KENの日記
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2005年02月28日(月) 韓国料理レストラン

韓国料理レストランの「ブソーバ」は「タージ・マハルホテル」旧館の裏側にある韓国料理レストランです。扱っている料理は、韓国料理、ベトナム料理、タイ料理とのこと。ひょとしてベトナム料理の「フォー」があるかと思っていったのですが「フォー」は無し。韓国料理のランチセットを注文してみました。


ムンバイには、ホテル内の高級レストランの他には日本料理店はないのです。
しからば、日本料理に近い「韓国料理」が美味しそうに思えるので探し出しました。ランチメニューの最初にキムチ3種類と「チジミ」が出てきました。キムチは中味の野菜が少し違うようだけど味は辛いだけで、ほとんど区別がつかない。チジミは美味しかったです。


メインは「キムチ鍋(豆腐入り)」「牛肉のきのこ炒め」、ほうれん草の「ナムル」と青梗菜のキムチ味の漬物。日本米よりは少し細いですがインド米よりは数段弾力のあるライスが付きました。それなりに日本の韓国料理風にはなっています。インド料理を食べるよりは胃袋がうれしそうでした。


韓国風の「焼肉」はやっていないとのこと。まあ正直言って牛が「神聖」なインドで牛カルビーを網焼きにすること憚られるでしょう。でも日本食が恋しくなったときに代役として使えるレストランです。でもあまり流行っていないようなのです。



2005年02月27日(日) ラーマーヤナ

インドにきたら欠かせない物語の「ラーマーヤナ」。ムンバイでインドの子供向けの「ラーマーヤナ」(挿絵つき)を読みました。日本で読んだレグルス文庫(上下2巻)よりストーリはあっさりしていますが、レグルス版では割愛されている「その後」の話も含まれています。


「ラーマーヤナ」の登場人物は
ラーマ(王子、ビシュヌの生まれ変わり、ある理由で14年間追放される)
シータ(ラーマの妻、やはりビシュヌの生まれ代わり。絶世の美女)
ハヌマン(猿軍団の将軍)・・・善人側(主人公側)
ラーバナを代表とする悪者軍団(物語ではスリランカに住んでいるのです)


お話は王位就任直前に追放の憂き目を見たラーマ。妻のシータをラーバナに誘拐されてしまい、シータを助けるためまたラーバナの悪の支配を除くためにラーマはハヌマンらの猿属の助けを借りてラーバナに戦いを挑み激しい戦いの末に無事勝利するという筋なのです。


そして14年間の追放期間が過ぎて王位に就き、王国の繁栄をもたらすというもの。日本語版はここで「めでたし、めでたし」で終わるのです。インドの子供向けの本でもこの後の続きを一応書いています。それは以下のような筋なのです。


ラーマの妻の「シータ」は1年以上もラーバナに捕まって幽閉されていました。戦いが終了してラーマのもとに戻り、妻として女王の座についたのですが、国民から「1年間もラーバナに捕まっていて無事であったはずがありえない」との中傷を受けるのです。


シータはラーバナの手から救い出された直後に、「貞節」を守った証拠となる「火の儀式」を済ませているですが国民はそれを信じないのです。国民の感情に配慮した「ラーマ王」はシータを王国から追放してしまいす。シータは身篭っていてラーマの二人の王子を産みますが、「ラーマ」が国民の事ばかり気にしていて自分を省みないことから身を投げて死を選びます。


ラーマはシータを失って悲しみますが王国をしっかり繁栄させます。そして二人の息子という王位継承者を得たので役目を終えて天に帰る(死ぬ)という筋です。


ラーバナとの戦いの場面はそれなりに面白いですが後半のシータの悲劇は童話にしては残酷な感じがします。そして前半では英雄であった「ラーマ」は後半では冷酷な王になってしまいます。こういう話を小さい子供に聞かせるのかしら。「ラーマ」王はビシュヌ神生まれ変わりなのですが、全てハッピーとはいかないのです。人生そんなにうまくいかないのだよ・・・という教えなのでしょうか。今回読んだ本は多分小学生から中学生向けの本です。



