2005年02月28日(月) |
読書「結婚帝国 女の岐れ道」 |
上野千鶴子+信田さよ子著 講談社
もういい加減、この手のタイトルの本を読むのをやめようと思いつつ、ぱらぱらとめくってみたら 対談形式で読みやすく、あっという間に最後まで読んでしまいました。 この2人は本当になかいいの?怒らないの信田さん、と思う場面多数(笑)
まえがきに書いてあるけど、「負け犬の遠吠え」を先取りし、「結婚の条件」を裏付けるという内容に偽りなしです。 どちらよりも、もっと女性のこれからについて「あなたならどうする?」と突き詰められているように思う。
一番、痛烈に響いたこの本の要旨、全体的に何度となく出てくるのですが、76頁「30代シングルはどんづまり」 信田「かわいそう」という一言しかないんです。」「未来への道も見えず、結婚に横滑りもできず、 だんだん自分の立っている地場が狭められてきている中で、この人たちはどうやって生きるんだろうという感じがあるんですね。」「八方ふさがりでしょう」
256頁上野さんの発言〜 日本の非婚はモラトリアム非婚で、確信犯非婚でじゃないんです。その場しのぎで、「男が現れたら、私の人生はどうなるかわからないわ、だから人生設計できないのよ」と言ってきてるわけよ。たんなるバカとしかいいようがないんだけど、なんでこんなことになるんでしょうか〜その後少しやりとりが続いて「そういう人たちは、自分の人生に自分で責任とらなくていいと思っているんでしょうね。夫か親か、子どもか誰かが責任取ってくれると思いつづけているんでしょうね。」
〜という事。 おっしゃるとおりでしょう。でもその立場の者からからいい訳めいたことを言わせていただくと 上野さんがまえがきで書いたように「非婚化・少子化の先駆け」であり、「30代の女性は日本社会では 一過性のもので、二度とふたたびあらわれない、日本社会が根底から変化するその過渡期の世代」なんでしょう。 前人未到の地へ行くのは、誰しも勇気がいりますし、旧世代の名残からもものすごい引力に引っ張られているし それを抜け出すことは、誰にも簡単にできることではないとわかっているはずで、それに日本人らしさが加わると 「確信犯非婚」へ誰もが速攻なれるものではないと思うのです。人はそんなに簡単には変われないのです。
でも、別にこの対談本は30代非婚女性をいじめようとして書かれているわけでなく 刺激を与えて、意識の改革を促す、目を覚まさせる、親切風なつくりでは有ります。 でも、多分、本当に読むべき人は読まないのではないかと思われます。
夫、親、子ども、どのインフラに頼る気なの?どれもイヤなら自分インフラで、 「自立」という言葉を使うのを止めようともかいてあり、「福祉アンダークラス」にならないようにしろ、とも書いてある。 そんなのわかってるって・・とやはり暗い気持ちになるなあ。 結局、人様に喜んでもらえる仕事を見つけて、自分の老後は自分でみる気概を持て!ってことなのね。 本当に生きていくってこんなものなのだろうなあ・・夢も希望もないわね、ふふ。
そんな30代を見てきた20代の女性は、確実に夫インフラを獲得するために早めに結婚するという傾向だと情報として聞いていたのですが 2月25日(金)読売新聞社のアンケート結果では「結婚しなくても1人で幸福」が未婚者で69%、未婚女性では73% 年代別で20歳代は74%、30歳代では66%で、若い世代ほど非婚はが多いとされていました。 数字のマジックもあるだろうし、20代でまだ健康で不自由もないからそう思っていても、年数を経たらどう変わるかわかりませんけど。 健康で、仕事があったら、1人が気楽でいいなんて当たり前なんですけどね。 さてこれからどうなっていくのか、私の岐れ道も少しずつ進んでいます。
その他には、かけがえのない私になりたい話とかブランドバック信仰、自己の領域とかマークしたところ沢山ありました。 ブランドバック話はツッコミ所です。ヴィヴィアン・タムがよくて、ヴィトンじゃダメという見方は理解できるけど そうまでしてヴィトンを全否定することは、発想の不自由さになっていて笑えました。 ヴィトンならなんでもいい、ヴィトンなら全てダメってある意味似てませんかね。 だから、まずあのロゴがはいっているのがカッコ悪いからダメとかいうのならまだわかるけど、ロゴの入っていないのもあるわけで・・ 並んで買うのがカッコ悪い、てのもよ〜くわかる。暑さ寒さも気にせず、開店前から外にぐる〜り列ができるのって、どこかイベント会場の気配が濃厚で、オタク大国ニッポンって気がする。
