2004年08月31日(火) |
いつか私の目でみて〜くれたなら。 |
感情的意味合いが強い事柄だと、その人にとってのイヤが何かを理解して私にとってのイヤと歩み寄らせて、理解にもっていくようにした。 本当に分かったかは判断できないが、とりあえず私がどれだけイヤなのかは掴めたかもしれないらしく、少しイヤは軽減される。
例えば職場で、仕事を最小限しかしない、しかもその最小限もミスばかりでどうしようもない人がいる。 そういう人の話を職場外の人にすると、大抵「信じられない」「なんでそんな人クビにならないの?」 「いいきかせてやらせればいい!」「どうしてその人は良心が痛まないのか?」という反応が返ってくる。 私も最初はそう思っていた。でも、どんなに言ってきかせても、指導しても治らない。 そもそもその人に良心があるのか、あったとしても「だって自分の仕事じゃないもん」とか 「たいしたミスじゃないじゃん。私は平気よ。気になるならあんたがやりなよ」という価値観で来られたら、永遠に平行線なのだ。
まさに永遠の我慢大会。 自分以外の人と暮らして、家事などを折半してやると仮定した話しでも応用できる。例えば掃除。 きっと個人の感覚の違いで、掃除する人は決まってくるだろう。 「汚れたら掃除することにしましょ」という曖昧な基準が一番危ない。 「そろそろ汚れているから掃除してよ。いつも私だからたまにはやって欲しい」と相手に願っても無駄だ。 「まだまだイケル。綺麗なもんだ」とより気にしない人が永遠にそれで掃除しないでイケル。 綺麗好きな人は我慢出来ずに掃除するほかないのだ。 ここで重要なのは「汚れたら掃除する」という曖昧な基準でなく、週に1度など回数を決めて、交代制にするなどの取り決めが必要だと言う事。 それでもツワモノは拒否するかもしれません。そう来たら、その時点で同居を解消するしか手はないだろう。 掃除をしてくれたとしても、自分のやり方と違う、綺麗になっていない、などという落とし穴もあるので安心しては行けません。 でもそれを言い始めると、キリがないので、ほどほどにしておきましょう。
それにしても、相当汚れていたらやるでしょ、と思う方は甘い。 やらない人は1年でも掃除しない部屋に住めるのだ。もっと行けるかもしれない。 そんなわけで、自分の感覚が自然に他人に通用することって幸運なことなんだと思いますよ。 衣食住環境で、この感覚が近い人しか回りにいない人は気付かないかもしれないし もともと「イヤ」が少ない人。なんでもOKな人も気付かないかもしれない。 やっぱりイヤが少ない人は勝者のようです。
さらに長くなったので明日に続く。
2004年08月30日(月) |
いつか私の目でみてくれたなら・・・ |
前にも日記で書いたけど、「エリザベート」での夫婦の象徴的な歌。 この部分って「相手の気持になって考える事」がすごく難しいってことを教えてくれる優れた場面なんだといつも感心して見ている。 「相手の身になって考えなさい」と教育の場では常套句だろうけど、とっても大変、至難の技だと、今はわかっている気がする。 気がしているだけで、わかったとは言いきれない、と思っている方が正解だとも思う。
人それぞれ、もともとの性格、癖、育ってきた環境、教育などが違うし捉え方、感じ方は違って当たりまえなんだと理屈ではわかっているけど 本当に「違う」んだ、と納得して、どうしようもないと実感する機会は少ないと思うから。
自分が「イヤだな」と思うことでも、相手は「イヤ」だとは思わないかもしれない、という事がある。 当然、逆もある。私は平気でも、相手がイヤだと思うこと。 だから私は親切でやったことでも、相手にとっては迷惑になることもよくあるだろう。 これは多いかもしれないと常に反省している。おせっかいな傾向があると自覚しているから。
例えば、知人が行き付けの居酒屋につれて行ってくれるという事があったとしよう。その店はちょっとどころでなくお世辞にも小奇麗とは言いがたく、 私はそういう場所が苦手だったとしよう。でもそれは連れて行ってくれる人には言えない。善意で連れて行ってくれるのだから。 (ここだけの話し、その店では何度か見てはいけない虫を目撃したことがあるのだ!) 相手をがっかりさせてはいけない、っと考えるから。あくまで良かれと思って連れて行ってくれるのだから。それはもはや苦行に近いかもしれない・・修行好き。 でも、その店に何度も通っているうちに、私も平気になってしまった。そして、試しに本来、趣味・嗜好が似通っている友人を連れて行って見たらやっぱり「二度と連れて行かないで」と頼まれる(笑) そうなんだよね。やっぱりね。私はかつてその店に入るのを躊躇した経験があるから友人の気持ちはよくわかる。 でも、最初に私を連れて行ってくれた人たちに私や私の友人たちの気持ちはわからないだろう。 というか、気取っているという風にみなされてしまうだろう。(私はこの気取りと常に戦ってきた。戦いたくなかったけど、なんだかそういう運命だった)
※気取りって何よ。と思われそうですが、上記のような店に行った時に「私、こういう店はちょっと・・」と難色を示すことを現して見ました。 知人たち全員が平気で入れる店に難色を示す方が勇気がいるので、この気取りと戦ったともいえる。 でも、この戦いがあったから私は結構どこでも平気になってよかったと思う。アウトドアでもOKさ! アウトドアというと、そういう場所でのトイレ事情もすごいものがあった。でも周囲の男友達に「これだから女ってさ」と言われたくない おかしな負けず嫌いなために私はそれをも乗り越えてしまった。まさに負け犬根性ともいえるかもしれない。 とまあ、気取りとエニシングOKの狭間で揺れ動きすぎたため、現在の私は自分でもどこがニュートラルなのかさっぱり分からなくなってしまった。
