チェロ音楽発表会がコロンボのロシアンセンターで開かれました。師匠「ドュッシー」の弟子達の発表会です。9名の大人(といっても多くは学生)と4人の子供達が参加しました。
日本の音楽教室の発表会と同じ感じ。独奏から全体合奏を含めて13人が何回か舞台に上がりました。ロシアンセンターはエアコンが効いている小さなホールなので非常に快適に聞くことができました。(ほんとは最年長の私も参加すべきだったのですが・・・)
小さい子供から大人までの演奏を聞いてびっくりすることは、チェロの音がいいことです。指のテクニックがしっかりしていなくても、ボーイングはみんな上手いのです。「雑音がない。芯のしっかりした音を出す」。これはしっかりした練習室において、師匠ドュッシーの音を身近に聞いてきた結果だと思います。小さな子供でものびのびとしたしっかりした音を出していました。
彼らは曲を習うのではなくて音楽を習っているのですから当然といえば当然です。
改めて感じたことですが音楽は「金」のかかるものです。コンサート会場、楽器、そしてきちんとした練習環境。現在のスリランカの経済状況からすると後回しになっても仕方がありません。そんな中でSOSのメンバー達が必死に音楽を続けていることは非常に貴重な活動です。
今晩とってもお世話になっている銀行のトップの送別会がありました。ホテルのカクテルパーティです。こうしたアルコールの入るパーティの感想を書きます。私はアルコールは嫌いではないので、カクテルパーティに呼ばれるとワインを中心にアルコールを飲んでしまいます。ここで問題なのが、酔いが進むにつれて英語ヒアリング能力(多分会話能力も)が極端に落ちることです。
これには二つの要因があるのです。まずこちらの理解力が落ちること。酔いが回るにつれて理性的処理能力(意識的になされる部分)が落ちるのでしょう。日本語ならわかるのですが英語を日本語に翻訳して理解していることが困難になるようです。
更に話している相手が酔いに任せて普通のスピードで英語を話を始めるのです。相手も「しらふ」の時はこちらの英語能力に合わせて、ゆっくり英語を話してくれるのですが、アルコールが入るととんでもなく早いスピードで話始めます。多分使う表現なんかも「砕けたもの」に変わるのかもしれません。
この二つが重なって、私にはほとんど理解不能な状況に陥ってしまいます。まあ適当に相槌を打っていますがコミュニケーションは成り立っていません。これでいいのかなと反省しきりです。英語能力の不足を嘆くことになるのです。 しかし、少し冷静に考えてみると、日本で酔っ払った時に冷静に日本語で会話をしていたかどうか、これも非常に怪しいのです。実際どんな会話をしたのかしっかり覚えているなんてことはないです。こう考えてみるとアルコールが入っての会話は古今東西、普通とは別なのではないかとも思われます。少し不遜な言い方ですが、お互いその瞬間瞬間が楽しめればいいのではないかと思います。アルコールが入ったときの英語がどうなのか、これは恥ずかしくて表現できません。尤もアルコールなしでも恥じ入るようなレベルですが・・・。
妻が長野県須坂市の実家の整理に手をつけました。義母(妻の母)が亡くなって以来義父が一人で暮らしていたのです。この義父は根っからの学者タイプの人で、身の回りのことには無頓着だったのです。高齢ということもあって手が着かなかったのも事実ですが。その義父が昨年後半闘病生活に入り、暮れに亡くなりました。
義父の新しい墓も出来てようやく実家の整理に取りかかることができるかという矢先の今年の連休に、義妹の腫瘍が発見され、義妹(妻の弟のお嫁さん)は手術の甲斐なく亡くなったのでした。このドサクサで妻の実家は、昨年夏の義父の入院以来手付かずのままになっていました。
