KENの日記
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2014年12月31日(水) 大晦日

非常に天気が良く暖かい「大晦日」となりました。私は午前中に車の洗車にいってきました。オートでない自分で洗うタイプの洗車場がだんだん少なくなったこともり、大晦日の洗車場は大変混んでいました。少し待ちましたが無事に車を洗うことができました。私の場合、車を洗うと「雨」が降るのですが、1日・2日は良い天気が続いて欲しいと思います。

今年の年末・年始の休みは土日の関係で「9日間」の長期休みとなりました。この休みを利用して年内に「旅行」しようかと考えていたのですが、12月初旬に妻が「足指」を痛め、長時間の歩行が無理となってしまったのでこの休みは基本的に「家で過ごす」ことになりました。部屋の掃除・お正月料理の準備など比較的順調に進み、今日私が洗車している間に妻と長男がお正月料理の材料を買い込んできて一応買い物は終了しました。

時間が余裕ある分「テレビ」を見る時間も取れるのですが残念ながら面白そうな番組は殆どありません。と言うわけで、これまで録画してよく見ていなかった「マノン・レスコー」「ナブッコ」の二本のオペラを見終えました。
プッチーニの「マノン」、ベルディの「ナブッコ」は二人のオペラ作曲家の代表的な有名作品の「次」くらいに位置する作品だと思われます。それぞれ素晴らしい曲を持っているのですが、ストーリーの展開に「唐突」な部分があるように思われます。(何回も見ると分かってくるのかも知れませんが)

私は「赤・白」の間に少し休憩睡眠の時間を取り、「赤・白」が終わる頃に起き出して年越し蕎麦を食べ、近くの「観音様」に初詣に行きます。これが最近の我が家の「年越し」となっています。



2014年12月30日(火) 象の像




年末掃除の片手間に少しですが自宅の趣味の収集品の整理しました。「象の像(置物)」が幾つかあるのですが、このチャンスに一同に集めて写真をとりました。1番大きな象はスリランカ南部の木彫りショップが集中しているヒッカドゥアという街で購入したものです。ヒッカドゥアはスキューバダイビングでも有名なので、スキューバを楽しみに来る外国人向けの土産物屋が多いのです。

インドのヒンドゥー寺院にも象がいることがありますが、スリランカの大きな仏教寺院では必ずと言っていい程、その寺所属の「像」を飼っています。一年を通して満月の日にはスリランカ国内のどこかの寺院で「祭り」が行われ、その際の催し物では「象」が主役を演じます。スリランカはインドより「本物の象」と身近に接することができます。象の像(置物)も色々なものがあります。上の写真ではスリランカで手に入れた置物が多いです。

インドで「象」というと「ガネーシャ神」ということになります。「ガネーシャ」はシバ神とパルバティ神夫婦の長男で「知恵・商売」の神として人々の人気を集めています。インドの商業の中心地「ムンバイ」は典型的にガネーシャの人気が高い地域です。ガネーシャ像はかなりデフォルメされ、様々な形のものがあるので趣味で集めるような種類のものではないように思えます。上の写真には「象の形をした像」だけを並べてみました。



2014年12月29日(月) 2014年の献血記録

2014年は14回献血しました。今年の献血の状況を記録しておきます。数値はグリコアルブミン比率です。この値は過去2週間程度の血糖値の値を示しているのだそうです。基準値の値は「15,6」未満だということですが、GA(グリコアルブミン)の寿命がHbA1c(グリコヘモグロビン)の1/3程度だとことなので、HbA1c比率の3倍を目安として考えています。HbA1cの目標を「6」と考えていますので、GAの目標値は「18」ということになります。

第114回 2月 2日(日) 18.6%
第115回 2月22日(土) 18.4%
第116回 3月14日(土) 18.7%
第117回 4月26日(土) 18.4%
第118回 5月15日(木) 18.5%
第119回 6月 6日(金) 18.6%
第120回 6月29日(日) 18.2%
第121回 7月26日(土) 18.7%
第122回 8月15日(金) 18.8%
第123回 9月 6日(土) 18.1%
第124回10月18日(土) 18.7%
第125回11月 1日(土) 18,6%
第126回11月22日(土) 17.8%
第127回12月21日(日) 18.2%

今年の血糖値の状況を見ると、「目標」の「18」を切った回数が1回、18%前半が6回、18%後半が7回でした。残念ながら血糖値が目標通りコンとロールできたとは言い難い状況でした。



2014年12月28日(日) エアアジアの飛行機遭難

インドネシアのスラバヤからシンガポールに向かっていたマレーシアの航空会社エアアジア旅客機(QZ8501便)が消息を絶ちました。この飛行機は乗員乗客は162人を乗せて、28日の午前5時35分(日本時間7時35分)頃にスラバヤの空港を離陸しました。インドネシア航空当局の情報は同機が6時18分に消息を絶ったというものであり、エアアジアの発表は午前7時24分に機影が消えたというものです。情報はまだ錯綜しています。

飛行機との連絡が途絶える前に同機のパイロットでは「悪天候で雲をよけるために高度を上げたい」との連絡があったとのことです。飛行機がレーダーから消えるという事件は、今年3月8日の発生したマレーシア航空MH370便の遭難事件と状況が似ています。明日の夜明けから本格的な捜索活動が開始されますが、遭難のあった現地の机上が非常に悪いので捜索活動は難航するものと思われます。マレーシアの航空業界にとって2014年は悪夢のような年になりました。

それにしても日本のテレビ業界の年末報道体制には呆れます。8時から11時ごろまで地上波でもBSでも、NHKでも民放でも全くニュース番組がありませんでした。年末・年始特別番組に趣向を凝らし、一年を振り返り・色々面白そうな話題で特別番組を作り、視聴率を競い合う状況が当たり前になっていますが、他国の事、犠牲者に日本人がいなかったということもあるのでしょうがニュース報道が非常に軽くなることに少し怒りを感じました。



2014年12月27日(土) インド洋大津波から10年

10年前の2004年12月26日早朝にインドネシアのスマトラ沖で発した大地震はインド洋に大津波を発生させ、タイ・マレーシア・スリランカ・インド等のインド洋沿岸国に甚大な被害を与えました。大地震は現地時間朝7時58分(日本時間5時58分)に発生しました。マグニチュードは9.1あるいは9.3とも言われていて、歴史的な大地震でした。

私はその当時インドのムンバイで仕事をしていて。その翌年2005年の1月にインドに正式に引越しするために正月休暇で日本に帰国するすることにしていました。当時まだスリランカ勤務時代のスリランカの友人達とは頻繁に連絡を取り合う仲だったので、この津波襲来では大変心配しました。連絡がついた友人の間には犠牲者は居なかったので少し安心したのでした。

当時の日記を見てみると、津波は「アンダマン・ニコバル」にインド時間の朝7時50分に到着してるようです。これは日本時間の11時20分(時差3時間30分)ですから、地震発生後5時間20分後に津波がインド領土に到着したことになります。スリランカには同時刻か少し前ぐらい、インド本土東海岸チェンナイにはその1時間後に津波が到着しました。その津波の高さを10mにも及んだのだそうです。

スリランカ南部の海岸の町はこの大津波でなす術がありませんでした。海岸にある狭い平地をには貧しい人達が多く住んでいました。海岸に沿って走る国道に市場があったりするので人々が集まる場所でした。そういう場所が並みに飲み込まれました。その後2011年に東北大震災があり大津波が東日本を襲ったのですが、インド洋大津波は教訓とはなっていなかったようです。



2014年12月26日(金) フランシスコ法王のメッセージ(続き2)

11. The disease of indifference to others. This is where each individual thinks only of himself and loses sincerity and warmth of human relationships. When the most knowledgeable person does not put that knowledge at the service of his less knowledgeable colleagues. When we learn something and then keep it to ourselves rather than sharing it in a helpful way with others. When out of jealousy or deceit we take joy in seeing others fall instead of helping them up and encouraging them.

他人に対して無頓着になる病気。この病気は各個人が自分自身のことだけを考え、他人との関係にある誠実さ・暖かさを失ってしまう病である。高位聖職者が自分より経験に少ない聖職者に対して自分の有る限りの全ての知識を与えないとか、自分が学んだことを他の人に教え・共有することをせずに、自分だけの秘密にして置くような場合も同様である。また嫉妬や不誠実の結果、他人を育て勇気づける代わりにその人が成長しないことを冷ややかに眺めることに喜びを感ずるような状況の病である。

12. The disease of a lugubrious face. Those glum and dour persons who think that to be serious we have to put on a face of melancholy and severity, and treat others – especially those we consider our inferiors – with rigour, brusqueness and arrogance. In fact, a show of severity and sterile pessimism are frequently symptoms of fear and insecurity. An apostle must make an effort to be courteous, serene, enthusiastic and joyful, a person who transmits joy everywhere he goes. A heart filled with God is a happy heart which radiates an infectious joy: it is immediately evident! So let us not lose that joyful, humorous and even self-deprecating spirit which makes people amiable even in difficult situations. How beneficial is a good dose of humour! We would do well to recite often the prayer of St. Thomas More. I say it every day, and it helps.