この場合は自分がイヤな気持ちだったことを踏まえて、相手のイヤにも理解しめせるチャンスがあったけど 最初から「イヤ」が少ない人には、「イヤ」が多い人の気持ちは永遠に理解できないだろうと思う。 なんでもいい、イヤの少ない人の方が生き易い事は明白な事実です。 一番、生き辛いのは、自分に「イヤ」が多いと気付いていない人だと思う。 自分で気付けない限り、そういう事を赤の他人が教えてくれる機会はとても少ない。 よっぽど気の置けない間柄でないかぎり、NOといえないのが日本人だから ひょっとしたら、相手はイヤなことをずっと我慢してくれている場合もあるだろう。
私は家族や職場でいやになるくらい、それらを思い知らされてきて、ある時雷に打たれたように 「相手の気持がわかる人っているはずないんだわ」と思えた。 でも、逆にそう思ってからの方が生きるのに楽になったと思う。 話しの合わない、感覚の合わない人に、私の気持ちをわかってもらおうとすることは ザルで水を汲む行為に等しい無駄な時間なんだ、と割り切った。
でも、どうしても打開しなくてはならない局面では、感情に訴えるのではなく 合理的な側面から、訴え、改善をはかるように案を提供することにした。 「こんなことされて困る」という気持ちだけではなく 「これをすることによって、どれくらいの損失があるか、どんな不利益を蒙るか」と 理路整然と、端的に述べる。そうすると大概の人は納得して、止めてくれるようになった。
長くなったので明日に続く。
2004年08月29日(日) |
一緒に参加したい・・・ |
名古屋の「エリザベート」も終わりですな。梅田に来るけど、寂しいな。
「エリザベート」を見ていて、混ざりたいと思う場面がいくつかある。 何をとぼけたことを・・と思われるかもしれないけど、見ていると混ざりたい・・と思ってしまうんだからしょうがない。 その場面とは、侍女の役。皇太后ゾフィがエリザベートの寝室に朝5時に尋ねる場面。
ゾフィ「田舎者なのね!」 侍女たち「ホント!」 ゾフィ「しつけが悪いわ!」 侍女「悪い!」
とリピートするだけなんだけど、6人(だと思う)がゾフィの歌に合わせてきどって踊っているのがなんだか楽しい。 侍女にしては結構かっこいい衣装で(真中左側一人だけスカートの模様が違うのは何故? 謁見の場面の女官たちの衣装には肩飾りもついて、アニメ「少女○命ウ○ナ」の姫宮ア○シーを思い出したよ。) うやうやしくも新妻イジメに荷担している様が小気味よかったりする。
そうかと思ったら、今度は実権を握り、美しさに磨きかけるエリザベートに食事やパックなどを 女官長・リヒテンシュタインと共に持ちより、説明しながら歌うアンサンブルのメイドさんたちもなかなか・・・ あの食器がカチャンと音を立てるのはちゃんと演出なのでしょうか?
さらに、失意の旅に出た皇后エリザベートの共をする侍女たちが傘をさして、どんどん歩くのもいいんですな。 それにしても、実際の彼女たちも毎日8時間も歩いたのでしょうか、キツイよね。
私って今流行り?のメイドマニア?いやいや。 侍女ばかりでなく、「ミルク」とか「ドイツ人」の踊りに参加してみたいですな〜 ルドルフ@浦井皇太子に肩をゆさぶられたり、ミルクの時は手に手をとって退場したいです! エリザベートの婚礼の時のヴェールに巻かれて、客が右往左往(?)する場面もいいなあ。 主役たちのソロとか見せ場ももちろんいいのですけど、「エリザベート」は群集やアンサンブルの場面も見所いっぱいですヨ!!
アトピーがひどくなってから、石鹸やシャンプーは純石鹸のものを使用するようにしている。 石鹸シャンプーを使っていると話すと必ず「ゴワゴワにならない?」と聞かれるが ゴワゴワになったとしたら、ちゃんと酸性リンスを使って中和していないからだと思うと答える。 石鹸シャンプーには必ずセットになっている酸性リンスがあると思うので それを使えば、髪の毛がゴワゴワになることはありません。 ただスタイリングの面からいうと、やはり手間はかかるかな。
そんな日常から、旅館や他人の家に泊まった時に 石鹸シャンプーとそうでない一般のシャンプーとの違いがクッキリわかる。
先日、従姉宅に泊まった時に、やたら目にするCMでついつい覚えてしまう「ダブ」があった。 一般の人や、知る人ぞ知るみたいな人を起用して、その製品がいかに優れているか しつこく繰り返す宣伝で、製品名がイマイチカッコよくないので印象的だ。 そんな「ダブ」を初めて使って見たのですけど、これは驚き!あの宣伝はウソで無かった。 シャンプーとコンディショナーを使ったのですけど、ドライヤーで乾かしただけなのに ツヤツヤピチピチの輝くような張りのある髪の毛になっているではありませんか・・・
何が入っているの?? 別のこれまたインパクトあるCMの「アジエンスでも髪の毛を縛っても跡が残らない髪〜と謳っているのですが 「ダブ」もまさにそんな感じです。
界面活性剤のほかに、スタイリング剤がいろいろ入っているのだろうけど・・ 確かに便利かもしれないけど、これはちょっとびっくりです。 てことは、さらにインパクトのあるうるさいCM「イエス、イエス、イエス」と女性が叫ぶのね。 (商品名が覚えられないのはどうかと思うけど・・・)あれも思わず私も叫びたくなるのでしょうか?
