黒川 清 (著)日経BP社 2007年
日本の医療の歴史から現代まで思う存分書いています。
「人は必ず死ぬ」そしてその死の原因は昔とは様変わりし、平均寿命は倍になっている事実。 自ら病気になる生き方を率先して行っておきながら、病院で生きようとあらゆる手を尽くす人がいる。
それらは私もいろいろ疑問に思う。 太るのを気にしながら、食べる量を減らしもしないし、運動もしない人とかw 太るだけならいいけど、もっと深刻な症状が出ているのに、なんの節制もしない人とか・・ でも、生活習慣病とか禁煙の害について、今月の文藝春秋で養老さんたちの対談では疑問視されていたし、どうなんでしょ? と話はそれましたが、
人は欲望に弱い生き物なんですよ・・・ 私もその一員。でも皮膚とかゆみは相当辛いのでかなりストイックにやってるけどね。
医者は神様ではないとわかっていながら完璧を求める患者とその家族。 先生は聖職でないとわかっていても以下同文。
子どもが育つ環境が揺れている、子どもの教育も危ぶまれているけど そしてメディアにはいつも子どもにまつわる事件が溢れているけど
自分の子どもは特別だから、何がなんでも幸せになって欲しいから、 将来、良い暮らしを約束したいから医者にするべく頑張らせるのでしょう。
人は他人のことなら、なんとでもいえる。 でも自分と自分の家族のことになると血眼になる。
この本で、いくら「いい暮らしをしたいから医者になる、なんて下品なことをするな」と正論をいっても、 うんうんと頷きながら本を読みつつ、自分の家族は別なんだと思います。
「人は必ず死ぬもの」といっても自分や自分の家族が粗末な医療を受けたら、そんなことは遥か彼方へ飛んでいってしまうのです。
人が人である限り、こんな調子で行くのだと思います。
と思いました。
2007年09月24日(月) |
花組・春野さんサヨナラ公演〜 |
ついに始まった〜行ってきたよ。
まだ初日から間がないので 色々不安だが、チケット取れたのが この日だけだから仕方ないわ。
そして私自身夏バテの回復の為か眠い! 昨日は1日寝てたのに…朝もゆっくりしてきたのに。 ちょっとうとうとしちゃいました(>_<)もったいない!
芝居の方はまだ練れてない感じがアリアリで 内容もイマイチ疑問で…う〜む。 ただ刑事訓練の場面とかピストルを構える場面などかっこいい!
ショーはセットが豪華で見る価値ありです。 スパニッシュの場面もよかったなぁ。 そしてサヨナラらしい最後の場面はアモーレスクザミが色々思いだして泣けた。 親しみのあるトップさんのサヨナラは本当に胸に染みるわ。
鈴懸みゆきさんも退団だし、立さんも・・ 頑張ってみてきたよ。わぁぁん寂しい。
2007年09月21日(金) |
本「次郎と正子」娘が語る素顔の白洲家 |
牧山 桂子 (著) 2007年 新潮社
異世界の暮らしぶりが描かれているのだろうし、あまり期待しないでおこうと思ったら、面白かった。
特に白洲家の人々に思い入れもない。次郎さんは皆がよく話題にするイメージでしかなく、 正子さんの方は骨董と文章を書く人という認識はあったけど、その程度 2人とも、何年かおきに必ず雑誌や本などで取り上げられる人だな〜という認識(すみません)でありながらです。
個性の強い両親を見つめる娘のまなざしが淡々と面白い。 時々、我に返って、親からの影響を自覚する部分も。 魅力的な人物、と思うのは他人だから思うこととは知りつつ、とても面白い。
でも娘から見る不思議な夫婦の関係というのは、きっとどこの家でもあるのでしょうレベルが違っても。 私も結構、個性的な両親から生まれた娘として少しだけわかることもあるな〜切ない。
そして著者の桂子さんの聡明さにときめきます。 両親の知人たちと同席しない理由。自分の子どもにもそうしている理由など、 こういう方だから、強烈な個性の両親の間でも平穏無事で幸福に暮らせるのだと思います。 そしてお母さんに対する切り替えしの数々もお見事です。
今話題の総理の椅子を争っている人のお祖父さんの名前も出てきたり(これが素敵なエピソードです) 外国や外国人が出てくる話も素敵で、子どもの頃読んだ教養小説のようです。 ロンドンで滞在したお話なんて、とくに。
巻末の両親の教育とか影響については、割と頻繁に親と子どもの関わりや成長とはどういうものなのか 考える機会があるので、そして私もそう感じていることなので、わかりやすいです。
