KENの日記
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2012年03月27日(火) サンタンジェロ城・オペラ魔笛鑑賞

ローマ三日目は「サンタンジョロ城」見学は決めているものの、その他の時間は予定を組まずにもし疲れがたまってしまったらホテルで休んでいても良いかなと考えていました。というのも今夜はローマオペラ座で「魔笛」を観ることになっているからです。しかし朝起きてみると意外に元気でまだまだ歩き回るエネルギーがあるので結果的には大分歩き回ることになりました。

まず40番バスでサンピエトロに向かいました。朝早いのでサンピエトロ教会の「クーポラ登り」がまだ空いているだろうとの判断です。サンタンジェロ城やローマ市街を高い所から見ておこうという狙いがありました。私達の推測通りでキューポラ登りは空いていて私達夫婦が殆ど一番乗りだったみたいです。

エレベータである程度の高さまで登り、クーポラの上部からサンピエトロ内部を見渡した後、細い階段をかなりの段数を登ってクーポラの頂上近くまで行きました。そこからの眺めは非常に素晴らしく朝日に映えるローマ市内が一望されます。これから向かうサンタンジェロ城も上から見る事ができました。ローマには目立つ近代的な高層建築は全くありません。この光景は500年前も全く同じだったのでしょうしこれからも変らないのでしょうね。混雑する時間帯に見学に来たらさぞ大変だろうと想像しながらまだ人の少ないクーポラを後にしました。朝日をふんだんに取り込むサンピエトロ聖堂内部をもう一度見学してからサンタンジェロ城に向かいました。

サンタンジェロ城は「歌劇トスカ」の第三幕の舞台でありますし、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」でも登場するローマの一風変わった名所です。古代ローマ時代には皇帝の陵墓だったようですがその後「城」に転用されました。城とするからには外からの攻撃を防ぐことを目的に補修したのでしょうが、結果的には中から出ることも難しいことになったために「牢獄」として活用されたようです。

入場すると見学者はまず城の地下に案内され城の地下から城内部の通路を通って屋上まで進みます。途中の広場には18世紀中ごろまで城の頂上に置かれていた大理石の天使(ミカエル)像が置かれています。現在頂上に置かれている天使は剣を持っていてもっと勇ましい姿をしています。一番上の屋上はカラヴァドッシが銃殺されトスカが身を投げる場所です。ここからの眺めは素晴らしく今度はサンピエトロの立派なクーポラと広場を見渡すことができます。帰りは城の部分から城壁に渡し橋で移って城壁を見学して降りてくるのですが、この渡り橋を外しさえすれば城は完全に城壁から分離されるようになっているのです。

サンタンジェロ見学の後は地下鉄でリパブリカまで戻って、宿泊しているホテルにも程近いリパブリカ周辺の教会・美術館を見学しました。狙いは「天使と悪魔」にも出てくる「聖テレーザの法悦」のある聖マリア・デッラ・ビットリア教会でした。しかし教会の午後のオープンまで時間があったので、近くの聖マリア・デッリ・アンジェリ教会と国立博物館を散策しました。

聖マリア・デッリ・アンジェリ教会はミケランジェロの設計したという古代ローマ建築を利用したモダンな教会です。16世紀に設計された建物が非常にモダンに見えるというのも天才の設計だからだと思います。ベートーベンの最後のピアノソナタのように未来を先取りしたかのようです。教会内部には大仕掛けの日時計が置かれています。この教会のホームページは英語版もあって現代的な感じのする教会です。聖マリア・デッラ・ビットリア教会では興味のあった「せいテレーザの法悦」を間近に見ることができました。しかし像が高いところにあってマリアの表情までは良く見えませんでした。

***ローマオペラ座***

ローマに入る前にナポリによってナポリの「サンカルロオペラ劇場」を見学しました。サンカルロ劇場は王宮の直ぐ横にある非常に立派な建物で内装も非常に豪華でした。イタリア統一前の歴史を振り返ってみると、ローマは長い間ローマ教皇の領土でした。そしてその勢力範囲はそれほど広くはありません。その教皇領より南のイタリア半島の半分程度は長くナポリ王国が支配していました。ナポリ王国の領土はイタリア統一前は最も広大なものであったのです。当時イタリア北部はというと「ミラノ公国」とか「サヴォイア公国」とか「ヴェネチア共和国」とか規模の小さい国々が乱立していたのでした。

こんな背景もあって、ローマオペラ座はナポリのサンカルロ劇場に比べると規模にしてその煌びやかさにおいても劣ると感じるのは仕方のないことだと思います。つまり王様のお膝元で長い伝統を持つ劇場(サンカルロ)と19世紀の共和国統一後に作られた新しいオペラハウスの違いは伝統の違いとして感じられたということです。更にローマカトリック、古代ローマ遺跡の街ローマは音楽においてミラノとかフィレンツェとの差を感じざるを得ません。もっとも敷居の高くないオペラ座は世界中の観光客が気軽にオペラを楽しむ環境であるというメリットがあるとも言えます。今回の「魔笛」も指揮者・歌手は他のオペラ劇場からの寄せ集めの公演です。そんなオペラ座もありかなと思います。ところで昨年暮れから「ムーティ」がローマオペラ座にきました。これから「ムーティ色」がでてくるのでしょうか。円熟したムーティとのコンビで大きく飛躍するのかどうか楽しみではあります。

