ゼロの視点
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2004年04月29日(木) 決断

 5月くらいには里帰りしようか・・・、と随分前から考えていた。でも、考えるだけ。

 予定はどんどんはいる。

 困ったな。

 ま、しょうがない。

 とはいえ、日本でもやることあるし、さてどうするか?。


 などと考えあぐねた結果、単純な私は昨日の映画の影響もあって、本日の午後には一挙にスケジュール調整して、里帰りのチケットを購入してしまった。いつもは、購入後の日付変更可能なチケットを利用していたが、それが不可能な直行便のチケットが異様に安いことがわかり、即購入。


 ああ、どんどんケチになっていく私・・・・。


 最初は2週間の予定を考えていたが、鷹揚なフリした夫が“どうせ帰るなら3週間ぐらいはどお?”なんて言ってくれたので、3週間に即変更。そのあと、本当に3週間にしたことを伝えると、ちょっと焦った夫の電話口での声が、もっと滞在を延ばしてみたい私の衝動に火をつける(笑)。

 今回の里帰りは、昨年の12月にパリにやってきて、ヤバかった母の様子見が主体。あれから、母はかかりつけの医者のもと、たくさんの精密検査もして、それなりの結果を得たものの、私自身もこの担当医ともっとダイレクトにコンタクトを取っておく必要を感じたので、帰ることにした。

 今回は、昨年のように夫が一緒ではないので、時間的には少しはのんびりできそうな予感?!。日本語アウトな非日本人を同行すると、ある意味楽しめるが、その一方で久しぶりの母国を充分に満喫できないという欠点があるもので・・・。



 とうとう、昨年の9月22日に17年と8ヵ月の生涯を閉じた、我が愛犬マルチンの遺骨と対面だ・・・・。


2004年04月27日(火) 生きる

 S嬢に貸してもらった、DVDで黒澤明の映画『生きる(1952年)』を夫と2人で鑑賞。

 今さらあらすじを語るまでもない映画。前回この映画を観た時は、私はいくつだったのだろうか?。恐らく大学生の頃、テレビで観たのだと思われる。

 当時は、黒澤なんてケッ、木端役人がどうしたっ、というスタンスから抜けきれていなかった上、まだ学生、働き続けることの意味などまったく知らん。それなりに、映画には見入ったものの、感動するほどまでではなかった。

 が・・・・・・。

 今回は、自分でも信じられないほど深く静かに感動してしまった。それだけ、私も志村喬演じる“渡辺さん”の年齢に近づいてきた?、ということだろうか・・・。それとも、学生の時よりも、色々な事を経験し始めてきたからだろうか・・・。または、“渡辺さん”やその同僚のように、実はとりあえず生きているだけだったりするからだろうか?。

 市役所で、自分の机に山高く積み上げられた書類に、目を通す振りして、判を押すだけの毎日。それは文字通り“判で押したような生活”であり、30年間無欠勤を誇る“渡辺さん”。フランスだと、さしずめ、"métro, boulot, dodo"というところだろうか。

 癌という死刑宣告を受けて、“渡辺さん”は生き始めるのだが・・・。本当に生きるやり方をしらないために、それを探し彷徨うその姿は、自分探しだの、生きがい探しというものが商売にもなっている現代社会にも、そのまま当てはまる。

 “渡辺さん”の葬式で、彼の遺影を前に繰り広げられるあまりにも俗っぽい会話。自分の地位や生活を守るために、どうしようもない上司に媚を売っていく彼らに対して、“あいつらは本当に嫌なやつだ”と断言できる人は本当にいるのだろうか?。少なくとも、私にはできない、不可能だ。

 そして、酒が入れば入るほど、本音に近づいていく彼ら。だんだんと“渡辺さん”の死を覚悟してからの偉業を認め出しはじめ、彼を褒め上げ出す。ああ、非常に俗っぽい。が、たまらないほど魅力的なシーンだ。

 そして、一同、“渡辺さんのように生きようっ”と酒を交わすものの、また翌日からは、自分たちの機能を最低限にこなす生活に舞い戻る彼らたち。

 生を全うすることがいかに難しいか、また死を認識することがいかに難しいかなどをこれでもか・・・、と提示してくる映画だ。もちろん、渡辺さん自身も、癌の宣告がなかったら、彼らと同じことをしていたに違いないわけであり・・・。

 今の生活を守ろうとする姿も人間であり、そのためには様々なことを犠牲にしてまでもその人なりの“判でおした生活”に飲み込まれていく・・・、これもあまりにも人間的だ。そして、それもひとつの幸せ。

  
 奇しくも、このDVDを貸してくれたS嬢は、ただ今“もしかしたら癌かもしれない疑惑”の渦中にいる。そんなわけで、彼女とは本日、もし余命がいくばくもないと知ったらという仮定に基づき、いろいろと話し、それが脱線して、どんどんとくだらない話になっていき、2人で大爆笑をしていたのだが・・・。



 笑っている場合じゃないよ・・・、なんだか知らないけれど。


 
 生まれた瞬間から、死刑確定囚の私たち。いつその日がくるかわからない。ずっと先かもしれないし、もしかしたら、もうすぐなのかもしれない。そんな死と生のハザマで“充実感”をキープする難しさ。

 やることたくさんあるけれど、とりあえず昼寝、とか、遊んじゃおう、等ということだけは得意な私は、かなりの緊張感をこの映画で不覚にも得てしまった・・・・。

 “渡辺さん”の山高く積まれた書類は、まるで私がやらなくてはいけない懸案事項を暗に示しているようだ。それを適当にやったような振りして処理して、内容も吟味せず・・・。が、癌を宣告された“渡辺さん”はその中の一つの書類を真面目に吟味、そして取り組み、ちいさな公園を作り上げ、そこで充実感に包まれながら独りで死んでいく。