はっきり言って、普通の人の想像を絶する状態なのです。家の外は草木が伸び放題でジャングル状態。家の中も結構すごいです。私が日本に居ればニ馬力で片付けられるのですが、そうはいきません。妻には無理をしないで少しずつ進めてほしいものです。家族の思いでが詰まった家なので、安易に金で解決するわけにいきません。
去年も書いたような気がしますが、スリランカには夏休みがありません。一年中夏なので特に7月・8月に休む理由がないからです。日本から持ってきた寒暖計で計ると、最近の私の部屋の気温は摂氏27度から28度で安定しています。私の部屋は30階のフロアーにあり、風通しがいいので地表とは2〜3度ちがうかもしれません。でもこの季節は過ごしやすいです。
日本の感覚からすると、ゴールデンウイーク、夏休み、年末・年始に休みを取って身体を休めようと考えてしまうのですが、スリランカでは実際にはそのときに休みが取れないことが多いのです。それらの休暇を意識して仕事・行事の予定が組まれることがないせいです。
従ってスリランカの休日に休むのが「無理のない休み」なのです。それは四月中旬の「新年」と五月中旬の「ベサックホリデー」です。一方日本に暮らす家族は、全く日本の生活習慣そのままで暮らしているので、単身赴任の私と他の家族は休暇のペースが合いません。
昨年の夏休みは妻をスリランカに招待しました。でも実際は妻は退屈したみたいです。私はコロンボにいるとつい仕事のことが気なってしまうことも原因でしょう。この反省の上に立って、今年の夏休みはタイのバンコクで合流することを考えています。
今日SOS演奏会(ヤングソリストコンサート)が無事(?)終了しました。個人的には満足のいくものでした。私の身上は以下の通りでした。
○全体の邪魔はしない。 ○自分が貢献できるところは頑張る。 ○上手な人の演奏、音、音楽を十分聞く。 ○音楽全体が楽しめれば良しとする。
この方針に沿って、難しいパッセージは上手に消える。頑張れるところは懸命に弾くというように上手く使い分け自分なりに楽しみました。テクニックを身に着ければさらに面白いものになるのでしょうが、高望みはしないのがいいみたいです。
こう書くとまるでお客様みたいですが、実は音楽を演奏することは実はこういうことではないかと思っています。必死に譜面を追って他人の音に気を配ることもできずに終わってしまう演奏会なんて意味がないと思うのです。舞台の上が一番音楽を楽しめる場所ですね。
SOSは明日の演奏会を前に最後のリハーサルが行われました。最初のシューマン序曲からすべてを通して演奏したのです。途中で止まることはないようです。
サンサーンスのチェロ協奏曲ソロは大したものです。彼女は土曜日に私の後のレッスンなのです。私にフォーレのエレジーを聞かせてくれた方です。今回はリハーサルの度にどんどん上手くなっていく感じです。本当は会場の椅子座って聞きたいところです。いつも二台のチェロを持ってきて感じのいい方を弾いています。
メゾソプラノの伴奏でモーツアルトのフィガロの結婚から「ボイ・ケ・セパーテ」のアリアを演奏するのですがこれは気持ちいいです。木管が上手かったら最高なんだけど。メゾのペシャリさんは体格がいいです。従って結構馬力があります。明日はどんな衣装を着るのか楽しみです。
ブラームスのピアノ協奏曲第二番は難しい曲です。オーケストラの鳴りにくい曲だろうと思います。やはりバイオリン協奏曲もそうだけど、よほどソロとオケが上手くないと決まりません。でもその「とりとめがない」ところがブラームスの特徴でもあります。
演奏会の最初にスリランカ国歌を演奏するようなのですが、この編曲はカッコいいです。チェロのパートは面白いです。
BBSに27日のコンサート情報を記載しておきました。追記。
今週は会社の役員会があり懸案が多数あったので非常に疲れました。もっとも時差3時間30分先行する日本で電話会議で参加された日本の役員の方はもっと大変だったと思います。通信が発達しても時差はどうすることもできません。