塞ぎ込んだ表情をする病気。ぶっきらぼうで厳しい表情。他人に対して重々しくあるために自分の表情を憂鬱で厳格に装うことが必要で、人々と接するときに(特に自分より下位の人々に対して)厳格で容赦無く傲慢に接することが相応しいと考えている人の病である。実際上、厳格さを装ったり、実態のない悲観はしばしば恐れと不安の症状であることが多い。聖職者は慇懃で穏やかで喜びに満ちた表情をするよう心掛けるべきであり、聖職者とは赴く場所全てに喜びを伝える人間なのである。神で満たされた心は幸福な心であり、人々に順次伝染していく喜びを発するものである。それは今直ぐに取り組むべきものである。我々は喜びを失うべきではなく、困難な状況にある人々に喜びを与えるためにユーモラスであることが求められ、時には自分を愚かにみせるような精神も必要となる。私達は時として「トマス・モア」の祈りを唱えることが必要となろう。私は毎日唱えていて、それに助けられている。

13. The disease of hoarding. When an apostle tries to fill an existential void in his heart by accumulating material goods, not out of need but only in order to feel secure. The fact is that we are not able to bring material goods with us, since “the winding sheet does not have pockets”, and all our earthly treasures – even if they are gifts – will never be able to fill that void; instead, they will only make it deeper and more demanding. To these persons the Lord repeats: “You say, I am rich, I have prospered and I need nothing; not knowing that you are wretched, pitiable, poor, blind and naked. So be zealous and repent” (Rev 3:17, 19). Accumulating goods only burdens and inexorably slows down the journey! Here I think of an anecdote: the Spanish Jesuits used to describe the Society of Jesus as the “light brigade of the Church”. I remember when a young Jesuit was moving, and while he was loading a truck full of his many possessions, suitcases, books, objects and gifts, an old Jesuit standing by was heard to say with a smile: And this is “the light brigade of the Church”? Our moving can be a sign of this disease.

財産の蓄えようとする病。聖職者が心の空虚を満たすために必要性からではなく単に安心のためだけに財貨を蓄えることがある。実際のところ「経帷子」にはポケットが用意されていないので、この世で蓄えた財貨をあの世に持っていくことはできない。この世の全ての財貨は、例えそれが贈られたものであっても心の隙間を埋めることはできない。逆にそれは財貨をより多く蓄積したく思わせ、より貪欲にさせるものになる。そうした人々に対して神は繰り返して言う。「貴方は金持ちで成功者で、この上は何も欲しくないかもしれないが、実は哀れで悲しむべき存在で、貧しく・眼が見えず裸なのであるから、熱心に祈り悔い改めなさい。」財貨の蓄積は唯単に人間の重荷となり容赦なく人の旅路の速度を遅くするだけである。そこで私は次の逸話を思い出すのである。「スペインのイエズス会では自らのイエス教会のことを“教会の灯台」だと表現しているが、或る時若いイエズス会徒が引越しの際にトラックに多くのスーツケースや書籍・飾り物・贈り物などの持ち物を詰め込む光景を脇で見ていた年配のイエズス会士が「これが”教会の灯台”の引越しですか」と嘆いたことを覚えている。我々の引越しはこの「病気の兆候」をよく表すものとなっている場合がある。

14. The disease of closed circles, where belonging to a clique becomes more powerful than belonging to the Body and, in some circumstances, to Christ himself. This disease too always begins with good intentions, but with the passing of time it enslaves its members and becomes a cancer which threatens the harmony of the Body and causes immense evil – scandals – especially to our weaker brothers and sisters. Self-destruction, “friendly fire” from our fellow soldiers, is the most insidious danger. It is the evil which strikes from within; and, as Christ says: “Every kingdom divided against itself is laid waste” (Lk 11:17).

閉鎖的な仲間関係。この病気は小さな仲間集団に隷属することが、教会に隷属することより、あるいはある状況においては神自身に隷属するより強く隷属することとなる病気である。この病気はしばしば最初は善良な動機から出発するが、しかし時間が経っていくに連れて周囲の仲間は教会組織の調和を破壊する「癌」に変質していき、計り知れない「悪・恥辱」を作り出す。特に我々の組織内の経験の浅い聖職者を蝕む。仲間集団から要求される「自己破壊要求・友好的な炎」は最も警戒すべき危険な兆候である。キリストは「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまう」と言っている。

15. Lastly: the disease of worldly profit, of forms of self-exhibition. When an apostle turns his service into power, and his power into a commodity in order to gain worldly profit or even greater power. This is the disease of persons who insatiably try to accumulate power and to this end are ready to slander, defame and discredit others, even in newspapers and magazines. Naturally, so as to put themselves on display and to show that they are more capable than others. This disease does great harm to the Body because it leads persons to justify the use of any means whatsoever to attain their goal, often in the name of justice and transparency!
Here I remember a priest who used to call journalists to tell – and invent – private and confidential matters involving his confrères and parishioners. The only thing he was concerned about was being able to see himself on the front page, since this made him feel “powerful and glamorous”, while causing great harm to others and to the Church. Poor sad soul!

世俗利益追求・自己顕示欲の病。聖職者が「奉仕」を「権力」に変え、「権力」を世俗の利益やより大きな「権力」に変えるための財貨に変えようとする病である。これは飽くことなく「権力」を蓄積しようと新聞や雑誌まで動員して隣人を中傷・辱め信用を落とそうとする者が罹っている病気である。自然な結果としてそういう人達は自分を見せびらかし、他人より力があることを示そうとする。この病気はカトリック教会組織にとって大きな脅威となる。何故ならばこの病気は病気に罹った人に、自分の目的を達成するためにどんな手段を使うこともしばしば「正義」あるいは「透明性」という名目で正当化するよう導いてしまう。ひとりの聖職者が嘗てジャーナリストを集めて同僚や教区民を巻き込んで私的な機密事項を暴露したことを私は思い出す。彼の狙いは唯一つ新聞の表紙を自分の写真で飾ることだけであった。何故ならば彼は他人や教会に多大な迷惑をかけたにも拘わらず、そうすることが彼を「権力」があり「魅力的」だと思わせたからである。貧しく悲しい精神である。



2014年12月25日(木) フランシスコ法王のメッセージ(続き1)

6. There is also a “spiritual Alzheimer’s disease”. It consists in losing the memory of our personal “salvation history”, our past history with the Lord and our “first love” (Rev 2:4). It involves a progressive decline in the spiritual faculties which in the long or short run greatly handicaps a person by making him incapable of doing anything on his own, living in a state of absolute dependence on his often imaginary perceptions. We see it in those who have lost the memory of their encounter with the Lord; in those who no longer see life’s meaning in “deuteronomic” terms; in those who are completely caught up in the present moment, in their passions, whims and obsessions; in those who build walls and routines around themselves, and thus become more and more the slaves of idols carved by their own hands.

精神的なアルツハイマー病がある。この病では自分の救済の歴史・個人の神とのかかわりの歴史、初恋の事を忘れてしまう事ことになる。この病は人が自分自信のことを自分で次第にできなくなり、短い期間あるいは長い期間に渡って自分の想像の産物だけに頼り切りになるといった精神的な清新な活動が次第にできなくなるという症状を含む。この病気は、神との出会いに関する思い出を失ってしまった人々、旧約聖書に書かれている「人生の意味」を考えなくなった人々、情熱において、感情においても完全に現在の事象しか考えられなくなってしまった人々、自分と他人との間に壁を作ってしまい、自分自身で作り上げた偶像に徐々に隷属していくようななってしまう人々にこの兆候を見られる。

7. The disease of rivalry and vainglory. When appearances, the colour of our clothes and our titles of honour become the primary object in life, we forget the words of Saint Paul: ”Do nothing from selfishness or conceit but in humility count others better than yourselves. Let each of you look not only to his own interests, but also to the interests of others” (Phil 2:3-4). This is a disease which leads us to be men and woman of deceit, and to live a false “mysticism” and a false “quietism”. Saint Paul himself defines such persons as “enemies of the cross of Christ” because “they glory in their shame, with minds set on earthly things”.

対抗意識と虚飾:「見掛け」各人の礼服の色とか官職・名声が人生の最も大切なものとなってしまう時には、聖ポールが言われた「何事も自分の利益・自分の才能を考えて行うのではなく、相手のことをより大切に考え謙虚に行うべきです。各自が自分だけの利益ではなく隣人の利益を考えて行動すべきです。」という言葉を忘れています。この病によって人々は次第に不誠実になり、間違った信仰・間違った神秘主義に生きることになるのです。聖ポールはそういう人々を「彼らは恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていないので、十字架上のキリストの敵である。」としています。

8. The disease of existential schizophrenia. This is the disease of those who live a double life, the fruit of that hypocrisy typical of the mediocre and of a progressive spiritual emptiness which no doctorates or academic titles can fill. It is a disease which often strikes those who abandon pastoral service and restrict themselves to bureaucratic matters, thus losing contact with reality, with concrete people. In this way they create their own parallel world, where they set aside all that they teach with severity to others and begin to live a hidden and often dissolute life. For this most serious disease conversion is most urgent and indeed indispensable (cf. Lk 15:11-32).

存在の精神分裂症。ありきたりな代表例の「虚飾からの青果物」と学位や学術的名声では満たされない精神的な空虚さの二重人生を送っている者の病気である。この病は特に聖職者サービスを放棄し、官僚的な職務に没入し、実際の人間と現実に接触することが無くなった者を苛む。他人に対して厳正であれと自ら教えた全てを脇に置いて、自分の作り出した秘密のずぼらな生活を作り出すのである。このためこの病を治すことが緊急課題であり直ぐにも取り組まなければならない。

9. The disease of gossiping, grumbling and back-biting. I have already spoken many times about this disease, but never enough. It is a grave illness which begins simply, perhaps even in small talk, and takes over a person, making him become a “sower of weeds” (like Satan) and in many cases, a cold-blooded killer of the good name of our colleagues and confrères. It is the disease of cowardly persons who lack the courage to speak out directly, but instead speak behind other people’s backs. Saint Paul admonishes us to do all things without grumbling or questioning, that you may be blameless and innocent” (Phil 2:14-15). Brothers, let us be on our guard against the terrorism of gossip!