 癌は宣告されてないけれど、さて、私もひとつ書類を吟味してみようか・・・・?。


2004年04月25日(日) メーリングリスト

 昨日の花見で、非日本人夫の間で、日本人妻を娶ってどんな被害にあったか・・・?などというネタで、盛り上がっていた。そして、YK嬢の夫のHがシャレで夫連中の間でメーリングリストでも作って、色々と語ったら面白いのではないか?、と言っていた。

 そして、翌日の今日、Y嬢の夫Dが本当にメーリングリストを立ち上げてしまった(笑)。今のところ、メンバーは上記の2名プラス我が夫の計3名。このままのメンバーだと、YK嬢曰くただの交換日記になってしまいそうなので、ただ今メンバー募集中。


(1)日本人はやさしいと思って、結婚したら全然そんなんじゃなく、期待を裏切られたという非日本人夫。

(2)非日本人から見て、よく不可解な行動をとる日本人妻について。

(3)日本人妻はネットが好きで困る。

(4)将来のことを必要以上に心配する。

(5)日本人妻は頑固。

等、色々と語り合っているようだ(笑)。共通言語は英語。彼らとしては、非日本人だけじゃなく、日本人の人にも参加してもらいたいようだが、さあ、どうなるんでしょうか、ね。

 ひとえに、彼らとしては、日本人妻同士が結束して、あーだこーだと自分達には完全に理解できない日本語で愚痴を話しているのに対して、自分たちも是非そういった機会が欲しいっ、という思いがひとつになり、発足になったのだが、フランス語でやろうと、英語でやろうと、みんなわかっちゃうんだよね、けけけ。

 興味のある方、または、自分の夫やボーイフレンドにやらせてみたい方などがおりましたら、ゼロまでメールおくんなせえ。


2004年04月24日(土) 光合成

 知り合いのパリおよびパリ近郊在住の日本人妻連中が、日本人夫および非日本人夫を伴って、午後よりソー公園でお花見。

 私は、もともと晴天の日に、家に篭っているのが大好きな人間。“なんていい天気なんだろうっ”と感激しながら、家から一歩も出ず・・・・、という生活が基本。そして、日が暮れだすと外に出る・・・。

 実は、夫も然り。ただひとつ違うのは、彼の場合天気がいい日は出かけないといけないような漠然とした強迫観念があり、それをしないと罪悪感にかられる、という点だろうか・・・。とはいえ、罪悪感を感じながら、決して出かけようとはしないのだが(笑)。

 ましてや、弁当持参で、ピクニックの準備を万端にして出かけるなど、想像だに出来なかったが、とうとう本日遂行に至った。


 我が家はクルマがないので、飲み物など重いものはすべて夫のリュックに積み込み、かさばるものの軽いものだけを私が持ち、RERでソー公園へ向かう。駅から桜の場所まで、かなり歩いたように思う。

 やっと到着すると、すでに数組のカップル。挨拶して、自分達の敷物をしいてテリトリーを確保。そこにオカマのように横座りする夫。アグラもかけないし、だからといって正座もできん、というわけだ。そのうち、寝っころがりだす始末。

 それに対して、日本人組み(私を含む)は、正座したり、体育座りなどちょくちょく座り方を変えるものの、ゴローンと横になることもなく、平然としていられる。

 ああ、座敷文化っ。


 桜のある場所は、本当にあちこちにたくさんの日本人がいる。噂には聞いていたが、ここは日本人にとっての花見の名所だったのだっ、と妙に納得。ここまでたくさんの日本人がいると、余計に自分がただ今“お花見”というイヴェントに参加していることを自覚できるからありがたい。

 やはり、日本人という同朋があってこその花見だと、つくづく思った。そして、久しぶりに太陽の下で健康的に過ごし、気持ちよかった。


 午後6時過ぎまで、のんびりと過ごし、その後、再び駅まで延々と歩いて、シャトレのM宅でのパーティーに合流。再び、飲んで食って騒いで・・・・、としているうちにもう午前3時過ぎ。深夜バスを待つのも面倒くさくなったので、そのまま徒歩で帰宅。

 いやあ、本日は本当によく歩いた・・・・・。

 


2004年04月21日(水) ばばあ・情報隠蔽

 本日は、夫の従弟がロシア人の彼女を連れて我が家にやってきた。そして、4人でディナー。

 夫の従弟Mは、ずうっと独身の40代。今も、ママン(ばばあの妹)に掃除・洗濯にはじまり、食事などの世話は頼りっぱなし。ママンの家からクルマで5分のところにある、自宅では、自分の好きなことをして時間を費やす日々。

 仕事が終われば、まずママンの家により、そこで夕食。仕事で忙しい息子の時間を割いちゃいけないという、ママンの心遣いゆえ、グレープフルーツやミカンなどは、ママンがむいてあげる。

 が、Mも40過ぎた頃から、徐々にママン離れを起こしてきている。それが彼女探しだ。

 これはママンにとっては、一大事。子供の世話をすることが生き甲斐になっている彼女にとっては、どこのウマの骨かわからないロシア女に息子を奪われてしまう危機にあるわけで・・・・。

 Mはなぜか知らないが、ロシア女(しかも金髪)に固執している。きっとネットで嫁探しがしやすいのだろうが、結婚相手募集のサイトに登録して、実際そういったエージェンシーにも登録している息子に我慢がならないママン。

 ママンとしたら、地元の由緒アル家庭の女性と結婚してもらいたい。が、そんなのまったく無視のM。

 わたしが守ってきた家族、財産、名誉・・・・、お願いだから、わかってちょうだい、とママンは何度も心の中で今も呟いていることだろう。

 
 こんな状況ゆえ、今晩の何気ないディナーも、実は姑とその妹であるMのママンにとっては、世紀の一大イヴェント。何とか事情を詳しく知りたい彼女らは、あの手この手を使って、入り込んでこようとする。

