だから猫が飼いたいのに・・

2004年09月30日(木) ぎっくり様が・・

母の元にきました。
ああだ〜か〜ら〜食器洗い器を買ってくれっていっていたのに。
ごり押しで買っておけばよかった。
私の手は家族分の水仕事に耐えられるもんじゃないのよ・・
っと後悔しながら、今日はこれで終わり。
疲れた・・・



2004年09月29日(水) マンガ「毎日かあさん」カニ母編 西原理恵子 

 
前から気になっていたマンガだけど、買うの先延ばししていたら
最近の新聞に掲載されている分を見てしまったらもう読みたくて読みたくて買ってしまった。

私が新聞紙上で読んだ時は、男の子を育てているお母さんが、自分の子の悩み(?)を
西原さんにぶつけている内容でオチは女の子を連れているお母さんの余裕のある姿。
男兄弟が二人いるから、男の子の大変さはなんとなくわかる。
でも、この西原さんのマンガやら世間の話を聞くと、ウチなんて結構、やさしいもんだったんだろうなと思う。
(多少、フィクションがあるにしても、多少でもその違いは大きいかな・・。
ウチは母親が厳しかったのと、私という姉が番犬よろしく見張っていたから比較的楽だったんじゃないかと)
男の子でなくても、子育てはいろいろあって、休みなしだから、想像しただけで気が遠くなるわ。
私のように怠け者は無理、無理ってよく思う。
最近、私の親しい人たちが次々と子どもを産んだのですが、このマンガを送りたいと思うけど。いいかしら?



2004年09月28日(火) 諦めが肝心?

昨日の日記に書いた「女帝のロシア」小野理子著 岩波新書に巻末近くに思想家ディドロの言葉による専制政治の危険さが書いてあります。

それを見て、若い頃に読んだ田中芳樹の「銀河英雄伝説」にも一貫して、専制政治が危ないかが書かれていたことを思い出した。
「銀河英雄伝説」では、貴族の専制政治による悪政を倒したラインハルトが、ディドロいうところの「公正で、開明的で、しかも確固たる意思」で善政します。でも彼が死んだ後のことは物語に書いてありません。
ずっとラインハルトのような人間が国を統治していったら、平和なのにな〜と思わないでもないでしたが
ディドロはその危険性も書いています。

政治家として素晴らしい資質をそろえた人など滅多にいないから、1つの善政を手に入れるために、
20の悪政を耐えなければ成らない。奇跡が起きて3つも善政が続いた場合は、
「すっかりその盲目的服従になれ、譲り渡してはならない権利を忘れ、きわめて危険な安泰感と無関心のうちに落ち込み、自由を保持するのに必要な耐えざる警戒心を感じなくなってしまうから」212頁とあり、

「容易に解決しない問題は、人民に法を与えることでもなく、良い法を与えることでさえない。
それは君主の側からする、一切の侵害から法を保護することなのである」(ディドロ「立法委員会あての女帝陛下の訓令に関する意見」1774年執筆、中川久定「ディドロ」講談社1985を引用されています。

そうか、素晴らしい人でもダメなんか・・そりゃそうだ。と今更ながら胸に落ちる。
やっぱり人間は悩んだり、困ったりして、頭を使わないとアカンのね。
毎日、楽したい。頭使いたくない〜と思っていますが、そうは問屋がおろさないのだね。
ガックリするけど、そういうもんかと思ったら諦めもつくかもしれない・・



2004年09月27日(月) 読書「女帝のロシア」

小野理子著 岩波新書

少し前にエカテリーナ二世のことが取り上げられたテレビ番組を見た。それまでもロシアの女帝について、さまざまなメディアで断片的に見聞きしていたので、興味がありましたが。
この新書をじっくり読もうと思ったきっかけは、エカテリーナの傍で活躍したダーシコワのエピソードでした。
彼女は17歳で母になり、19歳でクーデターに加わり、21歳で夫の死と破産の危機にあうが、最終的にはロシアアカデミーの総裁となり、見事なキャリアを積むのでした。
とくに最愛の夫をなくした時に彼女はあまりの衝撃に病に倒れ半身不随になってしまったのに、幼い子どもたちを育てながら、夫の残した負債を返したのですから、ありていな言葉ではいいつくせないです。
作者によるとこの頃の平均寿命はだいたい30歳ということで、生き急ぐ感は仕方ないかもしれませんが。

エカテリーナにしても、恵まれない結婚から女帝になっただけでなく、情熱的な恋も同時進行したし、
特にポチョムキンとの関係はロマンチックでドラマチックやな〜と思います。
歴史に名を残す女性たちは、全方位で全精力傾けることができるエネルギーの塊ね、とひたすら圧倒されるのでした。

ロシアの聞いたことのある地名やダーシコワやエカテリーナの生きた時代の著名人たちが邂逅やスレ違いで名前が出てくるのも歴史がつながって楽しい体験でした。



2004年09月26日(日) 試合見に行きたいけど行けない

結果だけ見てみたら、今更だけどレイソルったら・・
そしてジュビロったら・・どしたん?!
ん〜最近、ご無沙汰だけど、久しぶりに身を入れて見なくちゃ!



