KENの日記
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2003年12月31日(水) 2003年大晦日

きょうは大晦日。私のスリランカテレコムとの出向契約は今日で終了し、来年早々帰国することになりました。引越しやら、仕事の整理やらで1月は10日間程度コロンボで過ごす予定です。したがって大晦日・新年を連続3回コロンボで過ごすことになります。


さて、引越しとなると結構やらなければならないことが多い。私の頭の整理のために下記に記しておきます。


1.引越業者手配(済み)
3日9時30分(土曜日)梱包開始。貴重品(チェロの梱包注意)。1月7日か8日に税関申請(パスポート)を提出。パスポートは3日位預ける予定。引越し荷物の一覧表を作成。保険付与のため。引越し荷物積み出し後に一週間くらい生活するので、その間必要な物を適量区別して分けておく。


2.残りの荷物の処分
日本に持ってかえっても使い得ない電化製品、こっちでそろえた食器、余った食材などを処分する。(最終日)


3.預金口座の処理
こちらのルピー口座の残高の引き出し、処理。ドル預金残高の日本への送金。今「円」が高いのでドルのまま送っておくのが得のようです。日本のドル口座の確認。送金処理。


4.帰りの飛行機手配
5日に妻を呼んでいるので、いっしょに帰国予定。一応1月11日のUL460を押さえようと思っています。


5.メード(シータさん)再就職先の確保
日本人会の掲示板に求職情報は掲示ずみ。今のところ二人の日本人から照会が来ている。これは新年になって最終的に決定。


6.各種支払いの処理
電話料金(固定、モバイル)、電気料金、クリーニング代、など一連の支払い処理を済ませる。


7.お別れ会
銀行関係、SLT関係、宿舎隣組関連、オーケストラ関連。


8.土産の購入。


この引越し作業とは別に会社のオフィスの整理もしなければなりません。


(追記)
今、こちらの時間の大晦日の11時20分。これから朝まで騒々しい時間が続きます。というのも私の宿舎はホテル兼用になっていて、3階のプールサイドでは「朝まで新年パーティ」。上の階ではホテルの一室を借り切ってのパーティが始まるでしょう。去年も書いたかもしれないけれど、除夜の鐘を聞きながら、静かな新年を迎えるなんて全く無理。日本は既に新年です。あけましておめでとうございます。



2003年12月29日(月) テレビ番組のこと。

昨日、スリランカに帰国して、久しぶりにNHK日本語放送を見ていると、やたらに来年の大河ドラマ「新撰組」の宣伝をしていました。香取真吾が主役だそうです。宣伝文句によると、青春賛歌、立志伝のように賛美していると思えるのですが、私には新撰組はどうしても「血なまぐさい殺し屋集団」としか思えません。


確かに「勝てば官軍」の言葉どおり、明治維新は官軍側の論理で書かれた物語が多く、幕府側の論理もあっていいです。徳川慶喜、勝海舟などはきちんと評価されています。そういうことを差し引いても、どうすれば新撰組が「英雄」足りえるのか分かりません。彼らがやったことはまさしく「テロ」です。


勝海舟、佐久間象山(実は故郷信州の松代が輩出した傑物・奇人)と新撰組をいっしょにして欲しくないですね。将来の希望を失った、暴力好きな凶暴な若者達が見事に、更正するのではなく、暴力によって生きて行く活路を見出し殺戮を続けていく。時には仲間うちで殺し合う(鴨の例)。例えていうと浅間山荘の連合赤軍のような存在であった彼等。


しかも、坂本竜馬などの有意の人物を抹殺し、後の長州・薩摩独裁の明治政府樹立に間接的に貢献してしまった彼等。色々な時代の見方があるのはいいですが、暴力を肯定するような話では困ります。まあ気鋭の脚本家がどのようなドラマに仕立てるのか、興味はあります。


