KENの日記
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2007年02月25日(日) 花粉来襲

先週末から鼻水タラタラ、目がショボショボです。花粉の季節がついにやってきました。これから春の連休あたりまで、この「花粉」に悩まされます。ティシュペーパの消費量が急激に増えます。


今日は午前中近くのプールで泳ぎ、午後から池袋のHMVにCDを買いにいってきました。ホロストフスキーのCDが欲しかったのです。有楽町のHMVはクラシックコーナーが小さいので、彼のCDは置いていなかったのです。今日池袋HMVで買ったのは「ヴェルディのアリア集」。早速家に帰って聞いてみたのですが、予想通り素晴らしい声です。若手No1でしょう。


ホロスロフスキーはシベリアの「クラスノヤルスク」の出身です。地図で捜してみたら、カスピ海よりずっと東の町です。とても寒そうな感じですね。彼は精悍な顔つき、がっしりした体格、その美しい銀髪の髪から「シベリアン・タイガー」と渾名されています。その容姿でこの声ですから、女性ファンが多いはずです。


それにしてもロシアの歌手はすごいです。今や世界の主要なオペラハウスでロシア出身の歌手が活躍しています。キーロフを中心に海外に歌手を送り出しているのです。ロシアから暫く目が離せません。



2007年02月23日(金) 大手町将門首塚

 

大手町を少し歩く機会がありビルの谷間に「将門の首塚」を見つけました。場所は三井物産ビルの隣、三菱UFJ銀行の向かいです。小さな公園のようになっています。大手町では日比谷通りより西側にしか用事がないので東側には行かないのですが、今日は国際協力銀行に用があったので初めて大手町から内堀通り方面に歩いていき偶然見つけたのでした。


何故こんな所にこんな「塚」があるのか疑問に思ったので寄ってみました。平将門は関東の出身ですが確か茨城県あたりで活躍していたはずなので、皇居の大手門に程近い場所になぜ「首塚」があるのか全く理由が分かりません。看板の解説は以下の通りでした。(将門塚保存会の解説)


今を去ること壱千五拾有余年の昔、桓武天皇五代の皇胤鎮守府将軍平良将の子将門は、下総国に兵を起し忽ちにして坂東八ヶ国を平定、自ら平新皇と称して政治の革新を図ったが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ、馬上陣頭に戦って憤死した。享年三十八歳であった。世にこれを天慶の乱(940年)という。
 将門の首級は京都に送られ、獄門に架けられたが、三日後、白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これ即ち、この場所であり、将門の首塚と語り伝えられている。
 その後もしばしば将門の怨霊が祟をなすため、徳治二年(1302年)時宗二祖真教上人は、将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を建てゝ日輪寺に供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合せ祀ったので漸く将門の霊魂も鎮まりこの地の守護神になったという。


京都の獄門に晒された「将門の首」が東の飛び去り、現在の東京大手町のこの地に落ちた。その後将門の怨霊の祟りがあった。これを鎮めるために将門を神田明神に供養した。嘗て神田明神はここにあったとのこと。面白い話ですね。江戸城が築かれたのは「将門首塚」が作られたのより約150年後です。有名な「太田道灌」が室町時代の1457年に完成させました。その頃は今の東京駅、日比谷あたりまで海が迫っていたと思われますが、太田道灌は「将門首塚」を意識して城を築いたのだと思います。「将門首塚」は城の守り神であったのではないでしょうか。


更に興味を引く看板がありました。この「将門の首塚」がある場所は嘗て江戸幕府初期の重鎮の酒井忠清の屋敷の中庭であったとのことです。酒井忠清は第四代将軍徳川家綱の時代に大老となり、家綱が幼かったことから幕府の実権を握っていたのでした。酒井家の屋敷は江戸城大手門の「下馬札」付近にあったことから酒井忠清は「下馬将軍」とも呼ばれたのでした。


さてこの酒井雅楽頭の屋敷で有名なのは「寛文事件」です。伊達騒動のメインイベントの「原田甲斐」が「伊達安芸等」を殺害した刃傷事件です。これが1671年(寛文11年)の3月27日。この日、大老酒井雅楽頭が伊達騒動の裁きを行うということで関係者が大手町の酒井家の屋敷に呼び出されたのでした。そして屋敷の縁側で「原田甲斐」が通りかかった「伊達安芸」にいきなり切り付けたことになっています。そしてその光景を「将門の首塚の石卒塔婆」が庭から見つめていたことになるのです。「原田甲斐」の狂気の行動はひょっとして将門の怨霊の仕業かもしれませんね。


西暦の940年、1302年、1671年。360年程度の間隔を置いて「イベント」があるようですね。この次は2030年頃でしょうか。その場所は今は日本のビジネスの中心地大手町です。今度何か起こったら大変なことになるでしょうね。



