KENの日記
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2017年11月30日(木) 「港珠澳大橋」来年完成

香港と「澳門(マカオ)・珠海(ズーハイ)」を結ぶ「港珠澳大橋」が来年中にも完成するという報道がありました。この橋の全長は55Kmで世界最長となる模様です。ルートは香港国際空港から西に向かい一部海底トンネルを通過してから海上に上がり、マカオ国際空港の東側の埋め立て地に繋がり、そこからマカオと珠海に向けて分岐するものです。澳門と香港の間は高速フェリーで55分かかっていました。乗船準備時間等を考えれば1時間30分程度かかっていましたが、この橋ができると香港と澳門は30分で結ばれることになるということです。

香港と澳門の観光客数は夫々2700万人、1400万人世界的にも有数の観光地となっています。この香港・澳門だけでなく「珠江」の周りの「珠海」「中山」はアヘン戦争戦跡・孫文生誕地など観光名所が豊富です。この橋完成を契機にこの地域への観光需要は更に高まることでしょう。



2017年11月29日(水) 小春日和







今日は朝から晴れていました。別所沼公演の紅葉が朝日に映えてとても奇麗でした。明日から再び天気が崩れるだろうという予報なので、今日はマンションのガラスと網戸の掃除をすることにしました。夏の台風前に掃除しただけなのでガラスも網戸も汚れていました。天気が良く日が差していたので「水」洗いも全く苦にならなかったのでラッキーでした。あと数日で12月なのです。



2017年11月28日(火) 楽器ケースの「取っ手」交換



楽器ケースの「取っ手」が壊れてしまってから随分時間が過ぎていました。というのはこのタイプの「取っ手取付部品」にあうような「取っ手」が見つからなかったからです。「取っ手部品」が探せないのなら「取っ手」の代わりになるような物を探して代用することにしました。考えたのは「結束バンド」と「ベルトカバー」です。ダイソウの100円均一用品で「「ワンタッチバンド(面ファスナー付き)」と「ショルダーベルトパッド」を購入しました。



幅2.5cm×40cmのワンタッチバンド(結束バンド)を取り付けた様子です。少し頼りない感じです。まだ「取っ手」という処まで行っていません。



同じく100円均一の「ショルダーベルトパッド」で「結束バンド」を取り纏めるとこのようになります。大分持ち易くなりました。強度は十分とは言えませんが取り合えず「取っ手」が復活しました。これで楽器持ち運びが便利になりそうです。



2017年11月25日(土) 鶴岡俊介さんのピアノリサイタル

午後日比谷の松尾ホールで行われた「鶴岡俊介さん」のピアノリサイタルを聞いてきました。

プログラム
プレリュードとフーガ(リスト編曲)イ短調 BWV543 J.S.バッハ作曲
二つの狂詩曲 Op79の1ロ短調 J.ブラームス作曲
ピアノソナタ第17番「テンペスト」ニ短調Op.31−2
(休憩)

「クープランの墓」よりプレリュードとフーガ M.ラベル作曲
二つの狂詩曲 Op79の2ト短調 J.ブラームス作曲
ピアノソナタ第23番「熱情」へ短調Op.57

アンコール
ショパンノクターン、前奏曲、英雄ポロネーズ

会場の松尾ホールは日比谷通りのマリンビル地下にあり客席は70人分程。松尾楽器ショールームにあるので当然ですが舞台上はスタインウェイフルコンサートが設えられています。前の右側の席に座ったのでスタインウェイの強靭な音を楽しむことができました。

プログラムはバッハ・ブラームス・ベートーベンを並べ、しかも短調の曲が多かったのでやや硬い印象のリサイタルだったと思います。鶴岡さんが訥々と演奏曲目を解説されました。夫々の作品番号を紹介しながら各曲の作曲年代を自分と比べられたように作曲者の意図だとか気持ちを考えながら準備されてようで、非常に真面目に楽曲に取り組まれていることが分かりました。

演奏はそうした姿勢が表れていて真正面から取り組んでいると感じられました。低音・高音で随所に豪華な音が披露されましたが、曲の終わりの「和音」を自ら慈しむかのように左上方をじっと見つめる仕草が印象的でした。私としてはアンコールではモーツァルトの曲でも聞きたいなと思いましたが、アンコール3曲ともショパンでした。英雄ポロネーズは非常に気合の入った演奏でした。



