浦和の別所沼では「新顔の話題」で盛り上がっています。そのひとつが「鴨の親子」で、下の写真は今朝撮影したものです。
鴨の6匹の子供が親鴨の後をおって泳いでいます。最初は7匹いたのだそうですが1匹行方不明になったのだそうです。6匹の子鴨は元気に育っています。日に日に大きくなって行動も活発になります。親の傍を離れるのが危険なのかもしれませんが、勝手な行動を始める頃のようです。
もうひとつの話題は「新入りの猫」です。最近痩せた「雉猫」が公園を徘徊しています。なぜ「新入り」と分かるかというと、非常に痩せているからです。別所沼に散歩に来る人中で猫の餌をもってきてくれる人が沢山いるので、別所沼に住み着いている猫は直ぐに「太って」しまいます。別所沼の猫は毎日定期的に餌をもらい、殆どが避妊手術を受けた「地域猫」です。痩せた「雉猫」も優しい人から餌をもらって直ぐに元気になるでしょう。
妻と娘をさそって昼食に「藤店うどん」に行ってきました。インターネットの情報で「美味しいうどん屋」ということは知っていましたが今日が始めてです。武蔵浦和の我が家からは新大宮バイパスを使っても30分位かかります。新大宮バイパスは旧大宮市内では大変混みます。後午1時頃についたのですが駐車場は食事客の車で一杯で15分位店の外で待ちました。
頂いたのは名物「肉汁うどん」です。冷やしたうどんには豚肉とねぎのタップリはいった肉汁が良く合います。「つけうどん」という感じですね。トッピングメニューも豊富で私は「海老てんぷら」を追加しました。大変美味しかったです。
「藤店うどん」さんで驚かされるのは店員の多さをそのテキパキとした動きです。営業時間が午前10時から後午3時までなので、その5時間で如何に多くの客を「さばくか」が勝負になるのでしょう。一組の客が食べ終わると、チームプレーでテーブルの上があっと言う間に片付けられ、空いた席には効率よく次の客が案内されます。私達3人が4人がけテーブルで食べたのですが、私達が食事を終わると直ぐに二人連れの客が二組案内されました。順番待ちの客を案内する女性リーダが居て彼女が全部仕切っているようでした。うどんも美味しかったですが、その店内の仕組みも大したものです。
2009年06月21日(日) |
NTTフィルハーモニー演奏会 |
NTTフィルハーモニー管弦楽団の第25階演奏会を聞いてきました。場所は池袋の東京芸術劇場大ホール、指揮は松岡究氏。曲目は以下の通りでした。
ブリテン:青少年のための管弦楽入門 ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)
演奏会が日曜日の午後からだったので池袋東京芸術劇場近くのレストランで昼食を取ることにしました。芸術劇場の西側に各国料理レストランがあることは分かっていました。今日はインド料理の「GARA」で昼食を食べました。丁度今日出演するNTTフィルの弦楽器セクションの方も昼食を食べていました。ここのカレーは「ニューデリー」から来たシェフが作っているようですが、日本人に合うようにアレンジして辛さを抑えているようでした。ちょっと物足りなったです。
演奏会ですが芸術劇場は7分の入りだったでしょうか。雨の日曜午後のアマチュア演奏会にしては客は入っていたという印象です。曲目がブルックナーの7番をメインとするもので少し地味なのですが、しっかりしたサポータが聞きに来ていたのでしょう。私は前回ベートーベンの「皇帝」とメンデルスゾーンの「イタリア」を聞いて今回ブルックナーを聞いてみようとおもったのでした。
最初のブリテンの管弦楽入門ですが、大曲の前のサブとしては少し違和感がありました。各セクションに「腕自慢」が揃っていることをアピールするには絶好の曲ですが、腕自慢よりは「音楽自慢」を聞きたいところでした。終曲のフーガがかなり難しい曲ですがさすがに人材豊富なNTTフィルだけに聞かせてくれました。
休憩の後はブルックナー。休憩時間に飲んだワインで適度にリラックスして聞くことができました。一楽章はいきなりチェロの出だしが揃いませんでした。トップの「Tさん」は以前に一緒に仕事をした仲間です。高校・大学とチェロを続けてきた腕自慢です。Tさんの熱演にも拘らず全体的にチェロセクションの音量が少し足りない感じでした。一楽章は少し硬いかなという感じでした。それとトップフルートが1stバイオリンと同じ旋律を演奏して、音に丸みを持たせる部分が多いのですがフルートが重なった効果があまり感じられませんでした。