でも購買って、まずその商品に出会わないと知りようがないわけで、情報量としては大手ブランドにどうしても負けてしまいますよね。 私は一澤帆布の商品を置いているところを見たことないのよ・・・周囲で使っていて、勧めてくれる人もいないしな〜 それに、上野さんがいうならと一澤帆布の商品を買うのもまたブランド信仰になってしまう気がする。 わたし、がないのって、そういう事じゃないの? 私はヴィトンやグッチだろうと、一澤帆布、ヴィヴィアンタムでも、ブランド名にこだわらずその商品自体が素敵で、予算にあうなら欲しいと思いますよ。生活費を削ってまでは買わないですよ。炎天下や極寒に外に並んで買おうとも思わないよな。 丈夫だから買う、可愛いから買うのでは不充分なのかしら。 みんなが持っているから、高いものをもってると思われたいからという他意識で買うのではないのだけど。 だから一澤帆布のバッグにヴィトンの財布ってのもありですよ。
それにしても1つも使ったことのない人が、他の商品と比較するのも無理があるよ・・しかも多分、かもしれないで語るのって・・・ ヴィトン買うのバカ、一澤帆布は賢いのか〜?乱暴だな。ふふ。生いっちゃってごめん。
また長いや〜〜すまぬ
本日、某歌劇団のエリザベートを見に行きました。 断っておきます。このようなタイトルで書き出しているということは芳しい評価でない、ということです。 よく生徒さんの名前で検索もひっかかるので、今回は名前も伏字です(笑)
さらに断っておきますと、私は今日、ちょっと体調悪かったです。 今週はずっとお腹の具合が悪くなんと3日間も仕事休んでいたりします。 (上半身はすごく元気で、腹痛も朝と食事後なので本当はたいしたことない) 今日も出掛けにちょっとじんましん・・(笑)でも、食事も普通にとり、不通に友人たちと過ごしていたのですけど・・
こんなに言い訳するくらいなら、何もかかなきゃいいじゃな〜い?と思われそう。でも書く。
初めてエリザベートで感動しなかったかも・・・ 1996年の雪組では初めてイチロさんが眼中に入ったし、2002年花組では全然見る気なかったはずなのに、いつの間にかリピートして、DVDまで買ってしまった。そして去年の東宝を数回。どれも毎回、すごかったな〜と思い、東京でみた初めて見た内野トートの時はなんだか総決算、といった感じでスタンディングオベーションも当たり前だったし、梅田で見たときは号泣しそうになったし・・ ひょっとして東宝の後だったからかな・・やっぱアンサンブルとか底力が違うから物足りなくなったのかな・・ぶつぶつ考える。
私というやつは1にヴィジュアル、2に歌。お芝居とダンスはこの際あまり細かくチェックしません。 そういう意味でいうと、私のストライクゾーンから大きく逸脱したエリザだったのかもしれない。
まずSEなさんのエリザは頑張っていたし、とても女っぽいエリザだった。仕草とか声とかは男役さんらしくダイナミックなんだけど、感情表現とか女っぽさを感じましたよ、私は。でも好みのエリザベートではなかったんだよね・・もともとお顔も私好みではないし・・嫌いじゃないんだけど。 そしてAやきさんのトート。これは噂どおり存在感がないっすね〜〜〜(笑) トートのコスプレしたAやきさんというので終始でした。 何が一番辛いって、やっぱ声でしょう・・歌のへたうま以前に、私は彼女の声が苦手なのでした。しゃべるとひろみGOを思い出すし。
この2人で何がよかったかというと、最後のデュエットダンス!! なんだかステキでしたよ。これは。笑顔がよかった。 つまりエリザとトートでない時ってことかな・・(笑)
頼みの綱の衣装とか外堀もね。あれ?あれ?れ?花組の時ほど豪華〜と思えなかった。何故? 衣装など相変わらずキラキラ、ヒラヒラして目が眩むくらいだったんだけど、これも趣味の違いかな〜〜 花組も重たそうだったけど、その重さと華麗さにうっとりだったのに・・ 誤解されるかもだけど、花組がシビラだとしたら今回のはホコモモラという感じでしょうか。 ケイタとウーナスーナでもいいや・・ってわからないか(笑)
あとテンポがかな〜りゆっくりだった気がする。そういう演出なのかな? 歌も好きなタイプの歌い方の人が一人としてない・・ よかったのは美女が比較的キレイだったということかな・・(笑) 娘役さん、気がつかなかったけど結構みんなきれいやったような・・ マダム・ヴォルフがヨシ月さんだった!すごい。
う〜ん私が変わってしまったのかな? 思えばヅカにハマる時って空亡の時なんですよ。丁度二回目のマイブームも空亡時でした。 空亡が終わったから私の中のヅカも消えたのか?(笑) これからもまた「王家にささぐ歌」「エリザ」などの大作の時は見に行きまっせ。あと春野さんときとか・・
一緒にいった友よ、すまぬ〜〜初めてがこの舞台でさ・・・ごめんよ。
