Kyoto Sanga Sketch Book
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2006年10月08日(日) 【大宮戦第26節】〜新監督の出発

左コーナーから飛んで来た大剛のボールが、ほんの僅か曲がった。
1人の選手が混戦の中飛び上がり、ヘッドでゴールへ叩きつけた。

スーツ姿の新人監督が、感激に前にのめってベンチから飛び出す。
ジャージ姿のコーチ立ちも喜んで飛び上がっている。

紫の選手たちもはしゃいで、同点打のゴーラーを取り囲んで触れた。
しかし、1人得点者は緊迫した表情のまま笑顔を見せず。
真剣な眼差しのまま歩き、他の選手たちを両手で煽った。
まだ足りない。ドローでは足りないと。
あの昔の角ちゃんでなく、チームを背負う大人の男の目に吸い寄せられた。





彼にとってクラブユース時代の恩師の監督デビュー戦。
前監督の解任を受けて数日後のこと。
彼が京都に帰ってきて4ヶ月。

ベンチに座るのは、サンガの初代キャプテン美濃部氏。
本当はこんな形、状況下で監督デビューさせたくなかった。
システムは3-5-2へとかわった。
なんと教え子の角田はDFでなく右アウトサイドでの起用。
彼のサイドバック、又はボランチができるぐらいと聞いていたから、
その起用は驚いたけど。

結果、彼に関しては凄かった。
右サイドをぶち抜き、長短のパスを出し、前に向かっていた。

一方、チームは前半は監督交代の気合か、
プレッシングで、守備の意思向上が見られた。
その上、3バックに変ったとは言え、
両サイドは4バックのSBがしたかった、という児玉と大久保。
最後尾から前にどんどん駆け上がってくる。
二十そこそこの選手たちが主体と、また若返った勢いはあった。

石井がボールを奪った。
そして又、角田が走る。


しかし、大宮ベテランFW桜井の投入から、マークがずれだし、
小林大悟らに翻弄されて。
絶不調と聞いていた大宮の前線は、流動的で掴みにくい。
ただ、彼らもシュートは決定力に欠ける。

久々に出場したアンドレが古傷を痛めて退場。
まだ体調が万全でない田原が投入。

時間とともに、チーム全体のプレスも落ちてきた。
トップ下に起用された、中山と斉藤はポジションがかぶりがちで、
ワンボランチの石井もボールを捕まえきれなくなってきて。
攻め込まれて、だんだん中盤が下がってくる。
DFラインも上げられず、ゴール前で守備的な選手たちが対処に追われるように。

しかしその間、美濃部新監督は、ライン際でずっと吼えてました。
あの穏やかなイメージだった美濃部さんが。
角田がクリアする。


林や、まだ怪我をかかえている大志の投入も得点できず、試合終了。
1−1のドロー。
頭をかかえてベンチから去る2人の監督の後姿。



美濃部新監督の試合終了後の会見。
「ほんまは勝ち点3が欲しかったんやけど…」と落胆している。
この数日は新監督にとって寿命が縮むような日々だったはず。
「今日は(自分の気合が入りすぎて)、
選手交代も、試合を見る目も冷静さを欠いていた気がする」と話した。
「もう自分から話ができる状態でないから、質問形式でお願いします」と。
…それ程疲れていたよう。

同じように、大宮の三浦監督も疲れた表情をしていた。
「勝ち点2を失った」と。

この内容なら勝ちたかった大宮と、内容にかかわず勝ちたかった京都。
2人の監督の落胆。そんな金曜の晩。
角田ら選手たちは、どんな気持ちでサポーター席へ挨拶をしたんだろ。

結果的に、チームの状況は、まだあまりかわってない。
まるで選手の適正や布陣を探るシーズン前の練習試合と、気合の本番を、
一緒にしたような試合でした。

得点者:小林大悟(大宮)角田誠(京都)


15位広島  勝ち点27
16位福岡  勝ち点19
17位京都  勝ち点19
18位C大阪 勝ち点18

自動降格2クラブ。プレーオフ1クラブ。残り8試合。
怪我人だらけでも、関係ない。
たまにはしがみ付いてもらう所を見せてもらいましょうか。


2006年10月06日(金) 10年。(柱谷幸一”前”監督のこと)


