昨日10月30日に閉店した池袋の三越に「ヤマダ電機」がオープンしました。池袋はビックカメラが支配していた地区なのです。ヤマダ電機が東口のビックカメラの直ぐ横に開店して攻勢をかけていましたが、もうひとつ攻め切れない状況でした。今回池袋駅に地下で通じている三越跡に進出したと言うわけです。
私達はビックカメラで時計を買おうと東口に出たのですが、ヤマダの新店舗とビックカメラを結ぶ道路は物凄い混雑でした。ビックカメラがヤマダの開店を前にして安売りセールを仕掛けたようで、人の流れはヤマダ→ビックの方が多かったみたい。ビックで買物を済ませた後にヤマダにも寄ってみようかと思いましたが、やめておきました。
それにしてもヤマダ電気の店舗展開は少し無謀だと思います。新橋にあった「キムラヤ」の後に進出したのを始め、池袋を含めて大きな駅の駅前の一等地に出店しました。この不景気の時代に無理は禁物だと思いますが。
南浦和の稲荷屋酒店で薦めて頂いた鹿児島焼酎の「桜井(造り酒屋)」です。使っているサツマイモは「黄金千貫」。割り水に「関平(せきひら)鉱泉水」を使っているとのこと。丁寧な造りが感じられるバランスの良い焼酎です。1.8Lが直ぐ終わってしまいます。
醸造所は桜井酒造有限会社。鹿児島県の南さつま市の会社だそうです。この醸造所の酒には上の「造り酒屋」の他に、「小さな蔵」「金峰櫻井」「黒櫻井 (くろさくらい)」の3種類があるとのこと。他の焼酎も飲んでみたいものです。
2009年10月19日(月) |
グスタフ・ドゥダメルの演奏 |
昨日(正確には19日早朝)NHKBS放送でグスタフ・ドゥダメルの2008年12月に来日した時のコンサート模様を放送したので、録画しておいて今日観て見ました。
2008年12月17日東京芸術劇場でのコンサーと模様
1. バレエ音楽 「ダフニスとクロエ」組曲2番 ( ラヴェル作曲 ) 2. 交響曲第5番 ホ短調 作品64 ( チャイコフスキー作曲 ) 3. 「ウエスト・サイド・ストーリー」から マンボ(バーンスタイン作曲) 4. バレエ組曲「エスタンシア」から「終曲の踊り」 (ヒナステラ作曲 )
管弦楽 : シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ 指 揮 : グスターボ・ドゥダメル
今や世界中が注目している「ドゥダメル」と「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(Simon Bolivar Youth Orchestra of Venezuela:SBYOV)の音楽を初めて聞くことができました。ドゥダメルはベルリンフィルとのコンサートを聞いて素晴らしい感性の持ち主だということは分かっていましたが、ドゥダメル自身も参加していたSBYOVとの共演は歴史に残る名演といえるでしょう。指揮者も凄いが「オケ」も凄い。ドゥダメルもSBYOVのベネズエラの音楽教育が育んだ大きな果実なのです。
ヴェネズエラ政府関連のSBYOV関連ページ
上のホームページではヴェネズエラ音楽教育が紹介されています。ヴェネズエラの児童・青少年の健全な育成のためのプログラムとして34年前に活動が開始されました。現在ではヴェネズエラ全国で180に及ぶ大小のオーケストラ・コーラスが活動していて、そこでは35万人の児童・青少年が学び、その最優秀な選抜メンバーで構成されているのが「SBYOV」なのです。下記はホームページ記載の活動精神抜粋をですが、クラシック音楽がこれほど普通の一般社会に貢献したことがこれまであったでしょうか。
Music is not only the product of the talent and virtuosity of its creators; it is the reflection of the soul of the peoples and, in this case, is the outgrowth of an education program that over the past 34 years has spread beyond our borders and has surpassed all expectations.
