KENの日記
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2003年06月29日(日) 一時帰国

この5月に亡くなった二人の親戚の49日の法要が7月6日に再び同じ日に行わり、これに参列するために帰国しました。29日の日曜日の早朝2時45分コロンボ発のキャセイ航空でバンコクに行き、バンコクでJAL708便に乗り換え成田日曜日の5時ごろ着きました。


途中のバンコクは5年前に妻と観光に来たのですが、空港はすっかり綺麗になっていました。当時は薄暗くて寂しい感じでしたが、近代的な発着デッキを多く持ち、免税店も豊富に揃えた立派な空港に変わっていました。SARSの影響を払拭しようと免税店で割引セールが実施されています。


実際SARSの不安は拭いきれないのですが、空港を利用する人・空港職員でマスクをしている人は見かけませんでした。それだけ気を使っているのでしょう。成田空港の検疫所で体温検査をしている職員の人が大きなマスクをしていたのが印象的です。


バンコク空港の元気さに比べて、成田の印象は良くありませんでした。まずJAL便なのに、滑走路脇に下ろされてバスで到着ロビーに送られました。階段のある長い通路を歩かされるよりはマシかとも思いましたが、設備が不足しているのかしらとも思いました。また、日本人入国審査所には長い行列ができていました。外国人の入国審査はいつもながら長い行列。これは改善して欲しいです。カウンターが沢山あるのに職員がいない。さらに、手荷物受け取りに手間取りました。


ただでさえ東京から遠く不満が多いのですから、細かいところで努力して欲しいものです。なにせ日本の表玄関なのですから。



2003年06月27日(金) 料金回収の仕事

新く私の責任になった料金回収業務ですが非常に難しいです。難しいところは沢山あるのですが、日本とはかけ離れた問題を紹介します。


それは銀行との関係です。スリランカでは国の資本の入った大きな(といっても支店の数がやたら多い)二つの銀行が庶民(一般の住民、中小企業)の銀行として有名です。都市に住む富裕層、中堅・大手のビジネス客は外国資本の銀行とかスマートな民営銀行を使います。こちらの銀行は支店の数が限られていて設備も整っていて近代的です。


問題は二つの庶民銀行。我社(SLT)の電話料金は銀行で支払い可能なのですが、これらの銀行は支店本店間のオンライン設備が整っていないのです。支店に入金があっても、その通知が本店に来ない。本店で支店からの紙での報告を手集計するので、本店から我通信会社へ収納連絡が来るまでお客様が支払ってから10日間くらいかかるのです。


実際、通話停止措置を受けた電話のユーザは、銀行に払ったので直ぐ通話停止解除してくれというのですが、我社ではその入金を確認できない。我社の基本ルールでは、通話停止を受けた客は銀行に払えないことになっているのですが、契約者は知らずに払うし、銀行は知っていても金を受け入れます。(金が入るだけ得ですから)。


銀行サービスは銀行間でものすごい差があるのです。そうした格差がある中で、すべての銀行に対して同じサービスを求めるのは困難です。自然と最悪の状態を前提に仕事をせざるを得ないという面があるのです。



2003年06月25日(水) 49日法要

五月末に親戚の葬式が同じ日に二つあり、それに参列しようと帰国を試みたのですが、搭乗予定の飛行機がキャンセルになり参列できませんでした。7月6日には49日法要がやはり同じ日に行われます。


葬式に参列できなかったので、この49日法要には顔を出そうと今帰国予定を立てています。土曜日の夜(正確には日曜日の朝)のタイ航空便を予約してます。今度は大丈夫だろうと思います。SARSの影響がまだ残っているのか、シンガポール経由便はけっこう込んでいて希望の便が取れませんでした。従って利用するのはバンコク経由のタイ航空便です。


3月に日本に注文して輸送してもらった日本食がほとんど終わってしまったので今回の帰国に際して大量に日本食を買って来ようと思います。一番大切なのは日本酒を持って帰ること。さらにマヨネーズ、ソース、醤油、みりんなどの調味料。インスタント食品(ラーメン、レトルトカレー、など)。それからシャンプーとか歯磨き粉とかの日用品。