それはさておき、シャンプーは初めての商品を使用したとき、すんばらしい効果を感じるので いつものことかもしれません。 でも、おでかけする時くらいはこういった環境や身体にも悪いシャンプーたちを使って見たいかもしれません。 楽だから・・・でも買わないのですが・・・
2004年08月27日(金) |
運転中の携帯電話で罰金に!!良かった。 |
これから運転中に携帯電話で話していたら罰金になるそうな。 良かった。望むところだ! 私は運転しませんから、携帯電話で話す機会もないだろうし もし運転したとしても、携帯に出るような器用な真似は出来ないしな。
携帯電話は普及してから、ソク運転中に通話している人を見かけるようになった。 交差点などで乱暴な曲がり方して、何よ!と思ったら携帯でしゃべってんの。 生活道路、通行人が溢れ、小さい子や老人も歩いている狭い道で 強引に走りぬけたり、すれすれでつっぱしる車がある。やはり携帯でしゃべってんの。
しかもRV車ての?車高の高い、なんのために街中でこんな車が必要なのか、てな豪快な車で (週末に必ずアウトドアで山でも行くのでしょうか。そうなら是非環境破壊には荷担しないように気をつけていただきたい。 豪雪地帯からたまたま里帰りしていた等理由がある方は仕方ないらしいけど)
若いママが多い気がしたのは偏見?(子どもが乗っています表示とか、可愛いぬいぐるみとか積んでいるのね) 自分もママだったら、小さい子どもたちが通学路や遊んでいる道で、そんな乱暴な運転や携帯で話しながらの 運転はやめとけよ!と追っかけていいたくなる。足が遅いので無理だけど。 そこまでしてしゃべらなければならない相手、話題って何なの? 停車して話す、かけ直そうとか思わないわけ?危ないっつーの!!ああ言ってやりたい!!
頭の悪そうなママ。そんなママに育てられている子どもって可哀想・・と飛躍した考えをしてしまう。 自分がどんな危険な真似をしているか、失敗するまでわからない人には法律で、 しかもお金を取るという手段でしか訴えることはできないのね。本当に困ったものです。 もう何年も前から思っていたこと。書いてスッキリしたわ。
先日、友人から写真を頂いた。 そこには数年前の私が映っていた。(3年くらい前かな) ちょっとびっくりするくらい可愛く微笑んでいる私がいて眩暈。 何度も何度も信じられない思いで見つめてしまった。 ちなみに一緒にうつっている友人もご機嫌だった。
なんでそんなに驚くのかというと、自分の笑顔なんてあまり見ることがないからだ。 鏡に向かって微笑む趣味はないからね。 そして最近はあまり鮮明に映る写真を撮ったりしていない。(携帯カメラならある) だからちょっと驚いてしまったんだ。
私は笑顔が少ないと年長のおっさんに指摘されたことがある(複数) そんな話しをすると、友人たちは怪訝そうな顔して「いつも笑っているじゃん」と言う。 仲の良い友人たちと過ごしている時は自然に微笑んでいるのであろう。 そして、この度頂いた写真を見て、納得。 いつも私はこうして笑っているのね、と。
昔から、写真に写る自分の顔は毎回違うことに気付いていた。 「え?毎回同じな人がいるの?」と思うかたもいるかもしれませんが 結構、周囲の人々は判子で押したように、あまり表情が変わっていませんでした。 特に女性。きっと写真に写る顔が決まっていたのだと思われます。 おおげさでなく、家族にも数々の写真を見てもらって判断してもらってそう結論付けた。
私はあまりにも正直すぎて、心の中が丸見えになってしまう性質だったのです。 楽しい時は楽しく。そうでない時はそれなりに・・・ 旅行に行くとそれがまた顕著に出てかなり恥ずかしいことになります。 ようするに子ども、ってことになるのかもしれません。 顔を変えないでいられる大人な皆様はえらいかもしれません。
腹黒いけど、腹芸ができない私の明日はどっちだ?!
