Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年03月28日(金) |
FW黒部 代表デビュー 〜古都のストライカーに吹く風 |
古都のストライカーの回りには、今までいろんな風が吹いていた。 降格の年の荒れた空気、J2での静かな温もりのある風、 天皇杯の熱をもった疾風のような応援。 今、ここに吹くのは代表戦独自の巨大な熱風のようなコール。
テレビ観戦。でも、熱狂的な代表戦の競技場の雰囲気は知っている。 代表戦での「ストライカー」に対するコールは、特別のものだと思う。
凄まじいエネルギーと期待が、 数万の観衆からそのたった一人の男に向られるシーン。 新しい英雄、ヒーローを求める巨大な声。結果を求めるうねるような声。
なんと、サンガ育ちの初の代表選手は事もあろうにその「ストライカー」だった。 ブラウン管の向うなのに、その観客の期待が想像できて鳥肌。 「クロベ!クロベ!」
■一年目■
「そうだ、クロベだ!」 最初に其の声をスタンドで聞いたのは3年前の西京極。降格の年。 「クロベを出せ!!!クロベなら決められる!」 その日、何度もシュートをはずしていたカズに向けられた野次だった。
ただそれは「あれは無得点のベンチ要員でも決められるような場面やろ」 というカズへの嫌みだった。
実際、一年目の黒部はなんという事もないただの大卒ルーキーでしかなかった。 カズ、そしてブラジル人ヘジスがいる中で与えられる時間は少ない。 後半わずかの出場が続き、結局その年、彼は一度もゴールを揺らす事はなかった。
■二年目■
翌年。J2開幕でも彼はベンチスタートだった。 第2節の新潟戦。この日も前年のように途中からの投入。しかし・・・
智星のシュートに相手GKが弾いた球、 ゴール前に詰めていた黒部・・・ついに!!!
次の瞬間! ピッチ上では松川、熱田が彼を抱いた。それを満面の笑顔の手島が迎えた。 サポーターも涙が出そうになって、抱き合わんばかりの喜びよう。 (・・・なんでだろう。あんなにゴール裏がはしゃいだゴールはなかったような)
結果、この得点を守り1ー0で逃げ切った。 彼の初得点は、J2サンガが初めて勝った記念日だった。
彼はMOMに選ばれる度、コールに答えゴール裏まで独り歩いて来た。 柵から身を乗り出したサポーターに肩を叩かれ、 少年たちの差し伸べた手に握手をして。 彼の回りにはJ1の選手とも、他のJ2選手とも違う、独自の風が吹いていた。
(当時の観戦記より) サンガ生まれの新しいヒーローが、 二千数百人しか集まらないこの競技場で、今日も静かに着実に育っている。
■三年目■
翌年J1。リーグ日本人得点王を争っている彼がいた。 代表を落とされる度に悔しがるコメントを出す彼がいた。
そして天皇杯決勝。 利き足でない左足から、ボールは真っ直ぐにゴールまで空間を切り裂いた。 轟音のような歓声が彼とチームメイトを包んだ。
3月28日国立 日本対ウルグアイ戦。後半30分に黒部投入。 熱狂的なコールの中、 交代の鈴木と挨拶を交わし、ピッチに走って行く銀髪の黒部。
中に入ってすぐにファーストタッチ、 中田からのパス、ヘッドで高原に落とす。 ウルグアイのDFと競う。
20分の出場の中、まだ得点はない。 でも彼は今、「熱風」のような応援の下、代表選手の中にいる。 本当に青いユニフォームを着て。
・・・まずは合格点。良さは随所に見えたんじゃないでしょうか。 初参加にしては意外なぐらいチームに溶け込んでいました。中田君、ありがとう。 細かいボールコントロールとか積極的なシュートとか、次はもっと期待。 これは黒部にとっては1試合目、そしてサンガにとっては一人目のはずなので(?)
2003年03月22日(土) |
2003年 Jサポーターズ Go! Go! |
もうだいぶ前、ある代表戦があった晩。 電車中のドアのところに、飲んだ帰り風の若いサラリーマンが7、8人、 一人の同僚の熱弁をつまらなそうに聞いていた。
「日本代表の戦術の基本は・・・」 「・・・ちなみにうちのチームの場合は・・・」
どこか知らないけど、応援チームを売り込んでいるのがミエミエですよ。 気持ちはわかるけど・・・・(笑)
しばらくして、一人男の声があがった。 「えっ!お前、秋○と友達だったの?!」
電車内がシーンとした。車内、皆聞き耳立。
さっきのサッカーファンの男とは別の声。 「いや、友達っていうか・・・知り合いかな。 一度試合をした事があるっていうか・・・・。」
それって知り”合い”かな?