噂話を囁き・陰口を聞くこと。私はこれまで何度もこの病気のことを注意してきたがまだ十分ではない。これはしばしば単なる四方山話から始まるが非常に重大な病である。その結果人々を悪魔のような不和の種まきに変えてしまう。多くの場合同僚・仲間の評判に対する冷血な殺人行為となる。これは関係する本人に直接話す勇気を持たない、影でこそこそ話をする人の病である。聖ポールは「すべてのことをつぶやかずに疑わないでしなさい。そうすることが責められず純粋な道だからです」と忠告しています。兄弟よ「噂話のテロに対してしっかり自分の身をガードしましょう。

10. The disease of idolizing superiors. This is the disease of those who court their superiors in the hope of gaining their favour. They are victims of careerism and opportunism; they honour persons and not God (cf. Mt 23:8-12). They serve thinking only of what they can get and not of what they should give. Small-minded persons, unhappy and inspired only by their own lethal selfishness (cf. Gal 5:16-25). Superiors themselves could be affected by this disease, when they court their collaborators in order to obtain their submission, loyalty and psychological dependency, but the end result is a real complicity.

上位の者を神格化すること。この病は上位者からの慈悲を得んがために上位者の機嫌を取る者の典型的な病である。そういう人達は立身出世主義・日和見主義の犠牲者であり、神ではなく人間を崇拝する者である。そして教会活動において自分が何を与えることができるのかではなく、自分が何を得ることができるのかだけを考えている。心の狭い人達は自分にとって損か得かだけによって動機づけられていて常に不幸な気持ちをもっている。上位の者もこの病気の影響を受けることがある。上位者は自分の仲間から慕われ、忠誠をを期待し、精神的に頼られることを期待して彼らの機嫌を取ることがあり、最後は双方とも共犯となってしまう。



2014年12月24日(水) フランシスコローマ法王の指摘

フランシスコ法王がクリスマスに際し法王丁の聖職者に向けてメッセージを発しました。それはともすると聖職者の中に見らがちな「15の病」への指摘です。2013年3月に就任したフランシスコ法王はこれまでも率直な発言で世界に情報発信してきましたが、この「15の病気」は聖職者だけでなく一般の人々にも振り返ってみる価値のある指摘だと思います。バチカン英文ホームページからの英文と我流の日本語訳を付して記録しておきます。(一応5項目づつの予定です)

1. The disease of thinking we are “immortal”, “immune” or downright “indispensable”, neglecting the need for regular check-ups. A Curia which is not self-critical, which does not keep up with things, which does not seek to be more fit, is a sick body. A simple visit to the cemetery might help us see the names of many people who thought they were immortal, immune and indispensable! It is the disease of the rich fool in the Gospel, who thought he would live forever (cf. Lk 12:13-21), but also of those who turn into lords and masters, and think of themselves as above others and not at their service. It is often an effect of the pathology of power, from a superiority complex, from a narcissism which passionately gazes at its own image and does not see the image of God on the face of others, especially the weakest and those most in need.[8] The antidote to this plague is the grace of realizing that we are sinners and able to say heartily: “We are unworthy servants. We have only done what was our duty” (Lk 17:10).

日々の反省を怠って自分達が不滅で、間違いを犯さず、欠く事のできない存在だと考える病。聖職者が自己に批判的でなく、新しい環境ことについて勉強しようとせず、自分を変えていこうと考えないのは病気の状況にある。墓地に行って見れば、自分が不滅で間違いを犯さず欠くことのできない存在だと考えた多くの人々の名前を見出すことができる。それは愚かな金持ちが自分の生命が永遠だと考える病気であり(ルカ伝12章)、本来人々に奉仕する立場にある聖職者が人々の主人や指導者だと考えるようになってしまう病気である。これはしばしば「権力の病」がもたらす影響であり、自分が優れているという間違った考えから、そして神や、弱く困っている人々を見ようとせずに、自分の作り出したイメージだけを見続ける自己陶酔から発生する。この病気に対抗できるのは、私達は罪深く価値のない奉仕者であり、唯自分達の義務を果たすだけの存在であるということを認識することからくる慈悲だけである。

2. Another disease is the “Martha complex”, excessive busy-ness. It is found in those who immerse themselves in work and inevitably neglect “the better part”: sitting at the feet of Jesus (cf. Lk 10:38-42). Jesus called his disciples to “rest a while” (cf. Mk 6:31) for a reason, because neglecting needed rest leads to stress and agitation. A time of rest, for those who have completed their work, is necessary, obligatory and should be taken seriously: by spending time with one’s family and respecting holidays as moments of spiritual and physical recharging. We need to learn from Qohelet that “for everything there is a season” (3:1-15).

「マーサの固定観念」(繁忙でないと気が済まない心持ち)。自分が仕事に没頭し、唯イエスの足元に寄り添うことから来る良い部分を否応なく無視する人々に見られる病ある。キリストは、必要な休養を無視ことはストレスや苛立ちに繋がるので弟子達に「暫く休む」ことを求めた。仕事を終えた人々には「暫しの休み」が必要となり、家族と過ごしたり、精神的・肉体的にリフレッシュするために期間として休日を大切にすることが義務である。私達は「コヘレト」が「全てのことにその理由がある」と教えていることを学ぶ必要がる。

3. Then too there is the disease of mental and spiritual “petrification”. It is found in those who have a heart of stone, the “stiff-necked” (Acts 7:51-60), in those who in the course of time lose their interior serenity, alertness and daring, and hide under a pile of papers, turning into paper pushers and not men of God (cf. Heb 3:12). It is dangerous to lose the human sensitivity that enables us to weep with those who weep and to rejoice with those who rejoice! This is the disease of those who lose “the sentiments of Jesus” (cf. Phil 2:5-11), because as time goes on their hearts grow hard and become incapable of loving unconditionally the Father and our neighbour (cf. Mt 22:34-35). Being a Christian means “having the same sentiments that were in Christ Jesus” (Phil 2:5), sentiments of humility and unselfishness, of detachment and generosity.

心理的・精神的な感覚が鈍ることの病。石のような冷たい心、頑な心を持つ人に、そして心の平穏さ・他人に対する気遣い・思いやりを失い、書類の山に埋もれ神の子供の「人間」に奉仕するのではなく「仕事に奉仕する官僚」になってしまった人に見られる病気である。涙を流す人と一緒に涙を流し、喜んでいる人々と共にに喜ぶといった人間的な感受性を失うことは危険なことである。このことは「イエスの心持」を失ってしまうことであり、こうした状態が続くとその人達の心は次第に硬直し、聖職者や隣人を無条件に愛しすることができなくなってしまう。キリスト教徒であることはイエスの心持ちを共有することであり、謙虚で自我を捨て去り、囚われず寛大な人間であることである。

4. The disease of excessive planning and of functionalism. When the apostle plans everything down to the last detail and believes that with perfect planning things will fall into place, he becomes an accountant or an office manager. Things need to be prepared well, but without ever falling into the temptation of trying to contain and direct the freedom of the Holy Spirit, which is always greater and more flexible than any human planning (cf. Jn 3:8). We contract this disease because “it is always more easy and comfortable to settle in our own sedentary and unchanging ways. In truth, the Church shows her fidelity to the Holy Spirit to the extent that she does not try to control or tame him… to tame the Holy Spirit! … He is freshness, imagination, and newness”.

過度に計画して機能一辺倒であること。聖職者が、完璧に計画すれば物事は何でも上手く行くと信じ、何でも細かい所まで計画しようとすることは、聖職者が会計人や会社の経営者になることである。物事は事前に準備することは必要であるが、何でも計画通りに進めようとするとか、人間の作る計画より常に柔軟に変化する「自由な神聖な意思」をもコントロールしたくなる誘惑に陥らないようにするべきである。私達はともすると自分の考えに安住し変化を拒むことが楽で心地良いことからこの病気に感染することがある。カトリック教会は「神の心」に対して忠実であること者を示している。そして教会は「神の心」をコントロール使用とはせず、それを飼い慣らそうとなしない。「神の心」は常に新鮮で想像力に富み変化するものでである。

5. The disease of poor coordination. Once its members lose communion among themselves, the body loses its harmonious functioning and its equilibrium; it then becomes an orchestra which produces noise: its members do not work together and lose the spirit of fellowship and teamwork. When the foot says to the arm: “I don't need you ”, or the hand says to the head, “I’m in charge”, they create discomfort and scandal.