これらの品は、帰国早々に調達して、箱詰めして成田に宅配便で送っておくのです。そうすると一仕事終了。ようやく帰国の際の段取りに慣れてきました。その次にチェロの「弦」1セット。そしてCD。今回はこれといって欲しいCDはないのですがショップをチェックしなくてはなりません。



2003年06月23日(月) お得なワイン

コロンボの宿舎となりにあるカーギルススーパーマーケットでお得なワインを購入しました。


オーストラリアの「De Bortoli」という会社の赤ワインです。ホームページは以下のとおり。なんといっても、2リットルの箱入りで、値段はRs1284(1500円くらい)。「Shiraz」のほかに「Chardoney」もあります。「Shiraz」は重くはないのですが、バランスがよく口当たりが軽やかなのです。
http://www.debortoli.com.au/debort/products/casks/2litre_shiraz.pdf


スリランカは非常に暑いのでワインを保存するのは難しいです。フランスワインは高価なこともあって、こちらで売っているのは、オーストラリア、チリ、アメリカ産の普及品がほとんどです。フランス産では「ドメイン名ワイン」どまりです。


そういう環境の中、廉価なワインで気分を出すために、こちらで入手した「ワインデカンタ」が活躍しています。「ペタ」にあるガラス屋さんで買ったフランス製のデカンタ(結構高級品)です。まずこれに入れ替えると高級感が増します。それだけでいい気分。デカンタに入れると不思議とメーカとかグレードはに対する興味が薄れます。


さらに、詳しくはわからないけど、デカンタに入れ替えるとことによって少し「酸化」が進むし、ワインを混ぜることによって、瓶の入り口部分と底部分のワインを混ぜ、ワイン全体を和ませることができるようです。


この2Lのワインを少しづつデカンタに移して冷蔵庫でじっくり冷やし「ちびちび」飲むのは安上がりの一方満足感が高いのです。のこりのワインは密封できるのでそのまま冷蔵庫で冷やしておけます。



2003年06月22日(日) 集中練習

21日・22日の土曜・日曜は、宿舎にこもってみっちり練習しました。こんなに集中して練習するのは随分ひさしぶりです。


というのは学生時代に比べると、就職、結婚、子育て(実際はそんなにやってませんが)で趣味に割く時間が随分減ってしまうことは仕方ないことでした。しかし、海外単身生活はすこし不便だけれど、自分の時間を確保できるのです(親戚筋との付き合いとかマンションの理事会の仕事とかを妻にお願いしているのは申し訳ないけれど)。


自分としては、なにか目標を立てるというよりは、普段の練習を楽しく出来ればいいのではないかと考えて練習してきたのですが、目標を立てて頑張るというのは大切なことだと今回あらためて実感しました。今回は、SOS(シンフォニー オーケストラ スリランカ)の演奏会が目標なのです。やはり恥ずかしいことはできません。


力が入りすぎていたり、音色が悪ければ、長時間の練習などできません。無理のない奏法にならざるを得ないのです。さらに、音色についていうと、しばらく悩んでいたのですが、長いトンネルをようやく通過することができたような気がします。もっともこれがいくつもあるトンネルの中で最初のものなのでしょうが・・・。


でも、日本から遠く離れてスリランカで暮らしていて、土曜・日曜に宿舎の部屋で、一歩も外に出ずに過ごすというのは、我ながら随分変っているのかなとも思います。贅沢というか、もったいないというか。



2003年06月21日(土) 阪神快進撃

今日NHK海外放送で「巨人×阪神」伝統の一戦を後楽園から中継していました。ついつい見てしまいました。結果は阪神の大勝。今年の阪神は優勝しそうですね。


今年の阪神は若手生え抜きと移籍組みがうまくかみ合って、チーム一丸となって戦っています。PLの片岡が移籍したし、兵庫出身の伊良部も加わりました。PL出身の清原は巨人より阪神があっているみたい。