2017年11月23日(木) ホロストフスキーさん死去

ロシア出身のバリトン歌手「ディミートリー・ホロストフスキーさん」11月22日、自宅のあるロンドンで死去しました。2015年に脳腫瘍が見つかりそれから脳腫瘍との戦いが続いてきました。今年2107年10月16日に55歳の誕生日を迎えていました。それから一か月余り後の訃報でした。

ホロストフスキーは一時期「シベリアンタイガー」という綽名が付けられていました。白い長髪と精悍な顔、鍛え上げた身体は、西側の聴衆にとってロシアからやってきた強く・謎を秘めた「白いシベリア虎」でした。

この容姿で途轍もない甘い声で歌うのですから女性ファンが騒ぐのは無理ありませんでした。特にシルヴィオがネッダを口説く場面(道化師)のような色男の歌が最高でした。ハンプソンが「紳士」を装って甘く迫る迫るのに対し、ホロストフスキーは少し「悪」「不良」のような振る舞いで女性の母性本能を擽って口説くタイプでした。

我が家にあるホロストフスキーの古いビデオとしては2003年のペトログラード建都300年記念コンサート(2003)とプロムス2006最終日コンサートがあります。プロムスのビデオを取り出して見ました。「モスクワの夕べ」をじっくり歌っていました。

ホロストフスキーを失ったオペラ界は大変寂しくなります。これから熟年の味を出して幅広い役で活躍して欲しかっただけに残念です。ご冥福を祈ります。

(追記)脳腫瘍で亡くなった「歌手」として「ルチア・ポップ」のことを思い出しました。ポップは1993年11月16日に脳腫瘍で54歳の若さで亡くなっていました。ホロストフスキーと符合することが多いことに驚きました。



2017年11月20日(月) ワイドショーネタが豊富「貴乃花の乱?」

「日馬富士暴行事件」は予想外の展開となってきました。ここにきて「日馬富士の今後の進退問題」に加えて「貴乃花親方」×「日本相撲協会執行部」の対立が表面化してきました。最近の日本相撲協会の理事長選挙には「千代の富士」問題がありましたが、表面にはなかなかでないドロドロしたものがあるようです。今回もそうした過去の怨恨を引きずっているのかも知れません。

約一か月前の10月22日は総選挙がありました。その際に「民進党」を分解し小池さんに手玉に取られた「前原代表」や「排除」で一気に人気を落とした「小池東京都知事」の関する報道で賑やかだったテレビは今や「日馬富士事件」で持ち切りです。これが「貴乃花親方の乱」に変遷していくのは時間の問題です。

「前原代表、小池東京都知事、貴乃花親方」それぞれ十分考えての行動だとは思います。それぞれ見識と経験豊かな人達であると思いますが、「人生の岐路での判断」で躓くことがあるのだなと感慨を深くします。本能寺を攻めた明智光秀、薩摩の支援者の気持ちを切り捨てられ無かった「西郷隆盛」など歴史上の決断が失敗に終わった出来事は数多あります。

但し現在は情報社会です。様々な情報を瞬時に入手できます。周囲の状況を把握し自分に有利でない状況となったらば戦略を変更できると思うのです。状況を冷静に評価して少しでも関係者の被害を少なくする手立てを考えるべきであると思います。



2017年11月18日(土) ネトレプコの「アイーダ」

ザルツブルク音楽祭2017 歌劇「アイーダ」
<作曲> ヴェルディ

<出 演>
アムネリス:エカテリーナ・セメンチュク
アイーダ:アンナ・ネトレプコ
ラダメス:フランチェスコ・メーリ
ロベルト・タリアヴィーニ(エジプト王)
ディミートリ・ベロセルスキー(ランフィス)
ルカ・サルシ(アモナスロ) 

<合 唱>ウィーン国立歌劇場合唱団
<管弦楽>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<指 揮>リッカルド・ムーティ
<演 出>シリン・ネシャット
<収録>収録:2017年8月9・12日 ザルツブルク祝祭大劇場

ネトレプコ発のアイーダということで非常に注目された公演でした。早速NHKプレミアムシアターで放映されたのは非常に有難いことです。ネトレプコとしては「フィガロ」「椿姫」「ラ・ボエーム」「トロバトーレ」に加えて今年のアイーダと5演目見ましたが、今回のアイーダ役が大変安定していて自信に満ちていると感じました。これは夫君「ユシフ・エイヴァゾフ」の再婚が大きク影響しているいのではないかと思います。