調整不足。メンバー間の交流が失われ組織が機能的な調和とその均衡を失うと、教えの精神に基づく共同の仕事ができなくなり、あるいはチームいとして機能しなくなり雑音だらけの交響曲となってしまう。足が手に向かって「お前は必要ない」といったり、手が頭に向かって「私は別な仕事中だ」と言ったりすると、肉体に不便が発生して機能障害を起こす。



2014年12月23日(火) 年末のクラシック音楽番組が寂しい状況です。

最近の急激な「円安」の影響あるとは思いますが、2014年は有名オペラハウスの来日公演が驚くほど減ってしまいました。これまで年末のNHK番組では「来日オペラ座引越し公演」とか「海外オペラハウスシーズン開始のプルミエ公演」の特別番組を放送していました。しかし今年は全くと言っていいほどありません。ブルーレイレコーダに保存されていた音楽コンテンツをディスクに移して、録画容量を確保しておいたのですが当てが外れました。

数年前、ミラノスカラ座とかメトロポリタンオペラなどの引っ越しオペラ公演ではチケットが5万円以上で飛ぶように売れた時代がありました。しかし「円安」のなる前からこうしたベラボーに高いチケットは熟れなくなって来ていました。新国オペラとか国内オペラが進化したということもあるでしょうが、世界のオペラ界がスター不足で「何が何でも聞いてみたい」と思わせる「有名歌手」が減ってしまったのも事実だと思います。 「スリーテナーズ」でドミンゴ・カレーラスを残して「パヴァロッティ」が亡くなってしまった後は「スーパースター」が消えてしまった感じはあります。更に言うと、「ネトレプコやダムラウ」が「デセイやゲオルギュー並み」のスリムな体型を維持していたらオペラ界を取り巻く情勢は大分変わっていたと思いますし、男声ではテノール界の人材不足は際立っているようで、今や「カウフマン」が一人が世界の人気を支えているようかのようです。

スーパーオペラ座が来なくなったことに加えて海外廉価版オペラも来なくなりました。昨年まで毎年来ていた「ウィーンバーデン劇場オペラ」も今年の来日はありませんでした。このオペラ公演は多くの地方公演を続けるので、最後の方の公演はかなり上手くなるのでお得なオペラだと思って期待していたのですが残念でした。こちらは多分「円安」の影響が大きいと思います。

オーケストラも同じで数年前まではウィーンフィル・ベルリンフィルが同じ年に来日することが珍しくありませんでした。今年は全く様相が一変してしまいました。その代わりといっては何ですが、ゲヴァントハウス管弦楽団、サンクトペテルブルグフィル、ニューヨークフィル、モントリオール交響楽団、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団、バイエルン放送交響楽団など様々な国のオーケストラが来日しました。日本の聴衆がいつまでも「ウィーンフィル・ベルリンフィル」を追っかける段階を卒業したのかもしれません。ただウィーンフィル、ベルリンフィルにおける指揮者の魅力が乏しくなっていることもあると思います。ラトルの演奏は流石に凄いとは思いますがラトルはまだ若いので「今聞いておかなければ一生の損」と思わせるものではありません。ウィーンフィルの「メスト」はなおのこと魅力に欠けます。

今年1月に「アッバード」が亡くなりました。「アッバード」の評価は様々あると思いますが、「アッバード」が亡くなったことによって昔から連綿と受け継がれてきた「巨匠時代」が終わったような気がします。「アッバード時代」には既に終わっていて、音楽ファンはアッバードに「嘗ての幻影」を見ていたのかもしれませんが。一昨年ザルツブルグイースター音楽祭からラトル・ベルリンフィルが降り、バーデンバーデンイースター音楽祭を始めました。ザルツブルグのイースターは「ティーレマン・ドレスデン国立歌劇場」が引き継ぎました。この音楽祭はザルツブルグ生まれの「カラヤン」が始めたものでした。「カラヤン・ザルツブルグ」というブランドがクラシック界で非常に大きな力を持っていたことを物語っています。スカラ座のバレンボイム、ローマのムーティも既に退任がきまっているようです。ヨーロッパ音楽会が大きな世代交代時代に入っているようです。



2014年12月22日(月) 「レアル」強いです。

12月20日にモロッコで行われたトヨタ提供の「クラブワールドカップの決勝戦」で、スペインのレアル・マドリードがアルゼンチンのサンロレンソを2―0で破り優勝しました。レアルは昨年スペインの国内リーグ「リーガ」で優勝を逃したものの、今回ヨーロッパチャンピオンに輝き、その勢いでクラブワールドカップも獲得しました。南米の有力選手がヨーロッパクラブにきているので、南米クラブチームがこのカップに優勝することは難しいのですが、その分ヨーロッパチャンピオンになることが非常に難しくなっています。レアルはリーガのバルセロナ、ブンデスリーグのバイエルンを破っての優勝ですからその強さは本物です。

今回のカップ戦においてレアルでは「BBC(ベンゼマ・ベイル・ロナウド)」に加えてスペイン代表のセルヒオ・ラモスが大活躍したそうです。この4人はロナウドが29歳、ラモス28歳、ベンゼマ27歳、ベイル25歳と選手としての「旬」を迎えています。4人とも頑健で大柄な身体ながらスピードと抜群のセンスを持っています。それに加えて中心選手4人が非常に紳士的で人柄が良く、チームに上手に溶け込む雰囲気を持っているところがチーム全体の底上げに繋がっていると思います。これは監督の指導力と、フランス紳士「ベンゼマ」に依る所が大きいと思います。

レアルはマンチェスターユナイテッドに主力の「デ・アリア」を放出しましたが、「デ・マリア」が怪我で出場機会が少ないことに比べると4人の頑健さが際立ちます。ここに更にワールドカップブラジル大会で活躍したコロンビアの「ハメス・ロドリゲス(23歳)」が加わっているのですから暫くはレアルの黄金時代が続きそうです。

ここにきて大活躍のベイル(ウェールズ代表)のユナイテッド移籍の話が賑わしています。ユナイテッドのベンチにはベイルの先輩筋にあたるウェールズの英雄「ライアン・ギグス」がアシスタントコーチで参画しています。ベイルの姿を再びプレミアリーグで見たいと思っているファンは多いと思います。しかしレアルのサッカーと現在のプレミアリーグのサッカーを比べてみると、ベイルにはレアルのサッカーの方が向いていると思います。ユナイテッドは最近こそ勝ち星が続いていますが、そのサッカーはスピードに欠けておりレアルやブンデスリーグトップチームには勝てないと思います。



2014年12月21日(日) OCN「Page On」サービス終了

OCNから「Page On」サービスの案内が来ています。来年2月一杯でOCNのホームページサービスが終了することになります。2000年から利用しているユーザとしては非常に残念です。パソコンを端末とするインターネットサービスから、スマホを代表とするモバイル端末の活用が主流となってきて、SNSソフトがどんどん新しくなり、個人が単独でネットで情報を発信することに関する興味はどんどん薄れてきていることは確かです。

それでも大昔のパソコン通信の時代から「ネット上」での情報発信は根強い人気を持っていると思います。それは「売れない本の自費出版」にも似ています。「誰が読むのかは関係なく、何を発信するかに重点を置く」ものです。人に読まれる語句僅かな可能性を意識しつつ、基本的には自分の身の回りの記録集ということになります。特に「旅行記」等は、旅行後にもう一度「旅」を振り返るメリットがありました。

OCNはインターネットプロバイダの最大手です。NTTはインターネット文化を支え先導してきました。NTTにはこのインターネット初期の文化の中心であった「ホームページ」という利用者の自分表現の場所を末永く見守って欲しかったです。廃止するにしても「記念イヴェント」をするとか、「お別れ会」をするとか考えて欲しかったです。NTTは他の事業者のホームページサービスを案内していますが、このままNTTの手を離れてしまうのはとても残念です。これから年末・年始の時間を利用して「別の事業者移行」作業を行う予定です。



2014年12月20日(土) Paul Mas のお得なワイン

「やまいち」さんの酒販売実店舗が閉鎖されたので、他でワインの豊富な酒屋さんを探していたところ、戸田の国道17号線沿いに「STEP」という酒屋さんを見つけました。そこで購入したのが下の赤・白のお得なワインです。



フランス南部のラングドック・ルーションのワイナリー「Paul Mas」の廉価版ワインで、現在の当主の「Jean Claude Mas」から名前をとって「Claude Var」という名称になっています。
赤ワインの葡萄は「グルナッシュ50%、カリニャン25%、シラー15%、メルロ10%」この赤はラングドックワインコンクールで何回か金賞を受賞しているようです。
白ワインは「グルナッシュ・ブラン35%、ヴェルメンティーノ25%、シャザン15%、モーザック10%、ソーヴィニヨン・ブラン10%、シュナン・ブラン5%

STEPの方からラングドック・ルーションのワインで「何種類かの葡萄の組み合わせが上手」なワインだということを聞いて購入してみました。ラングドック・ルーションは南フランスの非常に温暖な地方なので葡萄も糖度が増してイタリアのような果実みの強いワインができるだろうと想像できます。その期待通り非常にフルーティでバランスの良いワインだと思いました。それでいて結構格式を感ずる気品があると思いました。白ワインは6種類の葡萄の組み合わせです。こちらは少し「甘味」が強くなっているように思えました。赤・白とも特定の葡萄の味ではなくてブレンドされたワインの味で非常に新鮮に感じました。

「Jean Claude Mas」氏はボルドーで修行をした他に、イタリアの醸造家の「Giorgio Grai」からワインのブレンディング方法を習ったのだそうです。「Jean Claude Mas」氏はブレンディングの技術を生かしてラングドック・ルーションの新しいワイン作りのパイオニア的な存在になっているのだそうです(Masのホームページ情報)。そういわれるとこの「Claude Van」の味わいはフランスの気品とイタリアの親しみやすい味わいが同居している感じがします。赤白とも1本850円(税抜き)というお手頃なワインです。



2014年12月19日(金) STAP細胞存在せず

理化学研究所で行われていたSTAP細胞再現実験ではSTAP細胞製造の再現ができなかったとのことです。今日19日に理研関係者の記者会見が行われSTAP細胞再現実験失敗と「小保方さん」が今月理研を退職するということが発表されました。