2004年09月25日(土) Sサッカー、ゴール集

やっぱり一度にスーパーゴールを見ると楽しいね♪
2位に選ばれていた、レッズの永井くんのロングドリブルシュートやジュビロのパスワークからのシュートとかすっごい素敵!
もちろん1位のヤットさんのシュートもすごかったです。
あ〜あ久しぶりにサッカー行きたいなあ。



2004年09月24日(金) 読書「国会議員を精神分析する・・・」

「国会議員を精神分析する「ヘンな人たちが」生き残る理由」
水島広子著 朝日選書727

政治家にはヘンな人が多い。それは「自己愛パーソナリティ」の人が政治家に多い為という。そんなのは予想範囲内。
問題は国の方針を決める場所に、そんな変な人が集まるのか、どうして減らせないのか。変えられないのか、だと思う。
でもまともな神経では太刀打ちできないのが政治の世界な気がして、一般ピープルはますます腰が引ける。
そしてますます勘違い系誇大妄想自己愛な人が集まってしまうのかも。

2003年に出た本で、少し古くなった内容があったり、興味を途切れさせないような作りになっていないのが
惜しいけど、面白い本ではある。でも何かが足りない。
こういう本はもっと一般的に読まれてもいいのではないかと思うのですが。
巻末にまとめてある提言は実行してもらいたいと切に願う。
とくに政治家に特別な特権を与え過ぎないこと、普通の生活をしてもらうことだと思う。

「先生」とか誰からも呼ばれ、チヤホヤされていると、どんなしょうもない人間でもだんだんその気になっていくものである。その気になって、名実ともに立派な人になってくれたらいいんだけど、あまりそんな例はないみたい。
自分は何の功績も努力もしていないのに、その人の家族というだけでエラそうにするのと同じ構造。社長夫人とかね。有名大学卒とかもね。)
そんなのにチヤホヤする人は自分に利益があるからなんだろうけど、その人の肩書きでなく、その功績だけを注目しなくてはならないねえ。
でも功績がわかりにくいから、そういうブランド名に頼ることになりがちなんで、ああジレンマ。
ところで、石原氏は本当に戸塚ヨットスクールを支援する会の会長をしているのかしら?マジ?

この本で驚き、確信したのは石原慎太郎氏について。
以前、女性を愚弄するような発言をしておいて、「それは誰それさんが書いていた事を言ったまで」とヘンないい訳していたこともあったが、それ以外でもこの本に書かれていることが本当だとしたら、こんな人を支持しては絶対にいけないと思う。女性であるかぎり、絶対に反対しなくてはならない。
社会が不安で渦巻き、不満が鬱積すると、迷いのない強いリーダーについ頼ってしまうことは、過去の歴史にいくらでもあり、その結果どんな恐ろしいことが起きるのか。
どんなに不安で、辛くても、誰かに全てを委ねることはしてはいけない。でも、その誘惑に打ち勝てるのか、とても不安です。



2004年09月23日(木) 読書「お笑いジェンダー論」

瀬地山 角著 勁草書房

ひどい男性差別がはびこっている世の中について説明したり
専業主婦の落とし穴について説明したりしてくれています。
タイトルのように、それほどはお笑いに重心は傾いてはいないけど(後半は特に)
時々くすりと笑わせてくれます。でもこれがジェンダー事始でない人はちょっと退屈かも。

その中でも目が覚める個所があります。「打率3割。」
39頁の「2000年1年間に受理された婚姻件数に対する離婚件数の割合は33.1%(世代的な背景で高くでやすいとも説明されています)」というデータを踏まえて
「大雑把に言えば、結婚の3分の1が離婚していると言ってもいいでしょう。
3組に1組ですから、未婚の方は、今時結婚するというのは3割3分の強打者を相手にマウンドにあがるピッチャーで、
結婚されている方は毎日、毎日、3割バッターを相手にしていることになる。
ここに得られる教訓は2つ。1つは3割バッターに打たれたくらいで人生に絶望していては、ピッチャーはやっていけない。3割バッターは抑えた時に喜ぶもので、ヒットを打たれたくらいで絶望すべき相手ではありません。
もう1つは3割バッターに打たれないことを前提にして人生設計をするのは危険過ぎるということです。」
と一部略してますが、こんなことが書いてありました。
最近、友人の知人(遠っ)で離婚するかもしれない人の話を聞いたりして、特に興味深く読んでしまいました。

マウンドにも上ったことがない私としては、申し訳ない気持ちとともに、うわ〜一生勝負したくね〜と思ったり。
いや、でもヒット打たれたくらいでは落ち込まない気もしてきた・・(それは違うゾ)
離婚の危機を回避した場面なんてのは、二死満塁からピッチャーフライで討ち取って交代てとこなんかな・・とか
ホームランてなんだろう・・とかあさってな事を考えている私はマウンドに立つ機会はなかなか巡ってこないかもれません。