土曜日に迫ったコンサートですが少々諦めの境地です。今日全体練習があったのですが、自分のパートにだけ集中していると全体が聞けません。自分の役割は適当にサボって、音楽を聴くのもいいなと思っています。そのように考えるとすこし気楽になりました。
本日三回目のオーケストラ全体練習に参加しました。シューマンのゲノベヴァ序曲、メゾソプラノのアリア、サンサーンスのチェロ協奏曲、ブラームスの一・二楽章でした。だんだん曲がまとまってくるのがわかります。私はいかにうまく消えるか、そして、せっかくだから自分のパートだけに必死にならずにいかに音楽を楽しむかを追求したいと思います。
このオーケストラの感想を少し書きます。まず弦楽器はうまい人を揃えています。コンマスの「アーナンダ」さんは音色がすばらしいし、1st・2ndバイオリン・ビオラはいい線を行っています。師匠「ドゥシィー」さん率いるチェロは強いです。ほとんどがコンチェルトを弾ける人達なのです。今回のソリストのアベセカラさんは中学生。留学が決まっているそうです。
スリランカで音楽を目指す人たちは、声楽・ピアノ・弦楽器を一通りやるみたいです。スリランカ随一のピアニスのラマヤ・ペレラさんは今回コンマスの横に座って1stバイオリンを担当しています。これに対して木管楽器は弱体です。オーボエ、クラリネット、フルート、ファゴットが揃ってもうひとつです。これはリーダ格の方がいないからだろうと思います。リード楽器はリードが高価なので苦しいのかもしれません。(先生もいないみたいです)
因みにスリランカでは、バイオリン・チェロは国産の楽器があり、いい製品は輸出されています。師匠「ドゥッシィ」さんの家にはスリランカ国産チェロが何台かありますが、しっかりした楽器です。(よくはわかりませんが)
金管は合格点が着きます。決してうるさくならないのです。「スリランカ人の金管」という感じで、決して気張らないしやわらかい音色です。ロシアの金管とは対極にあります。
気になるのは、オケの人達皆譜面をホッチキスで留めていることです。めくりずらいので不便だと思うのですが、そういうところは全く意に介していません。
スリランカに来るときに記録用にと考えて私専用のデジカメを買って持ってきたのですが今日壊れてしまいました。実はこれまでおかしな前兆が合ったのですが今日は本格的(変な表現ですが)に壊れたみたいです。
約半年前くらいから「レンズのが出てこない」ことがあり、少し「叩いたり」すると直ったのでだましだまし使っていました。(それがいけなかったかもしれない)。湿気が影響している可能性はありました。今年の一月にSCUBAのライセンスを取った時、海辺で随分写真を撮りました。
私はデジカメをいつもアタッシュケースに入れて持ち歩いています。なにか珍しいものに遭遇したら直ぐに写真を取れるようにと思ってのことです。これも良くなかったかもしれません。頑丈な「かばん」の中でデジカメは動き回ることが多かったみたい。そのためにシンガポールで少し丈夫なデジカメケースを買ってこれにカメラを入れていたのですが。
最近変だなと思っていたのは、ファインダで覗いたとおりに写らなくなってしまったこと。本体から出てくるレンズが少し下を向いているようなのです。取った写真の頭が切れているのです。今日ちょっとレンズに触ったらレンズが元に戻らなくなってしまいました。レンズが本体に完全に格納されるタイプは、小さくて持ち運びに便利なのですが、レンズを動かす機械部分はあまり丈夫ではないみたい。
さていつものカメラがないと少々心細い感じです。忘れっぽくなっているし、他人に紹介するにも画像の効果は大きいですから。仕方がないので一生懸命自分の頭の中にたたみ込みます。
今日は7月18日は、東京で勤務していたときの同僚Hさんの四回目の命日でした。四年間が長いようであり短いようでもあり複雑な気持ちです。