さっきトリビアの泉見ていたら、室町幕府時代の風習をやっていた。 離縁された妻が、現妻のいる家に殴りこみ。 (もっと違う言い方していたけど早い話がそうよね。) 一応、無茶しないようにルールに則ってやるんだそうだけど、すごいなあ。 現代に置き換えると・・のVTRも面白かったし・・ 今、こんなことやっていたら、毎日アチコチでありそうで恐ろしい。 でもそれくらいやったら、離婚も減るのかな〜関係ないか・・
2005年02月21日(月) |
本当にドラマ三昧ナ毎日 |
某トート閣下が出ているので見始めた月九。 老けた王子か〜〜気の毒でも仕方ないか(笑) そして予見できた場面で、記憶の奥底から思い出して、ちょっと懐かしい。 やっぱりね〜辛いよね。とかテレビに相槌うっている私(涙) この時間帯のドラマに限らず、結局好いた惚れた話しかなくて ずっと食傷気味だったんだけど、どうしたことか今は結構楽しんでいます。やきゅードラマとかさ。 一回、食べ過ぎて戻した食べ物を嫌いになったけど、久々に食べたら結構食べられるようになったってことかな(どうかな?) お昼のドロドロというか心臓に悪いドラマより、見やすいです。
2005年02月20日(日) |
映画のオペラ座の怪人の音楽 |
映画を見ていないのに、さきにCDを入手してしまいました。 あ〜でもうっとり、やっぱりこのミュージカルの楽曲もだ〜い好き。 せつなく、あまく、そしてときにすりりんぐ。 本当にうっとりしてしまいます。 早く映画も見に行かなくては!!
2005年02月18日(金) |
意味付けにさようなら。 |
「重力ピエロ」伊坂幸太郎 新潮社 2003年 を読みました。先日読んだ「チルドレン」が張り巡らされた、それでいて軽妙、そしてとても後味もよい話だったので、引き続き読んだのですが、こちらは最初から全てわかっていて、それを解きほぐす形式のミステリーで しかもあまりにも重たいテーマなので、少しどころでなく辛くなりました。 しかし、全体的に謎解きとかまたもや出てくる人物たちが、こういう人がいたらいいな、あるいは遠くから見ている分には面白いという、稀なるタイプの人がほとんどなので、どろどろはしていないのだけど。
唐突ですが、少し前に「デスノート」集英社 というマンガを読みました。口コミや雑誌などでこれは読んで見なくちゃと思ったのだけど1巻だけ買って放置、しばらくしてマンガ喫茶で続きを読んで見た。 この物語は、人を死に至らしめることのできるノートを手に入れた神童のような高校生が、世界の凶悪犯罪者を次々と殺して行く。その高校生の正体を突き止めようとする、彼と同じような人物との頭脳戦を繰り広げられる物語。
先の小説と後者のマンガ、共通点があるけど、後者の方はもっとエンターテイメントで、そもそも死神が出てくるしファンタジーですな。 肉体を使って戦うのを止めただけで、掲載雑誌ではずっと繰り返されてきたテーマでもある。 それにしても、主人公が無関係の人まで容赦なく殺してしまうのが恐ろしく、人間離れした人物造形には全く共感できないのでどうしちゃったのかな〜としか思えない。出てくる人出てくる人が、これまた人間的なところが希薄で、絵が美しすぎるせいでますます拍車がかかってしまって、なんとも不安な気持ちにさせるマンガでありました。
そして現実。殺人や暴行など起こす人はいらないと私も思う。毎日、毎日よくもまあというほど命をないがしろにした犯罪が起きている。 そして何故か加害者の方が手厚く保護されている、どうしてこんな事件を起こしたか、過剰なまでに意味を探してあげてなんとか丈嬢酌量にもっていってあげようと画策してあげている。被害を受けた人、そしてその家族などを置き去りにして
命をないがしろにした犯罪者の命も命だから保護する、人間は本来善なるものだから更正させるチャンスをあげて、自分の犯した罪を反省させて、2度と起こさせないようにすることが人の道なんだよ〜というのだろうけど。
おこがましいとしか思えない。人の気持ちはすぐに変わらないし、他人によって簡単に変えられるものでもないって十分、自分も人間なんだからわかっているはずなのに。 変わるんですか?コロコロ変わるってのも問題ですよね。反省した、でもやっぱりその反省やめた。の繰り返しも予感させる。 あれこれ意味付けすることも、かなり無意味なんじゃないかとわかっているはずなのに。
考え過ぎ、決め付けはいけないと、「重力ピエロ」の兄弟が繰り返し語り合っていて、それは私もそう思うけど同時に「目には目を、歯には歯を」についても語り合っている。過剰報復の禁止であって、やり返せというのではないと説明も。 私もそう思っている。子どもの頃から、この言葉はすぐに覚えたし。
