デリー経由のJALの飛行機で帰国しました。日曜の朝ムンバイを出発してデリーについた後少しデリー市内を見学して、日曜夜9時の便に乗りました。成田着は月曜日の朝でした。
乗ったJAL便について書きます。スリランカにはJALが飛んでいないのでこれまで殆どJALは使っていませんでした。一回だけバンコク経由で帰ったときにJAL(バンコクー成田)に乗って和食を味わって和食がいいなと思っていました。今回は正味5日のインド滞在ですが、和食が非常に恋しくなり、JAL機内の夕食で和食を選ぶことができたので、美味しく感じられました。ムンバイには日本食レストランがないのです。
問題は機内で味わうことができる「日本酒」です。「何とか金賞」を受賞したという二つの銘柄なのですが以前に乗ったときと同じ銘柄でした。正直言ってすっきりしていない酒なのです。個人の好みでしょうが、私としてはもう少し「さらっ」としている銘柄がいいですね。
ワインの方は「ソムリエ」が選択しているので、暫くすると種類が変わっているみたいでした。ワインブームは去ってしまったみたいですが、その結果ワイン愛好家が確実に増えて、ワインにはうるさくなっているみたいです。日本酒についてはそこまでいっていない感じです。
外国人乗客も沢山の味わうことができるのですから、美味しい日本酒を選んでほしいものです。日本酒のわかる人が選んでほしいと思いました。
JALでも朝食は洋食しかありません。しかし「麺」があるのです。「ラーメンDeスカイ」「うどんDeスカイ」「そばDeスカイ」という3種のカップ麺が食べられます。イラクの人質事件の日本帰還の際に食べたというやつです。普通のカップ麺より小ぶりです。ラーメンを頂いたのですが、とても美味しかったです。こういうインスタント食品は手間がかからなくて楽みたいです。
JALのアテンダントの方は殆ど日本人で非常にてきぱきと働いていましたが、文句をいいたいのは「ハイヒール」で音を立てて機内を歩くことです。靴の底が固いのかしら。歩き方に問題があるのかしら。シンガポール航空便ではこれまで、全く気にならなかったのですが、今回のJAL便では機内で音楽を聴いているときに非常に気になりました。機内で歩くときは、もう少し静かに歩いてほしいです。靴をズックみたいなもに変えた方がいいのではないかと思いました。特に深夜便は乗客が眠っているのですから、通路をアテンダントが行き来する為に起こされました。
ムンバイの印象を少し書きます。4月のムンバイの日中は非常に暑いです。海に近いので少し「むしむし」します。摂氏35度くらいだそうです。今回の旅行では、気温を計る寒暖計を忘れてしまったので、正確にはわかりません。こちらの日本人の方に聞くと、デリーは40度を越えるのだそうです。乾燥しているものの、暑さにはまいってしまうのだそうです。ムンバイの暑さは耐えられます。
ムンバイは海に面していますが、コロンボのようなすっきりした「青空」はありません。少し淀んでいます。やはりこれは大都会のせいかしら。空気は悪いです。人口200万のコロンボとは比べ物にならないくらいの車の洪水なのです。しかもガソリンの質はあやしいのです。同じ車種(フィアット)のタクシーが非常に多く走っています。コロンボで主流の三輪車はあまり見かけません。古い二階建てバスも普通に走っています。
クーラーのない古いフィアットのタクシー基本料金が35ルピー。メータ制なので観光客も安心です。街中を流していますので観光客には便利です。ムンバイは人口1000万人を超える都会なので広いです。タクシーなしでは見て回れません。
正直言って街の中の道はくねくねしていてわかりにくいです。これは古い都市なので仕方がないのです。道幅は比較的広Kむゆったり作られています。それと道の舗装は比較的良いのです。たぶん「タール」の質とか、砂利の混ぜ方が日本とは違うのでしょう。気温が違うので当たり前ですが、暑くても硬いままです。コンクリートとアスファルトが街をさらに暑くしているのです。
街には、色々な人がいます。ターバンを巻いた人。金曜日なので礼服を着たイスラム教の人。日本人を含めた外国人。北インドのアーリア計の人は色が白くて西洋人風です。南インド系で人達の肌の色は黒いです。東インド、西インドの人達の特徴は分かりません。同じ国の中で、複数の宗教の人がいて、肌の色の違う人がいるので、外国人をあまり気にかけないみたいです。外国に対する興味は少ない感じなのです。レストランでも、北インド料理、南インド料理、そのほかにイスラム、パルシーとローカル料理でさえバラエティが豊富です。
東京に東北料理とか広島料理とか札幌ラーメンとかあるような感じでしょうか。そのほかに西洋料理・中華料理があります。日本料理店はありません。在ボンベイ人口が200人程度の日本人程度では、割りに会わないのだそうです。ビルの賃料がべらぼうに高いのだそうです。