ニ楽章は交響曲全体の中心です。ワーグナーチューバが活躍するのですが、今一歩音に力が感じられませんでした。NTTフィル全体に言えると思いますが、奏者の演奏技術のレベルはかなり高く、各セクションの音程・音色は素晴らしいのですが、音のエネルギーが少し小さい感じがするのです。例外はクラリネットとホルンでしょうか。この二つのパート(クラはセカンド)は物凄い演奏意欲が表に現れていました。ニ楽章最後の和音は素晴らしかった。こういう場所は本当にプロ顔負けです。3楽章は何と言っても冒頭のトランペットなのですが、上手く吹いているのですがエネルギーが小さいので感動に至りません。これはトランペット・トロンボーンに共通した課題だと思います。
終楽章は交響曲全体を締め括るには小規模で演奏効果を出すには難しい曲だと思います。それなりに音楽が処理されて一応ブルックナー的に進んでいくのですが心に響いて来る「何か」が少ないのです。何時も「燃えるコバケン」のように演奏するのは無理だとしても「音楽が今この時に生まれている」感じがないのはどうしたことでしょう。今では学生オケでもどんどん取り上げるブルックナーです。アマチュアであっても学生のような「勢いのある」演奏を期待して出かけたのですが、カレーと同じで少し期待外れでした。
グリコの特大ぷっちんプリンを買いました。武蔵浦和のオリンピックに売っていました。ファミリーマートで売っているプリンより大きいです。左が小さなぷっちんプリンで75gです。右は特大400gです。さすがに一人では食べ切れず家族で分けて食べました。容器の底にはしっかり「ぷっちん」が付いています。
グリコのぷっちんプリンページ
グリコのホームページです。開発の物語などぷっちんプリンの情報の宝庫です。大変重いのでダウンロードに苦労しますが「思い」は伝わってきますね。
2009年06月13日(土) |
「政府へ尋問の廉有之」 |
昨日麻生内閣の鳩山総務大臣が大臣辞表を提出し麻生首相に受理されました。鳩山総務大臣は長らく日本郵政株式会社の「西川社長」の社長続投に反対の姿勢を取ってきたものの、最終的に麻生首相の決断で社長指名の拒否権を持つ「総務大臣の首」を切られたもの。喧嘩両成敗的な「ばら色」の決着ではなく、一方的に片方を切るという最近では珍しい麻生首相の決断でした。
ところで辞任した鳩山氏は辞任後の記者会見の中で、無念さを顕にしながら西郷隆盛の「政府へ尋問の廉有之」という言葉を引用しました。非常に興味があったので調べてみました。
この言葉は1877年(明治10年)下野していた西郷隆盛が鹿児島の私学校生徒等の動きを押さえ切れずに決起し、武装した西郷軍が熊本城下を抜ける通行許可を得るために熊本鎮台司令長官に宛てた手紙の冒頭の言葉です。鎮台司令長官はこの勿論これを了承せずに西南戦争が勃発したわけです。但し、この手紙は西郷隆盛の直筆ではなく、書かれている内容も西郷の意に反する部分があったと言われていますが、この冒頭の言葉が有名になっています。
西郷の「政府への尋問の廉」とは何であったのか。この時際西郷隆盛は「征韓論」で大久保・岩倉・伊藤等に敗れ「下野」したとされています。この辺りの話は最近ずっと興味を持って考えてきたテーマです。
「頑なな朝鮮との交渉をどのように進めるか」これは欧米視察旅行(1871年から1873年)で大久保、岩倉、伊藤等が留守の間に持ち上がった問題でした。当時の日本に残った明治政府の留守番のリーダは西郷隆盛でした。断固朝鮮に武力出兵すべしという過激論を押さえて、西郷は穏当な外交儀礼として礼を尽くして自ら交渉にあたる事を決定しました。西郷隆盛としては「江戸城無血開城」を実現したように、礼を尽くし誠意を持った交渉によってこじれてしまった朝鮮(その背後の清朝)との関係を修復し友好関係を築くことができる自信があったのでしょう。西郷は清朝、朝鮮、日本の民族に脈々と流れる「道徳精神」「武士の精神」等への確信・期待があったことと思います。
ところがヨーロッパ視察から帰国した「大久保・岩倉・伊藤」はヨーロッパ先進国の最新の状況に非常に感化され、西郷の穏当な交渉案を廃案とし、富国強兵策を推し進めることとなります。別な言葉でいうと、西欧列強が産業を興して強国となったように、日本はまず近代化を推し進め、軍事力を増強して、西欧列強のように植民地政策を採用して朝鮮・中国問題に対処していこうというものでした。これは結果的に福沢諭吉の「脱亜論」の考え方とも一致するものでした。この大方針に基づいて近代化に成功した日本は「日清・日露」の戦争に勝って列強の仲間入り(植民地支配競争に参加)を果たし、満州国を建設して大東亜戦争へと突き進んだのでした。