「やさしくて頼り甲斐のある人」という女性の理想のタイプの常套句についても
「トラ男とヤギ男のハイブリッド」としてそんな動物はいないと暴いています(笑)
先日テレビで今時の理想の男性は3高ではなく3低だと紹介していました。
低姿勢低リスク・低依存。なるほどね。「トラ男」の絶滅は間近かもしれません。

打率といえば、某有名占い師が五輪選手のメダルについて外したことを某毒舌タレントが
「んなもん、イチローだって打率3割や、5割当たる占いやったらすごいで!」と言っていました。
そういえばそうかも。数字のマジックを読み解いた本も出ていたなあ。
あまりデータなどに惑わされるのもどうか思いますが・・。



2004年09月22日(水) 負け犬よりもキリギリス

思ったとおり「負け犬」という言葉は世間で話題になり、波及していっている。
結構いろんな人の前で使って見ましたが・・結構使いにくい言葉です。
「負け犬」ですから、というと「そんなことないよ」と心配そうに慰めてくれる人と
「そんな言葉大嫌い。」と過剰に反応する人といますが、そういう人の前では使いたくない言葉です。

そもそも「負け犬」という言葉の意味って何?と、わかっているようで正確には知らないことに気付いたので調べて見ると
「けんかに負けて、しっぽを巻いて逃げる犬。比喩に用いて、競争などに負けて引き下がる者に使う」と小学館国語大辞典に書いてありました。

はたして未婚・子なし30代女性はケンカをしたのでしょうか?
ケンカをしてもいないから「負け犬」になっている気もしますが、どうなんでしょう。
しかし、この世に生まれ出た瞬間から勝負の土俵に乗せられているともいえるしなあ。

ケンカをして、それでも「勝ち犬」になれなくて、もう勝負を投げてしまった場合は「負け犬」という表現は正しいかもな〜なんて思ったり。でもそれこそひどい表現になってしまうかもしれない、死人にムチ打つような・・言葉って難しい。

でも、人生とか恋愛とかしばし勝負事のように置きかえられるから、勝ち負けという表現は正当なのかもしれないねえ。
私は、結構ケンカした方かもしれません。やる気のない、勝とうという気概の少なめなケンカでしたが・・
勝者に結婚という副賞(?あまりよい賞品とは限らない気がする)が与えられるのなら、私はまさに戦っているその瞬間が楽しい気がしていて
戦いは終わらないで欲しいし、「オラ戦いてぇだ」とスーパーサイヤ人のように次ぎの相手を求めがちなタイプかもしれません。(あ、まるで恋多き女みあいな印象与えてしまうかも。それは違いますよん)
とにかくそういう事を踏まえると私は負け犬かもしれないわ。勝ちたいと思わない生涯負け犬かも。

そんな深い?負け犬より、私は周囲の人に自分の状況をやや遠慮して伝える場合は昔から
「蟻とキリギリスのキリギリスだから」と言うようにしています。単純明快です。
人生は誰にも等しく幸福と不幸が配分されているのなら、このイソップ寓話の方がツボをついているのではないかとひそかに思うのであります。
ただこの寓話のように、必ずしも蟻が幸せな冬を送ったり、キリギリスは冬の寒空に野たれ死ぬとは限らないと思います。
親切な蟻もいるかもしれないし、ちょっと頭を使って楽しているようでも、見えない所で努力しているハイブリッド・キリギリスもいるかもしれないからです。
私は犬ではなく、キリギリスで行こうと思います。どちらかというとハイブリッドキリギリスで行きたいです。(希望)



2004年09月21日(火) 血液型:叔母が中学生の娘から感謝された話し

「お母さん、ありがとうO型に生んでくれてありがとう。A型に生まれないでホントによかった」
と感謝されたのだそうですが、A型の叔母は複雑だったそうです。
A型の叔母は自他共に認める気配り派です。う〜ん。

私もA型です。
血液型って信憑性があるのか?と疑問がつきませんが、時々B型とかO型の人が羨ましい時があります。
でも、私も早いからA型って損だわ、と思ったので、周囲にあまりにも多かったB型の表面をなぞるように
生活していたら、初対面の人に「B型?」と問われるまでになりました。
おかげさまで、使いわけができるようになったのかもしれません。ふふ。
でも、もともといろんなAとBから生まれたOとAとOから生まれたAの間に生まれたAなのでいろいろミックスだと思います。
ちなみに相変わらず私の周囲にはB型が多いみたいです。
某友人が、私がそれをため息混じりにつぶやくと「大丈夫!B型はA型のこと好きだから!」と
満面の笑みで言いきってくれました。・・・ありがとう・・・・・・笑



2004年09月20日(月) ウィリアム・モリス展とか反省大会。

梅田・大丸で開催されている展示を見に行ってきました。素敵!としかいいようがない。
アクセサリーは少しだけでしたけど、壁紙、刺繍、タイル、ステンドグラス、工芸品などうっとり堪能してきました。
植物のデザインが印象深かったモリスですけど、鳥とかうさぎのデザインもかわいらしくて・・どれもいいなあ。こんな壁紙やタイルを使った家に住んでみたい!!
なんだかとってもリラックスできる展示でしたのよ。