(もうひとつ)
今日の夜、NHK海外放送を見ていたら、8時から「年末のN響の第9」を放送し始めました。12月23日の録画です。随分昔(30年以上前の中学生・高校生時代)にはよく聴いたものでした。当時は31日の夜、紅白の裏でFM放送で流していました。退屈な3楽章を我慢して終楽章を聞き終わると本当に1年が終わったという感じになったものでした。


今回は、本当に久しぶりにN響をじっくり聞くチャンスだと思い、一楽章から気合を入れて聞き始めました。ところが3楽章が始まると、テレビの調子が悪くなり(全てのチャンネルがダメなので宿舎の装置の故障です)中断。結局そこまでしか見れませんでした。ついていません。


でも一・二楽章だけ聞いても、やはりN響から感動は得られないことを確認できました。いつでも一定水準の演奏ができることはプロとしては最低の条件です。その上で何を伝えてくれるのかが問題。N響はすばらしい職人集団ではありますが・・・。来年来日する予定の、ウィーンフィル、ゲルギエフは日本で聞きたいと思います。



2003年12月28日(日) コロンボに帰ってきました。

一週間インドのタミール・ナド州を旅行してきました。旅行の全体像については改めて写真なども交えながら書くとして、新鮮な感想を書いておきます。


多分、インド・パキスタンも同じでしょうが、インド・スリランカは本当に近くて遠い国なのです。インド亜大陸でも特にスリランカの対岸のタミールナド州はタミール人にとっては故郷、従ってシンハラ人にとってはあまり近づきたくない場所なのです。


タミールナド州は殆どの住民がタミール人で人口6000万人。中心都市チェンナイは人口600万の大都会です。このタミールナド州はイスラム教の影響がない純粋なタミール文化(ヒンズー文化)が残っているのです。その対岸に浮かんでいるのがスリランカ。人口2000万人。人口の6割強はシンハラ人で自らを北インド民族の末裔だと考えています。この辺にヒンズーとイスラムとの対立とは別なもうひとつの南アジアの問題があるのです。


(おかしな例1)
インドのティルチ飛行場からコロンボのバンダラナイケ空港まで実質45分の飛行です。ところが、ティルチ飛行場の警戒が厳しい。二回徹底的にカバンを開けさせられました。ボストンはパソコンを取り出した後、もう一回X線の検査にかけられました。これはインド側。ところが飛行機のタラップが渋滞している。何をやっているのか思ったら、飛行機内の入り口でスリランカ航空の警備員(4人くらいコロンボから乗ってきているらしい)がカバンを開けさせて再度検査している。これってインド政府を信用していない証拠。


もっともインドのティルチは反政府組織LTTEのリーダのプラバカランの故郷。スリランカ側の厳重警戒も分からぬではないがそこまでするかって感じ。


(おかしな例2)
バンダラナイケ空港でインドルピーの両替ができない。ドル、円、ユーロのほか中東の通貨などの両替はしているのに、隣国インドの通貨は両替しないのだそうです。インドの2000ルピーをどうしたら両替できるの困ってしまいました。


(おかしな例3)
考えたら、コロンボの町にインドの乗用車は殆ど走っていないのです。インドではTATAの800CC「インディカ」が流行だし、1500CCディーゼルのアンバサダーが普通に走っている。コロンボは日本車が殆ど。日本車はそれほど安くて性能が良いのか。なおコロンボの古いバスは殆どインド製です。


(おかしな例4)
コロンボでインドの銀行を見かけた事がない。インドハイコミッショナーにはビザを申請する人が毎日長蛇の列だというのに。



2003年12月18日(木) 一応サイニング開始

子会社モビテル社の借入金契約書のサイニングが始まりました。今日は一応当事者のモビテル社、保証を与えるSLT社、全てをアレンジしてくれているスタンダードチャータード社のサインを済ませました。明日19日にシンジケート団の銀行7社がサインする事になります。


最後の最後で、ローン総額の数字が変わったので、モビテル社、SLT社で取締役会の了承を取り付けなくてはなりません。それは今日取り掛かります。これはローカルの担当の方に任せようと思っています。


