
ぐるぐるぐるぐる。

きもちいいだろうなあ





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人とつながっているための努力 - 2002年05月24日(金)



私は人とつながっているための努力をほとんどしない。
でも、そんなこと、みんなしてるのかな。どうだろ。
人の繋がりって確かに大切なのだろうとおもう。
お仕事でもしていたら尚更。
でも、私は仕事もしていないので、利害関係など
まったく関係ない。
だからそんな繋がりも全く必要、「ない」。

友達にマメに電話したりメールだしたり
そんなのも苦手だ。
それは恋人とのつきあいにおいてもそうだった。
来るものは拒まず、とは言わないが、去る者は追わない。
追っても仕方がない。
というか、つきあいに於ても努力しないし
このままの私を受け入れて好きになってくれる人でないと
きっと私は難しいと思う。
だから、追ったところで相手の気持ちなど変わりようが無いのだ。
ちょっとふてぶてしいかな。

それよりも不思議なのは女同士の集まり。
(男同士の集まりも一緒かもしれないけど)
用もないのに頻繁に集まっては
食事しながら意味もない会話を続ける。
噂話だとか愚痴だとか。
不思議で仕方がない。
私は噂話だとか愚痴だとかに余り興味がないので
自分から持ちださない。
したがって聞き役になる。
他人の話を聞いて何が面白いのだろう。
これも人と繋がっているための努力か?

と。
此処まで考えたところでちょっと反省。
大きな誤算。
これは全部私が悪いんだと。

自らを高めなきゃ 周りは変わらない。

自己嫌悪。









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選択 - 2002年05月22日(水)



どこかに 別の人生があるはずだと
ずっと諦めずに 探し続けてきた気がする。
いや。
今の生活が不満なわけではないけれども
なんとなくしっくりとこない。
いえ。
今の生活は、私には充分過ぎるくらい
満たされたものだし、文句などあるわけもない。
ただ
このまま、あと一年もすれば
私はもう 何処にも逃げることができなくなるし
そしてまた 今の段階で選び取ることのできる
いくつかの可能性の扉が閉まってしまうことになる。
それが無性に恐い。

選択が運命を決めていく。
選択するということは それ以外のものを
切り捨てて行くということ。
二者択一の選択に、二者とも抱え込んでいたら
いつまでも前には進めない。

選択をするたびに私は強くなる。

知っている。
野菜の間引にも理由がある。
余分なものに栄養を奪われていては
どれもこれもが貧弱なものにしか育たない。


私はいったい何処に辿り着きたいのだろう。

選ぶのは、巡り合わせでも、愛おしい人でも、時間でもない。

この私自身なのだから。






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生命エネルギー - 2002年05月21日(火)



私の姉は「私は薄命だ」と若いころに言っていたのに
最近500年生きたい、などと化け物のようなことを言うようになった。
気持ちってそんなに変わるものかな。

極度に体が弱った時期があった。
来年の今ごろ、私はもう生きてないだろうなって
真剣に信じていた頃があった。
それは丁度、若葉が萌える頃で
光が鋭くなりはじめ、風が本当に光っていた季節だった。
自然の景色ってなんて綺麗なんだろうって
心の底から感じたし、少しでも沢山の情景を
この脳裏に刻み込みたいと貪欲だった。

しかし何故だか私は生き延びた。(笑)
別に大した病気だったわけではない。
ただ生命力が弱くなっていただけなのだろう。

そういうことを体で感じたとき
もう一つの目が開くもので
その時以来、私の考えは変わってしまったように思う。
一つ一つの命の大切さを感じるようになったように思う。

病気に異常に神経質なわたくしに彼は
「お前みたいなのはきっと長生きするよ」というけれど
そんなことはない。
わたしみたいなのこそ、きっと薄命だとおもう。
自分でもわかる。生命エネルギーがとても希薄なのだもの。
「私が先に死んじゃったらすぐに再婚してね」って
彼に言ったら、ちょっと奇妙な顔をして否定していた。
「でも、死ぬまで私のことを忘れないでね」って
一応付け足しておいた。

忘れられたら淋しいじゃない。ねえ。


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夫婦愛に思うこと - 2002年05月12日(日)




木にはいろんな形状がある。
杉のように、一本の木がなんの躊躇いもなく
まっすぐな一本として 天までのびているものもあれば
太い幹を構えて 天に向かって大きく手を広げているものもある。
そうかとおもえば
まるで二本の樹が並んで生えているように見えるけれども
根っこでくっついていたり
逆に二本の樹が根っこや幹をぐるぐると絡めあい
一本の樹になっているもの。
様々だ。

一見 二本の樹に見えるようで
実は根っこの部分で繋がっているというのは
まるで夫婦のようで
妻と夫がまるでお互い同士無関心に思えたとしても
大抵 根っこの部分では絡まりあっているものだ。
だから片方が枯れると、もう片方も枯れる。
片方が枯れることを、もう片方は許さず
いざとなると根っこが一つなので強い繋がりをみせる。
そうとは気づかず、人は土の上に出ている 目に見える部分でしか
判断しようとしない。
そこには二本の樹が存在しているのだと思い込む。