ウサギを見ていて思い出したのが、ポール・スミスさんの洋服にもポイントでウサギのマークがついていること。
スミスさんのラッキー・アニマルらしいのですが、その話をしていて友人に
「きっとスミスさんはウサギ年で、それを東洋の友人に教えてもらったりしてそれからラッキーアニマルにしたのかも〜なんて考えちゃった。」とか行っていて自分の妄想壁に唖然呆然。やっぱり私って・・・

そんな反省をしつつ更に。


先日、初対面の人の前でちょっぴりどんくさい事をやってしまいました。
地下鉄の改札で別のカードを入れてしまうという・・・きゃ、恥ずかしい。他にもいろいろやっていたかも・・・

でも、多分気がそぞろだったと思うんですよね。
差をつけるわけではないのですが、憧れていたりする人の前では、動きがぎこちないせいか思ったように動けない・・気がする(^^;)
知り合って数年過ぎた人でも相変わらず、緊張しているかもしれない・・。
ごめん、全然緊張してないリラックスしすぎの友人たちよ・・

緊張のせいだけでなく、私は基本的にどんくさい。かなりマヌケであります。
でも、今の状況があまりにも過酷なので、常に張り詰めているのだと思います。
つねにアンテナ張って危ない人がいないか、危険回避できるように準備している。
常にファイティングポーズで、ステップ踏んでいる状態っての?いつでも猫パンチ出せるように(笑)
それで、しっかりしているとか言われがちなのですけど、それは仮面です。

そんなんでいっぱいいっぱいな状況でさらに非日常が加わると、多分オーバーヒートしてしまうのかもしれないなあ。なんて分析しています。

しっかりしている、頭がよさそう、とか高い評価をいただくことに最近疲れ気味なので許してください。
私はかなり見かけ倒し、きっと馬鹿は私のためにある言葉に違いないと思います。



2004年09月19日(日) ちゃくちゃくと・・・

空亡明けたら、今年は出会いの年とのご託宣だったので
積極的にいろいろやってみようと思っていたので
早速、某イベントに参加してきました。
いろいろ不安だったけど、やってみてよかったわ。
一番よかったのはイベント後だったりして・・・(^^;)
てことはここだけの秘密。



2004年09月18日(土) 花組「ラ・エスペランサ/TAKARAZUKA・舞夢」

やっとこさ見に行きました。
友人からの情報で、きっと後半の方が楽しめそうと思っていたのですが
マサツカ先生らしい、コメディ青春群像で、クスリと笑う楽しいお話でした。
宝塚で話題作になるようなダイナミックドラマではないのですが
ナンタみたいな場面があったり、いきなりペンギンを見に行ったりと楽しめました。
でも、一番よかったのはタンゴのコンテスト。
鈴懸さんの見事なダンスを堪能できて私は大満足です。
黒いボブの髪と黒いドレス。小さなお顔に小さな紅い唇がかわいらしかった。

ショーは私の大好きなギリシャ神話がテーマで。
ゼウスとその恋人たちやトロイまで、楽しめました。
そして出た出たナルシス!
水さんらしい場面で、何度も描かれてきたナルシスというモチーフですけど
今回のが一番好きかもしれません。
フィナーレの水色の衣装が、ちょっとウエッジウッドのジャスパーみたいで綺麗で素敵でした。



2004年09月17日(金) 読書「二十世紀を変えた女たち」

キュリー夫人…シャネル…ボーヴォワール…シモーヌ・ヴェイユ
安達正勝 白水社

勇気と感謝の1冊。
彼女たちが何者か多くの人が知っているだろう。
彼女たちの経歴、功績。
でも、それらがどんな歴史背景で、どんな環境で世に出ていったのかは詳しくは知らない。
この本は彼女たちの非凡で数奇な運命を、女性の歴史を照らし合わせながら、やさしく書いてくれています。

今、私が働いているのも。
動きやすい洋服を着ているのも。
本を読んだり、学校を出たのも。
自由にどこかへ行けるのも。
何もかもが先人が道を切り開いてくれたからなんだなあ。
過去の女性がタブーに挑戦し、それまでの常識に異を唱え、
超人的な活躍をこなしたからこそ、平凡な今の女性もあとに続けるのだと思えました。

何時の世も、当たり前、と思っていることに疑問を持ち、行動して、自分の考えを貫くことは
想像を絶する苦痛を伴います。
彼女たちはよきパートナーに恵まれた側面もあるのでしょうけど。
そのパートナーたちとも、お別れがあったり、哀しみを感じることもあったのでしょう。

東洋の島国に住む、平凡な私ですが、この本を読んで
今、自分が享受している当たり前の生活を改めて感謝する気持ちになるのです。
私もくじけないで、私なりにがんばらなくちゃ。



2004年09月15日(水) バカだなあ〜

少し外に出て、部屋に戻ると首が痒い。
その辺りを書いていたら、小さな黒い塊がコロリと落ちてきました。
なんとそれは太った蚊だったのです。
蚊は落ちたところで、ジリジリと動くだけで一向に飛ぶ気配はありません。
残酷ですが、プチっといたしましたら、鮮血が・・
蚊は私の血を吸い放題で、重くて飛べなくなったらしいです。
やはり、欲張りさんには幸運の女神は微笑まないのですね。