私は平成の時代に入る直前に関西勤務がありました。大阪城の南側の上町大地に立つ関西支社での勤務でした。一家そろって東大阪に引越し、どっぷり河内のムードに浸りました。勤務最後の時期に妻が十二指腸潰瘍で入院したのですが。


当時の職場はまだ「阪神優勝」の余韻を残していました。同僚ほとんどが阪神ファンでした。酒を飲む機会があると決まって「阪神優勝」の昔話でした。バックスクリーン三連発とか、道頓堀での大騒ぎとか。最後は「六甲おろし」の大合唱になります。おかげで私も一応阪神ファンになりました。


関西の生活は非常に懐かしいです。


(追記)日曜日の試合も阪神が快勝。いよいよ本物みたいです。道頓堀を掃除して泳げるようにしておく必要があります。



2003年06月20日(金) シギリヤの美女

ホームページの表紙の写真を「象のルアン」から「シギリヤ美女」に変えました。このシギリヤロックの岩に描かれた「美人像」はスリランカでも最も有名な文化財のひとつです。もちろん世界遺産に登録されてます。


1500年以上前に築かれたシギリヤ宮殿ですが、色彩が鮮やかに残っていることに加えて、その構図、デザインもすばらしいです。さらに、実はこの壁画はとんでもないところに描かれているのです。今、シギリヤロックに関する情報を作成中です。もう少ししたら紹介します。



2003年06月18日(水) 雨季(梅雨?)

コロンボでは雨季に入ったため、最近天候が不順です。夜中に雨になるのですが、強い風も吹くため、雨が窓に吹き付けられます。相当な強風なので、宿舎の室内のドアが風圧で「ドンドンドン」音を立てます。結局夜中に起き出して、ドアの隙間に紙を折って挟みドアを固定し音を止めることになります。30階の部屋なので、風はかなり強いのです。


しかし、風と雨は不思議と朝には収まって、日中はカラッとしたいい天気になります。地中にたっぷり水分を蓄えて、日中に思いきり日光を浴びるので、植物が大きくなるはずです。昨年買った宿舎の「ピンクのブーゲンビリヤ」が始めて沢山のピンク花をつけています。実は先週大きな植木鉢に植え替えた効果も大きいようです。


このブーッゲンビリヤは、花を沢山付けているものを買ったのですが、それらが散った後ほぼ1年以上まともな花をつけませんでした。「業者が特殊な薬で花を咲かせたのだろう」と教えられて腹を立てていたのです。コロンボの街中では、いろいろな色のブーゲンビリヤが見られます。



2003年06月17日(火) 紛争解決

今日は2時間以上を一件の苦情処理に費やしました。ある契約者が我社ともめていて埒があかず、最終的に苦情が私のところに持ちこまれたのです。


会社側曰く「この契約者は電話申し込み書に違うサインを書いている。サインを変えるなんて信用できない。金を払うからといって、電話の通話停止解除は困難」というのです。


一方契約者は「自分は自分のサインを度々変えている。前のサインは、事故に遭ってから違うサインに変えた。いまのパスポートのサインはこれまた新しいサインで通っている」というのです。縁起を担いでいるらしいのです。


実は当事者どうし(片方は我が社員)がどうも商売上の利害関係があるらしく、こじれにこじれてしまっていました。


「サイン」が大切なのはわかるのですが、タミール・シンハラ・英語を必要に応じて使いこなしている社会だし、実際の識字率(書く方)は言われているほど高くないと思われるので、お役所的に物事を進めるのもどうかと思いました。実際、最初のサインはタミール語で、二番目のサインはシンハラ語のようなのです。


結局、契約者に古い「サイン」を再記入してもらって、私も同一人物のサインだと保証することによって、両者になんとか納得してもらいました。


こうした些細な紛争解決にも大きなエネルギー、真摯な対応、そして勘所をついた妥協案の提示が必要です。そして、なにより過去の確執の善悪を判断するのではなく、両者の利益のために現在の紛争を解決することを目的に据えることが大切です。ですが、つい過去の恨みから感情的になりがちです。

