KENの日記
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2018年09月29日(土) 妻は徐々に回復

妻は徐々にではありますが回復しつつあります。昨日のリハビリテーションで介助付きではありますが「杖」をついた歩行に合格し、病室からトイレへの移動が「杖歩行」に代わりました。歩行器だとどうしても腕の力で体重を支えてしまい自然な歩行ができませんでしたが、「杖」を使うとしっかり片足に体重が載り、もう一方の足の負荷が完全に軽減されるため、「お尻の痛み」も少ないようです。

しかし、2週間以上ベッドの横になっていたので筋肉の衰えが酷いために、筋力が基に戻るまではゆっくりとそして短時間歩くことにならざるを得ません。また「お尻の痛み」は「就寝前にロキソニンを飲んだ時には軽減されていた」と妻が突然口に出しました。張り薬のロキソニン以外が処方されたことは初耳でした。看護婦さんに確認すると確かに入院当初に夜間痛み軽減のために「ロキソニン飲み薬」が与えられていたことが分かりました。飲み薬で「痛み」が軽減されるというので、早速今日からロキソニンを頂くことにしました。そのお陰か今日は比較的痛みが治まっていたようです。



2018年09月27日(木) 戸田中央リハビリテーション病院訪問

妻が入院している「虎ノ門病院」は「急性期医療」を担う病院です。「急性期」とは病気が発症し急激に健康が失われ不健康となった状態をいい、発症後おおよそ14日間以内が急性期の目安となるのだそうです。その間患者に必要となる医療を提供する病院が「急性期病院とされます。従って急病の患者はまず「急性期病院」に搬送されることとなります。

一方、急性期の治療を終えた患者は病気のためあるいは入院のために通常の生活を自立して送る機能が低下してしまう場合があります。こうした患者の機能回復を専門に行う病院がリハビリテーション病院です。虎ノ門病院から紹介された幾つかのリハビリテーション病院の中で妻が転院するのに一番便利だと思われたのが「戸田中央リハビリテーション病院」です。今日は虎ノ門病院に妻の見舞いにいく前に「戸田公園」で埼京線を途中下車して戸田中央リハビリテーション病院に相談に行ってきました。

戸田中央リハビリテーション病院は戸田公園駅から5分ほどの場所にありました。戸田中央病院の直ぐ近くにある同系列のリハビリ専門病院です。港区虎ノ門よりはずっと家に近いので見舞いに通うにはずっと便利です。戸田中央リハビリ病院では10月の第2週にベッドに空きが出そうなので、そのタイミングで転院可能かどうか虎ノ門病院と調整頂くことになりました。

本音を言うとそれまで(10月中旬)までに妻が回復して直接自宅に戻れれば一番好ましいのですが。



2018年09月24日(月) 妻手術後の抜鈎・スマホ故障

妻の手術から12日間が経過し、妻の頭の手術箇所の抜鈎が行われました。私は抜鈎に立ち会えませんでしたが10数個のステイプルのような小さな金属「鈎」が抜かれたとのことです。妻の容体は日に日に安定した状態となってきました。

手術以来毎日病院に通って看護のお手伝いをしていますが、手術当初の頃は状態が安定せず、状態の良い日には喜んで帰り、状態の良くない日は落ち込んで帰宅するという精神的に辛い日が続きましたが、最近では安定してきたお陰で看護の疲れもそれほど気にならなくなりました。(慣れたのな)

兎に角、自分の感覚で急いだり、焦ったりしても仕方がないことなので、妻の回復テンポに合わせていかなければならないと戒めています。長期戦でもへこたれない態勢を作り上げ、自分の体力を維持していかなければならないと考えています。そのため長男・長女の力も借りたいと思っています。



昨日の夜、スマホの右側側面が膨らんでいることに気づきました。以前妻のスマホで経験したバッテリーの膨張の影響だと直感的に判断できました。幸いHUAWEIカスタマーセンターが有楽町にあったので病院に行く前にカスタマーセンタで修理してもらいました。約1時間の修理時間でバッテリー・液晶を無料交換していただきました。毎日出かけていますので連絡手段としてスマホは欠かせません。スピーディーに修理してもらって大助かりでした。



2018年09月19日(水) 妻・鼻官が外れる

入院している妻は、食事(流動食)を口から食べる(嚥下)試験に合格しました。これまで誤飲で肺を痛めることを避けるために、栄養剤や薬を直接胃に流し込むために装着されていた「鼻管」を外してもらうことができました。妻は自分の口から自分で噛んで思い切り食べたので、久し振りに食事を食べた感じを味わったようです。しまし、流動性の高い「水や味噌汁」はまだ誤飲の可能性があるので「粘り」を着けて飲んでいます。

寝ている間に鼻官を無意識に抜かないようにと就寝前に両手に「エリザベスカラー」が装着されていましたが、これも今晩からは外れることとなりました。このエリザベスカラーは看護婦さんの目の届かないときには装着することとなっているのですが、お願いして私が付き添っている間は外してもらうことにしていたものです。そのためにできるだけ長く病院に居るようにしてきました。エリザベスカラーは両手が自由にならないので患者にとっては苦痛の種ですが、患者の安全上必要なものでした。