そして日曜日からインドに行ってきます。最後までいろいろスケジュールを変えたのですが、最終的には、南インドに的を絞りました。チェンナイから入って、ティルチからコロンボに戻ります。チャンナイまでは90分くらい、ティルチから一時間かかりません。スリランカ国内旅行より便がいいかもしれません。


さて、今日の夜、サイニングの合間をぬって、引越し第一弾の作業を行いました。木彫りの彫刻やら、金属製の仏像の類は国から持ち出すときに、文化庁の許可がいるのだそうです。今日は申請書を書いて、写真を取って、梱包しました。これらを事前に申告しておくと作業が早いのだそうです。忙しい年末・年始が始まりました。(自分で忙しくしているのですが)



2003年12月16日(火) 年末インド旅行

今年年末の一大イベントは、来週計画しているインド旅行です。8月以降忙しくて、休みが取れなかったものですから、このクリスマス休暇を利用して、ほんとに極近いインドを見こてこようというものです。


コロンボから、インド南部の大都市「チェンナイ(マドラス)」までは飛行機で50分なのです。インドの首都北部のニューデリーに行っても飛行機で3時間くらいのはずです。広大なインドなので何を見るかポイントを絞らなければなりません。


今の私の興味は「南インド」の文化です。北インド文化はイスラム教が強く影響したものであることに対して、南インドは純粋なヒンドー文化が残っているそうなのです。今旅行のアレンジをしてもらっているとところ。でもクリスマス休暇なので飛行機は混んでいて、上手く席が取れるかどうか。


それと、この旅行も17日の取締役会、18日のローンのサイニングを無事済ませることが条件なのです。今年後半ずっと関わってきたローン(子会社ローンの保証)は何年かに一度しかない大イベントなのです。これらを無事に済ませて、思いっきり観光ができればいいなと思っています。



2003年12月14日(日) 日本人会忘年会

恒例の日本人総会と忘年会が、コロンボヒルトンホテルの広い会場を借り切って行われました。私は少し遅れていったのですが、総会の後に、5組の個人と5組の団体が参加して、歌あり、劇ありの楽しいひとときを過ごすことができました。スリランカ日本人は正式には300名位の会員が」いるのですが、半分くらい集まったのかしら。


私はと言うと、日本人会に入っていますが、会社の上司・同僚を除くと、この二年間日本人の方とはほとんどお付き合いはせずにすごし来てきました。海外勤務定番のゴルフもほとんど数回だけ。その分、思いっきりスリランカに浸かった感じです。家族を連れて赴任していれば、もう少し日本人同士の付き合いも会ったのかも知れません。大使館の方、商社の駐在員の方々の奥様方はそれなりの付き合いがあるようですから。


こうした催しで日本人が懇親をはかること事態はすばらしいことだと思うのですが、こうした企画へいろいろな会社から寄付を募ることはちょっと気になるところです。特に航空会社に無料航空券をお願いするようなことは控えたほうがいいのではないかと思われます。この国において日本人は決して特別な存在ではなく、外国人の一部分であるし、日本人はそれなりの見識と節度を保持すべきだと思うからです。私に宿舎の隣人がシンガポール航空の方であるからだけの理由ではありません。



2003年12月13日(土) クリスマスコンサート終了

12日(金)、13日(土)の2日間にわたるクリスマスコンサートが終了しました。両日ともほぼ満員のお客様に来ていただいて盛況でした。この一週間日記を更新しませんでした。練習やら仕事やらで落ち着いて書くことができませんでした。


まず仕事については、私のスリランカにおける任期は2003年の12月末までなのです。自動延長条項がありませんので、このままいくと来年早々に日本に帰国することになります。


中途半端な表現なのですが、それがこの国の難しいところなのです。SLT(テレコム)は政府が過半数の株式を保有する企業なので、この会社の経営をどうするのかは政府が決めることなのですが、その政府がぐらついているからです。


