KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2018年10月27日(土) トルコに脚光

10月2日トルコイスランブールのサウジアラビア総領事館でサウジアラビアのジャーナリストの「ジャマル・カショギ氏」が殺害されました。トルコ政府はあたかも事前にこの事件発生を予想していたかのように、サウジアラビア人犯行グループの動静や、会話録音データ等の証拠を確保し、折り合いの悪いサウジアラビアの国際的な評判を危うくするような揺さ振りをかけています。

一方23日にはシリアの反政府組織に拘束され「人質」となっていた安田純平さんが解放されトルコ領内に戻りました。この人質事件解決にむけてはカタール政府の役割が大きかったようですが、シリア隣国のトルコ政府の役割も大きかったようです。安倍首相は両国の国名をあげて感謝の意を表明していました。

中東は、大きくアラビア半島、アナトリア半島(トルコ)、イラン台地(イラン)に分類できます。アラビア半島はアラブ人、アナトリア半島はトルコ人、イランはペルシャ人の社会となります。現在トルコの動向に目が離せません。トルコはイラン(ペルシャ)との良好な関係を維持してアラブ人社会に対抗しようとしているようです。勿論これに宗教がからみ、米・欧・ロシアの国際戦略が絡み、世界の原油生産拠点として中東の重要性が絡みますが、それを考えると頭がパンクします。



2018年10月17日(水) 久し振りに別所沼へ

9月12日(妻が倒れた日)以来、一か月超振りに「別所沼公園」に出かけました。公園の木々は落葉が進んですっかり秋らしくなっていました。朝一緒になる何人かの方に久し振りですねと声を掛けられました。公園に散歩に来る人達は年配の方が多いので、常連の方の姿が長期間姿を見せないと様々想像するみたいです。良い方での想像は「旅行」で、悪いほうの想像は入院であったりします。心配されていた方には妻の事情を簡潔にお知らせしました。

公園では毎朝のようにお会いする「犬を散歩させる方」も幾人かいます。一か月の不在中に9月に生後六か月だった「黒柴」がすっかり大きくなって「大人っぽく」なってしたのには驚きました。犬の成長は早いです。



2018年10月15日(月) 戸田の保管荷物

今日は「戸田中リハ病院」に行く道すがら、妻が荷物を預けている戸田の保管業者のところへ荷物を見に行ってきました。戸田市の国道17号線沿いにある業者さんの倉庫は偶然にも妻が入院した病院からそれほど遠くないところにありました。ここの倉庫は大変立派なものでかなりの量の荷物を預かっているようでした。

妻が急病・入院中で来れないので、私が身分を証明するものを持参して「夫」であることを示して荷物を見ることができました。10月末契約切れとなる通知を既に受け取っているので、これからいろいろ相談して契約を延長することを含めて対応していかなければなりません。



2018年10月13日(土) 戸田の渡し場

妻が転院した病院は埼京線戸田公園の駅近くにあります。戸田というと「戸田競艇場」があって税収面で戸田市を潤しているということですが、その戸田競艇場は荒川近くの「戸田漕艇場」の西端にあります。漕艇競技のメッカ戸田漕艇場は幻の1940年の東京オリンピックの漕艇競技場として、また荒川の治水対策として作られたのだそうです。1964年東京オリンピックで漕艇競技のメイン会場となりました。2020では有明に新しい競技場が作られるようです。



漕艇・ボートと荒川の水利を利用したスポーツが盛んな戸田ですが、江戸時代には中山道の戸田の渡しがありました。江戸防衛のため荒川には橋を掛けなかったのです。この戸田の渡し場には、寛保2年(1742年)には3艘の舟が、天保13年(1842年)には13艘の舟が渡しを行っていたとのことです。戸田の渡しは「板橋宿」と「蕨宿」の間にあります。江戸出発後の最初の難所であったと思われます。

下の写真は戸田の堤防沿いにある戸田渡し場跡の石碑です。不便な場所にあるのですが、妻が入院している病院からは歩いて行ける範囲でした。



2018年10月11日(木) 記念日

今日は妻の誕生日であると同時に私達の結婚記念日でもあります。結婚記念日は38回目となります。昨年の日記を見ると11日から「四国遍路(香川県)」を歩き始めていましたことが分かります。今年は妻が病院に入院中です。