神様とか死神が本当にいて、人間に罰を与えてくれるならいいんだけど、人間がそれをやるにはかなりおこがましいので、罪の軽減も同様に。 だから、罪にはその罪だけを見つめて、同様に対処すればいい容赦の無い犯罪者には、被害者もそのように。被害者が1人でなければ、相談する時間が長引きそうだけど。 誰かの大切な命を奪ったのなら、自分の命でもってお詫びすれば今の制度よりはずっと公平な気がする。 とにかく、自分のやったことには責任を持つ事ですよ。後からいろいろいい訳するなんて卑怯で見苦しい。 しかも小ざかしく、他人のせいにして、理屈こねようとするなんてね。あとづけですよ。 いつからかな〜こんな風に自分のダメなところを、誰かのせいにしてしまうようになったのはさ。 病気って病名が考えられた時に病気になるのと一緒じゃないのかしら。 犯した罪に意味付け、理由を探すことにとらわれると、前に進まなくなってしまった現代だから、そんな風に思う。
ところで、「重力ピエロ」39頁の「勤勉なものが得るのは、報酬と、チャンスと、信頼だよ。」と主人公の弟が語ります。 多いに納得。私はごくごく小さい頃からそれを身を持って知らされていました。 本来は怠け者で、ダラダラしたい方なんだけど、そうできないのは、上記のように恩恵がいかほどかそれの有ると無しとでは、どう変わってくるかわかっているからだと思います。 ようするに私は無垢とかでなく、計算で動いていることになる。根っからの勤勉さんではないけど、見せかけだけでも結構イケル。 そうしないで「報酬がない、チャンスがない、信頼がない」と嘯いている人の気持ちは一生わかりません。 まあ、変わっている人だとか、他人に(社会)に甘えられて羨ましいこと、とは思うけど。ふふ。 私が強いから、能力があるからできる〜という向きもありますが、違います。能力ないから勤勉さを身につけて働いているのです。能力があったら勤勉な人を使っている側になっているでしょう。 てゆーか、人を使う側にたったら、怠けた時からご飯食べられなくなってしまいそうなので大変。
以前、職場で全方向でダメ扱いされていた人が、勤勉さを見につけ始めてからは、大部分の人に信頼されて明るい笑顔になってきました。 その人は私から見ても、能力的にダメそうだから治ることはないと思っていたのにです。 そんな人でも勤勉に、素直にコツコツしていたら、周囲の評価が変わっていた。 相変わらずミスも多いし仕事は丁寧とはいえないけど、勤勉さを身につけただけで、評価はこんなにも変わり、本人もやる気が出て来ることもあると。
もちろん、怠けと犯罪は違いますがね。怠けものも、他人の時間泥棒で、給料泥棒ではあったかもしれないけど・・ 目に見えるものでも、見えないものでも、盗みは盗み。どちらにしても「悪い事」という意識がなかったらその人にとっては犯罪ではないんだろうね。だから堂々としていられるのだ。本当にあつかましい。
この本には他にもモンゴメリの結婚生活の破綻について、興味深いことが書いてあります。 49頁()内は私が付け足しました。 「彼女(モンゴメリ)が他の男性を選んでいれば、そんな悲惨な目に遭わなかったという信念は、果たして正しいのだろうか。 精神分析家でアメリカ学派の1人でもあるカレン・ホーナイは、そのような信念を断固として斥けている。
この場合恐らく決定的なことは(特定の威勢でなく)異性自体に対する(本人)の心の中の態度にあって、どんな人が配偶者になっても -mutatis mutandis(必要な変更を加えて)同じように起こることが見逃されている。言い換えると、結婚生活において現れる障害の大部分は、 しばしば、あるいは一般に、われわれ自身の発達の結果、われわれが持ち込んだものである。 この文章は、ホーナイの「結婚の問題点」(1932年)という論文に書かれている 略 ホーナイによれば、ユーアン(モンゴメリの夫)の重度の鬱病は、夫婦の破綻の原因ではなく、結果なのだ、ということになる」
前述の小谷野敦の本には、妻の活躍に納得いかない夫という図式によるものとあり、私もその時点ではそのとおりと思っていたのだけど 小倉千加子の本を読めば、それだけが原因ではないと思う。 モンゴメリは自分の内面にある問題にうすうす気付いていながら、それに向き合おうとしなかった事が自分の人生と家族に暗い陰を落していることがわかる。
そして、占いを学ぶものとして、このホーナイという人の意見は非常に納得できる理論だと思いました。 ある占いには、自分がどんな性格で、どんな人生を歩むのか、どんな人と結婚するのか、大雑把では有るけれど鑑定する技があるわけですが そうすると、最初から全てが決まっているということになるわけで、それはあまり納得がいきません。が、しかし 数をこなせばこなずほど、それは当たるも八卦、あたらぬも八卦といいつつ、無視できないくらいにはあてはまる。