11月の日記にも書きましたが、現在のスリランカの政権は2年前の総選挙の結果で反大統領派政党が握っています。この政権が和平を進めてきたのですが、大統領がこの11月に公然と反抗に出たのです。大統領には「国会の解散権」があるので、大統領派政党が選挙に勝てると考えればすぐにでも国会は解散されてしまいます。先週から大統領と首相の話し合いが続いていて、来週15日に方向性が明らかになるようです。


また我社の会長に「逮捕状」が出されたことも混乱の一因。この逮捕状は今週「月曜日(ポヤで休日)」に撤回されたのでした。これは会長サイドが人権問題を盾に抵抗したのが功を奏したようです。しかし、この「休日の決定」をめぐって再び議論が噴出して、来年1月8日に審理が開始されるようです。因みに「会長」は政府が任命しています。


実際には、SLTをどういう会社にしたいのかは「政府」が決めることなのですが、「政府」の中には色々な考え方があってまとまりません。私の親会社である日本のNTTComもボランティアで人間を送っているのではないので、それなりの対価が必要になるからです。


ということで、今回のクリスマスコンサートは私にとって、スリランカ生活の最後の大きなイベントであったのです。(本当は後二つ考えているのですが)。そういう意味でも非常に感動的なコンサートでした。


金曜日のコンサートは、少し「硬い」ものでした。ベートーベンの合唱幻想曲(ミニ第9)は非常にすばらしいできでした。ラーマヤさんのピアノの音は本当にすばらしいものでした。弱音の美しさは「人間性」を感じさせます。今回が後ろに合唱団が控えているので、ピアノの「蓋」を外して演奏されました。ピアノの直ぐ近くのチェロの席はピアノを聴く「特等席」なのです。


ラーマヤさんは演奏会終了後、控え室で私のところにやって来て「お礼」を言ってくれました。というのはピアノの移動の際にいつも私が「力」で参加していたからです。(音楽での貢献度は低いです)


ロッシーニの最初の部分は「上出来」であったでようです。チュロ五重奏を五人で演奏するのですから責任重大。チェロの他の4人は全て女性なのですが、出てくる音は私のチェロが一番小さい。でも年齢で勝っているし、本番には強い方なので、頑張ってしまいました。できとしては2日目の方が良かったかもしれません。


それと金曜日は楽譜を間違えてしまって一曲参加できませんでした。モーツアルトの「ハレルヤ」(K165)です。私はてっきりヘンデルだと勘違いしていたのでした。ヘンデルのメサイヤは土曜日に演奏されたのです。あわてて楽屋に取りに戻っていたら、演奏が始まってしまいました。この曲は土曜にも演奏されたので、土曜にしっかり伴奏しました。今回のソプラノはイギリスで勉強中の「キシャーニ」さんという方なのです。すばらしい声の持ち主です。


土曜日の演奏会は「和やか」なものでした。後半には「クリスマスソング」を会場のお客様と歌うという企画もあって大変好評でした。土曜日には、友人のIMAIさん、DR、スーパさん(説明は省きます)を招待しました。それも最前列の舞台に向かって右側。つまり、チェロの席の真正面。SOSのチェロは1stバイオリンに対向して舞台最前列に並ぶのです。これは大変緊張しました。しかし、皆さんからお世辞でも「良かった」といってもらえて大変ありがたかったです。


金曜日はメードのシータ、宿舎の二人の清掃担当の人達を招待しました。彼らはこういうコンサートが始めてであったのでとても感動していました。関係者の感謝をすることができて一石二鳥(?)のコンサートでした。



2003年12月07日(日) 日曜討論(イラク派遣)

NHKの海外放送で朝6時(日本時間9時)から日曜討論を放映しています。眠い目をこすりつつ見ることがあるのですが、今日はイラクへの自衛隊派遣問題がテーマでした。石破防衛庁長官が政府を代表していました。この人はまだ30代のはず。非常に説得力ある話振りです。これから長く自民党で政治をやっていくのでしょう。将来を担うホープのひとりです。