20年以上こじれたスリランカの民族紛争の解決は非常に難しいく、優れた知恵が必要だと思います。



2003年06月16日(月) 海外での犯罪

ヨルダンのアンマン空港で爆発事件を起こし、死傷者を出した毎日新聞記者に特赦を与える決定がなされました。日本政府が裏でどのような圧力を加えたかわかりませんが、すっきりしません。


というのも、まず、彼の行動は職業人が外国で働く(行動する)際に最低守らなければ基準を満たしていないからです。むしろ子供の延長みたいな行動だと思います。文化が違い、環境が違う海外では、日本以上に注意を払う必要があると思います。そうした配慮をしてこそ危険を回避できるのです。


そして、日本の政府・企業の対応も気になります。日本や韓国での米軍関係者の犯罪では被害者になってきておりながら、日本人の加害事件では、やはり同じような対応をとるのですね。


単純に云うと、日本で「アメリカ人が日本人に危害を加えた場合」に「日本人が日本人に危害を加えた場合」に適用される日本の罪刑が適用されることに何か違和感があるのかという問題です。ヨルダンで「日本人がヨルダン人に危害を加えた場合」にヨルダンの罪刑適用されるのは基本的には当たり前のことだと思います。


国よって罪刑の考え方、操作の方法等が違うのはわかりますが、外国で働くためには、基本的には現地の制度に従う覚悟が必要だと思います。



2003年06月15日(日) 心配な事件

6月10日に東京でのスリランカ復興支援会議が一応成功裏に終了したのですが、こちらスリランカでは6月14日土曜日夜明け前に、スリランカ北東部「ムライティヴ」の沖合いで、LTTEの小型の不審船を沈没させ乗員が行方不明になっています。


スリランカ海軍は「武器を輸送するための船が制止を聞かなかったので攻撃した」と公表しています。一方LTTE側は「石油を積んで船が公海上から領海に誘導されて沈められた」と反論しています。


いずれにしても、LTTEサイドは停戦下のおいても武器・弾薬の確保に一生懸命であるし政府側はそれを力ずくで阻止しようとやっきなのです。


怖いのはそうした緊張の中の暴発です。手榴弾一発のテロで戦闘再開しかねないのです。政府軍・LTTE軍が仕掛けなくとも、アングラ世界の人達が武器取引の利益欲しさに「きっかけ」を作りかねません。



2003年06月14日(土) 夏の計画

そろそろ夏休みの計画を立てる時期になりました。昨年は妻を招待しました。今年は子供達(長男・長女)を呼ぼうと思っているのですが、彼らは彼らなりに都合があってはっきり決まりません。


そもそも、私のスリランカ生活が二年目に入っていること(11月で二年です)。長男が大学三年で来年は多分忙しいこと。それと長女は高校二年だから来年は無理だろうことを総合すると、スリランカに来るチャンスは今年の夏休み以外にないはず。


と考えるのは親だけで、彼らは青春を謳歌しているのでしょう。そもそも引越し生活の長かった我が家では、同じ土地に三年住んだことはまれなのです。いまの「さいたま市」(前の浦和市)に住み着いて5年で、子供達は初めて落ち着いて生活できているのかも知れません。彼らは見知らぬ土地への憧れはあまりないのかもしれません。武蔵浦和からは池袋・新宿・渋谷へ一本。遊ぶ場所に困りませんからね。それに親より友達付き合いが大事なのはよく理解できます。


「スリランカは暑いし、朝昼晩とカレーだよ」あまりいい話をしていないのも原因かもしれません。しかし、「飛行機代を出してやる、宿は私の宿舎を使える」こんないい話はないと思うのだけど。