ローカルの料理は非常に美味しいです。たまに食べるから美味しいのかもしれません。毎日食べるとなると、やはり納豆と味噌汁が欲しくなるでしょう。今日で3日目ですが、あっさりした日本食が欲しくなりました。この経験は随分前に行ったアメリカ以来です。
西洋人の観光客が多く押し寄せています。日本人はビジネスだけみたいです。英語が通じる環境は、アメリカ人・イギリス人などにとって非常に安心するみたいです。インドでも、デリーとかアグラは日本人観光化客が多いそうです。東京からの直行便がある強みです。ムンバイまでは来ないようです。
でも、ムンバイも観光資源は沢山あるようです。気候もデリーよりは過ごしやすいようです。海もあるし。しかし、街全体が「外国人観光客」を歓迎する感じではないのです。一方インド人観光客は多いみたい。街のあちこちに公衆トイレがあるし、水のみ場も結構見かけます。こうした設備は外国人が使うには勇気が必要です。外国人観光客にとっては、こういう設備は大切なのですよね。
街中で日本の自動車は随分見かけます。ホンダ、トヨタ、スズキはとても人気があるのです。それぞれインドで大成功している会社です。乗用車が多いみたいです。コロンボで見かける、ミニバスに使う「バン」タイプの車はほとんど見ません。多分こちらで生産するには値段が高すぎるのでしょう。暑いので、昼間ガンガン動くと疲れます。睡眠を十分とることが大事みたいです。そろそろ寝ます。
時差の3時間30分は結構きついです。ついこの前まで時差3時間のコロンボに住んでいたことが「うそ」みたいです。日本に40年以上住んでいるので、日本の時間にはすぐ慣れるようです。
ムンバイの市内を少し走ってみたのですが、ムンバイにはイギリス統治時代の古い建物がかなり残っています。ものすごく重厚です。伝統の重みを感じるのですが、地元の人はそれが「当たり前」になっているみたいです。日本の例でいうと、上野の国立博物館とか日銀の本館みたいな建物です。そうした建物が町中にあふれています。凄い文化財だと思います。
そうした観光資源は生かされていません。ムンバイはビジネス都市で観光客は極めて少ないそうです。観光資源でいうと料理は大したものです。北インド料理は本場で本当に美味しいですし、海に面していることから、シーフードの料理が美味しいのです。残念ながら日本料理店はありません。
ムンバイは南インドみたいにヒンズー教ばかりを感じません。国際都市のなのです。従って、キリスト教、パルシー教、イスラム教などいろいろな宗教があるのです。そういう点では洗練されている感じです。
ヒンズー教でいうと圧倒的に「ガネーシュ」信仰です。タクシーの運転手と話しても、ガネーシュが最も偉大なのだと主張します。個人的にはガネーシュの母親の「パルヴァティ」のファンなので、すこし不満ではあります。でも、ガネーシュは長男で「できた息子」なので良しとします。ということで、土産物店は、ガネーシュ(象)の彫り物を沢山売っています。
昨日の夜シンガポールからインドのムンバイに移動しました。飛行時間は5時間強。シンガポール・コロンボ間より随分遠く感じました。でも、飛行機が大きくて、しかもビジネスクラス・エコノミークラスは満席だったし、アテンダントも沢山乗っていて気分は明るかったです。コロンボに行くときは飛行機が小くて寂しいのです。
考えてみるとシンガポールの人口は400万人。ムンバイは人口1000万人を超えますので大都会に向かう飛行機なのです。インドビジネスが活発なことを反映してか日本人も多く見かけました。
ムンバイの空港は古いのですが非常に活気があり少し安心しました。空港でタクシングしている時に窓の外に、多くの飛行機が止まっているし、何台ものジャンボ大型機が止まってしました。空港の入国審査・税関は長蛇の列です。これは仕方が無いです。空港の外には非常に多くの車が駐車しており、夜中なのに賑わっているのでびっくりしました。出迎えを頼んだ車の運転手はムンバイは眠らないのだといっていました。真夜中から朝方にかけては出発便が多くあるみたいです。
ホテルはムンバイのダウンタウンの中心にあるヒルトンタワーです。インターネットで割安なプランを頼んでおいたのです。このホテルは無線Lan設備があってLanカードを貸し出しています。ということでインターネットにアクセスできたというわけです。
ムンバイ初日の今日は銀行の方とあった後、こちらの通信会社にご挨拶にいってきました。ムンバイ市内は車が多くて渋滞が激しいです。でも景気が良いみたいです。気候はというと非常に暑いです。スリランカの暑さを思い出しました。昼御飯は当然カレーでした。