当時、私は庶務担当を引き受けていて、事業部全体の社員の健康状態に気を配ることが仕事でもありました。会社の分割という大仕事に加え、私達の組織は全く新しい仕事をする組織であったので、ゼロから立ち上げなければなりませんでした。忙しくて他人を思いやる気持ちが少し足りなかったかもしれません。私の担当の社員は随分苦労しただろうと思います。(私のせいもあって)
Hさんのご家族三人が残されました。東京に勤務している時には、育英資金の募集を行ったり、労災の手続きを手伝ったり、できるだけのお手伝いはしてきました。私がコロンボ赴任したあと、引き継いだ担当者の奔走の結果、昨年の暮労災申請が認められご家族の将来の支えが大きくなりました。
Hさんの故郷、鳥取県米子へは一周忌にお尋ねしました。とても綺麗な街です。非常にやさしそうなご両親ですが、本当に残念そうだったことを思い出します。葬儀の日はちょうど東京地方の梅雨明けの日でした。一周忌の米子が太陽が照りつける真夏でした。「夏の暑さ」「梅雨開け」から連想されるのは、Hさんのことと父の葬儀です。
コロンボからできることは電話で近況をたずねることぐらいです。電話してみて、長男の方と奥様の元気な声を聞いて安心しました。
今日、やっと26日の演奏会の全曲目がわかりました。
シューマン:歌劇「ジャノベーバ」序曲 サンサーンス:チェロ協奏曲 モーツアルト:フィガロ結婚、コシファントッテからアリア マーラー:子供の不思議な角笛から一曲 ブラームス:ピアノ協奏曲第二番
というもの。若いソリスト(メゾソプラノ、チェロ、ピアノ)のコンサートです。昨年の夏もやはり若い演奏家中心のコンサートをやっていました。しかし、伴奏といってもオーケストラは大変です。特に木管楽器はソロ楽器と絡むことが多いので、名手が揃っていないとソリストが辛いのです。ここは大きな課題。
オーケストラの中で音楽を聴いていて、遠い昔の学生時代を思い出しました。CDを聞いたり、演奏会を客席で聞くのとはわけが違います。「やっている側の一人よがりの満足感」とでも云うのでしょうか。一生懸命やっていることがひしひしと伝わるので、多少の傷は気にならないのです。客席にいたらミスばかりが気なってしまうでしょう。でもこの「コンサート」一番値段の高い席でもRs500なので許してもらえるでしょう。
古い腕時計がまた故障しました。日本にいって帰ってきたら止まりました。この前はシンガポールに行って来たら故障したのです。私の推測では、腕時計の機密性が良くなくて、気候の違うところに持っていくと、機械の中の水分が凝結して悪さをするのではないかと思っています。
前に修理してもらったコロンボフォート駅正面の時計屋さんに修理を依頼したのですが、嫌な顔をされた見たいです。(ドライバー氏に持っていってもらいました)30年以上も使っているので、そろそろ代え時なのかもしれません。しっかり壊れてくれるとあきらめがつくのですが、中途半端だと決心がつかないのです。
「メガネ」なんかもそうですけど、片方のレンズが割れたとか、中途半端な壊れかかたをすると、修理を重ねて使い続けることができるので、実際には知らず知らずの中に大分不便になっている場合があります。弦楽器の弦の場合は、少しずつ劣化するので、実際どれくらい悪いのか把握することが困難なのです。こういう物は、専門家のアドバイスを信じて定期的に全部取りかえるしかありません。「時計」の場合、「しっかり直るはずだから、その場繋で安い時計を買っておこう」と考えているのですが、それが正解かどうかわからないのです。
2003年07月13日(日) |
オーケストラ練習初参加 |
今日の午前中、シンフォニーオーケストラオブスリランカ(SOS)の練習に始めて参加しました。7月29日にコンサートに向け、水曜日と日曜日が全体練習が組まれています。場所はレディースカレッジ講堂。
コンサート会場でもあります。コンサート会場で練習ができることは素晴らしいのですが、エアコンもない古い講堂なのです。グランドピアノを運んだりする手間が省けたり、椅子・譜面台のセッティングが不要なので楽みたいです。つまりいつでも使えるみたいです。