(追伸)今日二週間ぶりにレッスンにいったところ、7月末にSOS(シンフォニ−オーケストラスリランカ)の演奏会に出てみないかと先生に誘われました。私の腕前が上達したのか、人手不足なので「猫の手」も借りたいのか。曲目はメインがブラームスのピアノ協奏曲第二番。難しそうです。邪魔にならない程度弾けるようならトライしようかと考えています。夏の計画がひとつ増えました。



2003年06月12日(木) 灰色ペリカン

宿舎の30階の窓から、時々大きな白い鳥がゆっくり旋回しているところを見ることが出来ます。この鳥は灰色ペリカンをいうのだそうです。スリランカ以外では絶滅の危機に瀕しているといこと。


コロンボでは市内中心にあるベイラ湖を中心にこの灰色ペリカンを身近に身近に見ることが出来ます。前にも書きましたが、


気候が良い(暑くて適当に雨が降る)→果実が豊富→鳥が住める。という図式が成り立っているからだと思います。近代化の一方で、こうした自然を守って欲しいと思います。



2003年06月11日(水) スリランカへの援助

9・10日の東京でのスリランカ復興支援会議で決まった援助額は以下の通り。


日本:US$1ビリオン(1200億円)
ADB:US$1ビリオン(アジア開発銀行1200億円)
WB:US$800ミリオン(世界銀行960億円)
EU:US293ミリオン(352億円)
US:US$54ミリオン(65億円)


これを向こう4年で援助するというもの。アジア開銀、世銀への日本の出資割合も考えると日本の援助がいかに突出して大きいかわかります。


スリランカと日本の関係を象徴する金額です。同じ仏教国。かつてインドがヒンドゥー多数に変ってからは、スリランカは仏教の中心地でした。日本からも留学生がやって来たということです。さらに、サンフランシスコ平和会議でのジャヤラルダナスリランカ代表演説で日本分割が回避された・・・。


過去の恩を忘れないことは非常に素晴らしいことで誇りに思いますが、問題はこの援助が有効に機能するのかどうか。「金」だけで解決できる問題ではないと思います。小泉首相も引用した「米百表」の逸話は「援助」の使い方模範で
す。「金」の使い方は十分考えて欲しいものです・


×単金の高い援助国(先進国)企業に開発調査・工事発注が大量になされる。
×援助を傘に着て、先進国型の政治・経済手法を押し付ける。(世銀等)
×援助事業円滑実施とかの名目でスリランカ政治家に金が流れる。
×さらに、スリランカ政治家と組んだ一部実業化が「援助太り」する。
×インフラ整備・物作りに集中し、運用ノウハウが根付かず結局無駄になる。


最初は、病院とか学校復興の緊急人道援助がなされはずなので、それほど心配は無いのですが、これに引き続く本格的な復興・インフラ整備には余程気をつけないと紛争の元になり兼ねないです。



2003年06月10日(火) 旅の準備

前から計画があったのですが、今日半日の休暇をもらってインドの「ビザ」を取ってきました。知り合いの旅行会社の人の話では「本人」が取りに行くのが手間がかからないということなのです。実際、本人がいってもけっこうな手間でした。(ピザハットのピザではないです)


東アジア人の私からすると、スリランカより西側は見知らぬ地域ですが、文化的、民族・地政の観点からすると、10億人を超える人口を抱えるインドはスリランカにとって最も影響力の強い、大きな存在です。従って、スリランカで生活していて「インド」を知らずにいたら、これは本家を知らないようなもの。現に嘗ての私の同僚(日本人)は、「インドはスリランカの親分」だといっていました。ということで、チャンスを見つけて旅行しようと思っているのですが、その前提として日本人でも「ビザ」が必要なのです。


ビザ発給はゴールロードの一等地にあるインドハイコミッション事務所で行われています。いつものことながら朝からビザ申請をする人の長い行列ができていました。私は9時過ぎに行ったのですが、外の長い行列に加えて、中の待合室も満杯状態でした。最初に入り口で書類事前審査。これが長い行列です。少し申し訳なかったのですが「ズル」をして割り込みました。外国人が並んでいると守衛さんが前の方に連れていってくれるのです。