 Mのお相手は、自分のサイトを持っていることが発覚。自分の写真を載せたり、愛猫の写真を載せたりしているだけなのだが、ママン連中は、これは色々な男をサイトを通して漁っていると判断。わけがわからんが・・・。

 しかし、パソコンをいじれない彼女らは、色々な人にネットを通して、彼女のことを調べてくれといい歩いてまわっている。

 不思議なのだが、もし彼女がまだ男を捜しているのなら、それはそれでいいのではないか・・・?、ということ。なぜなら、自分の息子と結婚しない可能性が高いのだからっ。

 でも、なんでもいいから、彼女の悪いところを思いっきり知りたいママン。妄想が妄想を呼ぶ。そんなママンに、姉であるわしの姑は、話を熱心に聞いた振りして、煽っているともいえる行動をとる。

 これは、アル意味、姉の嫉妬でもあったりする。姉のほうは、自分の生来の性格が祟って、2人の愛息連中が、見事に自分の元を早々を離れてしまった。本当は、妹のように長いこと自分の手元に置いておきたかったのに・・・・ね(笑)。

 おまけに、妹のほうの2人の息子らは、地元でかなり成功している。特に次男のほうは、外科医として有名。地元での表面的なおブルジョワ様たちのお付き合いが大好きな姑にとっては、これは悔しい。

「あーら、オタクのおぼっちゃま達は、おかあさまをお捨てになって、パリへ行ってしまったのですわね・・・、お気の毒に・・」

「ところで、オタクのおぼっちゃまも、お医者さまでもやってらっしゃるのかしら?」

 これが一番悔しい姑である(笑)。

 しかし、よおく考えてほしいものだ。きみの長男が医者になれると思うか、ということを・・・・。あれだけ天然ボケの彼が、医者になったら、色々な医療ミスをおかし、訴えられて、それでオシマイになるんだよ、きみっ。で、それがきみの愛息のお姿。

 今日も、財布を忘れて会社に行ってしまったしね、彼は・・・。

 姉は、妹の心理を揺さぶるようなことをいい続けている。ネットもできないのに、“サイトを見たわよ、あれは絶対に売春婦よ”といいつつ、“でも、いい人かもしれないわよ、彼女”と相反するお言葉。

 愛するシェリーを奪われたくないママンを動揺させるには、充分。しかし、動揺してばっかりという馬鹿でもないママン。このごろは、息子のことは極力姉に言わないようになってきている。

 これが、一番面白くない姑。だって、知りたいんだもーーん、ってところだろう。情報隠蔽だとはあからさまに自分の妹を叱責できぬが、わからない欲求不満はつのる一方。

 なので、色々とあることないことを言って騒ぎ立て、誰かがいつかクチを割ってくれることを企んでいる。



 さて、本日のディナーは楽しかった。以前、この2人と一緒だった時よりも、一段とその仲を色々な意味で深めたように思われる。かわいそうな、ママン・・・・・(薄笑)。



 だーーー、かーーーー、らーーーー、



このディナーの話は、決して姑には語らないと夫と誓いあった(笑)。

 
追伸・ばばあシリーズは、これにてお終い。


2004年04月20日(火) ばばあ・調査

 Googleの仏語バージョンでの検索結果。常に、姑という語彙と、もうひとつの語彙をセットで検索てみたら、以下の通りだった。


(1)"belle-mère(姑)"と"manipulatrice(人を操る人)"の2語にて、105件。

(2)"belle-mère(姑)"と"problème(問題)"の2語にて、17.500件。

(3)"belle-mère(姑)"と"belle-fille(嫁)"の2語にて、5620件。

(4)"belle-mère(姑)"と"enfer(地獄)"の2語にて、4500件。

(5)"belle-mère(姑)"と"possessive(独占欲の強い)"の2語にて、246件。

(6)"belle-mère(姑)"と"jalousie(嫉妬)"の2語にて、3.530件。

(7)"belle-mère(姑)"と"autoritaire(専制的な)"の2語にて、528件。

(8)"belle-mère(姑)"と"envahissante(しゃしゃりでる、はびこる)"の2語にて、334件。

(9)"belle-mère(姑)"と"dominatrice(威張った、横暴な)"の2語にて、5.470件。

(10)"belle-mère(姑)"と"babaa(ばばあ)"の2語にて、ヒットなし。




 嫁が姑とのことを訴えてる掲示板をたくさん発見してしまった。“たすけてクレーーーー”とか、“もう耐えられんっ”“視界から消えてくれ”等、ま、万国共通の悩みのようで(笑)。

 子供のいる夫婦と姑の関係になると、もっと大変な家庭がたくさんあり。文字通り、フランス女同士で、夫の取り合いをやりあったり、その間で、のらりくらりと優柔不断で、責任逃れの夫が存在してたり、知らない間に合鍵を作り、留守の間に勝手に入ってくる姑とか、掲示板にはたくさんのばばあとの死闘が語られていた。

 で、面白かったのは、息子夫婦への貴重な忠告として、“どんなに優しそうな姑にも、あなた達の家の鍵だけは渡さないように”ということ。うちは、この問題はないが、友人に、姑から“鍵を渡せっ”と迫られていた人間がいるので、なーるほど、と思った。

 また別のアドヴァイスとして、なんでもかんでも、ま、しょうがないか・・・、と言う感じで姑の要望(時に横暴ともいう)を簡単に許さないこと、というのも笑えた。そうじゃないと、“知らぬまに、あなたの周りに姑がいつもいるような感覚になってしまい、おかしくなります”と書いてあり、大爆笑。