丹精こめて、教育したからといって、思い通りに育たないとはわかってきました。 やはり人はなるようにしかならないのでしょうね。 そして、著者が書いているように愛してさえいれば子どもは問題ないとも。
英語を巧みに操る次郎さんの、留学の相談に来た人への回答が興味深い。 熱心に英才教育している方も頭に入れておいたらいいかもしれない。
次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家
2007年09月15日(土) |
本「自分の体で実験したい : 命がけの科学者列伝 」 |
レスリー・デンディ, メル・ボーリング 紀伊國屋書店 2007
第一印象は絵が怖そうだったのと、科学者にはあまり興味がなかったのでスルーだったのですが ちょっと書評を読んでみたら面白そうだったので読んでみた。 子供向けにかかれた本がベースなので、簡単に読めます。 文章とかはちょっと物足りないけど。
この本に紹介されている科学者たちのほとんどが、命あるものをとても大事に思ってるのがいい。 動物を実験するのに抵抗がある。他人を使うわけにはいかないと自らの身体を使うのです。 それは病気を根絶したい、人の助けになりたいという気持ちと好奇心なのだと書いてあります。 洞窟にこもった女性のその実験に挑戦する動機「自分の力と限界を試したかった」とかもすごいし 「地上最速の男」は全身打ち身、骨折、ブラックアウトなどの状態になっても、また危険な実験に向かっていくので本当に命知らずな冒険野郎も裸足で逃げますよ。 「心臓の中に入り込んだ男」もすごいな〜。でもこの中でレバー食べ続けた実験がチラリと載ってるけど、貧血がそんなに直るのなら、食べたほうがいいのかな。と思ったり。」 最後に「危険な空気を吸い続けた男」が言った言葉を 「危険のない人生は、マスタードをつけない牛肉のようなもの」とのことです。 マスタードがなければソースで、といいたいところですが、いやいや 確かに、危険を恐れていてばかりでは何もできません。 こうした人たちが牛肉にマスタードを塗り続けたおかげで、今の人類の発展があるのです。
2007年09月14日(金) |
雑誌から「有害物質に汚染された社会を生き抜く」 |
雑誌「世界」10月 岩波書店
「CS患者座談会」がありました。 CSとは化学物質過敏証のことです。
私はまだCSではないけど、CSの影におびえる。 アトピーであり、皮膚、粘膜に弱く、匂いにも相当敏感です。
もう10年以上昔、職場の30代半ばの女性が職場のペンキの塗り替え作業が始まったら全身に湿疹が出来て、治らなくなってしまいました。 キレイな白い肌は台無しでした。 私は、その時、こうした臭いのきついものには気をつけないといけないな〜と思いました。頭が痛くなるだけではないと知ったからです。
それから、世間にシックハウスとか化学物質過敏症という言葉が出てきました。 その症状を疑うことはありませんでした。 私も予備軍かもしれないとますます心配になりました。
やがて私は、職場でアトピーが本格的に出ました。 原因はわかりませんが、ホコリとストレスではないかと思います。 ますますピンチです。
+++
アトピーの人がCSにそのまま移行しても、なにも不思議ではありません。 どちらも恐ろしいのは治療法ないということでした。 それがまた怖かった。
なぜなら、時々、CSの人の暮らしぶりがテレビなどで見ることがありましたが 隠遁生活のようでした。 「交通機関には殺虫剤が、街行く人々の衣服からは合成洗剤や防虫剤の粒子が漂い、 歩きタバコの煙のために失神(!)する人もいます。 男性の整髪料や女性の化粧品からも化学物質が飛んできます。 一見きれいに見える場所でも数キロ先から漂ってくる農薬に汚染されています」
とCSの日常に潜む恐怖が書かれていました。 そんなことになったら好きな観劇もできなくなりますよ。 さらに座談会の中に「電磁波過敏症」も書いてあるのですが 体調のよくないときに、モーターの回る音か振動で頭痛と吐き気がしたこともありまして。 ああやっぱりね。と思いました。
もしCSになってしまったら、どこにも遊びに行けないし、仕事もできなくなるのね。 そして電磁波がダメならパソコンもダメになるだろうし。 そして本のインクもダメというし(確かに時々雑誌を開くと目とか鼻にくるのもある)