自衛隊派遣問題は11月末に二人の外務省職員が亡くなったことで大きくクローズアップされています。「そんな危険なところに自衛隊を出すのか」「なぜ出すのか」ということが議論でした。


石破長官は「自衛隊の防衛能力と救助能力を備えていて自己完結的に救援ができる」ことを強調していました。明快です。救援に行って怪我をしたり、他国に守られながら援助していても話になりません。ただ気になったのは、救援の内容は、学校建設・医療施設整備、給水などをあげていた事です。


亡くなられた「奥大使」の嘗ての談話でイラクの学校は日本の数十年前の状況と言っていました。飲み水も不足しているのでしょう。だけど待てよ?です。日本と比較するからそう思えるのですが、コロンボの水だってそのままでは飲めないのです。こちらの人は毎朝「やかん」で沸騰させて一日の飲み水を確保します。毎回SOSのリハーサルで使う「女子高校」付属の小学校はオンボロです。屋根がボロボロで雨漏りだらけ。机・椅子は本当に日本の数十年前の状況です。


アフリカではもっと酷い状況にあるのではないでしょうか。12月1日は世界エイズデイでしたが、アフリカの医療問題は非常に深刻です。教育問題・社会資本整備でも課題は沢山あるはずです。


なぜ今イラクなのか。「参勤交代」的根拠ならはっきりそういうべきです。そうして国民の意見をはっきり聞くべきです。平和憲法を守るとかそういう議論ではなくて、イラクに自衛隊を出すことが「国際社会で立派だと認められる行為」なのかどうかです。


幸運にもスリランカに2年間暮らすことができて、いろいろ収穫はありましたが、自分がもっとも勉強になったことのひとつは、先進国の人々と発展途上国の人々の付き合い方・関わり方です。にわか慈善家は通用しません。先進国の感覚で貧しい・かわいそうだといっても状況が全く違うのです。逆に先進国の人々の「施し」は人々の勤労意欲を削ぐことさえあります。


一方で全て人々は「誇り」と「自慢」「矜持」を持っています。どんなに貧しくとも立派な考え方、すばらしい人間関係(例えば家庭)を持っている人達がいますし、一生懸命働き、勉強しているしている人たちがいます。。それを尊重しない限り、そして同じ目線で物事を考えないと、人と人の対等な関係は構築できません。


自衛隊を出すなら出すでいいですから、他の国の模範になるような活動をしてほしいものです。そのために名前も特別に「自衛隊」なのでしょうから。お付き合いで「参勤交代」するのは全く無駄というものです。援助大国日本の外務省はこういうことはとっくの昔に考えているはずですよね。
(論旨がはっきりしません。これはあくまでも日記です)



2003年12月06日(土) ボーナス闘争

きのうの日記はノンビリ「モーツアルト」のことを書いていましたが、実のところボーナス闘争で大変だったのです。


本当のところ、9月までの事業成果は昨年より大分悪いので台所事情は苦しいのですが、我社の組合は非常に強行で昨日の夕方まで交渉し、会社が一旦決めた支給額に大分上乗せして漸く妥結したのでした。


財務担当としては、まずは、一旦決まった支給額の支払い手続きを精一杯勧めました。というのも、8日月曜日は「ポヤ(満月)」で休み。9日火曜日以降に現金が引き出せるようにするには、金曜日の午前中に銀行対応をすませなければならないのです。どんな妨害があろうと、交渉で追加至急を決定するにしても、差し当たり支払いを済ませることを優先しました。


追加至急を組合と妥結したとしても、取締役会の了承を得なければなりません。土日月を挟んで、スリランカと日本の取締役の了承を得るのはそれほど簡単ではないのです。私としては、手続き遅れでボーナス支給(一部分であっても)が遅れて混乱するよりもベターと判断してのことです。数年前に給与支払い遅れ(ミス)で大混乱したことがあったそうです。


