2003年11月30日(日) |
いろいろな事が起きます。 |
事実だけ(新聞報道)を記して置きます。
先週末私の会社(SLT)の会長に対して逮捕状が出されて、警察当局は土曜・日曜と会長を探しています。会長はスリランカクリケット協会の代表も勤めています。スリランカの日曜版だけ発行する新聞では、数ヶ月前からこの会長が「闇のマフィア」と繋がりがあると毎週のように報道していました。ここにきて警察当局が始めて動き出しました。
因みに、スリランカクリケット協会代表は選挙によって選ばれ、我社の会長職は政府(最大大株主として財務省)が指名しています。
2003年11月28日(金) |
再度インドのビザ取得 |
8月に取得していたインド入国ビザが既に期限が切れているので再度取って来ました。コロンボのゴールロードあるインディアンハイコミッショナー事務所です。
ビジネスビザなら招聘状を取得すれば旅行会社が取ってくれるのですが、観光ビザは自分で取らなければまりません。半日休暇をいただき、前回同様に自分で来ました。これは我慢の記録です。
今回は全くスリランカの人と同じルールで取って来ました。前回は警備員に聞いたところ外国人は並ばなくてもいいと言うので「ズル」をして列の先頭に割り込んだのでした。今回は午前8時行って長い行列の後ろに並んで、9時半の開始を待ちました。1時間30分以上も交通量の多いゴールロードに沿った歩道に並んでいるのは非常に苦痛でした。でも周りの人は皆我慢していました。
事務所の玄関では、空港並みに持ち物検査が行われます。携帯電話やその他の持ち物(財布以外)はすべて取り上げられて玄関で保管されます。その後金属検知機をくぐって内部に入ります。ビザ発給の部屋には3つくらいの窓口があって、そこで最初に支払いを済ませます。
持参するのは、申請書、パスポートの写し、スリランカ滞在ビザ、写真二枚です。今回3ヶ月の複数ビザをとったので750ルピーかかりました。
この窓口で結構運命が分かれます。それは自分より前に並んでいる人が、どれくらいの量のビザを申請するのかということです。つまり、ひとりで家族全員の何人分ものビザ申請するのか、自分ひとり分なのかで大きく時間が違うのです。また係員がてきぱきと捌いているのも問題になります。私の直前のスリランカ人が家族5人分申請したので大分時間がかかりました。
料金の支払いを済ませて、領収書を持って別の部屋にいき申請手続きを済ませます。ここでもいくつかの窓口が開いていて、待つことになります。ここでは領収書の振られた番号を電光掲示板に表示するので、列に並んで待つ必要はありません。ここでは椅子に座って順番待ち。この申請が終了すると午後4時30分以降の同じ場所で交付されることになります。
この申請は11時30分に終わりました。全部で3時間30分。こんなものかなと思いました。私は退屈したけれど、スリランカの人達は気持ちはすでにインドに行っていて、「旅」に期待を膨らませている感じです。
仕事を中断して、午後5時にできたビザを取って来ました。当たり前なのですが、間違いなくできていたので感動してしまいました。さてこれをどう使うかこれから思案します。
2003年11月27日(木) |
いつ始まる和平交渉? |
和平交渉が一向に開始されません。これまでの経緯を少し振り返って見ます。
11月1日 LTTE(反政府組織)の暫定統治案が公表されて、各方面がこの案をベースの和平交渉が開催されるだろうとの楽観的な見方を表明。政府も基本的に前向きで、いよいよ本格的な和平交渉がはじまるという期待感が広まった。
11月4日 首相がアメリカでブッシュ大統領と会談しているさなか、クマラトゥンガ大統領が陸軍、内務、マスコミの三大臣を解任するとともに、国会を中断して政府の和平に向けた動きを牽制。
11月19日 国会が再開され2004年の予算が提案される。この間、大統領と首相とは何度か会談をもったものの、事態打開に向けた動きはなし。大統領は、大統領の指導の基に国民連合政権樹立を提案。これに対して政府は冷ややかな対応。
今日の新聞記事でLTTE指導者「プラバカラン」は「もし和平に向けた動きが頓挫することがあるとすれば、それはスリランカ政府内の内輪揉めのせいだ」と批判。残念ながらその通り。