 わたしゃ、のらりくらりと適当に姑にはあわせてはいたが、向こうが私が引いている最低限の境界線を一歩でも越えようとしたら、ただちに却下してきた。そして、今回もその一貫で、予定を勝手に早めて我が家に乗り込んでこようとした姑には、一歩も家に入れなかったのだが・・・。が、上記のアドヴァイスに従えば、なんだ、よかったんじゃんっ(笑)。もっとこれから却下しようっ。

 義弟家族は、姑の家からクルマで1時間のところに広大な別荘を持っている。これを購入する時、姑は喜んで金を出した。また、義弟家族も喜んで姑の援助を受けた。

 さあて、これからが問題で・・・。別荘を改装している間、義弟家族も喜んで姑の部屋、なんてものもきちんと準備していたのに、姑曰く、“それ以後義弟家族はまったく私を招待してくれない”とのことで、この愚痴をいい続けてすでに15年。

 が、だ・・・・。もしこんなにうるさくて、文句ばかり垂れられると、いつか呼んでやろうと思ってたかもしれない義弟家族も、“ばばあ、うるせーー、消えろっ”と言う感じになり、逆効果ではなかろうかね、姑よ。

 自分が行きたいと思ったときに、相手が呼んでくれないからといって、ギャーギャー騒ぎ、相手の環境は考えず。80歳だからこうなったのではなく、夫が生まれた頃からこういう性格の姑。

 結婚したい光線をたくさん出しすぎ、相手の男性が及び腰になっていく原理と似ている(笑)。そして、なかなか相手がプロポーズしてくれないと、ヒステリーを起こし、相手の男性に捨てられる女性・・・・。

 さて、姑は先日の日曜日に私から却下され、息子にわけのわからぬ道徳をたれ、あげくにホモ呼ばわりされた息子(つまりわしの夫)がぶちきれて、夫にも却下された。そして、その挙句に、今度は義弟家族の一人一人にネチネチと電話をかけ続けたせいで、愚痴をきかされた義弟家族の休日も台無しになってまったそうだ。

 夕方、バッタリ道で出くわした義弟の顔は、憔悴していた。なんだ、わしらだけじゃないのね、と。


 ゆえに、本日は、徹底的に姑の茶番劇のシステムについてのレポートを作成した。名づけて姑対策マニュアル(笑)。これですべてが解決するなど、これっぽっちも思ってないが、とにかく、どんな言動および挙動をしはじめたら、次にどんな嫌がらせをしてくるか、などを逐一分析。

 もし次回同じことがあっても、これを読んでふと我に戻り、姑に振り回されない“自分達”を強化するためのレポートだ。これで、夫との無用な喧嘩も避けられる。

 何かあったら、“何ページの何章を読んで”、と言えばいいのだ。いちいちリピートするパワーも省くことができ一石二鳥。

 いくら元気とはいえ80歳。ということは、姑のネガティブな考えは、残念ながら、どんどんパワーアップされていくことが予想される。ゆえに、こちらも毎度毎度、これに振り回されていくと、とんでもないことになるゆえ、苦肉の策ともいえる。

 とにかく、対策も練ったし、フランス嫁らの掲示板では大爆笑したし、その後友人宅でのディナーで楽しんで、すっかり姑への怒りも飛んだ私。ゆえに、本日の日記には、“ばばあ”という文字が極端に減っていることに、今気付いた(笑)。


2004年04月19日(月) ばばあ2

 昨日の一件から、メラメラと怒りに燃えすぎて、結局午前6時過ぎまで眠れなかった私。

 一方、夫のほうは、ばばあとのディナーは、大喧嘩で終わったらしい(笑)。先日、夫がばばあと一緒だった時、たくさんの男友達からかわるがわる夫の携帯電話に連絡があり、それを目撃したばばあは、なんと夫に

「あんた、絶対にホモセクシャルよっ。ああ、どうしましょう、一家の恥だわ・・・。私は死んでも死にきれないのよ・・・、ああ、なんて不幸なママンなんでしょうっ。先祖様に顔向けもできないっ。」

とお得意の悲劇のヒロイン茶番劇をはじめ、夫を怒涛の如く怒らせたとのこと。男友達から電話があるだけで、ホモセクシャルにされてしまった夫、というのに、プッと噴出しそうになった。

 それにしても、スゴイ妄想。さすがばばあ、だ。妙な疑惑をかけられ、怒り狂った夫も、激しい睡眠不足。が、キミには今は同情したくない。

 そんなわけで、私だけでなく、息子も怒りの極地の送り込んだばばあ。しかし、今晩は、夫の従弟のような存在のM宅にて、わし、夫、ばばあがディナーに招待されているゆえ、出かけなくてはならない。

 M宅の最寄のメトロで降り、ホームを歩いていると、一人のホームレスが気持ちよさそうに寝ていた。そんな彼の姿に魅入られるように、脇見をして歩いていると、突然、同じように脇見をした無作法なヤロウが私の前を横切った。

 なんだ、このジジイっ、と思ってスゴイ目つきで睨み返したら(なんせ昨日から怒り狂っているので)、なんとそれはわしの夫だった・・・・(汗)。夫は、まだわしに気付かず、ホームレスの隣で、スーパーのビニール袋をガサガサやって、探し物中。

 昨日から、夫にも怒り狂っている私だったが、とりあえず、声をかけてみた。すると、ヤロウもビックリ。ヤロウ曰く、“ボクが歩いているのに、よけようともしない嫌な人間がいるな・・・、と思ったら、ゼロだったんだね・・・”だとさ。

 バッタリ出会ってしまったので、そのまま一緒にM宅ヘ向かう。彼女のアパルトマンの入口に到着すると、そこで、今度はバッタリばばあと出会った。何故、待ち合わせもしないのに、こうも出会ってしまうのか・・・。

 ゆえに、3人で妙に硬直したままエレベーターに乗り込んで、M宅ヘ入場。

 さすがに、M宅へ入った後は、何事もなかったように振舞う3人。しかし、わしは、決してばばあと目を合わせないし、呼ばれても、4、5度目に返事するようにしていた(要するに聞こえないフリ)。