そして、上記の心理学者の言葉です。 心理学、占い、きっと他にもこうした人間関係を、裏付ける方法はあるのかもしれません。
人間関係、うまくいっていない現状を変えるにはどうすればいいか。 それは相手を変えようとするのではなく、まず自分から変わること。 これは心理学や占いなど用いずとも、誰でも知っている知恵の一つではないでしょうか。 でも、それはとても難しい。大抵それができるのは年をとってからかもしれません。 もちろん、ほとんどの人ができずに終わっているのだと思います。 やっぱり見も蓋も内のかな〜
今更ですが、敬称略です。
2005年02月15日(火) |
『「赤毛のアンの」の秘密』 |
小倉千加子 著 岩波書店
本当は恐ろしい「赤毛のアン」というサブタイトルでもつけた方がいいのではないかと思いました。 モンゴメリが家庭の主婦になんの葛藤もなく収まる女性を心の中では軽蔑しているが 結婚をしない、今で言う負け犬、女性でいることもマズイと思っている、引き裂かれている、困難な女性であるのだとわかる、 この本は、以前、読んだ小谷野敦の「聖母のいない国」でのアン批評で触られ、ひっかかっていたことが 明確に暴かれ、日本の女性の歩んできた、これからまだしばらく続く道のりが解説されている。
またもや父の娘が出てきた。そして当然、結婚が大きく影響を及ぼしている人物話である。 今までもジェンダーを扱い、そして中負け犬世代、少女マンガ、ヤオイについて書かれた批評などでも見かけるワード。
物語が好きで、孤独な少女というキーワードでいうと、私はアンやモンゴメリのカテゴリーに入るけど 私がそれほどというか全然、赤毛のアンにハマらなかったのはどうしてだろう。 少女時代の私は今よりもっと凝り性であったが、こうした少女的なロマンチック世界よりもSF小説やアニメなどにかなりハマっていた。 それなのに、そんな私ですら「アン」的なものから、完全に遮断されていないのはどうしてか、 というか日本人女性が、プリンスエドワード島に行ってしまうほど「赤毛のアン」どっぷりハマらなくても この物語が、私、私達世代の女性の生き方の雛型になってしまっているのは何故かしら。 それは私たちを教育・消費者としてきた大人たちが、故意・偶然取り混ぜ「赤毛のアン」的な物語を提供しつづけてきたからだろうと思われる。 「アン」的物語は、少女マンガなどで珍しくもないと、私があえて書くまでもなく知られていることだろうから。
276頁「ロマンチックの呪縛」にある 「ロマンチックな恋愛を求めているのだと思い込んでいる彼女たちの感覚の下には、3つの激しい感情が埋まっている。 1つは、求めても得られない「自立」と「承認」への志向と、それを断念させられた、向けるべき相手のわからない怒り(本来社会構造に向けられるべきものだが、一番依存し、甘えられる対象である母や夫に向けられることが多い)、 2つめは、原初の母の愛(一部略、男性への愛(結婚)が満たされない場合の孤独への恐怖。一部略 3つめのものが、一番本人にも自覚されにくいものであるが、「尊敬」できる男性と結婚したいという表現で語られる、 その実はレスペクタビリティ(仲間に尊敬、あるいは羨望されたいという気持ち)への執着とその動悸の隠蔽である。
自分は無垢であり、打算的でないと思い込み、自分自身の真の動機に気付かないでいられる心理」 として書かれた作品。日本女性にその貢献をしてきた作品と看破している。
なんとも見も蓋もない話ですが、私は否定できませんね。完全な肯定でもないのですが。 こうした隠された自分だけでなく、歴史・社会的な心理背景などもほぐしていったら少しは楽になるかと想像してみるだけです。 私はエンターテイメントとして、ファンタジーとしてのロマンチックな恋愛は見るけど、現実としてはほとんど無いといつの頃からか気付いていたけど でも、完全にそれらと逆方向に進めるかというとそれもできていない。 逆方向とは、1)自立を完全にして、2)孤独を恐れず、3)尊敬しなくてもいい男性と結婚すること、となるのかな。 近いうちに1)と2)はもうすぐ出来そうな気がする。2)は孤独の意味を履き違えていないのなら、既にできているしな。 ただし、3)は難しいかもしれない、私は人付き合いにおいて、どこか尊敬できる、どこかこの人には勝てない、と思えるところがないと、愛せないし、親しい友達にもなれない。 毎日、顔をつき合わせて、傍にいる人ならなおさら、そうであって欲しいと思う。 それが、レスペクタビリティへの執着とその動悸の隠蔽、になるのかな〜多いに疑問だ。 否定できないけど、肯定できないのはこの点、でも自分で気付けない点らしいからそうなのかな?