和平交渉の進まない停戦状態は、お互いに戦争の準備をする期間に等しいのです。ちょうどNHK宮本武蔵で「大阪の冬・夏の陣」が進行中ですが、スリランカの状況はまったく同じ状況。LTTEは少年兵の徴兵をどんどん進めているようだし、政府軍がタミール人の「心の故郷」ともいうべきジャフナの占領体制を強化するために兵隊の増強を行いました。いったいこの国はどうなるのかしら。
スリランカのイスラム関係者は、11月24日の夜に新月が観測されたと発表しました。つまり、10月27日に始まった「ラマダン」月が終了したのです。そして今日は「ラマダン終了」を祝う「Eid Ul Fiti」の日なのです。イスラム教徒の方は今日休みを取って一日中お祝いをしているみたい。
実は朝から外が煩いのでなんだろうと思っていたのです。多分コーランを唱える歌を大きなスピーカーで流しているのです。30階にある部屋で煩いのですからすごい音量なのです。一ヶ月の「断食」の月が終わったのですから良しとしましょう。それに一年に一度だけだし。スリランカ仏教のポヤデー(満月)は毎月あって、その度に大音量のお経を聞かされますから。
(追記) 夜10時ごろ家に帰るためにコロンボの町を通り抜けたのですが、海に面したゴールフェイス緑地(コロンボで有名な海浜公園)は凄い人出でした。宿舎近くの道にも多くの人が散歩していました。宿舎付近にはモスクが二つあり、イスラム教徒の方が多く住んでいるのです。一箇月の断食は結構きつかったみたいです。
2003年11月23日(日) |
クリスマスコンサートで演奏する曲目 |
今日のリハーサルで初めて分かったのですが、SOSクリスマスコンサートは二回やりようです。12月12日・13日。13日はファミリーコンサートと銘うっています。一部はダブルもののこの2日間で違う曲をやるみたいです。すこし欲張りです。従って練習している曲がやたら多い。譜面が配られたのは以下のとおり。
1.ロッシーニ作曲「歌劇ウイリアムテル」序曲
2.ベートーベン作曲「合唱幻想曲」(ピアノ+合唱)
3.モーツアルト作曲「Exsultate, Jubilate」終曲のみ。(ソプラノ)
4.ヘンデル作曲「メサイア」より最初の3曲。(テノール独唱)
5.グノー作曲「Jewl Song」より14番アリア
6.メル・トーメ作曲「クリスマスソング(暖炉で栗を焼きながら?)」
7.クリスマスララバイ
8.アドルフェ・アダム作曲「ホーリナイト」
9.カタラーニ作曲「オペラ・ワリーから、さよならふるさとの家よ」
10.ドボルザーク作曲「オペラ・ルサルカから、月に寄せる歌」
11.クリスマス曲集(アーサーハリス編曲)(有名な7曲のメドレー)
12.オルフ作曲「カルミナブラーナ」から。
チェロでいうと「クリスマス曲集」が難しいのです。でも金管楽器の大音響に隠れてしまいそうなので少し安心。練習していて面白いのは、ヘンデル、ロッシーニ、モーツアルトです。
色々なことがあるので簡単に記録しておきます。まず、ラグビーワールドカップの決勝戦をテレビで見ました。決勝はオーストラリア対イングランド。同点延長の大接戦の末イングランドが優勝しました。決勝までに面白い試合を全部ではないですが見ました。イングランド対フランス。オーストラリア対ニュージーランド等。今回の会場はシドニーなのでオーストラリアは相当期待されていました。
丁度木曜日にオーストラリアからのお客様とお会いしたとき、必ず優勝するといっていました。彼らにはちょっと残念でした。試合はイングランドの執念が勝った感じです。絶えず攻め続けていました。それにしても一流の試合は反則が少ないので面白いです。日本のラグビーの試合は、反則だらけで試合が中断して面白くありませんでした。(昔は)
トルコのイスタンブール、そしてイラクでテロが続発しています。アルカイーッダそしてフセイン残存勢力がここに来て非常に過激な行動に出ています。アメリカのイラク戦争の犠牲者は増える一方です。私はテロを肯定するき気はありませんが「テロを根絶する」というより「テロの原因を取り除く」という努力が必要なのだろうと思います。アメリカの「テロを根絶する」行為がテロリストを本当に減少させているのか疑問だからです。