なんだか考えるのも怖い。
+++ でも、この座談会は今までと違っていました。 なんとCSは治る!らしいのです。 完治の判断は難しいけど、ほぼ社会復帰をしてらっしゃるのです。 北里研究所病院では「汗を出す」「無農薬の緑黄野菜の摂取」「ビタミンBとCの摂取」とアドバイスしているそうですが 実際に、無農薬・無添加食品の摂取、発汗方法、転地療養といろいろその人ごとに模索してとにかく改善するのだそうです。
私はかなりの汗っかきです。完全に無農薬ではないですが、なるべく減農薬、無農薬を選ぶようにしています。 それでなんとかふみとどまってるのかもしれません。
これからもアドバイスにしたがって、気をつけて発症しないように気をつけようと思います。
2007年09月13日(木) |
本「わが家は自閉率40%」 |
星空千手 中央法規出版 2007年
自閉症、アスペルガーとよく耳にし始めた、いくつかの本も読んでみた。 でもとてもでないけど、わかったといえるものではない。 それはしかし当然だと思う。 それはこの本を読んで改めてそう感じた。
著者の千手さんは自らを自閉だといい、長男さんもそうであるとこの本を書いているのだけれど。 しかし、この本を読むと私も自閉なのかな、と思えてくる。 別に判定テストとかついているわけでも、自閉とはこうだ!と書いてあるわけでもない。 ただ、人はそれぞれみんな違っていて、少しずついろんな特別なところがあるだけのこと。 それが一応この世界に合う癖とか体質とかであるかどうかということが浮かび上がってくるから。
一部の人間、大多数のこの世界に合う人たちが作った普通とルールにマッチしなかったら普通でなくなるのだ。 私の短くもなく長くも無い人生も、普通だと思いたいけど、案外そうでなかったと思う。 ただその普通でないかもしれない部分は、明らかに目立つことでもなく、普通に紛れやすく 多くの他人によって指摘される機会が少ないだけなのだ。
全てが著者の目から通して書いてあるので、一方的にしか周囲との関係はわからない。 でも、「終わりに代えて 愛だけのある場所」と「ぼくは、信じる」を読むと 著者の懸命さと冷静さがわかって、それだけで納得できる。
知識や技術はあるといい、でも一人の人間のそれはたいしたものではないだろう。 しかし愛と受容は絶対ないとダメだな。一人の人間のそれでも世界は変わることがあるから。 他人から受け入れられたという記憶は、その人にとって一番の土台になるのだということ。
2007年09月12日(水) |
三大陸トーナメント スイス対日本 |
最近、サッカー三昧っぽい。あくまでっぽい。
早朝の試合は堪えるけど、今朝のような試合があるかもしれないから やっぱり生で見たい。 前半で見るの止めようかと真剣に思ったけど、 「いや、見届けるのだ」と根性だしてよかった。
こんなに喜んでいるけど、本当は手放しで喜べる試合などではないんですよね。 失点多すぎ。(スイスはもっとありゃりゃだけど。GKカワイソウ。横顔がステキだった) 前半の試合は、何をどうしたいのかわからなかったし。 あまりにも簡単にポーンと入ってしまって、びっくりした。どしたの?GK。本当に・・・ (試合後、控えのGKは嬉しそうにベンチから出てきて、本当に全然出て無いので気の毒だけど、仕方ないのかな〜)
セットプレーに対する準備が出来てなかった、ってどういうことなのかな?と思うし。 同じ選手が立て続けにハンドってのも「へ?」と思ったし・・芝が悪かったという話も聞いたけど・・不運? 前半は・・俊たん消えてたね・・きゃ〜
でも、またこれ出たよ。 人間万事塞翁が馬・・これにつきるね。
スイスが前半にポーンと2点も入れたからこそ、の後半なんだと思うし。 逆の立場なら、日本も同じようなことになっていたと思う。 前半の安心得点って本当に曲者よね・・・ 圧倒的に力の差があるなら別だけど・・
スイスは慢心してしまったんだよね。もう勝てると思ってしまった。 (いや見ていた人のほとんどがそう感じちゃってもしかたない) そういう意味でいうと、日本のリードからの負けパターンとはちょっと違う気がする。 (日本は力の差がどんだけあっても、そこそこの勝ち負けしかできてない。)
でも、こんなに潮の道筋がくっきりとわかる試合は面白い。 漫画かドラマの筋書きのような展開ですもんね。 本当にオシムのいうように「前半、後半があってよかった」んですよね。
