2018年08月26日(日) |
川口リリアでコンサート |
今日川口りりあ音楽ホールで「ルートヴィッヒ室内管弦楽団」の定期演奏会が開催されました。招待チケットに応募していたところ当選したので聞きに行ったものです。メインはベートーベンの交響曲8番ですが、サブで「シューマンのチェロ協奏曲」を安田謙一郎さんのソロで演奏するということなので楽しみにしていたものです。
川口リリアホールは川口駅前なので電車乗り換えはありますが、列車の連絡がスムーズ行けば時間がそれほどかかりません。暑かったですが歩く距離が短かったので助かりました。リリアの大ホールは何度か行っていますが、音楽ホールは初めてです。細長いホールで適当な大きさのホールでした。コンサートのプログラムは以下の通りでした。
ルートヴィッヒ室内管弦楽団第16回定期演奏会
モーツアルト:歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
シューマン:チェロ協奏曲 Op.129
アンコール:カタルーニャ民謡 鳥の歌
ベートーヴェン:交響曲第8番 Op。93
アンコール:バッハ G線上のアリア
演 奏:ルートヴィッヒ室内管弦楽団 指 揮:鷲見謙治 チェロ:安田謙一郎 平成30年8月26日、川口リリア音楽ホール
安田謙一郎さんのチェロ協奏曲をじっくり「観る」ために前から2列目のセンター少し左側の席を確保しました。ネット情報によると安田さんは昭和44年生まれで今年74歳になります。ボーイングは力強く、音程・音色は確実で大変な演奏だったと思いました。10歳以上若自分が「肩が固い・痛い」などと言い訳をしているのが恥ずかしくなりました。
2005年にメータと一緒にムンバイにやってきた「ロストロポーヴィッチ」のドボコンを聞きました。当時78歳のロストロポーヴィッチのしっかりした演奏に感動したものでした。ロストロポーヴィッチの演奏でも感じましたが、名人でも最初の出だしの音程とか、いきなりの強いボーイング・最初に登場する速いパッセージなどには細心の注意を払っていることが分かります。そして「音楽」が定常状態になると、次第に表現の幅が拡大していいくのです。安田さんのシューマンも演奏もそういう繊細にコントロールされた演奏だと思いました。アンコールの「鳥の歌」が見事でした。
ルートヴィッヒ室内管弦楽団は15名程の団員と10名以上の「トラ」での演奏でした。ベートーヴェンの交響曲を演奏することを一つの目的として結成されたようですが、ヴィオラ・コントラバス・ファゴット・打楽器には団員はいないようです。ベートーベンの大曲を普段どのように練習しているのか、さぞ大変だろうと想像されました。
2018年08月21日(火) |
夏高校野球:大阪桐蔭優勝 |
夏の高校野球(100回記念大会)は、秋田金足農業と大阪桐蔭の決勝戦が行われ、大阪桐蔭高校が「13×2」の大差をつけて優勝しました。今回は秋田の県立金足農業が「吉田」投手が予選から甲子園大会準決勝まで一人で投げ抜いてきたことで話題になりました。決勝戦では5回裏に大量6点を奪われて降板しました。
大阪桐蔭は隙の無い「全員野球」で金足農業を退けました。どこからでも点を取れる打線は破壊力十分ですし、ショートを守る超高校級運動神経の「根尾」君が内野守備を纏めているし、強打者「藤原」は打撃に加えて走塁・守備でも素晴らしいプレーを見せてくれました。大阪桐蔭はチーム総合力で歴代優勝校の中でもトップクラスだと思いました。
「大阪桐蔭」高校は大阪大東市にあります。国道170号線(東高野街道)に面しています。大阪勤務時代は東大阪市平岡の社宅に住んでいましたが、生駒山の裾野を南北に走る国道170号線を走ると大阪桐蔭高校は社宅から程近い場所にあることが分かりました。もっとも当時の大阪桐蔭高校は新設間もない時期で強豪校ではありませんでした。
東高野街道は古くからの幹線として有名な街道でした。沿線の大東市・東大阪市・八尾氏などの「河内地方」は独特な雰囲気を持っていました。この道には随分お世話になりました。
2018年08月19日(日) |
「征け征けデリーへ」 |
昨日「テャンドラ・ボース追善法要」の後の軽食時に何院かの参列者の方とお話ししたのですが、その中で「チャローデリー(征け征けデリー)」の歌が話題になりました。私はインド国民軍がインバール作戦でインドに向けて進軍する時に歌われた歌だとは知っていましたが、旋律などは知らなかったので今日ネットで調べてみました。
