2004年08月31日(火) |
インド着、コンピュータに課税 |
これまでと同じコースのシンガポール経由でムンバイに来たのですが、今回は片道切符なのです。日本からシンガポールまでの便は非常に空いていました。いつもはもう少し混雑しているのですが、日航か全日空を使う人が増えたのかしら。それに比べて、シンガポールからムンバイに向かう便は満席でした。
シンガポールームンバイ間は5時間です。東京ーシンガポール間が7時間なので、シンガポールからはずっと近い感じがします。逆に日本は凄く遠く感じます。インドシナ半島の国に住む人達の感覚は、日本とは大分違うと思います。
さて、インド入国ですが、税関で少しチョンボをしてしまいました。インドの空港では入国に際して厳しい荷物検査があるのです。今回は赴任ということで特に手荷物を50Kgまで増やしてもらって大荷物を持って来たのでした。荷物検査の列に並んでいると、にこやかに税関職員が近づいてきて、大きな荷物の中身は何かと聞いてきました。私は一番「無難」だと思われた「コンピュータ」を梱包して持ってきたと応えました。何台かと聞くので「2台」と応えてしまったのです。
これが原因で「コンピュータを見せろ」ということになってしまい、会社のパソコンと少し古い個人用のパソコンを見せました。税関職員氏の話ではコンピュータの持込みは一人一台が限度で、二台目からは課税されるとのこと。個人用は古いので殆ど価値がないと言い張っても、すでに時遅しでした。後は税金算定の勝負と覚悟をしました。
実際、個人用パソコンはXP仕様ですが、見掛けは凄く汚れていたのが幸いでした。ぼろぼろのキーカバーをわざと見せました。中古で売っても10000円位だと言い張って、時価Rs5000として40%のRs2000の税金を払ってきました。多分これは正当な評価ではないでしょうか。
ここで、一台は会社用で、もう一台は個人用だ等と抗弁しても仕方が無いので、できるだけ被害を少なくする一方、税関職員の面子も考えて咄嗟に妥協したのでした。
税金を払ってしまうと「行っていい」というのでX線検査を通らずに出てくることができました。実は、大きなボストンバックには「ガラス瓶」が二つ入っていて税関のX線検査ではそれが見えてしまうだろうなと心配していたところではありました。インド入国にはキチンとルールを守る事が大切でした。
今日、さいたま市南区役所に行って「住民票」を抜いてきました。今年の1月にスリランカから帰国して、さいたま市民に戻ったのですが再びお別れです。
面倒くさいのは、実印登録も一緒に消えてしまうこと。せっかく作った実印カードも返却してきました。
その足で池袋まで行ってCDを買ってきました。ムンバイへのお土産用です。ムンバイというと「ズビン・メータ」です。彼はムンバイの「パルシー」社会の出身で、ムンバイの「パルシー」社会ではとても有名なようです。
といっても、少し地味なので、家のCDコレクションにありませんでした。ビデオなら、3大テナーの伴奏とか、ウイーンフィルとのブルックナーの8番交響曲があるのですが、今日は、最初に目に付いた「ザルツブルグ音楽祭ライブ」のシューベルトのグレートと春祭を買ってきました。すこし古い録音です。
さてその後電気屋さんにいって「IPOD」を探しました。インドでの生活を予想しつつ、引越し準備をすすめてきたのですが、これまで迷っていたのでした。
というのも、ムンバイでは当面ホテル住まいなので、どのように「気分転換」をするのかがとても大切なのです。残念ながら、テレビではツマラナイNHK海外放送しか見る事が出来ないのです。ずっとマシなスリランカでの生活を思い出しても、好きな音楽が聴けないことは、少し苦痛であろうと思われます。
色々悩んだ末、近くの家電店に最後の一台として残っていた旧式の「IPOD」を買うことにしました。短期間でどれだけ音楽を詰め込めるか分かりませんが、好きな順に1ギガほど入れました。とにかく場所を取らずに大量の音楽が聴けるので楽しみです。
