ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL

My追加

05/16/03 旅行記のグランドキャニオン(南と北)、フォーコーナーズ、ニューメキシコ州(北部と中部タオス、サンタフェ、アルバカーキー)
04/27/03 写真館の1997アメリカ横断の旅
04/27/03 旅行記の1997アメリカ横断の旅

04/02/03 033103 Poppy field forever ケシの花
03/31/03 032103 anti-war/戦争反対デモ
03/15/03 生活のハンバーガー部門を

2002年08月31日(土) 旅行の写真 =photos of travel=

今回の旅行の写真をアップロードしました。

08/04/02

08/05/02

08/06/02


お暇ならご覧ください。
ご感想は、メールでお待ちしております。 (^0^)


2002年08月29日(木) 日本人の彼女が欲しい! =I want to have a Japanese girl friend=

いやいや、秋の学期がはじまったんだけどさ、もうすでに大変だよ。
何といっても、日本語1 Japanese1 超初級を取っています。(笑)
だって、四大に行くのに時間がないんだよ。

一般教養を取ってから、成績が下がる一方。若かったら、その授業を途中で止め
て、次の学期に取り直すことができるだろう。が、自分には時間がない。来年の
春に間に合うように出来るだけ必須の一般教養をとりたい。だから、同じ授業を
取る時間がない。惜しいんだ。

でも、成績を少しでもよくしたい。よって、考えた末に、日本語の授業を取るこ
とにした。

けど、よく聞かれるんだよ、なんで、日本人がこの授業を取っているの?って。
本当のことを言うのが面倒臭いので、日本人の彼女が欲しいからと言っている。
よめさんが知ったら怒られるよね。

まあ、日本語を覚えようと思っている人は、多いよ。やっぱり、東アジア系は、
多いね。かなり文化的に影響があるんだと思う。

だけど、日系人が多いのいいと思うよ。やっぱり先の大戦から日系人は、日本語
を話すことを放棄したからさ。だって、敵性の言語だものね。アメリカ国籍を持
っていても収容されたりさ。
でも、その人たちは、ひらがな、カタカナを読むことは出来るって人が多いね。

ほかにも、日本の漫画を読みたいから。なんて理由がある。大いに結構だよね。

そんな訳で、新学期は、進んでいくんだ。だけど、数学は、特訓が必要だね。一
番力を入れなければいけないのは、数学。

でも、不思議なのは、日本人を数学の授業で見るけど、数学の自習室では、
見ないね。
あいつらは、どこで勉強しているんだろう?
それとも、勉強しなくて済むのかな?
だとしたら、羨ましいね。

とにかく、がんばるぞ!


2002年08月27日(火) 秋の学期が始まる =fall semister in '02 has just started=

いやはや、なんといっても学校がまた始まったのだ。
今学期は、16週間。

まあ、今回は、楽でしょうと思っています。

今回は、
math 2 5 units
japanese 1 5 units
cs 17 assembly language
3 units
english 1 3 units

を予定しています。

なぜ、日本語か?しかも、初級の。。。

GPA(成績)が、必要以上に悪いからなのだ。(笑)
年齢が年齢なので、時間がない。
若い衆のように、いやな先生、嫌いな先生、成績が悪くなりそうなどの理由で
授業を中途で投げ出せない。

先生がmath22やcs17のように実名を出して文句をこの日記に書きたくても、
がまんして、ひたすら悪あがきをするのも時間がないからだ。

だから、日本語をとって、成績を少しでも良くしたい。
だけど、つまらないぜ。
だって、な。小学生だって、面白くないと思うよ。
ひらがな、かたかなの勉強からだもの。

english 1は、non nativeの授業を取ったんだけど、すごいね。
ちゃんと先生のうわさを確認して、選んだから、悪い先生じゃないと思った。
案の定、日本人、中国人、韓国人が山のようにいたよ。
多分、これも問題ないでしょう。
と、思ういたい。

そして、来春は、四大に編入できることを祈りつつ、三三七拍子!