所で、蚊に血を吸われている途中は潰さない方がいいらしいですね。
免疫の弱っている人や子ども、老人など・・
病気が移る可能性があるとか・・
今までさんざん潰してしまいましたが、大丈夫でしょうか・・・



2004年09月14日(火) 雷がすごかった。

今回の雷はその辺に落ちまくっていたみたいです。
本当に長い時間、効果音のような見事な雷が荒れまくっていました。
恐ろしかったです。
やっぱり苦手だよ〜。
兄者がいるんだ。と思っても無理だ〜〜〜!(笑)



2004年09月13日(月) 謎の胃痛

アイタタタ・・
胃が痛いです。
相変わらずにきびがすっきり治りません。
何がいけないんだろう・・
胃カメラ飲まないとダメかな・・いやん。

という中、一万超えていましたね。
いつまで続けるのかな。
根気の無い私なのに、自分で驚き。
ローテク日記なんて続いたこと無いのよ・・・



2004年09月12日(日) 増える

最近、髪の毛を後ろで止めると、前髪のほつれが気になる。
以前はこんな余分なほつれ前髪はなかったのですが・・・
そして気づいたのでした。
増えてる!髪の毛が・・・

もともと私のおでこの部分は天然パチキ・・そりこみといわれて部分が薄かったのです。
それは長らくひそかな悩みでした。
それがかなり緩和されているのですよ。

さて原因は?・・・それはやはりベルジュバンス。
母も同じ悩みをもっていたのですけど、私より頻繁にいっている彼女が先にその効能に気づきました。
実際、昔あった薄ケの部分は全然なくなっています。信じられません。
他のお客さんでも、髪の毛がまばらだった人も、かなり増えているらしいのです。
不思議だけど、本当の話。
ま、もちろん個人差はあるのでしょうが・・・

パチキ部分が薄いのは、眼科系で弱い、眼精疲労などの原因が考えられるのだそうですが・・・
まさにそのとおりでしょう。
そろそろ行かないと、ベルジュバンス。

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本日はエリザベート梅コマの発売日。
友人たちと朝から頑張ったけど、ほぼ玉砕。
並んでくれた友人が一番成果があったみたいです。
本当に厳しいなあ。

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今日、明日中にカウンタが10000越えまも。
すごいなあ、読んでくださった皆様ありがとう。



2004年09月11日(土) 朝からゆっくりしたかった。

いつもの起床時刻に目が覚めるけど、もう少しねていよう。
と思った瞬間に、こむらがえりっていうのかしら?左足ふくらはぎがカチカチでつま先が反り返りました・・・イテテテ涙。
運動不足かな、やっぱし・・・

それがいおさまって、もう一度ねようとしたら
「ドガガガガガ」ものすごい音と振動が・・
近所で新築工事があって、コンクリートを掘っている模様。
ああ〜これでは絶対に眠れない。
仕方なくおきました。
ご飯食べて、新聞読んでいると工事の音が止みました。
どしたん?と思ったら、近所の人が文句いいにいったみたいで・・

確かに土曜の朝イチからあれはないよ・・と思うけど
お互い様かもしれないから、流石に私は文句は言わないけど
言いに行く人もいるということね。大変ね。

おきてしまったものは仕方ない。
掃除したり、雑用片付けてたら
友人からメールが、「エリザベート」チケット取りの打ち合わせだった。
起きてよかったか。。
でも玉砕。ダメダメです。



2004年09月09日(木) 地震の話や一休さんの話やら。

ここ最近、地震や台風と、火山も噴火したり、非日常がテンコ盛なのですけど
地震があまりにもいや〜な揺れだったので、あの大震災の時の恐怖とか不便な日常生活を思い出してしまいました。
結構、綺麗に忘れていたみたいなのですけど。

話しは変わって・・・
テレビに有名占い師が映っていました。(先日の日記にも書いた人です)
それを見た家族が彼女が一躍有名になったのは某有名人の借金を肩代わりしたことからだ、とどうでもいい情報を教えてくれた。
詳細な情報は知らないし事実かどうか知りませんが、そんな事があって、世間一般に占い師の名前は初めて知らされたようだったとのことです。
それだけだったら「へえ占い師、やるやん」ということなのですけど、その占い師は借金肩代わりしてあげた有名人の
その後の態度が気に入らないとかで、アチコチで不満を漏らしたらしいとのことでした。
具体的にどのように等、細かいこと、本当のことがかは確認しようがないのですけど。
それだけ聞くと、占い師も普通の人間だという証拠なのでしょうか。成人君子ではないのですよね。

