KENの日記
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2004年03月30日(火) スリランカ総選挙投票日間近

スリランカの総選挙投票日4月2日(金曜日)が迫ってきました。今回の選挙の始まりは、反政府勢力(LTTE)との和平プロセスの主導権争いから端を発した大統領の議会解散でした。大統領派・首相派のどちらが勝っても、政府側が一丸となる体制を作ることは難しいだろう懸念されます。


大統領派が負けても、依然として大統領は大統領権限を行使して、任期中一杯政府の方針に容喙するだろうし、JVPというマルクス主義の右翼集団と組んだ大統領派が勝ったら、右翼的な政府が成立して和平交渉そのものが進まない可能性があります。


更に選挙期間中に交渉相手のLTTEの分裂騒ぎが勃発し、選挙の結果に拘わらずに和平交渉そのものが分裂しかねない状況です。


ところでコロンボの友人によると、今回の選挙運動はそれ自体前回に比べると平穏と進んでいるようです。前回は敵対する政党どうしの小競り合いが頻発し、コロンボ市内でも投票日の直前になると外出禁止令がでました。今回の選挙運動期間中の抗争による死亡者は前回に比べて格段に少ないのだそうです。
それでも、今日30日バチカローラのタミール人候補者が殺害されたというニュースが流れました。これはLTTE分裂に伴う内部抗争の結果のようです。


選挙が平和裏に行われ国民の負託をうけた新政権が、和平交渉をキチンと進めていただきたい思います。



2004年03月28日(日) 気持ちの良い日曜日

久し振りに晴れた日曜日。午前中から暖かいので身体を動かしました。まず午前中は近くのプールで水泳。約45分かけて1000m強泳ぎました。ゆっくりゆっくりなので他人に迷惑がかかるため、プール午前中の部の最後の方に行きます。因みに午前中は9時〜12時までの3時間です。


その後、妻・長男と待ち合わせて昼飯、買物、花見に行きました。長女は知り合いの高校の吹奏楽団の演奏会を聞きに出かけました。武蔵浦和の駅付近には沢山のレストランがありますが、値段に驚くほどの開きがあります。昨年暮れにできた「ラーメンアカデミー」はラーメンでも高級ラーメン路線。駅ビルには以前から390円の美味しい博多ラーメンもあります。


スパゲッティ屋も何件もありますが当然美味しくて安いところに行きました。そこの店はいつも混んでいます。昼食はスパゲッティになりました。


武蔵浦和駅から、武蔵野線「中浦和駅」近くにある別所沼公園まで、小川に蓋をした小道があり、小道の両側に桜が植えられています。「浦和西南桜」とよばれています。そこの桜がほぼ満開で桜祭りをやっていました。家族連れの人達がゆっくり桜並木をあるいていました。


妻と二人で、西南桜を見ながら「別所沼公園」まで行ってきました。別所沼公園の桜の下も、花見客が花見の宴を楽しんでいました。世の中本当に平和で、素晴らしい時節だとおもいました。私にとっては2年ぶりの日本の春、花見です。いっせいに咲いた花がとても懐かしく、素晴らしく思えました。帰り道、マンションの直ぐ近くの木に「鶯」がとまっているのを妻が見つけました。



2004年03月24日(水) 花見シーズン

仕事の用事で九段のインド大使館までいってきました。都営地下鉄の神保町駅でおりて、九段坂を登り日本武道館を過ぎたところにインド大使館はあります。日本武道館には「日本大学卒業式」の看板が掲げられていて、袴を身に付けた女子学生を多く見かけました。武道館の周りの桜はまだチラホラ咲いている程度でした。


インド大使館が面しているのが皇居の堀に沿った道です。この道にそって多くの桜の木が植えられていました。インド大使館からの眺めは最高です。3月28日日曜日には、インド大使館でインド料理の販売が行われるそうです。多分花見客がどっと繰り出すでしょうから、いい商売になるのでしょう。インド料理をつまみつつ花見をするのもいいかもしれません。