この実験には「小保方さん」本人も参加していました。小保方さんは以前の記者会見で200回以上STAP細胞作りに成功したと証言していましたが、今回厳密に監視された実験環境においてはSTAP細胞製造ができませんでした。理研は「STAP細胞」の存在に関して言葉を濁しますがはっきりと」存在しない」と言うべきです。記者会見では「科学は性善説に立つ」との訳のわからないコメントをしていますが、通常の自然界に存在しないと考えられていた「特殊な細胞」を存在するある勝手に信じてきた言わば「妄想」に過ぎず、定説を引っくり返えそうという新しい学説に「性善説」など適用できないと思います。

またノーベル賞を受賞した山中教授の「IPS細胞」の製造に比べて驚くほど簡単な製造方法を発見したとのSTAP細胞存在の主張に関して、証明できないのに曖昧な態度を取ることは山中教授に対して失礼にあたると思います。こうなると小保方さんが科学者であるとすれば「製造に成功した実験」が何であったのかはっきりとさせるべきです。その小保方さんは「実験結果に困惑している」とのコメントを残して理研を去ることになります。結局最後は「ウヤムヤ」に終わってしまうような気がします。



2014年12月18日(木) アメリカ・キューバ関係修復

アメリカとキューバがお互いに抑留してきた政治捕虜を交換することに合意し、更に外交関係の修復に進むようです。1960年代のキューバ危機以来外交関係の途絶えていたアメリカ・キューバの関係修復というニュースはアメリカにとって非常に明るいニュースだと思います。ここまで辿りついた背景にはフランシスコ・ローマ法王の話し合いの斡旋があったということです。世界平和のために積極的に行動してきたフランシスコ法王の成し遂げた大きな成果だと思います。

キューバについては今年発生した西アフリカの「エボラ出血熱」では現地に大規模な医療チームを派遣するという他に類を見ない人道的貢献をしてきました。国の体制の違いを乗り越えてアメリカ国内においてキューバに対する評価が向上してきたという背景もあると思います。アメリカ国民、ローマ法王もそうだと思いますが、現在の世界で最も大切にすべきは「人道に関する価値の共有」「そのための具体的な行動」だと考えていると思います。

冷戦崩壊後西側資本主義の勝利で世界共通の価値観は「経済発展・競争による豊かさ追及」であったと思います。発展を謳歌する世界の裏側で貧富の差の拡大とか、貧しさの連鎖があり、気づいてみると世界各地に難しい問題を引き起こすことになっていると思います。そうした時代だからこそ、政治体制とか経済発展段階を超えた普遍的な価値が必要になっていると思います。フランシスコ法王にはまだまだ活躍の場の沢山残されていると思います。



2014年12月17日(水) イスラム過激派の行動

パキスタン北部のペシャワルの学校がイスラム過激派に襲撃されて145名の子供達の命が奪われました。パキスタンで反政府イスラム過激はタリバンですが今回の大量殺戮は一段と残虐になったように思えます。先週パキスタン出身の「マララ・ユスフザイさん」がノーベル平和賞を受賞したばかりですが、マララさんの主張に真っ向から対立するタリバンは「何人ものマララさん(襲撃されること)」が出ることを警告していました。今回の学校襲撃がそのことだとすると全く非人間的で許せない行為です。

シリア・イラク北部の「ISIS」支配地域からも「ISIS」の残虐非道な統治の様子が報道されています。「異教徒・他宗派教徒の殺戮」「異教徒女性の奴隷化・レイプ」等が許されているのだといることです。こうした反体制イスラム原理主義組織は残虐性を「エスカレート」させることによって、団結力を保持して自らの組織を統合を維持しているように思えます。この「残虐性・非人間的行為」を「宗教の教え」と考えることはできません。「イスラム教」では決してそのようなことは教えていないはずです。その「残虐性・非人間性」はどこから来るのでしょうか。

イラクのフセイン政権、シリアのアサド政権による国の支配は「一握り権力者の権力欲」であることから、その構造そのものは「単純」であったのだと思います。しかしその専制体制を崩壊させた後に民主的な政権は立ち上がりませんでした。専制政権はそれ程まで優秀な人材を消し去り、貧困の継続で教育の機会を奪ってきたのでしょう。そうした土壌から生まれたのが「自らの命・他人の命」を尊重しない過激派集団だったのでしょう。そしてその集団の「波長」は先進国において社会から見放された若者達の自暴自棄とピッタリ合ってしまったのだと思います。この問題は決してイスラム諸国だけの問題ではなく現在の西側先進国社会にも根を張っている深刻な問題なのだと思います。



2014年12月16日(火) 原油価格が急激に下落

原油価格の急激な下落が止まりません。今日はWTI先物の原油価格が1バレルで55ドルにまで下落しました。昨年12月の平均価格が訳98ドル程度なので、原油価格は昨年同時期に比べて4割強下がりました。昨年12月のドル/円が105円程度なので今日の相場117円なので為替相場では1割強円が下がっています。為替変動も相当大きいですが原油価格の変動はその数倍の下落です。

アメリカのシェールガスの採算ラインが1バレル60ドル〜70ドルだということなので、今アメリカのシェールガス業者は体力の無い企業から経営が厳しくなっていることでしょう。将来のキャッシュフロー不安から株価は下がり資金借入実効金利は上昇しているはずです。こうした産業の疲弊がアメリカ経済に与える影響がどれ程大きいのか。ガソリン価格が下がる分の消費者購買力増加の効果が大きいのかもしれません。

アメリカは他の先進国よりガソリン価格に占める税金の割合が少ないので、原油価格変動はガソリン価格に直接的に影響を与えます。しかしシェールガス企業がポロポロと破綻をきたし始めるとアメリカ国民のプライドは大きく傷つけられます。サウジアラビアの意図的なシェールガス産業潰しが図に当たると、アメリカの中東戦略において新たな敗北となってしまいます。

問題は中長期的に原油価格が安定的に50〜60ドル程度で推移するのかということです。アメリカのOPEC対抗のためのシェールガス掘削抽出技術は更に進歩するのではないでしょうか。ロシアとかベネズエラとか余力のない産油国が悲鳴をあげる中、アメリカも徹底的に対抗してくることが予想され、シェールガスの採算ラインは徐々に下がっていく可能性はあります。この可能性はそれほど小さいとは思えません。それは技術革新んいよるエネルギー価格の下落です。

そうした状況では資源の無い日本がこれまで進めてきた脱化石エネルギーの「原子力発電所」「再生可能エネルギー」による発電への投資は非常に厳しくなります。ハイブリッド・非ガソリンエンジン自動車などの開発投資も採算が取れなくなる可能性があります。現在ハイブリッド技術では日本企業が先頭を走っていて、ヨーロッパもアメリカもハイブリッドでは出遅れています。むしろディーゼルエンジンの燃費向上の方向が主流のようです。日本でもマツダ自動車はそちらの方向です。「シェールガス革命」の狙いのひとつに日本の自動車産業の押さえ込みがあるのではないかしら。



2014年12月15日(月) 衆議院選挙考えたこと

今朝昨日投開票された衆議院選挙の公式な結果が明らかになりました。伸び悩んだ民主党では首相経験者お「菅」さんが比例区で当選し、同じ東京比例区の海江田玄代表は比例区で復活当選できずに落選というショッキングな結果になったようです。

野党第一党の民主党では捲土重来を図った元議員の復活が少なかったという印象です。民主党が党勢を拡大するための最短近道は前回選挙で敗れた元議員が比例区で復活することだと思いますが、これは相当難しかったようです。逆に自民党一回生新人議員が必死に前回獲得議席を守ったと言えそうです。自民党では石破前幹事長が全快衆議院選挙直後から組織を引き締めていた成果だと思いますし、民主党では全国に目を配り地道な選挙活動を指導する選挙プロがいなかったことが原因でしょう。今回は元議員復活の前に現代表の海江田さんが小選挙区で敗れ比例でも復活できない状況なのですから勝負にならなかった。それでも北海道では2名の元議員が復活したことは民主党の数少ない明るい話題でしょうか。

一方で国民の野党再編に期待する声が票に現れている感じがしました。超ベテランで野党再編に積極的な「小沢・亀井」の両巨頭が議席を守りました。そして再編に障害になりそうだった個性的な「渡辺・石原」の二人が落選しました。民主党では一匹狼的な海江田さんが退場し、その後には野党再編に積極的な議員が選ばれることになるでしょう。維新は辛くも現勢力程度を維持しましたが、その他の第三の極を目指すという政党は淘汰されました。保守自民党に対抗できるリベラル議員は自民党内に多くいると思いますが、今回選挙での大勝利によって現執行部への求心力は高まるものと思われます。従って阿倍首相が過激なタカ派路線を進めない限り与党分裂はありえないでしょう。

非常に他と異なる結果を出したのが沖縄でした。知事選に次いで衆議院選挙でも自民党に「NO」を突き付けました。小選挙区沖縄1区では共産党が、2区では社民党が、3区では生活の党が議席を獲得しました。沖縄だけは他の地域と別な風が吹いているようです。沖縄の基地問題ではもう一度真摯に沖縄県民の声を聞くことが必要かもしれません。明治時代の沖縄併合・第二次世界大戦での沖縄での戦闘を考えると、沖縄以外の選挙結果で沖縄の問題を決めてしまうのは少し酷な感じがします。自民党は沖縄の基地問題の基本路線は変更しないでしょうが難しい舵取りが必要になります。

