KENの日記
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2004年02月29日(日) インターネット買物

スリランカから送った荷物がまだ整理がついていません。狭いマンションの一部屋を占領してしまっています。少しずつ入らない物をすてています。勿論スリランカからはるばる到着した荷物でも不要な物はその対象です。


それでも整理がつかないので、以前から考えていたベランダ物置を購入することにしました。昨日の土曜日にベランダ二箇所の寸法を測って、与野にある「Doit」に見に行ってきました。外に見本がおいてあり、幾つか見ましたが、今ひとつ現実感がわかないので、決めませんでした。


今日はインターネットで「物置」販売店のページを見て周り、適当なものがあったので注文しました。


こういう買物はインターネット買物が格段に便利です。色々なメーカのサイトにいって、比べる事ができます。また詳細な仕様を知る事ができます。実際の店舗に見に行くとすると、何件も回らなければなりません。支払いは銀行振り込みにして、日曜ですが手続きを完了しました。後は配送を待つだけ。便利になったものです。



2004年02月22日(日) 幸運な出会い。

今日、川越市に住んでいる「M」さんにお会いするために、川越のMさんの自宅までいってきました。さて「M」さんですが、こういう関係を夏目漱石ならどのように表現するか。私の説明で分かるかどうか。


「M」さんのお兄さんは、お医者さんでドイツに長く住んでいたのです。そのお兄さんには二人の子供がいるのですが、お二人ともドイツで生まれ、ドイツで育ったので日本語は全く分からないそうです。このお兄さんは昨年の夏亡くなられたのでした。


スリランカのコロンボでお世話になった「Dr.シーバラトナム」はかつて国際赤十字の勤めていて、実はケルンに勤務していたときに、このドイツ在住の日本人医師と非常に懇意になったのだそうです。これは随分昔の話しだそうで、約40年位前だそうです。同じ東洋人だったことがそうさせたのかもしれません。


その関係で、「Dr.シーバラトナム」は35年ほど前に日本にきて、「M」さんの実家にお世話になったのだそうです。「お兄さん」はドイツいる時で、DR.はひとりやってきたのだそうです。それをお世話したのが、妹の「M」さん。当時は独身で学校の美術の先生をしていたそうです。専門は彫刻だったとか。


一方、DR.には二人の娘さんがいて、一人はドイツで医者をしているのです。このお嬢さんの関係を通じても、Mさんの「お兄さん」とDR.は繋がっています。その関係で、「お兄さん」の長男の「Ken」さんとも、DR.は知り合いなのです。


さて、「M」さんの実家は日暮里にあるのです。そこの土地・建物の財産は「M」さんのお兄さんが相続したのだそうです。ところが、その「おにいさん」が長らくドイツに住んでいて、昨年亡くなった。ここで発生したのが、「日暮里」の財産の相続問題。


相続する人達はドイツに住んでいて、日本語は全く分からない。多分ドイツにも相続すべき財産はあるでしょう。日本の財産相続の手続きをどうするのか。「Ken」さんは、DR.に相談したようです。Dr.は法律のDr.ですから。Dr.は日本に帰ることにになった「私」に相談したというもの。


「M」さんは、今彫刻に加えて、版画もやっています。素晴らしい作品を飾ったお部屋で二時間くらいお話しをしました。全く初対面なのに不思議に色々な話しをしました。これも素晴らしい「Dr.」のおかげです。


「M」さんの問題は難しいです。難しいことが沢山あります。日本の相続手続きをドイツの「Ken」さんに教えなければなりません。またドイツ語で書かれた相続に関する書類(死亡届とか戸籍の書類とか)を、日本語に訳さなければなりません。しかも然るべき公証できる人でなくては意味がありません。これは大変な作業です。私も出来るところ(あまりないですが)はお手伝いしようと思っています。



