インド勤務時代に知り合ったインド人の友人が家族揃って日本に旅行に来ています。彼は当時インドの財閥系の通信会社「リライアンス社」に勤めていてNTTとの社員交流のお手伝いをしてもらったのでした。今日はその当時インドに出張し彼とも名刺交換していた方もお呼びして彼と夕食を食べました。
日曜日の深夜のようですが、スリランカのバンダラナイケ国際空港に隣接するスリランカ空軍基地を反政府組織「LTTE」の飛行機が爆撃したのだそうです。「LTTE」は小型飛行機2機で政府軍の攻撃機爆破をねらったようです。このところ、スリランカ政府が空軍の支援による大規模な侵攻作戦を展開し、じりじりとLTTE支配地域を取り返しにかかっていたのでした。
ところでLTTEが飛行機を手に入れていたということは、スリランカ政府にとっても驚きであったようです。空からの攻撃は全く予想していなかったようです。そもそもLTTE支配地域に飛行機が離着陸できる飛行場があるとは思えません。真っ直ぐな道を閉鎖して滑走路にしたのではないでしょうか。ジャングルの中に滑走路を作ったのかしら。
そして飛行機ですが、部品を海外から密輸して支配地領内で組み立てたようです。飛行機のテストはどのように行ったのか。どのように飛行訓練を行ったのか。分からない事が多すぎます。スリランカ政府に全く気づかれずに準備したのですからすごいことです。
これでスリランカ政府は空からの攻撃にも備えなければならなくなりました。これまでは船舶を使った「SeaTiger」と呼ばれる攻撃がありました。彼等は一旦公海に出て南部の港に近づいて攻撃するのです。海からの攻撃にはスリランカ政府も十分注意を払っていました。これに空からの攻撃が加わりました。首都コロンボのビジネス街の中心は二棟の「ワールドトレードセンター」。これ以上の戦闘激化は是非避けてもらいたいです。今週水曜日からスリランカに出張します。
2007年03月24日(土) |
ロストロポーヴィッチ・ガリーナの映画 |
ロストロポーヴィッチ・ガリーナの映画の上映日程が決まったようです。ホームページは以下の通り。
http://www.sokurov.jp/
4月21日から渋谷の「シアター・イメージフォーラム」だそうです。早速鑑賞券を買いました。日本語の題名は「ロストロポーヴィッチ人生の祭典」です。ガリーナファンとしては「ロストロポーヴィッチ・ガリーナ人生の祭典」にして欲しかったところです。日本ではガリーナの人気が今ひとつですが欧米ではむしろガリーナの方が有名なのではないでしょうか。
音楽家の家に育ったロストロポーヴィッチに比べて、ソプラノ歌手「ガリーナ・ヴィシネフスカヤ」の苦労は壮絶なものでした。ガリーナはそれを本にまとめています。独ソ戦の「レニングラード」封鎖から始まり、ソビエト共産党が次第に体制を固め全盛期を極める姿をガリーナは体制の中から見ていました。すさまじい権力闘争であったと思います。芸術家もそれに巻き込まれていたのでした。その間にロストロポーヴィッチと結婚し、その後西側に亡命しロシアを外から見てきたのでした。ソビエト崩壊後の10数年間はロシアに戻り、社会活動・行進の育成に力を尽くしています。
ソビエト共産党の体制においても芸術至上主義を貫き、西側のベーム・カラヤンに代表される商業主義に対応して崇高な域に達していたのがソビエト芸術です。ムラビンスキー率いるレニングラードフィルの演奏能力は当時の西側に大きな衝撃を与えました。ガリーナはボリショイオペラのスターとしてカラスに比肩するソプラノでした。他にはピアノのリヒテル、バイオリンのオイストラフ、チェロのロストロポーヴィッチが西側の度肝を抜いたのでした。その後もクレメル、マイスキー、ウゴルスキーとロシアは天才肌の芸術家を世に送ってきました。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの「ワレリー・ゲルギエフ」はウイーン、ニューヨークで引っ張りだこです。今後暫くの間はロシアの芸術家が世界を席巻するのではないかという気がします。最近日記に良く登場するソプラノのネトレプコ、バリトンのホロストフスキーもロシア出身です。
現代のロシア芸術家のひとつの原点は「冷戦」時代だろうと思っています。その冷戦時代にあっても大切に受け継がれた帝政ロシアの芸術家の伝統があったのだと思います。現代のロシアの芸術家はまだ「冷戦世代」であるといえます。そういう意味で冒頭のロストロポービッチの映画は非常に興味深いものです。時代が進んでポスト冷戦の世代が出てくるとロシア芸術がどうなるのか興味があります。
今日は春分の日。水曜日でHMV「ポイント2倍の日」なので妻と一緒に池袋のHMVに買い物に行きました。武蔵浦和から埼京線で池袋にいったのですが、先頭車両に乗って池袋駅の最南端のメトロポリタン改札口で出ると、メトロポリタンの2階に直結していて便利です。今日はじめて知りました。