明日から出張です。行き先はインドのムンバイ市。予定は一週間で連休前には戻ります。目的はインドの市場調査、事業環境の調査です。明日はシンガポールに寄ってシンガポールの関係者と打ち合わせをした後、翌日の夜の便でムンバイに入る予定です。
スリランカに居る時にインドの観光ビザを取っていたのですが、すでに期限が切れているので、改めて日本のインド大使館でビザを取りました。インド大使館にいってビザ取得事務を見せてもらったのですが、机の上には山のような申請書が積んでありました。
私にとってはムンバイに行くのは初めてです。昨年のインドの旅はチェンナイ(旧マドラス)でした。ムンバイはインド経済の中心です。人口一千万人を超える大都市です。また物価が非常に高いのだそうです。モバイル環境はGSMサービスですが、日本より進んでいるので安心あのですが、問題はインターネット環境。ホテルから繋がるのか、事務所から繋がるのか心配です。
今日スリランカで全部使ってしまった「胃腸薬」を買ってきました。注意して行ってこようと思います。
2004年04月13日(火) |
不透明なスリランカ情勢 |
今月二日(4月2日)に行われたスリランカ総選挙は、前回に比べて平穏裏に行われたということで国際的にも評価されました。日本の選挙監視団も監視業務は楽だったようです。
一方選挙後の情勢は一段と不透明です。大統領派が首相派を破ったことは事実ですが、それでも過半数には達していません。まだ国会が開会されていない、つまり首相が国会で指名されていないのに、大統領は首相を指名してしまいました。閣僚も決まりつつあります。
大統領に首相の任命権限があるのですが、それはあくまでも国会議員による選挙によって選ばれた首長を任命するのです。どうもよくわかりません。その手続きもさることながら、政権内に不安材料があり、早くもそれが見え隠れしています。というのは、大統領と連携して政権奪取に成功した「JVP」(マルキスト党)が大統領に対して、閣僚枠の上積みを求めているのです。大統領は今後この連立政権内の要求に悩まされるでしょう。
実際「JVP」は改選前に16議席だったのですが、今回は39議席獲得し、首相派の敗北を決定的にしたひとつの要因となりました。社会主義的な政策を掲げ、農村部を地盤にした「JVP」の躍進は、前首相の経済運営に不満を持つ国民が増加していたことを示しています。
一方、反政府組織(LTTE)は、組織内の反乱分子の制圧に成功しました。従って分裂していたスリランカ東部も一応LTTEの支配下に戻ったことになります。しかし、この事件をきっかけにして、LTTEは暴力・テロリスト集団であることを証明してしまいました。民主主義的手続きや法律制度ではなく、暴力が支配ルールであったのです。
このように、政府側・LTTE側双方とも、内部に不安を抱えての和平交渉が始まります。選択した国民が一番苦しみます。それが国民の選択なのですから、非常に皮肉な結果で、スリランカ国民は運が悪いです。
早朝に娘を「修学旅行」に送り出して、午前中上野公園の東京都美術館に「日彫展」(日本彫刻会)の発表会を見に行きました。
まず、娘の修学旅行ですが、行き先は「沖縄」。羽田空港発の午前中の便とかなので、朝5時に家を出て行きました。吹奏楽の発表会があり、疲れたり時間がなくて準備が送れたりで、大変だったようですが、なんとか無事出て行きました。
暖かい日曜日の上野公園は家族連れで賑わっていました。桜の花を殆ど散ってしまいましたが、あちこちに八重桜があり美しい花をつけているので、一部の場所では花見をしていました。
上野公園は、美術館、博物館、動物園等等アトラクションが沢山あるので、日曜日は人が繰り出します。とくにゴールデンウィークはいろいろな特別展があるので、美術館・博物館は相当混み合うでしょう。今日の東京都美術館も結構混んでいました。途中通り過ぎた西洋美術館も人が沢山入っていました。
非常に単純な感想ですが、日曜日に絵や彫刻を鑑賞する人が沢山いるということは、とてもすごいことです。知人との義理でという人もいるでしょうが、いいチャンスだと思います。他人が一生懸命になって作ったものを見ることはいいことです、知らない世界に踏み込むことは新鮮です。
「日彫会」ですが、川越在住の「松平」さんに招待券をいただいていたものです。この方はスリランカでお世話になった「Dr.シーヴァラトナム」のお友達です。会場は所狭しと作品が並べられています。壮観です。個々の作品どうこうというより、彫刻を愛し、自ら制作する人たちがこんなにいるのだとびっくりしました。そういう方達がお互いに切磋琢磨している姿はすごいと思いました。細かいことはわかりませんが、作者の人達が楽しみながら、「ゆったり」と製作しているのだな、と思いました。