再びIPODについて。(宿舎のインターネットが繋がらないのでまとめてアップします)IPOD用のスピーカを買いました。イヤホンで寝ながら聞くのもいいですが、やはりスピーカの少し大きな音量で聞きたいときもあります。来月からアパートに移る(予定)なのでそろそろ潮時だと決めました。狙っていたのは「Bose」。インドに居るからには「インド関連」がいいでしょう。


ムンバイの最新のショッピングセンタにBose直営店があるのは前から知っていました。地元の金持ち向けにオーディオルーム用の高級スピーカシステムをおいています。今日行って見たらIpod用の「SoundDock」を売っていました。値段を聞いたらRs25000(約62500円)。これはあまりにも高いので店員さんに聞くと、曰くインドに持ち込むためには高額な関税を払っているという。ほんとうかしら。しかもその値段をまけるつもりはないとのこと。


次にショッピングセンタの直ぐ近くのショッピングモールに行きました。そこは少し古く小さな電気屋さんごちゃごちゃして入居しています。丹念に探せば安く入手できそうな気がしました。そこのショッピングモールは、在庫がない店が多いのですが値段の交渉は可能でした。最初に入った店ではRs23000。この調子だと安い店が探せそうなので他の店を探すことにしました。


案の定、だんだん安い店が出てきます。Rs21000、Rs20000。そろそろ決め時だと思ったのは「Rs18000」の値段を提示されたとき。日本円では約Rs45000円。日本ではもう少し安く買えるでしょうが当面帰国の予定はないし。そこの店は値段を提示しておきながら現品はなく来週まで待てというので違う店で「Rs18250」に決めました。ムンバイ中探せばもっと安いところがあるかもしれませんが歩く元気も既にないし、ネットでの販売情報もないので仕方ないです。宿舎に帰って音楽を聞きながら日記を書いています。良い音でなっています。


この「BOSE」のスピーカは定評があるのですが、本当に低音が充実しているのです。オーケストラの音の分離が信じられないくらい良いのです。こんな小さいのにどうなっているでしょう。「HardDisk」の利点で途中で聞くのを止めても後から続きを聞くことが出来ます。これは非常に便利です。楽しみがひとつ増えました。



2005年02月26日(土) 引越し荷物

日本からの引越し荷物がいろいよ税関を通っているようです。今日午前中に業者から電話が掛かってきました。


業者さん曰く、「CDと書いてますけどこれはプレーヤーですか」「いえディスクです」。「トランスとは何ですか」「電圧が日本とは違うでしょう。変換用です」。「楽器何の楽器ですか」「チェロという楽器です」。これくらいの質問で済んでいるのであれば安心しました。


「食料品にはアルコール類は入っていますか」と聞かれたらどう対応しようかと考えていました。答えとしては「調理料として使う味醂みたいなのが入っています」。そんな大量の味醂をどのように料理に使うのかといわれると困りますが。いずれにしろ税関をすんなり通りぬけて無事荷物が到着することを祈っています。



2005年02月25日(金) 亀淵社長

日本では国公立大学前期試験の日です。家の娘も頑張ったことでしょう。娘は電車故障、地震、降雪等で交通手段に邪魔が入る「運命」のようです。でも彼女は「くじ運」はいいはず。今回は逆風みたい。


でも田舎者の両親は大学受験のため、都会に旅しなければならなかったことにことに比べれば彼女はずっと簡単というもの。当時の長野は新幹線も高速道路もなかったのです。


ライブドアとフジテレビに関するNHKの放送を見ているときニッポン放送の「亀淵」社長の顔を何回か画面に映りました。「亀淵」さんは私が中学生のころ深夜放送の「オールナイトニッポン」に新人アナ(多分)として入ってきたのでした。確か最初は土曜日(日曜日の朝)だったのではないかしら。


ベテランアナウンサーに混じっての「初々しい」放送だったと記憶しています。当時のオールナイトニッポンには名物アナウンサーがいたのですが、そこに新人として入った「亀淵」さんが社長に昇り詰めたのですね。