2004年08月25日(水) |
空亡から抜け出した気配 |
昨日に引き続き、占いの話しで申し訳無い。 8月はいよいよ空亡ファイナルだと計算している。 今回ほど空亡というものを実感したことはなかった。 そして抜け出すのだわ、っと感じられる気配を感じるのもバンバン来た。
身体の健康がぐんぐん上昇中、だと思う。 職場の状況がかなり改善されつつある。 ずっと気になっていた事がほぼ解決された。
私にはどうにもならない、気がかりなことがいくつかありました。 それが揃いもそろって、この8月に「大丈夫」と思えることがあったのです。 この気がかりは空亡前後から続いていたので、本当にホっとしました。 自分の頭のハエを追え、な話しではあるのですが、 自分の苦痛はなんとなく過ぎていくけど、周囲の人の苦痛はどうなっているのか 検討もつかないから、余計やきもきしていたのです。
安心したよ、皆の衆。勝手に心配してて申し訳無い。 それにしても、この時期に胸のつかえがスーっと取れるなんて、偶然にしても不思議なことです。 もうみんなは心配いらなそうだから、これからは自分のことだけ心配しようと思いました。
某柔道選手が結婚によって姓が変わると、運が変わってメダルが取れない・・かもと有名占い師が言った。 という話しをいろんなメディアや口コミ?で耳にした。 あらま、そうなの?と思っていたら、その選手は直前になって怪我をした。軽傷ではなさそうです。 「まあ、占いは当たるのね〜」などと早くも決め付けてしまいました。 ところが、結果は今更書くまでも無い、見事なゴールドメダルなのです。 某放送局のキャスターはその選手へのインタビュー内で「あの占い師を呼んで来て、(文句等をを)いってやりたい」と いきまいてましたが「それもどうなの?」と心の中でツッコミ。これだからエンターテイメントな世界っていやね。
占い師の端くれとして感じたのは、占いも外れることがわかってよかったな、ということです。 私の周囲にはいませんが、世の中には占いを信じ込み、振りまわされる人が少なからずいるみたいですから こういう一大イベントで、有名人の占い師が有名人の占いを外したりすると、より印象に残って 一般の人も考えに余裕ができるかもしれないかと思ったのでした。
私が占いを実践してきて、占いを正しく活用する事の意味を考えますと、 当たる、当たらないという次元ではなく、傾向と対策だと思うのです。 例えば「今年は病気や怪我に注意した方がいい」というなら、「病気や怪我をするかもしれないんだ〜」と 落ち込むのではなく、ではそうならないように健康管理に気をつけよう、保険の内容を確かめようとか やりなれない事にチャレンジするのは見送ろう等、対策を練り、備えるということでしょうか。 私はそういう風に使ったらいいのに、といつも思っています。 備えあれば憂いなし、という事ですね。
さて柔道選手の件を師匠の占い師と少し話題にしてみました。 師匠によると、有名占い師は「絶対にダメ」とはいっていないそうで、 「難しいかもしれないから、相当努力しないと」と言っていたといいます。 でも、五輪に出て、メダルを取ることって、いつもどんな人でも相当努力しないとダメなんじゃ・・・と思ったり。 ま、こんなものですよ。
ただ占いとは別に「スポーツと油断」な発想からすると、正しい結果かもしれません。 万全でないからこそ、より慎重に、より集中して、全く油断がない状況を生み出せる。 スポーツに限らず、集中力の効果は絶対ですものね。 そして「プラスとマイナス」的発想からしても正しいかもしれません。 すでに大きなマイナスをしたので、あとはプラスしかない〜という考え方。
どちらにしても、本人の努力が一番ですね。 占いや他人のせいにするのではなく、努力できない自分がダメだと気付かないと何も始まらないわけか・・ 自分で書いていて、イタかったかも。努力全然してない気が・・
今夏は眠れない夜が多かった。 身体のかゆみは薄らいだけど、暑くて眠れないし、寝ても眠りがあさくて 「眠れた!」という満足感が得られにくかった。 そして仕事場で昼食を採った後が強烈に眠くてしんどかった。 よっぽど寝てしまおうかと思うくらいだった。無理だけど。
だから、というか自然と昼寝をしようと思った。 昼寝をした方がいいという話しをきいたことがある。 昼寝は短い時間がいいという。 おそらく20分とかそんなのだったと思う。
ただ私が食事している部屋って、イス収納式の食堂机しかないのよ。 前は仕方なく、机に頭を伏せて寝てたけど、腰が痛いし、首も顔もしんどい。 返って疲れる。 思い余った私は、ついに最終手段。 その机の上に横になりました。
わ〜大変。いいのかな〜。 でもいい、鍵は閉めてあるし、誰も来やしないヨ。 ということで、私は机の上をベッドに見たてて寝ています。
携帯でカウントダウン目覚まし15分なのですけど 必ず鳴る前に目が覚めます。我ながらすごい。 そしてスッキリして午後からまた働くのです。
熱帯夜も減ってきたから、夜も眠れるようになってきたので 昼寝も減るかもしれませんが、昼寝は本当にいいですな。
2004年08月22日(日) |
夏休みが本当に終わったああ・・・ |
今日で連続休みは完了。 寂しいなあ。 子どものころは高校野球の決勝戦とかツクツクボウシの鳴き声とか嫌いだったけど 今は関係なくて、ちょっと気が楽(笑) 気持ちは早くも11月の梅コマです。
しばらくこのタイトルでいこうかな。無理だよ。
某イベントへ行く。 本を買いました。少しだけ(笑) 某所は意外と寒かったです。
タイトルに深い意味はありません。 日ごろの不義理を埋め合わせ。エリザを観劇して、親戚宅をスルーばかりではいけないわ。 とやっとこさ、墓参りやら、親戚周りをこなす。