音楽の場合は、練習を重ねて、本番は一発。失敗しても、終わってしまえばどうしようもないので、あとは懇親会となるのです。しかし、彫刻とか絵画というのは、少し違うと思います。製作過程そのものが大切なのでしょう。完成後にああしたい、こうしたいという欲求が出るではないでしょうか。
久しぶりの上野公園だったので、妻と二人で池之端の東天紅で昼食を取ってきました。ここは高校卒業後に上京して、知人に連れて行ってもらった場所です。30年ぶりくらいです。おいしかったです。
バグダット陥落から1年が過ぎようとしていますが、イラクの情勢は混迷を深めるばかりです。今日8日夕方、日本人3人がイラクの反米勢力に誘拐されました。犯人達は、サマーワに駐留する自衛隊の3日以内の国外退去を要求しています。この事件に関していろいろ考えることがありました。
1.米・スペインとの違い。
この3月にスペインのマドリッドでは列車爆破テロがあり、200人以上の死者がでました。ニューヨークの「9.11テロ」も、まったく予告のないものでした。今回は「自衛隊の三日以内の退去」ということで、いきなりの攻撃ではありません。イラクの人たちの対日感情は米・スペインへのそれとは少し違うみたい。この状況を考えると、イギリスに対するテロ活動が少ない感じがします。それともイギリスのテロ対策が万全なのかしら。
2.政府の準備が片手落ち。
サマーワに派遣された自衛隊は相当な準備をしていったのだと思います。「破傷風」の予防注射が品不足になっているのですから。それに派遣される隊員もかなりの覚悟ができているはず。政府の決めた任務です。何かあったら政府が保証しまし、家族らも最悪の状況を想定して覚悟をしているはずです。これに対して、民間NGO、フリーのジャーナリスト等の邦人に対する政府の配慮が足りない気がします。そういう方達の一部は、現地の情勢をあまく考えたり、危険な冒険主義に陥ったりしますから始末が悪いのです。そういう人のことを政府がきちんと管理しないで、今回のような事件が起こると、やはり政府が非難されるのです。そして政府が困るのです。出国する際にキチンとチェックして行かせないとか、死んでも文句は言わないとか誓約書を書かせるべきです。 そうしないと困るのは結局政府です。その対策には貴重な税金が使われます。 本人も家族もこうした状況を十分考えるべきです。
3.「支援」の方法
自衛隊の人道支援・復興支援が、自衛隊よる水の供給とか、学校設備の修復だそうです。こういうことを、完全武装した自衛隊員がイラクに派遣されて真面目にやっているのです。私にはアメリカに対する「免罪符」獲得活動としか見えません。緊急に水が必要なら大量のペットボトルを手配して配ればいいです。設備の復旧が必要なら、地元の業者を雇えばもっと喜ばれます。どうしてもアメリカに「態度」で示したいなら、一時的にのそういう「格好」はするものの、直ぐにやり方を変えるべきです。
一方、NGOの人も考えないと。現地の生活に慣れていない日本人が食料を現地で配ってどうなるのでしょう。特に個人の活動は限界があるし、危険すぎます。私には冒険主義者の自己満足にしか思えません。そういう人の救援のために多額の税金が使われるのはどうかと思います。
4.日本の対応
アメリカの開戦に賛成してしまったのは過去のことだから仕方ないとして。 大量破壊兵器が見つからないこと。アメリカがイスラムの人達の大切にしているモスクを攻撃したことで、日本政府は立ち止まって考えるべきだと思います。このままだと、日本はアメリカのどんな行動でも是認することになってしまいます。そういう態度はイラクの人達から、また世界の他の人たちから尊敬されません。
自衛隊派遣に伴っては、安全対策として日本国内の警戒を強め、邦人のイラク渡航を制限する必要があります。それと同様に、アメリカに忠告するに際して、経済面の摩擦、食料品の不足などのアメリカからの制裁を覚悟するように国民にお願いするべきです。安保問題も同じですが、そろそろ日本も大事な覚悟をすべきだと思います。
2004年04月06日(火) |
イッサーリスのリサイタル |
インターネットで今日「イッサーリス」のリサイタルがあることを知り、当日券を買って聞きにいってきました。有名なチェリストでは、ロストロポーヴィチとかマイスキーとか亡くなったドュプレとか、熱演タイプが多いのですが、イッサーリスはどちらかというと端整で内省的なタイプです。近くで見ると小柄で「詩人」のようです。
随分前からイッサーリスはCDで聞いてきました。最初に買ったフォーレ曲集のシチリアーノとエレジーはCDでも群を抜く名演なのですが、今日もこの二曲が前半に演奏されました。素晴らしい音でした。
楽器の良さもあるのでしょうが、楽器が嬉しそうに・心地よさそうに鳴っているのです。小柄なので手はそれほど長くないのでしょうが、驚くほど弓が長く見えました。中音域から高音域まで音色が統一しているのも凄いです。