2004年02月20日(金) 引越し荷物到着

今日、ようやくスリランカから引越し荷物が到着しました。確かコロンボでは1月中旬に船が出ているはずでしたので、一ヶ月以上かかっています。今週の火曜日17日に横浜港に船が着き、税関の検査を済ませて、今日配達されたのです。


さて、一番心配だった「チェロ」ですが、無事でした。スリランカでは、ハードケースをダンボールでカバーして、さらに特性(?)の木の箱に入れてきてくれました。壊れないように大事に扱ってくれと言って置いた甲斐がありました。というのも一年前に知り合いがスリランカからチェロを日本に送った際に、胴体の共鳴板が割れていたそうなのです。


さらに、他の荷物、例えば「ウイスキー」とか「ワイン」のビンも無事でした。もちろん、梱包は開封されていて、中身が調べられていましたが。さて、この引越し荷物の整理が大変です。私がスリランカに行っていた間にも、さいたまのマンションでは荷物が増えているのです。主に妻のパソコン関係ですが。さらに、そこに私の荷物が純増となるのです。


最大の懸案は「本」。私の荷物が来る前でさえ、我が家の本棚は本であふれていたのです。どのように収納するか考えなくてはなりません。いらない本を捨てるのが先決です。さらに、スリランカでもらった「お土産」類もばかになりません。壁掛け類がたくさんあるのですが、マンションにはそんなに壁はないのです。また、私がスリランカで買い求めた「置物」。最大の「仏陀像」は会社に寄付してきたのですが、小振りの「像」は持ち帰りました。これらの梱包を解いてみると、部屋は骨董品屋さんみたいになってしまいました。「狭いマンション!そんなに買ってどこに置く。」今後も注意が必要です。


(P.S.)急遽仕事の打合せが3時から行われることになり、引越し荷物を広げたまま会社に出勤しました。



2004年02月18日(水) 花粉??

今日、妻が「梅の花」を見に行ってきたそうです。自宅の目の前にある畑の梅も白い花をつけています。そこは半分駐車場になりましたが、まだ4〜5本の梅の木があります。ベランダの植木鉢に植えてある「沈丁花」の花も咲き出しました。


スリランカのコロンボでは一年中花の咲く「ブーゲンビリヤ」を育てていたので、日本に帰ってきて、「春」の訪れを待つ心地を味わっています。


「変だな」と考えているのは、花粉症のくしゃみ、鼻水、涙の症状が全然でていないことです。2年間スギ花粉のないところに住んでいたので忘れていたのですが、春の花の便りを聞くと気になりだします。


妻によると、昨年の冷夏のせいで、今年のスギ花粉の発生状況は極端に少ないのだそうです。そのせいで私の症状がでないのかもしれません。しかし、スギ花粉に敏感な人は少しのスギ花粉でも反応するはずなので、2年間のブランクで身体の抗体の反応が鈍くなったのかもしれません。いずれにしろ、快適な「春」が迎えられるとすれば素晴らしいことです。



2004年02月13日(金) 健康診断

スリランカから帰ってきて一ヶ月経ち、健康診断に行ってきました。この一ヶ月間で日本の気候・食べ物・通勤などの環境に慣れて、身体が定常状態になったような気がしていますので、前と比べることが出来ると思ったからです。


血液検査の結果については、即日とは行きません。その他の項目は、驚くいたことに、スリランカに行く前と殆ど同じです。血圧にいたっては、スリランカ渡航前より良くなっています。実は、以前は少し高血圧気味だったのです。


スリランカでの生活が結構、規則正しかったこと、さらにスリランカの人があまりお酒を飲まないことが原因でしょう。私もこの二年間のアルコール摂取絶対量は減っているはずです。


さて、問題はこれからです。戻ってきた日本んも職場は新橋にあります。埼京線は12時まで走っています。「誘い」は非常に多いです。


2年間で体のコンディションが変わらなかったといっても、年齢は2歳上がっています。せっかくいい方向に向かったのですから、日本でも少し気を付けたいと思います。



2004年02月12日(木) スリランカからの客

SLT(スリランカテレコム)の調達部門の社員がJICA研修で日本に来ています。また、コロンボでお世話になった「IMAIさん」が日本に里帰りしたので、お二人の都合を合わせてもらって今日懇親会をしました。