今日の日本は大分寒かったようですが、スリランカのコロンボはそろそろ「乾季」に入るころです。今日会社の警備担当の人たちの懇親会がコロンボ南部のカルタラというところの海浜ホテルで開催され、招待されたので行ってきました。海浜ホテルは砂浜の沿って作られており、海でもプールでも泳げるようになっています。多くの観光客がデッキチェアに横になって日光浴を楽しんでいました。もちろんカンカン照りで泳ぎには絶好の天候でした。
今日のSOSのリハーサルは、クリスマスコンサートに向けて「ウイリアムテル序曲」とベートーベン合唱幻想曲でした。
ウイリアムテル序曲は短いですが大変難しい曲です。昔フジテレビの「俺たちひょうきん族」のオープニングテーマで毎週流されていて、1stバイオリンの見事な演奏に関心したものでした。さいたまの家にあるCDはカラヤン・ベルリンフィルのものですが、すばらしさは「ひょうきん族」の方が上でした。
今日コンサートマスターの「アーナンダ」さんが引っ張っていたので「さま」になってきました。課題は「木管」。おいしいソロがたくさんあるのに、今一つ安定感がありません。最初の5人のチェロソロはまだ本格的にさわっていません。今回の指揮者のアジットさん(クラリネット担当)は、師匠デュッシーに任せているみたいです。
後半で弦楽器で合奏する「騎馬隊のテーマ」(だろうと思います)はとてもかっこいいところです。バイオリンの人達は鳴り易い弦なのでとても気持ちよさそうです。しかし今日急にボーイングが変更されて対応できませんでした。
後半は合奏幻想曲。途中からピアノを入れて練習しました。これに合唱が加わるのですが、せまいレディスカレッジの舞台に全員乗るのかしら。アジットさんに大丈夫か聞いたのですが「わからない」と言っていました。中途半端な規模の合唱ではバランスがとれないでしょうから。
この曲は交響曲第9の下敷きになった曲です。曲の構成とか和音とか楽器の組み合わせは結構第9ににています。ピアノが難しい部分を引き受けているので、オーケストラは楽なのです。ベートーベンはひょっとして「あまりうまくないオーケストラ」用にピアノ伴奏付の迫力ある曲をプレゼントしたのかもしれません。合唱が入ってどうなるのか楽しみです。
ピアノは前回コンサートとコンミスを勤めたラーマヤさんです。彼女のピアノは客席で何回も聞いています。安定したテクニックと綺麗な音をもつスリランカを代表するピアニストのひとりです。今日ステージの上のごく近いところで聞きましたが、近くで聞いてもいい音がしています。合唱幻想曲のチェロパートはそれほど大変ではないので、本番はしっかりピアノを聞こうと思っています。
2003年11月18日(火) |
IBM機のOS入れ直し |
職場のIBM機(シンクパッドT21)がずっと調子が悪かったので、思い切ってOS(Win98)のリカバーをしました。
これまでモデムが消えたり、会社のLANが繋がらなくなったりして、何度も会社のLAN担当の人に相談していました。その度にこちらの人には日本語表記が分からないので最終的な原因究明には至らず、結局だまし・だまし使ってきたのでした。
コロンボのIBMの人はとても親切に教えてくれましたが、結局OSを入れ直すところまでは行きませんでした。今回はパソコンに大量の「蟻」が進入したので物理的に危ないと思い「殺虫処理」(といって蟻退治ですが)をし、さらに月曜日にLANが通じなくなってしまったので、遂に決心したものです。
月曜日の夜パソコンを家に持ち帰り、外せる蓋は外して「蟻」の残した「ごみ」をできるだけきれいにしました。そしてファイルの整理もしました。そして、今日18日の同僚(日本人)から外付けハードディスクを借りて、ファイルを退避させ、OSを入れ直しました。OS入れ直しは非常に順調でした。直ぐにLANにつながり、モデムとLANアダプターソフトに問題があったみたいです。ソフトウエアは非常に安定してます。
今回、時間を食ってしまったのは保管して置いた「メール文書」の新システムへのリロードです。友人のハードディスクは長時間借りていては申し訳ないと、一旦旦CDRAMに落としてから、パソコンにリロードしようとしたのですが、これがうまくいかない。フォルダの中の文書をよく見てみると、読み取り専用になっていました。これで3時間くらいロスしました。その他は至って順調。非常に気分がいいです。
2003年11月16日(日) |