メトロポリタン6FのHMVでは、グールド1955年録音の「ゴールドベルク変奏曲」のプロモーションを行っていました。グールドの第一回目の録音として名高い1955年録音盤はモノラルなのですが、今日はその「リパフォーマンス盤」の発売日なのです。なんでもアメリカで開発されたソフトを使ってグールドのモノラル盤から、グールドの「キータッチ、ペダル操作」の情報を入手し、ヤマハグランドピアノの自動演奏機能で再生したのだそうです。「音」事態はヤマハのグランドピアノですから非常に新鮮に聞こえます。ニュアンスも1981年の二回目の録音に似ていてグールドらしいです。できたら1981年のステレオ録音盤でどれくらい忠実に再現できるのか試して欲しいですね。
グールドは特別のスタインウエイで演奏していたことが知られています。そのスタインウエイは鍵盤タッチが非常に軽く調整されていたのだそうです。グールドのピアノ演奏はこのスタインウエイピアノとの相性からくる部分が多くあると思います。今日聞いたヤマハグランドピアノの音は非常に標準的な音で、軽いタッチの感じは全くしませんでした。
ところで今日購入したのは、サンクトペテルスブルグ建都300年記念ガラコンサートのDVD。お目当てはネトレプコのソプラノと、ホロストフスキーのバリトンです。それぞれアリアを2曲歌っていて、最後に「道化師」の二重唱が入っています。その他はレニングラードフィルの演奏、トレチャコフのサンサーンス、ヴィルセラーゼという女性ピアニストのラベルの左手協奏曲、マイスキーの「コールニドライ」等です。
ネトレプコ、ホロストフスキーの歌は現代の最高水準だと思います。この二人は歌を歌っているだけに留まらず「役」に成りきっています。オペラの登場人物の人間を表現しているといって良いでしょう。登場人物の人間性、感情が直接伝わってくるのですね。歌は大きな要素ですが手段に過ぎません。といっても歌唱力も飛び抜けてすごいものがあります。基礎訓練を十分積んだ結果でしょう。身体全体を響かせていて非常に効率的な歌い方です。したがって言葉もはっきりしています(意味は直接分かりませんが)。こういう若手がいるロシアのオペラ界恐るべしです。そういえば昨年聞いた「キエフオペラ」が今年も来日するようです。
2007年03月20日(火) |
マンション管理組合の仕事 |
私の住んでいるマンションで「管理規約」の見直し作業が進んでいて、実はその検討委員会の委員長をしています。既に5回ほど委員会を開催してきました。マンションは個人の所有物件(専有住戸)が集合しているため、大変難しい課題があります。住民が「大人」の判断力をもって、円滑共同体を運営していくことが大切で、各人の考え方の差、権利意識の違いなどを大枠で括っていかなければなりません。
例えば「ベランダの布団干し禁止」問題。元々はマンションの美観を損ねるという理由で禁止事項だったのですが、多くの家で天気の良い日はベランダに布団を干しています。我が家もその一軒。実際には、マンションの美観というより、布団が下に落ちた時に一階の住む方が迷惑するという理由が重要なようです。というのも一階の方は、マンションの専用庭使用料を払って、庭に植木鉢などを置いているのです。そういうところに重い布団が上から落ちてきたら大変です。天気の良い日の「布団干し」を厳禁にすることも大人気ない気がします。しかし名案はありませんね。
自転車置場の問題も深刻です。昔は子供の数が少なくて自転車の数も少なかったのですが10年近くが経過すると子供の数も相当増えました。そうすると一家に2台、3台と自転車の台数が増えてきます。溢れた自転車をどうするか。自宅玄関脇のスペースに置いていただければ、それに越したことはありません。でもそうするとマンション内通路、エレベータに自転車を乗せることとになります。自転車をぶつけて「共同財産の通路やエレベータを傷つける」というケースも出てくるでしょう。
人間の共同体では物理的な「距離」が大変重要な要素なのだと痛感します。一戸建て住宅では、上記の問題も騒音の問題も殆ど解決されます。マンションのような共同体においては、より一層の共同体意識が必要になります。「距離の近さ」が問題になるだけでなく、逆に距離の近さが「有利に働く」「それによって楽しさが増す」ような環境が作れれば最高なのですが。
先週土曜日の日記(下)に江戸時代の地図の話があるのですが、ヤフーの地図ですごいものがあるのですね。下のアドレスです。
スクロール古地図
東京の都心部だけすが、江戸時代、明治時代、現代、航空写真を見ることができます。この3つの図柄が同じ縮尺に合わせられていて、相互に変換することがでるので「この場所は昔何があった?」という疑問に答えられるのです。で何に使えるのか分からないですが、とにかく非常に興味深いですね。