今週の昼ご飯はずっと「骨無しチキンブリアニ」(外のホーカーからの出前)
オフィスのローカル社員は私の胃腸は大丈夫かと聞くのですが、これが絶好調。全く何ともなし。インド人と同等の胃腸を持っているらしいことに気づきました。かといって油断は禁物なので注意はしますが。



2005年02月24日(木) アルコールの事

非常に「疲れる」問題が発生したのですが、買ってあったワインを飲んだり日本の妻に愚痴を言ったりしたら何だかすっきりしました。こういう時に家族は大事だと思いました。それに「アルコール」の力も大きいです。


そう考えたときに禁酒主義者(Teetotaler)が多いインドでは、「疲れた」りむしゃくしゃする時にはどうするのかなと不思議になりました。
私の想像ですが、家庭・家族の役割は日本よりずっと大きいのだろうと思います。家族と過ごすことで解消される部分が多いのではないかと思います。インド人は会社社会と家族社会を区別しないという指摘も頷けます。


東京の新橋などではサラリーマンが会社帰りに「一杯」という光景は普通ですがインドではまずない。


さて日本のニュースを見ていると、ライブドア対フジテレビ、郵政民営化問題、北朝鮮の問題など、ほんとうに「こんがらがって」しまった問題が多いです。居酒屋が流行るはずだと思いました。



2005年02月23日(水) スリランカの友人の事情

スリランカで大変世話になったメードの「シータ」とドライバー「スニール」と漸く連絡がとれました。この2人のお陰でスリランカではほぼ快適に過ごすことができたのでした。昨年暮れの津波で本人や家族・親戚に被害がでていないか心配していたのです。


2人とも携帯電話を持っているのですが、故障とか料金未払いで使っていなかったみたい。まずスニールですが父親がスリランカ南部のゴール近辺に住んでいるのです。海岸沿いであれば危険だったのですが、幸い内陸部であったので無事だったそうです。スニールは津波の来た日に列車で実家に向かう予定だったそうですが急用で帰省を取りやめたとのこと。もし列車にのっていたら本人が津波の災害に遭っていたはずだったそうです。誰かが助けてくれたのかしら。


メードのシータの実家はスリランカ中部の内陸部なので心配ないのですが、彼女の親友が実はコロンボ南部の海岸近くに住んでいるのです。そこは大変貧しい人達が海岸に小さな家を建てて住んでいるところです。私も2度行きましたが、津波が押し寄せたらひとたまりもない場所と家です。シータのよると友人の家族は全員無事であったけれど、家は跡形もなく壊れてしまったとのこと。
それとシータの叔父さんが津波で亡くなったと言っていました。ご冥福を祈ります。



2005年02月21日(月) 再びIPOD

日曜日の夕方はホテルのジムで運動しています。ここのジムはリズミカルな音楽をガンガンかけているのですが、その音楽に負けないような曲を探してIPODで聴いています。


ここ何回かは、スラブ行進曲・1812年・マーラー交響曲6番1楽章などなど。スーザのマーチのメドレーなんか聞きながらだと元気が出そうな感じです。「IーPOD」は、その時の気分や雰囲気によって選曲できるから便利です。寝る前にはバッハの無伴奏バイオリンソナタとかモーツアルトの中期の交響曲なんかがいいです。


寝る前の曲の候補としてモーツアルトの弦楽四重奏曲(ハイドンセット)を入れてきたのですが、これらの曲は少し雰囲気が違うことに気づきました。どこかの本に書いてありましたが、これらの曲はモーツアルトがハイドンに認めてもらうために、モーツアルトが苦労して作った曲集なのだそうです。モーツアルトにしては珍しく何回も推敲したみたい。


そのせいか聞いていると少し窮屈な感じがして少し不自然に聞こえるところがあるのです。そう思えてくると気になってしまいつい聞いてしまいます。従って寝る前にはあまり聞かなくなりました。


バッハのバイオリンソナタ・パルティータは、スーク・シェリング・ポッジャの全集とヒラリー・ハーンの半分が入っています。演奏はどれも素晴らしいのですが、素晴らし過ぎてすぐ寝てしまいます。



