KENの日記
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2005年01月29日(土) 交通事故には注意

正月早々に日本で交通事故に遭遇しました。今年は交通事故に気をつけようと思っています。その前日の早朝には犬を助けたので今年は犬にも関係するかもしれません。


さてムンバイの交通事情ですが決して気を緩める訳にはいきません。先日郊外のユーザ訪問からの帰りに広い3車線以上ある路上で、信号待ちでバスの後ろに止まっていると、前に停車していたバスが動かなくなってしまいました。たぶんエンストです。直ぐに若い乗客が5〜6人降りてきてバスを押し始めたのです。


私の乗った車は、バスに近づき過ぎていたのでバスが動くのを待つしかありませんでした。バスは数メートル動くとエンジンが掛かって押してくれた乗客を急いで乗せて走り去りました。インドのバスの乗客は大変だなとおもいつつ、車間距離を十分に取っていれば、待たなくて済んだと思うと、車間距離をとって運転する(特にインドのような国では)ことの重要性を再確認しました。


ムンバイの交通マナーは非常に悪く車間距離が少しで余分だと割り込もうとするので実際結構危険なのです。ムンバイではこの1月から二輪乗車(後部座席でも)にはヘルメット着用が義務付けられました。でも街中にはヘルメット無しで走っている人を多く見かけます。二輪の事故は非常に多いのです。


ただスリランカのコロンボに比べれば「バスの運転手」は比較的運転が上手な気がします。スリランカにおいてはバスの運転手の運転が荒くしばしば大きな事故を起こしていました。



2005年01月27日(木) ヒンズー寺院での災害など

ムンバイ郊外(約250Km南東)のヒンズー寺院で参拝客が将棋倒しになって300人に上る死者がでました(Stampede)。場所は「Satra」という街の「マンダールデヴィ・カルバイ」という山の上の寺院です。


なんでも山の頂上の寺院に続く険しい細い参道には数十万の参拝客がいたそうです。火曜日(25日)は満月であったのでそこでは縁日であったようです。新聞の報道では、屋台のガスボンベが爆発しこれに驚いた参拝客がいっせいに山を折り始めたところ、オイルランプ灯の油やココナツ割で出る油で足を滑らせて、多くの参拝客が倒れ折り重なってしまったとのことと。


ヒンズー教寺院参拝の最後は、ココナッツ割で運勢を占います。ココナッツを石にぶつけて割って、綺麗に二つに割れると幸運、割れ方が良くないとそれほど幸運ではないとのこと。ココナッツ割り場で、綺麗なパンジャビを着た女性が力いっぱいココナッツを投げつけている光景は面白いです。ムンバイの街中のムンバーデーヴァ寺院では、プージャのお返しに、綺麗に割れた半分のココナッツが付いて来ました。


不安に駆られた群集心理、数十万の人々の体重を考えると、もし其処に巻き込まれていたら、私も助かっていないと思います。スリランカ・インドで、既に多くのヒンズー寺院に行った経験がありますがヒンズー教徒は非常に敬虔で一心不乱に祈ります。黙々と山を登ります。そして何より物凄い数の人が集まるのです。私も少しは気をつけようと思いました。


今日27日はアウシュビッツ強制収容所開放の60周年だそうです。今CNNで現地のセレモニーの模様を生中継しています。日本では大学の教養課程の哲学などで、必ずといっていいほど「夜と霧」を読ませますが、それだけでも続けて欲しいと思います。少し前の映画「シンドラーのリスト」も非常に重い映画でした。決して風化させてはいけないことだと思います。



2005年01月23日(日) Walking at Victria-Terminus

今日新聞で見つけた「ウォーキング・ヴィクトリアターミナス」(VT駅ビルを歩いて探索するイヴェントに行ってきました。ヴィクトリアターミナスは世界遺産に指定されたムンバイで最も有名で壮大なネオゴチック建築です。


午後3時、指定席券売り場のホール集合。いつも混雑しているVTですが、やはりすごい混雑です。日本で一番乗降客の多い駅は「新宿」駅でしょうがここの混雑は新宿以上かも。なにせVTは「東京駅」と「新宿駅」を一緒にしたような駅なのです。通過する人も多いですが「寝ている人」も多いです。


