コロンボ市内の中心部や高級住宅街の交差点では、よく物乞いの人を見かけます。信号待ちの車に近づいてきて運転席側の窓を「コツコツ」叩いて物乞いをします。赤ん坊を抱いた人とか、怪我をしている人、老人とさまざまな人達がいます。そうした人に物乞いを迫られると、非常に複雑な気持ちになります。小銭をプレゼントして善行をしたと小さな満足を得る場合や、黙ってやり過ごして後悔する場合もありますが、事はもう少し複雑なのです。
こちらの人の話によると、中心部の物乞いの一日の収入は「Rs300」くらいに達するそうです。一人Rs10として30人から得る勘定です。無理な計算ではありません。しかし、これを一ヶ月30日続けると、Rs9000稼げるのです。家事をするメードさんの給料がRs5〜6000だそうなので、彼らよりずっと多くの収入を得ている勘定です。この中から取り仕切っている人達への場所代等が上納されるのです。さらにノウハウの教示、赤ん坊の貸し出しなどもあると聞きました。
こうなってくると「物乞い」もビジネスに近いのです。本当に働けない人達が物乞いをしているのかそうではないのか区別はつきません。こちらとして、ビジネスに近いノウハウは駆使しているものの、本当に他では働けないと信ずるほかないのです。この辺が複雑な気持ちの理由なのです。
2002年07月30日(火) |
クラシック音楽の状況 |
先週土曜日のコンサートの翌日二回目のレッスンがありました。ついでにこの国でのクラシック音楽の状況について先生に聞いてみました。先生曰く「この国ではプロの音楽家はいません。私もアマチュアです。国の補助がほとんどないからやっていけないのです。」とのこと。実際、コンサートを開けるような音響設備の整ったホールはありません。
数年前に少し滞在したベトナムハノイ市を思うと、音楽状況の差の差が非常に大きいことに感慨を覚えます。というのも、ハノイ市には、立派なオペラ座があり、大規模な交響曲を立派に演奏できるオーケストラがあるのです。日本にいるときこのハノイ交響楽団の来日コンサートを聞いたのですが、チャイコフスキーの第五交響曲を聞かせてくれました。二楽章のホルンソロが大変上手だったことを覚えています。ハノイ市には音楽大学も整っていました。
こういう文化的な状況は殖民地時代の統治国の影響が大きいようです。ベトナムはフランス統治であったことから、フランス文化からの影響されているのです。ハノイ市には音楽ホールの他、街中に多くの画廊があるのです。スリランカは、かつてポルトガル・ドイツ・イギリスが統治していました。こうした国、あるいはその時の統治者の個性かも知れませんが、音楽芸術面においては影響を与えていないようです。
「Symphony Orchestra Of SriLanka」(SOOS)のコンサートに行って来ました。こちらに来てうわさに聞いていたので聞いてみようとおもっていたのです。会場は「レディースカレッジ講堂」。ここはよく演奏会に使われるようです。しかし、その名前から昭和女子大人見記念講堂を想像してはいけません。普通の講堂で、窓を開け、扇風機をがんがん回しています。となりに座った男性は椅子の間隔が狭いといって文句を言っていました。
演奏曲目は、前半がエグモント序曲、ハフナー交響曲、後半が白鳥の湖から抜粋8曲、そして、若手ソプラノを向かえてラボエム「ムゼッタワルツ」ほか4曲でした。少し遅れていったのでハフナーの2楽章から聞きました。弦楽器は4−4−6−5−2の配置ですが、1stバイオリン4人では音量が小さいのでメロディが貧弱でした。全般にこの国らしい音楽だなと思いました。というのは、管・弦とも技術的にも音量的にも無理をしないので、音が濁ったり聞き苦しいところはないのですが、テクニックがついていかない部分はそれなりにやり過ごすのです。全体としては「ほのぼの」とした明るさに満ちているのです。
暑い国でのチャイコフスキーはやはり「暑苦しい」と思いました。「白鳥」では管楽器が活躍しますがこれも「ほのぼの」ムードでした。スリランカ空軍・陸軍・海軍の軍楽隊のトラが相当人数入っているようです。そんな中でトップチェロ奏者のソロは抜群の安定感と音楽性を発揮していました。先週から通い始めた私の先生なのですが、オーケストラがこういう人で構成されているとしたら大したものだと思っていたのです。その期待はあっけなく裏切られたのですが、そういう一部のすごい人がオーケストラ活動を裏から支えているのもこの国らしい姿だと思いました。