地震とあいまって思い出したのは、地震の時の知人の体験談。

知人Aは関西圏ではありましたが地震の被害には遭わなかった。ところが地震のために仕事へは
通うことができず、時間に余裕がありました。そこで自分の知人の被災者を見舞おうと思い立ったのでした。
まあちょっとしたボランティア活動ですね。
地震で被害が大きい地区に以前の職場の同僚が住んでいたのも思い出して、知人は物資などを背負って
歩いてそこまでいったそうです。やはり細かいことは失念しましたが元同僚にも喜んでもらえたみたいだし、
いいことをしたな、っと知人は満足しておりました。

それからしばらくして、地震の傷跡は残ってはいるけど交通・街の機能は平常に戻った頃に
知人は、たまたまその物資を運んだ元同僚が働いている店を通りかかったので寄って見たそうです。
そして働いている元同僚を見つけたのだけど、なんと知人は無視されたのだそうです。
目が合った瞬間にあからさまに目を逸らされて、決して声をかけるとかかけられる雰囲気ではなかったそうです。
とてつもなく衝撃を受けた知人は、私に疑問をぶつけて涙ながらに語って聞かせてくれました。

私は知人の気持ちもわかるけど、その無視したという元同僚の気持ちもわからないではないのでした。
ちょっとキツイ例えだけど、物乞いととんちの一休さんのお話を思い出していただいたらわかるでしょうか。

多分、元同僚はそれほど親しくもない知人に、尋常でない好意をしめされたことが居心地悪かったんだと思うんですよ。
そして、お返ししなくては・・とも思ったかもしれませんが、復興し始めたばかりで、多分その方にはお返しする余裕なんてなかったと思うんですよね。

お返しが欲しくてしたのではない、お店に寄ったわけではない。と知人は思っているようでしたが
そういう事を先延ばしできる間柄でなかったのがいけなかったのかもしれない。
知人は元同僚と特に親しいワケではない、どちらかというと反対の間柄だったそうです。

私も被災後、いろんな友人・知人宅に歓待されました。自宅がお風呂が使えないから有りがたかった。
でも、あまり親しくない方の家に行くと、やはり手土産の一つももたないと行けない気持ちが沸き起こるし
復興してから、やはりお礼をしにいったりしましたよ。一方的にしてもらうということは、結構心苦しいものなのですよ。
されてばかりでも苦にならない人って、ピーっとかピーっとかピーっくらいですよね。(都合により消してありますので
好きな言葉を当てはめてください)

ボランティアって、見返りを求めない気持ちでやらないとボランティアにならないですよね。
だから彼女も良いことをするなら、全く知らない人にすればこんなイヤな思いはしないですんだんじゃないかと思うんですよ。
何がしらの人間関係が既に出来上がっている場合、ボランティアにはなり難いのかも・・と。

私は親しい間柄の人に親切にするのは、その方が自分に都合がいいからなのでボランティアではないと思います。自分のためですからね。
そこそこの間柄の人や全く見知らぬ人に親切にする場面になったときは、なるべく気付かれないように
してしまったらダッシュして逃げるとか、痕跡を残さないようにしたいと常々思っています。
それも非常に難しい技術なんでしょうけど。

なんの話しだかわからなくなりましたが、地震のとき人生の教訓になった話でしょうか。



2004年09月08日(水) まるごと川原泉

買いましたよ「まるごと川原泉」朝日新聞の書評で単行本未収録というので楽しみにしたわ。
「笑う大天使」・・か〜懐かしいっ。続いてしまうのね。買うけど今すぐ読みたいなあ。

好きだったなあ、川原センセ。
こういう世界に住めたら、とよく夢想していました。
というか「花とゆめ」でたくさん連載している漫画のほとんどがゴージャス、ドラマチック、ディスティニー的な
ものだったので、等身大?の女の子が出てくるのは彼女の漫画くらいだったんですよ。
まつげがなが〜くもなく(時々あるか)、八頭身でもなく、ロングヘア〜だったりしないしね。日本人だし(笑)
だから身近に感じられたんだと思う。
あからさまな恋愛ドラマでなかったところもいい・・さりがない気持ちの伝わり方がやさしかったんですよね。

でも、でも、実はこの漫画の主人公は平凡でも普通でもなかった。
みんな仙人のごとく、達観している人が多かった。
普通の女子高性が悩んでいるようなコマかいことはあまり気にしてないんですよね。
時々、それに近い感覚があったけど、恋愛沙汰には疎かったから。
でも、うらやましい。未だ現の悩みに翻弄されていますとも。だから川原泉の漫画は好きさ。

最近の川原センセの漫画、あまり読んでいなかったんだけど
線がシャープで、目にはスクリーントーンなのね。



2004年09月07日(火) 地震・台風

朝から台風のため風が吹き荒れるなか、地震まで起きやがりました。
その時、自宅に一人きりだったので、もしやこれから大地震になったら!
とビクビクしてしまいました。
だって、いやな揺れなんですもん。
でも、あの大震災とは違う種類らしいのですけどね。
高いビルの上の方は船酔いする勢いらしいですね。怖い。
さっきは大風で瞬間的に停電するし、パソコンがしゅ〜っと落ちました。
そしてすぐに立ち上がりました。あう!なんてこったい。大丈夫なの?
とにかく私の空亡あけは波乱含みか?
そうなの、今日からマジ9月!やった〜〜!でも年を取るのよね。



2004年09月06日(月) 妄想は身をたすく?

