KENの日記
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2009年07月25日(土) 東京芸術劇場「トゥーランドット」

池袋の東京下芸術劇場で「トゥーランドット」を見てきました。指揮は井上道義さん、演出は狂言師の茂山千之丞さん。オーケストラがピットから出て舞台と近い場所に措かれ、舞台は非常にシンプルというか、動きが非常に少なクなっています。コンサート形式ではないのですが、これが「狂言形式」なのでしょうか。舞台の左右の袖に大きなパネルが設置され、オペラが進行していくに従って、象徴的な漢字が映し出されました。それは「会・別・氷・火・妖・金・愛・死」。


トゥーランドット  :マリアナ・ツヴェトコヴァ
皇帝アルトゥム   :鈴木寛一
ティムール     :ジョン・ハオ
王子(カラフ)   :アレクサンドル・バディア
リュー(女奴隷)  :小林沙羅
ピン(宰相)    :萩原 潤
パン(内大臣)   :与儀 巧
ポン(総料理長)  :牧川修一
役人        :小林大祐
ペルシアの王子   :中村順一
プー・ティン・パオ :風李一成

指揮        :井上道義
管弦楽       :読売日本交響楽団
合唱        :新国立劇場合唱団、TOKYOFM 少年合唱団

正直言って左右のパネルの漢字が示すほどの「深い」感情を汲み取ることはできませんでした。トーランドットもカラフも東洋の服装が全く似合っていません。これは衣装担当の責任でもあるようです。今回は金沢文化服装学院が衣装製作を担当したようですが、ピン・パン・ポンの衣装といい、カラフの衣装といい、トーランドットの衣装といい、ちょっと頂けないものでした。トゥーランドットは衣装が硬い事もあって非常に動きの少ない演技でした。しかし「動きが少ない=内面を掘り下げた」という図式にはならず、トゥーランドット姫の性格が最後まではっきりしませんでした。

そんな中で、ティムールを演じた「ジョン・ハオ」さんが非常に深い歌を聞かせてくれ、リューの「小林沙羅」さんの初々しい歌も一際目立っていました。それと殆ど動かずに一箇所で集団で歌うこととなった「合唱団」はさすがでした。新国の合唱団は本当に素晴らしいと思います。また、3つの謎を解いたカラフを誘惑するために登場するダンサーの「伊津田愛」さんはサックス奏者なのだそうです。胸を露にした大胆な衣装といい、妖しい身のこなしといい舞台への「こだわり」を感じました。井上道義さんの指揮は相変わらずメリハリが利いていて「キレ」が良かったです。でもカラフ役のアレクサンドル・バディアの「誰も寝てはならぬ」の後に聴衆に拍手を要求したのは興ざめでした。それほどの声は出ていなかったと思います。



2009年07月22日(水) KDDIオーシャンリンク号

横浜港が開港150周年を迎えて様々なイベントが開催されています。今日はKCS社(国際ケーブル・シップ株式会社)の「KDDIオーシャンリンク」が横浜の新港埠頭で一般公開されたので見学に行ってきました。

KCI社のホームページはこちら




KDDIオーシャンリンクの特徴(ホームぺージから抜粋)

可変変ピッチプロペラ2基を主推進器とした2軸船に、バウスラスタ2基とスタンスラスタ1基が設けられ、高性能な定点針路保持能力を得ています。

1つのデッキを船首甲板・作業甲板・船尾甲板とすべて作業区画にし、広い作業スペースが確保されています。

船首側にドラムケーブルエンジン2基、船尾側にリニアケーブルエンジン1基が搭載され、海底ケーブルの修理工事、回収・高速での敷設工事にも 対応可能です。

船の仕様

所有者   国際ケーブル・シップ株式会社 (KCS)
建造所   三菱重工業株式会社 下関造船所
起工    1991年3月28日
進水    1991年8月1日
竣工    1992年2月28日
船籍    日本
船級    NK NS*(CL),MNS*, M0,
全長    133.16m
幅     19.6m
深さ    11.6m(from cable handling deck to bottom)
総トン数  9,510 トン
満載喫水  7.4m
載荷重量  (計画満載喫水時) 6,270 トン
ケーブルタンク容量   2,300m3 (3つの主タンクの合計)
主機関/連続最大出力  2,200PS×720/120rpm×4基
推進器         4翼可変ピッチプロペラ×2基
発電機/主発電機    800kw×2台
発電機/補助発電機   1,760kw×2台
バウスラスター     電動可変ピッチ式 920kw×2基
スタンスラスター    電動可変ピッチ式 920kw×1基
自動定点針路保持装置  1式
航海速力        15ノット (時速約28km)
航海距離        約1万海里 (約18,520km)
ケーブルハンドリング装置
ドラムケーブルエンジン 電動油圧ドラム式2台
リニアケーブルエンジン 電動油圧タイヤ式1台
減揺水槽アンチローリングタンク 1台
デッキクレーン(電動油圧) 2台
最大搭載人数 85名