グスタフ・ドゥダメルのホームページ
長崎の唐人街の「福建会館」です。長崎出張の際は「新地」に泊まる事が多いのですが、新地から少しあるくと唐人街がありそこには4棟ほど古い中国様式の建物が残されており、「福建会館」はその中でも中心的な建物です。福建省出身の華僑の方が多く住まわれていたので、福建会館はそうした華僑人達の交流の場であったようです。
この福建会館において1913年3月22日に来日して長崎を訪れた「孫文」の歓迎会が催されました。その時の写真が福建会館の中に飾られています。幾度も武装蜂起に失敗した中国革命運動ですが、1911年(辛亥)の武装蜂起が成功し、孫文は1912年中華民国臨時政府の大総統に就任しました。しかし革命政府内での力関係から、数ヵ月後に大総統の地位を「袁世凱」に譲り、孫文自らは「鉄道大臣」のような職を引き受ける事となりました。この時の来日は中華民国鉄道大臣としての公式な訪問となったのでした。しかしそんなことでは決して挫けないのが「孫文」でした。下のこの胴像は福建会館に建つ「孫文」です。
追記:気になって調べたら、革命家「宋教仁」が上海駅で銃撃されたのが1913年3月20日、死亡したのが3月22日のようです。「宋教仁」は孫文とは全く別に革命運動に従事してきて、日本亡命中に宮崎滔天の紹介で孫文としりあうこととなった人です。辛亥革命の際には外国遊説中の孫文とは違って、現地の武昌に参加し、袁世凱が大総統に就任した後は、徹底して共和制を主張し袁世凱の独裁に反対しました。清末・中華民国成立時期には袁世凱の動きが非常に大きな影響を与えたのですが、この宋教仁暗殺も将来に非常に大きな影響を与えたと思います。日本を公式訪問中の「孫文」は3月23日に長崎で長崎華僑団体の歓送迎を受けたのですが、この時上海での革命同士でありライバルでもあった「宋教仁」遭難をしていたのでしょうか。
2009年10月10日(土) |
残念「孫文100年先を見る男」ツアー中止 |
9月から「孫文 100年先を見る男」が上映されています。これに併せて以下のような映画鑑賞とセットのツアーが企画されていました。10月になったらこのツアーに応募して、孫文ゆかりの場所を訪問しようと考えていたのですが残念ながらツアーが中止になってしまいました。
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日本での9年間の亡命生活のうち5年間を横浜に滞在した孫文。孫文ゆかりの地として7箇所が知られています。これら7箇所をガイドによる解説付きで巡り、廣東飯店でランチタイム、横浜シネマリンに移動して「孫文・100年先を見る男」を鑑賞するツアーです。
【開催予定日】 9月5日(土)、9月12日(土)、9月19日(土)、9月26日(土) (10月分は都合により中止となりました。ご了承いただきます様お願い申し上げます。)
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横浜中華街の孫文ゆかりの7箇所は以下の場所のようです。
1.キングセール商会(横浜市中区山下町53番) 孫文が1895年に初めて日本へ亡命した折に滞在した。ここで興中会横浜支部が結成された。
2.陳少白宅(横浜市中区山下町119番) 1987年8月16日、横浜へ到着した孫文は陳少白(日本名・服部次郎)宅に住み込み、ここで9月初旬宮崎滔天と初めて出会った。
3.温丙臣宅(横浜市中区山下町121番) 1898年8月29日、孫文はレンガ造り西洋館の温丙臣宅へ転居した。ここへは、東京から犬養毅、頭山満、山田純三郎らが訪れている。
4.大同学校(横浜市中区山下町140番) 1897年、興中会横浜支部長の馮鏡如ら横浜華僑は、子弟教育のために学校設立を孫文に依頼した。孫文は「中西学校」を創立したが、康有為によって1899年「大同学校」と改められた。後に山手町へ移り「横浜山手中華学校」となる。
5.横浜中華学院(横浜市中区山下町142番) 孫文が提唱し、梁啓超が掌った学校として、孫文の意志を受け継いだ教育機関とされている。孫文の胸像が建てられている。
6.中山記念堂(横浜市中区山下町166番) 広東幇(バン)の事務所が置かれた場所。幇とは郷里を同じくする者同士の団体。孫文は広東出身なので、そのつながりで滞在していたらしい。
7.旧和親劇場跡(横浜市中区山下町97番) 1925年3月12日、孫文の北京での病死を受け、同年4月12日、孫文の追悼会が開催された。
最近「孫文」にはまっています。地図を頼りに一人で巡って見ようかと思っています。
2009年10月08日(木) |
台風18号で通勤電車大幅遅れ |