SOSクリスマスコンサートリハーサル |
今日はSOSのクリスマスコンサートのリハーサルがありました。今回は短い曲を並べたプログラムなので、正直言ってあまり出席率がよくありません。今日はチェロは二人だけでした。こういう練習はきついです。(管楽器ならもうすこし自信があるのですが)
ところで、セカンドヴァイオリントップに、前回サンサーンスのピアノコンチェルトを弾いたメナーカさんが座っていました。初見の曲をバリバリ弾いていました。すごいです。今回クリスマスコンサートなので歌曲が多いのですが、グノーの「Jewl Song」の練習になったとたん彼女はバイオリンを置いてステージの前の方に出てきました。
そしてオーケストラの練習のために歌ってくれたのです。彼女が歌を歌うことになっているのかどうか知りませんが。ソプラノの声がとても素晴らしいものです。それもレチタティーボも含めて暗譜で歌ってしまいました。
スリランカの音楽家の人たちは非常に器用で、ピアノ・声楽・弦楽器をかなりの程度で演奏してしまいます。前回のチャイコフスキーの交響曲五番の第一バイオリン主席はピアニストのラーマヤさんだったのです。
でもこれって才能が一部の人に集中しすぎなのかなと考えました。でも本当は「お金」が一部の人たちに集中しているというのが本当なのでしょう。この状態が少しずつ変わっていく必要があると思いました。
2003年11月15日(土) |
去年と同じような日記 |
確か去年も今頃おなじようなことを書いた記憶があるのですが、この季節、日本のクラッシック音楽事情はすごいことになっています。
まず、キーロフ歌劇場+ゲルギエフのオペラ。チャイコフスキーの「エウゲニ・オネーギン」。プロコフィエフのの「戦争と平和」。これだけの大作を聞けるのは本当に珍しいでしょう。男性・女性の歌手についても現在世界最高といえるのではないかしら。
そしてウィーンフィル+ティーレマン。サバリッシュが急病で来れなかったそうです。毎年のように来ているウィーンフィルですがやはり本場の実力は凄いです。最近のゲルギエフとの一連の録音は非常に燃えた音楽になっています。サバリッシュが来れずにティーレマンが全部振るそうですが「ゲルギエフ」が急遽代役なんてことにはならなかった。
来年のウイーンフィル日本公演は「ゲルギエフ」で思いっきりロシア音楽みたいです。チャイコフスキー、ムソルグスキーをやるみたいです。これはぜひ日本で聞きたい組み合わせです。それとピアニストのウゴルスキが来日中のようです。彼の「展覧会の絵」のビデオはこちらで何回も見ました。凄い音なのです。
自分で演奏するのも感動しますが、やはりとんでもない天才の名人芸を聞くこととは雲泥の差があります。「凄い演奏会禁断症状」がでています。でも明日もクリスマスコンサートの練習。
昨日、大統領の「反乱」以来始めての「首相−大統領」の会談が行われました。でも事態収束への明確な合意は得られなかったみたいです。
首相側からすると、国会を早期に開会すること、大統領が罷免した3人の大臣を復権させること、和平交渉を首相主導ですすめること、等が条件です。
大統領をこれらの条件を受け入れることができないでいます。というのも、国会を解散し、選挙に打って出て勝利を収めるには、選挙を取り締まる警察を管轄する内務大臣、情報を統括するマスコミを管理するマスコミ大臣のポストは不可欠だかです。選挙が公正に行われるなんて誰も信じていません。もちろん大統領が一番わかっているのです。
一方、これは「うわさ」ですが、大統領側が反対勢力の国会議員を「金」で獲得しようとした企みは失敗しているみたいです。これから数日間、表面上は「大統領−首相」の妥協を探る会合が続く一方、水面下では、選挙対策として「金」による多数派工作が激しくなるのでしょう。
いろいろ話題があるのでそれぞれ少しづつ書いておきます。「浦和レッズ」が強い。
浦和レッズは「ナビスコカップ」で優勝したあと、今Jリーグでもトップを走っています。浦和のサッカー場は実家からは遠いけれど一応地元チーム。政令指定都市になったことを記念して優勝して欲しい。むかしは福田とか小野がいたけれど今は田中選手がいいですね。実は昨日NHKで中継していました。因みに車も三菱のギャランです。私が乗らないのでバッテリーは大丈夫かな?