でも、やっとオシムが選んだFWが点を入れたり、絡んだり、安心しましたよ。 当たり前だけど、相手ネットを揺らす場面ていいよね〜 セットプレーから出なく、流れで入ったらさらにホっとできた。 DF2人がどんどん前に出てきてびっくりしたけど、それも功を奏したんだね。 闘莉王は前半の失敗を挽回する働きだったし。
幸運も多かったけど、あんだけガッチリしていた(ように見えた)スイスとこんな風に戦えたのだしね。 もう日本は「弱くて、カワイソウな子たち」と欺いて勝って行ったらどうだろ・・・ って挽回できなかったら大変www
2007年09月11日(火) |
本「アイドルにっぽん」とドラマ |
本「アイドルにっぽん」とドラマ「花ざかりの君たちへ・・」
中森明夫 新潮社 新潮社 2007年
この人の文で一番読んだと思える著者の文章は「SPA!」という雑誌のその時話題の女性について書いたコラムだと思う。 常に、スラスラと頭に入ってくる文章で、面白いことを書くな〜と楽しみにしていたし、 自分の好きなタレントさんなら更にどうかかれているのか?と興味津々だった。
そして1冊の本になってもそれは変わらない。 中でも、「王子たちへの手紙」がインパクト高い。 男性について書いている文章を読んだのはこれが初めてかもしれないのですが 小沢健二とある事件の加害者について書かれた頁が興味深かった。 ピッタリの人物やエピソードを盛り込んでいるんだもん。ペダンチックだからこそ面白い。
小沢健二に、熱意は届いたのか?否・・だったんだろうな。 でも、反論できる場も理由もないのかもね。 (私は微妙に世代がズレていて、小沢何某の活躍をほとんど知らないのですが)
+++
あらゆる女性タレントについて、その時代を反映し、象徴的にしてしまう文章。 こんな技術を持つライターをほかに知らない。独占状態なのかな。私が知らないだけか。 それと同時に、ふと思ったのは、女性が男性タレントをこんな風に表現することもあるのかな。 誰もが知ってる、本当に時代を象徴するようなタレントだけでなく、今はもう誰も知らないみたいな人とか。
それとともに思うのは、この夏「花ざかりの君たちへ イケメンパラダイス」というドラマのこと。 ついにここまで来たのか〜と思う。
過去に、過去の男女の立場が逆転したドラマはいくつも出てきたけど、 (年下の子を囲う(?)、年下の子が仕事のできる女性にアプローチなど、それにしても漫画が先導してきたね) 「花ざかり・・」は全然違う・・と思う。
健気な女の子が男装してまで好きな人を追って、というのはものすごく古典の香りなのだけど。 毎回、これでもか、これでもか!とイケメンと呼ばれる男性タレントが、脱いだり、コスプレしたりという有様。 それは、私が勘違いしてないなら 「水戸黄門」のお銀とか「湯けむり殺人旅行」2hドラマの温泉の女の子たちなのよね?? (ついでに「山田太郎物語」でも主役の子はチャイナドレスとかメイド姿を披露している。) 女の子というか女性のニーズに答えているってことなのでしょうか?どうなの?
イケメン、コスプレ、お銀(!)でありながら、さらにこれは男装物でもあるので、倒錯的嗜好もありなのです。 それなのに古典的な少女マンガ的恋愛。 すごいな〜〜〜〜一部の人が買う漫画の範囲ではないのですよ。公共の電波で、21時台に放送するんですよ。
私は純粋にこのドラマの面白さを楽しむことはできなかったけど、そういった意味でこのドラマは注目してしまった。 イケメンをじゃんじゃん出せ!というコンセプトもここまでしたら天晴れかもしれない。(本当にイケメンかどうかは別問題で)
1人の男性を2人の女性が争うなどの三角関係から、せいぜい2人の二枚目俳優を主役に添えたくらいで止まってたイメージですが 「ウォーターボーイズ」でいけるかも?と足を踏み入れ、「花より男子」で味を占めたのかもしれません。 (ドラマの歴史を紐解いたわけではないのでイメージです。すみません)
でも、実は朝の特撮番組ではとっくの昔からやっていたんですよね。(特撮番組の方が進んでた!でも企画意図からして 恋愛重視はないからね。) この勢いでいくと、BLもそのうちやってしまうんじゃないかな・・と心配です。ええ、本当に。
話はそれたのですが、星幾多と出現するイケメンを女性ライターがどこかで書いているのでしょうか?
|