 こんな始まりだったが、ディナー自体は非常に楽しかった。

 そして、帰り道、まずばばあのワンルームにお供する。昨日は、もうすぐ81歳になるから、夜は怖くて歩けないなどとほざいていたばばあだが、本日はもう午前0時すぎ。ほうら、やっぱり、いつものように茶番劇ばばあ性を発揮。それに気付くと同時に、またムカムカしてきた。

 「あなた達に送ってもらわないと、危険だから」などという理由でのお供なのだが、わざと足が痛いフリして、ゆっくり歩くばばあ。早くしないと、わしらのメトロがなくなるというのに、“ああ、やっぱりパリは素敵だわ”等とひとりで舞い上がって、なかなか進もうとしない。

 おまけに、“なんて素晴らしいディナーだったのでしょう”と一人だけごきげん。


 そりゃそうだ、ばばあっ。自分の思う通りに、わしらを個別で怒らせることに成功して、嫌でも関心を自分に向けることにも成功して、今じゃ、“なんでみんな疲れたような顔をしているのかしらっ”とおとぼけ攻撃。本当にどこまでも嫌なばばあだ。

 いつもそうなのだ、ばばあは・・・・。散々嫌な目に他人を巻き込んでおいて、翌日には女神のようになる。いい加減このワンパターンには飽き飽きだっ。嫌な目に合わさずに、女神でいてくれるならどんなにいいことかっ・・・・。くだらん。


 何が一番腹が立つか、といえば、ばばあの茶番劇にまんまと嵌められて、怒り狂ってしまった自分自身。エネルギーの無駄遣いだし、これぞばばあの求めるものだからだ。そして、ばばあのせいで、夫婦喧嘩にもなるし、もう、たまらん。ばばあさへ、TGVに乗って、レンヌからパリに来なければ、穏やかな日々だったのだ・・・・・・・・。

 ばばあを部屋に送り込んだ後のメトロの中で、またまた夫婦喧嘩になりそうになったが、危うく回避。夫と2人で、今後はいかにばばあの茶番劇に巻き込まれないようにするか、という前向きな話し合いになって、なんとか今晩は平和な夜が獲得できそうなゼロでした。



 もう、ばばあの思う通りにはさせないぜ!!。

 


2004年04月18日(日) ばばあ

 姑こと、ばばあがパリにただ今上陸中。

 4月15日木曜日から、一週間ほどパリに居座るらしい・・・。

 
 で、今回のばばあ上陸は、ほんとうにアポなしゆえ、私としては実はかなりイライラしてたりする。

 今年の8月で81歳になるばばあ。確かに81歳という文字を目にすれば、お年寄りは大切に・・・・・、等と思い勝ちな方もいるだろうが、ばばあに限っては例外。絶対に、100歳以上まで生き残るような人種だ。

 しかし、だ・・・・。

 ばばあは、自分の“81歳という価値”を逆手にとって、“私はもうすぐ死んじゃうのよ”だの、“あぁ、こんなに私はみんなに親切なのに、誰も私には親切じゃない”だのと、四六時中文句垂れている・・。それも、すばらしく張りのある声で・・・。

 私からみると、“ばばあ、そうやって他人の同情を買って、他者から構われたいのだな・・・”と、その茶番劇を見抜けることができる。が、息子連中には、未だに効果があるから、もう笑うしかない。

 が、確かに彼らは親子なのだから、そういった“茶番劇”が未だに繰り返されていてもどーでもいい。だが、わしを巻き込むな、ばばあっ。これ以上巻き込むと、仏の顔も三度までで、徹底的にいじめるぞーーーーーーーっ。

 ばばあは、典型的なフランスの年寄り小ブルジョワ。つまりは、家族のモノだのなんだのを含め、美術品からゴミからすべてのものを捨てられずに、溜め込むタイプ。ゆえに、彼女の家のサロンこそ、キレイに飾り立てられているが、2階、3階は全く足の踏み場がないほど、モノで溢れかえっている。

 私が彼女の家にいくと、彼女の寝室には通常鍵がかけられる。その部屋にアクセスできるのは、2人の息子だけだ。が、ある日、彼女が鍵をかけ忘れていた隙をねらって、すかさずそこへ侵入して、デジカメで証拠写真を撮った私。

 つまり、ここまで私を駆り立てるほど、彼女の寝室はすざまじかったのだ。あふれかえる洋服、アクセサリー、寝る場所もないほど、ものが積み重なったベッド・・・等。彼女の部屋を前にしては、我が家はあまりにも整理整頓されているとも断言できるほど・・・。

 写真撮影は夫にも内緒で、私の独断でやったのだが、最近になってこのことを夫に告白してみた。すると、夫は、一瞬自分の母親のことをかばったものの、実は彼も母に怒り心頭だった時に、彼女の部屋の写真撮影していたと告白・・・・。

 なーーんだ、同じことしてるのね・・・・夫よ・・・・。


 おまけに、ばばあは毎日のようにチャリティーバザーなどに、一番のりして、色々とガラクタを大量に買い漁るゆえ、彼女の家はグチャグチャになる一方。

 溢れかえる家に一人でいることを極力避け、海外旅行だの、パリだのと飛び歩くばばあ・・・。現実逃避そのものだ。家を満足に整理できない自己嫌悪感と罪悪感からの涙ぐましい逃避。

 そして、チャリティーバザーで購入した二束三文にもならぬようなガラクタなどを、“私はなんて親切なんでしょう・・・”ってな調子で人にプレゼントしまくるばばあ。私もそれの被害者だ。いらないよ、こんなわけのわからぬモノ。