「総選挙。与党三党安定多数」 こちらのNHK放送も選挙一色。日本語放送は他にチャンネルがないので選挙結果を見るしかありません。随分世代交代が進みました。地元埼玉県は民主党議員が増えましたね。群馬・栃木・茨城とは雲泥の差です。道路が良くない理由はこの辺にあるのでしょうね。群馬・栃木を抜ける国道51号線なんか凄いです。全体に二世・三世議員が多いのも特徴ですね。
社民党、共産党の凋落は目を覆うばかり。とっくの昔にイデオロギーから政策論争になっているのに古い事ばかり言っていると置いていかれるということです。とはいうものの、次はアメリカやドイツのように右翼が出てくるかもしれません。
「民族紛争解決前のスリランカの政争」 LTTE(反政府組織)は、政府がこんな状態で困っていることでしょう。和平交渉が始まる前に枠組みが壊れてしまっては元も子もない。「本当の問題は何なのか」しっかり押さえるべきです。内戦停戦から2年が経とうとしています。コロンボの経済は順調でCSE(コロンボ証券取引所)の株価指数はうなぎのぼり。
でも「平和ボケ」になっていませんか。LTTE支配地域の復興の現状、政府側チェックポイントの厳しさ、鉄条網を張り巡らされた「地雷原」、政府軍に占領されたままのジャフナ市街地。コロンボとの落差が大きすぎます。
「シンフォニーオーケストラ練習開始」 今日からクリスマスコンサートに向けた練習の開始。コンサートは12月12日。今日パート譜が配られ初見での練習となりました。今回は小品集で「ウイリアムテル序曲」がオーケストラとしては少し重いです。この曲チェロが大活躍するのです。ドュッシー師匠と弟子達の腕の見せ所。
練習しながら考えたのですが、メンバーにクリスチャンは何人いるのかしら。スリランカは圧倒的に仏教徒が多いはず。それもそうとう敬虔な仏教徒。いいのかしら。それとクリスマスといっても気温は30度。「雪」と「寒さ」が懐かしいです。
昨日のウィクレメシンヘ首相の帰国パレードは大変だったようです。朝8時にカトナヤケの空港に着いた後に、空港で短い演説をし、それからコロンボに出発しました。空港からコロンボ市内までは30Km弱で車で順調に走れば1時間でつく距離なのです。ところが昼になってもコロンボに着かない。夜になってもコロンボに着かないのです。
沿道の所々で支持者が推し掛け車を取り囲んでしまうので、車はノロノロでしか走れなかったようです。結局夜遅くなってコロンボに着いたようです。
でもこの首相歓迎のムードは、完全に首相優位の印象を与えたみたいです。大統領派(PA、JVP、SLMC)の発言はだんだん元気がなくなってきています。
今日は11月の満月(ポヤ)で休日。土曜・日曜の2日間に水面下でどんな調整がなされるのか見物です。大統領の反乱が尻すぼみで終わってしまえば、大統領の発言力大幅低下は間違いありません。週明けに、具体的には「一次閉会された」国会の再開が焦点になります。
今朝8時にスリランカのウィクレメシンゲ首相がスリランカに戻ってきました。空港に降り立ち宗教儀式を済ませた後、短い演説を行いました。内容は大きく分けて4つでした。
1.アメリカの大統領・議会はスリランカ政府の和平プロセス推進に完全な支持を表明している。
2.スリランカ国会は国民の付託に基づく唯一の和平プロセス推進の機間であり、速やかに活動を開始しなければならない。
3.国会の付託に基づき自分は今後とも和平推進に邁進する。
4.公民の賃金については今年、そして将来についても十分検討していく。
四番目はその他とはかけ離れた感じですが、大統領周辺が政府職員の賃上げを約束し勢力を伸ばす恐れがあったためです。さて、今日7日の新聞ですが「大統領サイドの言い訳的な記事」が出始めました。曰く、「大統領の今回の措置は、UNP国会議員からの大統領弾劾の動きを阻止しようととしたもので、UNP党の冒険主義的な行動のせいだ」というもの。でもそうした動きとか、取り巻きの助言に動かされてしまう大統領は問題が多いのも確か。UNP議員の寝返りもなさそうです。
首相と大統領とは事を荒立てずに事態を収拾するでしょう。ここで首相が上手く大統領に恩を売っておけば、和平プロセスは順調に進むのではないでしょうか。
クマラトゥンガ大統領はスリランカ全土の緊急事態宣言を発令しました。日本のニュースでは大きく取り上げられていましたが、こちらコロンボでは普段と変わっていません。大統領府のあるフォート地区西側の警備が厳しくなったり、放送局、新聞社の警備員が増えたくらい。