グランドピアノはメインのブラームスの協奏曲二番のためです。独奏はアメリカ人ピアニスト。名前は聞けませんでした。この次聞きます。ブラームスの二番の協奏曲では三楽章にチェロの長いソロがあります。もちろん私の師匠のドュッシーさんが担当します。
ソロピアニストが蝶ネクタイを締めて正装で表れたのにはびっくりしました。エアコンがないことに加え、スポットライト浴びるので演奏者はものすごい厚さに耐える必要があります。練習はそういう環境にも慣れるためのものなのですね。さすがプロです。
というようなことのんびり書いているわりに、自分のパートのオサライは出来ていません。邪魔しないように、そして、如何にコンサートを楽しめるかこれから半月頑張りたいと思います。ちなみに今日は「満月」。ポヤと日曜が重なりました。来月のポヤはキャンディの祭りです。
2003年07月12日(土) |
あまりいい方法ではないけれど・・・ |
スリランカへ帰る途中シンガポールに寄るのですが、今回ついに「あれ」を買ってきてしまいました。今使っているのですが効くみたいです。
「あれ」とはずばりタイガーバーム。パソコン入力とチェロを長時間練習すると肩が凝るのです。力が入りすぎているのか、姿勢が悪いのか、多分両方なのですが、共通して左肩が凝ります。ボーイングで悩んでいたときには右肩が凝ったのですが、今はOK。残りは左肩。
パソコンの場合、手のひらをパソコンに置いて、リラックスして入力すればいいのでしょうが、会社で頭を捻りながら英文を入力していると、つい力が入ってしまいます。本来は、肩が凝らないようにするのがベストなんでしょうが、ゆっくり改造している暇もないので、思い切って「タイガーバーム」に頼ってみることにしました。漢方専門の免税店で、一番効く奴を買い求めました。
免税店の店員は、肩凝りに一番効く薬を紹介した後、私の頭を見て、目ざとく育毛剤を進めるのです。本当に商売がうまい。試しにひとつだけ買いました。こちらの効果は全く不明。因みに飲み薬です。頭につけるタイプは長年同じものを使っています。こちらの効果も判定が難しいのですが、つけていなければ悲惨な状況になっているはずと信じるしかありません。
帰国したときに買って来たCELLOの弦を交換しました。最初に少し変だなと思っていた「GとC」の弦を交換したのですが、あまりに音の出方が違うので、それほど気になっていなかった「AとD」の弦も変えました。こちらも音の立ち上がりが全く違って、なんで今まで苦労していたのだろうと思いました。
それと弦交換の後なんとチューニングが簡単なことか。古い弦だと色々な倍音が入っていたり、音程が安定しないのでチューニングが難しかったのだと思います。しっかりした音がでるようになりました。弦は、恵比寿の「ゴーシュ弦楽器」で買ってきました。ここは現金で買うと3割引になります。実は私の楽器はここの店で買ったのでした。
AとDが「Jargar」のMedium、GとCが「Spirocore」です。一番標準的な組み合わせだと思います。4本で12,320円のところを、8630円で買いました。弦の取り替え方も前にここで習ったので上手になりました。弦一式帰ると結構な金ですが、交換の効果・満足度は非常に高いです。
残った課題は「弓の毛」です。これまで、仙台で一回(仙台楽器様には大変お世話になりました)、スリランカに来る前に「ゴーシュ弦楽器」で一回変えています。すでに一年半以上経過しています。でもどこで変えるかが問題です。
スリランカの庶民が使う銀行として、バンクオブセイロン、ピープルズバンクの二つがあります。この二つは利用者の利便を考えてものすごく沢山の支店を持っていますが、残念ながら情報システムが不備で支店がオンラインで繋がってないのです。