今日運送会社(N社)に自宅に来てもらって、引越し荷物をまとめてもらいました。当面ムンバイにおいてはホテル住まいなので最小限にしました。
向こうに住むに当たっての最大の課題は「食べ物」なのです。日本食レストランは無いし、日本食材も売っていない。しかもホテルなので厨房もない。
そこで考えたのが、ホテルのコンセント(240ボルト)で使える電熱器を購入して自炊できるようにすることでした。東急ハンズで便利な便利な電熱器を売っていました。これがあればインスタントラーメンを作ることができます。
その他に調理済みの「ご飯」を大量に買って荷物に入れました。もちろんインスタントラーメンもたっぷりです。そう言う「目」でスーパーで買い物すると、以外なほどインスタントな食料品が豊富なことに気がつきました。調理済みの「ご飯」はひとつのコ−ナーになっています。多分一人世帯が増えているのでしょう。元々ラーメンは品数豊富です。そのほかに、一食分のインスタント味噌汁。食事の心配をしなくてもいいようになれば、インドはすばらしいのですが。
インド赴任が正式に決定しました。随分まえから実質的には決まっていたのですが、会社が正式に決めないと進まない案件が少なからずあったのです。
まず、インドでの預金口座の開設。インド政府の認可に加えて、社内の手続きが済まないと、口座が開けないし、口座が開けないと「資金」が遅れません。インドでは「金」が無いとことが進みません。
実はこれまでの活動は、個人の立替払いでやって来ていたのです。つまり、観光客でもホテルに泊まることができたり、レンタカーを借りることができるように、個人でできる範囲で活動していたのでした。インドで「会社」が活動するためには、インド政府の許可と社内の手続きが必要だったのです。
今後の予定としては、9月から現地で活動を開始できるように、個人荷物を現地に送ったり、会社の書類を運びます。これは26日の予定です。
これまで関係した職場に挨拶にいったのですが、「スリランカから帰ってきて、こんどはインドとは大変ですね」という言葉がほとんどでした。確かにそうなのですが、個人的には多少違う感覚を持っているのです。
言わば「スリランカ」は南アジア文化圏の玄関なのです。中国3000年の歴史に匹敵するような、ヒンズー3000年の文化があるのです。スリランカでの生活で少し覗き見ることができた「ヒンズー」文化は、やはり「インド」が本家なのです。個人的にはスリランカまで行って、「インド」を経験しないのは非常にもったいない感覚なのです。
昨日の夜、インド出張から帰って来たのでしたが、今日故郷長野で高校の同窓会があり日帰りで出席してきました。なんと高校卒業30周年記念です。10年前にも卒業20周年をやった後、あっという間でした。
午後2時から長野市の国際会館で、と言うことで、11時58分の新幹線の浅間号(臨時特急)で長野に行きました。ちょうどお盆の土曜日で大宮駅は大変混んでいました。11時58分の臨時浅間は全席指定ですが、この列車が空いているようなので、自由席特急券しかなかったのですが、その列車で行きました。長野までは1時間と少しです。
さて、同期会ですが、すっかり昔の気分になって、ひと時の楽しい時間をすごしました。同じクラブに属していた者がたくさん集まりましたし、また3年の時の担任のN先生が出席されていて、昔話に花が咲きました。
前から少し知ってはいたのですが、同級生で「漫画家」になっている者がいました。彼とは同じ電車通学で、高校卒業した後も「新聞配達」アルバイトでお世話になったのでした。その後、お互い大学に入って音信不通だったのです。彼は「弁護士関連漫画」で結構売れているとのこと。昔からそういう夢をもっていたとのことでした。偶然にも同じさいたま市南区に住んでいることもわかりました。長野の実家の母は、今我が家に来ているので、長野に泊まらずに日帰りで帰ってきました。