 そのわりには、本当に値打ちのあるものは、絶対人にあげないばばあ(笑)。でも、つまらない彼女のプレゼントに、もし我々が感謝しないと、怒り狂うばばあ・・・・・。

 要するに、彼女はあらゆる意味で他人を操作したがる、マニュピュレーターなのだ。ま、あくまで彼女がこういう人間でいたいのなら、それはそれで勝手だが、私を操ろうとは100年早い。絶対にそうはさせぬぞ、ばばあ。

 息子連中を取り入れて、嫁連中の悪口を好きなだけ言うがいい。でも、それで私が変わると思うなよ、ばばあ。いくらでも、息子をあなたの手元に差し出しましょうってな感じだ。

 が・・・・、

 こういう態度がばばあは面白くないらしい。夫が一人でばばあに会いにいくと、“ああ、やっぱり嫁と姑というのは永遠にうまくいかないのね”だの、“ゼロは私のことキライなのよ・・・”だのと、夫に茶番劇な泣き言を延々と述べる。

 すると、夫も夫で、“ああ、可哀想なママン・・・”となりかける。が、夫も夫で、自分の先祖の歴史など、未だかつてきちんと把握したことがない。これがばばあをイライラさせる。それに対して、いつも先祖の話ばかりしている姑の相手をしていた私は、すっかりその歴史を詳細にいたるまで暗記してしまったほど・・・(涙)。

 私とすれば、つまらん“親不孝な息子”という意味のない罪悪感に囚われれて右往左往するのであれば、ママンの言うことをきちんと聞いて、覚えてたうえで、意見するだけでも全然違うと思われて仕方がない。

 が、夫は、こんなこと全く覚えていず、それでいて、“ああ、ママンが哀しんでいる”ということだけに焦点を当てる。実にピーターパンな夫であったりする。



 本日は、予定では夕方からばばあを我が家に招待してのディナーだった。が、予定よりも数時間早く、“私は歳だから、夜は外出したくないの、だから、今から行くわ”と電話があった。

 歳だからだとぉ、ばばあっ。よく演劇だの、コンサートだのと夜に外出するばばあが、だ。

 もし、この時、“退屈なのよ・・・、だからもしよかったら数時間早く貴方達の家に行ってもいいかしら・・・”等というような問いかたが出来れば、私も喜んでばばあを迎え入れたであろう。

 が、あくまでも、自分を正当化して、他人が自分に従って当然という態度を崩さず、おまけに、もし他者が彼女の提案に“NON”と言った途端に、世界一かわいそうな人間ぶるのだけは、やめて欲しい。

“ほうら、みんな薄情なのよ” 
“私はこうやって、ひとりで死んでいくのよ・・・”等。

 そんなわけで、姑の気分屋に思いっきり“NON”といった私。そして、姑と妻との対立に、わけもなく慄く夫に嫌気がさしたので、夫を追い出し、本日はばばあの部屋で母と息子のラブラブディナーを演出したゼロでした。

 私も私で、こうやって親子を自分のテリトリーから追い出して、のんびりと我が家で好き勝手にいられる自由を同時に獲得して、イライラから解消されたような気がしている(笑)。おまけに、こうやってばばあも夫も理解できない日本語でサイトも更新できるし、ねっ。


2004年04月15日(木) 浮気のススメ

 4月は、契約しているケーブルテレビの全チャンネルが無料で鑑賞できることを知り、休日で家にいる夫と一緒に、ぼんやりとリモコン片手にザッピング。

映画専門チャンネルのひとつで、ちょうど始まったばかりの映画を発見したので、そのまま観つづける事にした。それは、Claude Chabrol 監督作品で« la femme infidèle / 1969» だった。

タイトルからして、そそられる・・・、浮気な妻、乃至は、不誠実な妻、ってのが直訳なのだが(笑)。大掛かりな撮影もなく、淡々と進む心理劇。裏切られる不器用で真摯な夫をMichel Bouquetが実にうまく演じる。

自分の妻が浮気していることに気付き、とはいえ妻にはそんな思いは一切見せず、水面下で探偵に浮気調査を頼み、衝撃の調査結果を得て動揺する夫。でも、家ではそんな動揺も“愛する妻”には見せず・・・・。そして、妻の浮気相手の家を唐突に訪れる夫。

夫が、あくまでもリベラルな夫婦を装い、浮気相手を油断させ、色々と妻との情事の話を浮気相手の男に喋らせるくだりは、非常に面白い。が、浮気相手がホッとして、あるいはいい気になって、“妻”と浮気している寝室を夫に見せ、そこで3年目の結婚記念日に、夫が妻に贈ったはずのプレゼントを発見して事態は急変する。

自分の妻へのプレゼントが、浮気相手に渡されていたショックで、衝撃を受けた夫は、それでも怒りを隠し・・・・・・。そしてその数秒後、ふと目に付いた置物で浮気相手を殴り殺す夫。

後は、たんたんと完全犯罪へむけて、妻の浮気相手の死体を処理するシーンが続く。そう、あくまでも淡々と・・・・・。死体を無事、池の底に沈めるまでの夫の心理劇は見ものだ。

そして、数日後、突然姿をくらましてしまった浮気相手の元妻が異変に気付き、警察に届を出す。浮気相手のアドレス帖には、妻の電話番号があり、必然的に彼女の家、つまりは夫のところに警察がやってくる。刑事の質問に率直に答えられない妻、そして、何も知らないふりをする夫。たいして質問もせずに、執拗に何度もやってくる刑事。

そんな状況の中、妻が夫の書斎で、かつて夫が探偵からもらった妻の浮気相手の写真を発見する。そこで、妻は事態をすべて把握する。と同時に、夫への愛を再発見。皮肉にも、妻は夫を深く愛し始めるが、時すでに遅し・・・・。お互いに愛を確認しあい、夫は刑事に逮捕されて、ジ・エンド。