実はスリランカから帰ってきて、一段落した後今インド案件に取り組んでいます。インド大使館でお会いしたインド人の方は随分厚着していて寒そうでした。



2004年03月21日(日) 桜開花

桜の開花が宣言されました。昨日・今日と冷え込んでいるので、開花のテンポは遅れる事になりそうです。今日、昼食のパンを買いに出たついでに、近くの浦和西南桜の桜をチェックに行ってきました。水路を蓋をした歩道の両側に桜が植えられていますが、開花した花をつけているのは、ほんの一部の木でした。もう少し暖かい日が必要です。でも開花を待ちかねている人達が、散歩していました。もう一週間かかりそうです。私にとっては2年ぶりの桜の開花なのでなにか「そわそわ」してしまいます。



2004年03月18日(木) 作戦進行中

今、さいたま市の我が家マンションの整備進行中です。今日は改装業者に来てもらって、北側の部屋の二重窓設置の実地調査をお願いしました。我が家の北側の部屋は、冷たい冬北風の吹きつけによって、部屋の窓・壁がひどく結露するのです。


このマンションに移って今年の5月で6年になりますが、これまでは毎冬の恒例行事で、窓にビニールのシート(プチプチシート)を取り付けて結露を軽減してきました。しかしそろそろ本格的に対策を取ることとしたのです。


というのも信州にひとりで住んでいる母が今年80歳になることから、そろそろ同居を考えた方がいいかなと考えているからです。信州の寒さは半端ではないし、今後の母の身体のことを考えて準備は早いほうがいいだろうと決めました。


幸い、母は「目が悪い」「血圧が安定しない」等の不便さと、健康の心配の種はあるものの暖かい時期は基本的には元気に暮らしているのです。マンションの狭さから、一部屋母に確保するためには、かなりの物量を整理しなければなりません。これまで、引越し引越しで手をつけなかったもの、着ない衣類などを整理してスペースを確保する必要があります。今日は少し衣類を整理したのですが、私の物、妻の物、子供達の物の古い衣類が大量にでてきました。来年結婚25周年なのですが、昔の衣類が出てくると懐かしいです。でも結構捨てています。


窓の二重化工事は基本的には、マンションの理事長の許可をえなければなりません。月末開かれる理事会に申請しようと思います。



2004年03月17日(水) 壮絶な仕事(上村勝彦さんの本)

今年1月に出版された「始まりはインドから」(上村勝彦)を読んでから、同じ著者の作品を少しずつ呼んでいます。というのも、「始まりはインドから」という本が、いわば著者「上村勝彦」さんの追悼出版の形をとっていて、奥様が「あとがき」を書いていて、上村さんは平成15年の1月に亡くなられたのでした。


上村さん最後の著書は「インド神話」でした。この本は「ちくま学芸文庫」から平成15年1月に出版されています。この本の「あとがき」は、平成14年10月に書かれています。そこから少し抜書きします。


「平成14年の1月から、拙訳「マハーバーラタ」(原典訳)が刊行され、11月にその第6巻が出る。この叙事詩の中には実に多くのヒンドゥー教の神々が登場するが、あまりにも膨大な書であるので、一々どのような神であるか解説する事ができなかった。そこで今、この「インド神話」を学芸文庫として出版することは、「マハーバーラタ」の原典訳を補うために大きな意義があると考える。・・・」「私は今、闘病生活を送っている。手術自体は無事すんだのだが、カテーテルを取る時に色々なトラブルが生じ、結局一度抜いた管を苦労して再び挿入し、三週間ほど待つ事になった。その間病院にずっといるのも気がめいるので、一時退院し、管を抜く日を自宅でひたすら待っている。その間に本書の初稿を呼んだ。・・・この書が出版される頃には、私の体調も良くなる事を期待している。」


さらに「あとがき追記」に、「その後カテーテルは無事に取れ、目下リハビリに励んでいる。マハーバーラタ第六巻も出版された。」と書かれています。この後、完成した本が1月8日に出版されました。著者上村さんは1月24日に亡くなったのでした。58歳だっとという事です。


上村さんの専門は「サンスクリット詩学」だそうですが、「始まりはインドから」を読んでみると、留学されたマドラスも、他のインドの土地も上村さんにはそれほど魅力的ではなかったみたいなのです。ただひたすら「サンスクリット文学」に没頭していたことが読み取れます。