2005年02月20日(日) 「施し」について

ムンバイに限らずインドの都市で外国人が戸惑うことの一つは、「施し」を求める物乞いの人達にどう対応するのかということでしょう。タクシーなどに乗っている時に大きな交差点で信号待ちで止まると、すばやく外国人だと見定めて「物乞いの人」やってくるのです。道を歩いていてもどこからともなく近づいてくることがあります。


幼い子供が多いですが、赤ちゃんを抱いたお母さんとか、身体の不自由な人達も見かけます。インドに来て最初の頃は戸惑うことが多くて、そういう道を避けて通っていたこともありましたが、最近は、あまり考えずに「小銭」を持ち歩くことにしています。インドのコインでは、1、2、5ルピーくらいを財布に沢山入れておくと状況に応じてあげることが出来ます。


こちらは相手の背景が分かる訳でもないし(今日どれ位稼いだか、他の外人はいくらあげたのか)、どれくらい「施し」をあげればいいのか見当もつきません。合理的な「施し」基準を設定することは困難なので自分の気の向くままそのときの気分で対応することにしました。クリスマスの夜は少し多くとか、自分に嬉しいことがあった時には多くとか。


コインを探していて車で出てしまって次の交差点で別の人にあげたりします。これは仕方がないことだと思います。彼等には彼等なりの要求基準があるのかもしれませんが、例えば「白人や日本人は多く貰えるはずだ」とか。それは彼等の勝手な思い込みというものです。


バンガロールでの経験は痛快でした。バンガロールのある交差点で信号待ちで車が歩道脇に止まった時です。ひとりの子供が車の直ぐ横で「宙返り」を始めたのです。もうひとりは小さな「輪」をくぐっています。宙返りは結構旨く、お金を出すまで何回も続けるつもりのようでした。この時は彼等の努力に驚いて、少し多めに「施し」をあげました。


最近はカバンに果物を入れて持ち歩き「施し」を求めてくる人達にあげています。私は「施し」をあげるからには彼等に「サンキュー」と返事をするように促しています。何も礼を言わないで立ち去る人達がいるのです。彼等には全く勝手な要求ですが、彼等だって勝手に要求してくるのですから。


小銭が無く「施し」ができなくて逆に申し訳無いように感ずることもあります。そんなことが無いように小銭を持ち歩くことは、私にも「彼等」にも良いことなのです。



2005年02月19日(土) 契約

今日、ようやくアパートの賃貸契約にサインしました。オーナーと条件面では既に折り合っていたのですが、正規の契約書作成に手間取っていたのです。日本でも契約書の文言の言い回しが複雑で難しいのですが、今回用意された契約書も結構古臭くいものでした。


後はオーナに支払いを済ませ、不動産会社の手数料を払い、3月1日に引越すのみになりました(スムーズに行けばラッキーですが)。1月11日に「さいたま」のマンションから私の荷物をムンバイ宛てに送り出しました。その後どうなったかまったく音沙汰がありません。問題なしについて欲しいものです。


特に「チェロ」は、日本→スリランカ→日本を旅行した後に、再びムンバイに向けて長旅をしているので少し心配です。アパートには基本的な設備、厨房設備、ダイニング、ベッド等はついているのですが、暮らしを始めるために、何らかの追加購入が必要だと思っています。期待が膨らみます。



2005年02月18日(金) ニューデリーとレストラン「田村」

インドの首都ニューデリーはムンバイよりもずっと急激に変わりつつあります。空港から市内につながる道は立体交差工事がどんどん続いています。首都の玄関ですから当たり前なのですがそして市内中心部の地下鉄工事も相変わらず賑やか。


そして市内には建築中のビルがたくさんあります。ムンバイとの違いは、ビルの敷地が広いこと。オールドデリーは狭いのですが、南部のニューデリーはもともと広々としています。従って建物の敷地も道路も広いのです。