ホールにはそれらしき「人だまり」がだんだん出来始めましたが、3時過ぎても何も起こらず。声をかけたインド人は「普段は時間通りなのだが今日は何かあったのかもしれない」とのこと。こっちはスリランカ時間に慣れているので平気。30分くらいの遅れはOK。


しかし手違いがあったみたいで、結局参加者の誰かが駅長さんと交渉して、見学可能になったみたい。まあ、普段入れない「VT」に入れるのだから、何でもOKです。見学場所はVTの中央のホールになっている塔だけでした。尤もVTのその他の場所は、セントラルレイルウェイが本社として使っているので面白くもないようです。この中央のホールだけでも見る価値がありました。


3階まで大きな螺旋階段があります。螺旋階段からは高さ数10メートルのドームを見ることが出来て、そこには大きなステンドグラスがあります。2階・3階の廊下からは、VTの外壁などを見ることが出来て、精緻な彫刻を間近でみることができました。石の刻んだ様々な彫刻は本当に素晴らしいものです。


これは、アジャンタの石窟とか、ヒンズー教寺院建築の外壁に共通するものがあります。インドの人はこういう彫刻が好きで得意なのでしょう。建築に興味のある娘に見せてやりたいと思いました。



2005年01月22日(土) ムンバイフェスティバル

今ムンバイでは「ムンバイフェスティバル」と銘打って様々なお祭りが進行中です。昨年末のインド東部をも襲った津波の被害を考慮し、期間が変更され、1月13日から23日までの間やっているそうです。音楽、絵画、舞踊、工芸品などの発表会、展示会やらFoodFestiuvalやら面白そうな企画が並んでいます。


その中でもこの期間に合わせて、ムンバイ市内の古い建物の内部を公開する企画があります。明日は、世界遺産に指定された「ビクトリア・ターミナス」駅の内部探検の企画があり事前に予約できなかったのですが、参加しようと考えています。



2005年01月20日(木) 寒いムンバイ

職場でも路上でもマフラーを首に巻いているインド人を見かけます。昨日(19日)の朝は、この冬で一番冷え込んだそうでなんと「摂氏11.5度」まで下がったのだとか。新聞記事で大きく報道していました。


記録によると、1962年の1月22日には骨まで凍りつくような「摂氏7.4度」を記録したとか。つい先日まで寒い日本の正月を過ごしてきた私にとっては、とても快適な気温なのですが。職場でも「寒い寒い」という話題。


実はこの2月にインド人スタッフを東京の出張させようと考えているのですが、日本の冬に耐えられるのかどうか心配になりました。


帰国時の記録


正月に日本に帰ったのですが今回の帰省期間で目論んでいた行事に加えて色々なことに出くわしました。行事とは少し違いますが娘の大学センター試験がありました。その時期だけ父親が近くにいても役には立ちませんが、まあ気休めぐらいにはなるだろうし、ムンバイの学問・商売の神様(ガネーシュ)のお守りも持って帰ったし。娘の高校受験の際にはスリランカの「聖なる菩提樹」の葉を送ったのでした。さて今回のガネーシュのお守りの効果はどんなものでしょうか。本番に強い変った娘なのですが、準備不測は否めないので、どうなるのか全く予断を許しません。


事件というと、インドに帰る間際になって自宅近くで交通事故に出くわしました。マンションが面する通りは街道の裏道で、これまでは信号も少なく、スピードを出して通り抜ける車が多かったのです。最近急激に宅地化が進んで住民の車も増えたこともあって、交差点での車の事故が頻繁に起こるようになったのです。


今回はマンションから一つ先の交差点で、信号無視した車が追突して、信号待ちしていた歩行者と自転車で待っていた人を巻き込んだのでした。私は、その交差点の50m位手前で、大きな衝突音を聞いたので、少し急ぎ足で交差点に向かってみると、黒いタクシーが歩道に乗り上げていました。タクシーは後部を歩道際のフェンスに突っ込んだ形で止まっていました。


もう一台の車は反対車線で車の前部がめちゃめちゃになっていて、やはり同じ向きに止まっていました。両方の車は少しずつ動いているようでした。近くに行ってみると動き出したタクシーのフェンスの後ろに自転車が引っかかっていて、近くの歩道には二人の女性が5mくらい飛ばされたのか、全く動けずに横たわっていました。