「始まりはインドから」の本のカバーには、研究室の本棚をバックにした上村さんのカラー写真が載っています。ほんとうに人柄がそのまま現われている良い写真だと思います。マハーバーラタの最終巻の第7巻が出版されたのかどうか確認していません。このシリーズは「原典訳」なのです。とてつもなく大きな仕事を淡々と続けられた著者の「生き様」、家族の支えなど、色々考えさせてくれる本との出会いです。


なお、上村さんは「中村元さん」のお弟子さんといってもいいような方だということを知りました。「中村元」さん関連で、また素敵な人と出会うことができた感じがします。10年以上前、世田谷留学生会館に住んで、東大に通っていたタイ仏教僧の方と少し懇意になったのですが、出会いのきっかけ彼がサンスクリット単語を歩きながら勉強しているところに声をかけてからでした。彼の先生の先生が「中村元さん」だったのです。



2004年03月11日(木) 梯 剛之さんのピアノコンサート

今日3月11日、「梯 剛之さん」のピアノコンサートに行ってきました。場所は南浦和のさいたま市文化センター。大ホールは7分程度の入りでした。

演奏曲目

モーツアルトピアノソナタ

第5番ト長調(K.283)
第10番ハ長調(K.330)
第12番ヘ長調(K.332)
第17番ニ長調(K.576)
アンコール
シューベルト 即興曲 作品90−2、3
リスト   コンソレーション第3番


プログラムはオールモーツアルト。それも愛らしい曲が3曲と、最後にしっかりした17番が置かれました。古い順に並べられました。アンコールはロマンチックな曲が並びました。


最初のト長調のソナタ冒頭から、「ピアノの音」がとても綺麗で優しいのです。いっしょに行った妻が最初から涙を貯めていました。一楽章は最初の部分こそ少し散漫気味でしたが途中からエンジン全開で、素晴らしい演奏でした。


個人的には、二曲目の10番ハ長調が一番凄いと思いました。ニ楽章がとくに好きなのですが、淡々とした中にも温かみがあって、適度な推進力があって、大感激の演奏でした。


12番ヘ長調は、予想外の推進力のある演奏でした。唯一のフラット系の曲なので、曲想の通りゆったり行くのかと思っていたのですが、両端楽章は非常に早く演奏されました。音も芯のあるしっかりしたものでした。


17番ニ長調は、曲想とおりのしっかりした演奏でした。交響曲の終楽章を聴いたような感じでした。こう考えてみると、12番ヘ長調はベートーベン以降の交響曲のスケルツオとして考えられたのかしら。それならイ短調でも良かったかも。


「梯さん」は小さいに視力を失っています。従ってステージに出てくる時、舞台袖に帰る時とも、袖から係りの人が出てきて手を貸します。アンコールで何度も呼び出したのは、少し酷だったような気もします。


一曲終わる毎に、そして、アンコールでステージに出てくる度毎に、深ぶかと正面・左右・正面とお辞儀をされました。こんな素晴らしい演奏を聞かせてもらって、あんなに丁寧なお辞儀をされると、聞いているほうが変な気持ちになります。できたら、こちらからお礼を言いたいと思いました。拍手だけしか表現する手段を持たないことが寂しかったです。


梯さんはまだ20代の若さです。大変な苦しみを経験し、努力されて来たのだと思います。それが伝わってくる音ですし、それが現れたモーツアルトでした。10年後、20年後のモーツアルトを聞いてみたいと思いました。ご本人はロマンチックな曲が弾きたいのか、アンコールはロマン派ばかりでした。それも素敵です。



2004年03月08日(月) 引越し荷物がすっきりしました。

先週、インターネットでベランダの物置と背の高い本棚を注文し、届いた品物を週末に組み立てました。


なにしろ床面積が限られているマンションですから、限られたスペースを最大活用しなければ勿体ないです。ベランダ物置はデッドスペースだったベランダの有効活用。このマンションは無理して全ての部屋に窓を設置しているのです。そして全ての部屋にベランダもあるという非常に凝った設計なのです。その分、住める屋内の面積は減っているのです。従って、このベランダの活用が非常に大切なのです。