2002年08月26日(月) 南国系果物 =tropical fruits=

やっと、冷蔵庫に残っていた最後のマンゴを食べた。

いやいや、妹が帰国する前から残っていたから大分保存していたな〜と驚いた。
そういえば、妹は、よめさんと韓国人街のスーパーマーケットに行った時に、箱ごと買ってきたんだよね。

俺も、こっちにきたときには、とてもめずらしいと思ったよ。
マンゴ、パパイヤは、まだまだ日本では、珍しい部類に入ると思う。

でも、パイナップルも房ごとは、買わないよね。
ホテルのフルーツプラッターじゃないんだからさ。

キィーウィ―は、珍しくないよね。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
俺は、日本でホテルで働いていた。
たまに、コックさんに、珍しいものを食べさせてもらっていた。
だから、マンゴ、パパイヤの切りかたや食べ方は、分かっていたけど、
妹は、どうしていいかわからなかったみたいだった。

そりゃそうだよ。俺だって、ホテルに勤めていなかったら知らなかったヨ。(笑)
妹は、マンゴを気に入って、ほとんど毎日食べてたよ。
珍しかったんだろうね。

そういえば、珍しいで思い出したけど、
七月にライチを食べたな。

あれも、一昔前は、珍しい食べ物だったんだよね。

あんなのは、LAに住んでいるから食べれるけど、
ニューメキシコの砂漠に住んでいたら、食べれないよ。

と、考えると恵まれているところに住んでいるんだね。


2002年08月25日(日) 仕事場での人間関係 =human relationship in work place=

まあ、バカは、どこにでもいる。
これは、100%いえる。

日本にいたときでも、カナダにいたときでも、今、LAにいるけど、
バカは、いる。

問題は、バカさ加減だと思う。

1. 自分を押し通す
2. 非を認める
3. 非を認め、謝ることが出来る
日本人は、三番の人が多いだろうな。
だけど、世界的に見たら、どうだろう?
それをバカさ加減と果たしていえるだろうか?

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

アメリカ、カナダは、移民を公やけに受け付けている。
だから、文化を創っているというところがある。

しかし、それは、文化が全くことなる人間と接しなければいけないということで、それは、しばし、苦痛となる。

だが、甲国の人と意思の疎通が上手く行かなかったとしよう。
甲国から来たAのことを嫌な奴だと思うかもしれない。

だけど、甲国から来たBは、面白い、話しが合う。
へぇー、甲国の人は、Aみたいのばかりでは、ないんだね。
と思う。

それは、貧しい国から来た人、先進国から来た人、歴史がある国から来た人、イスラム教の国から来た人、肌の色が全く違う国から来た人などの理由には、当てはまらない。

確かに、その国の傾向や文化がある。でも、結局は、個人的な性格になると思う。

その事実で、世界共通のものもある。態度は、その最たるものだよね。

おまけに、日本人は、他国に侵略されたことがない世界でも珍しい国だ。
アジア、アフリカ、中南米を見渡しても、二十世紀初頭に植民地化された。
さらに、欧州でも、国境が変わりつづけた。

なにを言いたいかというと、我々は、他国の人(異文化の人)とつきあうのは、苦手、不慣れなのかと思うことがある。ということだ。


2002年08月23日(金) マッサージ =massage=

いやいや、なんと言っても、夫婦だといいことが多いと思うよ。

1. 出来ないことを補える。
2. 刺激がある。
3. 一人で生きているんじゃないんだと考えさせられる。
などなど。。。

助かることが多々あるんだけど、三番は、いいよね。

だってさ、俺は、一人でLAに五年住んでいて、そして、嫁さんを呼び寄せた。
それまでは、孤独との戦い。

まあ、それは、いいとしても、一人で生きているんじゃない。
と、思えることが大切なんだわさ。

例えば、疲れた。腰が痛い。
誰かにもんでもらいたい。

この欲求は、普通だよ。
だけど、よめさんの腰をもめるというのは、
一人で生活をしているわけじゃないというのと
等しいよね。(^0^)

だって、誰かに腰をもんでもらいたい。と思えば、マッサージに行けばいいじゃん。
でも、誰かの腰をもみたい!って、いっても「いいよ、私のもんでヨ。」って、すぐ二つ返事をくれる人は、なかなかいないと思うよ。

自己満足かもしれないけど、この生活を壊さないようにしたい。


2002年08月22日(木) クエン酸 =citric acid=

驚いた。朝、起きて嫁さんを送り出した後、
また、眠くなってふとんに入った。
たまに目が開いて、枕もとの目覚まし時計の時刻を見る。
十一時か、もうちょっと。
おお、十二時か、そろそろ。
と、思いつつ起きたら、なんと、一時半。
これは、やばいと思い、
今週の頭から言われているよめさんの
化粧水の材料を調べる為にネットに向う。

よめさんは、肌が弱い。
吹き出物もたびたびでる。
市販の化粧水では、だめな時がある。

自然派化粧水で、大分よくなったほうだが、
やはり乙女心である。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
なんと、これは、単なる科学物質だけではなく、
こんな効果もあることが判明。

まあ、最初は、薬局に行って買うべーよ。と思っていた。処方箋は、必要かな?
先日、嫁さんと行ってみたけど、扱っていないんだよね。

そこで、サーチエンジンでクエン酸調べた結果を元にしてを追う。

1.化学的物質
2.調味料としてつかうことがある。(sour salt)
3.モスリム(イスラム教)の国では、料理に使うみたい。
この三点を手がかりにクエン酸の購入することが、今日の目標だ。

Sawtelle Blvd. を南に走る。日系のビタミン剤屋がある。
それは、なんとビタミンCに関係しているようだ。と、いうよりも、Cを作る物質みたいだ。ということが分かった。しかし、扱っていないようだ。

さらに南下をして、Pico Blvd.にある、Smart and Final(問屋と小売)に出向くが、扱っていない。やはり、食品関係として見るのは、難しいのか?