この二つの銀行に我社の電話料金が支払われると、お役様の支払情報を得るまで時間がかかるので、お客様サービス上で不都合が生じます。この問題を改善するために二つの銀行を訪問して折衝しました。今の日本ではあまりに便利で忘れてしまいましたが、昔直面していた困難がそのまま存在するのです。先進国の便利さを知ってしまうと非常に戸惑います。
具体的に言うと、他と接続できるコンピュータシステムが限られた組織にしかないのです。そうすると、全国の支店の自支店管轄以外の収納情報はすべて本店に書類が送られて、本店でコンピュータに登録されます。この作業のために、膨大な書類が支店から本店に集められます。送付に時間がかかります。投入に時間がかかります。ミスが生じます。
こうしたシステムは大量の「人」を要するので雇用は確保されます。近代的設備への投資の問題、雇用削減の問題、能率向上の問題。いろいろ絡み合っています。そんな中でも資金効率を改善しなければなりません。この国の現実に即した努力が必要になります。「日本ではこうしている」と言っても何の約にも立たないのです。
2003年07月09日(水) |
未来から来た人に違いない。 |
日本に帰っていたときすごい話に出会いました。それは6月29日に行われた「宝塚記念競馬」で単賞で二億円を手にした人がいたということ。
新聞では以下のように推測していました。先ず、ダービーに500,000円を元手に、単式一着「2.6倍」を当てて1,300,000円をゲット。
続いて安田記念で1,300,000円を全額、単式一着「9.4倍」を当てて、12,220,000円を獲得。
さらに12,220,000円を宝塚記念で全額投資。単式一着「16.3倍」をあてて、なんと199,186,000円を獲得。
もしこれが本当だとすると「未来から来た人」に違いないです。この金をポンと寄付したらすごいですね。
2003年07月08日(火) |
バンダラナイケ国際空港 |
昨日(7日)の夜10時40分にシンガポールを立って、8日(0時30分頃)スリランカのバンダラナイケ国際空港に着きました。バンダラナイケ国際空港は日本の企業が参加して大幅な拡張工事中で、この工事が終了すると大分便利になります。
この空港は最近大分サービスが良くなったと思います。入国手続きは、すべてのカウンターが開いて待ち時間を最小にしようとしています。この入国手続きが済むと、預けた荷物がすでに着いていてすぐ関税チェックが出来ます。このチェックも外国人は簡単なものです。真夜中について一刻も早く休みたい乗客にとってはうれしい努力です。
さらに入国手続きカウンターのすぐ後ろに、帰国者・入国者用の免税店があり、ここで土産を買い足すことが出来ます。ここは結構利用されています。日本の成田は帰国者・入国者には非常に冷たい感じがします。もっとも出発ロビーの免税店も非常に貧弱ですが・・・。
空港から宿舎までの道は真夜中で空いているので約30分で到着しまた。出勤のため7時には起きなければならないので約5時間ねむりました。シンガポールからコロンボまでは時差を入れると実質4時間の飛行です。アテンダントの方には「一切かまってくれるな」と伝えて眠ってくるのでそれほど睡眠不足にはなりません。
一週間の日本での休暇を終えて、今日スリランカに向かっています。日暮里から朝9時25分の京成スカイラナーで成田に向かいました。成田空港に10時20分について、12時ちょうどのシンガポール航空機でシンガポールに行き、そこでコロンボ行きに乗り換えます。
シンガポール航空を使うので成田空港第一ターミナルです。この第一ターミナルは海外キャリアが使っているので、空港サービスが今一歩みたいです。空港第二の方は「JAL」とか「ANA」が使っており日本人利用客が多いので、サービスはいいようです。具体的に云うと、出国手続きに手間がかかるのです。窓口が多いのに係員が4人しかいないので長い列ができていました。