今回の「魔笛」はコヴェントガーデンの人気演出の焼き直し版です。そうするとどうしてもコヴェントガーデン版との比較にならざるを得ません。どうしようもないことですが「ダムラウ」のような「夜の女王」は滅多にいるものではないのです。オペラでの出番は少ないものの「夜の女王のアリア」は魔笛で主要な見せ場の一つです。今回は残念ながら「ハイF」の音は殆ど外れていました。他の歌手が結構頑張っていたのに「夜の女王」でマイナスが大きくオペラ全体の評判を落としてしまった感じです。私はパミーナを歌った若い「ミューラー」さんの歌唱・演技が素晴らしいと思いました。この人はこれから大いに活躍するのだろうと思われました。タミーノ、パパゲーノ、ザラシュトラは非常に安定した演技だったと思います。予定外で平土間で聞くことができたのはラッキーでした。日本の大きなホールでは絶対聞けないような声の振動を感ずることができました。

今回オペラ座近くにホテルを確保しました。それは夜8時30分に始まるオペラが終了するのは夜12時過ぎになると思われましたし、終演が遅くなっても歌手の写真を撮ったりサインをもらったりすしたかったからです。予定通り、パミーナのミューラーさんからサインをいただき一緒に写真まで取らせてもらいました。イタリアでも夜12時過ぎの終演では楽屋口で歌手を待ち受ける人の数は少なかったです。頑張った歌手の皆さんには少し申し訳にような気がしました。この魔笛経験は今回のイタリア旅行の最後のイヴェントでしたが色々な面で非常に印象深いものでした。



2012年03月26日(月) ローマ散策2日目

26日(月曜日)は10時30分からヴァチカン美術館・システィナ礼拝堂の見学ツアーを予約しておきました。ヴァチカン美術館ホームページから入場券だけでも予約できますが、右も左も分からないため場所で戸惑ってしまうことが予想されたため、入場券+館内案内(英語)のコースを選んでおいたのでした。

ローマの美術館・博物館は月曜休館のところが多いことから、月曜日に開いているヴァチカンに観光客が集中するだろうということはある程度予想していましたが、朝から大変な混雑です。10時過ぎにヴァチカン美術館付近に着くと美術館入口の入場券売り場を先頭にして非常に長い行列ができていました。私達は入場券があるのですんなり入場することができました。貴重な時間事前予約は非常に役立ちました。

10時頃までにヴァチカンに着いていればOKということなので、その前に朝早くから開いている二つの教会を見学しました。サンピエトロと並んで4大聖堂に数えられる「聖マリア・マッジョーレ教会」と「聖ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会」です。聖マリア・マッジョレ教会はホテルの近くにあり、昨日夕方に立ち寄ったのですが館内は既に暗くて十分に内部を見ることができなかったのです。また聖ジョバンニ・ラテラーノ教会はマッジョレ教会近くの地下鉄「ヴィットリオ・エマニュエル駅」から駅二つ目の場所にありますが、昨日地下鉄が便利で早いことが分かったので思い切って行って見る事にしたのでした。聖ジョバンニ・ラテラーノ教会からヴァチカンまでは地下鉄に乗りさえすればそれほど時間がかからないことは確かめておきました。

結果としてこの二つの大聖堂を見たことは大正解だったと思います。早朝の教会は空いていて朝日が差し込んで内部が明るく大変厳かです。存分に写真を取ることができました。聖ジョバンニ・ラテラーナ教会は嘗て法王庁が置かれていた場所でもあるので大変立派な作りです。他の教会では殆ど見ることのできない「5廊式」の聖堂です。カトリック総本山の教会を見学する気分が高まったところでヴァチカンに向かいました。しかしヴァチカンでは人込にまみれることとなり、教会を厳かに見学するというものとは程遠い見学となりました。

ヴァチカンの見学コースでの案内役の方は確かに豊富な知識を持っていて細かいことを説明してくれました。特にラファエロの間の絵画の説明とシスティナ礼拝堂の絵画については細かい説明をしてくれましたが、正直詳しく聞いても英語に着いていけないし興味もわきませんでした。確かにラファエロ、ミケランジェロの絵画はとんでもないものであることは確かですが、描かれている人の数が多すぎるし、見学している人の数も多過ぎてざわついていてじっくり絵画を鑑賞する雰囲気ではありませんでした。

皮肉な見方ですが、高度な芸術作品が生まれる裏にはものすごい権力と富が必要なのだろうなということを再認識した次第です。しかも、それらの超有名な絵画は後代には世界から見学客を呼び寄せて、潤沢な資金獲得の目玉ともなっているのです。とにかくヴァチカンに描かれた絵画、据えられた彫刻作品、集められた世界各地の芸術作品はたいしたものです。これらに有力な貴族(教皇を輩出するような名門家)のプライベートコレクションを加えるとローマに存在する芸術作品は物凄いレベルに達していることになります。しかし見学客が見ることのできる範囲・量は限られています。これが世界に散らばっていたら、もっと多くの人達が見にすることができると思いました。

見学客の混雑はサンピエトロ聖堂でもすごかったです。クーポラへの登り口には長蛇の列でとても並ぶ気にはなりませんでした。それでも入口近くのピエタ像などをしっかり見学しました。見学した教会では基本的にお参りをするのですが、お祈りすることは毎週行く別所沼の弁天様にお願いすることと同じです。スリランカの佛歯寺とかインドの聖菩提寺に行きましたし、インドの大きなヒンズー寺院にも行きました。後はメッカとエルサレムかなと夢のような考えが浮かびました。

ヴァチカン美術館に入るためにリュックサックなどの大きな荷物をヴァチカン美術館入口の荷物預けに預けてきたのですが、見学ルートの最後はサンピエトロなので、荷物を受け取るためにもう一度ヴァチカン美術館入口まで戻らなければなりません。混雑と見学で疲れているのにこのルールは酷いと思いました。ヴァチカン見学は身軽な格好で行くことがポイントです。