テレビ報道で気になったことは、午後8時の開票開始からNHK・民放各局が競争で「当選確実」を打ち出すことです。その当選情報を確定させるためにどれだけの労力が費やされていることか。12時間もすれば正式な開票結果がでることが明らかなのに放送局間の競争は過熱してきています。各局とも同じような選挙特集番組を組んでいました。各政党幹部は放送局の「はしご」をしているような状況です。これってそんなに急ぐ必要があるのかしら。700億円かけた衆議院選挙ですが、こういう所にも無駄が発生していると思いました。



2014年12月14日(日) 衆議院選挙と円安状況

今日投票が行われた「衆議院選挙」では自民・公明の与党の圧勝となりそうです。アベノミクスに対する国民の信任が得られたということだと思います。これで選挙前の「円安・株高」の状況は当面その方向で推移しそうです。但し「円安」については少し行き過ぎのような感じを持ちます。

為替相場は各国通貨の金利差で決まるというのですが、現在世界各国どこでも政策金利は底に張り付いているような状況です。このような場合本当に僅かな金利差で為替の動きが決まってしまっているのではないでしょうか。つまりそれは非常に僅かな差が大きな違いを生成しているのだと思うのです。何らかの要因で僅かな金利差が逆転すると為替相場は大きく動くことになると思うのです。

大企業(輸出企業、海外子会社連結企業)の業績が良いのも「円安の効果」が大きいと思います。海外売り上げ、海外子会社の連結利益は円価換算で相当過大評価されるからです。日本の大企業が本当に世界で勝っている状況であるのか。国内市場に特化している企業(多分中小企業が多いでしょう)にとっては円安による輸入原材料価格の高騰は非常に辛いものだと思います。

国内物価が安定している局面においては、多くの庶民にとっては輸入品が安く買え、海外旅行先でも恩恵にあずかれる「円高」が好ましいことは明らかです。豊富な輸入ワインが飲め、海外から多くの音楽家が来日していた昨年までの状況とは様相が大きく変化してしまいました。有名なオペラハウスの引越し公演の数は皆無に等しくなりました。現在の「円安局面」が今後どうなっているのか非常に気になるところです。



2014年12月13日(土) 年賀状を作成中

来年は未年で私の干支です。12年前の前回どんな図案を用いたか忘れてしまいましたが、還暦を迎える来年に向けて少し「気合」を入れて考えています。「羊」は「トラ」とか「龍」に比べると弱々しい存在です。キリスト教でも「弱弱しい人間の象徴」のように扱われますし、イスラム教・ユダヤ教などにおいて「犠牲」として食されてきました。そのように人間に何の抵抗もなく無力で捧げられる存在だからこそ「平和のイメージ」があるのだと思います。

その「羊」の平和イメージを象徴する音楽がバッハの作曲した「羊はは安らかに草を食み(Sheep may safely graze)」だと思います。これはバッハの世俗カンタータのひとつですが、バッハの平和に対する深い洞察と作曲の天才の才能が見事に結実した傑作だと思います。この曲はバッハが仕えていたザクセンの領主(選帝侯)のヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生にに領主に献呈されました。領主の健康・長寿・善政を歌い上げた祝賀曲のようです。「ヨイショ」しているものだとは思いますが。

「羊はは安らかに草を食み」は可憐でノンビリしたオブリガートにのって主題が歌われます。その歌詞は以下のようになっています。この歌詞は非常に単純ですがその意味には非常に考えさせられます。最後の切で「our country」ではなく「countries(ドイツ語でLander)」と複数形を用いているところも注目に値すると思います。
近隣諸国でも同様だと思いますが、時として国内問題から目をそらすために対外関係が用いられます。国内の不満を抑えられないことから対外紛争が始まります。そういうことにならないように国内(足元)をキチンと処理する必要があるのだと思います。世界平和は世界各国の国内問題解決から導かれるのでしょう。


「SHEEP MAY SAFELY GRAZE」
Sheep may safely graze on pasture
When the shepherd guards them well.
Where rulers govern well
we may feel peace and rest
and what makes countries happy

勝手に日本語に訳すと以下のようになります。

羊が草地で安らかに草を食べることができるのは、
羊飼いが羊を上手に世話をするからです。
領主がその住民に対して善政を行うとき、
我々は平和で安住することができます。
そして世界の国々(近隣諸国)に幸せをもたらします。



2014年12月12日(金) 職場の忘年会

今日は職場の忘年会でした。現在の職場は我が家から随分と遠いので仕事の帰りに「飲んで」帰ることはめっきりと減りました。同僚の多くは職場からそれ程遠いところでに住んではいる訳ではありませんが、職場で「飲み会」は確実に減ってきているようです。そんな状況下でも「忘年会」は職場に残った数少ない「定例飲み会」の場です。同僚と色々な話をして楽しいひと時を過ごしました。

中華街のある横浜には中華料理の飲食店が多くありますが、職場の最寄駅の「神奈川新町」も同様で中国人の方が営む格安の中華料理屋さんが多くあります。この種の店はチェーン店ではなく個人経営のようで、上海・広東・大連など出身地域の料理を提供しているようです。そしてその料理・酒の料金は驚くほど安いです。料理人・サービスする人達全てが中国人のようなので日本人アルバイトに比べてもかなり人件費を安く抑えられているのだと思います。

かつてターミナル駅では日本の居酒屋チェーン店が流行しましたが、料金的に言えばこうした格安中国人飲食店に勝てるとは思えません。日本人アルバイトを雇う「日本」の居酒屋チェーン店が値下げ競争しても勝てる相手ではないように思えます。多分中国人の経営する中華料理店は日本の労基署とか最低賃金などとは関係のない世界で成り立っているのではないかと思われます。こうした中国から中国料理飲食店が今後横浜地域に限らず、全国の「飲み屋街」に進出していくのではないかと思います。

政治の世界では「日中間の溝」はなかなか埋まりませんが、「飲み屋街」(横浜に限っても)ではすでに中国人の進出はかなり進んでいて、残念ながら価格的に日本の飲食店が対抗できる水準にはありません。



2014年12月11日(木) 武蔵浦和「エキナカ」オープン



JR武蔵浦和駅の改札内に「ビーンズキッチン」と命名された食事・買い物ゾーンがオープンしました。以前は「ハンバーガーショップ、立ち食いそば屋・回転寿司」の3軒が営業していましたが、高架下ビルの改札外のレストランスペースも取り込んでかなり多くのショップが新装オープンしました。わたくし的に注目しているのは「クリスピードーナッツ」「丸亀製麺」の2軒です。武蔵浦和駅付近では初めての登場で、評判が良い店だけに楽しみです。これに対して残念なのはこれまで改札外のスペースに「とんかつ和幸」が食事ができる店舗を構えていたのですが、移転してショップだけになってしまったことです。

初日の今日は通勤の帰りに寄ってみましたが物凄い混雑でした。武蔵浦和駅利用者がこれ程いるとはびっくりです。クリスビードーナッツを買おうと思ったのですが混雑していたので止めました。話を聴いてみて興味を持ったのは「SWEETBOX」というスィーツ店です。店は小さいですがここでは期間限定で全国の色々なスィーツの販売することになるのだそうです。最近関東に進出した関西発のスィーツ販売形式なのだそうです。

「和洋」取り合わせて全国には数知れない「スィーツ店」がありますが、ネットで取り寄せることができるものが最近増えているとは言え、生物ですから基本的には現地に行って食べるしか方法はありませんでした。我が家でも「ザッハトルテ」を求めて川崎まで言ったことがあります。「SWEETBOX」ではその場所に期間限定で向こうからやってきてくれるのです。どんな「スィーツ」が食べられるのか楽しみです。

JR武蔵浦和駅では改札外飲食店を全部移転・廃止して「改札内」の飲食スペースを作りました。しかし通勤通学でJRを利用する人には便利ですが、JRを使わない住民にとっては不便になります。買い物したいときには「入場券」を買わなければなりません。また例え定期券があっても土日に駅改札内へ買い物で入場しようとすると「入場券」が必要になります。このような不便さをショップの魅力が凌駕できるのかどうか興味あるところです。



2014年12月10日(水) 「マララさん」ノーベル平和賞受賞

今日ノルウェーの首都オスロでノーベル平和賞の授賞式が行われます。今年のノーベル平和賞は17歳のパキスタンの活動家「マララ・ユスフザイ」さんとインドの活動家の「カイラシュ・サティヤルティ」さんに贈られます。

マララさんはイスラム国パキスタンで過激派タリバンが少女・女性の教育禁止していることに反対して活動を推進してきました。2012年はタリバンに頭部を銃撃され重傷を負いましたが、その傷を克服してその後も活発な活動を進めています。「カイラシュ・サティヤルティ」さんはインド国内の子供労働問題に取り組んできたとのことです。インド・パキスタンでは、「貧困、宗教(イスラム教・ヒンズー教)、カースト制度」が密接に絡み合い、社会の停滞を助長し容易にテイクオフできない状態となっています。

イスラム社会における「女性の権利」を拡大し社会での女性の役割を拡大しようという活動は非常に需要です。男女の人数がほぼ同数だと仮定すると、女性を教育を施さず家に閉じ込めることは国民の半分を社会の労働から遠ざけていることになります。多くのイスラム社会が貧困と闘っているとき、女性の教育・社会進出は非常に大きな助けになると思います。また「紛争の無い平和な社会」実現という運動も「女性の力」が男性よりも力強いのではないかと思われます。

シリア・イラクで勢力を拡大してきた原理主義組織「ISIS」は、これまで地域的で比較的特定国に閉じた活動をしてきた原理主義組織が他組織を吸収しようとする活動を展開しているようで非常に憂慮されます。「ISIS」武装兵団が主に先進国からスカウトされた「青年」で構成されているということも特徴で、先進国の社会矛盾を利用して自らの勢力を拡大してきたとも言えます。アメリカ・イギリス等は自国出身のイスラム青年兵士と戦っていることになります。