目的は従姉の赤子との対面とかその他従姉たちとの対面。 つもる話を一気にしたのですが、何を話したかわからないくらい 話した。そして力つきた。 でもずっとこうして仲良くできたらいいな。 私たちの上の世代はそんなに仲良くないんだもの・・残念だけど。
1つ思ったのは、やはり運のよい人は、ささいな事は気にしないということ。 気にして、改善できることは気にした方がいいけど、 相手のあることで、自分ではどうにもならないことは気にしないんだな、ということです。 なんのこっちゃ、かな。でもそう思える旅でした。
心から幸せを願っている人たちの前向きな近況が聞けて安心できた旅でもありました。 本当に有意義でした。
2004年08月19日(木) |
またもや「エリザベート」観劇・名古屋だぎゃ! |
当日券があったら見よう・・なるべく安い席で・・なんて思っていたら 安い席って、2階の最後列なんですよね。 自然と1階の前の方であいていたので、それを選んでしまいました。
本日の配役は内野トートと浦井ルドルフ。 山口トートに慣れきっていたから、一瞬違和感が(笑) あ、今日は内野トート閣下なんだわ。と我に返る。 相変わらず冷酷な「死」の象徴をゴリゴリに演じてらして エリザベートを誘惑する場面なんて、見ている私もフラーっと行きそうになりました。 相変わらず素敵なルドルフ殿下、今日は上着を脱がすところもスムーズでした。それにしてもチューは強引で、唇がズレていたような・・・
今日ほど「名古屋なんだわ!」と観劇中実感した日はなかったかも。 ルキーニが「可愛い小鳥ちゃんを・・・」と小鳥の人形をバタバタさせる場面。 子ルドが大きな本を読んでいる場面。「猫をころした〜♪」のところ。 みーんな爆笑さ。 ルキーニが名古屋弁で喋るところも、ルキーニのシモネタ場面も結構クスクスでした。 いや〜東京では静かでしたので、だんだん西に近づくと笑いが増えるのかしら? 関西でどうなるのか、結構楽しみかも。
2004年08月16日(月) |
残念だね>五輪サッカー男子 |
仕事があったし、やっぱり眠いし、寝てしまいました。 朝、結果を知って、脱力。 難しい相手と当たるけど、いってくれるのかな、なんて楽観していたけど残念。
今朝はごっつ涼しかった。 久々に爆睡。 女子サッカー見てから、7:30までぐっすりと寝込み。 おきてからも体がだるくて、ああこういう疲労って久しぶりかも・・・ そして気づいたら11時だった。 そしていきなりトンカツを食べにいくことに・・・起きぬけなのに。 そしてそのまま取り置きしていた洋服を買いに行く。 その洋服は袖の一部がニットのジャケット・・・・ いったいいつ着られるようになるんだろう・・ でも、予想外に可愛かった。そして全然似合わないのではないか、と不安になりつつ購入したのだが存外、大丈夫のようだった。 そうなると俄然、早く着たくなるのだった。 それにしても、ちょっと買い物しすぎたかもしれない。 ええい!空亡最後の月だからいいや!(意味不明) そして帰宅したら、また疲労が襲ってきた。 かな〜り疲れていたらしく、また正体を失うように眠る。 気づいたら、夕方。そして夕食はエビフライ!何故? まあいいのだけど・・・
それにしても、この疲れは旅の疲れなのかしら? 年寄りだから、後日でるのかしら・・ 毎日暑くてろくろく寝られなかったからと思いたい。
ドラマ「駄目なり」を楽しみにしている私なのですが サッカーも愛好している私には、辛い昨晩(早朝)のテレビプログラム。 これはわざとなのかしら?五輪にぶつけるためにあの時間なの?
でも、サッカーがさすがパラグアイで強いのもあってか 審判が相変わらず日本に辛いのか、 日本も「そんな〜」なミスしてしまうしで 見ているのが辛くて。。。 そして「駄目なり」があまりにも面白かったので、サッカー<駄目なりになってしまいました。
------------------------------- 過去日記、更新しました。
朝から、墓参りに行き。その足で接骨医院へ行く。 それから洗濯をして、ひたすら寝る。 今晩は「ダメなり」とサッカーなんだけど、どうしようかしら?困ったなあ。 とにかくばっちりおきてられそうです。
ところで、ずっと日記更新も止まっていたのに 検索で訪問している人数が多くて、びっくり そしてその言葉が結構笑えています。 いろんな人がいるなあ、でも期待はずれでごめん。 特に「猫を飼いたい」という目的できている人はごめん。 過去にもそれで改名していたのだけど、もうこれでいいよね。 ・・・こんな日常を送っている私だから、猫を飼いたい、 こんなときにそばに猫がいてくれたらなあ、という気持ちをこめて 書いている日記なので・・・
本日は旅行最終日。中日「エリザベート」3日目です。 うっかりデマチなんかしてしまいました。楽しかった。
楽しい日々でした。今晩は五輪女子サッカーですが、寝てしまいました。 流石に無理かな、っと。 ぼちぼちさかのぼり日記を書いて行きたいけど、無理かもしれないなあ。 書くような出来事もあったけど・・・ とにかく終わりよければすべてよし!ってことで。
昨日の宿と打って変って大旅館「水明館」に泊まりました。 それはそれは大きいのです。そして満室、フル稼働。 でも連携はよかったし、風呂も満員で困ったことはなかったなあ。 展望風呂。野天風呂。大浴場と入りましたが、夕方から大雨洪水警報の雷の中入った野天風呂が印象的でした。 ものすごい雨粒で、子どもみたいに楽しんでしまいました。
下呂の香り?とかいう土産があると聞いたのですけど、見つからず 下呂膏を購入しました(笑)
--------------------------------- 今回の旅行のアクシデント