次は事務所の二階に上がって書類審査。窓口が8つあるのに2つしか開いていません。ここは外国人もローカルの人も待遇の違いはなし。時々、偉そうな人が割り込んでくるので困ったものです。ここでの質問は、観光かビジネスかとか一定の質問。これが終了すると地下一階に行って料金支払い。Rs750でした。ここまでで2時間かかりました。そしてビザは午後4時30分にできるから取りに来いとのこと。


4時30分過ぎにハイコミッションオフィスに行ってみると案の定行列でした。でも守衛さんが手招きで呼んでくれたので、また「ズル」をして割り込みました。ビザ発給手続きをみても「スリランカの親分」の貫禄十分です。因みにスリランカは日本人に対してビザ無しの渡航を認めています。インド旅行が楽しみです。


(追記)最近知った情報を書いておきます。アウンサンスーチさんがミャンマー軍事政権に再軟禁されたということ。新聞で知ったのですが、スイーチさん57歳なのですね。テレビの映像では随分若く見えますね。私より10歳年上なのです。



2003年06月09日(月) 東京会議

今日明日(9日、10日)東京で「スリランカ援助国会議」が開催されています。こちらの報道でも大々的に報道されています。和平と引き換えとはいえ、1000億円を超える援助が約束されるとはすごい金額です。しかし一方の当事者「LTTE」は不参加です。


少し気になります。「金」で和平が買えるのか? 「金」で憎しみが癒されるのか?ということです。確かに膨大な援助でスリランカの生活インフラは改善されるでしょう。多くの人が恩恵にあずかるでしょう。それが永続的な和平に繋がるのかしら。


スリランカ政府にはこの「金」を本当に「透明に」使ってほしいです。この金の配分次第で紛争再発も十分あり得るのです。金があればあったで分配方法でもめるのが常です。私には「危険な援助金」としか思えません。自分達で苦しんで捻出した金なら皆十分注意して使うでしょう。


日本を筆頭に援助国は援助金の使い道の監視を強化するでしょう。そのためのコストがかかります。世銀はじめ国際機関を政府の監視を強化します。欧米型の行政を善とする考え方が根底にあって、スリランカ政府の行動に注文をつけるでしょう。これからスリランカは非常に困難な時代を迎えることでしょう。



2003年06月08日(日) 日曜日のんびり。

今日はのんびりしました。午前中、アンダウォータサファリのコロンボ事務所に行ったのですがカラブリでした。というのも今年の一月に取得したSCUBAのライセンス証が届かないのでどうしたのか問い合わせに行ったのです。昨日(土曜日)夕方にいったところ、「サンディ9時30分からオープンだ」と守衛が言うので信じていきました。多少「変かな」と思ったのですが、サラリーマン向けに日曜訓練があるのだろうと思ったのです。


ちなみにアンダウオータサファリの代表はかの「アーサーCクラーク」さんなのです。車庫にあった白くて古いベンツは彼の愛車でしょうか。またアンダウォータサファリの隣は「イラク」大使館でした。これも興味深々。


今日言ってみると同じ守衛が「マンディ」だと云うのです。一瞬カッとなりましたが、こんなことで頭にきてはやっていけません。あきらめました。スリランカは曜日の感覚は希薄でなようです。言葉とか責任の感覚は驚くほどの違いがあるのです。


日曜夕方五時からですが、久しぶりに「武蔵」を見ました。昔読んだ「武蔵」は忘れてしまいましたが、今回の大河ドラマは細かい心理を描写しています。その路線が受けるかどうかは問題。巌流島まであまり盛り上がりがないのではと心配です。「武蔵」のあとプールでひと泳ぎです。



2003年06月07日(土) 誕生日

今日6月7日は私の48回目(?)の誕生日です。あまり歓迎されない誕生日なのですが、メードのシータの誕生日がこの6月2日だったので、一緒に誕生日の祝いをすることにしました。