最後のソプラノ歌手の歌は楽しめました。最初の二曲はヘンデルとハイドンで少し堅苦しく歌っていましたが、後の二曲プチーニと「サマータイム」は非常に感情がこもっていて聞いていて気持ちがよかったです。プチーニではミミの期待に膨らむ気持ちを元気にそのまま表現していました。美人でスタイルの良い方なのでソプラノ界で活躍してほしいと思いました。
会場はほぼ満員でした。根強いクラシックファンがいるのです。しかしこの国にはコンサートホールはまだありません。海外から来るオーケストラは室内管弦楽団がせいぜいでホテルのボールルームでディナーショー形式でのコンサートが多くなるのです。
スリランカでは7月を「エサラ」とよんでいて、この月の満月「23日」には正月にあたる5月の「ヴェサック」などと並んで、特に盛大な催しがあります。中でもキャンディのぺラハラは、スリランカ観光の目玉のひとつであり、ずいぶん賑わったようです。このぺラハラは、キャンディの仏歯寺を起点として、ポヤの一週間前くらいから毎夜行われ、ポヤの夜に最高潮に達するのです。キャンディ仏歯寺近くのクイーンズホテルは少し古いですが、このぺラハラを見るには最適な場所で、ずいぶん前からぺラハラシーズンの予約は満杯になってしまうそうです。ポヤの夜はテレビの生中継もあり私もテレビを通してすこし見ました。
このキャンディぺラハラ(踊りや楽隊・象など行列)の主役は、仏歯寺に伝えられている「仏歯」を背中乗せて行進する象なのです。この役は賢くて人格(象格)が立派な象が選ばれるのです。今年のこの役は、コロンボのガンガラーマヤ寺院の象の「ラージャ」だったのだそうです(会社の同僚の話)。この「ラージャ」は私の宿舎のすぐそばに住んでいるのですが、他の像を押しのけてこの栄誉ある役割を勝ち取るなんて大したものです。
このキャンディぺラハラは国際的にも有名なのですが、同じ時期に行われている「カタラガマ」のぺラハラはすこしマニアックです。この模様は昨日の夜テレビで中継されていました。カタラガマの中心はヒンズーの「カタラガマ神」なのですが、近くに立てられたキリビハーラという仏教大寺院と渾然一体となっているのです。この辺はスリランカの人の柔軟なところで非常に日本人に近いとおもいます。
日本では「梅雨明け宣言」がどんどん北上していて、朝のニュースを聞いていると最高気温35度なんていうところがあったりして厳しい暑さが想像できます。コロンボでは、この季節どちらかというと涼しいのではないでしょうか。コロンボは北緯7度なので太陽が北にそれているためだと思います。これに加えて、南西からのモンスーン風が強いので海が荒れています。海水浴やスキィウーバのシーズンは10月ごろから始まります。
先週は、結構忙しい一週間でした。木曜日には国会の委員会に行ってきました。勤めている通信会社は60%国有なので国会の事情聴取があるのです。スリランカの国会議事堂はコロンボ郊外の「スリ・ジャラワルダナ・プラ・コッテ」という場所に新築移転されました。そのためこの長い地名の場所がスリランカの首都とされていますが実際には、国会議事堂と国の機関の一部があるだけのところです。
金曜日には我が社の「株主総会」が開催されました。といっても、株主は国と出資している日本の「NTTCom」と、株を所有する従業員だけの総会で、公開企業はないのですけど。ほとんどのやりとりが「シンハラ語」でなされたので内容は、よくわかりませんでしたが、厳しい語調でのやり取りが行われました。ワールドコムの不正経理問題も他山の石として、経理の基本姿勢や、監査法人との関係などをキチンとしなくてはならないと思っています。
土曜日(20日)にはチェロのレッスンを再開しました。数年前に始めたチェロについては長野・仙台の勤務から東京勤務になったとたん仕事が忙しくなったため、すこし遠ざかってしまっていました。しかし初めての単身赴任生活なので時間の有効活用のために、今回日本からはるばるチェロを持ちこんだのです。こちらの生活基盤が確立できたことと、先生探しができたのでようやく第一回のレッスンに臨むことができました。上達するかどうかは私の精進次第ですが、プロ奏者の音が身近に聞けることは日本ではなかなか得がたい体験です。背伸びをせずに楽しみたいと思っています。
日記更新のぺースが一週間になってしまいました。感受性が鈍ってきているのか、あるいは仕事が忙しいかなのですが、ひとつの危険信号ではあると思っています。
さて、昨日の日曜日は7月14日は「フランス革命記念日」でした。どういうわけか知りませんが、私のところにフランス大使館からパーティへの招待状がきました。問い合わせたところ間違いないとのことなので、(間違って送ってしまってから、来ないで下さいともいえないか・・・)、お祝いに行ってきました。フランス革命については、ロペスピエールとかダントンとかの話を昔かじったことがあるし、なにより、フランス大使館主催のパーティなら食事とワインが大いに期待できるからなのです。