でも最前線での警備は厳しくなっているのでしょう。ジャフナ地区で漁船のチェックが大変厳しくなったという報道がありました。政府軍はジャフナ地域へのLTTEの武器持ち込みを警戒しています。漁民にとっては迷惑な話です。
昨日の夕方、内務・国防、メディアの大臣とSecretaryの解任に加えて、財務省のSecretaryが解任されました。
私が働いている通信会社(SLT)は政府が49.5%の株式を保有しているでのすが、株主として権限は「財務省」が握っていたのです。そこの実質的なトップが交代されたことで我社にも今回の騒動の影響が及ぶ可能性がでてきました。
ところで今回のクマトゥンガ大統領の突然の行動なのですが、これまでの「和平ぶちこわし」のパターンに全くそっくりです。これまでも時の政府がLTTEと停戦交渉を何度か始めたことがありました。まずどちらかというとリベラルなシンハラ政権がLTTEとこ交渉の糸口を作って、停戦にこぎ着け、本格的な和平交渉に入ろうとするのです。ところがそこに極右的シンハラ勢力が口を挟むのです。そうしたそうしたグループの言いぐさは、「弱腰だ」とか「国に分割に繋がる」「彼等(LTTE)は信用できない」というものです。
その結果途中まで進んでいた和平交渉はつぶされ、内戦状態に戻ってしまうのです。ただ、この「ぶち壊し」も基本的には「国民の追認」が得られてきたのでした。それは貧困の問題とか経済停滞などが、この民族問題と複雑に絡みあってしまうのです。右派グループは内政の失敗と民族問題をごちゃごちゃにして時の政権を攻撃します。政治的なスキャンダルと民族問題を絡めて攻撃するのです。国民はその度に難しい選択を迫られてきました。
しかし、今回はウィクレメシンゲ首相率いる現政府に目立った失敗はありません。大統領が本格的に首相を攻撃するためには他の材料必要なのです。ただ、今回のように和平を邪魔した結果、内戦が再開し、LTTE側がテロでも仕掛けると、右派グループは「自分達の見解が正しかった、LTTEは信用できないテロ集団だ、そういう集団との交渉は我々が主張したように慎重に進めるべきだ」と言い張るのです。
あす7日の朝に、ウィクレメシンゲ首相が訪米から帰国します。新聞報道によると多くの首相を支持する人達が空港まで首相を出迎えにいくのだそうです。首相がどのように事態を収束させるか。明日は非常に重要な1日になりそうです。
昨晩考えたのですが、「クマラトゥンガ大統領は選挙で勝つ自信がないうちは、無理に政権争いを起こさないだろう」ということです。
今のところ、ウィクレメシンゲ首相率いる「UNP」政権は、和平に向けて大きく前進していて国民の信頼を厚いと思います。これといった失敗はないのです。むしろ大統領派(PA政党)に気を使いすぎで和平が遅れているというというのが現状です。
なのに、なぜ大統領は危険な「賭け」にでたのか。今日の新聞で少し見えてきた気がします。11名のUNP国会議員が大統領派(PA)に寝返る可能性が出てきたというのです。
実は前回の国会解散・総選挙は、大統領派のPA政党から「7名」の国会議員が現首相側(UNP政党)に寝返ったため、国会で多数が維持できなくなって大統領が総選挙に打って出たという因縁があるのです。総選挙ではUNPが勝利し、この「7名」はUNP新政権内で枢要な地位(大臣)を与えられました。
さて、今回はどういうメンバーが寝返るのか。前回UNPに寝返った人が再び寝返るのか、それともUNPの他のメンバーが寝返るのか。私が見る限り、現UNP政権は「寝返った人達」を優遇し過ぎてる感じがします。UNP古参議員に不満があったのではないかと見ています。
しかし何れにしろ、こうした政争が純粋に政策の争いではなく、「金」の問題が絡んでいて、さらに大統領・首相の個人的な名誉を競い合う争いが原因のように思えます。スリランカ援助国の支援金は4000億円と巨額ですし、20年以上の内戦を終結できれば「ノーベル平和賞間違いなし」といえるからです。この国の難しさを痛感しています。
本日午後(スリランカ時間午後2時30分)に以下のニュースが流れました。クマラトゥンガ大統領は、内務大臣(警察を所管)・通信大臣(通信、放送等を所管)・国防大臣の三大臣を解任。
閣僚の任免権限は大統領にあります。これら閣僚は議会で多数を占めるUNP政府によって指名されているので、多数を占めるUNP側の反発が予想されます。この反発が強まると、大統領は最後の手段として「国会の解散権」を行使し兼ねません。スリランカの政治情勢はLTTEとの交渉再開に向け大きな試練を迎えています。
(続報) コロンボのインターネットの情報は以下のとおり。