身体に付いていた沢山の管が少しずつ取れていき、エリザベスカラーも無くなることは回復の証なのでとてもうれしいです。



2018年09月12日(水) 妻が緊急手術

午前11時頃買い物に出かける準備をしてから、パソコンで続きの作業をしていたところ、11過ぎに妻の職場から電話が入りました。「妻の希が頭痛と吐き気で倒れた。直ぐにオフィスまで来てくれ。妻は職場の同僚に付き添われて救急病院に向かった」というものでした。妻は朝8時前に何時もと変わらずに仕事に出かけました。「突然の頭痛・吐き気」という言葉に瞬間的に妻の母、妻の弟さんの病気のことが思い浮かびました。

職場から救急搬送されたとしてもそれ程遠くないだろうと推定してとにかく急いで新橋に向かいました。武蔵浦和発11時52分の埼京線で赤羽にでて丁度来合わせた「上野東京ライン」に乗りました。上野東京ラインの電車の中で虎ノ門病院の女性医師から電話を受けました。「妻は脳出血で虎ノ門病院に搬送された。緊急手術する必要があるが、その前に脳の出血場所を特定するためカテーテル検査をしなければならない。危険もあるが手術には欠かせない。了承してもらえるか。私が病院に到着する前に検査を始める必要があるかもしれないので了承してくれ」というものでした。

新橋にある妻の職場に向かうのは後にして、職場から遠くない「虎ノ門病院」に向かい午後1時前に病院の到着しました。総合案内で案内された緊急搬送受け入れのB1緊急治療室出口でベッドで運ばれる希に出会いました。これから4Fの検査室に向かうところでした。検査を担当するという若い医師から急いで検査の概要・危険性を伺い同意書に署名して妻を送りました。妻は午後1時過ぎに検査室に向かいました。眠っているようでした。

検査は2・3時間かかるとのことでした。妻が検査を受けている間に「娘・息子」に電話連絡して取り合えず病院に来るように知らせ、混雑する病院で入院手続きをしました。どのような入院形態になるのか全く事情は分かりませんがとにかく沢山の書類にサインしました。

3時少し前に4階待合室でカテーテル検査の終了を待っていると代々木上原で勤めている娘が3時前に到着して合流しました。そして3時15分頃に検査を担当した若い女性医師がやってきて検査結果の話を伺うこととなりました。「脳室内に血液が出血している右脳室血管に小さな「溜」が見つかったのでここから出血したものと考えられる。出血した血液を取り出すとともに出血部位の縫合を行う手術が必要」とのこと。出血したままにしておくと「水頭症」になる恐れ高いということ、手術は頭蓋骨に直径2cm程の穴をあけ脳室まで脳に穴を開けて内視鏡を通して行うとのこと。しかし手術中に出血が酷くなったり様態が急変したような場合には医師の判断で開頭手術に切り替える場合があることなどを留意点を伺いました。娘とも相談し緊急手術していただくことにしました。手術には3時間程度かかり、その前に麻酔処置のために1時間程度かかるとのこと。4時少し前に手術室に向かう妻を娘と二人で見送りました。妻は意識があり私と娘を見つけて安心したようでした。

麻酔と手術で4時間程度掛かる見込みなので、再び4階集中治療室の待合室で待つことなりました。このころ息子も車で病院に駆けつけました。取り合えずこの待ち時間を利用して病院からそれほど遠くない妻の職場に行って経過報告やら救急搬送のお礼をしました。職場の先生の話は以下の通りでした。頭痛と吐き気が大変酷かったので直ぐに119番に通報した。救急車は驚くほど速く到着した。近くを通ていった救急車(多分虎ノ門病院からの帰り)が直ぐに駆けつけたようだとのことでした。虎ノ門病院は直ぐ近くなので119番に通報してから15分程度で病院に収容されたのではないか。その意味では大変幸運だったいえるのではないかと話していました。

病院に戻って妻の弟さんと私の弟に連絡しました。同じような脳の出血を経験している妻の弟さんも病院に駆けつけるということになりました。近くのファミマでお結び・サンドイッチを買ってきて待合室で夕食を取りました。私は昼食を食べるのを忘れていました。

8時前に手術を担当された医師の方がお見えになり手術の経過・結果について説明していただきました。最も順調に行っても最短4時間程度かかると知らされていいたので8時前に先生が来られたので少し驚きました。集中治療室のパソコンの前で妻の脳のCT画像を見ながら手術の経過・結果を聞きました。

妻のCT画像では「右・左(第一・第二)の脳室」の出血を示す白い部分は奇麗に取り払われ正常を示す「黒色」となっていました。第一脳室の血管の出血場所と思われる所は縫い合わせたとのことでした。手術は右脳室に近い脳に内視鏡を通す穴を開けて行われました。右脳室で起こった出血は第3脳室を経て「第2(左)脳室」に拡大するとともに、第3脳室から脊髄に向かう第4脳室に達していました。第3・第四脳室に及んだ出血は取れてはいません。しかし脳室の容積では左右側脳室(第一・第二)の容積が圧倒的大きくここの髄液に血液が多く含まれていることは大変危険な状態であったとのことでした。