2007年02月18日(日) 遅ればせながら「ホロストフスキー」

NHKの芸術劇場で昨年の「プロムス」最終日のコンサートを放送していました。その中で圧倒的な存在感を示していたのがバリトンの「ドミトリー・ホロストフスキー」です。彼が歌った曲は以下の3曲でした。


「歌劇“イーゴリ公”から“眠りも憩いもなく”」ボロディン作曲
「歌劇“カルメン”から“諸君の乾杯を喜んで受けよう”」ビゼー作曲   
「モスクワの夕べ」ソロヴィヨフ・セドイ作曲


恥ずかしながらこんなすごいバリトンがいるとは知りませんでした。1962年生まれといいますから今が「旬」という感じですね。何といっても声が素晴らしいですね。顔の筋肉全体(唇・喉まで含めて)が強靭でかつ非常に柔軟なのだと思います。唇、頬、舌が柔軟なので「子音」が非常にはっきり聞こえます。色々な所が柔軟に振動するので「声」自体が非常に豊かなのでしょう。


それと存在自体が「ステージ映えします」。100人以上いるオケ・合唱団の存在が薄くなってしまうような存在感です。それも嫌味がない。「人柄」がいいのではないでしょうか。こういうキャラはスターになるための必須なものだと思います。知的で少し暗い「ハンプソン」とは好対照ですね。昨年メトロポリタンオペラで「ジェルモン」を歌ったのだそうです。あの地味な役をどのように歌ったのでしょうか。お父さんにしては「ギラギラ」し過ぎでしょう。


ネトレプコもそうですがロシアのオペラ歌手の層の厚さには驚かされますね。ゲルギエフ・キーロフ、バレエも含めると、ロシアのオペラ・バレエの天下が続きそうです。



2007年02月13日(火) スラーヴァ・ガリーナのドキュメンタリー映画

ホームページはこちら http://www.elegyoflife.com/

日本語ページはこちら?http://www.sokurov.jp/


ロストロポーヴィッチ、ヴィシネフスカヤの結婚50年を記念した映画が作られたそうです。表題は「Elegy of Life」。戦争・冷戦に翻弄された偉大な芸術家二人の人生を描いた映画のようです。日本では今年の春に上映されるとのこと。


映画の日本語の表題は「ロストロポーヴィッチ:人生の祭典」とされ、ロストロポヴィッチを中心にしたような印象を与えますし、「祭典」などという言葉を使っていますが、本当のタイトルは「Elegy of Life」で、ロストロポーヴィッチ、ヴィシネフスカヤ夫妻を扱ったもののようです。ヴィシネフスカヤの映像記録が非常に貴重なので、ヴィシネフスカヤファンにとっては見逃せない映画だと思います。今から楽しみです。



2007年02月12日(月) スリランカ与党内が混乱

The President of Sri Lanka, Mahinda Rajapaksa, has accused three senior leaders of his party of conspiring to assassinate the Head of State.


11日の記事としてスリランカのインターネットホームページに掲載されました。表現は非常にショッキングなものですが、実は占星術者のお告げの中で「スリランカのリーダには正月(スリランカ正月4月)を迎えるまでに重大な運命が訪れる」というようなことがあり、この占星術者が有力国会議員3人に近い筋の人間だったというような話です。


この3人のスリランカ与党SLFP(スリランカ自由党)の3人の主要メンバーは直ぐに内閣から外されました。しかしこの記事は与党内の分裂状態を物語っているものでしょう。3人の国会議員中には、マンガラ・サマラジーバ(前外務大臣)、アヌラ・バンダラナイケ(前大統領の実弟)が含まれているのです。この二人はSLFPの前の党首のクララトゥンガ前大統領に近いとされている人物なのです。


この1月末、スリランカ野党のUNPから18人もの大量の国会議員が与党のSLFPに鞍替えしました。この結果与党は国会で単独過半数を閉めることとなり、ラジャパクサ大統領の政権は磐石になったかに見えました。しかし、ここに来て嘗ても仲間の3人が大統領から離反したことになります。


今のスリランカ政府は北部のLTTEの軍事基地への空爆を続けています。その結果政府軍がじりじりとLTTE支配地域に進行している状態となっています。政府軍は領土を取り返したと戦果を誇っています。この状況も大統領を強気にさせているのだと思います。



2007年02月10日(土) ガリーナ・ヴィシネフスカヤの記事

ホームページのガリーナ・ヴィシネフスカヤの記事をアップしました。2006年がガリーナ80歳の区切りの年です。またロストロポーヴィッチとの結婚50周年(金婚式)にあたりました。ロシアの新聞のインタビュー記事をインターネットで見つけて、少しずつ翻訳を進めてきました。ようやく終了したと言うわけです。