しかし、その集団は秋○の”知り合い”を囲んで、 女子高生のように盛り上がり始めた。 どうも彼らは”サッカー”の話はどうでもいいようだ(笑)。
電車は止まり、彼らは盛り上がったまま降りて行った。
一番最後に話題にはずれてついていくJサポの姿が・・・。
GO!GO!Jサポーター。 代表戦もおもしろいけど、Jリーグはもっと面白い。 2003年 J2に続きJ1開幕。
2003年03月08日(土) |
【ナビスコ杯 大分戦】〜 疑惑(?)のゴールを見た |
すいません。今回の試合の光景と超私的感想ですが。
既に慣例として制度化されたルールがあった。 でも、それが破られた時の解決方法は”制度化”されていなかった。
その悲劇が京都と大分に降ってわいた。
だから・・・ここでは大分、小林監督の判断を支持します。 あれはサッカー文化の中では仕方ない。ベターな判断。 あれをしなかったら「怪我人がいたら球を外に出す」なんて誰もしないぞ〜。
不満があれば、totoの制度の方を変えてください。 サッカー協会の上でガイドラインを作って下さい。 もちろん実際見ていなかった人も納得できるような。
ただ、それはこの2チーム関係者の仕事ではないし。 現場の当事者間ではあれ以上の判断はなかった。
・・・だってあの時現場にいた者は、 選手も観客もあの解決に納得したあの時の西京極の雰囲気を知ってるから。
サッカーの起源は諸説。中国の蹴鞠だという話もある。 でも私のちょっと気になる残酷で美しい起源としては、 古代ローマの兵士が敵の将軍の首を蹴り回したとか、墓を暴いて頭蓋骨を回したとか。
そして中世。欧州での「フットボール」「カルチョ」は村落対抗、人数無制限、 相手の門に入れるだけの、死傷者も出る民衆の間の「本能に任せた」球の奪い合い。 イングランドでは禁止例が出た程の野蛮な球遊び。
そんな野蛮な球遊びが近代に「スポーツ」として昇華される為、 近代的な精神と紳士の文化の枠組みがそこに組まれた。 「乱暴な遊び」を「思いやりの紳士のマナー」が包んだ。 ただ、そのマナーで明文化されたのはたった17つ。超シンプルな球技は、だから面白い。
こうしてサッカーは「悩ましい本能」と「高貴な紳士文化」の融合体になった。 だからこれは私の恋の舞台になる訳で(笑)。 文化はその属している集団、その人個人個人でも違う。
でも・・・まあいいや。何をうだっているんだろう、私(笑)。 その時の雰囲気を。
天皇杯、ゼロックス杯を経てやっと日常の試合に戻るはずでした。 でも、事の始まりはこう。
そもそも試合は最初から荒れていました。 大分はよほど京都が強いと思っていたのか、それが本来の戦術なのか、 ゴール前をがちがちに固めた上で、 隙あらばガツガツ京都選手達を削る、妙にテンションが高い。 ・・・ま、京都も中払あたりを筆頭に応戦(挑発)してましたが。
カードが乱発、試合はブチブチ切られ、双方ともイライラ。
で、後半。大分が10人になったせいもあり、京都が自由にボールを持てるようになる。 松井が前を向いてボールを持った。チャンス! しかし大分の選手が倒れていた。 大分選手や審判(この辺は私は気がつかなかった)の指示のままに、 松井は「慣例化された紳士のマナー」にのっとって、 仕方なく「攻めのチャンス」を放棄して球を外に。
しばらく後、大分選手の治療が終わって、形式的な大分のスローイン。 でもそれはサッカーの「慣例化された紳士のマナー」にのっとり、 攻めのチャンスを放棄してくれた京都GKにそのボールは返されるはずでした。
と、京都の3バックの間をすり抜けて、誰かが飛び出した。
「ハァ?」
6千人の観衆、両チームの選手達、審判達が呆然と見ている中、 その男はボールを奪い、馬鹿みたいにたった一人で懸命にドリブルを始めてました。
ここで京都のDFが間抜け過ぎとの意見もありますが、 実際見た者に言わせると・・・ありゃ無理だ。必死のドリブルだったもの。 実際にプレゼントボールに本気になって守備につっかかって行くって ・・・めちゃ間抜けだし、危険だし。
しかも、しっかり守っている時でさえ、何度も藤田に抜かれるうちのDFラインだし(笑)。
松井のコメント ビックリした。自分が間違えているのかと思った(スポーツ紙)
(こ、これはキーパーに渡してくれる為にボールを運んでくれているのかな。 でも、なんでこんな一生懸命???)