今日のリサイタルのもう1つの目玉は、伴奏者の小川典子さんでした。イギリスを本拠にして活動しているピアニストです。日本人では珍しくしっかりした音を出すピアニストとして有名です。でも今日は随分気を使って弾いていたみたいです。昔テレビで聞いた「展覧会の絵」に出てきた太い重低音は聞かせませんでした。小川さんの本領はコンチェルトか何かで聴かなくはならないと思いました。でも後半のショスターコービッチでは凄い集中力を披露していました。
感激してコロンボのチェロの先生に送ったメールです。コロンボでイッサーリスのCDを貸してもらったことがありました。
Dear Ms. Dushy It is very Long time no writing. Spring has come in Japan,so we can see beautiful cherry blossoms here and there. Because of my new task in Tokyo Japan,it is rather difficult for me to have a time to practice Cello every day.
Actually, I went to Cello recital by """ Steven Isserlis"""tonight. He came to Japan and had two recitals and one concert at which he played Dovrak concert.At today's recital, he played Cello Sonata composed by Debussy and Shostakovich. Sichilienne and Elegie from Faure, and two pieces from Rachmaninov. I had his CDs in my home, and copied one that you kindly showed me in Colombo. His sound was very delicate and his playing was very sophisticated tonight just same as CD. I remembered "Elegie" that you ordered to Amila to play after my lesson. It was a wonderful time for me today after four months because I could not get your lessons and I could not join SOSL rehearsal.
Anyway my new task is related India market, so I will travel to India from now on. I am now thinking to manage to find out the chance to drop in Sri Lanka. I will attach a photo of tonight's recital for memory.
2004年04月05日(月) |
スリランカ大統領派が勝利? |
先週金曜日行われたスリランカ総選挙の結果、大統領派の「Freedom Alliance」が105議席を獲得し、第一党になりました。しかし全議席数が225なので過半数には足りませんでした。
現首相が率いる「United National Party」は82議席にとどまりました。大統領は、これから少数党との連立を成し遂げ、自らの腹心の首班指名を狙っています。従って二年以上続いた「大統領」と「首相」のねじれ現象は解消されることになります。政府の意思決定はスムーズになるはずです。
全国の投票の状況でいうと、コロンボとかキャンディ都市部選挙区では、首相派UNPの得票率が高いのです。首相派は産業界に根強い人気があります。一方、大統領派は地方部で票を伸ばしました。首相の経済運営に不満な貧しい人達の票を集めたようです。
経済運営で言うと、大統領派はやや左派的な政策を標榜しています。つまり自由化・民営中心ではなく、政府の関与を残し、地方経済の復興を目指します。首相は政府の役割重視から民営移行政策を推し進めました。結果として経済のマクロ指標はいいものの、地方と都市部の格差が拡大したとされます。
しかし、政府の産業への関与を大きくすることは、財政赤字の増大、非効率な企業運営に陥りやすく、長期的に経済発展を図るためには、慎重な経済運営が必要です。