引き続き「グロテスク」 桐野夏生 文藝春秋の話題。
487頁
「この世でどうして女だけがうまく生きられないのか、わからないわ」
「簡単よ、妄想をもてないから」
怪物的美貌のユリコと和恵の深層意識での会話は象徴的だと思う。

これは真実であり、これから少しずつズレてくる事実かもしれない。
作者のいう妄想がズバリなんなのか言えないけど、私の知る中では妄想のできる女も確実に出現していると思う。
女も妄想する自由を得られるようになったから。
妄想するには自由が必要。それには自分のお金と時間が要る。昔の女にはこれがなかった。
これから少しずつ、増えていくと思う。

この本を読む前に、「東電OL殺人事件」佐野真一 新潮文庫も読んでみたけど、
全くといっていいほど読みたいと思った事はかかれておらず、
夕日が綺麗だったり、旅がいかにキツイ行程だったかとか、ロードムービー調、男のロマンて感じで
「無実の罪に問われる者を救え!」と改題した方がいいんじゃないのかと思った。
でも、この本にかかれている私が読みたいと思っていたピースを集めて思ったことは
殺された女性に妄想があったなら、あるいは・・と思った。

妄想・・オブラートに包んでいるけど、私が当てはめたのはぶっちゃけやおいですね。
やおいでなくても、単に息抜き・趣味とかでもいいんですけど。これだとちょっと弱いかな。

仕事が趣味っていう人がいるけど、それはやはりその世界で認められているとか
成功を収めているから言えることであって、そうでない人はきっと仕事を趣味にはできないと思う。
職人とか特殊な仕事なら別かもれませんが・・。

もちろん妄想などなくても生きていける人もいるはず。現実を直視している人ですね。
現実が自分を殺さない程度に折り合いがついているとか。
頭が良過ぎないとか、純粋すぎないとか、まあいろいろ言い様はあるのですけど。

頭がよくて、純粋すぎて、現実に折り合いが付けられない人は
妄想して、ガス抜きをするしか手はないのだと思います。
頭がよかったら生きていくのも上手かというと、それは違います。
人生の達人は必ずしも頭のよしあしとは関係ないところにあると思う。
頭が良いと賢いは同義でないと私は思います。

私はというと、今は現実を恐れず直視できる勇気を持っていてとりあえずよかったかな、と家族に感謝している次第です。
もちろん妄想も助けてくれていると思うけどね。
私の家族は子どもの頃から、厳しい現実を私に投げかけてくれていたからです。おかしな夢を見る暇もなく(笑)
やっぱり現実離れした我が子褒めは毒になると思いますよ。・・と話しがズレてきたところで終わりにしたいと思います。

そういえば清水ちなみ監修の「大独身」て本が出ていて、30代未婚女性たちの現実が載っているそう。
のけぞるらしいよ。これも読んでみるといいのかな、いやいや逆効果か?
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と安心してしまったらいけないかもしれないので、よそうかな。
それにしても「大独身」てタイトルが・・「大甲子園」(水島しんじのマンガでそんなのあった)を思い出してしまったよ。



2004年09月05日(日) 思い出した。地震。

怖かった。
小刻みに揺れる、長く。
不安で、ドキドキした。
そう、あのときも最初はいつもの地震かと思っていたのだ。
そしてそれは間違っていた。
忘れていたのよ。
あの恐ろしさ。でも二度と思い出したくないよ。
あまりの恐怖に、読んでいてブルーになった本のことも忘れられてよかったけど。
何事もなくてよかった。



2004年09月04日(土) 読書「グロテスク」

ついに読みました。
書評で、知人からも進められたりと目にしていたのですが
なかなか読めなかったのですけど、やっと読めました。

そして読後は今までで一番、どよ〜んと落ち込みました。
私の知らない世界を描いてはいるものの、リアルで、一人称の文を読んでいると
深くふか〜くその世界の住人になったような感覚に陥ってしまい、
しかも、登場人物が軒並み私と同じ年の女性なので、ますますブルーになっていくのです。
とくに、怪物的な美しさの妹を持つ姉である主人公の気持ちは多少ならずともわかる。
私も子どものころから、そうやって比較されてきたようなものだからね。
かなりコンプレックスになっていたから。今は多分乗り越えたと思うけど。
容姿と年齢だけでもきついのに、さらに襲い掛かる男の世界で生きていく女性の立場。
この感覚はわかる人にはわかるけど、知らない人は一生知らないままなんだな、とわかる。
私はこの物語の女性のように、ディープに男社会に繋がっていないから、というかいち早く降りてしまったからだけど
男社会でゆがんで、ねじれて行った女性を知っている。
それが怖くて、線路から飛び降りたような気がする。
ま、もともとその線路ですらどこにも繋がってなかったんですけどね。

あ〜ヤバかった。
気の弱い人は読めない。いつもどんなものでも読める性質だけど、
これは久々にダメージがきつかった。
あまりにもファンタジーであり、現実である物語は、私の年代にはきつかった。