今日は台風18号が関東に接近するということで、朝から通勤電車に大きな影響が出ました。毎日使っている「JR湘南新宿線」は午前中は運休ということなので、私は京浜東北線ではるばる埼玉から横浜まで行くことにしました。埼京線・山手線で品川まで出て「京浜急行線」という選択肢もありましたが、ゆっくり座っていく京浜東北線を選んだというわけです。ところがこれが誤算でした。
家を殆ど朝の定刻(6時40分)に出発。武蔵野線で南浦和に出て丁度停車していた京浜東北線に座席を確保することができました。通勤時間が長くなることを予想して「IPOD」持参です。12月に出かけるコンサートの予習でヘンデルのメサイアを聞き始めました。列車は順調に浜松町まで進みましたが、浜松町駅で「運転見合わせ」のアナウンスがありました。多摩川鉄橋近辺の風雨が強いため運転見合わせだそうです。多摩川を渡らない「山手線」まで運転見合わせとなってしまいました。
暫く車内で待ちましたが一向に運転再開の放送がありません。駅構内と車内放送では「京浜急行線・地下鉄線は運行しているので振替輸送する」と案内しています。JRが渡れなくて何故京浜急行が多摩川を渡れるのか。止まっている京浜東北線の横を東海道新幹線が走りぬけて行きます。釈然としない気持ちで仕方なく地下鉄に向かうこととしました。
都営地下鉄浅草線「大門」は浜松町の直ぐ近くです。地下鉄へ向かう地上・地か通路は乗り買え客で大混雑でした。JRも頂いた振替切符で大門駅に入りました。大門駅の下り(品川方面)ホームは大混雑でホームに人が溢れ危険な状態でした。丁度京浜急行に乗り入れる列車が二本連続して到着したので、最初の大混雑の列車を諦めて二本目の列車に乗りました。大門駅のホームは殺気だった感じで揉みあいで文句を言う乗客がいました。皆困っているのだから仕方ないと思うのですが・・・。
途中の品川駅は更に大混雑でした。JR線(京浜東北・東海道・横須賀・湘南新宿)で多摩川を渡れない客が押し寄せたのでした。私は品川で降りる乗客の狙って座席にありつけたのですが車内は大混雑でした。そのまま神奈川新町に向かったのですが、後でわかったことですが、京浜急行は振替輸送客の混雑のため、私が品川を通過した少し後で運転を見合わせたようです。10時30分ごろ約2時間遅れて会社に到着しました。
それにしてもJRの対応は納得がいきません。午前中運休予定の「湘南新宿線」は列車の都合がつかなかったせいか終日運転を中止しました。臨時ダイヤを組むのが大変だろうと思いますし、昨日の人身事故で関係者が疲れていることは予想されますがなんとかならなかったのでしょうか。また「多摩川を渡る」列車ですが、いち早く京浜東北・東海道を運転見合わせし、京浜急行に頼った姿勢も頂けません。京浜急行が広軌軌道なので安定性が高いのかもしれませんが、川崎まで「ゆっくり走らす」とか何とか方法がなかったのでしょうか。
アサヒ・コムのニュースです。
「7日午前6時45分ごろ、横浜市西区のJR横浜駅横須賀線下りホームで、男性が線路に落ちて千葉発横須賀行きの普通電車にはねられて死亡した。JR東日本横浜支社によると、横須賀線、東海道線、湘南新宿ライン、京浜東北線で68本が運休、60本に最大100分の遅れが出て、22万4千人に影響した。」
横浜駅では横須賀線と湘南新宿線が同じホームです。下りが9番線で上りが10番線。この事故の影響で朝通勤で使っている7時18分赤羽発の「湘南新宿線快速平塚行き」が赤羽駅で立ち往生しました。結局1時間程度の遅れで赤羽駅を出発しました。この列車は遠くから都内に向かう通勤客が多く、多くの乗客が赤羽駅で京浜東北線・埼京線に乗り換えたので余裕で座る事ができました。埼京線で大先まで行き品川経由で横浜に行く事もできますが、混雑の状況を考えて待つことにしました。この辺りが遠距離通勤の大変なところです。
2009年10月04日(日) |
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 |
川口リリアホールでモーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を見てきました。ダ・ポンテ三部作の中でも特別の存在のドン・ジョヴァンニなので楽しみにしていたものです・演奏は一応「バーデン歌劇場」ということで、パンフレットは以下の通りの紹介がありました。