不気味なイスラム原理主義拡大が非常に難しい局面にあるとき、「マララ」さんの活動が世界的に評価されイスラム圏では数少ない明るい話題を提供してくれました。マララさんのような女性活動家がどんどん活躍し、イスラム社会内部から矛盾をひつつずつ取り除いていってくれることを望んでいます。



2014年12月09日(火) 衆議院選挙の対立軸

今回の衆議院選挙ですが、前回自民党に大敗した「民主党」かの立候補者数は全員当選しても単独で過半数を取れない程度の数だそうです。これは2012年12月の選挙後で大敗してから、その後の阿倍自民党政権下で「党勢立て直し」「候補者探し」に遅れをとった証拠です。「政権交代可能な2大政党制」を目指しながらこのような状態だと民主党は「ジリ貧」だと思います。この点かたすると日本共産党は当選・落選は別にしていつも多くの立候補者を確保しているのは立派なことだと思います。

前回の選挙で民主党に勝った自民党では安倍首相の再登板となりました。現在の民主党内で再登板でも良いですから「首相候補」と成りうる人材がどれくらいいるのか非常に頼りない状態だと思います。現党首・何人かの党首経験者が小選挙区で落選の危機に瀕しているのですから「何をか言わんや」です。

自民党タカ派(右寄り保守)の阿部首相は危険な匂いはしますが、政治手腕に関してはかなり「胆力」があります。多分明治維新を担った「山口県」の政治指導者の流れを汲む「自恃」があるのだと思います。良い悪いは別にして一本筋が通っています。このタカ派の自民党安倍首相に対して、政権交代受け皿としての「リベラル派」はどう頼りないです。

そもそも「保守右派」に対抗する「リベラルの姿」が具体的に見えません。民主党で言うとその大きな支持母体は「総評」であることから保守に真正面から対抗する「左の革新」のように見えます。これでは国民に政権交代の受け皿とは思われません。「維新」はというと「石原慎太郎」と組むのですから「タカ派」の色合いが強く「安倍首相」との対立軸がボケます。こう観ると日本のリベラルは「自民党」の中にいるのだと考えざるを得ません。

現在の「議員内閣制」においては選挙民は「政党」を選ぶこととなり、多数を取った政党の指導者が行政の長(首相)となります。しかし現在の「保守×リベラル」ではなく「与党×野党」という対立構造では「野党」が勝つ可能性は本当に小さい気がします。伝統ある与党自由民主党に対して経験不足で準備不足の民主党では結果が見えています。前回の選挙結果・今回の選挙に対する民主党の取り組みはそれを物語っています。

こうなったらむしろ大統領制を導入し、大統領(行政の長)は「人物」で選び、議会(立法府)は「政党」で選ぶような仕組みに変えてみたらどうでしょう。全国各地で保守候補者に対抗できる「リベラル」な候補者を探し出すより、全国から一人のリベラルリーダを探し出す方が容易な気がするのです。もし日本で大統領選挙が行われれば「阿倍首相」が大統領に選出される可能性は、今回の種議員選挙で勝ことよりかなり小さいだろうと思われるのです。



2014年12月08日(月) 真珠湾攻撃

73年前の12月8日に日本(大日本帝国)は真珠湾を攻撃して対米戦争に突入しました。当時の日本の指導層・知識人はアメリカと戦って勝てると考えていなかったのに、日本の社会の流れの中で無謀な対米開戦への一本道を突き進んでしまいました。それは明治以来の成功体験が国民の思想形成に大きな影響を与えていたとも言えるし、世論形成におおきな役割を果たすべき「マスコミ」が国民感情に阿った結果とも言えます。

丁度衆議院選挙運動期間の折り返し点ですが、この「平和」に関する議論が少なく「アベノミクス」の「成功・失敗」というような経済・財政に関する論点が選挙の中心になっているように見えます。73年前の真珠湾攻撃も原因は経済問題でした。資源の乏しい日本はアメリカに原料輸出を止められると直ぐにも経済に破綻を来たす状態だったのでした。日本の国民経済を守るという理由で戦争を開始してして国民の命を失い、幸せな国民生活を台無しにする結果になりました。

現在も中東ホルムズ海峡を封鎖されれば日本への原油輸送に支障を来たすということで「集団的自衛権の行使」を可能とするような政府見解が出ているようです。超大国への道を突き進む中国と専制体制北朝鮮を隣人に持つ日本はアメリカ軍の基地を沢山抱えることになっています。安保条約でアメリカに守ってもらっていますが、アメリカからすれば中国・ロシアに対抗するアメリカ本土から離れた前線基地としての日本の存在価値が大きいことが安保条約の「肝」でもあります。

今回の衆議院選挙で虚しく感ずるのは、「自民党→アベノミクス推進→社会保障・財政改革→タカ派→中国・韓国と対立→東アジアの緊張」という自民党政権の政治ストーリーに対して、対抗できる勢力が居ないことです。自民党内のハト派的な人がいるはずですが「声」は聞こえてきません。自民党を飛び出したハト派(リベラル)の人は民主党の中で埋没してしまっています。平和を願う国民は誰を選べば良いのか分かりません。今回の選挙で選ばれる政権が来年の「終戦70周年」に対応することになるのですが。



2014年12月07日(日) ウフィッツ展



昨日土曜日夜に今年10月から東京都美術館で開催されている「ウフィッツ展」を妻と娘と観てきました。展覧会期間の特定の土・日には夜も開いていて6日の土曜日も午後8時まで見学可能でした。寒くなったし忘年会シーズンの土曜日なら空いているだろうと予想していきました。予想通りで有名な展覧会にしては空いていてゆっくり名画を楽しむことが出来ました。

9月にフィレンツェを旅行したときに「ウフィッツは美術館」は十分楽しんだので東京で開催される展覧会は観なくても良いだろうな思っていましたが、旅行から2ヶ月以上過ぎると再びルネサンス名画を見たくなりました。特に今回の展覧会は「ボッティチェリ」の何枚かの絵が展覧会の目玉でしたし、フィレンツェの幾つかの美術館で気になった「ブロンジィーノ」の絵も含まれているので見たくなったのでした。

「ボッティチェリ」では「パラスとケンタウルス」が他を圧倒していました。「ボッティチェリ」らしい「何を表しているのか意味不明ながら絵の中の人物の物憂い表情が観る人に強い印象を与える」雰囲気を醸し出している代表的な絵のひとつです。この絵はウフィッツでは「ビーナス誕生」とか「プリマヴェーラ」と並んで飾られているのでフィレンツエではどうしてもその2枚に目が行って見逃し勝ちなのですが、この絵を単独でみるととても素晴らしいです。ルネサンス最盛期の1490年前後にはほんとうに自由で明るい絵が生み出されました。

今回の展覧会でもこの15世紀最後の10年間をピークとしてルネサンス美術に明るさがなくなり、題材が次第に残酷になり、描写がおどろおどろしくなっていく様が見て取れました。これはフィレンツェにおける美術愛好家のロレンツォ・メジチの没落・死、サヴォナローラの復古的なフィレンツェ支配、社会混乱の拡大が背景にあると思われますが、私には芸術を理解した大金持ち「ロレンツォ」の死が決定的な影響を及ぼしたように思えます。「ロレンツェ」以降には芸術を理解し優れた芸術家を励まし、普遍的な芸術作品に大金を投ずるパトロンが現れなかったのだと思われます。改めて「ロレンツォ・メディチ」の人類への貢献の大きさに感謝すべきだと思いました。



2014年12月06日(土) 浦和レッズチャンスに勝てず

Jリーグ一部の順位は第33節(11月29日)時点で、浦和レッズとガンバ大阪が勝ち点「62」で並び、得失点差ではガンバが28レッズが21で「7ポイント」の差があるのでガンバ大阪が首位に立っていました。最終節の今日の試合ですが、ガンバ大阪が「対徳島ヴォルティス(現在最下位)」、レッズは「対名古屋グランパス(現在11位)」なのでガンバが圧倒的に有利だ思っていました。両者とも勝利しても得失点差でガンバの優勝となるのです。

ところが今日の試合でガンバ大阪は徳島と「引き分け」に終わりました。「ガンバ大阪×徳島ヴォルティス」の途中経過の情報を知った「浦和レッズ」には何としても勝ち点3を取って欲しかったのに結果はレッズの逆転負けという結果に終わりました。この結果ガンバが勝ち点63として「J1優勝」を果たしました。32節からの浦和レッズの試合ではものの見事にファンの期待を裏切り続けました。更に間の悪いことに「大宮アルディージャ」の「J2陥落」が決定しました。サッカー王国埼玉の低迷は暫く続きそうです。



2014年12月05日(金) 「人間ドック」してます。

今日・明日と人間ドックに来ています。今回のドックは横浜保土ヶ谷中央病院にきています。ここは去年まで「横浜船員保険病院」と称していて数少ない「船員保険扱い」の病院でした。かつては日本人船員が沢山居ましたので専門病院が必要だったのでしょうが、現在日本人外航船員の数が急減してしまったので名前を変えて一般病院となっています。宿泊人間ドックは少ないように見受けられましたが「別な医者」の目で見てもらおうと思ってお願いしました。同じところで継続してドックを受けると過去のデータがあるので「変化」を見つけ安いことはあると思いますが反面「慣れ」で見逃す危険性も出てくるとおもいます。その辺はどのように考えるか難しい面があるとは思いますが。