昨日泊まった「ノイダ」はニューデリー郊外の新興高級住宅地という感じ。ニューデリーまでは車で直ぐなのです。ホテルの近くには新しいショッピングコンプレックスがあって家族連れの客で賑わっていました。正直言って、ニューデリーで働く人たちの所得水準が急激に上がっている感じでここに集まっている多くの人達が比較的小奇麗なのにびっくりです。


今のニューデリーはワイシャツ1枚で外を歩くには少し寒い気候です。こっちの人はセーター、ジャンバーを着ています。


「たむら」はニューデリー南部にある日本食レストランです。国内線空港まで車で20分程度。大渋滞するニューデリー市内は既に抜けているので、飛行機待ちの時間調整するにはちょうど良い立地です。今回運転手に案内してもらって始めて行ってみました。「ヴァサント・ビハール」という高級住宅街のプールビ通りにあります。ここには沢山の日本人が住んでいるので繁盛しているようです。地図でおっても少し判りにくい場所です。


入り口は日本の普通の居酒屋風ですが地下に結構広い客室があります。日本の漫画とか雑誌をタップリおいている所を見ると、昼・晩の日本人ビジネスマンの利用が多いようです。手頃な値段で日本食が食べられるのがなにより。注文した「チラシ寿司」もトッピングの「なま物」こそ数が限られているものの、
酢飯も美味しくて、久しぶりの日本食に胃袋が感動していました。


ムンバイにも相次いで2軒の日本食レストランが開店したのでですが、両方とも高級ホテルに入っていて、日本の「高級日本料理」を出すのです。値段も非常に高級なのです。毎日でも行けるような「大衆的日本料理店」はないのです。「たむら」のような店があるなら単身赴任も楽だろうなと思います。ご主人ひとりが日本人で板長さんだそうです。その他に日本人みたいな顔をした従業員が何人もいますがネパールやブータンから来ている人だそうです。日本人風の人を揃えるあたり工夫しています。



2005年02月16日(水) 日本人とインド人

今ニューデリーに近いノイダのホテルに来ています。明日はノイダ工業地帯に進出している日系企業様訪問です。このホテルは無線Lan(Wifi)が付いていてアクセスラインのスピードはとても早そうなのですが、サーバーが混んでいるようでインターネットは遅いです。夜8時過ぎて少し早くなりました。


今日デリー商工会の例会でインド人実業家の話があったのですが、やはりそうかという中味だったので少し紹介します。日本人とインド人の考え方の違いを説明したものです。


日本人は親から「自分で出来ることは自分でしなさい」と教えられますが、これに対してインドでは、「他人に頼めることは他人に頼みなさい(やらせなさい)」と教えられるのだというのです。


レストランでグラスのコップを飲み干してたあとに自分で注ぎ足したり、料理を勝手に自分で取り皿に取ったりするとどうも嫌がられる感じなのです。小さい時から核家族で、家族全員で家事を少しずつ分担してきた私は、どうしてもインドのこの方式には馴染めません。


それと、インド人からすると日本人と時間の感覚が違うのだそうです。「日本人は時間を枠として考えているらしい」と彼は言うのです。たとえば仕事をしている時間、プライベートな時間。などなど。そして枠で捕らえるからころ、比較的確実な予定が立てられる。3時から勉強をする。7時から食事をする。9時から勉強する。小学校の時に1日の時間を360度を分割して予定を立てた事を思い出します。


インド人はどうもそういう感覚はないみたいなのです。仕事の時間と、プライベートの時間はそれほどはっきり区別されているわけではないとのこと。つまり、仕事している最中でも、プライベートのことをするし。日曜でも仕事の電話は苦にならないのだそうです。


また、時間の使い方でも、とにかく出来ることから片付けていく。優先順位を変えたとしても、ひとつひとつ順番に片付けていく。(できないものはしかたがない。)


これを何時までに片付けて何時からは次のことをするというような計画性といった感覚は比較的無し。こういう感覚なので自分が「忙しい」という感覚はないのだそうです。「忙しくない」のでどんどん引き受けてしまう。結果として約束が守れない状況になるとのこと。思い当たることがたくさんあります。