地位もあり、金持ちだが、ちょっと堅苦しくもある夫との生活に、アバンチュールを求める妻。子供のためにパリ郊外の豪邸に住んでみるが、昔の華やかな生活も忘れがたく、フラフラとパリへ出て浮気相手とひと時を楽しむ。決まりきった生活の中で、夫からの愛も忘れていたゆえの行動だったのに、その夫が嫉妬に狂い浮気相手を殺したことを知った瞬間、妙に自信と夫への愛を再発見する妻・・・・。

いやあ、久々に面白い映画だった。夫と2人で見入ってしまった(笑)。決して始終笑いっぱなしになる映画ではなかったが、一度だけ2人で大爆笑してしまったシーンがあった。それは、夫が3回目の結婚記念日に妻にあげたプレゼントを、浮気相手の寝室で発見するところ・・・・。

なぜなら、私たちは昨日3回目の結婚記念日を祝ったばかりだからだ。いつか、私たちも結婚記念日のプレゼントをどっちかの浮気相手の寝室で発見することがあるのだろうか。うーーーん、なかなか面白いシチュエーションになることだろう。

が、しかし、よく考えれば、私たちはプレゼント交換などしてないし、したこともない。ただ、レストランへ行って、食って、飲んで、それでオシマイ。何を発見すればよいのだろう・・・・、と2人で困ってしまった。

さて、この映画の後、すぐに別の映画がはじまった。それはブリジッド・バルドー主演の1955年作品で « La lumière d’en face »、恐らく邦題では『わたしは夜を憎む』というのだと思うが、これも妻が他の男にだんだんと惹かれていくことに対して、嫉妬に狂った夫が最後に銃をぶっ放し・・・・、という内容だった。

この映画もついつい観てしまった私たち・・・・。思わず夫に“妻が浮気して、夫が苦悩するってのは、フランスの伝統なの ?”と問わずにはいられなくなった。で、“もし、そうなら、私もしなくちゃねェっ”と意味深に笑うゼロでした。


2004年04月12日(月) 性格

 今、暇つぶしに読んでいる本『The Birth Order Effect /Cliff Isaacson & Kris Raidish 共著』は、それなりに面白い。

 日本では、『他人からよく思われたい長男、完璧を求めてしまう次男』というタイトルで翻訳・出版されているらしいが、とりあえず夫と楽しもうと思ったので、原書で読んでいる。

 夫とその弟の正反対な性格などに、常日頃興味を抱いていた私は、ある日ネットで“長男 次男 性格”という3ワードで検索した結果、上記の日本語タイトルの本がひっかかってきた。

 この邦題タイトルを見た瞬間、私は大爆笑。なぜなら、そのまま夫とその弟に当てはまるからだ。もっと遡れば、姑とその妹にもそのまま当てはまる。
 
 パソコンの前でひとしきり爆笑した後、アマゾンで原書のほうを購入して現在に至る。


 一人っ子をはじめ、出生順にておおよその性格が決まってくるということをこの本は述べているのだが、あながち当たっていて、笑える。専門的な分析書では全くないが、ま、それなりに会話のネタにもなる本かもしれない。

 夫をみていて、長男ってアホくせえなあ・・・、と思うことが多々あるのだが、夫からすると、一人っ子(私)も非常に扱いにくいと常々思っていたようで、本を読み進めながらそれぞれの憂さを晴らす。



 私が一人っ子性をフルに発揮している時、夫婦喧嘩になりやすい。同時に、夫が長男性を発揮しはじめると、やはり夫婦喧嘩になりやすい。

 私が一人で黙々と何かにトライしていると、そこに夫が“お兄ちゃん”ヅラして“ボクが教えてやろう”という感じで侵入してくる。私としては、そのわからない状況自体を楽しんでいるともいえるのに、そこにやって来る闖入者。

 非常にわずらわしいので、“一人にしておいて”と言うと、そこで闘いのゴングが鳴ってしまうことがある。

 よく考えてみれば、ほとんどの喧嘩の理由はこれだ。

私「私に構うなっ」

夫「なにィっ、構うなだとォ、このマイペース野郎めっ、一人で生きていると思うな。」


 そして、その後本当に夫の助けも得ずに、私が何かを達成してしまうと、夫はどこか面白くなかったりする。それを承知で、私が“ふん、あんたなんて必要ないわっ”ってな態度に出ると、2度目の闘いのゴングが鳴る場合もある。



 この本によると、一人っ子が一番嫌い、怒り狂う状況は、“他者からの介入・侵略”であり、一番目の人にとっては、“他者から尊敬されてないと感じる状況”とのこと。

 これを読んで、二人で大爆笑してしまった。前述の我が夫婦喧嘩のスケッチは、まさにこれを端的に表現しているからだ。


 最近はほとんど喧嘩をしなくなったわしらといえ、こうやって己を知ると同時に相手を確認することで、パワーの無駄使い=喧嘩が極力減ることを祈るのみだ(笑)。


2004年04月11日(日) キリストの受難

 世はイースターの休日。クリスチャンの多くは、本日教会へ足を運び、キリストの復活を祝うことになっている。

 さて、我が家のクリスチャンであると同時に、アンチ・クリスチャンでもある夫とは、数日前からとある議論で対立していた。どんな議論か・・・、といえば、メル・ギブソンの映画『パッション(la Passion du Christ)』を観るか否か、ということ。

 カトリック信者のことを忌み嫌っていたはずの夫だったが、先日、私がこの映画を観に行こうと彼に誘いをかけると、突然意見を翻し“嫌だ・・・”と言い始めた。

 映画のほとんどが、キリストが拷問を受けているシーンばかりだという記事を何度も目にして、突然嫌になったらしい。とはいえ、これぞキリスト教のキリスト教たる由縁でもあるわけで、何故それから眼をそむけようとするのだ、我が夫・・・・?、という感じで私にとっては晴天の霹靂だった。