ヴェルディの「アイーダ」のストーリーをよく知るに及んで、ガリーナの「アイーダ」がいかに「はまり役」であったのか分かりました。ガリーナは若い頃から「アイーダ」を得意としていたのでした。またフィデリオのレオノーレ役も彼女の得意とするところです。ガリーナ自身が本当に強い女性なので、このような役に共鳴できたのだろうと思います。


インタビューの中で彼女がテノールのドミンゴを評価する一方で女性歌手の名前を挙げることができないでいることは寂しい限りです。ネトレプコ頑張れと言いたいです。



2007年02月09日(金) 社内放送おじさん

朝の通勤電車に「社内放送おじさん」が乗っています。8時18分赤羽発の上野ゆきの高崎線。このおじさんは私と同じ埼京線から乗り換えてくるらしい。列車が上野に近づいて速度を落とし始める頃、乗客がそろそろ列車を降りてホームの階段目指してダッシュしようと準備し始めるころに、その社内放送は始まります。


「長らくのご乗車ありがとうございました。」
「また社内大変混雑してお疲れ様でした。間もなく上野に到着いたします。」


ドア近くに自分の位置をキープしているおじさんは周囲に全く気兼ねすることなくよく通る声でアナウンスします。周りの乗客もさして迷惑を感ずることなくこの「放送」を聞いています。むしろ遠くの乗客が奇異に感ずるようです。私もそうですが、おじさんの言っていることが「当たっている」ので、むしろ乗客全員の気持ちを代弁してくれているように思え慣れてしまっています。今では上野に近づくとこの「放送」を期待してしまいます。


或る日この「おじさん」とエスカレータで前後になりました。このおじさんが私に向かって「今年の冬は暖かいねえ」と話しかけてきました。私とそのおじさんは全く面識がありません。つい「目」を合わせてしまいました。このおじさんは誰にでも親しく話しかける人なのかもしれません。少し変わっているなと思いました。


しかし考えてみると、私も「○○おじさん」に見られているのかなとも思います。自分では全く気づかずに他人に奇異に移るようなことをしているかもしれないからです。こういうことってあるかも。



2007年02月03日(土) スリランカ情勢

スリランカでは、2月の満月の近辺はコロンボの寺院「ガンガラーマヤ」の縁日になります。この祭りのためコロンボにスリランカ中の象が集まるのです。コロンボの中心にある広大な公園はこの間「象」達の宿泊所になります。今年は70頭の象が集まったということです。賑やかな象公園になっていることでしょう。


そのスリランカでは1月末に大規模な内閣改造が行われました。2005年1月に現在の「ラジャパクサ大統領」が就任してから最初の改造です。ラジャパクサ大統領は「SLFP」(スリランカ自由党)ですが、大統領選挙でライバルの「ウィキレメシンヘUNP党首」に勝利したものの、SFLPは国会では過半数ではなく連立政権になっていたのでした。昨年から噂があったのですが、年が明けて「UNP」等の国会議員が「SLFP]へ大量に「鞍替え」がありました。そして一院制国会議席225の中で88の議席しかもっていなかったSLFPが113に増えて過半数を支配することになりました。


今回の内閣改造はその「鞍替え」者に対して「大臣ポスト」を与えるための改造でした。このため約60もの大臣ポスト(副大臣も含め)が作り出されました。SLFP国会議員の半分が大臣ということになります。


安定政権はスリランカで非常に期待されてはいます。「LTTE」との紛争解決のための意思決定が早くなります。国際社会は「LTTEにどれくらい権利を与えるのか」の意思決定が容易になるだろうと期待しています。これまで右よりの「仏教徒政党」の反対が強くて、大胆な譲歩案はすべて否定されていたからです。しかし私が心配するのは、与党が強くなって強行路線に走らないかということです。昨年8月から攻勢に出ている政府軍は、少しずつですが確実に支配地域を増やしています。つまり内戦は政府軍がじりじり「LTTE」を追い詰めている構図なのです。政府軍内部には一機に「LTTE]を打ち負けしてしまえという意見も多いのは事実です。


3日の新聞にはスリランカ北西部の海底に油田があるだろうとの記事が掲載されました。このあたりの海は「LTTE」の「シータイガー」が出没する地域で、政府としては制海権を確保することが大変重要だったのだと思います。スリランカ政府が「LTTE」の海軍基地に打撃を与えることを目的に空爆していた理由のひとつがはっきりしました。政権与党が大きな力を握ってしまいましたが、紛争解決に平和的で着実な政策を取って欲しいと思います。




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