次に、ちょっといいものを扱っている、でも、ザーます系には、負ける中途半端なスーパーマーケットのPAVILIONSに行く。

おにいちゃんは、丁寧に探してくれている。そのサーチエンジンで調べた結果を印刷したものを見せたら、多分調味料だろう。とのこと。しかし、見当たらない。さらに、薬売り場も見てくれた。しかしない。こんなときは、とてもありがたい。

そのスーパーマーケットを出たところに、個人経営のビタミン剤屋さんがある。
次に行く前に、寄ってみる。
さすがだね。クエン酸がなんだか分かっているよ。
だけど、取り扱いはない。残念。

Westwood Blvd.を北に向けて進む。Olimpic Blvd.を超える。
チャリで行動すると、車の窓からでは、見えない風景が見える。
車からでは、速すぎて見えないお店の店先の展示物が見えるよ。
おもしろいな〜と思っている矢先に、アラビア文字を発見。

その時、サーチエンジンで下調べした3番が、頭によぎった。
チャリを停め、道端にあるパーキングメーターに括りて、店に入る。
店員は、いないが、六十歳台の三人が店の中にあるテーブルでお茶をしていた。勢いついて店の中に入ってきた自分を不思議そうに見ている。

店の奥に冷蔵庫が見えるとりあえず、そこまで行ってみる。
すると、なにを探しているんだ?との声。
店の人だろう。
これを探している。アラビア文字の看板をみてきた。
その男性店員は、おかあさん、これは、どこ?と、お国言葉で聞いているのだろう。
そして、歩き出した。ついていく。調味料の前で停まった。
あ、これだ。自分の手が彼よりも先にのびる。
しっかりと、citric acid と書いてある袋が、シナモン、鷹の爪などの中にあった。

家をでてから68分、六件目だった。

とにかく、それを買った。
LAは、文化が混ざっている。この国の食料品店は、じっくりみたことがない。
ちょっと見てみよう。
今日の目標が完了した安堵感(そんなたいしたもんじゃないけど。。。)からそう思った。

パンの種類が一杯ある。平べったいパンにごまがかかっている。
どうやって、サンドイッチにしようかな?
これは、インド料理のナンみたいだな。
なにを入れて食べようかな?

なんて考えているとすでに、五時。
これは、やばい。夕食を作らねば。。。
あわてて、店を飛び出し、チャリに乗り、家路を急ぐ。

おお、そういえば、この先にザーます系のBristrol Farmがあったな。ついでだから、寄ってみるか。

Santa Monica Blvd.を越えてWestwood Blvdを進む。
左手に真新しい看板が見えてきた。

店内に入る。
やっぱりザーます系あって、小奇麗にしている。展示方法も気取っている。
調味料辺りを見てみるが、ない。
店員に聞いてみる。

塩(クエン酸には、sour saltと別名がある。)と勘違いしている。sea salt(あら塩)だったらあるよ。違うんだ、調味料として、sour saltといわれているんだよ。といった。
その時、おお、と言葉に出なかったか店員の顔は、言っていた。
後を付けると、今度は、小瓶に入った白い粉。しっかりとsour saltと書いてある。ありがとう。

やっぱり、調味料として使う国があるんだね。異国料理の通路にあったよ。

最低で二軒見つけたら、大丈夫だろう。
よめさんの喜ぶ顔がみれるね。
早く帰って食事の用意を。。。







2002年08月21日(水) 無事帰国 =my friend has returned in LA=

よかったよ。
友達が無事にカナダから帰ってきました。
なには、ともあれ、これで力強い友達がそばにいる。

いやはや、詳しいことは分からないが、どうも、彼は、
おばさんに、ビザのことを頼んでいて、そのおばさんがちょっと複雑にしていたらしい。つまり、やらなくていいことをやったそうだ。

さらに、中途で投げ出してしまったらしい。(う〜ん、困ったね。)