またスチールの本棚ですが、これまでは昔から使っている比較的低いスチール本棚二つを廊下に並べていました。廊下は狭くなるのですが、所詮通路ですからかまいません。この古い本棚を背の高い本棚に切り替えたのです。沢山の本
を収容できるし、見栄えが良くなりました。


この二つの家具を活用して、コロンボから持って帰った私の荷物が見事に整理されました。荷物を広げて骨董屋さんみたいになっていた奥の部屋が使えるようになりました。ここが私のチェロ練習部屋だったのです。ようやくチェロの練習が出来るようになりました。


今年大学四年になる長男がすんなり就職してくれて、ひとり立ちして部屋を開けてくれれば、もっとすっきりします。今から楽しみです。



2004年03月07日(日) マハマハムタンクの水浴び

インド・タミールナドゥ州のクンバコナムの祭「マハマハムタンクの水浴び」が6日最高潮を迎えたようです。インドの新聞「The Hindu」で報道されていました。


今回の沐浴の時間は「3月6日の10時30分から11時30分まで」だったそうです。この時間にクンバコナムのシヴァ寺院からシヴァ神像が運ばれてきて、沐浴したのだそうです。シヴァ神と同時に沐浴しようと考えた人達が10万だったそうです。


何しろ12年に1度しかやってこない貴重なチャンスですし、この時にマハマハムタンクで水浴びすると、有名なガンジス川で3回水浴びする価値に匹敵するというのですから、インド全土から人々が押し寄せたみたいです。


この日だけでも110万人が水に入ったとのこと。祭りの期間の10日間を通して260万人が水浴びしたということです。一日110万人というと、昼間12時間の間に平均30分間水に入ると想定すると、常に5万人くらいの人がが水に浸かっていることになります。とてつもない数です。



2004年03月06日(土) スリランカ和平の危機(LTTE分裂?)

3月3日の日記で、スリランカ総選挙に多くの仏教僧侶が立候補していることを書きましたが、実はスリランカ和平の進展の上でもう一つ大変心配な事件がおこりました。


それはスリランカ反政府組織(LTTE)の中で仲間割れが発生しているようなのです。LTTEの支配地域は、スリランカ北東部なのですが、北部・東部に中心部隊が置かれています。北部の中心都市はキリノッチ、東部の中心都市はトリンコマーレです。どうもその部隊の間で揉め事があったようです。


3月6日LTTEのトップは、東部のバチカローラ・アンパラ地区の司令長官を解任しました。この司令長官はLTTEを離脱して、別に政府と和平交渉を始めようとしたのだそうです。


一方の当事者の政府側が「大統領」と「首相側」に分裂して、交渉が中断しているのですが、LTTE側まで分裂してしまっては、交渉の行方は非常に心配です。是非とも早く収拾して欲しいものです。


3月7日の報道によると、東部部隊の司令長官は、LTTE本部に拘束されているようです。この司令長官はLTTE内の処遇面で、東部出身者が冷遇されていることに不満を表明していたようです。この将校に指導されていた東部の軍隊は、この司令長官に従って行動する旨を表明しています。


この将校の身の上に何か起こったら、それこそLTTEの内部の抗争に発展しかねない状況です。



2004年03月04日(木) マハマハムタンクの祭り

インド南部タミールナドゥ州のクンバコナムという町の「マハマハム祭り」が始まっています。この祭りは12年に一度行われるもので、インド全土から数十万人のヒンズー教徒が「聖なる沐浴」をするために、マハマハムタンクにやってくるのです。


この貯水池に関しては以下のページにも書いてあります。昨年暮れにインドに行ったときに、清掃中のマハマハム(マハマガム)タンクを見てきました。
http://www3.ocn.ne.jp/~yes.sato/India5.htm


「聖なる沐浴」は2004年3月6日にクライマックスを迎えます。正確に言うと午前10時30分から12時10分までだそうです。この日の10日前から祭りが始まり、既に多くの信者が沐浴しているのだそうです。一日約15万人が沐浴するのだそうです。