本来、ブログに書くべき内容かもしれませんが、長文になったのでこちらに。
間違ってたらすいません。指摘お願いいたします。

柱谷さんの人となりは、知りませんが、昔から気になる監督でした。
よって、批判しつつも心情的には多少この人寄りの自覚有り。ご容赦を。
2年半前、就任前に書いたものに加えてるのでかなり長文です。
最初の3分の2は山形時代なので、読み飛ばしてもらって結構です。




「監督には二通りしかない。クビになった監督とこれからクビになる監督だ。
ハワード・ウイルキンソン」(元サンダーランド監督)


アーセナルTVで、CLやっていた。対ポルト戦。
2−0でアーセナルが勝っていたのまでは覚えているんだけど。
そんな事より、ベンゲルは今年10年目になるらしい。

そういえば、今は亡き京都の街の蹴球茶屋、ウェンブリーの常連英国人サポ。
「アーセナルでも当初解任しろ、という人が多かったけど、
我慢したからここまでなった(と胸を張って)」。

監督にGM能力を求めるイングランドとて普通ではない。
そんなことができるクラブは幸せ者。羨ましい。
監督にとって10年という年月は長い。
サポーターにとってはそんなに長いものではないけれど。




5年半前、私がある新人監督のHPを訪れたのは、
彼の今から作るチームが京都で解雇になった選手の行き先だったから。

その北のチームは既存の選手を大勢引き抜かれた跡地のようで。
元代表FWの新監督は、そこに自分の構想にあった選手たちを、
解雇された選手を寄せ集めて作りだしていた。
新しいキャリアを出発させる彼は希望に満ちているのか、
新チームの夢を、時に論理的に、時に少年のように語ってました。そして、

「(前年セリエAでスクデットを取った)ラツィオのような攻撃的なチームを作りたい」
「今は内容が大事。守って勝っても何の意味もない。」

今ではもう彼のHPには残っていないけど、
私の脳裏にはキチンと”保存”してあります。
北の運営費の少ないクラブで。
「欧州ミーハー」の「理想論の世界」が繰り広げられていた。
最初は面白半分から興味をそそられました。


2001年。まだテレビで商店街の甲府市民が
「こんな弱いチームに公費を使うなんて反対」「サッカークラブなんていらないのに」
と口々に哀しい言葉を吐いていた、そんな時代のことです。






しかしなんと、柱谷山形というチームは、彼の理想通り動きだしました。

超絶的なプレッシングサッカー。
素早い寄せから奪ってのショートカウンターは見事に決まり続け。
「この運動量では夏を越さないだろう」という大方の予想に反して、
走り出したこのチームは、他チームを食い尽くす。
特にその餌食になり続けたのは、その年優勝した我が京都。
勝ち続ければ、昇格が目の前に見えてきました。

それでも彼は「結果はいらない。内容。」「守らず攻めろ」と言い続けていた。
(今のセーフティなイメージとはかけ離れているけど)

まだJ2も参加していたナビスコ杯。
第1戦でレッズに大勝。なのに第2戦、あとは守りに入ればいいのに、攻めて玉砕。
まるでそれは、イケイケサッカーの時代のゲルトサンガにも重なる。
(そういう時代もあったんですよ)


もう一つ。
彼は指揮官としての能力の以外にも長所がありました。
シーズン途中でのエースFWのJ1への移籍に関して、
失望するサポーターや心配するファンの為に、
「彼が移籍することで、クラブの運営チームの強化ができる。
下部の子供達が育つ。だから、走れ!○○!」という文章を掲げた。

この辺は私の力では再現できない名文で。。ほんとやられました。
ほんと一選手のシーズン途中の移籍すら、
クラブの未来に繋がることへの感性、展望、
それを伝える表現力は、尋常でなくて。
もう、感動すると同時にあっけにとられた。才能ですね…これは。

結局、昇格争いは最後の最後まで縺れて3位に。
京都が最終節で、昇格の道連れに仙台を選んでしまった。

でも、戦力以上に残したその成績が評価され、
ナビスコで対戦した古巣、レッズからの監督としてのオファー。
引き止めるサポーターたち。署名専用HPまでできる騒ぎになりました。
最後に出した決断。

「悩みましたが、10年後の山形のサッカー文化のために」残ります、と。

10年後の地元のサッカー文化?なにそれ?
ただの雇われ監督の立場でありながら、「10年後」の文化????