11日水曜日は朝から強い雨が降っています。土曜日から昨日まで、少し晴れ間が除いたり、雨が降っても小降りだったりしたのですが、再びモンスーンの季節に逆戻りしました。先週までと同じように、気温は上がらないし、昼間から薄暗いし、大雨で鉄道は止まりそうだし、本当に困った天候です。
ムンバイの気温はこのモンスーンの時が一番低いのです。モンスーンが明けると暖かく、いや急に暑くなるのだそうです。
こう見てみると、インドのモンスーンを日本の「梅雨」と比較するのは間違っていると思います。モンスーンは日本の「冬」なのです。雪の深い信州で育ち、仙台で少し生活した経験のある私は「冬の厳しさ」が良く分かります。しかし一方で、冬の雪深い山間地の温泉の素晴らしさや、スキー・スケートの楽しさも実感しました。
何千年と同じ気候に向き合ってきた「インド」の人達は、モンスーンの季節の過ごし方は十分分かっているのだと思います。彼等にとっても「楽しいモンスーンの過ごし方」があるのではないでしょうか。「モンスーン大好き人間」がいるかもしれません。
日本では雨は一年中降る可能性があり、雨量のことより「気温の差」の方が重要であるように思えます。気温の差は、雨量の差より生活に大きな影響があるように思えます。夏のクーラー、冬の暖房、季節によって着る服も変ります。さらに、冬に降る大量の水分は「雪」という少しロマンチックに姿を変えるのであまり嫌がられません。東北北部から北海道の「雪」はそんなロマンチックなものではないかもしれませんが。
インド、特に南半分の地域では「気温の差」より「雨量の差」の方が重要です。降り過ぎても困りますが、降らないと、なお大変なことになってしまいます。服装は一年中ほぼ変える必要はありません。その代わり「傘」とか「雨合羽」は重要です。長靴はあまり見かけません。むしろ素足の草履の方が合理的かも知れません。
そういう環境で「ネクタイとスーツと革靴」でビシっと極めるのは結構大変です。ムンバイでもビジネス街でビシっと極めたビジネスマンを見ますし、泊まっているホテルの外国人客は結構極めています。そういう人達は、朝夕の車での送り迎え、冷房が効き、湿気を取り除いたオフィスが必需品です。
昨日の「ブリアニ」の話でもそうでしたが、「郷に入ったら郷に従え」的な発想が一番合理的なのでしょう。
2004年08月09日(月) |
チキンブリアニを食べて考えたこと。 |
すでに昔書いたかもしれませんが、チキンブリアニを食べてみて、インドやスリランカの人が右手で食指をすることの理由の一つ少しわかりました。チキンブリアニは手軽な料理のようで、チキンが入っていたり魚が入っていたりします。それも骨ごと殆どぶつ切り状態で入っています。大きな骨から、ぶつ切りにしたときに砕けた小骨とか、結構危険な堅い骨が入っていて、これを取り除かないと安心して食べられないのです。
これをフォークとナイフで食べるのは大変です。箸でも大変です。ここではやはり非常に優秀な「手」が必要となるのです。手で料理を混ぜながら、細かい骨も見逃さずに選り分け、同時に色々な味が交じり合うのです。いったん口の中に入れたら後は噛んで飲み込むだけです。口に入った小骨を出すなんて下品なことはしません。
魚の卸し方は「三枚に卸す」などエレガントな技はことらでは見た事がありません。魚は骨ごと「ぶつ切り」にするのが一般的なのです。これは食べ方が調理法に影響を与えているとしか思えません。箸やナイフとフォークで食べる人達には、ちゃんと骨を取ってから調理することになるのでしょう。そのため少し難しい卸し方が発展してきたと思われます。
「手」を使って食べることをせずに、ローカルレストランで「チキンブリアニ」を注文すると結構悲惨です。料理の味は美味しいのですが、骨を取り除きながら食べていると疲れてしまいます。ローカルの食事を頂くには、ローカルの食べ方が一番あっているのだということを再確認しました。
でも「カニ」の場合はどのように形に調理し、どのしたら優雅に食べられるのか全く分かりません。インドでもタイでも日本でも「カニ」の食べ方は難しいです。
2004年08月08日(日) |