この歌の題は「Qadam Qadam Badhaye Ja」と言います。1942年に「Pt. Vanshidhar Shukla」の詩に「Ram Singh Thakuri」が曲を付けたのだそうです。ネットで聞くことができる曲は大変印象的で力強いものです。インバール作戦は日本にとっては非常に問題の多い、悪名高い作戦ですが、インド独立を目指す「チャンドラ・ボース」と「インド国民軍」にとっては祖国回復を目指す崇高な戦いだったことが聞き取れます。
2018年08月18日(土) |
スバッシュ・チャンドラ・ボース74回忌 |
今日8月18日はインドの独立活動の英雄「ネタジ・スバッシュ・チャンドラ・ボース」の74回忌でした。杉並区の蓮光寺では例年のとおり午後一時から法要が営まれました。個人的な「思い入れ」が強いことから法要に参列してきました。
今年の法要は珍しく「土曜日」に当たりますので、インド人の方の出席が多く、友人同士で誘い合ってきた方々に加えて小さな子供を連れた家族連れの参列も多くありました。夏の休日を家族で外出して楽しんだという感じの方が多かったようです。
「チャンドラ・ボース」に直接関係している方々は既に亡くなってしまい、ボースの関係者の参列は「ボース」に関係した方々の「子供・孫」の世代になっています。そして先の太平洋戦争を直接経験している人の数も減ってきているので、参列者の挨拶なども「直接のエピソード」より「伝聞情報」が多くなっています。これは仕方がない状況だと思いますが、戦争を直接知っている方々から話を聞いておくことが大切なことだと思いました。
夜は息子夫婦と娘私達夫婦の5人で武蔵浦和駅近くで夕食を食べました。息子夫婦は昨年10月に結婚してから初めてのお盆ということで、長野県須坂市にある墓参りと親しい親戚への挨拶のために信州に行ってきたのでその報告を聞きました。レストランは「プルチャーク」で手頃な価格のワインと美味しい料理が楽しめました。
2018年08月15日(水) |
78歳のボランティアがすごい |
12日から行方不明になっていた2歳の「藤本理稀ちゃん」が今朝無事に発見されました。発見したのはボランティアで捜索に参加した「尾畠春夫さん」78歳だそうです。尾畠さんはこれまで東日本震災や西日本豪雨でボランティア活動を続けてきたボランティア界では大変有名な方だそうです。今回は二日半捜索しても見つからなかった「藤本理稀ちゃん」をボランティアで捜索開始後30分位で見つけてしまいました。
「尾畠春夫さん」は65歳で「魚屋」を辞めその後は「恩返しのため」にボランティア活動を続けています。移動手段・宿泊手段は自家用車。ボランティアの方法は様々ありますが、もっともコストが掛らない・過酷な活動形態です。現地での食料調達・風呂・トイレなど不便であっても自分で何とか解決してしまう「レジエリエント」な方のようです。
山口県の大島とは幾つかの接点がありました。大学時代の友人の生まれ故郷で大学卒業直後広島勤務時代に大島の友人の実家に遊びに行ったことがありました。大変な御馳走を頂いた記憶が残っています。最近では「海底ケーブル敷設船」に乗っている時に瀬戸内海のケーブル修理で大島付近で工事をしました。瀬戸内海での工事の経験はこの一件だけなので、瀬戸内海の航海は西の下関から入って大島付近まで航行しただけとなりました。
2018年08月12日(日) |
ベルリンフィル ワルトビューネコンサート2018 |
この夏に退任するサイモン・ラトル指揮でベルリンフィル・ワルトビューネコンサートの模様を録画で見ました。ゲストはラトルの奥様の「マグダレーナ・コジュナー」でした。ラトルにとっては最後のワルトビューネとなるので結構思い入れの深いこんさーとであったようです。コンサートのプロフラムは以下でした。
ジョージ・ガーシュウィン キューバ序曲
ガブリエル・フォーレ 《パヴァーヌ》
ジョゼフ・カントルーブ《オーヴェルニュの歌》(抜粋) マグダレーナ・コジェナー(メゾソプラノ)
アラム・ハチャトゥリアン《ガイーヌ》第3組曲より第2曲〈クルドの若者たちの踊り〉
アラム・ハチャトゥリアン《ガイーヌ》第1組曲より第7曲〈ガイーヌのアダージョ〉
アラム・ハチャトゥリアン《ガイーヌ》第1組曲より第8曲〈レズギンカ〉
オットリーノ・レスピーギ《ローマの松》
(アンコール) クラウディオ・モンテヴェルディ マドリガル〈苦しみは甘く〉 マグダレーナ・コジェナー(メゾソプラノ)
エドワード・エルガー《威風堂々》第1番
ジョン・フィリップ・スーザ《自由の鐘》
パウル・リンケ《ベルリンの風》
2018年6月24日 ヴァルトビューネ・コンサート2018
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 MS:マグダレーナ・コジェナー 指揮:サー・サイモン・ラトル