名古屋は劇場近くのホテルにとまったのですけど、 その目の前で火事があったらしいのです・・・ そのときは夕食を食べていたので知らなかったんですけど・・
ホテル横のコンビニに入ったとき、楽しそうにアイスを選んでいたら またもや変なおじさんが横にたっていて、私たちに呪詛のようなつぶやきをしばらくしていました。 私たちの口真似みたいでしたが、何もせずにそのうち去っていきました。
旅館でビールを飲もうとしたらグラスにガラスの破片がついていたり。 最終日に喫茶店でお茶していたら、スタッフの人が真横で食器を全部落として陶器のかけらがじゃんじゃん当たってしまったり汗 お詫びに、追加のデザートもらってしまったが腹いっぱいだよ。。。
初日、2階の張り出した席で見ていたのですけど、前の親子(成人している)がずーーーっと前のめりでみている。 娘の方は横の手すりにだらしなくもたれてみているため、友人の位置からは 上手は全く見えないでやんの。 友人は手すりにもたれないようにお願い、してみたのですが娘ににらみ返されました。 親も一応注意したので、手すりにもたれるのはやめてくれたけど、前のめりはやめません。 困ったなあ〜しんどいだろうに、その姿勢。残念だし、腹もたつけど・・ 「彼女たちはこれが最初で最後の観劇かもしれないから、私たちは明日も見られるし我慢よ、我慢」と高慢な慰め大会をして楽しむ。
余談。 友人が以前、見たときは小さい男の子が前に座っていたのだそう。 最初は静かにしていたけど、だんだん飽きてきて、騒ぐことは無いけど もぞもぞ、がさがさしだして、困ったなあ〜と思っていたら マダム・ヴォルフの場面になったら、なんとその子は真剣に見始めたそうです。微動だにせず・・・ 「おぬしも男よの〜」と思った瞬間だったそうです。 もちろん私たちもあの場面はオペラでがっつりしっかりマデレーネたちを見つめています。
エリザベート、ほぼ不満はないのですけど、ルキーニ・・これだけはどうにかならないのかな、っと名古屋で思い切り思ってしまった。 なんだか浮いています。もともとルキーニという役が狂言回しだし、ああいうものかも、っと思うようにしていたけど 3回目にして、「あ〜〜〜なんか我慢なら無い!」と思ってしまった。 あの役者さんがヘタとかそういうのではない、まさに持ち味が私の趣味に合わないだけなんだと思う。 好き嫌いの問題なんだよねえ。
大人の宿「みやこ」という所に泊まりました。 本日は花火大会もあって、窓から花火もみることができてすっごく得した気持ちがしました。
温泉に入ったら、皮膚が悪化しないか、とても心配でしたがそれもクリアしてまずまずです。
宿は時期的にも満室で、従業員の人もてんてこ舞いで大変そう。 少し連携悪かったけど、感じのよい応対でした。 そして料理は文句無く夕・朝とも大満足でした。 飛騨牛がおいしかったし、魚もよかったです。 あゆも苦手なはずなのに、おいしく食べられました。 少しずついろんな食材・料理が出てきて、もう食べられないかも。。 と一瞬思うんだけど、食べられましたね。 朝は炭火でひものほうば味噌を焼いて食べるんですけど、うまかった。
残念なのは、さすがに旅行3日目で疲れていたので個室の風呂にはいれなかったことかな。残念。
役代わり公演の醍醐味。 今回は内野トートは見てないのですけど、前回見た印象では私は内野トートに軍配をあげたのですが 何度もみて、今更山口トートのよさもわかってきましたよ。 もちろん歌がいいんですけどね。 誤解されそうなんだけど、山口トートは面白いんですよ。 トートとしてどうか、といわれたらそれは好き好きなのですけど 山口さんの味わい(今まで気づかなかったけど)が出て、どこか愉快なトートなんだと思う。 仕草や話し方やそういうものが演技者のもっているものから出て、その人しかできないものになるのでしょうから楽しいのだと思うけど そんな当たり前のことがよくわかってきました。 技術とか似合っているとかでなく、その人の味を楽しめるんですね。
内野さんは、キリリと冷えた黄泉の帝王にぴったりなんですが、 内野さんの味。彼の完璧な世界に、無理やりつれてかれて、強引にゴリゴリに感動させられてしまった感じがする。 まるで悪いことのように書いていますが、そうではありません。 それは圧倒的なパワーで、私のイメージする「死」に近いと思うし、そんな強い衝動に立ち向かうエリザベートの物語はより陰影が出る気がします。
今度は内野トートを見てみたいです。 強引に強制的に連れて行かれたいなあ。
2004年08月07日(土) |
中日「エリザベート」とアジア杯優勝 |
軽い気持ちで見に行きました。 本当の所は帝劇で2回見ていたので、名古屋は割と近いし一回くらいでいいかな、っと思っていたのですけどいろいろあって結局3回もみることに・・・ 他に行きたいイベントを蹴ってまで、3回も見るのってどうよ・・・ しかも全部山口トート・・何かおかしいわ、と思いつつ見始めたエリザベート。
ところが始って見ると、引き込まれてしまう。 あの音楽や物語に、そしてエリザベートの人生に。 3回見終わった後に、また見たい!とふつふつ沸いてきたのです。
舞台や映画を見ていると、時々自分が存在しなくて物語りの空間に取り込まれている気がします。 夢を見ている状態に近いのかな、夢の中ではまるで現実のように感じる場合があるけどそんな感じ。 エリザベートはゆられゆられて、アチラの世界にひきずりこまれてしまうみたいです。
オープニングからしてゾンビ(!)たちがゾロゾロ出てきて、トートにまとわり付いてまさに「死」の世界。 死の前では人間は、ただひたすら翻弄され、恋焦がれてしまう、そんな感じが気持ちいいのです、私には。 安らかに眠るとか死んだら自由になれる、と出てきますが、「死」そのものには逆らえないんですね。