反政府組織(LTTE)との和平について言うと、大統領派は安易な妥協はスリランカの主権を侵害するとして、こちらは右翼的な考え方です。大統領は首相の弱腰な交渉を非難していました。首相はというと、とにかくLTTEとの20年以上続いた内戦終結を最優先に取り組んできたのです。
さて、新しいスリランカの政権が、経済をどう運営していくのか、和平交渉をどのように進めていくのか。非常に気になります。
2004年04月04日(日) |
吹奏楽演奏会(長女) |
今日はとても寒かったのですが、長女が所属する高校の吹奏楽クラブの演奏会にいってきました。会場は学校の体育館。茗荷谷にあります。名前が長いので、お茶高ブラス演奏会と略していました。
とにかく体育館は寒かったです。ステージは小さいので観客席と同じでフロアの一部分をステージにしています。観客は70人くらいかしら。家族が多かったようです。
自分の学校の体育館での演奏会なので、準備が大変だったみたいです。体育館の窓に暗幕を張ったり、床にビニールシートを敷いて、観客用の椅子を運んだり、さらに、楽器を他校から借りてきたり。長女は準備に忙しかったようです。
すべての演奏を聴きましたが、よく頑張ったと思います。娘のクラリネットもだいぶ上達しました。やはり目的を持って練習すると違うと思いました。女子高校のブラスバンドですが、柔らかい音はもちろんきれいですが、強弱・メリハリも利いていて、清清しいものでした。
でも少ない人数(20人くらい)で、2時間の演奏会を開くのは少し無理があると思いました。合唱クラブも参加して「1曲」歌いましたが、もう少し合唱クラブに出番を譲って、ブラスバンドの演奏曲目を絞ったほうがよかったでしょう。
バンド人数が少ない・・・楽器間の人数がアンバランス・・・比較的音の小さい楽器の人達が無理をして大きな音を出すことになる・・・そのパートの音が崩れる。
という悪いパターンに陥りがちなのです。娘も最後の方は「バテ」ていたみたいです。しかしそういう無理も、若さでカバーしてしまうところがあって、私も記憶がありますが、若さの特権です。
だいぶ入れ込んでいたので、少し身体を休めて欲しいものです。
近々インドを旅行するかもしれないので、安全のために今日予防注射をうってきました。ずっと前からお願いしている池袋サンシャイン60に入っている「林胃腸科クリニック」いきました。
今日お願いしたのは、破傷風、B型肝炎、A型肝炎の3種類。右肩、左肩、右のお尻です。破傷風(Tetanus)はこれまで、1997年5月、2001年10月、そして今日2004年4月です。本当はきちんと二回短期間に打って、一年後に一階追加すると5年くらい有効だそうです。
A型肝炎は1997年4月・5月。2001年10月。2004年4月。ほんとうは免疫ができているのかどうか検査すべきなのでしょうが、時間もないので追加で売ってもらいました。これは2年おきくらいに打つといいのだそうです。
B型肝炎は2001年10月以来の二回目。
そのほかに狂犬病の注射が必要なのだそうですが、今「狂犬病」予防注射は在庫がないのだそうです。入荷するのに一ヶ月位かかるそうです。自衛隊の皆様が打っていったのかもしれません。「狂犬病」は2年に一回打つといいのだそうです。(基礎免疫がある場合)私の場合は、どこでも「猫」に触る可能性があるので、この予防注射は大切です。
この他にアジアでは「マラリア」「デング熱」の感染が心配なのですが、これには有効な予防注射がありません。香取線香をしっかり焚くしかありません。とにかく、日本できることは備えていこうと思っています。
今日は4月1日。退職した人がいたり、新入社員が入ってきたり、転勤があったりで職場は少しあわただしいです。通勤電車も満員に慣れていない人が多かったみたい。
1月にスリランカから帰ってきて、昔のありあわせのパソコンを使っていたのですが、退職された方が使っていた「少し新しい」パソコンに変えてもらいました。今度のパソコンはXPです。これまで使っていたパソコンは、ソフトの違いは大きな問題ではなかったですが、キーボードに「癖」がついていて、私が入力すると変換がうまくいかない場合が多く困っていたのです。
私が本来標準的な入力方法をとっていないのが問題なのですが、たとえば「ya」の入力「ta」の入力が不便だったのです。私はy:右、a:左、t:右、a:左で入力する癖がついています。これは、すべて左手入力可能です。前使ってい人は左で入力していたみたい。キーボードは長年の入力の結果、その入力に対応して少し歪んでしまっていたみたいなのです。(想像)
この文章は今日配布されたパソコンで入力しています。今度は快適に入力できます。パソコンのキーボードは結構使っている人に対応していまうのですね。もっとも入力時の力の入れ方にもよりますが。
|