私は自分が羨望されたいから、素敵な人と友達になりたい、と思っているということになってしまう! そうなのか・・(笑)いやいや、友達を誰かにとくにわざわざ紹介する機会って滅多にないし、 私はグループ交際が不得手というか独占欲が強いので、ほぼマンツーマンの付き合いになるし、違うと思う。 ・・意識的に直してきたけど、私は本来、お気に入りのものは自分だけのものにしたいので、わざわざ他人にその素晴らしさを吹聴したり 奪われるような機会を作ったりしません。姑息な奴なのです。ふふ。 尊敬できる恋人が出来たとして、わざわざそれを他人が知る必要はないと思う。自分だけが知っていたらそれでいい。
なんだか話がソレてきましたが、それでも日本の女性に対する呪縛はまだまだ続きそうです。 外側から、内側から、ゆっくりと静かに、でも強固に幾重にも巻きつけられている呪いだからです。 巻かれている自分を想像してゾっとしてます。
ただ今の少女たちは、「赤毛のアン」よりも「ハリーポッター」や「バトルロワイヤル」などを読む。 そして古典的な少女マンガなど読まない。本離れ、マンガ離れもあるけど、面白いマンガなら読むというし、それは主に少年マンガだといわれている。 つまり、もう今の少女たちは、3つの激しい感情が埋まっていない、自由になれる糸口を掴んでいるのかも・・ それが、本当に素敵なことなのかは、なってみないとわからないのですが。
ものすごく駆け足で読んでしまって、反復したい所ですが、読み直していたら思ったことを書くのに それこそ時間を費やしそうなので、えいや〜と書いて見ました。 というか、書いているうちに何かいているんだかわからなくなってきたよ。長すぎ!
映画「パッ○ギ」を見に行きました。
なんで伏字かというと、検索に引っかかって欲しくないから。 ということは褒めではないということかというとそうでもない、評価に困る映画じゃった。
映画の感想よりも、暴力シーンの多さとその痛さそうな絵に目を瞑った事。 あの何度も痛い目にあっている人は、そのたびに再起不能に陥っているとしか 思えないのに、何度も復活していることが不思議だったり そして、どうしてこんなにいちいちケンカしなくてはならないのか、としか思いませんでした。 多分、こういう事書いても、無駄なんだろうな〜と思いつつ。 そういう私には受けつけられない場面をのぞけば 差別や平和をテーマにした青春モノといった感じで、後味は悪くなかったです。 主役のS谷君も熱演していました。彼が一目ぼれする彼女も可愛かったし、
映画より印象に残ったのは・・ レイトショーだったのに、就学前のお子さんが何人か親に連れられてきているのにびっくりだよ。 映画が始まってすぐに飽きたらしく、しゃべり出すのですが「静かに」と親に何度も注意されて、気の毒でした。 子どもにとって楽しいとは思えない映画、こんな夜遅くに連れてこられて、じっとしてろ、黙ってろなんて、酷くない? 見てないと思うけど、暴力シーンが多いしなぁ・・ そんなに見たかったのかしら?そんなにしてまで見たかったんですね、その親子は・・・ 考え方の違いということですね。私だったら、子どもに何度も「静かに」というくらいなら、見に来ないと思う。 DVDの発売待つか、テレビで放送されるの待つよ、それかレディースデイにして、映画の2時間の間、子どもを預かってもらう施設探すと思うかも。 なんだかとっても不思議でした。
2005年02月10日(木) |
なんで見ているのかヤキュードラマ |
この冬はドラマをよく見ている。 朝ドラはずっと見ているけど、今回のはとくによく見ている。 今日のお話で、過去に私がぷんすか怒っていたことが伏線だったと改めてわかる次第。わかりやし〜。こんな出来た話ないよ!だからドラマだって・・・ そして昼ドラ。 「愛の記憶」(まるでお金持ち刑事の主題歌のよう)は終わりました。 このドラマも途中から録画してみていました。主人公の恋の行方よりも、異父妹の改心が見たくて、見続けたのだけど、案の定のカタルシス。 女子プロレス並のメイクが最終回は普通の可愛いメイクになっていた(嘘)でも私の目にはそう見えた。や〜やっぱりこうじゃないとネ!