翻って、西郷隆盛の考えは「文明とは道の普く行われるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華をいうの非ず」というものでした。もし西郷隆盛も欧米使節団に参加していたらどのようになっていたか。私は西郷隆盛が欧米の近代化精神の真髄を掴みつつも、東洋の道徳精神の素晴らしさを再確認したはずだと思います。そしてそのような西郷隆盛の存在する明治政府の指導によって明治以降の日本の近代化は別の道を辿っていたはずだと思います。この西郷隆盛の精神は、インドのタゴール、ガンジーや中国の孫文の考えと全く同じものだと思います。まさに西南戦争の勃発は日本のその後の日本の行く末を決めてしまったのではないと思われます。そして現在でも近代化した日本社会にその時の「忘れ物のつけ」が残っているのではないかとも思われます。
鳩山氏がおっしゃる「正しい事」が本当に正しいのか、麻生首相の判断が正しいのか、それは歴史が決めることです。しかし少なくともその判断基準が「選挙」・「党利党略」であったりすると「正しさ」の根拠が正当なものだとは言い難い気がします。そして将来の歴史を知ることができない現在の人々は、現在の自分の私利私欲のない道徳精神に基づいて決断するしか方法がないのも事実です。それが多少間違っていようとも。と思いました。
2009年06月06日(土) |
なぜ駒野選手? 日本は勝ったが。 |
ワールドカップ予選の大一番の「ウズベキスタン戦」。日本はなんとか1対0で勝利をもぎ取り本戦への切符を手に入れました。一応最低限ラインをクリアというところでしょうか。しかし今回のウズベキスタン戦を見ていて、非常に疑問に思ったことがありました。それは右サイドバックに駒野選手を起用したことです。
前の試合で大活躍した「内田選手」が怪我のために、「駒野」選手しかいなかったとしても、駒野選手の起用はあまりにも知恵がない、あるいは無謀であったとさえ思われました。私は他のポジションの選手でも良いから「内田選手」の代わりに出場させるべきであったと考えます。
駒野選手が出場する試合は「右からの攻め」が皆無に等しいと言えます。今日の試合で2回ほど「駒野選手」が攻め上がり、そのうち一回は大久保選手の頭に合わせたセンタリングを出したもので一見活躍したように見えます。しかし背の高い相手の守備陣に対して、背の低い大久保選手を使って空中戦を挑むのは以前の得点力のない全日本のパターンそのものです。つまり「相手がミスするかもしれないのでやらないより益し」という考え方です。Jリーグでは通用する無気力なパス、過度に楽観的なパスは国際試合では通用しないと肝に銘ずるべきです。そのようなJリーグ並みのプレーを超える所からワールドカップが見えてくるのだと思います。そのように奮起してきたのが、岡崎であり、長谷部であり、内田であったのだと思います。また空中戦はセットプレーの時だけに限定し、敵ゴール前では低いボールで勝負しようと戦術を転換してきました。そのお陰で得点力が増したのと思います。
今日の試合ではどうしても「駒野選手」の動きの悪さに目が行ってしまいました。他の日本人選手との大きな「差」が目立ちました。一言でいうならば、日本は10人で試合をしていたといっても過言ではないと思いました。10人で戦うのですから、よく動く選手は「疲れる」のは当たり前です。よくカバーする人ほど消耗して行くのです。従って攻撃の基点となるミッドフィルダー(MF)が動けなくなります。従って得点力が下がってしまう。
逆に、サイドバックがボールを持つことができて「タメ」ができれば、MFは非常に楽になります。サイドバックから直接前線にパスがでたり、サイドバックが敵をカワスことができればMFは更に楽になるのです。このプラス面とそうでなくてMFがカバーしなければならないマイナスの状況では「天と地」の差が出てしまうでしょう。
得点力で言うと、岡崎、玉田、更にレッズの田中の力は非常に高いものであります。MFでは両中村、遠藤、長谷部、本田、阿部と人材は一番豊富です。デフェンスの中心は背の高い中澤とトゥーリオで決まりです。問題サイドバックです。左の長友は良しとして問題は右サイドバックです。
「駒野選手」は非常に誠実そうだし一生懸命なのは分かりますが、今日の試合は「惨い」ものでした。疲労困憊した長谷部選手の「一発レッドカード」の原因のひとつに、カバーのために走り回った疲労があると思いました。選手達が本当は何を考えているのか知りたい所です。
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