「金婚式」もそれほど遠くないと安易に考えていましたが、妻の急病・入院を経験してみると、夫婦二人とも元気で長生きできるということは大変なことなのだと実感しています。これからどのように過ごしていくのか一度立ち止まって考えてみようかと思っています。



2018年10月10日(水) 戸田中リハ病院へ自転車で往復

今日武蔵浦和の自宅から戸田公園の「戸田中リハ病院」まで自転車で行ってきました。行きは郵便局に用があったため国道17号線を南下しました。この辺りの国道17号線は片道1車線ですが歩道が整備されているので走りやすく・安全な道となっています。信号間隔も比較的長いので自転車のスピードも出せます。しかし少し大回りなので片道40分かかりました。

帰りは「埼京線高架下」を走りました。埼京線の高架下は車の通行が禁止されていて、歩行者と自転車だけが通れます。自転車にとっては非常に安全で快適な道です。駅は「戸田」「北戸田」の二つを通過するのですが、駅周辺では少し迂回する必要があります。この道を通って35分で自宅に辿り着くことができました。しかしこの往復は大変体力を使うことが分かりました。電車を利用すればずっと早く楽な移動となることが明白となりました。



2018年10月09日(火) 妻が転院

今日の午前中、妻は入院していた東京港区の虎ノ門病院から、戸田市にある戸田中央リハビリテーション病院(戸田中リハ病院)に転院しました。9月12日に倒れ虎ノ門病院に救急搬送され緊急手術も含めて28日間お世話になりました。虎ノ門病院は急性期病院のため、リハビリテーション段階に達した患者はリハビリを専門的に行う病院に転院することになっています。勿論、急性期から急激に回復しリハビリテーション期間が極短い患者さんもいますが、妻は更なるリハビリが必要となっています。

リハビリ病院は虎ノ門病院から幾つかの候補を頂き、実際に行ってみてぢ宅から近い戸田中リハ病院に決めました。虎ノ門病院に見舞いに行くよりも大分楽になりそうです。虎ノ門病院は来年(平成31年)5月に新設している隣の病院ビルに移転します。ということは、現在の病院建物は大分古くなっているし、昔の作りなので使い勝手が悪くなっているといえます。例えば、エレベータが少ないために病院内の移動に時間が掛かったり、病室からリハビリテーションルームに移動する際には冷たい風が吹き抜ける通用口近くを通らなければならない等等は代表的なものです。ということで、リハビリを行うならばできるだけ早期にリハビリ専門病院に転院する方が良いと考えていました。

今日は息子に転院の送迎を担当してもらい娘には妻の付き添いをお願いしたので大変助かりました。仕事で忙しい二人には感謝感謝です。病院の支払いに時間を要してしまったため予定の退院時間から少し遅れてしまいましたが、午前11時頃には戸田中リハ病院に到着しました。戸田中リハ病院は自宅からは自転車で行ける範囲だと思いますし、電車を使えば30分かからない場所にあります。



2018年10月07日(日) 入院経過

妻は9月12日職場で倒れて近くの虎ノ門病院に搬送されました。それから約一か月経過しようやく一人でゆっくり歩くことができる程度に回復してきました。ここまでの経過を纏めておきます。

9月12日 午前11時頃職場で倒れる。
      職場の方が救急通報して救急車で近くの虎ノ門病院に搬送される。
      CTで検査し「脳室出血」と判明。
      大体血管から内視鏡を挿入して脳室出血箇所を捜索。
      出血箇所が特定されたため、右頭部から内視鏡を入れ止血・出血髄液を抽出

9月12日 集中治療室(ICU)で過ごす

9月13日 脳卒中ケアユニット(SCU)に移動。

9月24日 SCUを出て一般病棟(701号:ナースセンター正面)に移動

10月4日 ナースセンタ正面病室から少し離れた病室(733号)に移動

10月9日 戸田中央リハビリテーション病院転院予定



2018年10月03日(水) 妻転院日程決定

妻の転院が決まりました。転院先は「戸田中央リハビリテーション病院(戸田リハ病院)で10月9日の火曜日となりました。戸田リハ病院は満員で空きが出来次第ということでしたが、幸運にも10月第2週の空きに巡り合うことができました。

それまで虎ノ門病院では木曜・金曜と二日間のリハビリテーションがあります。虎ノ門でできるだけ回復しておくと「戸田リハ」での回復訓練も楽になりますので妻にはできるだけ院内を歩いて欲しいと思います。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加