彼女は基本的に「色々な料理を作りたい」というのが本音で、それ自体非常に歓迎なので、彼女の旦那さんも招待して三人でのパーティです。メインはチキンの丸焼き。皮が香ばしくてとても美味しかったです。その他ワインに遭うようにフランスパン、チーズ、サラミ、サラダ、そしてピザをピザハットから注文しました。宿舎から誕生祝のケーキも届いているので、食後は紅茶とケーキです。


体力が落ちているとは思わないですが、アルコールには弱くなったかなと思っています。もっとも前は人一倍強かったので、これくらいが標準かなともおもいます。


日本では定期的(一ヶ月一回)に献血をして、血液の健康度をチェックしていました。いまスリランカに来て献血も健康診断もしていないので、少し不安になっています。もっとも飲む酒の量はずっと減っているはずです。なんと言っても日本に居るときにはサラリーマンのメッカ新橋の勤務だったし、不健康な生活を続けていましたから、こちらの生活はずっと健康的です。



2003年06月06日(金) 料金業務

先月から料金部門が私の管理となったので、連日料金トラブルの処理があります。


前にも書きましたが、電話料金が払えなくなると日本と同じように通話停止になります。通話停止になるとお客様も困るので、なんとかして通話停止を解除してもらおうと考えるお客様がでてきます。


まず「お金がないのでの料金を免除してくれ」というもの。手紙、電話そして直接訪問をしてきます。それも会社の会長の所にです。そうすると会長から何とかならないかという検討依頼が来ます。でもなんともなりません。


既に何人ものお客様と対応しましたが、本当に金がなく且つ非常に善良な人達なのです。善良でお金がなくそして計画性がないのです。スリランカの人達を見ていると本当にそういう人が多いと思います。(言葉は悪いですが)いわゆる「その日暮らし」。しかし、一年中暖かで野外でも暮らせる国なので備えが必要かというとそうでもないのです。


そして、何とか「ツテ」を探します。いわく「通信大臣の友人だ」「会長の知り合いだ」とか、この前は「大臣の妹だ」という電話を受けました。この手の話は本物・偽者がありますが本物が性質がわるいです。


でもスリランカでは「直訴」の習慣は根深いです。政府組織、そして嘗て政府組織だった我社も、本省・本社の権限が強く、時にルールを越えた決定もなされます。また末端組織の非効率そして偶には腐敗もあるのです。


この仕事は本当に難しいです。でも日本人に任せたのは、「是々非々」をはっきりさせようという意図だとおもうので、しっかり考えようと思っています。でも、数字や金と付き合うより、お客様と付き合う方がずっと面白いです。



2003年06月03日(火) コンピュータ不調

今週月曜日から会社のコンピュータの調子が悪いのです。確か昨年の今ごろもバイアラスの影響で職場のコンピュータと宿舎のコンピュータが被害を受け、職場のIBM機は修理に出し、宿舎の富士通機は日本の妻の助けを借りてOS入れ直したのでした。


今回は、先ず月曜日の午前中からインターネットが使えなくなりました。会社のLAN技術者の応援も得て修理を試みたのですがだめ。そのうちなんだかんだ触っている中にOSが閉じなくなったり、立ち上がらなくなってしまったのです。


MS−DOSから抜けられなくなった症状は何とか解決したものの、Windowsが立ちあがらなくなってしまたので、変に触って取り返しがつかなくなっては大変なので、前回修理を頼んだIBMコロンボに今日行ってきました。技術者曰く「Windowsが大分痛んでいる」ので入れ直した方がいい。


遅いながらも一応立ち上がるところまでと、LANが繋がる確認をしてもらって今日のところは帰ってきました。LANが繋がれば自作ファイルを別のパソコンに逃がしてOS入れ直しができます。


でもって職場にかえってLANに繋ごうとしたのですが繋がらない。もう一度会社の技術者に調べてもらったところ、私のアドレスはサーバから消されていたとのこと。ひどい。アドレスを変えてもらって即OKでした。しかし、私のコンピュータのOSが傷んでいることは確かなので、なんとかOSを更新しようと今検討中です。




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