同じ日に放送された2016年の「ネトレプコ・エイヴァゾフコンサート」は二人の相性が良いことを示していると思いました。私はエイヴァゾフがネトレプコの父親に似て学究肌(気象学者を目指した)であることがカップルが旨く行っている秘密だと思うのです。その効果かどうか直近のネトレプコは舞台で映える「スリムな体形」に戻りつつあるようです。

さて今回の「アイーダ」ですが非常に見所のある丁寧に作られた舞台だったと思いました。抽象的な舞台装置と何処かで見たことのあるような宗教色の衣装がエジプトの雰囲気を上手に出していて見事だったと思います。舞台上には大きな四角い箱がメインに据えられています。最初の見た時から最終幕の「地下牢」はどうするのか気にはなりました。できれば二つを上下に並べると雰囲気がでるだろうと無理なことを考えてしまいました。

アイーダを中心に「アムネリスとの絡み、アモナスロとの絡み」夫々が心理の動きを上手に表現していて見応えがありました。「ラダメスとの絡み」は目を瞑って聞いているとそれなりに聞こえましたが、映像を見ていると「ラダメスの存在感」に「?」を感じざるを得ませんでした。「ラダメス」はエジプトの英雄であり大群を率いる将軍です。それがせいぜい「尉官」(それも下位の)位にしか見えません。服装・雰囲気はカルメンに翻弄される「ホセ」の雰囲気だと思いました。裁判に臨んで従容として罰に服する「英雄」の姿を想像できませんでした。

アイーダ、アムネリス、アモナスロ始め他の配役がそれなりに役の雰囲気を上手に出していただけに残念でした。アイーダについてそんなことを考えながら「ネトレプコ・ユシフ」のコンサートを見ると「ユシフ」の存在感が目立ちました。堂々とした歌いぶりに気品がありました。



2017年11月12日(日) オランダの知人から贈り物

今日オランダの知人から「音楽CD」の贈り物を受け取りました。この友人とは先月の四国遍路香川・高野山編で一緒に歩いたのでした。オランダから四国遍路にやってきた彼は四国八十八か所を終了した後の高野山参拝のための高野山に移動する交通手段で困っていたのでした。同じ日程でちょうど八十八か所を終了した私は最短・最安で高野山に移動することを考えていたのですが、彼が私の「プラン」を気に入ったのでご一緒することにあったのでした。そのプランとは以下のものでした。

“十八か所最後の「大窪寺」は遅くとも1時には参拝を終える(そのためにはその前日に第87番長尾寺を打ち終えておく)

◆崑膩寺」から13:30分発の「さぬき市コミュニティバス」に乗り途中の高速志度駅で降りて高速道路に上がって、志度バスから「難波行き」の高速バスに乗る。高速バス車内からスマホで「新今宮」の安いホテルを予約する。

JR難波からJRに乗って南海「新今宮」に移動して、翌日の南海電車高野線の列車時刻を確かめて「新今宮」のホテルに宿泊する。(難波はホテルが高いが、新今宮は格安ホテルが集中している)

ね眛は南海新今宮から高野山周遊チケットで高野山に向かい、高野山内はバスで移動して高野山奥の院を参拝する。(雨が予想されるのででけいるだけバスで移動する)

セ嫁匕紊蝋睫郢海鮓学した後、逆の道順で難波に戻り難波から夜行高速バスで新宿バスタに戻る。

さすがにオランダからきた外国人がこの経路を自分で手配することは困難だと思います。この経路を使った移動方法を効率的にこなすためには、「大窪寺」への遍路道では決して無理をしないことが大切でした。無理をすると転んで汚れたり・雨でびしょ濡れになります。遍路終了後その足で「大阪難波を歩く」ことを想定していなくてはなりません。また高野山参拝前日の宿は安くても「大浴場」のある施設としました。最後の高野山参拝時には身を清めて臨みたいと考えてのことです。

彼と一緒に行動することが決まったので、歩きながら、また高速バスの中、ホテルで色々な話をするチャンスが出来ました。彼がアムステルダム近郊の小さな町に住んでいること、彼が合唱団に入っていて、リコーダーアンサンブルのメンバーであり、最近は作曲を試みていることなどを知りました。私も音楽好きだということが分かると話はどんどん深まっていきました。ということで彼がCDをプレゼントしてくれることになったのでした。因みに彼はスペインのサンチアゴコンポステッラにも巡礼した「猛者」です。