 夫曰く、映画を観ているうちに、自分がキリストのようになってしまい、自分が現在本当に鞭打たれているように感じるのが嫌だと言う・・・。

 ああ、いつもそうだ、我が夫よ・・・。この人は、映画をみていると、あっという間に主人公に入り込んでしまうのだ。おまけに、アンチ・クリスチャンといいながら、神父ばかりの学校で幼少期から青年期まで、バリバリのカトリック教育を受けてきている。

 確かに、熱心なカトリック信者からすれば、夫はカトリックを馬鹿にしているし、信仰心など全く持っていないように思われることだろう。が、カトリック信者でない私からみると、それでも、夫はカトリック信者に見えたりするものだが、やはり・・・・・。

 そこには、キリストという人物が苦しめらているシーンを直視したくない・・・、という概念がありそうだ。

 さて、ここまで観たくないという人がいると、逆にどうしてもこの人間を映画館に引っ張っていきたくなるのが私の性格。特に、拷問のシーンの最中、私の隣の夫がどんな顔をしているのか・・・等、観察したくてしょうがなくなった。

 そして、日曜日の昼下がりに一本の電話が鳴った。電話に出ると、友人のJだった。映画に行こうとの誘いだったので、すぐさまこの映画を観に行こうと提案してみると、彼女はOK。ただ、彼女と一緒にやってくるTはこの映画を観たくないという。しかし、Jがそれで嬉しいなら、“ボクは一緒に行ってあげようと思う”と延べる・・・・。

 さあ、どうする、我が夫よ・・・・。

 結局、Tの勇気ある発言に、夫も腹を決めざるをえず、4人で映画館に出かけることになった。



 ああ、神は私を見放さなかった(←どんな神だかしらんが・・・)。


 映画は、記事であらかじめ読んでいたとおり、本当に拷問シーンのオンパレード。歴史的なサド・マゾ映画とも言える。なんの抵抗もせず、鞭に打たれ続けるキリストの姿は、時にイライラしてくるほど。

 ピラトやユダヤ教の人々がキリストに「あなたは何者」と問うたびに、キリストは「私は神の子です」と答えつづけるゆえ、強烈な拷問にかけられていくキリスト。この時、もしキリストが適当に場を丸く収める答えをしていたら、どうだったのだろう・・・・?。

 ゴルゴダの丘を十字架を背負わされて登っていくキリストを、ローマ人が狂ったように鞭打っていく。で、そのたびにフラフラして倒れるキリスト。そして、それを見て、フラフラしている我が夫。

 ついでに周りの観客の様子もウオッチしてみると、おおくの人が“ああ、可哀想なキリスト様・・・”ってな表情をしている。ハンカチで目を覆っている人も何人かいる。

 思うに、キリスト教信者としては、こういった生々しいシーンを見ることで、自分達の罪悪感が激しく刺激されるのだろう。『私たちのために犠牲になってくださったキリスト様』と言うことは簡単だが、こうして犠牲になったのだ・・・、と延々とそのシーンを見なければならない信者。

 観客はトラウマの原点に立たされるゆえ、この映画を観たくないという人がたくさんいてもおかしくないな・・・、と妙に映画を観ながら納得した。


 映画館を出た後は、4人でレストランで熱い議論。家に帰ると、夫はさっそく『イエス・キリストの生涯』等という本を取り出してきて、読み耽っていた・・・。

 今、こんな本を読んでいる夫だが、きっと次にブッダが虐殺される映画とかを観たら、ブッタになりきって、家にもどってきたらすぐ『ブッタの生涯』などを読み始めることだろう。


2004年04月01日(木) 6年

 昨日の夕方は、先月のトルコ旅行で知り合った40代後半のF&M夫妻の家でカクテル。

 シャンパンを飲みながら色々と話していると、彼らが98年の夏に、6年間住んだタヒチからパリに移住してきた、という事実が発覚。98年夏といえば、私がパリに住み始めた時でもある。

 彼らは、タヒチという常夏のパラダイスから、パリという空気の汚れた都会に移り住むことなり、その後数年間はパリに慣れるのに非常に苦労したことを話してくれた。

 特に、彼らの3人の子供達の末娘のMは、タヒチに住み始めたのが3歳。そして9歳になって、突然パリに戻らされて、精神的に苦労したとのこと。今でこそ、家族全員がパリの生活をエンジョイするようになったが、ここまでにくるには大変だったらしい。

 当初、末娘Mの様子が気になって仕方がなかった父であるFは、ちょくちょく休み時間に子供の様子をみるために、内緒で学校へ通っていたとのこと。するとそこには、誰にも交じることができず、ポツンとしている自分の娘の姿があり、親として心臓をえぐられるような日々だったらしい。

 そしてパリの長い冬。家族全員でタヒチの太陽を思い出してはため息をつく毎日。


 
 ちなみに彼らは生粋のフランス人だ。で、私は生粋の日本人。彼らと同じく98年夏からパリでの生活をスタートさせて、現在にいたるわけであり・・・。フランス人でも、こんなに苦労しているのが妙に嬉しく感じたりして(笑)。

 98年の夏といえば、フランスでのワールドカップの年であり、同時にフランスが優勝してしまった時でもある。そして、個人主義と世間から思われているフランス人らが、フランスチームの優勝で浮かまくり、団体で騒いでいた時でもある。これじゃ、日本人よりもスゴイじゃないか、と何度思ったことか!!!。

 彼らもそんな狂乱時のフランスに舞い戻ってきた仲間。ゆえに、ついつい当時の話で盛り上がる。

 今年の夏でパリ生活がマル6年か・・・・。


 たかが6年、されど6年。

 色々あったが、今は、平和でけっこう幸せな自分がいるような気がした。
 

 


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