しかし、そもそも何故これほど混乱してしまったか。このことが問題です。我社には組合が32あります。それは32の職種があることを意味しています。そして、いわゆる大学卒とそれ以外の社員の間に大きな隔たりがあるのも事実です。つまり、一般の社員が「職種」の壁を乗り越え、採用差の壁を乗り越えていく(昇給していく)ことは非常に困難なのです。こうした古い制度をそのまま温存して競争に入ってしまったのです。とはいってもこれを変えていくには時間がかかります。


はっきり言えることは、我社は大きな課題を抱えていますが、裏返すと、これを上手く解決できれば、ものすごい「パワー」を発揮できるということです。「働き方」の議論をしないで、金の上積み論争だけするのは無意味なだけです。



2003年12月05日(金) モーツアルトの命日

今日12月5日はモーツアルトの命日です。1791年のこの日モーツアルトは若くしてなくなりました。1991年は没後200年にあたっていました。没後200の追悼で行われたウィーンフィル、ショルティの「レクイエム」の演奏は録画して何回も聞きました。このビデオはスリランカに持ってきています。最近は時間がルト弦楽四重奏ばかり聞いていますが。今夜あたり取り出して見てみようと思います。



2003年12月04日(木) 逮捕事件

娘が行っている女子高校の先生が「教育実習にやってきた大学生」にわいせつなことをしたとして逮捕されたということです。女子高なのでこの手の話はまずいです。逮捕された本人が一番悪いのは確かですけど、そういう先生を雇った学校側、気づかなかった同僚も大いに反省すべきです。


さて、私の会社の「会長」の事件ですが、こちらの逮捕容疑は「パスポート偽造」の罪なのです。暗黒街の大物が、偽のパスポートを使ってイギリスで行われたクリケットワールドカップを見に行ったというもの。この大物が殺人罪の罪で逮捕されていて、彼がペラペラしゃべっているようです。スリランカは残念ながら「お金」の力がつよく、政治でも商売でも「金」で動くといわれています。そして「金」でも動かないときは最後の手段で「暴力」が登場すると言われています。我社でも数年前に狙撃事件がありました。警察は「パスポート偽造」を手ががりとして、他の事件での関与を追求することが目的のようです。身近なところでの「逮捕事件」はいやなことです。



2003年12月03日(水) 合唱団初顔合わせ

今日のSOSのリハーサルはクリスマスコンサートに向けて、初めて合唱団とあわせました。練習した曲は、ベートーベン合唱幻想曲、カルミナブラーナ、クリスマスララバイ。


声が出ているのにびっくりしました。結構本格的です。ヘンデルメサイアのテノールソロを歌う人とかも一緒に歌っているのです。オーケストラ同様に非常に明るい、屈託のない歌声です。細かい小細工などせずに元気に一杯なので聞いていて気持ちがいいです。


クリスマスララバイという曲は英語の歌詞が付いているのですが、英語の発音がいいので、一瞬びっくりしました。というのもオーケストラだけなら、日本のオケも外国のオケも音色は同じなのです。上手い下手はあるけど、弦楽器は弦楽器、オーボエはオーボエなのです。でも歌には言葉がついているのです。これが大違い。特にスリランカでは多くの人が英語を話すので、英語の歌詞には全く抵抗がないのです。


いつもそれほど感じなかったのですが、自然な英語の歌声を聴いて、「外国」で音楽をやっているという変な感慨を覚えました。



2003年12月02日(火) ラーメン恋し。

こんなページを見つけました。

http://www.rahmen-academy.com/

武蔵浦和ラーメンアカデミーです。我が家方向に向かう駅の出口の直ぐそばなの非常に便利です。日本に帰ったらすぐにでも行ってみたいと考えています。でも六軒全部食べるには二三日かかりそう。短期帰国ですべて食べるのは無理かなとも思案しています。




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