Kyoto Sanga Sketch Book
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2005年08月10日(水) |
【第14節〜第25節】〜不安と前向きさと |
京都はJ2で独走を続ける。 第15節 山形 ○3−1 第16節 福岡 ○3−2 第17節 徳島 ○2−1 第18節 甲府 ○3−2 第19節 横浜 ○1−0
2位との勝ち点差は20の大台に。 一方、2位争い集団はどんどん膨れ上がっていた。 京都にとってはそれは高みの見物のはずだったんですが…
第20節 7月9日仙台
大志のシュートは仙台GK高桑に弾かれる。 アレモンがまたそれを蹴った。 しかし、高桑にまた弾かれる…
ナイターの煌々とした灯りに照らされ、 雨に濡れた仙台スタジアムの緑の芝は、鮮やかにヒステリックなぐらい光っている。 2位3位集団にしがみつくため、津並監督の首がかかった試合、 仙台スタは鬼気迫る声援を送り続けてる。 サポーターの観衆で、スタジアムはまっ黄色。
また、仙台はリャン・リョンギの2ゴールで京都を突き放した。 京都はまた落ち着きを失う。
残り5分。 仙台スタを埋めた応援の声がわめくような音程のとれない大合唱になった。 いつもなら相手チームの足だけは止まっている時間。 しかし、黄色いユニはまだ自陣のゴールを懸命に守りつづけている。
終了のホイッスルが吹かれたとき、カメラがすっと引いたとき。 黄色い選手達とサポーターの群集たちがどよめき一つになってはしゃぎだした。
●1−3 敗戦。 今年の2敗目。やっぱり今までの内容が結果に出てきたんじゃないかと不安。 何より、相手の2位争いのモチベーションに 生ぬるいメンタルではかなうはずがない。心配。
去年の最終戦と同じ、斉藤のいない中盤ではゲームが作れなかったです。 米田と石井を組み合わせたってことは、 米田に斉藤と同じ役割ができると、見越してたんでしょうが。残念。
第21節 7月13日水戸
肩を落とす京都選手。笑顔で仲間を迎える水戸選手。 毎年恒例の光景。
水戸恒例の数をかけた守備。 前線のアレモンと田原にプレッシャーをかけ続けてた。 退場者が出たのは水戸の方。でも、それで混乱したのは京都の方。 攻めに人数をかけても、重なってばかり。
△1−1 引き分け。
第22節 7月16日札幌
京都ゴールと札幌ゴールの間を、ボールがめまぐるしく走る。 こんなノーガードの打ち合いでも、ゴールに入ったのはたった1点。 ○1−0
第23節 7月30日山形
パウリーニョの退場の後も、どんどん前がかりの布陣にかえて攻め続ける京都。 しかし攻めても攻めても、山形の守りに阻まれる。 ●0−1 今季3敗目。
第24節 8月 2日鳥栖
●2−3 今季4敗目。 2位との勝ち点差はもう14にまで縮んでる。 流れが悪くなっている。勝つってこんなに難しかったけ。。
第25節 8月6日甲府
主力を欠き、前線もセンターバック二人も控え選手。 最近レギュラー陣でも勝てないんだから、落としても仕方がない試合と思ってた。
やはり甲府選手が京都ゴール前に詰め続けていた。 と、左サイドの深いところから、斉藤の長いボールが前線に。 ゴールの右に上がった松田がそれを捕らえ、 迫る相手DFの前で切り替えし、シュート。
松田がアウェイの京都サポの前に体を投げ出して倒れこんだ。 馬鹿暑そうな盆地のスタジアムなのに、 その上に選手たちが喜んで重なる。
○2−1 勝利。
見え隠れしだした不安を拭い去ってくれるものがあるのなら、 こんな控えの選手たちなんでしょうか。 スターがいない、とか小金での寄せ集めとか色々言われつつも、 このリーグでは厚いと言われる層なのかなあ。とにかく前向きに。
2005年08月07日(日) |
元京都選手のこと〜故郷へ |
「世界へ」に続いて
5月。J1を1部リーグとすれば国内4部にあたる地域リーグ、 将来のJ入りを目指す地方クラブ同士の対戦していた。 姶良町のメイン側しか客の入れないような、小さな田舎のスタジアム。 隣のグランドの少年野球のアナウンスに場内アナウンスが被る。
上半身裸のアウェイサポーターが芝の上、ゴール前の選手に向かって指差した。 「いるよ!あの14番!チーム事情でセンターバックしてもらってるけど。」 彼の本職がサイドバックであることは、皆知っていた。
また昔話になって恐縮ですが、 今でいう女性限定「選手とティータイム♪」(私は参加経験無し)の前身企画も楽しかった。 ファンクラブ主催の茶話会との名目だったはず。
友人が選手にサイン帳を回して一言づつ書かせていた。 仲が良い選手が『恋』と書いたのを見て、”だったらこれしかないでしょ”と『愛』と書く選手。 「時期なんで『メリークリスマス』でもいいですか」と聞く選手の次に、 何を思ったのか『クリスマスツリー』と丁寧に記す斉藤。