一本後のスカイライナー(11時成田着)も考えたのですが、早い列車を利用して正解でした。というのも、チケットカウンタのところで荷物検査があり、日本酒5合ビンが大丈夫かどうかトランクを開けて見せることになりました。さらに出国手続きのところの長い列です。エールフランスを使ってフランスに行く日本人団体客がズラっと並んでいました。こういうところで「ヤキモキ」するのは精神的に良くないのです。余裕を持っていくのが一番です。
12時発のシンガポール航空便はジャンボ機だったのですが、SARSで客が減って一回り小さい飛行機が飛んでいます。ほぼ満席状態です。7月下旬からジャンボに戻すそうです。今、乗り換えのためにシンガポールのチャンギ空港にいます。LANケーブルを持ってきたので簡単に空港内で高速インタネット網につながります。これは非常に便利です。チャンギ空港では各航空会社ラウンジの他にも、通路にインタネットカフェみたいな場所があり、自分のコンピュータを接続できます。
日本に帰るときに寄ったバンコクの空港もシンガポールのチャンギも「SARS」不況からの脱却で必死です。もともとサービスがいいのに、一斉に割り引きセールをやったり、必死にサービス向上を目指しているので「がんばってるな」という感じが伝わってきます。それに比べると「成田」は殆どそういう努力をしていないみたいです。
今日は朝10時から「叔父の49日」。午後から「義妹の49日」でした。両家のお寺さんが同一なのでこういう段取りになりました。ほんとうに信じられないような偶然です。
この「叔父」には小さい頃にかわいがってもらったので49日に参列できてなんとか恩返しができたと思います。叔父は第二次大戦の最後の方で海軍に行き「特攻」の訓練を受けていたのです。戦争がもう少し続いていたら実際の攻撃に出ていたはずです。そんな経験からか飄々とした風貌でした。
「義妹」は享年38歳でした。昨年12月の義父の葬儀の時に会ったのが最後でした。小学校4年生と1年生の子供がいました。今年の4月に「めまい」がするといって検査したところ、すでに「卵大」になった悪性の脳腫瘍が見つかったのです。検査の後二回の手術を受けたのですが助かりませんでした。「義弟」「義妹」の両親・姉妹にとっては簡単に受け入れられることではありませんでした。49日法要を迎えてようやく少し癒されてきた見たいです。
「義妹」の場合は手術をしなければもう少し生きられたかも知れません。このあたりが親・兄弟の納得できないところなのです。「義妹」の死はあまりにも突然だったのです。「義姉」は最後まで「死」が近いことを知らなかったと思います。逆に「本人」も両親・兄弟が近い将来の「死」を知ることができたら どうであったか・・・。これはさらに悲しかったかもしれません。
今回の帰国のメインイベントであるダブル49日法要に出席するため、妻と一緒に故郷長野県須坂市に行きました。午前8時にさいたま市の我が家を車で出発して、国道17号・16号を通って川越から関越道に入り、須坂市には11時過ぎにつきました。
長野に行くためには群馬県藤岡から長野道に入るのです。この長野道はゆっくりですが整備が進んでします。長野オリンピックに間に合わせるようにフル企画の長野新幹線と、ところどころ片道一斜線の長野道が開通して随分経ちました。長野道は軽井沢の峠を抜けるために9つのトンネルを通過しなければなりませんが、その中の殆どがまだ一斜線の対面交通トンネルです。既存のトンネルの横に新しいトンネルを掘ってフル企画の高速道路にしようとしていますが、まだ時間がかかりそうです。でも観光シーズン出なければそこそこのスピードで通過できます。
故郷の須坂に着いたのが昼少し前だったので、子供の頃から親しんでいるセッコウ亭のラーメンを食べました。ここは濃厚なスープと細めんの組あわせが上手で昔から定評があります。やはり美味しかったです。昼飯の後に実家の母のところに行きました。明日の二つの49日法要に出る予定ですが、ひとつは母の弟つまり私の叔父の49日です。母は自分より年下の弟が亡くなったのでショックが大きいようです。