そして生きている間は、すごくこっけいでみっともなくても、困難に立ち向かって 生きるためにあくせくしなくてはならないんだな、と当たり前の事なんだけど 目の前で見せてくれる「エリザベート」に心から安らげるような気がする。
こうして私はどんどんあの世界にハマっていくのでした。
------------------------- やったよ!アジア杯優勝だよ!! 中国やっつけたよ!! すっごい興奮したよ。 今までの勝利の中でもっとも嬉しかったよ!! ナショナリズムなんて気にしたこと無かったけど 相手がそうくるなら、私もそう受けるよ。 選手たちのがんばりにひたすら喜びを爆発させられる夜でした。
お友達から猛烈プッシュのドラマ、お気に入りの俳優さんも出るというし 木曜の深夜というとんでもない時間でしたが、見てみました。 面白いなり〜(すみません) コンビニエンスを舞台にした若者の群像ということですが 主要メンバーもいいのですが、脇の人々がそれはそれはいいキャラで とくに警官役の今井さんのトンデモなさがすっごいいいです。 バカボンのおまわりさんより強力です・・でもないか、撃ってはないし・・(笑) 以前から強烈にプッシュされていたのに、全然聞かなくってすみませんでした。
そんなわけで、早速イベントにも行ってきましたよ。 大好きな俳優さんを目の前に見られてとっても幸せでした。 それにしても明日から4泊五日の旅行に行くのに、こんなんで大丈夫か? いえ、なんとか荷造りも終わりました。 それでは行ってまいります。
2004年08月05日(木) |
熱湯!アジア杯☆ジーコって・・ |
熱闘!甲子園てありますよね・・・それは関係ないんですけど。
アジア杯、ついに決勝まで来たわけですけど、 そしてここまで勝ち進んできたのですから、監督の評価ってどうなるんでしょうかね。 どこかのライターさんが「無為自然」とお書きになっていて、ああ・・そうね、そうかもねぇ。と合点がいったりして。
遠藤が退場になってから、あの交代は良いと思うし、玉田を使い続けたってのも間違ってなかったかもしれないけど。 そもそも今の選手を集めたのも、スターティングメンバーも決定したのも監督なんでしょうけどね。 (監督一人きりでそれを全部やったとは思わないけど) それでも、なぜか「?」が残るというか、不安。
ここにきてジーコは突然「ありがとうございました」と日本語で挨拶してみたりしてね。 そんなところに、思わず「ふ〜ん」とか言いたくなってみたりしてね。 浸かっていたぬるま湯に熱湯いれられて、やっと中心まで温度が届いたんでしょうか。 でもま「どうもありがと」くらいなんですけどね。
ところで私が以前勤めていた店の店長がむっちゃ無為自然という感じでした。 常に職場放棄、かきいれどきの日曜日は定休。突然、変ないいわけで有休などなど伝説をたくさん残した。 当然、下で働いている者たちからはかなり評判悪かった。 でも、逆に店長が頼りにならない、何もしてくれない・・つまり好きにさせてくれる。 というわけで、店員一同は自分たちの好きな通りにやり、頑張って働き店はとってもいい状態でした。
そして集まっては店長の悪口などいいあい、一致団結していたのでした。 店長は「俺が嫌われている方がうまく回るんだ。」と嘯いていましたが、それが計算だったら確かにすごい。 そして、店員たちはは皆、店長が選んだ人だったりしたしな。
その証拠かどうかわからないけど、店長が変わって新店長が頑張りだしたら、とたんに雰囲気が変わり 店員は次々と辞めていき、店は全然変わってしまいました。それからいろいろあって店自体もなくなったし。 もちろん店長とか店員だけの結果でなく、時代の流れに勝てなくなってしまったからなんですけど。
巡り合わせというか、ある程度、決められたとおりの中でやるしかないというか いつでも万全であるはずがない、良い監督、よい選手、よいスタッフ。 満点など誰にもわからないはずで、だからその時配されたコマで努力しつづけ、 試合では最大限の力を発揮して、ツキを呼び込むしかないのでしょうね。
期待されたレギュラーに怪我人が出て、それでもポテンシャルは落ちることなく 自分たちの役割を果たして、綺麗な勝利ではなかったけど 震えるような頑張りを見せるあの選手たちを応援せずにいられない。 間違い無く、彼らが一番目立っている! だから、優勝して、無事に日本に帰ってきますように・・・。
友人から伊勢の御土産でおかげ横丁の赤福餅のあか太郎のあぶら取り紙をもらう。 一瞬、用は無い。と思ったが・・・ン、待て。最近の私は油が出ている気がする。 そして使って見る。なんと立派にあぶらが出ているでは有りませんか! 立て続けに三枚も使ってしまいました。
あぶら取り紙なんだから、当たり前!と思った方には悪いけど 私は10代のころから今の今まで、まったくあぶら取り紙など使う必要などなかったのだ。 いつも涼しい顔して、あぶらが浮いた顔なんてみたことない、と 同級生、同僚から言われつづけていたのだ。
ほぼ周囲の女性がことあるごとく、あぶら取り紙を使用して、 どのメーカーのがいいとか、情報交換しているのをちょっぴり羨ましい気がしていた。 そして、祖父母による「若いうちに油が出ない人は早く皺になる」と呪詛のように 聞かされていたので、恐怖もつのった。
しかし、この年になってみて、今更あぶら取り紙を必要とするようになり 皺もあるけど、皺皺〜ってほどでもないので、まあいいかと・・・ でもあぶらが出ることがいいことなのかどうかはわからないので 喜んでもいられませんが・・・ とりあえず友よ、御土産は重宝しています。