そして、今のマイブームは「ウィンター・ロンド」某馬君がみたくて(私の最近のドラマを見るきっかけは全てこの関係ですよ)見始めたのだけど、見たらやっぱり癖になるのでした。 コロコロ変わりまくるお嬢さんのせいで、イライラさせられっぱなしだし、周囲のお人よしというか、どんどん事態を悪化させるメンバーたちもイライラなんだけど、やっぱり秘密が暴かれた時の瞬間は見たい! そして主役の子の目がなんとなく好きで見てしまうのでした。
さらに、夜ドラのラインナップは・・ 本日の「お金持ち刑事」バカバカしく、わかりやすいトリックなんだけど、若手刑事の毎回のコスプレとか、主役のお嬢さまの豪華衣装とか楽しみがありまする。お約束の上司たちのやりとりもかなりバカバカしいけど好きかも。そして、髪の毛もしゃもしゃの刑事さんも朝ドラの頃から結構好きなんです。あの髪型もいいな〜。真似したい。でも似合わないだろう。
そして、「えいち2」(こう書いた方が検索ひっかからないよね)が気づいたら一番、手に汗、足に汗してみています。 なんでかとっても気に入っています。やきゅードラマなのに!あだ○みつる原作なのに!!例によって例のごとく日曜朝ドラ関係者がまたもや結構出ているが、これはそれがきっかけではない。気づいたら見ていたし、出ていたんだもん。とにかく続きが楽しみです。
あとは金曜時代ゲキとか金曜の深夜ドラマとか土曜日のきわめみち学園ものでしょうか。 おいかけるのも大変ですが、今のところは逃していません。
2005年02月09日(水) |
W杯最終予選だもん! |
随分、日記を書いていません。今日から復活なるでしょうか・・ 今日の試合はどうでしょう。余裕があったら終わってから書きます。 あまりドキドキとかしていないのですが、それって「行けるに決まっている!」という決め付けからくる余裕なのでしょうか? そして俊輔選手はスタメンじゃないみたいです。でもせっかく返ってきたのだから出るよね?と決めつけているのかもしれません。
さて最終予選、入場してきたときはパブロフの犬のごとく緊張したけど そして先制で大喜びしたのもつかの間、いつものいつもの日本の試合運びで、あらら・・ でも、こんなもんですよね毎回。決定力のあるFWとかいたことないよね。 でもジーコジャパンのキラ星は現れないのかな?と思ったら大黒君なのかな? それにしても交代遅いよね。素人だからそんな風に思うのかな? なんで後半入るときにさっさと攻撃に力入れないのかな〜 まさか1点入れてるからそれを守りきろうと思っていたの?気が早いよ!!Σ(@o@;) ま〜これもいまに始ったことじゃないよね。 あ〜とにかく俊輔選手がはいって少し攻撃の形が増えて、私は嬉しかったんだけど・・ それにしても、さんとすはあぶなかしい雰囲気でしたね。これもいつものことか。 高原も悪い癖だよね。どうしてさ〜・・まあいつものことで。 でも、相手のGKが一番あぶなかしかったとは思う。それはこちらにとってはありがたいんだけど。 でも、そんなこといいながらいつもギリギリでなんとかなるような気がしているので、安心してドイツ行きの算段を考えますからね!
2005年02月06日(日) |
続き、あるミュージカル |
再演ということだし、HPにもあらすじとかいろいろ書いてあるにも関わらず、何も読まずに行ったのですが 70年・80年代のロック・ヒットメドレーコンサート劇というイメージを受けました。 一部はお話。二部はショーで某歌劇のようでもある(そんなこたぁない) そして私の年代には懐かしい面々が沢山出ているのですが、そうはいっても知っている程度で深くは知らない人ばかりなんですが・・ それに若い人(こんな書き方って(笑)が加わっているのですが、若い子はどこから出てきたの?というくらい知らない。 どんな作品に出演していたか、ってことは情報としっているけど、どんな人かは知らないのですが、見終わっていたらすっかり好ましい人に変わっていました。 出演者それぞれが自分の持ち味を生かし、楽しく演じているからだと思うのですが、下手したら、舞台だけが楽しい〜という危険な状態になる場合もあるけど、この舞台は役割とか出演者の年齢の配分もバランスがいいせいか、客席までちゃんと楽しさが伝わってきました。 ただテーマが少しボケてしまっていたかな〜というかテーマ作りは限定していないのかな。 玩具箱みたいなはじけっぷりだから、細かいことは気にしなくてもいいのかも。
そのほかいろいろ・・ ロー○ーテラ西・・足が細い!つーかあの衣装は自前?衣装替えが楽しめました)が初演(Iざム)の時と違うのですが、あまりのキャラクターの違いに、初演の様子が思い浮かびません。 今回の発見はKメルくんでしょうか、普段(?)はかわいらしいお兄さんなんですが、歌いだしたらなんとかっこいいロックシンガーなんでしょうか・・ 自分が一番、コンサートとかに行っていたときのときめきを思い出しましたよ!! でも、偽医者のコスプレも似合っていました。それも好きかも。 若い子たちが渦巻いているのがよ〜〜〜〜くわかりました。で、早速彼のライブチケットを取りました(はや!) テラ田恵子さんが素敵でした。かっこいい〜〜〜。 なんかもう出てくる人みな好感度高かったなあ。 で、一番の贔屓さんについて、どうしてもかけないのは、もうなんだか書いて説明すると面白くないから、そんなパート担当でした。 イキイキのびのびしている彼を見ているのは、こちらも嬉しくなるのでした。 とにかく行ってよかった。