第3・第4脳室は脳の奥深いため内視鏡で到達することは大変危険であるとのことでした。脳室を満たしている「髄液」は「第3脳室に流れ出し「左右の側脳室」・第四脳室を循環するものだそうです。第一脳室の出血がとまり、新たに作られる奇麗な髄液が循環しだすと、次第に脳室内に残った血液は薄められ正常に戻っていく仕組みになるようです。手術は順調に終了したようです。出血場所が違っていて探すことが出来ず出血を止められなかった場合には開頭手術に切り替える可能性もありました。

手術室から集中治療室に戻った妻は沢山の管が接続されていました。呼び変えるとウッスラと目を開けてこちらを認識するようでした。今晩容体が急変しなければ大丈夫だとのことでした。駆けつけた5人はこの日は一旦夫々の自宅に戻ることにしました。私と娘は息子夫婦の車で埼玉の家まで送ってもらいました。自宅に戻って娘に手伝ってもらって明日病院に持っていく物を準備してキャリーバックに詰めました。大変長い一日でした。



2018年09月09日(日) 大坂なおみが全米オープンテニスで優勝

テニスの全米オープン女子シングルス決勝は、9日(日本時間)大坂なおみ選手とセリーナ・ウィリアムズ(米国)との間で戦われ、6−2、6−4で大坂選手がセリーナを破り日本人初の四大大会シングルス優勝を果たしました。大坂選手は準決勝でも2セット先取して勝ちセリーナとの決勝戦でも1セットを失わずに勝利しました。この強さは本物だと思います。

大坂選手は最近のテニスで「我慢」を口にすることが多かったのです。ラリーでも難しいボールで無理して決めようとはせずに相手の「根負け」を待って決めるようになりました。勿論「決め球」でないボールが相当厳しいボールを返すので、さすがのセリーナにも隙入る余地を与えませんでした。残る強敵は大坂なおみとタイプが似ているビーナス・ウイリアムズだと思います。いずれメジャー大会で雌雄を決する時が来るでしょう。



2018年09月06日(木) 北海道地震

台風直撃で西日本に大被害が発生した直後の6日早朝に北海道で震度7を記録する地震が発生しました。この地震では崖崩れなどで多くの被害が出ているもようです。震源地に近い「新千歳空港」も大きな被害を受けました。台風で被害を被った「関西新空港」が霞んでしまいそうです。

今回の北海道地震では北海道内で停電が起こっているようです。高層マンションではエレベーターが使えないことに加えて、水も出なくなりますので酷いことになります。重い水を抱えて階段は延々と登ることになりかねません。便利で逞しい現代都市の象徴のような高層マンションですが、大規模災害時には大変脆弱なものとなります。



2018年09月05日(水) 台風西日本上陸・関空大被害

台風21号は強い勢力を維持しながら、4日に四国徳島県に上陸し、近畿地方を北上し日本海に抜けました。強い勢力を維持していたことと台風接近が高潮の時期と重なったため、高潮と暴風で近畿地方は大きな被害を受けました。

関西空港では、航空機燃料の運搬を終えたタンカーが暴風にあって漂流して連絡橋に衝突して「余計な」損害を与えました。このタンカーは約3000トンの中型タンカーで、燃料を下した後暴風に備えて連絡橋の南約2.5Kmの海域で錨を下ろして停泊していたものです。

台風の大阪湾通過時には秒速50mを超える南風が吹きました。燃料をおろして軽くなったタンカーは喫水が小さくなり海面上の出ている容積が増えています。台風接近の伴う海面水位の上昇もあってか錨の効果なく漂流し始めてしまったようです。

しかし、なぜ連絡橋の南側に停泊していたのか理由が分かりません。台風の風は南から吹くことは分かっています。関西空港島や連絡橋は台風の「風・波」を防ぐ機能は全くありません。空港島近くに停泊するのなら島の北側に停泊すべきだったと思います。そしてそもそも風・波を避けることのできる場所まで航行できなかったのか。台風情報は事前に分かりますからもっと安全対策に異を注ぐ必要があったのではないかと考えます。

海底ケーブル船に乗船していた時に「台風接近に伴う緊急出港」を経験しました。長崎港の停泊岸壁に係留していた「船」は長崎港長の指示に基づき長崎港を出て、長崎半島の西側の入り江に停泊して台風をやり過ごしたのでした。自然を相手にする「船」は慎重の上にも慎重に状況を判断し、「もしも」のことが無いように行動しなければなりません。台風一過の早朝に海上保安庁からの電話を偶然のも受けました。入り江近くに住む人が早朝に大きな船が入り江に浮かんでいることに驚き、台風で座礁したのではないかと保安庁に連絡したのでした。台風接近時の経緯をお話しして了解となりました。




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