「浮気は男の甲斐性」などと
平気で口にできる時代に生きた商売人だった父は
女遊びを繰り返し 母を悩ませた。
幼かった姉や私は ときおり父と母がそのことで
口論をしていたことを知ってはいたが
まるで別世界のことのように感じていたし
父の外泊の度に買ってきてくれるお土産に
心を躍らせていた。
私は父が好きだったし 今でも父が好きなことには変わりない。

父が会社をたたみ
私たち姉妹が成長したころには
父と母はいたわりあう ごく普通の
何処にでもある穏やかな夫婦に変わっていた。
父が重い病気に苦しんだときも
母はいたわり 誰も真似ができないほど献身的な
介護をしつづけた。
今でも父と母は 仲のよい穏やかな関係を保っている。


「愛する」ということはナマハンカなことではないとおもうし
たとえ何があったにせよ消えてしまうものではない。
まるで愛を失ってしまったように見えたとしても
そんなことはない
心のずっとずっと底の部分で埋み火のように燻っているものだ。
いつか 新しい風を入れてやれば 
やがてまた 勢いはなくとも燃え続けるものだと思う。
私はそう思っている。

母が父を取り戻したことと
母が父を愛し続けたことに敬意を示して。

母の日に寄せて。






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霞を食べる - 2002年05月11日(土)




人と関わるということはとても泥臭いことのように感じる。
よくあるドラマに描写される人間関係はとても爽やかで
さらっとしていて、そしてスマート。
適度に関わり、適度に突き放し、適度に熱い。
でも実際はそうもいかない。
関わっていれば気に障ることも出てくるし
きれいなままではその関係は保存されなくなる。

本気でその人と関わろうと思ったとき
私は、その相手の荷物まで背負い込むことになる。
重たいし、辛いし、でも、関わるとはそう言うことだ。


人と関わることが苦手な理由は其処にもある。
大抵、人と自分の間に「温度差」があり
それが私を煩らわせる。

おせっかいだったり おせっかいされたり。
踏み込みすぎたり 踏み込まれすぎたり。
なかなかむつかしい。


そんなややこしいことを考えてたら
「私は独りだって生きれるよ」って思ってしまう。

ああ。
霞を食べて生きていたい。



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匂いで痩せる - 2002年05月08日(水)




百貨店の化粧品売り場を歩いていると
セールスの女性に引き止められた。
匂いを嗅ぐだけで痩せる効果のあるボディローションが
発売されているらしい。
画期的な商品だと彼女は付け加えた。

ならば体に塗らずに鼻の下にぬればいいのではないのかと尋ねると
それはそうなのですが。。と口ごもった。
意味不明。

今ならもれなくメジャーが付いてくるという。
それで日々の変動を見て実感してくれということだろう。
凄い自信だ。

ものは試しとそれを購入し帰ってきた。
気になる部分にすり込む。
鼻を突くキツイ匂い。
確かにこの匂いを匂っていると疲れる。
疲れて疲れてまるで100M走でもしたあとの疲労感に似た
疲れを覚える。
交感神経か副交感神経だか知らないけれど
その辺りを刺激して脂肪細胞を燃焼させる効果があるらしい。
へとへとになり思わず眠ってしまった。

ふうん。

痩せるかどうかはわからないけれども
その匂いを匂えば、
確かに体は疲れるということだけは実証済みだ。


気になる方はどうぞこちらのページへ。

http://www.shiseido.co.jp/inicio/html/ico00000.htm








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花火を あと一つだけ。 - 2002年05月02日(木)




ほんとうに 多くの望んでいるわけではなかった。
その日その時をやり過ごせるに十分なだけの
幸せの実感が欲しかっただけだったし
それ以外のことだって 充分に私は満足をしているものだと
思っていた。

しかし 私を悲しみへと引きずり込むそれは
偶然見かけた花火のようなものだった。
遠くに 偶然見かけた花火をほんの少しだけみようと
其処に留まるうちに 其処から目が放せなくなり
最後まで見届けたくなる。
本当に ただそんなきっかけだった。
人の淋しさとか不安とか そういうものは不思議なもので
今まで目に見えなかったものが 意識をし始めると
あちらこちらにその片鱗が見えてくるもの。
そう、そして
小さな穴だと思って、手にすくった砂で穴を埋めはじめたら
いくら砂を流し込んだところで全然埋まる気配を見せずに
どこまでもいくらでも飲み込んでしまう。
終いには流し込む砂すら見つからずに
自分自身がその穴の中に落ちてしまいそうになる。

自分が幸せだと感じていたいならば
偶然見かけた花火を無視してしまう勇気が必要だし
あちらこちらにぽっかりと口を広げている空虚な穴に
気が付かない振りをすることだと思う。

いつしか
多くを望まなかったわたくしは
知らないうちに貪欲な塊になってた。
埋めきれぬ深い深い穴を次から次へと
埋めるための何かを必要とし始めたから。

最初は あと一つだけ 打ち上がる花火を見たいと
そう 望んだだけであったのに。


...




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