バチカン見学の後、バスでナヴォーナ広場に向い、そこからものすごい観光客で賑わう「パンテオン」を見学し、近くの「聖ルイージ・ディ・フランチェージ教会」「聖マリア・ソープラ・ミネルヴァ教会」を見てから「トレビ泉」まで散策しました。パンテオンもトレビの泉も見学するというよりは人込みにまみれて、単に「行って来た」ことを記憶に残す程度の見学になりました。「トレビの泉」からホテルまではそれほど遠くないことが分かったので、ホテルまで歩いて帰ってきました。



2012年03月25日(日) ローマに移動

昨日の夜ナポリからローマに移動しました。ローマへの移動は事前にイタリア国鉄のインターシティ列車を予約してありましたが、ポンペイ散策がかなりハードで市内散策後予定より早めにホテルに戻ることとなったために、ナポリ発ミラノ行きの土曜日最終の特急列車に間に合うこととなったので急遽列車を変更しました。ナポリ中央席で追加料金を支払って早くて快適な特急列車でローマに向かいました。疲れた妻は乗車早々に眠ってしまいローマまでぐっすりでした。まだ明るい中にローマに着けたのでラッキーでした。
(ナポリセントラル17:50分発⇒ローマテルミニ着19:00)

3日間の滞在中のローマ観光のポイントを幾つか設定しておきました。
�.丱船�ンは博物館・サンピエトロを始めとして、大きな聖堂・有名な教会(建築・彫刻・絵画など)を見て回ること(キリスト教関連)

�▲侫�ロ・ローマ、コロッセオなどの古代ローマ遺跡、観光定番となっている噴水めぐり(ローマ市内散策)。これには歌劇「トスカ」の舞台となっている「ファルネーゼ宮殿」と「聖アンドレア・デラ・ヴァッレ教会」「サンタンジェロ城」を含みます。

��ローマで開かれているコンサートとローマオペラ座で「魔笛」を鑑賞すること。

この目的のためにローマオペラ座に近いホテルを予約しました。ホテルはローマ散策に非常に便利なローマテルミニ駅にも近くにありました。

予定より早めの特急列車で午後7時過ぎにはローマについたのでインターネットで予約購入しておいた「ローマパス」を受け取ることにしました。苦労して案内所を探して漸くパスを手に入れました。ナポリでもそうでしたがローマでも「市内フリーパスと館箇所かの入場無料券」を組み合わせた観光客向けの周遊券を扱っています。インターネットで事前に支払いを済ませ現地で受け取ることができます。

この種のパスは観光客にも便利ですが観光都市の交通機関側にも大きなメリットがあるようです。観光客にとって見知らぬ複雑バス路線を間違いなく乗りこなすのは大変な難しいことです。一回一回目的地行きの交通機関を探して切符を買っていたのでは大変ですし、観光客から道を聞かれるバスのワンマン運転手も堪りません。多少間違って乗ろうが「乗り放題」だから我慢しようという言うことになります。今回私達はナポリでは「カンパーニャアルテカード(二日コース)」ローマでは「ローマパス(3日コース)」を利用しました。二箇所に入場はナポリは考古学博物館とポンペイ遺跡、ローマではコロッセオとサンタンジェロ国立博物館を選びました。現地で並んで切符を買わなくて良いので非常に楽でした。

ローマの初日は日曜日。バチカンが毎月最終日曜日の入場フリーだというので大変混雑することを予想して避けることとして市内を散策することとしました。朝の椿事を紹介します。この日の午前0時からイタリアは夏時間が始まりました。それを知らない私達は朝食前に朝の散歩に出たのですが、街路にある時計の幾つか1時間進んでいることに気づき慌てて朝食を食べに戻った次第。この日から朝は再び暗くなり夕方は明るくなりました。

最初のローマ散策は「トスカの舞台」と「コロッセオ」。ホテル近くのナチーナーレ・トリノバス停からアルゼンティーナまで40番バスに乗りアルゼンティーナ広場から歩き始めました。オペラ「トスカ」の一幕の「聖アンドレア・デラ・ヴァッレ教会」とニ幕「ファルネーゼ宮殿」です。ファルネーゼは現在フランス大使館となっているので中は見ることができません。外を一周回ってきました。非常に重厚な建物です。ナポリの考古学博物館に飾られている彫刻収集で有名なファルネーゼ一族の住まいでした。

「聖アンドレア・デラ・ヴァッレ」教会はナチオナーレ通りのアルゼンチーナのバス停で降りると直ぐに分かる目立つ場所にあります。テルミニ方面からのバスに対する格好の広告掲示場所となるため壁面に大きな広告が飾られています。私達は朝一早かったので教会内部は空いていて内部の空気はかなりひんやりしていました。朝日が天井の窓を通して堂内に差し込むため非常に美しい光の帯を光に映し出される装飾を見ることができました。ローマの教会は昼休みの休憩が長くて午後の開放は3時過ぎになる場所が多いので、教会を見学するのは午前中、それも早い時間帯が望ましいことを実感しました。

教会を出て近くのファルネーゼ宮殿に行くために狭い街路を散策しました。教会の裏方向にはファルネーゼ宮殿に近い場所に「カンポ・ディ・フィオーレ」があります。花の市が賑やかな場所だが日曜日は休みだと調べていたのですが、食料品や厨房用品や花の屋台が既に開店していて賑やかの様子にびっくりしました。わざわざお土産を買っている時間が勿体ないのでここでイタリア土産として「バルサミコ酢、オリーブオイル、パルミジャーノチーズ」を買い込みました。