2005年02月15日(火) 日本に送ったインド人

インド人スタッフを研修のために日本に送りました。当初2人送る予定だったのですが、ひとりのパスポート取得が出来ず、仕方がないのでひとりだけ送りました。行けなくなった方の人が日本を知っていて、送り出した方の人は全く初めてなのでひとりで行ったスタッフは心細そうでした。


さて今日電話で東京にいるスタッフと話しをしましたが大変忙しいようです。
研修の合間を見ては色々な人が会いに来て打ちあわせをしている模様。インド関連ビジネスが増えているようです。インド人といっても、彼はパルシーなので肉食・アルコールOKです。従って東京で迎えた日本人も食事等でそれほど気を使わなくてもOKです。


でも今日の電話の雰囲気ではやはりインド料理が恋しいようです。日本人は外国人に日本食を勧めたがりますが、日本食を進んで食べようとする外人はそれほど多くないと思いますし、すこし食べたとしてもすぐに毎日食べている故国の料理が恋しくなるのです。



2005年02月14日(月) 初マンゴー

昨日(14日)の新聞に今シーズンの初マンゴウが市場に現れたという記事が載りました。ムンバイの果物といえば何といっても「マンゴウ」なのです。これから夏にかけて果物市場はマンゴウの取引で活発になります。


今回の出物は12個5ケース(60個)で、Rs15000からRs25000。一個「Rs250からRs400」という高値。気温の上昇とともに夏の到来を告げる風物です。



古い話ですが、「I−POD」関連です。正月日本に帰国した際にIPODにかなり多くの音楽を入れてきました。実家にあったクラシックCDの主なものは入っています。「Web」でCDの曲名、作曲者、演奏者やら、アルバム名をダウンロードしたのですが、投入ミスが多かったり使いづらいので今少しずつ直しています。作曲者は一応綺麗になりました。


モーツァルトがスペル違いで何人もいたのですが一人にしました。問題はアルバム名。IPODは、作曲者や演奏者名で検索すると次に「アルバム名」メニューが出るのです。ポピュラー音楽を検索するためにはこの方式は便利かもしれません。アルバムがヒットする単位なのでしょうから。(もっともこれは売る側の論理かな)


でもクラシックではアルバム名より曲名が出て欲しいところです。仕方がないのでアルバム名を「曲名」に少しずつ変えています。持ってきているパソコンは、USB1しかないので転送に大分時間がかかっています。でも少しずつIPODが便利になってきています。


ムンバイの気候が大分暖かくなっていました。いや「暑く」なってきました。こちらの人の話では、これからぐんぐん暑くなって5月・6月は耐えられなくなるほど暑くなるとのこと(40度超え)。2月中旬でこの調子なので分かる気がします。



2005年02月13日(日) フォートの「IdealCorner」レストラン

旧東京三菱銀行から少しひとつ北西側の別な通りにある「パルシー料理レストラン」。店の名前の通り本当に街角に立地しています。一見するとレストランには見えません。


(注)東京三菱銀行は今年早々に、フォート地区からナリマンポイントに移転したのでした。フォート地区の目印だったのですが残念。ビルの老朽化が進んでいたようです。


ちょうど「Yoko」というシズラーレストランの向かい側です。ここは庶民的なレストランでエアコンなし。アルコールなし。日替わりランチメニューは「Rs60」です。今日はランチメニューからチキン料理を注文したのですが、パルシー料理独特な、見た目に綺麗で美味しそうな混ぜご飯で出てきました。これにインド風のカレールーと刻んだ玉葱・ライムが付きます。ご飯の中には濃い味付けした骨なしのチキンが埋まっています。それ程辛くなくに日本人にはあっているみたいです。


パルシー料理といえば、ブリタニアレストラン(そのうち書きます)なのですがここの料理も十分美味しかったです。ブリタニアでは確かイランから輸入したレーズンをまぶしていました。そのレーズンが旨いのだとパルシーの知り合いから教わりました。でも日本人には残念ながら微妙なところはわからないのです。本来だとパルシー料理の素材は「マトン」なのですが、私はどちらかというとチキン。実は、懸案の床屋さんを探しに町にでたついでに寄ったのでした。



