KENの日記
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2014年03月30日(日) 昼夜の広上さん指揮のコンサート

今日午後サントリーホールで行われた「トヨタ青少年オーケストラキャンプ(TYOC)」のコンサートを聴いてきました。今回で30回を迎えるTYOCはトヨタ自動車の社会貢献活動の一環でJAO(日本アマチュアオーケストラ連盟)との共催です。日本各地から集まった若いアマチュア演奏家がサントリーホールで元気いっぱいの演奏を聞かせてくれました。

曲目
レスピーギ: 交響詩『ローマの松』
ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 (ヴァイオリン:三浦文彰)
(アンコール:アルプス一万尺変奏曲)
サン=サーンス: 交響曲第3番 ハ短調 「オルガン付き」(オルガン:池谷瑞季)
指揮:広上淳一
演奏:日本青少年交響楽団
サントリーホール 午後2時開演

管楽器・打楽器セクションで大人数の奏者が出演できる曲となると、どうしてもロマン派以降の大規模な曲となります。今日のプログラムも「ローマの松」「サンサーンス3番交響曲」という大作を含むものとなりました。両方の曲とも分厚い弦楽演奏と管楽器・打楽器の大音響がサントリーホールの広い空間を埋めました。こういう曲の仕上げには定評ある「広上さん」の指揮なので非常に聞き応えのする演奏となりました。聴衆に関係者が多いとは言え熱烈で長時間の拍手が続きました。

個人的には大作の間に演奏されたソリスト三浦さんのショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲に大変感動しました。三浦さんのボーイングは大変しなやかで洗練されています。使用楽器は貸与されている「1748年Guadagnini」という名器だそうですが、その名機が気持ちよさそうに多彩な音色を聞かせてくれました。100人を超える演奏家の大音響と比べても遜色のないほど一丁のヴァイオリンの感動的音色が空間に広がりました。日本人若手ヴァイオリにストは多士済々ですが今日の三浦さんはその中でもトップを走る一人だと思いました。

若いオーケストラの演奏を聞き終えて帰宅してみると、NHK教育テレビ夜の「クラシック音楽館」で京都市交響楽団のコンサートの模様が放送されていました。指揮は常任指揮者の「広上さん」。偶然とは言え、広上さんのコンサートをもう一度聞くことになりました。京都市交響楽団第577回定期演奏会(2014年3月14日京都コンサートホール)

曲目
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調(ピアノ:ニコライ・ルガンスキー)
マーラー:交響曲第1番二長調「巨人」
指 揮:広上淳一
管弦楽:京都市交響楽団

京都市響・広上コンビのマーラーは大変な名演だと思います。NHKのインタビューで広上さんが「指揮者は演奏者の能力を引き出しているだけ」とおっしゃっていましたが、演奏家から引き出されたのは「演奏する喜びと感動」なのだと思いました。それは演奏中の奏者の表情・仕草と終演後の演奏者の満足そうな表情に現れていました。これまであまりNHK放送でアップの表情が写しだされることのないオケのメンバーは今回少し戸惑ったようですが、気持ちのこもった演奏をすれば全国放送に出演する機会も増えるという証拠です。

マーラーの交響曲が決して自分達から遠い西洋の音楽ではなく、身近な自分達の音楽であるかのような納得感のある演奏でした。広上さんの指揮に全身全霊で応える京都市響は大変立派なオケだと思いました。特に弦楽器の素晴らしさは特筆ものだと思います。トップから後ろのプルトまで弓を最大限使った力強いボーイングは、バイオリンからビオラチェロ・コントラバスまで共通したもので、弦楽器の統率の取れた分厚くて熱い音が素晴らしかったです。

京都市響の演奏会が満員になるという話を冒頭で紹介していましたがそのことが納得できる演奏でした。現在の日本のプロの演奏会でこれほどの熱の入った演奏がなされるチャンスは本当に稀れだと思われます。アマチュアは勿論のことプロ演奏家からも最大限を引き出す広上さんの指揮は物凄いと思いました。



2014年03月21日(金) 武蔵浦和西南桜



今日の朝、武蔵浦和駅から「別所沼」に繋がっている「西南桜」の桜並木道に「花見提灯」が準備されていました。桜は日当たりの良い場所にある木の鼻目が膨らみ少し赤みを持ってきましたが、まだ開花には数日かかりそうな状況です。二週間後の4月4日に「桜祭り」が開かれることが決定していてその前段の準備です。昨年は「花見提灯」をつけた翌週から寒波がきて桜の開花は予想より遅れたのでした。今年はこれから二週間あるので丁度良いタイミングになるのではいでしょうか。



2014年03月20日(木) マレーシア航空機の残骸発見か

今日の夕方ですが、オーストラリアの衛星が遭難したマレーシア航空機の残骸らしきものを捕らえたとの速報がありました。場所はオーストラリア東岸の「パース」の南西2300Km付近の海域だそうです。現在捜索船が現場に向かっているようですが大分遠いので捜索船が到着するのは明日になりそうです。偶々近くを航行していた自動車運搬船が現場に近づいてできる限りの捜索活動を行っているようです。