雨天の野外会場でしたが、サイモン・ラトルの「さよならコンサート」としてそれなりに盛り上がったコンサートだったと思いました。取り上げられた曲目は非常に多彩で(悪くいけば統一感が無く)でオールマイティ・ラトルに相応しいものだったと思いまます。
「コジュナー」をゲストに迎えるとホテルはラトルで一緒で済むでしょうから主催者としては便利なことは分かりますが、最近はちょっと「呼び過ぎ」の感があります。ベテランの味はありますが、新進気鋭の歌手を聞きたい聴衆も多いはずです。クラシック界でも「セクハラ・パワハラ問題の嵐」が吹き荒れていますので、そうした問題の無い(ように見える)ラトル・コジュナー夫妻は模範的なカップルとしては大変健全に見えます。
さて次の「キリル・ペトレンコ」がどのような音楽を聞かせてくれるのか、少し不安もありますが期待しています。
2018年08月07日(火) |
スバッシュ・チャンドラ・ボースに関する情報 |
少し古い情報ですが、8月18日に杉並区蓮光寺で行われる予定の「チャンドラ・ボース法要」に関する情報を検索していたら、インドの新聞に下記の記事があることを発見しました。昨年の5月31日「Times of India」の記事です。
「Bose died in 1945: Government」(May 31, 2017, 23:17 IST) Netaji Subhas Chandra Bose died in an aircrash in 1945, the government said on Wednesday, putting to an end a controversy that refuses to be buried about the freedom fighter having survived the accident.
日本語訳 「スバッシュ・チャンドラ・ボースは1945に亡くなっていた」 インド政府は、スバッシュ・チャンドラ・ボースは1945年の飛行機事故で亡くなったと公式に認めた。(情報開示請求に回答する形で表明)これにより独立の志士スバッシュ・チャンドラ・ボースは飛行機事故で生き残り、彼を歴史に葬ることを拒絶してきた論争に終止符が打たれた。
インド政府は「スバッシュ・チャンドラ・ボース」が1945年8月18日台湾松山空港の飛行機事故で亡くなったという説をずっと拒否してきました。インド政府は何回か調査団を組織して調査をしてきました。最新では2015年にこれまでの物証を徹底的に洗い直した作業もあります。今回はその調査の結果として一定の結論を出したものです。今回の政府回答の中では「テャンドラ・ボースは1953年に亡命先のロシアからひそかに帰国しバグワーン・ジーという隠遁者となってインドで暮らし1985年に亡くなった」とする説を否定し、この隠遁者はボースとは別人であると結論づけています。
このインド政府の見解表明が杉並区蓮光寺に安置保管されている「スバッシュ・チャンドラ・ボース」の遺骨の取り扱いについてどのような変化をもたらすでしょうか。今年の法要は例年どおり8月18日午後1時から執り行われるようです。
2018年08月05日(日) |
スリランカ・フェスティバル2018 |
代々木公園イベント広場で行われている「スリランカフェスティバル2018」を見てきました。日曜日午後の今日も関東地方は猛暑ですが、原宿の街は相変わらず多くの人で賑わっていました。暑さに負けない若者と外国人の活動力は大したものだと思いました。
スリランカフェスティバルを見るのは数年ぶりです。前回の記憶を辿ってみると「出店」の数が減っていて来場もそれほど多くなかったので、「スリランカフェステバル」人気は少し陰りがあるのかなと感じたことを思い出したのですが、今回2018版は出店数も多く、暑さにも関わらず来場者が多く活況を呈していることが印象的でした。
野外ステージではスリランカ伝統舞踊や賑やかなボリウッドダンス等が披露されていました。こうしたスリランカ文化紹介イベントについては来日スリランカ人は殆ど興味がないようです。スリランカファンの日本人の楽しみ方・在日スリランカ人の楽しみ方が「少しずれている」感じがします。いつまでも「キャンディダンス」でもないなと思いました。
スリランカではリベラルな「シリセーナ大統領」が任期6年の半分を経過しました。強権的なラジャパクサ前大統領の手法とは違って「漸進的」な経済改革が次第に実を結び始めているようです。前大統領の新中国路線も少しづつ修正されているようです。しかし中国の圧力やら内戦後の民族対立融和、そして内戦で破壊された北部・東部地域の復興、被害を負ったタミール人支援は簡単には進まないようです。
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