料理では豊富なチーズとパンとの組み合わせが美味しくて、ワイン(多分こちらで調達したのでしょうか)と一緒に頂いて、それだけで結構おなかが膨らんでしまいました。スリランカ人の招待客が多いためかスリランカ料理中心のようでした。他国の人と話す機会がもてて面白かったです。
ところが、日本人は少なく、私とせっかくなので誘った元同僚の「I」さんとカメラマンの女性3人だけのようでした。実は7月14日は日本人会主催の盆踊り大会と重なっていたのです。大使館の人たちはそちらに流れたのでしょう。知り合った親日派のフランス人(日本人バンドのキーボード担当)に聞いたところ、昨年も盆踊り大会と重なったそうです。「バスチーユ襲撃」が盆踊りの季節だったという認識はとても新鮮ですね。日本も暑かったようですが、多分当時のフランスも相当暑かったはずですね。
土日の休日を利用してヌワラエリヤに行ってきました。コロンボの日本食レストラン「日本橋」が主催するゴルフ大会に参加するのが目的でした。ヌワラエリヤはコロンボから車で5時間くらい。標高1900mの高原地帯です。標高1200m以上のところで採れるお茶を「ハイグローウン」といいますが、ヌワラエリヤはそのハイグローウンティーの有名な産地です。町へ行く途中は茶畑が延々と続いています。
ゴルフ場は1889年に作られたというアジアでもっとも古いものだそうです。町の真ん中に位置しているものですから、18番ホール(ロング)など町のメインストリートのすぐ横にあり防護フェンスもないのです。素人がドライバーを振るととても危険です。コロンボゴルフ場が平坦なのに比べると、山の中なので起伏がとても激しいのが特徴です。でも、コロンボだと2〜3ホール行くと汗だくになりますが、ヌワラエリヤは涼しいので快適なのです。
ヌワラエリヤには、このゴルフ場のほかに競馬場もあります。これもイギリス人の農場主が故郷を思って作ったものなのです。そのほかでは、古い屋敷を改装したホテルとか、当時からの教会(1843年から)は趣がありました。教会には小型のパイプオルガンがあり、修理中のところ音を聞かせてもらったのですがとてもいい音がしました。
暑いコロンボに帰ってくると、寒い地方出身の人間にとってはヌワラエリヤ涼しい気候が別天地のように思えます。昔のイギリス人が住み着いたのはこの気候と豊かな自然のせいですね。
本日(二日)の新聞記事。
先月27日、スリランカ南部の「カタラガマ」で女子小学生が夜7時頃UFOらしき物体を目撃したそうです。彼女の証言を紹介します。
「お姉ちゃんと友達二人で家のそとの道で遊んでいるとき、空に何か飛んでいるのを見つけたの。それはちょうど飛行機が飛ぶ暗いの高さかな。それは回転しながら右の方へ飛んでいったよ。それはとても大きくて満月くらい明るくて、顔を覆った指の間からも光が見えたの。その光は1分位輝いていて消えてしまったの」
この時期の7時はちょうど夕暮れ時で、太陽の光が何かに反射してUFOに見えたのではないかとも思われる。光が回転(revolve round)していたと証言しているので単なる何かの光の反射ではなさそうであるが。さて正体は。
2002年07月01日(月) |
レッドバナナ(赤いバナナ) |
日曜日に昼ご飯を食べながらのちょっとしたパーティをしました。その準備のため、サラダを作ったり、オードブルを盛り付けたり準備をしたのですが、買い物に出かけた近くのコルピティ市場で「レッドバナナ」を売っていたので、デザート用に買ってみました。市場の果物売り場は一年通して豊富な果物を売っているのです。
「レッドバナナ」の値段は一本「Rs20」でした。普通の黄色いバナナは「Rs2」くらいなので「10倍」の値段なのです。10倍の価値があったかどうかは判断が難しいですが、確かに非常に美味しいバナナでした。「甘さ」の感じが普通の黄色いバナナとはかなり違っていています。とっても上品な甘さです。それにタッブリ実が詰まっているので食べ応えがあります。
こちらの人の話ではレッドバナナは育てるのがとても難しいために非常に貴重なのだそうです。とはいうもののバナナは都市近郊の畑で作られたり、自分の庭で栽培されていて、普通の黄色いバナナでも「熟する」まで刈り取らないために、日本で売っているバナナに比べるととてもおいしいです。暖かい地域は美味しい果物が沢山あるので羨ましいです。
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