2005年02月05日(土) |
ある劇場そして舞台・・ |
夜行バスで東京へ行ってきました。去年12月にも夜行バスを利用したら意外と平気だったので味を占めました。 女性専用でイスは1人ずつだし、足置きもあるし、結構快適です。ただ車内が暑すぎた。12月は結構寒かったのに。
さて、こんな朝早くからついたのだから、有効に時間を使わなくては!と思い最初はスパでマッサージでも・・と思ったら 丁度、その日から某所で某番組のアトラクションが始まるというではありませんか! 今年の某番組は継続してみていたし、メンバーも好ましいですので見に行こう!と決めました。 某後○園へ行くのは4年ぶりです。以前よりも並びが規則的になっていた気がします。 チケットも入場料とアトラクション料がセットになっていました。 そして驚いたことに、某番組のキャラクターと同じかっこした人が沢山いるのです。大なり小なり・・ 以前ほど強烈な人は見かけなかったけど、普通にコ○プレの大人が歩いているので、不思議な気分。 ここはイベント会場なのかしら?と。 でも、好きなアーティストと同じような格好でコンサートに行くのも珍しくないし、それと同じ事なのかな。 サムシング・イン・コモンどころでなく、そのまんまなんですけどね。 相変わらず良い席で見ようとすると、早朝から親子して並ばないといけないみたいで、本当に大変。 小さい子を連れた人は本当に大変だよね・・そこまでしてあんなに小さい子がみたいのか疑問なのだけど・・
そしてショーの方はどうかというと、楽しかったですよ。とそっけない感想出てこない。 ライブで見られるのってやっぱり楽しいな〜と思いましたよ。 それだけで嬉しくって、見るのに精一杯で、実はあまり覚えていません。 翌日が最終回だったのですが、日曜日に行ったらもっと感激していたかもしれません(笑)
午後というか夕方からはミュージカル「RocknJam」を見てきました。続く
2005年02月02日(水) |
サムシング・イン・コモンな雰囲気・・ |
コレコレ!
『「赤毛のアンの」の秘密』小倉千加子著 岩波書店を読んでいたら出てきた。 プリンスエドワード島の「赤毛のアン」の作者・モンゴメリの育った町のインフォメーション・センターで働く方が 「赤毛のアン」フリークには道で会っただけで見分けることが出来るようになった理由を語る言葉。 でも、プリンスエドワード島に観光に行く日本人で、アンフリークでない人のが少ないと思うんだけどね。 (ちなみにその方は働き始めてから「アン」を読み知った。
「赤毛のアン」の物語を知っている人、原作でもアニメでもとにかくその世界観を感知したことがあるのなら 「赤毛のアン」を好きな人がどんな雰囲気を持っているか薄々わかると思われます。 実際にアンフリークが周りにいなかったとしても、これは応用が利くと思われます。 宝塚歌劇が好きなサムシング・イン・コモン。 格闘技が好きなサムシング・イン・コモン。 等はわかりやすいでしょうが、その他あらゆる趣味・趣向で構築していくサムシング・イン・コモン〜。 私もサムシングインコモン〜宝塚なのでしょう。残念。
その世界が好きだから、その雰囲気を後天的に身につけるのか? その雰囲気を先天的に持っている者だからこそ、その世界に身を投じるのか?
ヤ○キー趣味な服装、雰囲気の友人は、○ンキーそのものの行動をしていたかというと、そうでななかったので 世界が好きで、身に付けている→同好の仲間にはいる、人もいる。という図式のが正しいのかもしれない。 中には、ヤ○キーの服装とか車とか大好きだけど、集団でいるのは嫌い、という人もいるだろうから。 派生過程は人それぞれです。
実際、私は小さい頃から宝塚的なキラキラ・ヒラヒラとかが大好きだったので、宝塚好きだから、この服装にしたのではなく、こういう趣味の私がたまたま宝塚も好きだった、ということになります。
朱に交われば・・、保護色とももうしましょうか、日本人ですもの、仲間同士同様な雰囲気を身につけたいもの。 あるいは好きなものとの一体感を味わいたい、というのも人情でしょうから。サムシング・イン・コモン。当たり前〜なのかもしれません。 ブルデューのハビドゥス的解釈と併用して、身に付けたら役立つかな〜?いえ、雰囲気を読み取る能力はものすご〜く大事だと思う。
この本は他にもいろんな気付きが沢山あって楽しそうです。 蛇足ですが、私はアンの原作は最初の話だけ読み、アニメは見ていました。それくらいの知識です。でも、〜の秘密本には興味があるので読みます。 でも、「〜の秘密」本ていうと、別のジャンルを思い出しますね(笑)
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