当たり前?すんなり勝てないのは? 当たり前?ジャッジが日本に辛いのは? 当たり前?ピッチがデコボコなのは?モグラが出没したのですか? ・・・いろいろと疑問が続くなか、決勝にいけるんだからいいじゃない? ますますがんばれ日本! 絶対に優勝して!今までで一番心から思う。
2004年08月02日(月) |
変わる女と変われない女 |
「負け犬にならない為の十か条」というものが、「負け犬の遠吠え」の巻末に載っています。 「負け犬になってしまってからの十か条」というのも続いてあります。
とりあえず「ならない為」のを読んで、概ね納得していました。 自分もその「ならない為」に書いてあるようなことをほとんどしていなかったなあ、 「・・・っすよ」って使っていたなあ、それよりなるべく女性らしさを殺して生きているなあ。 腕組んでいるなあ。もはや癖みたいなもの。ここで酒井女史は負け犬にならないためには 両手をブラブラさせて、いつでも連れてってもらえるようにしておこうとか書いていて笑える。 一人旅よくした。海外に行った時には本当に多くの方から引かれた。何で?とか思っている時点で終わっていたかもしれない。 同性に嫌われることを恐れていたなあ。子どもの頃から同性に目の敵(言い過ぎ?)にされやすいので ワザと敵ではありません、と道化たことをしつづけた結果がこれかもしれません。板についてしまった。 私は本来とっても気が強いし、もともとユニセックスな性格なんだと思うのですが、いかんせん 外見がとても女性的なので、かなりがんばらないとダメだったんですね。これが・・・ 名字で呼ばれていたな。「大丈夫」と言っていた。男の手助けはなるべく借りない!と法律を作っていたかのようでした。 長期的視野のもとでものを考えていたけどなあ。これはイマイチ納得できないような・・・
6:4くらいで負け犬になるような割合が高かったということになるな。 不倫はしたことないし、女性誌はたまに読んでいた。ナチュラルストッキングははいていたしな。 これらが例外かな。でも雑誌も負け犬系雑誌かも。
私の友人でも、負け犬に相当する人々は、この本でいうところの「純粋」というか装うことを知らないと思われる。 気が強くて、正義感があって、曲がったことが嫌いというわけで、何事にも屈しないし、 電球替えとか簡単な修理とか自ら買って出てやってしまう・・・ でも、それが普通であり、誰でもそうだよね〜と思っている清い人なのだったりする。 先日あった二十年来の友人がまさにその代表的例でした。
いわゆる女の子の特権をいかしている方たちは自分で何でもやらないし、甘え上手。 本当に何にもできないし、できないと思い込んでいる場合もあるし、演技とはいえないけど 一人で生きていける賢さを天性で与えられなかったから、代用で誰かに頼れる才能をもらったのだと思う。
本当は気が強くて、毒舌家な知人がいるが(既婚で大きな子どもがいる)見事にそういうものはオブラートでくるまれていて、見えない。 やさしそうにゆっくりとしか話せないし、外見も虫もころさぬ手弱女ぶりである。 そして意図せぬところで、隙をを創ることも出来る。
最近やせて指輪が回るようになったから、結婚指輪などを薬指から外していたら 同窓会に出た時、間髪いれずに男性から「結婚してないのか」と指摘されたという。 そんな指摘をされて一応、迷惑がっていたけど、話しを聞いていた負け犬体質な者たちは 指輪を外して、そういう場所にのこのこ行く方が悪いと一刀両断。 彼女は懸命に、大切な指輪が外れてなくなってしまったら大変だから〜といいわけしていたが それは確かにそうだけど、別のゆるくない指輪でもいいから薬指につけたらいいことだと思う。
このように負け犬でない女性は、無意識でも隙があるのだと思う。 彼女が意識的に男性を吸い寄せようとしていたなんて思わないけど こういう天性の隙は勝ち犬たちには存在しているのだと思われる。 だからいつまでたっても彼女たちとは話しが平行線なんだなあ、と感慨深く思いました。 もう今更、隙を作れ!とは言わないが、負け犬の友にはこう言う真実を知っていて欲しいと思ったりした。
とまるで負け犬体質だから結婚できない論者のように書いていますが 実際のところ、結婚は縁のものだと思っています。 こういう生活態度とか習慣は、お守りみたいなものと考えていいかな。 結婚して子どもがいれば結果オーライ、絶対に幸せとは限らない、それはこの本を読んでもわかると思うので 人間は死ぬまでわかりませんからね。
2004年08月01日(日) |
アジア杯 日本対ヨルダン |
見る気まんまんだったのですが、疲労蓄積には勝てません。 後半からまたウトウトし始めていました。 時々目が覚めて、ああこのまま点が入らないんじゃないかな・・・などと 不吉なことを考えていました。そして延長に入りました。 延長後半から俄然、目が覚めました。 あ〜恐ろしい試合じゃった。怖すぎて涙がとまらんかった。
さらにPK戦・・・でもヨシカツってこういう時に強い!という印象があるのでひょっとしてイケル?んじゃ・・とも思っていました。 ところが、イキナリ、俊輔選手、サントスと外してる! でも、でも、それでも追い込まれたヨシカツは更にパワーアップするのだ。 とナレーションを入れたくなるのでした。 そして見事、勝利なのよね・・・ああ、ドラマチック!
宮本が審判に懸命に抗議しているのを見て、やっぱり語学は必要よね・・としみじみ。 俊輔選手がヨシカツになついているのを見て、マツもいたし、あ〜マリノスよねえ。とか 傷んで交代したマコにマツがねぎらったのを見て、懐かしいなあ、とか ヨシカツに祝福している楢崎とか見て、ほっこりしたり。 いろんな感情を呼び覚ます試合でした。
悔しいので、絶対に優勝して欲しいのよ!!
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