SLT社員のロハーナ氏は、日本に来て二週間以上経っているので、最初から日本酒の熱燗を頼んでいました。寒さを少し緩んできたので、彼はそれほど寒そうにはしていません。


今日は横須賀のNTTの研究所を見学したあとに、新橋駅前のSLのところで待ち合わせしました。きっちり6時30分に現れました。スリランカの人には珍しく時間が正確です。


コロンボから帰ったばかりの「IMAIさん」はとても寒そうでした。共通の友達の「某ドクター」からの私への土産、ジャフナアラックを持ってきてくれました。この「酒」は、ジャフナから車の旅で10時間、コロンボから東京ま
で飛行機の旅15時間を経てやってきました。


昔話やら、現在のスリランカの話やら、楽しい話を聞く事ができました。2時間があっという間に過ぎてしまいました。



2004年02月11日(水) 同期会

今日午後から大学時代のゼミの同期会がありました。山口県に住んでいる田中さんが、久し振りで、比較的長い東京出張のチャンスができたので、東京在住の野田さんが幹事を買って出たのでした。


場所は新宿。実は数年前に私が幹事でやっと時と同じ中華料理店(シェンロン)。飲茶が美味しくて、個室なので大声で昔話ができるのがいいのですけど、せっかく横浜に新線が出来たのですから、横浜でやっても良かったなとも思いました。


今年は大学卒業25周年という節目の年です。田中さんとは随分久し振りでした。私が広島勤務の時に彼の実家に招待されたとき以来です。
とても懐かしかったので、色々な話をして、3時間があっという間に過ぎてしまいました。なお、詳しい模様をホームページに掲載予定。(おたのしみに)



2004年02月10日(火) 吉野家の牛丼終了

アメリカ産牛肉が狂牛病関係で輸入禁止になったことにより、吉野家の牛丼は明日で販売停止になります。ということで、今日の夕御飯は新橋西口の吉野家にいって牛丼(並)を食べました。当面最後の牛丼となりました。


私の会社(NTTCom)の本社は新橋にあるのですが、私が入社したのは、まだ「電電公社」だった時で、その頃、新橋東口には吉野家の大きな店がありました。今の場外車券売り場のあたりです。


当時、ミズホファイナンシャルグループ本店、つまり昔の第一勧業銀行本店はまだ建設が始まったばかりでした。昔の思い出といえば、勧銀本店工事と吉野家の大きなテンポでした。


もちろん大学在学中も吉野家にはお世話になりました。長男が大学生になって吉野家のお世話になっているので、二代に渡って食べている事になります。


ところで吉野家は日本の他にアメリカにも店舗があるのです。私はシンガポールで牛丼を食べたことがあります。すでに日本だけの味ではないのです。日本で食べられなくとも、外国で食べることができるのです。この状況は少し厄介です。日本だけがそんなに厳しくしてどうするのだろうかと思います。



2004年02月08日(日) スリランカ総選挙

2月7日の土曜日、スリランカの国会が解散されました。昨年11月に大統領が政府の3大臣を解任して以来、与党の首相サイドと妥協点を探すための交渉が行なわれてきたのですが、遂に物別れに終わり、国会解散となったものです。国会議員選挙は4月2日に行われます。スリランカ全土は、二ヶ月間の熱い選挙戦に入りました。


しかし、問題は20年以上続いてしまった「内線」をいかに収束させるかということ。大統領の属するPA政党は、この1月にマルキスト集団のJVP政党と共闘体制を確立しました。それでも議席数は93。首相派の与党UNP党は114議席を確保しています。定員は225。