近くの自動車用品販売店の方が携帯電話で救急車を呼んでいるところでした。
二人の事故にあった女性はショックのためか怪我のためか、全く動けない状況でした。特に遠くに飛ばされた方には自動車用品店の方が側についていましたが意識もないような状態でした。


私は近くに飛ばされた方を面倒を見ました。この方は意識はあって、近くの小学校に二人の子供がいることと、親戚の連絡先を聞き出して、自動車用品店の方に連絡をとってもらいました。そうこうしている間に救急車が到着し、二人の女性を頭をしっかり固定するようにして担架に乗せ、病院に搬送していきました。


私は子供二人が小学校いる家庭では心配するだろうと考え、近くの小学校に連絡に行きました。そこは娘が1年間通学し卒業した学校です。職員室は直ぐに見つかり、若い先生に事故があった旨連絡しました。しかし、その先生はあまり興味がないのか、事情を疑っているのか、そっけない対応なので、私は事故があった旨連絡しただけで、名前も住所も告げずに一旦学校を出ました。でも学校から帰る途中やはりもう少し説明しておいたほうが良いだろうと考えて、
再び小学校に戻ると、予想通り事故にあった母親の子供の担任だという先生が詳しい事情もわからずに困っているような状態に遭遇しました。


私は事故の模様を伝え、母親が子供達のことを心配していたこと。それと親戚の方には連絡をとったこと。学校の緊急連絡先情報で、ご主人に連絡がつくのであれば直接事情を説明する旨を話しました。学校の先生方は、緊急連絡先情報などで、ご主人の連絡先を探したのですが、結局連絡はつきませんでした。私としては、母親のご主人の連絡先を言わずに、親戚の連絡先を教えたのはなにか事情があるのだろうと考え、とにかく子供達の世話をしっかり見て欲しい旨を伝え学校を出ました。


養護の先生が子供達をいっしょに連れて帰りますと言っていました。後で私の自宅に小学校から連絡があました。母親の怪我の状況は軽くて済んだようですが、事故当時の記憶がないとのことなのでその日は病院で検査入院するとのこと。もいひとりの方も軽傷ですんだとのこと。事故にあった母親のご主人は外国に出張中で連絡が取れなかったとのこと。会社を通じてご主人に連絡がとれて、ご主人は急遽直ぐに帰国することになったとのこと。


親戚の方が母親の自宅に来てくれて、子供達の世話をしてくれていることを伺いました。私も海外に赴任していて、妻や子供が事故にあったら連絡困るだろうことを痛感しました。妻や子供達には十分注意して欲しいし、容易に連絡が取れるように事前に準備することが大切だと思いました。



2005年01月19日(水) 再びムンバイ

元旦に帰国して、引越し荷物をインドに向けて送り出し、17日の夜ムンバイに戻りました。宿舎は同じホテルです実は18日に戻る予定だったのですが、
飛行機に空席ができたのでインドの戻る日を1日早めたのでした。


ホテルにもその旨連絡し、空港でのピックアップをお願いしていたのですが、
不安が的中し空港には迎えの車はいませんでした。ホテルに電話して直ぐ代わりの車をお願いしたのですが大分待たされました。こんなことは良くある話です。


さてムンバイのオフィス街ですが、昨年暮れに屋台の撤去作業が行われていたのです。市の決定で新年からオフィス街の歩道では屋台の営業が禁止になったのだそうです。でも、ちらほらと営業している屋台もあります。今朝は警官も屋台で食事をとっていました。


正直言って、オフィス街の屋台は多くのビジネス人にとってとても大切な場所のようです。自然発生的に屋台は増えそうな雰囲気です。



2005年01月18日(火) あるソプラノ歌手のCD

日本に帰って早速CDショップ(新宿タワー)で色々物色しました。差し当たり「ミクロシュ・ペレーニ」のアルバム、「ヒラリー・ハーン」のモーツアルトのバイオリンソナタに。そして本田美奈子のクラシックアルバムを買ってきました。


昨年亡くなった本田美奈子さんのCDが何枚かクラシックコーナにも追いてあり、なんとなく視聴してみたのですがこの「アベマリア」と題するCDに魅了されました。ショップで収録曲をひととおり聞き家でも2回聞きました。