ドックの詳しい結果はまだ分かりませんが、血液検査の結果だとか、タニタの機会を使った「体組成検査」の結果についはフィードバックしてもらいました。まず「対組織検査」ですが「体脂肪率11.2%」で「アスリート体型」という評価を頂きました。体内年齢は「37歳」という判定なのでなんど20歳以上若い身体構造を維持していることになります。これは3年間の歩数・体重管理、水泳による成果だと思います。

血液検査における「HbA1c(NGSP)」の値は「6.4」で前回(2013.6.20)の「6.3」より極わずか悪化しました。一方空腹時血糖は今回「112mg/d」で前回の「132」より大幅に改善しました。
一方負荷後の血糖値は1時間後の値で今回「238」(前回「278」)、2時間後今回「303」(前回247)」ということで、糖大量摂取に対するインシュリンの働きは明らかに落ちていると考えられます。

空腹時血糖は「112」に落ち着いているということは、糖分の摂取量と運動量を適正に保つことができさえすれば「血糖値」をコントロールできることを示していると思います。インシュリンの働き低下に関しては年齢を考えれば仕方ないし、薬を使うことには抵抗があります。「血糖値」を管理できれば心臓ありは血管の詰まりを原因とする病気の危険性を減らすことができます。



2014年12月04日(木) シチリア葡萄のワイン



イタリア・シチリア島で生産された「CANTINE LAVORATA」社のお得なワインです。葡萄は赤ワインは「ネッロ・ダヴォーラ種」で、城ワインは「インツォリア種」です。「CANTINE LAVORATA」社自体は「カラブリア州」(石を蹴る爪先のところ)の会社ですが、葡萄は全て「シチリア州」から調達しているようです。それが「Indicazione Geografica Protetta」という証明が示しているようです。

「ネッロ・ダボッラ種」はシチリア島の代表的な葡萄品種なのですが、20世紀までは主にブレンド用に使われてきたようです。それが品種改良や地方風味の見直しの動きなどで単独でワインに使われるようになったのだといことです。嘗ては海外ではフランスの有名品種のワインだけ人気がありワインが「高級品」だったこともあり、無名品種の格安ワインが海外に売れる時代ではありませんでした。しかし時代が変わり各地のローカル品種を使ったワインが世界各地に流通するようになりました。「ネッロ・ダボッラ」はシラー種に似た風味がありとてもチャーミングな味がすると思いました。1000円以下のワインとしてはかなりパフォーマンスが良いと思いました。

「インツォリア種」もシチリア特産の「白ワイン用」のぶどうですが、こちらも長らくブレンド用に使われてきたようです。トスカーナ地方でも作られていてとすかーなでは「アンソニカ」と呼ばれているようです。インツォリア単独の白ワインは非常にドライですっきりした飲み口です。味に透明感があってしっかりしています。かといって失敗した「シャルドネ」のような「癖」もありません。デザートワイン風ではない白ワインとして非常にコストパフォーマンスが良いと思います。トレッビアーノより淡白な感じを持ちました。

イタリアワインは北部・中部からお得なワインを求めて順次南下してついにシチリア島まで着ましたが、気候の良いイタリア南部には美味しいワインが沢山あるようです。1000円未満でどんどん新しいワインが出てくることは嬉しい限りです。



2014年12月03日(水) 「野沢菜昆布御飯弁当」



「NEWDAYS」の新発売の小型弁当「野沢菜昆布御飯弁当」です。税抜き価格361円で税込み390円です。同じ大きさの器を使っている「ひじき御飯弁当」が税込み360円なので、それより「30円」高い弁当と言うことになります。漬物の変わりに「マカロニ」が入っていたり、御飯の上に「二切れのパプリカ」がのせてあって少しグレードが上がっています。エネルギー量は405キロカロリー。分量・味とも大変満足のいくお弁当です。



2014年12月02日(火) エボラ出血熱惨禍でキューバ医療団の貢献

西アフリカの「エボラ出血熱」は漸く被害拡大の速度が減ってきました。この12月初めの状況として、シェラレオネ・リベリア・ギニアの西アフリカ3か国を中心にエボラウイルス感染者数は16000人、死亡者数は7000人に達しているとの情報がありますが、現地での医療施設・設備が整備されてきたことによって、爆発的な被害の増加・近隣諸国への伝播は押さえられて来ました。西アフリカでは世界各国からの救援隊が活動しているということですが、その中で「キューバ」から救援隊の活躍が注目されているそうです。

10月下旬から現地での医療活動を開始した「キューバ」の医療チームは、医師・看護師を合わせてショラレオネに165人、リベリアに53人、ギニアに38名の合計256人が半年間の予定で現地医療活動に従事しているそうです。キューバではこの派遣に先立ち461人の医師・看護師を首都ハバナに招集して西アフリカで医療活動にあたる為の特別訓練を実施しました。この461名を選抜する前段ではキューバ国内の医学生・医者など15000人からボランティア活動応募者があったとのことです。ボランティア応募者の言葉がネットにありましたので引用します。

「我々は現在これまで全く経験したことのない事態と戦っています。我々はこの状況がどういう事態に発展しようとしているか分かっています。我々が向かう現場西アフリカは非常に危険な状況にあることは分かっています。しかしそこで医療活動を行うことは我々の義務だと確信しています。我々はそのように教えられてきました。」

“We know that we are fighting against something that we don’t totally understand. We know what can happen. We know we’re going to a hostile environment.But it is our duty. That’s how we’ve been educated.”

このようなキューバの医療分野における国際貢献活動は1960年代まで遡ることが出来るのだそうです。これまで135,000人の医療従事者を海外に派遣してきたとのこと。そして現在でも南アメリカ・アフリカ・アジアを中心として50000人医療従事者を派遣中だということです。このようなキューバの活動に対しアメリカ政府からも大きな賞賛の声が上がっています。人口1100万人のキューバですが「医療」に関しては世界最先端の国なのです。そして自分の国だけに留まらず世界中に出て行って「命を救う」活動を行っています。立派な国です。



2014年12月01日(月) 来年1月にスリランカ大統領選挙

スリランカでは現職のラジャパクサ大統領が任期を二年残しての前倒しの大統領選挙を実施して「3期目」の続投を目指しています。この大統領の動きに対抗してラジャパクサ政権で保健大臣を務めていた「マイトリパーラ・シリセーナ(Maithripala Sirisena)氏」が政権から飛び出して、ラジャパクサ大統領の3選阻止のために立候補するのだそうです。このシリセーナ氏の行動に対してスリランカ政界野党から「支持表明」が多数寄せられていて、現職・新人の一騎打ちの選挙になりそうです。

シリセーナ氏は野党勢力を糾合した「NDF(The New Democratic Front)」という政治組織から立候補するのだそうで、この政党のシンボルは「白鳥」だとのことです。これに対して現職のラジャパクサ大統領の政権母体は「UPFA(The United People's Freedom Alliance)」で政党シンボルは「青いベテル葉(噛みタバコ)」です。

ラジャパクサ大統領は2005年11月に大統領に就任して憲法を改正して大統領への権力集中を図りました。親族を政権内の要職に付けて、自らは「国防大臣・財務大臣・港湾航空大臣・ハイウェー大臣」を兼務し国の予算配分の関して非常に大きな権限を持つことになっています。集中した権力と強い指導力を発揮して2009年5月には20年以上続いたタミール反政府組織との内戦を武力で解決しました。近代的な軍事力で容赦なく空爆を行ってゲリラ組織の橋頭保一つ一つ殲滅していった結果でした。この民族紛争解決は大統領の人気を一気に高める効果がありました。

しかしこの内戦武力解決と並行する形でラジャパクサ大統領の権力乱用・ファミリーへの利益誘導が行われました。大統領出身地のスリランカ南部「ハンバントタ」には国際航路用の港湾が整備され、スリランカ第二の国際空港が設置され、コロンボと南部を結ぶ鉄道・高速道路がいち早く整備されています。この南部への投資に比べると北部・東部の旧反政府組織支配地域の復興・開発は非常に遅れています。

こうした大統領の「暴政」にスリランカ国民は漸く声を上げることになったようです。シリセーナ候補は「大統領の行政権限廃止(大統領就任後6ヶ月以内に廃止)」を掲げています。かつて国会が選ぶ行政権を持つ首相と直接選挙で選ばれる大統領が「ねじれ」を起こすと政治は停滞しました。大統領の行政権限を廃止すると再びそうした政治的混乱発生の可能性が出てきますが、野党の多くそして国民の多くは権力の分散を望んでいるようです。国民の審判はどのように下るのでしょうか。

因みにラジャパクサ大統領が「財務大臣」を兼務しているので実質的に国の財政に責任を持っているのは財務次官の「ジャヤスンデラ氏」です。「ジャヤスンデラ氏」はスリランカ通信会社の政府持ち株代表を兼ねていたので、スリランカに赴任しているとき、及びその後も何回かお会いしたことがあります。もの静かで非常に誠実で大変優れた方でした。

既に20年近くも財務次官の職を続けているスリランカの強力な金庫番です。政権が変わってもずっと財務次官職を続けてきたということはどちらの陣営からも一目置かれていることを示しています。内戦終結を挟んでもスリランカが成長して徐々に豊かになってきたことについて「ジャヤスンデラ氏」の健全な財政運営を行って国政を支えてきたことが貢献していることは否定できません。「ジャヤスンデラ氏」が安心して財務次官職を別な人に引き継げることができるような政治環境ができることを期待しています。




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