広場からファルネーゼ宮は直ぐ目と鼻の先です。トスカではここに居室を持つローマ警備長官のスカルピオとトスカのやり取りが行われます。非常に重厚なたてものなのでニ幕の雰囲気にぴったりです。しかしバチカン近くのサンタンジェロ城を脱走したアンジェロッティが、警備長官のいるファルネーゼ宮に程近い「聖アンドレア・デラ・ヴァッレ」に逃げ込むのはやはり少し疑問符が付きます。「灯台下暗し」を狙ったのか。

トスカの舞台を切り上げて、午後はヴェネチア広場からフォロ・ローマ、コロッセオに向かいました。朝が早かったので12時にはお腹がすいてしまいましたが、その時間帯にやっているレストランは少なく選択枝は限られます。カヴール近くのレストランで昼食を取りました。もっともいつも注文するのはピザ、パスタ、野菜サラダくらいですが。

フォロ・ローマは大都会の真ん中にある古代遺跡ですが、正直言って土剥き出しの遺跡は土埃りが立つ朽ちた遺跡群なのであまり感心しませんでした。古代ローマの政治の中枢であったのですからもう少し工夫できないものでしょうか。古代の建物を復元するとか全体に覆うとか。2000年前に高度な文明があったことは貴重だと思いますが、このまま現在の破壊された姿でずっと保存し続けるべきだと簡単には決められないと思いました。

フォロの南のコロッセオはかなりの姿が残っているため興味深い遺跡です。古代ローマの残酷な楽しみの名残です。その残酷さとか乱れたローマの性風俗がキリスト教の広がりによってどのように変化していったのか非常に興味深いテーマです。現在ローマのあちらこちらにあるキリスト教教会・聖堂はキリスト教の勝利の証拠なのですから。

コロッセオの見学を終えた時間はまだそれほど遅くは無かったのですが、ホテル近くでオペラアリアコンサートがあるために身体を休めるために早めにホテルに戻ることにしました。地下鉄を利用するとローマテルミニ駅までは直ぐでした。

***オペラアリアコンサート***

ホテル近くの小さなホールでオペラアリアコンサートが開かれていることはインターネットの情報で知っていました。オペラ座の「魔笛」は事前にチケットを買っておきましたがアリアコンサートはその日の疲労の度合いによって決めることとしていました。実はナポリ滞在中にカンツォーネコンサートに行く事も考えていたのですが、言葉の分からないだろうからと取り止めにしたのでした。オペラアリアなら筋はだいたい分かるし、バリバリではなくともイタリアのそれなりの歌手の方の声を聞いて見たいという興味もあり行って見ることにしました。

結果として非常に興味深い体験となりました。ソプラノ、メゾ、テナー、バリトンの4人の歌手が伝統的な衣装を着て有名なオペラアリアを歌う(ピアノ伴奏は藤谷さんという日本人ピアニストの方)コンサートです。ソプラノ、バリトンの方の声は素晴らしく歌も心がこもったものでした。会場は200人入るかどうかという小さなホールでしたが彼等の声には驚きました。

声の振動が身体に伝わります。ホール全体に響き渡るのです。歌われたアリアの殆どがイタリア語であり、自分達の何時も話している言語であることもあるのでしょうが呼吸する息全部が空気を震わす振動を起こしているような感じを受けます。それは日本で耳にする「透き通った声」とか「清澄な響き」ではなく「力強く訴えかける声」なのです。ナポリの音楽学校からもれてくる「誰憚る事のない」押しの強さの感じなのです。「声」そのもの捉え方が随分日本と違うという事を実感しました。

ピアノ伴奏された「藤谷さん」は午後6時からのオペラアリアコンサートの後に8時からの「椿姫」の伴奏をされるとのこと。随分大変なお仕事です。身体のどこかに「力」が入っていれば非常に疲れてしまうことが予想されますが、これを当たり前のように引きこなされているいるということは、多分理想的な脱力状態で弾いていらっしゃるのだと思います。オペラ歌手でも伴奏オケでも伴奏ピアニストでも日本とは大分状況が違うように思われますね。



2012年03月24日(土) ナポリ食・人々の印象

昨日考古学博物館でポンペイ出土品を見て、今日は現地ポンペイ遺跡の見学です。ホテルからヴェスーヴィオ火山周遊鉄道の始発駅までは歩いて行きました。まだ朝早かったので周遊鉄道の車両はガラガラでゆったり移動できました。電車はまさにヴェスーヴィオ火山を周遊するように走るので、ナポリ側からのヴェスーヴィオの北側の眺め、西側からの眺め、南側からの眺めを楽しむことができました。遺跡近くのポンペイスカービ駅はその名称通りポンペイに遺跡の正面玄関のところあります。ここから今日半日の散策が始まります。

西暦79年8月24日のヴェスーヴィオ火山の大噴火によってポンペイは完全に破壊され、火山灰に埋没してしまいました。ヴェスーヴィオ火山から流出した火砕流と噴出された火山灰は6mに達して街を覆い尽くしました。そのポンペイが発掘されて当時の生活の様子が知られるようになるのは18世期の半ば以降のことでした。

発掘されたポンペイが2000年前の埋没時そのままの姿であるので、ポンペイ散策は古代の道をそのまま当時の人々と同じ目線で歩いて見て回ることになります。従って丹念に見て回るとかなり時間がかかります。当時馬車道が作られていましたが、舗装としってもデコボコな石畳なのでさぞ乗り心地は悪かったと思われます。私達はまず東西のメイン道路(アッポンダンツァ通り)を東に進んで競技場まで進み、その後再び中心に戻ってから南北の道(メルクーリオ通り)を北進して公共建物などを見学しました。