海底ケーブル敷設線は圭帝ケーブルの敷設の他に海底ケーブルの保守を行います。広い海で海底で切れてしまったケーブルの修理(接続)を行うためには、深海でのケーブルの探索・引上げ、船上での接続作業、そして修理の終わったケーブルの再敷設を行わなければなりません。ケーブル敷設船にはこうした業務を行うための設備・装備が装備されています。

バウ(船首)とスタン(船尾)のスラスタ(推進装置)と自動定点針路保持装置は、船をある地点で静止させるためのものです。ケーブル接続中に船が潮や風に流されてしまっては工事が円滑に進みません。人口衛星からの正確な位置情報を得て自動的に推進装置を制御して船を静止させるのが「自動定点針路保持装置」です。これが無い時代は操縦を担当する航海士の方の腕に頼っていたようです。

ケーブルエンジンの重要な装備です。海にケーブルを沈めたり、ケーブルを引上げる際には、船の速度に応じて、適切なスピードでケーブル繰り出したりする必要があるからです。そのケーブルはケーブルタンクに積まれて行くため、巨大なケーブルタンクが必要になります。

今日は初めてケーブル敷設船を見ました。知らなかったことが沢山ありましたが非常に興味深い経験をしました。



2009年07月07日(火) 長崎出張

長崎にマリン社(NTT−WEマリン社)の事務所があり、挨拶のために出張しました。NTTグループの海底線業務は電気通信省・電電公社時代の海底線施設所の時代から続いています。列島構造の日本では、本州・四国・九州・北海道をはじめ主要な島を海底ケーブルで結ぶことによって国内通信網を整備してきました。さらに戦後国際通信分野をKDDが行うようになる前は、国際ケーブルについても海底線施設所が所掌していました。マリン社はその伝統をひき継いでいます。

かつては「尾道市」にも事務所があり、瀬戸内海のケーブル保守を担当していましたが現在では廃止されていて、長崎事務所が西日本・東日本の海底線ケーブル保守基地となっています。横浜にも埠頭と施設倉庫があり、海底ケーブル敷設船が接岸できるようになっています。

九州の福岡には何度か来ていますが、長崎は全く初めての土地です。これから出張の機会が多くなることと思います。「ちゃんぽん」「カステラ」が有名なよう食べ物が美味しそうなので楽しみです。 

往路 7月7日 ANA663便羽田(10:45)⇒長崎
復路 7月8日 ANA664便長崎(11:00)⇒羽田

ANAの「eチケット」は非常に便利です。座席を決められる搭乗券が既に発券されているので、出発の15分まえに「保安検査場」を通過して、10分前に登場口に着いていればOKです。羽田は成田のように列車が遅れる心配も殆どないので、ギリギリに到着していれば良いのです。羽田空港にはこれまで浜松町から東京モノレールを使っていましたが、会社が横浜の神奈川新町にあり、羽田空港への蒲田から乗り入れている「京浜急行」を使う機会が増えそうです。

長崎空港は大村湾にあります。長崎市へは空港からバスが連絡しています。高速道路で長崎市に向かうと実感するのですが、空港から長崎への半島の土地は本当に平地が少ないです。空港を作る場所は大村湾しかなかったのだと思います。

40分程度で長崎市内に着きました。マリン社長崎事務所は長崎の湾を挟んで繁華街の反対側にあります。三菱重工長崎造船所の大きな造船所を通過すると、ノンビリした小さな湾に面した事務所がありました。長崎は東京にようなどんよりした夏ではなく、抜けるような青空の下、容赦なく太陽が照りつける南国の夏でした。



2009年07月01日(水) 新しい職場

本日からNTT−WEマリン社の勤務が始まりました。NTTWE-マリン社は海底ケーブルの敷設・保守を主な業務としていて、海底ケーブル敷設船の運行・通信設備建設・保守の経験を生かして、陸上にあるディーゼルエンジンの保守とか、船舶へのインターネットソリューションの提供を併せて行っています。これまで経験したことのない分野の職場なので、期待することが多いことに加え、非常に身が引き締まる思いが強いです。

NTT-WEマリン社のホームページはこちら

会社は横浜市神奈川区の出田町にあります。最寄駅は京浜急行電鉄の神奈川新町駅。そこから国道15号線、高速道路の高架下を通って港方面に約15分歩くことになります。神奈川新町までは湘南新宿線で一旦JR横浜駅に出てから京浜急行線に乗り換えることになります。これまでより通勤に時間がかかりますが、朝の湘南新宿線は渋谷駅・恵比寿駅あたりで座れますし、夜は横浜駅から座れることが多いので電車内で読書の時間を確保することができます。

横浜は大学時代の4年間を過ごした街です。その時代から丁度30年振りに戻ってきたと言うことになります。




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