2004年09月02日(木) 気になる。

接骨医院で、週刊誌を斜め読みしていたら
戸田ケイコさんとアガワ佐和子さんの対談が載っていました。
戸田ケイコさんといえば、私はマチルダさん役かファンなのでしたが
最近はもっぱらテレビでお顔を見られるので嬉しく思っています。
そんな戸田さんはちゅうがくせー日記出身というのは有名なので知っていましたが
アニメの声の最初にもらった役というのは知らなかった。
マチルダさんじゃなかったんだ!!
その役がまた不明。
中性的な女性なんだけど、変身したら岩男みたいな感じになって・・・とあり
変身したときの声が難しい、とのことです。
「変身したことないし」って書いてあって笑いました。素敵。
なんのアニメだろう・・気になる!

女性はやはり戸田ケイコさんのように、少年の声とかきりりとした女性の役の声の似合う人が好きですね。
最近のせーゆーさんはあまり知らないのですけど、えあマスターの人の声かなりグーです。はがれんの主人公もやってますね。
クラマの声も大好きでした。最近聞きませんが、どうしているんでしょう。
男性なら(故)しおざーかねっさんが断然好き。あとはハヤみ奨さん、Oつかヨシたださんもかなり好きです。

こういう話題を書いていると、やはり私はとことんアニメおたくなんだわ。と実感します。うふ。



2004年09月01日(水) 私がつかめる〜

で「エリザベート」のこの部分の歌詞では、どちらも人間関係で勉強してないんだな、っとわかる。
ま、この時点で若いから当たり前なんだけど、年取っても譲らなかったから、全然お互いの気持ちてわからなかったんだろうな。
譲る気も無かったんだろうけど。でも、実際の2人は晩年おだやかに暮らしたって何かで見たような。
子どももやはり物心ついてから育てるよりも、小さい時から一緒だったほうが自然らしくて
末娘とは本当に家族らしくしていたというし。
史実とは別に、ミュージカルでは晩年は「夜のボート」の場面を参考にしています。

男女で夫婦という関係で、最初に書いた作戦が通用するかは私も試したこと無いからわからんけど
とにかく、「私の身になってよ」と感情に訴えている間はうまくいくわけないと思うな。
「姑にいじめられて困っている私をわかって」と伴侶にいっても
「母はアドバイスしているだけだよ」と全くわからないのも仕方ないなあ。
自分にとっては赤の他人だけど、彼にとっては母親で気の置けない肉親なのだから。
それでエリザエートは具体的に何がどういやか、手紙に書き、交換条件を出したから
希望はとおったんだろうけど、感情までは理解してくれたわけじゃないから、やはり不満が残るんだろうね。
あそこまで性格違ったら、もう理解は困難なんだと思う。

相手の目に何が映ってるか、なんて本当にわからないし、同じものを見ていると
錯覚している場合は、理解はさらに困難になるからね。

同じ場所にいて、同じものを見ていても、感じていることは全く違う。ってことが印象的だったのは
「28年目のハーフタイム」というドキュメンタリー。アトランタ五輪でサッカーの日本代表のことを書いた話で
私が一番感心した部分は、ロッカールームで起きたちょっとした事件を
監督をはじめ、選手たちがそれぞれ、全然違う受け止め方をしていることがインタビューによってよくわかり、
同じ目標に向かって、ずっと一緒に行動してきた人々でもこれくらいの差が生じてるのねと興味深かった。
コミュニケーションって本当に難しいし、重要だわと。

「自分はこういうつもりで話した」つもりでも、相手はそれを全然、受け取っていない場合がある。
はっきりいって聞いてないかも。聞く耳持たないのか、理解できないのか、流して忘れたのか
それすらも不明なのですが、対人関係では全然珍しいことではない。
比較的、気の合う人の間でもそれは日常茶飯事である。

でも、そういう事がわかりやすく書いている本てあまりないかな。
京極さんの「ウブ女の夏」もそのようなことが書かれている小説だけど、あれはフィクションだから
ちょっと、視点がズレちゃう。でも面白いけど。

とにかく、相手に私の気持ちをわかってもらおうなんて、考えるのをやめた時から人生は豊かになるかもしれないと私は思うのでした。
えらく寂しい話しですか?いえ、だから同類項のゾーンが広い人と、重なる部分で楽しく暮らせば良いのです。
全くそういう部分がない人に、力技で理解させよとすることをやめて、その人はあるがままにして
触らないようにしたほうが、絶対に無駄なエネルギーは使わないで済むし、哀しくなくなりますよ。
理解と愛情のあるなしは別ものだと思って。

家族にわかってくれない人がいる?それは不幸だね。でも人間あきらめが肝心です。
でも図とか自分の説明能力を高めたら、多少は分かってもらえるかもしれません。
論より証拠、と言う場合もあるし、具体的な見本や資料があったら更に効果的です。
学校の先生が分数を教える時のように、工夫を凝らしてみてください。
ちょっと成功した時があります。全くダメではありません。
希望は箱の奥底にあるものです・・・そういう方面ではがんばれ!と応援させていただきます。


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