アッポンダンツァ通りの人通りの多いと思われる場所には居酒屋が何軒かあります。メインの交差点の角には大きな公衆浴場があります。多くの人が集まりそうな便利な場所にある公衆浴場は人々の憩いの場であったようです。神殿とか広場が政治の中心地ですが、人々の間の気の置けないコミュニケーションは公衆浴場や居酒屋でおこなわれたのだろうと思われます。

感想を一言でまとめるのは無理ですが、非常に単純な感想として「電気もテレビもインターネットもない2000年前のポンペイでは、人々は愛する人と人生を大いに楽しんでいた。人の死というものが現代より身近であったからこそ死を恐れ悼み、人生を楽しんでいたのだろう」ということを想像できました。そしてその楽しみ方はたぶん「南イタリア流」そのもので、現代の南イタリアにもしっかり受け継がれていることが類推することができます。

古代ポンペイにはコンビにはなかったし現在のナポリの街中にも見かけません(たぶん郊外の新興の街にはあると思います)。現代のナポリの人々は朝コーヒースタンドでコーヒーを飲み、昼食時や夜は戸外に出て近所の人達と談笑したりトランプしたりして過ごし、自宅やレストランで美味しい食事を時間をかけて食べるのです。この地方特産の白ワインをちびちびやりながら。そうした生活の様子がポンペイから発掘されているのです。

集団の娯楽施設としては浴場・競技場があり、そこで当時の人々が大いに楽しんだことでしょう。それは奴隷や剣闘士の存在を抜きにしては語ることができないとはいうものの、奴隷や剣闘士の一部の人々も次第に人生を楽しむことができるようになって行ったようです。飛行機でナポリに近づくと成田上空で当たり前に目にする「在る光景」が見当たらないのです。ゴルフ場が見当たらないのです。イタリアの人達はそういうものには興味が無いのかしら。

ヴェスーヴィオ火山の噴火は何回か続いたようで、最終的にポンペイは6mの灰に埋まりました。最初の噴火の時に逃げることのできた人々は助かったようです。東北大震災の地震と津波がもたらした大災害の状況が2000年前に起こったのでした。しかし火山灰は津波とは違って、燃えるものは燃やしましたが、燃えにくいものはそのまま2000年間近く地下に保存したのでした。

昔からの食材のオリーブ・パン・チーズ。これでかなりのワインが飲めます。ナポリの豊かな食文化は温暖な気候に恵まれた南イタリアの農作物によって支えられているのだと思いました。つまり素材の美味しさです。多くの料理で使われるトマトの美味しいこと。モッツァレラをはじめとするチーズが美味しいこと。至る所にオリーブや果樹の木があります。更に美味しくて安いワインが豊富なこと。

ポンペイからナポリに戻って市内中心部の「NENE」というレストランで昼食を食べました。やはり「マルゲリータ」を食べましたがここのピザも本当に美味しかったです。ピッツェリアがあちこちにあるのですが、多分どこの店でも美味しいのだろうと思いました。この日は前菜として生ハムとモッツァレラチーズを食べました。白ワインをグラスで二杯ずつ飲みましたが安くて美味しくグラスになみなみと注いでくれました。

今回短時間滞在だったので食べませんでしたが、ナポリは漁港なので新鮮な魚介類が豊富なのです。朝早く散歩していると魚屋さんが朝の準備をしているところに出くわしました。シーフードもさぞ美味しいのだろうと思いました。たぶんナポリの人達はナポリ料理が最高に美味しいと考えていると思いますが、実際そのとおりだと思います。ナポリの人達は美味しいナポリ料理を大切に守っているようです。つまり地元の多くの人達がレストラン・ピッツエリアのパトロンとなっているのだと思いました。

街を歩いたり電車に乗っていて思うのですが「お洒落」でスタイルの良い美男・美女が沢山います。たぶん彼等は自分達ナポリ人が最高に美男・美女だと考えているのだと思います。若い年頃の高校生程度から子供の小さい若夫婦・そして熟年カップルまでそれぞれお洒落で格好が良い。昼食を頂いた「NENE」ではそのような熟年(老年)カップルが何組も食事を楽しんでいました。スタイルが良くて洒落た人達が美味しい料理を食べ、ワインをがぶがぶ飲んで人生を楽しんでいる印象です。

最後にナポリの人々の特徴として「その声が大きくて良く通る」ということに触れておきます。これはイタリア全体にいえることかと思いますが、カンツォーネの本場ナポリについては確実に言えると思います。イタリア語の特徴なのかもしれませんが発する声にエネルギーがあります。こういう声が「ベルカント」の発声に近いのだろうと納得させられる場面が何度かありました。人々が人生うぃ楽しむところから恋が生まれ、「歌」を生んで非常におおらかな「ベルカント」で愛を歌う。それがカンツォーネであり、イタリアオペラに繋がったのだろうと想像することができました。オペラは教科書で学ぶものではなく、人生と家庭の中にこそ存在するものだと思いました。



2012年03月23日(金) トルコ航空、イスタンブール空港の印象

***ナポリに到着***

今回、日本からイタリアに行く手段としてトルコ航空を選んだ関係で、トルコ航空の根拠地のイスタンブール空港を経ることとなりました。往路は同じスターアライアンスのANAで羽田から関西空港に移動しての関空からの出発、帰りはイスタンブールから成田への直行便です。