このマハマハムタンクは非常に「洗浄能力」のあるタンクのようです。「ガンジス、ヤムナ、コーヴェリ」などの聖なる9河川に、多くのヒンズー教徒が訪れて沐浴し、「罪」を洗い流すのですが、その罪がそれぞれの川に堆積してしまい「川の神達」がシヴァ神に助けを求めたのだそうです。


シヴァ神は「川の神達」にタミール月「Masi」で、しかも太陽、月等が特別な位置に来る日(この日は12年に1度だそうです)にマハマハムタンクで罪を洗い流すように教えたのだそうです。つまり「聖なる川」を清浄化するというのです。なんでもこの時にマハマハムタンクで沐浴すると、ガンジス川に3回沐浴することと同じ効果があるということです。従って全国から信者が訪れるというわけです。


この大イベント備えて、色々な措置が取られています。昨年暮れから池の大掃除が行われました。また、警察はテロを警戒して警備を強化しています。いまでもインドではイスラム教の人々とヒンズー教の人々はしっくりいっていません。


鉄道省は新たに二年前から取り掛かっている鉄道の広軌化を一部終了し、クンバコナムまで主要都市からの臨時列車を走らせ、参拝客を輸送するそうです。クンバコナムの衛星当局は、マハマハムタンクの水の衛生管理を強化します。一日に15万人以上沐浴するので、水の衛生問題は深刻です。河川なら流れていくのですが、タンクの水は流れませんから人工的に消毒しなければなりません。知らないことが沢山あるものです。



2004年03月03日(水) スリランカの選挙の心配な点

4月2日の投票に向けて、選挙運動が非常に活発なスリランカなのですが、ニュースで非常に心配なことを知りました。スリランカの選挙には暴力が付き物なので、殺人事件があったりするのにはそれほど驚かないのですが。


今回の総選挙に仏教の僧侶の方250人以上立候補しているのだそうです。この僧侶の方たちは、これまでの政治家の政治の進め方に不満で、さらに仏教以外の宗教の広がりにも懸念をもって、立候補したのです。


実は昨年暮れくらいから、過激な仏教僧侶のキリスト教会破壊のような蛮行もちらほら聞こえてきていたのでした。仏教界の別のグループからは政治に進出することは批判されています。しかし一部の僧侶は非常に過激です。


スリランカの「憲法」では仏教に「基づく」政治を行う旨が定められていて、政治と仏教は切り離せないのですが、政治と宗教のケジメをきちんとしないと非常に危険な感じがします。


おりしも、イラクのイスラム教の重要な行事の日に、シーア派とスンニー派の対立も一つの原因と見られるテロがあり、150人以上の死者がでました。オームのことを引き合いに出すと、行き過ぎですが、宗教には一つ間違うととんでもないものになってしまう危険性があると思います。



2004年03月02日(火) 信州へ

今日母と一緒に長野県の実家に行ってきました。母は昨年の12月22日に小田原の弟の家に来て、冬の寒さを凌いでいたのです。二年位前までは信州の一番寒いときは、埼玉の私のマンションに数週間来たことがあったのですが、こんなに長く冬を過ごしたのは初めてです。母は今年80歳なのでだんだん冬が辛くなってのです。


さてJR小田原駅で弟の奥さんに東海道新幹線に乗せてもらい、何号車に乗ったのかは携帯電話で知らせてもらって、私が東京駅の東海道新幹線到着ホームで出迎えました。


東京駅で長野新幹線に乗り換えると、長野まではは1時間30分です。便利になりました。実は東京駅から大宮駅まで30分かかるので、私の埼玉のマンションからだともっと便利なのです。実家は新幹線終点の長野から「長野電鉄」線で須坂までいくのですが。


長野でお世話になっている親戚と、実家の隣の「Wさん」にご挨拶してきました。この方達は高齢で一人暮らしの母を色々心配してくれていたのです。二ヶ月以上実家から離れていた母はさすがに安心て落ち着いたようです。寒いですが、住み慣れた家はやはりいいみたいです。急に活発に動き出すのが不思議です。




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