彼、「大分のロドリゴさん」が本気なのに気がついたのは、ゴール直前。 慌てふためくGK平井。
スコーン!!!ゴールに入った。
ハァ?
ビックリしたスタンド、両選手達の目は思わず主審の方に。 主審も悩んでいる。京都の選手がその回りを取り囲んだ。 たぶん主審の心の声「うっ。こ、これって・・・一応インプレーだよな(汗)。」
しばらく後、ためらいがちにゴールの笛が吹かれました。
ウソっ??マジ??
納得行かない京都選手達が今度は大分ベンチに押しかける。 京都ベンチ関係者まで全員かけよる。 もう、大分ベンチの前はてんやわんやの大騒ぎに。
平井のコメント 交通事故にあったような気持ち。殴ってやりたいと思った(スポーツ紙)←そりゃいかんけど(笑)
あっちの怪我人の為の出してやったのに。 しかも、ロドリゴ以外の大分の選手は京都にボールを通例通り返そうとしていたのに。 あの男たった一人のせいで! 「もう怪我人がいてもボールは外に出してやるな!」ってか。 怒りは爆発。
で、スタンドはというと、ピッチを囲んだブーイングや野次で騒然。 私は口を開けて呆然。
????えーと、これはどう解釈したら??? 一応ゴールはゴールなのか???
まだピッチの上は選手達が荒れている。 「なんかアホらしい・・・帰りたい・・・」と思いました。 「この試合、棄権だ。」とその是非はともかく、思いました。 本気になるのがアホラシイ。
本当に馬鹿馬鹿しい!!!あのロドリゴという選手は子供か(呆)。
しかし、吹かれた笛は覆す事はできるはずもなく、そのままゴールは認められました。 一人だけ大分選手がロドリゴとハイタッチ。頭を指差して、 「ここが違うんだよ!」というジェスチャーをしたらしい。
大分サポーターが判断しかねて困ったような小さなコール。 ほとんどの大分選手はきまり悪そうに肩身を狭くして(彼らに罪はないし)。
この時の大分監督の心境は。。。
仕方なく試合はリスタート。 黒部と松井がセンターサークルにボールを置いた時、 まだスタンドの騒々しさはそのままでしたが。
DF鈴木和裕のコメント 相手に2点取られた時も、2点取り返す自信があったし、常識的に考えても起こり得ることなので、 あそこであえて抗議して要らない警告をもらうよりも、気持ちを早く切り替えて、次にいこうと思った。 どんな取り方であれ、点を取られたら取り返すだけ。(オフィシャル)
本音を言うと、京都が優勢になっていたし、相手はJ2あがりで10人だし。 このまま負ける事はないと思ってました(引き分けはありえても)。 だから、スタンドの怒りも暴動までならなかったと思います。 ・・・京都サポが暴動を起こす事はないと思いますが(汗)。
すぐに左サイドの冨田が怒ったように、爆裂したドリブルで突破、 それは黒部(?)から中払に渡り、中央から中払がゴールを向きました。
・・・と、その時突然!大分選手達の足が皆一斉に止まったのです。 瞬時に選手も、観客もその意味を理解できました。私でさえ判った。
あ、点をくれるんだ。。。と。
ボールと違う方を向く大分GK。立ち止まる大分DF達。 中払はその間を、タッタッタとそのままゴールに向かって軽くドリブル。 ゆる〜くシュートしました。 ボールは不機嫌そうに、ゴールの方に転がっていきました。
同点。
とにかく、試合は振り出しに。 その時、私の「なんか死ぬ程アホらし」気持ちはすーっと引いて これで良かったんだ、と「納得」しました。 スタンドは元のおとなしい西京極にやっと戻り、また日常が再開。
結果は後に黒部がPKを入れ、3ー2で京都の勝ち。 帰る頃は、「故意なされた大分の失点」の重大さは忘れ、 なんか変な試合だったよなーくらいにの感想しか残っていませんでした。
「後半、お互いに計4点も入ったのに、まったりした試合だったような。 ま、いつものサンガ戦らしくていいか。。。」
それが感想。大分小林監督の意図通り、まるで何もなかったように(笑)。 つまり大分監督に皆上手に丸め込まれた訳で。。。
互いの関係、交渉、対処事について、 厳しく主張し合う事で物事は運ぶ事もあるし、反対の譲り合う中で運ぶこともある。 スポーツは前者が強調されがちだけど、後者も信頼関係の慣習の中ではやはりルール。 (ブラジルではどうか知らないけど)