10年後…。普通、Jリーグレベルの監督には関係ないんじゃ…


そう。元々、そういう感性をもった監督なんです。





さて、翌年の山形からは、それ程詳しくありません。
大島見たさに見た中継や、ネットや他の情報から、
下位になっているのは知っていました。

理由は、
昇格のために結果を求められるチーム作りによるチームの空気の変化、とか
研究されたからとか、格上を想定していたリアクションサッカーだったから、とか。
何より、浮気、佐藤悠介という主軸選手の放出が痛かったとか。

柱谷山形においては、そのリーグに置いては超人的な運動量で
守備をこなす中盤の選手が、凄く効いていた気がします。だから放出は超ダメージ。
(多分今のサンガでも彼らタイプが必要だったかも)

で、この年は結果がでない。
こうなってくると、理論型というかあてはめ型監督が我慢する、
固定したシステムや選手起用が「硬直」と批判される。
まあどの監督も結果がでないと、その点をいわれますが。。
(ゲルトですら同じ批判をされてましたから…)


でも、その翌年は実を結びはじめていた。又昇格争いに絡むように。

あの事件があるまでは。

あれはここでは語ることではないですし。
中華思想のミネさんのように
「2ショットの写真はなく、なぜか宣伝じみた写真のみの怪しさ」
「某プロダクションと某出版社との周知の関係」とかで反論する人もいれば、
「火のない所に水煙」と再反論する人もいれば。  私は知らない。

問題は、サッカーはメンタルに左右されるスポーツだということ。
教育委員会の外郭であるクラブ側が、自ら話を大きくする失態。
復帰後も順位は下がり、契約満了の形で山形での監督生活は終る。

でも実は、当時もう一つ彼に「疑惑」を持つ批判的な人もいました。
それは、彼の業績とされていた練習場整備などの、
”クラブの将来を見据えた”改革。
彼の口から文章から語られて、進められていた計画。
でも、「フロントの業績を、監督はまるで自分の業績にしていた」の勘ぐり。
それはちょっと。

まぁ、確かに普通監督ってポジションの人は、
「10年後のこの地のサッカー文化」なんて気にしないものですから。。




と、山形時代のことを整理せずに随分書いてしまいました。
京都のことを書く余裕なくなってきた(本末転倒)

とにかく、京都にとっては、この監督、
・J2というリーグの中に置いては厚い選手層を生かし、
・前任者と違い、言葉で具体的に戦術を伝えられ、
・そして何より、今まで欠けていた長期的ビジョンを示せる監督、
この人を必要としていると思っていたんです。

本当のことを言うと、ずっと前から。

柱谷さんのサンガ解説が、なんかおかしくなった試合の後、
個人的に祝杯をあげました。地元に帰ってくる、と思って。
オファーを確信したから。女のカンは恐ろしい。。

実際、良い選択でした。
J2においては、守った相手を崩し続け優勝。
気兼ねなくGMとしても手腕を振るえる。
いろんな意見はあるかとは思いますが。
その後の試合等のことは、今までレポっていた通り。

2年目のダントツでのJ2優勝。
そして、専用スタジアムの為の運動、ユースの整備。



しかし、今の成績で解任。
今回の解任に好き嫌いを別として、
「大賛成」とか「大反対」とかはっきり言える人は少ないでしょう。
タイミングの問題、今の内容、総合的に難しい。
言われているように、メンタル面を意識した「賭け」の面もあるから。