少し晴れた日曜日、オペラハウス |
今日の日曜日は初めて少し晴れ間がありました。という事で夕方にムンバイの街を少し散策してみました。目指したところは「レミントン通り」。ムンバイ南西部の高級住宅街に通ずる繁華街です。あくまでも「通じている」のであって、そこが洒落ているかとうと、全くそうではありません。ローカル映画館が集中しているところであります。
ところで、そのれミントン通りのが海岸に近づいている一角で「オペラハウス」を発見しました。「オペラハウス」という地区があることは地図でしっていましたが、誰に聞いてもオペラハウスの存在は否定していたのです。でもりっぱな建物が残っていました。(写真はそのうち公開します)
とにかく、朽ち果てた昔の音楽の殿堂です。正面の立派な壁には「ロイヤル・オペラ・ハウス」の文字が残っており、よく見ると文字版にネオンサインの破片がついています。たぶんイギリス植民地時代には、立派な建物だったと思います。そして建物の奥(たぶん舞台のところでしょう)は、非常に大きく、大掛かりな舞台セットを使うことができたのでしょう。
今はというと、誰が住んでいるのか分かりません。とにかく誰か不法に(?)住んでいるようです。建物横の、多分以前は駐車上だったスペースも「ごみ」だらけです。オペラを演奏する雰囲気は全くありません。敷地内に入ってみると、早速「金をめぐんでくれ」と一人のおばさんが寄ってきました。
オペラの上演は総合芸術です。音楽の伴奏、歌手、歌手の衣装、セット製作とかなりの水準の芸術の基礎が必要です。たぶん、それら全てが建物と同様に朽ち果ててしまったのではないでしょうか。植民地時代の絢爛豪華な社交会の場は、まさしく今のインドの一面を象徴する「場」となっていました。
こうした植民地時代の遺物はこれからインドでどうなっていくのか。ビクトリアターミナスの駅舎は、世界遺産に指定され「物」として残っていく事になりました。「物」は残っても、「音楽」のような人間が敬称しなければならないソフトウエアは簡単に消えてしまいます。
今日7日は、サッカーアジアアップの決勝戦。ムンバイのホテルのテレビで放映があるのかどうなのか朝から心配していました。
ホテルのテレビはNHK海外放送が入ります。でもNHKは海外への放映権をもっていないのでやるはずがありません。アテネオリンピックを前にして、今から「放映権が無いので海外では見ることができません」と盛んに言い訳しています。海外でみる日本の放送(つまりNHK海外放送)ほどつまらないものはありません。民放の面白い番組のビデオが人気があるのもわかります。
さて、NHKがだめでも他の国の放送局があります。中国です。日本語放送のチャンネル近辺に「韓国語」と「中国語」の放送があります。この「中語国」放送局を調べてみました。しかしどうも台湾のものであるようです。大陸の決勝戦をやるはずがありません。
半ば諦めかけ、午後5時ごろ、アラビア語放送を見てみました。実は数日前に「中国−イラン」戦を中継していたのを少し見たのでした。ひょっとして関係の無い決勝戦もやるのではと思ったのでした。案の定、決勝戦の放送がありました。
「アル・ムスタクバル」というアラビア語の放送局です。同名の新聞がレバノンにあるようなので、レバノンの放送局かもしれません。それにしても、中国対日本の試合を良く放送してくれました。全く意味の分からない「アラビア語」ですが、アナウンサーが日本選手の名前を言うのが難しそうでした。
試合ですが、一応日本が勝って良かったです。でも試合内容はよくありません。選手で目立っていたのは「タマダ」だけ。中村はセットプレーはいいですけど、プレスの強い試合中はいいところ無し。体力で中国選手に負けていてはヨーロッパでは通用しないでしょう。
他の選手でも「Jリーグ慣れ」した安易なパス回しは通用しませんでした。Jリーグはお互いプロなので、厳しくしないで、そこそこ相手に花を持たせている感じがあります。その呼吸は中語には全く通用しませんでした。