その自動車運搬船は「マダガスカルからオーストラリアに向かう」便であったとのことです。インド洋の南は殆どこの種の船した通過しない海域のようです。飛行機の航路があったとしても、アフリカとオーストラリアを結ぶ便でしょう。大陸が北半球に集中していて、北極上空は「近道」として便利ですが、南極とか太平洋・大西洋・インド洋の南部は本当に「人通り」のない場所のようです。もし飛行機がその海域に迷い込んでしまったら捜索は難しいことが良く分かります。

明日夜が明けると一斉に捜索活動が開始されるものと思われます。今回の遭難事故は現時点では全くその原因が掴めていません。果たして飛行機事故の原因は何であったのか。真実の究明が待たれます。



2014年03月10日(月) マレーシア航空機遭難

クアラルンプール(KL)発北京行きのマレーシア航空の旅客機MH370便(ボーイング777−200型機乗客乗員239人)が行方不明になっています。この便は3月8日の午前0時41分にKLを離陸し、北京には同日午前6時半に到着する予定でした。機影がレーダーから消えたのは午前1時30分頃で南シナ海(岸から220Km)上空約10000メールです。

機長や当該機から異常を知らせる情報が全く無い状態で行方不明となっています。当該機には偽パスポートを使って搭乗した客が二人いて、更に搭乗手続き後実際には搭乗しなかった客が5人(手荷物は当該機から降ろされた)いたために、テロの可能性を排除できないと観測されています。

もしテロだとすると搭乗手続きに重大なミスがあったのではないかと思われます。まず。偽パスポートのチェックを怠っていたことに加え、偽パスポートの客が北京乗り継ぎ欧州へ行くチケットを購入していたので、コードシェアしている中国南方航空の陸上職員も油断していた可能性があります。更に深夜午前0時台の出発ということもあり、中国人客が半分以上を占める便であるためKLでのチェックが甘くなっていた可能性もあります。

MH370便のルートはKLから南シナ海に出て、ベトナム・カンボジア上空を飛行し、ベトナム北部で再び南シナ海海上を通過し、広州上空を通過して中国領土内を北京に向かうものでした。レーダの機影は南シナ海(タイ湾)で進路を変えたことを捉えています。何の連絡も無く進路を変えたことは非常に不可解です。

もし地上への被害を最小限にするために海上で飛行機を爆破することを考えたとすると、そのチャンスはマレーシア・ベトナム間とベトナム北部・中国間の南シナ海しかありません。更に言うとベトナム北部は中国大陸と近い沿岸を通過する可能性がありますので、広い海域の上空といえば今回の場所以外ありません。

もしテロで無かったのならいったい何が起こったのでしょうか。謎に包まれた遭難事故です。



2014年03月06日(木) スリランカ北部鉄道が徐々に復興

20年以上の長期に亘った内戦で激しく破壊されたスリランカ北部のインフラが少しずつ復興が進んでいるようです。3月4日本島側の主要都市キリノッチとジャフナ半島のパライの間の鉄道が開通し、南部の首都コロンボからパライまで鉄道直通運転が開始されました。下の写真はスリランカの新聞(NET)からに掲載されていたものを転載しました。どの辺りかわかりませんが真新しい線路が敷設されています。




北部に向かう鉄道については2013年9月14日に嘗てLTTEと政府軍の占領地を隔てる南部検問所のあった「オマンタイ」からLTTEの根拠地のキリノッチまでの鉄道が再開されていました。そして北西部ではマドワッチからマドゥロードまでの鉄道が2013年5月14日に再会されていました。今回ジャフナ半島の検問所があった「パライ」まで鉄道が開通されました。

スリランカ北部への鉄道は1956年にコロンボから北部の主要都市「ジャフナ」を経由してジャフナ半島最北端の「カンケサンチュライ」まで開通しました。この路線は「The Yal Devi」(ジャフナの女王)という優美な名称で呼ばれていたようです。当時ジャフナは首都コロンボに匹敵する人口集積地区で謂わばスリランカ版の「東海道新幹線」だったのです。

この鉄道の旅についてはスリランカン内戦をテーマにした「キラーリクロッシング」という小説に詳しく描写されています。私がスリランカに滞在していた時期(民族紛争中)の鉄道はヴァウニアが終点でした。そこから少し北にいったところからはLTTE支配地となっていました。政府軍・LTTEの内戦終結交渉が進展しジャフナに向かう「A9国道」が通行可能となりましたが、それに平行して走る鉄道は完全に破壊された姿を晒していました。

ジャフナ半島の「パライ」まで伸びたとは言え、そこからジャフナ市街まではまだかなりの道則(25〜30Km)がありますので、ジャフナセントラルまでの復興を一日も早く実現してほしいと思います。




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