会場で開演前に驚いた事は「客の入り」が少ないこと。私達の席は二階の最前列中央で絶好の場所だけに左右にお客がいましたが、後ろの列以降は観客がまばらでした。一階席も空席が目立ちましたので、半分入ったかどうかというところかしら。当日まで新聞などで宣伝していなかったので、てっきり満員かとおもったらその反対でした。そしてもうひとつ、会場で配られたパンフレット。最近のオペラは有料パンフレットが殆どですが今日は無料で結構分厚いパンフレットが入り口で配られました。期待して明けて見ると、中は空欄の五線紙がたっぷり入っています。多分、序曲はピアノ譜の高音部らしきものが抜書きされています。そして第一幕の始めの部分はアリアの音符、伴奏の高音部が記載されていますが、次第に音符の数が少なくなり、殆どの部分が空欄の楽譜となってしまいます。解説者が最初は意気込んで書いたのでしょうが、身体を悪くしたか、別の仕事が入ったのか、もともと無謀な試みであったのか、最後まで完成できなかった模様です。それでも、漫画で表現した「あらすじ」が紹介されているの大変親切な心配りだと思います。
家に帰ってからしらべたのですが、演奏団体の「ウィーンの森 バーデン劇場」ですが、それらしき団体のホームページを探し出しました。
バーデン劇場のホームページ
しかし、パンフレットにはメッセージを寄せたオーストリア大使の挨拶文の中に「バーデン劇場」の文字があるだけで、その他の部分には全く演奏団体の記載はありません。もちろんバーデン劇場ホームページにも「日本公演」の記事などまったくなし。パンフレットに記載された歌手・演奏者はバーデン劇場のスタッフの中には見出せませんでした。どうなっているのでしょう。バーデンはウイーンの郊外の小さな保養地なので、オペラ劇場が二つあることは考え難い。どうなっているのでしょうか。
と言うような不可解団体の演奏でしたが、その内容は素晴らしいものでした。暫く外国人のオペラ公演を聴いていなかったこともあるでしょうが、今回の「ドン・ジョヴァンニ」は素晴らしい公演だったと思います。こんな素晴らしい演奏なのに、半分したお客が入らないなんてなんてもったいないことでしょう。
今回の公演スケジュールは、9月12日の奈良市から始まり、神戸、鹿児島、熊本、吹田、滋賀、静岡、所沢、君津、川崎、豊田、千葉、岸和田、熊谷、川口、青森、北海道、岩手の18箇所を回るというものです。正直言って地方都市巡りですね。東京都内での演奏は無し。近いのは川崎ミューザと川口です。東京都の皆さんは「川口」にくるべきでした。本当に素晴らしい演奏でしたから。
配役は以下の通りでした。
ドン・ジョヴァンニ:セバスチャン・ホロツェック ドンナ・アンナ:エステファニア・ベルドォモ ドンナ・エルヴィーラ:リタ・シュナイダー ドン・オッタービオ:ヴァレリ・セルキン レポレッロ:ファルベルト・クロッセンス 騎士長:ファルナール・サール チェルリーナ:エファ・クンプミューラー マゼット:イゴール・レファイタン
以上の8人が織り成す物語ですが、8人全員がそれぞれかなりの力量である上に、既に10回以上の演奏をこなしただけあって、バランス・話の進め方が既に自分達のものになっていました。そしてもっとも大事なのことですが、本当に一生懸命演じてくれた事が何よりも名演・感動に繋がったのだと思います。
ドン・ジョバンニは本当に最後まで悪役を演じてくれました。声も素晴らしいですが見栄えする容姿で、最後まで後悔しないプレイボーイを示してくれました。ドンア・アンナも非常に感心しました。言葉は分からないけれど、ドンア・アンナの性格を見事に表現していたと思います。そしてエルヴィーラです。騙されやすいけれど本当はとても優しいエルビーラです。これも理想の形に近い。更に細かい部分では、マゼットとチェルリーナの関係も細やかに表現していました。独唱も重唱もかなりの声量で、しかも音程が安定しているので心底オペラの筋に集中できたと言う感じでした。名人のチェンバロに支えられたレチタティーボの表現力が素晴らしかったことも付け加えておきます。
伴奏も一応「バーデン劇場オケ」ですがその正体は不明。最初の序曲と一幕の最初の部分こそ不安定な箇所があったものの、それ以降は非常に安定した伴奏を聞かせてくれました。どの楽器も溶け合う演奏法、音色を弁えているあたりはウィーンの伝統をしっかり体言していると思いました。特に金管楽器(ホルン・トランペット)とティンパニの音色には感動しました。管楽器もクラリネットを中心によく溶け合っていました。
このメンバーによる公演は1996年から毎年続いているようです。来年は「ラ・ボエーム」を持ってくるとのこと。非常に楽しみです。招聘元の力量が少し心もとなく、会場手配、プログラム作成等に難があるかもしれませんが、音楽そのものは本当に素晴らしいものです。東京都内での公演は無いかも知れませんから、都民の方には埼玉は見逃せないですよ。
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