2017年11月07日(火) 第二回粉瘤切除

さいたま市日赤病院で二つ目の「粉瘤」を切除してきました。背中に二つの粉瘤があって形成外科の先生が私の「糖尿病に起因する治癒力低下」を考慮し手術を二回に分けることとなったので二回の手術となったものです。色々な差し障りがあるようなので「血糖値」の管理にはしっかり取り組まなければなりません。


そしてこれが私の「粉瘤君」です。姿形から勝手に男性名詞扱いとしました。

8月30日に最初に切除した粉瘤君は言わば「弟分」でした。この弟分は今回切除した「兄貴分」よりずっと生まれは遅いのですが、のびのびと育ったのか急激に体格が良くなり、兄貴を超える体格を持っていました。従って図体の大きい弟分から切除しました。(彼の写真はありません。)

写真の「粉瘤兄」は随分昔から私の身体の中に住み着いていました。遅くとも社会人になった時には彼との付き合いが始まってたと思います。「粉瘤兄」の成長はそれほど早くないのですが、時々出口が破れて異様な匂いを発する物質を吐き出していました。今回長い付き合いだった「粉瘤兄」と決別したのですが、長年連れ添ったので思い入れもあり特別に写真を取らさせていただきました。



2017年11月04日(土) 「月」の写真




昨日の月(ほぼ満月)の写真です。ズームカメラを三脚に固定して望遠一杯にして撮影しました。空気が澄んでいたのできれいに取れました。



2017年11月03日(金) 乃木邸・黒田清輝美術館見学



今日は文化の日で幾つかの文化財の特別一般一般開放が行われています。どの文化財が何時一般開放されるか事前に調べておく必要があり、今年は赤坂にある「乃木邸」、大井町にある「伊藤博文の墓」を見に行こうと考えていました。「伊藤博文の墓」の代わりに今回は上野の「黒田清輝美術館」を見てきました。まず乃木坂にいって続いて千代田線で「根津」に」移動しました。

地下鉄乃木坂にある「乃木邸」は港区が管理する文化財で5月・9月・11月に一般公開されます。この日は秋の一般公開最終日で外国人を含め多くの見学客が集っていました。乃木邸は乃木希典が殉死した後東京都に寄贈されたため、基本的に乃木殉死時の姿をそのまま留めています。港区では殉死時の乃木が来ていた「礼服」等に風を通す目的も含め年三回(春・秋・命日)オープンしているようです。見学のポイントは殉死時のまま残っている乃木邸に建物・家具等と、乃木と夫人が殉死した二階奥座敷の様子(来ていた服の展示も含めて)がリアルにみることができる点です。

乃木希典については2011年7月に大連・旅順を旅行した時に「203高地周辺」をジックリ見てきました。勿論「坂の上の雲」で事前勉強しました。児玉源太郎の助けもありましたが、「日露戦争」の英雄として好印象をもっていました。今回その乃木邸を見学して印象に残ったことは「殉死の時」で時間が止まっているということです。一種異様な状況ですが、「1912年の殉死時」に乃木邸に住むべき人間が居なくなってしまったことを示しているのです。つまり乃木希典の奥様(静子さん)も乃木と一緒に死んでしまいました。「陸軍」の英雄「乃木将軍」はなぜ奥様も一緒に殉死させたのか腑に落ちない疑問を抱きました。

今年10月に四国88カ所札所巡りを結願したのですが、最後の香川県善通寺には乃木が丸亀に赴任中滞在した金倉寺がありました。事前に連絡なしに訪問した静子夫人との面会を渋ったという堅物の「乃木希典」の話が残っているだけに、この「殉死の間」には様々な思いが錯綜しているように思えました。

上野公園にある東京国立博物館の「黒田清輝美術館」も年3回無料で一般公開されます。この美術館(黒田記念館)は黒田清輝の遺志にそって、彼が遺産を原資として設立されました。その後に遺族等からの絵画の寄贈を受け「黒田清輝」の一大コレクションになっているようです。乃木邸と同様に明治・大正期の日本の代表的先人が残してくれた遺産です。



特別室では「読書」「舞妓」「智・感・情」「湖畔」という黒田清輝の代表作が展示されていました。これらの傑作は間近に見る機会はめったにありません。黒田清輝の繊細な筆使い・表現を垣間見ることができます。特に「湖畔」は黒田清輝の奥様の「照子さん」がモデルとなっています。照子さんへの思いが滲み出ている傑作です。黒田清輝は「妻照子さん」を何枚も描いているようです。




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