長距離の旅程なので夜に飛行機の中で寝ていければ効率的です。例えエコノミークラスでも座席が空いていればゆったり眠って行ける可能性があります。これに食事が美味しければかなり満足度が高くなりますし、マイルを貯めているスターアライアンスの航空会社なら更に好ましいのです。トルコ航空利用のイタリヤ行きはこれらの点でかなり的を得たものでした。

往路で一番混んでいたのは「羽田−関空間」のANA便でした。全日空の古い機体がほぼ満席の状態。一時間程度の飛行ですが座席にはテレビモニターがないしANA無料機内サービスは最低限なので非常に低サービスな感じを受けました。これに対して「関空−イスタンブール」間のトルコ航空便はかなり空いていて、二人掛け席の一人利用はほぼ当たり前。4人掛け席の一人利用も何箇所か見られました。この場合かなりゆったりと眠る事ができます。

これはたぶん以下の理由からだと想像できます。�‘�本からヨーロッパへの便はANA、JALを始めとして主要都市に多くのダイレクト便が飛んでいて無理して乗り継ぎ便を利用する必要が無いこと。�⊂茲蠏僂�便でも欧州キャリアを使うことが多くトルコ航空等の先進国キャリア以外を選択する旅人はあまり無いこと。�4惷�からは中東系キャリア3社(エミレーツ、カタール航空、トルコ航空)飛んでいて、それぞれドバイ、ドーハ、イスタンブールをハブに使っておりこのクラスの競争が激しいことから選択肢が多いこと。

トルコ航空の2便(関空ーイスタンブール、イスタンブールーナポリ)は使用機材は座席は新しく、各自の席にモニターが付いている等非常に快適でした。トルコ航空はイスタンブールのハブ機能を強化して今欧州各地へのネットワークを拡大しているようです。イスタンブールーナポリ間も最近就航したみたいです。ローマへの便は通常のハブ空港からあるようですがナポリとなるとかなり限定されるようです。今回日本人の客は我々だけだったようです。

次の食事ですが、これはエコノミークラスの食事として大変美味しいと感じました。個人的な嗜好かもしれませんがトルコ航空の味付けは私の趣味にあっていました。もちろんワインもたっぷり頂きました。更にトルコ航空はスターアライアンスなのでマイル獲得ができます。

おまけとして「イスタンブール空港乗換え」も非常に興味深いものだったので記載しておきます。もともとビザンチウム、コンスタンチノープルとして栄えた都市ですから地の利は最高です。アジア、ロシア、ヨーロッパの結節点として様々な人々が行き交います。それを意識してか空港設備のレストラン・免税店も非常に充実しています。つまりローカルなものとインターナショナルなものが程よく揃っているのです。

トルコの経済発展がこのまま続いて行けば「第二のシンガポール」となるのはそう遠い将来では無いと思いました。シンガポール空港の機材、機内サービス、更にチャンギ空港の便利さは完全に先進国のキャリアを抜いていると思いますが、ヨーロッパへの乗り継ぎの便利さを考えるとアジアの西端にあるイスタンブールは大変有利だと思いました。

既に書きましたが、このようなキャリアとしてエミレーツ・カタール航空が競争しています。これらのキャリア間で今後も料金競争・サービス競争が続くと思われるので、欧州への旅はこれら中東のキャリアを利用することがお徳であり便利であることを痛感しました。また「乗継ぎ」の際の荷物検査と免税品購入の問題についても、最終目的地への乗り継ぎ地として利用する限り液体の免税品をたっぷり購入することができます。

往路の飛行機の旅はスケジュール通りに終了し満足度が高かったのですが、逆に不満を感じたのはイタリアのナポリ空港でした。タラップの到着が遅れて飛行機内で待たされるやら、入国審査場のブースが少なくて長蛇の列ができるやらでした。入国審査はイタリア国籍、EU国籍、非EU国籍の三つに分かれているのですが、審査に時間がかかる非EU国籍ブースに並んだ乗客が最も多く外国人入国者の扱いに慣れていないのかパスポートチェックに大変時間がかかります。イスタンブールからの便で日本人(東洋人らしい)のは私達夫婦だけで、私達は直ぐに通してもらいましたが。さらにナポリ空港では免税品を売ろうとか飛行機でやって来た客を手厚く歓迎しようというような意識は全くないようです。速やかに空港を後にして大変混雑する空港リムジン(Aribus)で中央駅に向かいました。中央駅では日本から予約して支払いを済ませておいたカンパーニアアルテカードを受け取りました。そしてホテルに荷物を置いていよいよナポリ散策開始です。

ナポリに行ってみたいと思ったのはめったに行けないポンペイの世界遺産をぜひ見てみたかったのですが、無理して一泊することにしたのは本格的な「ナポリピザ」とナポリ民謡で有名な「サンタルチア」を始めとしてナポリの町を散策してみたかったからでした。ローマから一日コースでポンペイ周遊コースはあるのですが、街が危険なのか殆どバスから降りないルート設定になっていることが多いのです。

2000年前のポンペイの生活を知るためには、ポンペイの遺跡とナポリにある考古学博物館を見る必要があります。ポンペイから発掘された当時の生活用品・装飾品などの多くの「動産」はナポリの考古学博物館に収蔵されているのです(多くの素晴らしい遺物が盗掘にあったと思われますが)。私達はまず初日にナポリ考古学博物館を見学し、翌日のナポリからヴェスヴィオス周遊鉄道に乗ってポンペイを訪れることにしました。

***ナポリ考古学博物館***

ナポリ考古学博物館の展示には二つの目玉展示があります。一つはもちろんポンペイなどヴェスビィーオ火山の噴火(79年8月24日)でそのまま完全に埋没してしまった街から発掘された古代の人々が楽しみ・使っていた家の生活用品とか装飾品。そしてもう一つはファルネーゼ家が収集したローマを中心として古代都市から発掘された優れた彫刻です。