大統領はこの三閣僚(内務・通信・国防)とその省の長官を解任し、長官には新たな人物が発令された。閣僚の権限は大統領がそのまま引き継いでいる。国会は11月19日まで休会となった。軍関係者は、不測の事態に備え、スリランカ陸軍が主要な放送局、通信会社、発電所などの警戒を強めた模様。
これらの大統領派の動きに対して、注目すべきはアメリカに居る首相と、LTTEサイドの反応です。この大人気ない大統領の行動に過剰に反応しないで欲しいと思います。昨日の日記にも書きましたが、JVP(マルキスト)、SLMC(イスラム)が大統領といっしょになって事を荒立てているだけだと思います。シンハラ人の多くは首相の雪ある決断に賛成するでしょう。
大統領が事を荒立て、シンハラ人内の反対勢力の力を示して、LTTEとの交渉を有利に進めようと考えているとしたら、非常に愚かなことだと思います。そのような企みの結果、これまでも内戦終結のチャンスを潰してきているのです。
2003年11月03日(月) |
LTTE提案への反応 |
LTTEの暫定統治案(Interim Administration)に対する各方面の反応が新聞を賑わしています。
まず、大統領サイド(PA政党)は受け入れ拒否の姿勢を崩していません。10月24日のタミール人の新年のお祝いの日には、大規模な集会開催をぶつけて、タミール人、良心的なシンハラ人達の反感を買いました。大統領は軍の支持系統にも影響力があり、和平に向けた動きを牽制しようとしています。
JVP(マルキスト)は何時もながら理解不能の動きで、LTTEの暫定統治案に絶対反対の姿勢を示しています。かれらは資本家の抑圧に苦しむ人民を解放することをスローガンにしていたのではないのかしら。今彼等は国の分割に繋がるような暫定統治案は許せないと全く「右翼的」発言」を繰り返しています。PA(大統領派)も彼等と共闘しようとしています。
さらにSLMC(イスラム政党)もLTTE暫定統治案に反対しています。彼等はイスラム教徒の利益を代表しているのですが、イスラム教徒にはシンハラ民族とタミール民族がいます。「民族の話」と「宗教の話」がごちゃごちゃしています。インドではヒンドゥーとイスラムは上手くやっているというのに。
政府(UNP政党)は公式な見解を出していませんが、政府案とLTTE案には大きな隔たりがあることを認めています。今、アメリカ訪問中の首相がブッシュ大統領と何を話してくるのか。帰国後の首相の発言が注目されます。
今日日曜は、昨日までのコンサート(練習・本番)の疲れが残っていていたので、宿舎でのんびりしました。午前中に少し泳いで、昼ご飯にビール小瓶を飲み、昨日の反省のためにチャイコフスキーの交響曲第5番(ゲルギエフ・ウイーンフィル)をききました。三楽章あたりから少しウトウトしてしまいました。
シンフォニーなどの大編成の曲だと、音楽を実際に演奏するのと、聴衆として聞くのとでは全く状況が異なります。正直言って聴衆として聞くほうが音楽全体を捉えられて感動も大きいみたい。演奏していると自分のパートことで精一杯になってしまって全体の音楽を聞く余裕がないのです。
それではいけないと、自分のテクニックでは着いていけないところは、キチンとあきらめて、無理をせずに音楽を聞こうと試みるのですがつい無理をしてしまったり、自分のパートばかりに集中してしまうのです。
例えば、ニ楽章の冒頭では、ホルンの素晴らしいソロを聞かずに、弦楽器の和音ばかり集中して演奏し・聞いていました。実際のここの弦楽器の和音は素晴らしいのですが、ホルンソロが耳に入らないのも困ったものです。弦楽器にそれだけ魅力的な役割が与えられているのですが。特にチョロはそういう役割が多く自分達のパートに没入しがちです。たとえそれが対旋律・裏方であっても・・・。
さて本題。またDr.セーバラトネさんに誘われ氏の家で夕食を頂きました。夕食が始まる前に、同じマンションに住むマレーシア人のフェルナンデスさんがいらっしゃり、ひとしきり会話の花が咲きました。彼はスリランカ人と間違えられてホテルなどで「嫌な思い」を何度も経験しているそうで、そういう類の話で盛り上がりました。フェルナンデスさんは別の夕食会があって食事が始まる前に出ていかれました。
しばらくして、フェルナンデスとの会話にメインゲストのスリヤクマラン教授夫妻が合流されました。スリヤクマラン教授は「Kilali Crossing」の作者なのです。この本はスリランカの内戦の悲惨さと、北部のジャフナの豊かな自然と素晴らしい人々を紹介したものです。Dr.セーバラトネからこの本を頂き、一気に読んでしまいました。今夜Dr.セーバラトネが作者のスリヤクマラン教授を私達(私とIMAIさん)に紹介してれたのです。