午後、昨年暮れになくなった義父(妻の父)の墓参りに行きました。妻と妻の弟とで義父の墓を作りこの春の連休に納骨したのですが、その最中に弟のお嫁さん(義妹)の脳腫瘍が見つかり、手術の甲斐なく亡くなってしまったのでした。信じられないような日々でした。
午前中から新宿のタワーレコードに出かけ、2時間ほどゆっくりCDを眺めてきました。特に目当てのCDはなかったのですが4セット買いました。気になったけれど買わなかったものもあります。
(購入一覧) モーツアルト弦楽四重奏曲14番〜23番、ズスケ四重奏団。 エルガーチェロ協奏曲、ロココ変奏曲など、イッサーリス。 モーツアルトピアノ協奏曲20、23、24、26、27番、カーゾン。伴奏はブリテン、ケルテス指揮のロンドン交響楽団。 モーツアルト33曲のアリア、カナワ、スミ・ジョーなど。
(気になったけど買わなかったCD) ハイフェッツ、チャイコフスキーバイオリン協奏曲(視聴版で聞いたけどすばらしい音質です。だけど高い) ケーゲル、ベートーベン「田園」(興味深いけどちょっと不気味なのでやめました。やはり田園は健康で明るい演奏がいいです。クレンペラーとバルビローリの録音も出ていました。ちょっと遅すぎるので買いませんでした) スベトラノフ、ラフマニノフ交響曲第二番(欲しけど、プレビン版を聞いてからにしようと思いました。)
その後ひとりで昼飯を済ませ、目黒での合唱練習を済ませた妻と新宿で合流して南口の東急ハンズで買物。「東急ハンズ」とか「ユザワヤ」のような店は日本にしかないでしょう。日本人の「こだわり」を代表しているような店です。私は、機械油と温度計を購入。スリランカでは暑い暑いといっているのですが、実際気温が何度あるのか知りたかったのです。
昼飯は新宿「中村屋」。これまでのパターンだと中村屋特製の「インドカレー」を食べるところなのですが、さすがにスリランカから帰って来て日本でカレーを食べる気にはなりませんでした。そこでデミグラソースをたっぷりかけた「オムライス」を食べました。でも二階でPHSが通じないことから妻からの連絡が気になってゆっくり食べることができませんでした。
さいたまの自宅に戻ったら運転免許更新の案内が来ていました。見るとなんと「違反講習」になっているのです。
実は前回の更新が「違反講習」だったのです。四年前ほどスピード違反のために埼玉県中央部の鴻巣の運転免許センターまで行って2時間の講習を受けたのでした。不本意な「違反講習」だったので、その後3年間は無事故・無違反を続けて今回は「普通」の更新をするはずだったのに。その時の講習の講師も「次は普通講習になるように気をつけてください」といっていたのです。
昨年道路交通法が改正されて、なんと過去5年間に違反があった人が「違反講習」を受けることになったのです。これにより、私は3年前に「講習」を受けたのに、再び「講習」を受けることになってしまいました。従って再び鴻巣の運転免許センタに行って来たのです。渋滞する国道17号線をのろのろ行かねばならず一日作業になってしまいました。
なにより頭にくるのは、再び「違反者」扱いをされたことです。これは本当に不本意でした。行政はこういう感情をもう少し考えて欲しいと思いました。あまりにも頭に来たので交通安全協会に入りませんでした。交通安全協会会費3年間分「900円」。普通講習と違反講習の講習料の差額は「1000円」。この差額だけでも埋めようと思いました。
まあ、新道路交通法のポイントの知識が増えたし、交通安全のための心構えもできたので「損」はないだろうと自分を納得させました。スリランカに帰ってから安全運転をしようと思います。
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