大統領およびJVP考え方は、LTTE(反政府組織)との交渉で妥協するなというもの。基本的にシンハラ人ナショナリズムを振りかざす人たちなのです。そして、どちらかというとコロンボの都市富裕層ではなく、地方農村を地盤にしています。


もし、大統領派が政権を取ると、和平交渉は難しい局面を迎えるでしょう。LTTE側は昨年後半、ヨーロッパの制度などを研究して、満を持して「暫定統治案」を出してきたのです。現政権はこの「暫定統治案」受け入れに前向きだったのですが、大統領は反対を表明したのでした。


LTTE再度は、こうしたスリランカ政府内の混乱に対して、昨年2月に締結した停戦協定は今後も堅持することを表明しています。しかし、この混迷が更に続くけば「独立」を目指す方向に転換することもあり得るとの見解を表明しました。4月2日の選挙で、スリランカの人々が良識ある選択をするよう望みます。



2004年02月07日(土) 興味深い本。インド関連

今、非常に興味深い本を読んでいます。「始まりはインドから」(上村勝彦著)という本です。著者の上村さんは昨年1月に亡くなられてしまい、この本は生前の講演や紀行文をまとめて追悼出版したみたいな形になっています。上村さんの職業は「サンスクリット詩学」。東京大学東洋文化研究所の教授をされていました。


この本を読んで知ったのですが、上村さんの業績はなんといっても「マハーバーラタ」の日本語訳なのです。サンスクリット語の専門家なので、サンスクリットで書かれた(原点に近い)「マハーバーラタ」から直接日本語に訳していたようです。


ところで、何が興味深いかというと、サンスクリット語で書かれた古代インドの書物の専門家の本音が書いてあるということです。古代インドというと、ヒンズー教・ジャイナ教・仏教が生まれた土地です。


日本の仏教は、どうしても玄奘三蔵など中国人僧が漢訳した仏典をベースに研究が進んできたのだと思います。さらに、ヒンズー教が中国に広まらなかったこともあって、私の頭の中では、仏教は漢字で勉強するもの。ヒンズー教は仏教とは違ってインドのサンスクリットで勉強するものという印象がありました。


しかし、本来どちらもサンスクリットで書かれていて、古代インドの人々によって考え出されたものなのです。大きな違いなどあるはずないのではないかというのが私の思いです。2003年暮れにインドの南部のタミールナドに行って、現地のヒンズー寺院を見学してみて、実は日本の仏教との違和感をそれほど感じなかったというのも一つの驚きでした。といっても私は日本の仏教の専門家でもなんでもないので詳しいことは分かりませんが。一方、スリランカのコロンボに2年間暮らしてみて、スリランカに伝わった南方系の仏教(小乗仏教とよんでもいいでしょう)と日本の仏教が結構違っていることに驚いていたのです。


当り前ですが、スリランカの寺院のは「仏像(仏陀像)」しかありません。仏教が仏陀の教えですから当然といえば当然ですが。しかし、日本の寺院には様々の像が祀られています。仏陀像が多いのでしょうが、仏陀像のほかに、観音像(西国33ヶ所は有名です)とか地蔵像とか、文殊菩薩とか弁天像とかその他様々な信仰対象が祀られています。この違いは一体どこから来るのか。さらに、仏陀像の厳しさ、例えば法隆寺の釈迦三尊像や薬師寺の薬師如来に比べて、百済観音や中宮寺の弥勒菩薩がなんとやさしい表情をしていることか。
こうした違いは、単に仏像製作者の趣味によるものではなく、背景には信仰の形の違いがあるのではないかと思われるからです。


仏陀の教えが大変厳しく・難しいものであることは、仏陀の弟子に「第二の仏陀」が出現しなかったことでも明らかです。一方11面観音の慈悲は苦しんでいる人々の気分を楽にします。


例えは適切ではないかもしれませんが、仏陀の教えは「頑張れ、頑張れ」のような雰囲気があり、観音様の雰囲気は「Take it easy」みたいなところが感じられるのです。この雰囲気の違いはどこから来るのだろうかという疑問に対する一つの答えが「ヒンズー教の影響」ではないかと考えるからです。