そこら辺のサッカー文化の精神は、嫌いじゃない。 眠いのでここらで。
(記憶に基づいて書いていますので間違いがあるかもしれません。 ただ、このように受け止めたという事で。。)
2003年03月01日(土) |
【ゼロックスカップ】〜 ポケットにしまわれた銀色のメダル |
3ー0の大敗であっても準優勝のメダルは渡される。 2ヶ月前の国立の歓喜に溢れた表彰台は、 今日はまるで罰ゲームの晒し台のようでした。 すぐそれを首からはずし、ポケットにしまう敗者サンガ選手。
3月1日 13時30分
翌日私は朝からハードスケジュールだった為、 河原町今出川のサッカー専門カフェバーでの観戦です。 少し地下に降りた薄暗い店内のカウンターの白壁になじみの両チームの選手。
智星の変わりに右ウイングに入っていたのは中払。 ただし以前のような3トップでなく、松井、中払は下がり、黒部の1トップ気味。
=前半=
京都がペースを掴む。 磐田のもたつきを見て、このままなら勝つかと思いました。 ただ、個々のプレスが効いて球を奪い、受け渡すだけで、 去年のような美しく絡み合う音楽のような 魅惑的な有機的な攻撃の形はまだできていません。
磐田のマークを振り切った単発的な攻撃は、 それで面白いけどアドリブまかせ。
ハーフタイム。 サッカーファンの店長と話しました。 かなりサンガの今年の成績について辛口の予想。 私「まあ、残留できたらいいんです。」 店長「それ(残留争い)はないよ(笑)。」 でも、この上に何かが続いていけばいい、というのが私の本音。
彼の冨田についての評価が低いのが気になったり。
=後半=
守備の若さとフラット3の弱点がもろ出た立て続けの失点。 藤田の2列目からの飛び出しにやられました。 (京都サポなら知っている通り、以前から磐田戦はいつもあんな感じ。 ただ、もう少し調整が進めば少しは違うとは思います。)
後半の終わりに、とりあえず攻撃の駒を全部投入、 攻撃オールスターをやってみたのですが、 松井さえいなくなると、前の6人はバラバラのカオス状態と。
みるみるうちに立ち直っていく大人のジュピロ。 前半とうって変わって落ち着き払った磐田に少し心奪われたり。
私達「終わったーーー。」 店長「だいじょうぶ?ローになっていない?」 私達「ローはローですよ(笑)。」
しかし、情けなくも大敗したサンガ選手が映ったとたん 「カッコ悪いーーー!」 「あのみっともないチームはどこ?」 「でもゼロックスに出ているという事はまがりなりにも何か優勝しているはず」 「紫というより赤っぽいから・・・・確か決勝に出てたのって鹿島?」 「きっとアントだよ。」 「なんだぁ。」
店長「だいじょうぶ?」
京都はけっして智星にだけ球を預けるチームじゃなかった。 でも、智星の不在で、前線で選手の動き、球を、サッカーを繋ぎ止めるポイントが なくなってしまった感じ。 もう、今回のように松井が不調だと、誰も前線でキープできない。
しかし皆陳腐に「智星の穴」「穴」言いますが・・・ 智星一人の具体的な穴というより、 問題は、智星がいない事によるバランスの崩れなんですから。
J一遅い始動。90分もたなかったフィジカル的な調整不足のみならず、 もう少しチームを煮詰めてまた料理しなおさないといけないご様子。 今度はジョンス君達も含めて、ね。
失った男について「あんないい所は彼にしかなかったのに」と嘆くよりも、 新しく現れた男、身近な男の別の素敵な良さを見出すことが先決。 同じ素敵な部分はもうなくても、別の良さを持った彼は割と簡単に現れたりするもの。
翌日。日曜の朝。 私の乗る私鉄は西京極駅を通りました。 非日常に続いた”聖地”(国立)でのアウェイ。遠く九州でのキャンプ。 そう言えば、ずいぶん長く彼らはここから旅に出ているような気がする。
紫の幕とポスターが駅に止まった電車の中から見えた時、小さな鈴のような声が。 「あ!ぱーぷるさんがだ、ぱーぷるさんがだよ。」 「ぱーぷるさんがだぁ。」 5歳くらいの幼い兄弟が指を指し、両親に抱き着いてました。
そう、早く私たちの元に帰ってこい。京都の日常に帰って来い。 又ここから始めたらいいから。
京都パープルサンガ ゼロックススーパーカップ準優勝
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