スリヤクマラン教授は、長く国連に勤めたあとロンドン大学で経済学の教授をされていて、ハーバードとか他の大学でも教えたことがあるのです。もうすぐ82歳だそうですが、肺の病気をされて呼吸が苦しそうなところを除けば、非常に若々しい方です。Dr.セーバラトナムが国際赤十字で働いていたり、スリヤクマラン教授が国連・ロンドンで働いていたというのは、非常に優秀であっても「タミール人」というだけでスリランカでは職を見つけることが困難であったり、非常に不当な扱いを受けるのです。
いすれにしろ、二人のタミール人知識人との夕食・会話は非常に楽しく有意義なものでした。私はコンピュータを持参して先月のジャフナ旅行の写真をお見せしました。IMAIさんと私は教授から「Kilali Crossing」を日本語に翻訳することについての許可を頂きました。まともな日本語の本になるかどうかは不安ですが、なんとか訳してみようかと思っています。秘書のス−パさんのタイ料理がとても美味しくて話がはずんだということもありました。ご馳走様でした。
SOSのコンサートが盛況の中に終了しました。この日夕方から雲行きがあやしくなり土砂降りになりました。幸いコンサートが始まる頃には小降りになったで良かったです。ほぼ満員のお客様に来ていただきました。
プログラムは最初に「スリランカ国歌」「チャイコフスキー交響曲第五番」そして休憩の後に、「サンサーンスのピアノ協奏曲第二番」そして「ホルスト惑星から火星」というプログラム。いきなりメインの曲でしたが、結果的にはこの順番は大成功みたいでした。火星の後に「メイン」を持ってくると金管軍は疲れているし、弦楽器は集中力を欠くおそれがありました。
スリランカ国歌は前回の演奏会では初見で演奏したのでした。今回はしっかりサラっていったので間違えずに弾けました。この編曲は非常にシャレているのです。ともすると非常に単調で退屈になってしまいがちですが、ハーモニーに味付けがなされていいて格好よくできているのです。
チャイコフスキーですが、練習時間の8割以上を費やして仕上げました。弦楽器軍はかなりのレベルまで行ったと思います。コンサートマスター(デバレさん)が指揮に回ったので、1stバイオリンはどうなるかと内心心配だったのですが、デバレさんの弟子達が大いに頑張りました。主席の「ラーマヤ」さんは始終冷静な演奏で安定していました。
しかし課題は木管軍。ファゴットは一人しかいなくて、二番はバスクラ対応だったし、フルート・オーボエ・クラリネットは安定度が今一歩。チャイコフスキーでは、旋律の美しさに加え、和音の変化・音色の変化が大切な要素なのすが、旨くつながらないところがあって少し残念な結果でした。
金管軍は日本人エキストラ、トロンボーンの「MUSHIAKE」さんの参加もあって、本番ではしっかり音が出ていました。ガンガンなっていました。チャイコフスキーはよく「fff」を指示していますが、それがよく分かる演奏だったと思います。
一楽章・四楽章は迫力で押せるのですが、ニ楽章・三楽章は少し難しかったです。木管の早いパッセージの受け渡しのところではかなりコケていました。弦楽器がどのように聞こえていたのか興味があります。
さて「サンサーンス」が「冷や汗もの」でした。この曲はピアノソロの部分が多くてオーケストラにとっては楽な曲なのですが、ソリストは気が抜けません。一楽章でソリストがソロパッセージを間違えてしまい、オーケストラの入りまでの間どうなるかと思いました。ソリストが何とか切り抜けオーケストラが入ることができました。ソリストは暗譜で弾いているので、一つの間違いでパニックになりかねないのですが、さすが乗り切りました。その後は以前にまして快調でした。ソリストは「メナーカ・デ・フォンセカ・サハバンドゥ」さん。SOSメンバーでもあります。
最後は迫力満点の「火星」でした。金管軍の追加(ユーホニューム)の他にピアノ・オルガン・ドラなどが加わり大編成になりました。長い曲ではないので金管軍は100%エネルギーを出し切れます。因みの今日の演奏がスリランカにおける「初演」だそうです。
客席はほぼ満員。演奏の後、これまでになく拍手が長く続きました。演奏者の必死な姿が少しは客席に通じたかもしれません。今日始めてSOSを聞いた人も多くいたともいます。音楽ファンが少しでも増えてくれるといいなと思いました。「MUSHIAKE」さんのお友達の日本人の方が多く聞きに来てくれました。
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