ヒンズー教においてとても「女性」を大切にしていること。さらに、シヴァ・ビシュヌ等の神々がとても優しく、人間的な側面を持っていることと、そしてなによりインドの人々が優しいからではないかという感じがします。詳しくは分かりませんが、ヒンズー教がとても魅力的に思えてしかたありません。



2004年02月05日(木) なつかしいお誘い。

2月11日の大学時代のゼミの同期会が予定されてます。確か数年前に私が幹事になってやって以来です。この2月に山口県に住んでいる同期生のひとりが東京にでてくる用事があるということなので急遽決まったようです。


私もスリランカから帰ってきたばかりなので、色々話したいことがあって楽しみです。考えてみると、ことし2004年は卒業25年です。ほとんどの仲間にとって就職25周年に当たります。私の場合、来年が結婚25周年。つまり銀婚式です。早いものです。長男は大学で経済学を勉強していて今年は4年になります。25年も違う環境で生活してきても、少し酒が入るととたんに昔にもどれるのです。それがこうした会のいいところです。11日が楽しみです。



2004年02月03日(火) 引越し荷物

今日スリランカの運送会社から電話がきて、私の引越し荷物を積んだ船は2月9日に横浜に着く予定だということです。それから通関の手続き等を済ませて、2月19日には自宅に運ばれるらしい。あと2週間不便を我慢しなければなりません。


私の場合は単身赴任だったので、日本の家にある程度のもの(衣類・靴類)を残していくことができたので良かったものの、これが一家全員での引越しならば非常に困った事になっていました。少し反省してみました。


海外の引越しで注意すべきこと。


帰国・出国日程をできるだけ早く決める。帰国・出国日程が正確に決まらなくとも、帰国・出国が決まったら、ある程度の荷物を船便で送り出してしまうことが大切。


というのも、スリランカみたいな場所ならば、荷物を出してしまった後のホテル暮らしは、それほど高価ではないし、冬の服装も必要ない。逆に、日本でしかも冬に、荷物が届かない中のホテル暮らしは高くついてしまう。住むところが決まらなくても、差し当たり船便で任地に送ってしまう方が便利のようである。

船便で運ぶ物、飛行機便で運ぶ物、帰国・出国の際に手荷物で運ぶ物の3種類の方法と、それぞれの最大分量を把握して、荷物をこの3つの方法に上手く配分することが大切


これは引越し費用と関係するので注意が必要。スリランカの場合は、船便:一ヶ月、飛行機便:2週間、手荷物:当日という所要日数を勘案して、どのように生活するかも考え合わせて荷造りする。


また船便は、毎日就航しているとは限らないので、船の運行予定を把握する必要がある。船の運行状況を把握し上で、帰国・出国日程を決めると、輸送の日程ロスを最小限に押さえることができるでしょう。もし、もう一度引越しのチャンスがあったら、今回の反省を参考に上手に引っ越したいものです。



2004年02月01日(日) 荷物が来ない。

1月の10日ごろ出した荷物なのですがまだ日本に到着しません。すぐに使いそうなものは、航空便で送れば良かったのですが、うっかりしていて全て船便にしてしまったのです。


先週、運送会社に電話してみたところ、「2月の第一週には着く」という回答をもらってはいるのです。果たして何時ごろになることやら。会社の書類やら、計算機やら、万年筆のインクやら、胃薬やら、傘やら、向こうでは緊急には必要にならないだろうと思っていたものが、日本では無くて不便なのです。


日本国内での引越しは何回もやったのでベテランなのですが、海外の引越しはの帰国パターンは初めてなので、いろいろチョンボがありました。でも、一方では、時間などは別にして、荷物が無くならないで、壊れないで無事に着く事を心配しなくてはならないという人もいるし。どうなることやら。




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