それにしても、今日別なチャネルでほぼ同じ時刻に「オーストラリア対ニュージーランド」の代表同士のラグビーの試合を中継していましたが、彼等は紳士でした。試合前も試合後もお互いに「尊敬」し合っていて非常に礼儀正しいのです。中国も日本もだめですね。観衆はともかく、選手と監督・コーチにはもう少し考えてほしいものです。
2004年08月06日(金) |
ムンスーンの晴れ間、ボールペン紛失 |
今日の朝は、雨が降っていませんでした。雲も薄くなっています。私がムンバイにきてから初めての「すこしいい天気です」。とにかくここ10日間ほどよく降りました。正直いって「土砂降りです」。
スリランカでも雨季の雨は経験しましたが、こんなに長時間降っているわけではありませんでした。猛烈な土砂降りの後は、青空が広がることがおおく、むしろ植物には気持ちよさそうだし、空気を綺麗になったような「すがすがしい」感じがしたのでした。
こちらは同じような土砂降りの雨が二日・三日降り続きます。そして少し小降りな案が一日。二日続き、再び土砂降りになります。この繰り返しが3ヶ月続くのだそうです。従って9月中旬まで続くというのですからあきれてしまいます。
この間は気温はというと30度を下回る涼しさです。太陽の強い光も、厚い雲が遮っているというわけです。雨が強くなる度に、電車が止まり通勤通学客に不便をもたらします。低い土地の家屋は水浸しになります。今日は朝半月が空にありました。上弦の月です。まだ大潮まで遠いのでいいのですが、潮が高い時期の大雨は非常に危険なのです。四方を海に囲まれたムンバイは大潮の満潮の時に、大雨が降ると、雨水が有無に流れなくなってしまうのです。
さて明日はアジアカップサッカーの決勝です。ホテルのNHKチャンネルがどこかにいってしまいました。元々NHKの海外放送で放映しないでしょう。中国のチェネルを探そうかと思っています。中国・イラン戦はイランの放送局で少しみました。見る限りイランの方が強そうでした。
(追記)今日、大変うれしいことがありました。実は今週火曜日に日本からの日本からの出張者と共に、こちらの電話会社と打ち合わせした帰りに郊外のレストランで遅い昼食を取ったのですが、そこにボールペンを忘れてきてしまったのでした。
事務所にに帰ったと慌ててレストランに電話すると、1時間ほどしてから「見つけた」との連絡をもらっていたのでした。最初のインド出張の時に「携帯電話」を紛失して以来この国では忘れ物は出てこないだろうと思っていたのですが今回は別でした。
実はそのボールペンは携帯電話よりずっと高価なのでした。今日の金曜日の夕方、雨も降っていなくて、気持ちがいいので、タクシーを使ってレストランまでとりに行ってきました。金曜日の7時頃の郊外に向かう道路はもの凄く混雑していました。なにしろ、ムンバイは列車の便が比較的良いのですが、というからには、列車の線路が市内中心部まで堂々と入り込んでいるということなので、列車線路に邪魔されて、郊外に抜ける道路は非常に限られてしまっているのです。普段30分くらいで行くところを1時間以上は掛かってしまいました。
レストランの受け付けの男性は、私のボールペンのことを直ぐに思い出し、しまって合った机の引出しからすぐ出してくれました。私がチップを渡そうとすると「That is Just Our Duty」といって決して受け取ろうとはしませんでした。彼に丁寧にお礼を言って帰ってきました。
機会があったら是非何度も食べに来ようと思いました。実際のここの料理は美味しくて、値段も手頃で外国人で混雑しています。レストランの名前は「ジュエル・オブ・インディア」。ネルーセンターに隣接しています。ここの昼食はブッフェ形式で、色々美味しいインド料理がそろっています。値段は一人500ルピーもあれば十分です。日本人の方がムンバイにいらしたら是非、利用してほしいものです。
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