古代ローマではギリシャ彫刻を優れた技術で複製して有力な皇帝・貴族が飾っていたようです。それらが古代都市ローマの宮殿跡などから発掘されました。ファルネーゼ一族は芸術品収集に熱心なようで、そうした彫刻品等を精力的に収集したようです。ファルネーゼ家は16世紀に法王パウロ3世を輩出したのですが、この法王はローマ市内のファルネーゼ宮殿(現ローマのフランス大使館)建築のために大理石の発掘・使用など特権をファルネーゼ一族に与えたのでした。この特権のお陰でファルネーゼ家には膨大な量の大理石の彫刻品が集めることができたのだそうです。

名門だけに多くの芸術品に対する知識に加え、有力な枢機卿として豊富な財力があったようで、パウロ3世の孫のアレッサンドロ枢機卿は熱心に芸術品を収集しました。そしてこのファルネーゼ一族でナポリ王国の王になったのがチャールズ3世(1734年即位)でした。国王はファルネーゼ家の別荘など各地に保存されていたファルネーゼ家の膨大な収集品を相続したのでした。更にチェールズ3世がナポリ国王に即位した前後に偶然発掘されたのがポンペイの古代遺跡でした。芸術品に対する目利きの血筋を受け継いでいたチャールズ3世はポンペイからの発掘品の重要性に注目し自ら発掘の指揮をとったのだそうです。こうして古代ローマ、古代ポンペイから発掘された優れた芸術品がチャールズ3世の手元に集まりました。これらの芸術品を地震などからの被害から守るために現在あるナポリ考古学博物館が建設され展示されることとなったのです。

博物館一階はファルネーゼコレクションの展示に当てられています。本物が放つ存在感は将に圧倒的で言葉を失います。残念なことに次々に優れた芸術品を見ていくと次第に思考が麻痺してきて感動が薄れていってしまうこと。長期間滞在して一品一品をじっくり眺めることができたらどれほど素晴らしいことかと思います。とんでもないレベルに達している芸術品が当たり前に手の届くところに広がっているのです。素晴らしい肉体表現を見ていると、ひょっとすると石の中に骨格や血管・臓器まで盛り込まれているのではないかと考えてしまいます。

考古学博物館をみてから市内散策して歩いてホテルに戻りました。まずダンテ広場まで下ってナポリの最も古い町並みを見ながらナポリ聖堂まで行きました。ダンテ広場から延々と聖堂(ドゥオーモ)まで繋がるトリブナーリ通りです。歩き始めるといきなりピアノ練習音が聞こえてきました。そこにはナポリ音楽学校がありました。音楽学校の向かいに楽譜やさんがありナポリ民謡の楽譜がタップリありました。ピアノの音に加えて声楽の練習をしているらしい歌声を聞こえてきます。防音室ではなくどんどん外に音を出すところが良いですね。

聖堂マの出の道のりの中間地点あたりに、「サン・パオロ・マッジョーレ教会」と「サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会」が近接して建っていました。このあたりはナポリ名物の「プレゼービオ」を作る店が沢山集中しました。
厳かなナポリ聖堂をみてから、ホテルに戻る途中の有名な「ピザ屋」さんで夕食を済ませました。イタリア最初の食事はこの「ダ・ミケーレ」の「マルゲリータとマリナーラ」となりました。本当に美味しくて安い。美味しくて感動してしまいました。



2012年03月22日(木) イタリア旅行に出発

今日からイタリア旅行です。パソコンは持参しますが現地のネット環境はどのようなものであるかはっきりしません。後日のアップになるかもしれません。

今は羽田空港からアップしています。これから関空・イスタンブール経由でナポリまで旅行します。最近の航空システムはたいへん進んでいて、羽田で荷物を預けると、全日空、トルコ航空で関空・イスタンブールの二つの空港で乗り換えなのですが、荷物は最終ナポリで受け取ることとなります。ナポリ空港で無事荷物を受け取ることができることを祈っています。

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今関西空港の出発ロビーからアップしています。時間は夜10時20分。この時間の「羽田−関空」の全日空のフライトは概ね満員です。機内で関西弁(特に大阪より南の人達でしょうか)が飛び交う独特な雰囲気の便でした。

関空の国際線フロアはガランとした関空の国際線出発ロビーは少し寂しいです。これからトルコ航空機でイスタンブール経由でナポリに向かいます。イスタンブールで同じトルコ航空機に乗り換えるのですが、イスタンブールでの待ち時間での買い物には注意が必要だということ。手荷物をナポリまで預けてしまったので、液体(酒類も含めて)の大量持ち込みはできないとの情報があります。今回は行きの便なのであきらめますが、帰りの便の時にはよく考えておかないといけません。

今回海外用万能コンセントを手荷物に入れて預けてしまったため、イスタンブールのロビーではコンピュータ利用が限られて(電源無し)しまいました。このことはこれまでも何度か失敗してきたことなのですがつい忘れていました。今回キチンと記録を次回は気を付けたいと思います。



2012年03月18日(日) 魔笛

今月下旬にイタリア旅行を計画しています。飛行機・ホテルはエクスペディアで確保しました。今回の旅行目的の主要なひとつに、ローマオペラ座でのオペラ「魔笛」の鑑賞があります。最初は3月上旬の「蝶々婦人」で考えていたのですが、旅行スケジュールが合わずに結局「魔笛」の初日を旅行日程に組み込むことができたのでした。