この成績になった最大の間違いは…

たぶん、今では多くが思っているシーズン前の選手層の見極めの甘さ。
擁護するとしたら、一つは今年の移籍市場が昇格組に例年になく厳しかったこと。
(ベンチ入り選手の拡大とか、数クラブの精力的な動きとか)
そしてもう一つは、今年のW杯の中断の存在。
その中断で、移籍金のかからない安価な助っ人を求めたり、
国内での動きの中で補強できると油断していた点です。
実際は後手後手で、失敗。
でも成功していたら反対に、この方法は賞賛されていたはず。
(でも、開幕当初のあれでは酷すぎる。
手島角田を呼び戻せなかったら、実際はもっと酷くなっていたかと思うと恐ろしい)

でも、そこは多分クラブ経営上の考慮もあったと思われます。
移籍金切れを待ちたい、とか。補強にかける費用を押えたい、とか。
(京都は昔のように金持ちクラブではないから)。
もちろん、実際取るつもりが、取れなかった選手も沢山いましたが、
本気でどこまで交渉できていたか、とかはやっぱり考えてしまいます。
外野としては。GMなんでもちろん彼にも責任はあります。


結局、2003年降格年もそうでしたが、
ここ数年でいつも「やっちゃう」理由は、
お金の使うタイミング、他の点とのバランス感覚なんですよね…。
言うは安しなんですが。
京都に一番必要なのは、そこの見極めができる「プロ」ぽい人なのかも。

参考:2003年降格時SKETCH「敗軍の将、兵を語る」
←引用先の著作権意識して書いた為、かなり読みにくいです。
 今だと当時と考えも異なりますが。


戻って柱谷さん。
セーフティなゴール前で固めた守備から、手島復帰でのコンパクトサッカーへ。
前者は今の京都の中盤のメンバーには過酷すぎた。そこも失敗。
今では、組織的な守備という意味では、割と数的優位は作れているんですよね。
選手は立ちすくんでるだけですが。

…なんなんでしょう。
サッカーというよりフィールドゲームに必要なスペースの感覚って、
今の選手たちに全然感じない。
ブラジルリーグで名を上げたフィジカルコーチが「選手の信頼を得なかった」と
解任されたのも、何か理由があるんでしょうか。
メンタル?私は強いクラブ自体が一種の「宗教」と思ってますから、
私達は弱い部分があるのはまず、ある程度は仕方ないとは思ってます。策をとらないと。

ちなみに、私は素人なので4バックそのものは嫌いじゃない。
SBとか見ていて楽しいし。
ゲルトサンガはサイドや前線が華やかな分、
ボランチの役割が超地味で、最高に好みという訳じゃなかったし。
もう一度、良い状態での進化した柱谷京都を見てみたかった。



「10年後の地元のサッカー文化のために」。
今回、そういう言葉はなかったけど、
専用スタジアムの必要性について、あれほど熱心に語り動いた監督はいなかった。
ユースの改革(グラウンドなど練習環境の改革、立命館とのコラボレーション)
未来に残る素晴らしいものを残してくれた。
京都に足りない「長期的な視点でのクラブ運営」を初めてもたらしてくれた監督。
本物の「欧州サッカー&欧州サッカー文化」のミーハー男。
それを現実化させる術を探し、見出そうをしている人。

監督としては2年半だったけど、
彼の功績は本当に「10年後」にわかるのかもしれません。

その意味では山形時代の後者の「疑惑」は晴れたでしょう(笑)



最後にサポーターにとって迷惑なある欧州の監督の言葉もみつけました。
「2回解任されないと、名監督とは言えない」
誰だよ。負け惜しみかよ…。そういうのってもうこりごりだ。

とりあえず彼とは京都とは関係なくなったけど、
最近途切れてしまったあのHPのコラムが、また再開するのを楽しみにしています。

山形で京都で本当は長期政権をみたかった。10年の。

西京極のベンチで、
スポンサー会社名がわかるようにジャージ姿でピッチをみつめる。
その横には髭の美濃部コーチが、松永GKコーチがいる。
そんな光景にはさよならだけど。



京都は…もっときつい本当の戦いが続きます。
残留の可能性、と言われたら何も答えられないけど、
美濃部さんと選手に託すのみ。

10年後。その前に明日。


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