茶話会中、斉藤に笑える突っ込みをいれていた選手にもサイン帳が回ってきた。 あまりの明るさに、その選手が前日に戦力外通告されたことも忘れて、 笑えることを書いてくれるんじゃないかと期待。少し時間が過ぎた。
困っている選手に、娘さんのかわりに来られたという女性が隣からアドバイスした。 「『一生選手』というのは?」
翌年。 J2に上がったばかりの対戦相手のサイドバックに ゴールをアシストするその選手がいた。
その2年後。 現役をあきらめて引退したらしい、と残念な噂を風の便りに聞いた。 それからまた1年。
2005年5月。 姶良運動公園、九州リーグ。 ヴォルカ鹿児島vsニューウェーブ北九州の試合が始まった。 地元のおじさん、おばさん、子供たちといった近所の人たちと、 お互い10人程度のユニを着たサポーターたち、そしてサッカーファンが スタンド席で見ていた。点が入るたびに歓声があがる。
ニューウェーブ北九州は、中盤でよく球を拾う。 よくトレーニングされている若い選手たちが 常に連動して動きながら、ボールを回していた。後ろの守備陣の負担は軽そう。 ヴォルカ鹿児島は中盤の起点をかなりを押さえ込まれていた。 苦し紛れに放り込まれるロングボールに、最後尾の14番は無難に対処してた。
北九州3−1鹿児島 負けた。
この日はちょっとヴォルカが…だったけど、 基本的に九州のレベルは地域リーグの中では高いんじゃないかな、と思っている。 京都で見ていた経験から、JFLの下位と比べてそう酷くは遜色ないんじゃないかと。 去年の天皇杯の成績をみても。
で、ここでは元Jリーガーは救いの神。てかそうあって欲しい。 地元出身である選手は胸ロゴのスポンサーである地元企業に就職したそう。 (地元メディアで街紹介をしたり、と忙しそう。)
この辺りの出身である田原の実家店を探しているついでに、 競技場にいる間に、スーパーで買った貢ぎものを渡してもらった。
大声が目の前の小さなロッカールームから響いて来た。 「ボンタンアメ、ゲットー!!!!」 「ゲットぉぉぉぉ!!!」 …いやあ相変わらずのパフォーマンスぶり(滝汗) みなさん着替え中なので、中を覗くことはできません。。
世界へ地方へ、選手たちは散らばっていて、 そのうちのたった一人の話です。
ご機嫌だったアウェイサポーターたち、北九州ナンバーの車たちが帰っていく。 反対に、地元鹿児島のオバちゃんたちの声。「もうちょっと練習せんとねー。」 なんかその素朴で非常に正しい感想に笑ってしまう。 練習時間を捻出するのが大変なチームがほとんど。 ヴォルカのサポーターに少し挨拶して私も去る。 地域リーグのチームは地元でもまだマイナーな存在のことが多い。
山崎、というサテライト選手を覚えている人ってどれくらいいるのかな。 「一生選手」と書いてもらった友達にメールした。 「あの選手は現役復活しました。元気です。やられました。。」
2005年08月06日(土) |
元京都選手のこと〜世界へ |
2005年の欧州チャンピオンリーグ。 左サイドでパスを受けた智星に、三人がかりで敵がチェックに来る。 それでも彼は奪われない。 そして中央に抜け出したチームメイトに、鋭いボールを蹴り入れた。 ダークホースだったオランダリーグPSVが勝ち上がって行った。
朴智星はマンチェスターUへ移籍した。 移籍金8億というのは本当かな。
彼のプロデビューを見てた私たちはちょっと自慢できるんでしょうか。 別に衝撃はなかった。 正直、あの高校を出て数ヶ月の少年はまだそれほどの助っ人ではなかったんで。 (その試合、エンゲルス監督の選択したドイスボランチってのも微妙で…)
でも一つだけ素人目に強烈な印象を残している。 それは、今のそのフィジカルの強さではない。パスセンスでもない。 その足の先から上半身まで、全体の動きの柔らかさ。 ゴール裏から見て、天女がひらひら自在に舞っていた。 (プレーが軽いとか批判されてたけど、当時の韓国人Jリーガーと違うのが驚きでした)
京都の中盤の底、この19歳とコンビを組んだのは現代表当時20歳の遠藤保仁。 しばらくはこの2人のボランチが大成功。連敗続きだったのが、5勝1分2敗に。 しかしこれまた同世代、ガンバ大阪の稲本らとの中盤の潰しあいの戦い以降 若いダブルボランチは崩壊始める。
で、最近、当時は同じポジションだったこの三人のことを考えてしまう。 朴。能力ももちろんさることながら、やり方でも勝ってしまった…のかな。 どうでしょうか。
朴智星は、京都でプロ生活を始めた選手。 サンガ寮の前で昼間の練習見学者をみれば小さく会釈する彼。 どのサポーターに対してもそんな人でした。 たぶん今も同じでしょう。たぶん。
これからあの天女にはどこまで舞っていくんだろう。 フランス一部にいる松井とも仲良くやってるんでしょうか。 この間マンUの日本遠征に智星がいるので、初めて移籍を実感した私です。
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