公演チケットは苦労してローマオペラ座のネット販売からチケットを予約しました。期日が迫っていた所為なのか、当該ネット業者に割り当てられたチケットが少なかったのか、ガレリアとか安い席は既に売り切れていたので、止むを得ずボックス席(4人)の2席を確保しました。本格オペラハウスのボックス席がどんな席なのか期待と不安が入り混じります。

今回のローマオペラ座の「魔笛」の監督は「デイビッド・マクビカー」という人で、彼がイギリスのロイヤルコヴェントガーデンで監督した「魔笛」のプロダクションが再演されるようです。

ローマオペラ座のホームページ

このコヴェントガーデン(2003年)の魔笛は我が家のビデオライブラリーにあります。今回準備のために改めて見直しましたが本当に歴史的な名演・名演出だと思いました。当時の配役は今ではなかなか揃わないほどの豪華なメンバーだと思います。夜の女王のダムラウ、パミーナのドロテア・レシュマン、パパゲーノのキーリンサイド、タミーナのヴィル・ハルトマン、そして指揮はコリン・デービスです。敢えて難をあげると、パパゲーナの服装が「何で彼女だけ現代的なの?」ということくらいでしょうか。

若手の有力な歌手達がベテランにコリン・デービスの暖かくてしなやかな音楽に支えられて自分の持ち味を十二分に発揮して歌っています。歌とストーリーが非常にスムーズに進行するのは、歌手達の力と監督マクビカーの良く考えられた演出の賜物だと思います。本当に素晴らしいオペラに仕上がっています。今回のローマオペラ座の演出は出演者がまったく違いますが、どのような舞台に仕上がるのか非常に楽しみです。

もともと「魔笛」はシカネーダーの台本にモーツアルトが手を入れたもので、ポンテの3部作のようにストーリーがしっかり練られているものではないので、理論的にストーリーを追っていくことが難しく、どちらかと言えば散りばめられたモーツアルトの有名なアリアを聴き、大まかな筋を抑えれば「良し」とすることが多いみたいです。

しかし、コヴェントガーデンの魔笛を見ていると、夜の女王の世界とザラストラの世界の違いとか、タミーノ・パミーナのカップルとパパゲーノ・パパゲーナカップルの対比と「から見合い」など、おぼろげですが何か訴えのようなものが透けてくるように思えます。さらに今回イタリア旅行準備のために「天使と悪魔」を読みましたが、この小説に出てくる「フリーメーソン」結社の儀式などを考えると「魔笛」の2幕の意味が分かってくるような気がします。

ドイツ語の「魔笛」がローマで上演されると多分イタリア語の字幕となることと思いますので、ストーリーをしっかり頭に入れて行くことにします。



2012年03月17日(土) ゼミのパーティ

大学のゼミの先生が今年3月末で退官するということで、昨年から準備されていた退官記念パーティがありました。私はかなり古株でゼミの3期なのですが、ゼミ生は400人以上の達していて今日のパーティには170人ほどが出席しました。かなりの大掛かりな催しとなりました。

私の期は比較的団結力が強く、かつ人材も豊富なようで今回のパーティを名実ともに仕切ったようです。今日のパーティにも10名が参加しました。若い後輩は殆ど知りませんが同期の友人と久しぶりに会い昔を思い出して楽しい時間を過ごしました。



2012年03月03日(土) 宮崎滔天の自伝

「辛亥革命」100周年関連で、孫文や孫文を支えた日本人関連の書籍を読んでいますが、その中に手に入らないものがありました。それが宮崎滔天の「三十三年の夢」でした。岩波文庫版は既に絶版になっていたし、東洋文庫ワイド版は装丁の割に値段が高いので購入を躊躇していました。ところが「三十三年の夢」が昨年2011年9月に第3刷が出されたのでした。まさに辛亥革命100周年に相応しい計らいだと思います。最近になって横浜有隣堂で見つけたので早速買って読んでいます。

清朝末期の「戊戌の政変」から「辛亥革命」を経て「中華人民共和国」が成立し、その後の文化大革命、改革開放を経て現在の隆盛する中国が建設されてきました。まさにこの日本にとっても隣の大国中国のこの100年間の動きは非常に影響の大きいものでありました。特に辛亥革命前後の時代は、清朝保皇派・革命派・軍閥・共産主義の勃興等と中国国内も複雑であるし、日本が大きく帝国主義に舵をとった大きな転機であったのでした。

明治日本政府は基本的に西洋諸国に追い付こうとして遅れて定刻主義競争に参加した新参国だったと理解していますが、その明治政府とは距離をおいて民間人が中国・朝鮮に関わり持ったことは非常に重要だと思います。それは一部に明治政府・帝国陸軍の別同部隊だったとも看做されることがありますが、中には非常に純粋に明治政府とは対立しながらもアジアの開放・人々の生活の向上を目指した活動もありました。

「明治政府の帝国主義とは異質の」というと西郷隆盛の外交方針がありますが、西郷の考え方がこれらの人々の根底に流れていると思います。そうした人々の中でも象徴的な人物が「宮崎滔天」です。「三十三年の夢」は1871年に生まれの滔天の1902年までの33年間の人生を回顧した自伝です。

この自伝が書かれてから「辛亥革命」までは10年の年月が必要なのです。もし孫文の革命が成功していなければ「三十三年の夢」はたぶん殆ど忘れ去られていたことでしょう。しかし結果として滔天が当初から信頼してきた支援してきた「孫文」が革命に成功することによって滔天の評価は見事に確固としたものとなりました。歴史的にも大変重要ですが、滔天の破天荒で純粋無垢な生活信条は痛快です。




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