若くして亡くなられたということに対する哀悼の気持ちを差し引いても、素晴らしい「歌」だと思います。収録曲の中で、プッチーニ「私のお父さん」、ドビュッシー「美しい夕暮れ」等は非常に愛らしいです。さらにラフマニノフ「ボカリーズ」では美しいソプラノの声を聞かせてくれます。


高音域の正当なソプラノの発声と低音域の発声は大分雰囲気が違うのですが、
それはそれで面白い。(妻は少し気になるようですが)正当な発声法の高音語りかえる低い声も非常に魅力的だということは確かです。なにより、クラシックの曲もそうでない曲でもその曲の雰囲気をきちんと掴んでいるのが良いです。日本語の歌詞はもう少し練ることができそうなのですが、(旋律との関係で)本田美奈子さんはその詩を100%理解し100%自分のものにして表現しているのです。こういう歌は人の心に響きます。


実は、他のソプラノ歌手のCDで視聴可能なものは、殆ど聞いた上で、やはりこのCDを買ってきたのでした。こういう歌手が若くして亡くなってしまうなんて可哀想だし残念です。合掌。



2005年01月10日(月) ウィーンフィル演奏会

昨日の夜のNHK教育テレビで、昨年のウィーンフィル・ゲルギエフの演奏会模様を放送していました。曲目はチャイコフスキーの交響曲の4番。


気が付いたテレビをつけて、二楽章の途中から見たのですが本当にすばらしい演奏でした。とにかくオーケストラが本気出して熱演しているのです。管楽器もさることながら、弦楽器のここ一番の「力」を見せ付けていました。

日本のオケも弦楽器に関する限り、欧米の一流のオケに追いついてきた感じでしたが、昨晩のウィーンフィルは別格でした。4楽章の早いパッセージでも弓を非常に大きく使うのです。したがって右手は人間とは思えないほどの速さ。


とくにコンマスのキュッヒルさん。こういうときの根性はすごいです。弓を長く使っているので「音」がしっかりしている。チャイコフスキーの4番はオケの弦楽器の性能を測るには最適な曲です。3楽章のピチカートも非常に美しい響きをしていました。1楽章を聞き逃したの残念でした。



2005年01月05日(水) めがね調整

今日は日本の仕事始め。私本人でなくては処理ができないような用事を郵便局で済ませました。その後銀行に行き必要な手続きを済ませました。その後家族全員がお世話になっている浦和の「めがね屋」に行きました。老眼になってきたせいか、従来掛けていた「めがね」では近くが見にくくなっていて10年以上前に使っていた傷だらけの古い(弱い)めがねで急場をしのいでいたのでした。


キチンと検眼してもらいましたがやはり古いめがねの方があっているようなので、この際ですから少し弱いレンジで作ってもらいました。インドでも「めがね屋」はありますが、英語で細かいニュアンスも伝えられないのでこういう物は、日本でキチンと済ませていくのが肝心です。


その後電気屋さんにいって娘の部屋用の小さなストーブを買いました。来週にセンター試験を迎える娘は寒さに強いので、これまでストーブなしで来ましたがこの寒さなので買うことにしたのでした。でも、少し遅すぎたかもしれません。



2005年01月03日(月) 明けましておめでとうございます。

新年明けましておめでとうございます。


今年はさいたま市の実家に来て日本の正月を迎えています。元旦の夕方にタイ国際航空便で帰国しました。途中、乗り継ぎのタイ空港で「初日の出」を見ることができて、日本に近づいてきたときには、本州南部の上空から富士山を見ることができました。


正月を日本で過ごすのは4年ぶりです。少しのんびりするつもりですが、昨日早速、引越し用の食材を大量に買ってきました。マンションの近くに再オープンした「戸田ジャスコ」は巨大なショッピングセンターで、なんでも揃うのですがたっぷり買い物をすると疲れました。今日3日は小田原の弟の家に新年の挨拶に行ってきました。昨年秋まで「さいたま」の私のところにいた母が、今は小田原の弟の家にいます。「さいたま」よりずっと暖かで快適なようです。



2005年01月01日(土) A Happy new Year from Bangkok International Airport

A Happy New Year.

I greeted new year in the airplane.And now I am waiting for boarding TG 676 on 8 AM January 1st 2005 to NRT in the airport lounge. Our flight will arrive at NRT at about 4 PM today. It may be very cold in Japan. I have to be prepared for the staying in Japan in cold winter.

With best regards.




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