2005年02月10日(木) 北朝鮮のこと

昨日のサッカーの試合は大分盛り上がったみたいですね。テレビの視聴率は47%とか。これからワールドカップの予選が進むとエキサイトするのでしょうね。日本も「やっとこ」勝ったようですね。こちらのNHKニュースでは得点シーンしか放送しないので、試合全体がどいう展開か分かりませんが前にも書いたように、アジアの国のレベルが上がるスピードに対して、日本のレベルアップは少し遅いのではないかと思います。


そしてこの試合が終了してから、日本政府は漸く北朝鮮に対して強行な抗議の申し入れ。どんな反応があるかと思ったら、北朝鮮は「核保有」宣言。スポーツ交流と政治とは全く別次元でした。


それにしても、感覚的に感ずるのは「よくもアメリカに対して根性出して対立の構図を維持しているな」ということ。この感覚は、違っているかもしれないけれど、第二次世界大戦前の、日本の国際連盟脱退とか、真珠湾攻撃に似ていなくもない。列強諸国の一方的な「押し付け圧力」への弱小国の反発。日本だってアメリカに勝つために、象徴であり役に立たない戦艦大和を作ったのでした。北朝鮮の核兵器が優秀かどうかは別にして、北朝鮮国内の人々には、象徴的な「戦艦大和」が必要なのだと思います。


アメリカは日本がまさか開戦するとは殆ど考えずに圧力をかけ続けました。そうすると、日本国内では、冷静な議論・状況分析よりも、感情的な反発の方が支配的になってしまった。あの時の日本は、長崎・広島を経験するまで戦う根性を維持しました。そういえば当時「悪」とは言わないまでも、日・独・伊は「枢軸国」でした。しばらくは目が離せません。



2005年02月09日(水) 難しい問題

夜新聞を見ていて気になったの記録しておきます。問題の記事はインドで「AID予防ワクチン」の人間で実験が始まったという報道。「予防」という言葉の意味が詳しくわからないのですが考えられるのは二つ。


「感染を予防する」と「感染しても発症を予防する」。


後者でも大変有効です。「猫」のAIDは潜伏期間が長いので殆どの猫は生存中にAIDを発症しないと聞きます。さて難しいのは、人間の実験でワクチンの効果をどのように把握するのか。もし人為的にAIDウイルスに感染させてワクチンの効果が無かったらどうするのでしょう。また人為的に感染させずに受験者の任意に任すとすると、受験者の行動を把握しなくてはなりません。


この場合、受験者は通常AIDに感染する危険のない行動をとっていると実験の意味がありません。非常に意味深長な実験ですが、医学の進歩のために身をささげることは尊いことだと思います。でも、これって先進国でも実験するのかしら。



2005年02月08日(火) 昼食

前にもここに書いたととおもうのですが、ムンバイのオフィス街にある私の事務所の周りには多くの食べ物を売る露天があります。一部の道路はムンバイ市の決定で露天禁止になったようですが、事務所近辺の露天はまだ営業しているので、ここは継続OKのようです。しかし「きちんとした」レストランはないので困っていたのですが意を決して露天にチャレンジしてみました。


といっても露天商の作っている傍で立ち食いするのではなく、オフィスまで出前してもらいました。露天商の作業場は水道も無くガスも小さな簡易ボンベです。衛生的とは言いがたい厨房風景なのですが、「出前」で頼むと中身は同じでもきちんと「紙パック」にはいってくるので、作っている環境を一瞬忘れることができます。


味は最高です。とても美味しいです。昨日から初めて今の所全く問題ありません(お腹のこと)。露天での食事に慣れるとインドでの生活・行動が相当変化すると思います。もう暫く胃腸と相談していきたいと思います。今日、9日は、「Lent」の始まりの「Ash Wednesday」です。敬虔なカトリック教徒のペレイラさん(我が同僚)は昼休みに教会に行きました。今日は食事もヴェジで済ますとのこと。日本では考えられないくらい、色々な宗教行事を身近に感じています。




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