この地図は帝国ホテルの北側の道にあります。江戸時代最後の頃の内幸町近辺がどうなっていたか知ることができます。私の職場である日比谷電電ビルはかつて島津斉彬候の屋敷であったのでした。当時は内幸町から日比谷公園あたりは大名屋敷が集中していたのでした。
明治になって参勤交代がなくなったため大名(特に外様)が国に帰ったため、このあたりは広い空き地になってしまったようです。日比谷公園あたりに陸軍練兵城が作られました。現在の帝国ホテルからみずほ銀行あたりまでの地域は、阿部守正奥州白川藩邸と島津家のい屋敷でした。そして山手線・京浜東北線の線路は「堀」で第一ホテルのあたりに「幸橋」が架かっていました。幸橋より内側なので「内幸町」となったようです。島津家藩邸の北の部分に1883年に鹿鳴館が建てられ、1890年その北側に帝国ホテルが建設されたとのことです。
また江戸時代初期においては、現在の日比谷公園は勿論南は浜松町から北は大手町あたりまで「日比谷入江」があったそうです。この日比谷入江の西側の淵に沿った通りが「日比谷」通りであるようです。日比谷公園の北側、桜田門から西に伸びる堀が「日比谷掘り」です。
2007年03月09日(金) |
スリランカ内戦の情勢 |
一昨日水曜日頃からスリランカ政府がスリランカ東部で新たの攻勢にでました。重火器の支援を受けた陸上部隊(数千人規模)が反政府組織LTTEの基地を攻撃し始めたのです。これが内戦の新たなページの幕開けにならなければ良いのですが。
2月23日は2003年の同じ日にスリランカ政府とLTTEの間で和平協定が結ばれてから5周年目でした。制度上というか法律上というかは別に形だけの和平協定は今も生きているのです。しかしスリランカにおいては今年だけでも数千人の命が奪われています。和平協定は名ばかりの状態なのです。
与党党首のラジャパクサ大統領には非常に多くの権力が集中しています。今大統領は財務大臣と国防大臣を兼任しているのです。大統領は軍事予算を思う存分使えるのです。今年1月末に野党から20名以上が大統領派に寝返ったので大統領の与党は議会で単独過半数を獲得しました。
与党が単独過半数を取ったので紛争解決の政治決断ができるかもしれないという楽観的な予想はありました。LTTEに自治権を与えようという提案はスリランカの右派勢力からは大反対されるからです。しかし現時点の状況からすると大統領は平和的に紛争を解決するのではなく武力で紛争を解決しようとしているとしか思えません。非常に危険な状況なのです。
反政府組織のLTTEは今回の政府の攻撃に対して「スリランカ全土で不幸な流血事件が起こることになるだろう」と警告を発しました。暫く予断を許さない状況が続くでしょう。
2月の中旬頃の事ですが外国人の方と午後からずっと話す機会がありました。そして夕御飯もご一緒して、かなりアルコールも飲みました。日本人の方も何人かいましたが、基本的には共通言語は英語なのでずっと英語で通しました。何時もはアルコールが入ると「ヒアリング」能力が極端に落ちるのですが、頑張って聞こうとしたのが良かったのか、最後まで意思疎通はできていました。(アルコールが入ると日本語でも意思疎通が困難になる場合がありますが。)
懇親会を終え、良い気分になって通勤経路の有楽町から山手線に乗ってから非常に奇妙な体験をしました。周りの乗客の人達の会話が全く聞き取れないのです。まず近くで若い女性客が少し大きな声で話しをしていたのですが、全く何を話しているのか分からないのです。最初は韓国か中国の女性が東京に観光に来ているのか、あるいは働いているのかなと思いました。中国語か韓国語を話しているのかなと聞き耳を立てましたが分かりません。顔は日本人そっくりなので、東アジアの人には違いないはずだと、酔っ払った頭で不思議に思っていました。
暫くしてから。彼女等が話している言葉が日本語であることに気付きました。彼女達はきちんと日本語を話しているのです。日本語なのだと思って聞いてみると意味が取れました。不思議なので「英語かな・・・」と思って聞いてみると、次第に意味が取れなくなっていきました。酔っ払っているので頭の回転がおかしかったのか知れませんが、非常に不思議な感覚でした。
多分「英語を聞こう」とすると、頭の中で「よく使われるフレーズ」などを期待するのだと思います。それに単語の順番なども「英語」の順番で聞こうとするのだと思います。また「音」なども日本語の音ではなく、英語風の音を期待しているのだと思います。このスイッチが酔いによって故障していたのだと思います。でも下手でも良いですが、そういうスイッチらしきものができてきたのは嬉しいことです。
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