まあ、これで、僕の友達は、合法滞在を維持できる。
いいこっちゃ。


満月を見ながら、ゆっくりと酒を飲みたい。




2002年08月19日(月) 妹が帰国する =My sister went back to home=

いやいや、早いもので、もう妹が来てから三週間が経った。

夏の学期の最後の週に来たんだよね。自分は、試験で、はーはー言っていたよ。(笑)

その試験が終わり、旅行に行ってそして、もう一週。
あっというまだね。

ノンビリしたいといっていた妹だから、旅行から帰ってきてからは、午後一時まで寝ていたりしていたよ。

そういえば、先週の金曜日によめさんとゲッティー美術館 Getty Museumに行って来てえらく感動していたな。

まあ、しばらく寂しくなるわな。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

よめさんの友達のだんなが、自分と気があう。
中華系カナダ人のDR. Gだ。

とても真面目で、働きもの。
カイロプラティックの先生なんだ。カマを五年前程に掘られて、その後遺症で未だに首が痛い。それを面倒見てもらっている。

その彼には、「アメリカに合法滞在する」という大きな問題があった。
その問題が浮上していたのは、約一年半前。それは、アメリカに一時滞在するものにとって、いつ出てきてもおかしくない問題だ。
兎に角、彼は、本国カナダになる米国大使館に行く為に月曜日の早朝二時の飛行機に乗った。
彼と同じ問題を抱えて、アメリカに帰ってこれなかった友達もいる。彼は、多分大丈夫だろう。なぜなら、彼は、カナダに帰る前に移民専門の弁護士に会って話しをしたから。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
その弁護士は、自分達もお世話になった。その弁護士が、取れると言えば必ずとれる。しかし、取れない。と言ったら、人生の分岐点ということだ。日本に帰るか、不法滞在のまま、法的制限や人権侵害を受けながらアメリカに残って生活をするかの二つに一つである。

この弁護士は、頼りになるよ。
「取れる」か、「取れない」と一番最初に会ったときにはっきりという。

できるかどうか分からないけど、やってみる。多分、二、三年年後に答えは、でる。$2000ドルの頭金を払って、取れるようだったら、さらに$2000ドル。
と、いうような話しは、ない。

出来るか、出来ないか。
お金を払って、損するか?しないか?
弁護士に会って、時間が有益か?勿体無くないか?
全ての答えは、二つのうちの前のほうである。

そんな風に人の評価を言えることは、なかなか少ない。
自分の友達も面倒みてもらった。
一人は、はっきり断られた。(それは、それで残念だけど、お金は、損していない。これは、移民専門弁護士では、珍しい!)
だけど、他の人たちは問題なく、合法滞在している。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
DR. G 無事に帰ってきておくれよ!


2002年08月16日(金) 再び、カリフォルニア ロール ファクトリー =California Roll Factory again=

なんと言っても、夏休みである。
予ねてから約束をしていた男がいる。
その約束とは、釣りに行くことである。

例のVentura City Pear ベンチュラ市の桟橋に行くのだ。

ところが、今日は、朝から薄曇。あれれ、霧雨も降っているよ。
旅行から帰ってきてから、午前中は、このような曇り空が続いている。
夏も終わりかな?

ガソリンを入れて、お迎えに行くと
すでに、その男、Wは、家の前で待っていた。

晴れるといいね。が朝の挨拶代わりになった。

I-405を北に向う。Valleyで、101Nに乗り換える。
山をいくつか越えると、左手にアウトレットが見えてくる。

そのアウトレットを越えて約30分。
ベンチュラ市に到着する。

いつものVONS(スーパーマーケット)で、
えさの子海老とイカを買う。
生で、調理していないものが釣りのえさとして必要なんだよね。

そして、桟橋の駐車場に到着。
なにかおかしい。駐車場が一杯なのだ。
何か催し物があるようだ。

桟橋の周りを泳ぐ中高生くらいの男女の姿が見える。
まあ、そんなに長い時間掛からないだろうから、
ここにて釣りをしましょう。ということになった。

まあ、寒いよ。
凪始めているし、上着を忘れた。

桟橋を泳いでいた若い衆は、もう陸にあがったようだ。
自分達の周りでは、さばか、あじの回遊魚をつっているようだ。

残念ながら、底釣り用のしかけしかない。
今度は、サビキ仕掛けを用意しようかな。

結局、晴れたのは、二時以降。
釣果は、カサゴ二匹、かに一匹、キングフィッシュ四匹、
タイガーシャークの小さいのを一匹。

五時ごろまでの二時間に二人とも全く釣れなかった。
よって、帰ることにした。

この結果は、多分、海温が低かったので、魚の食いが悪かったと思う。
海温が一度下がれば、陸の気温は、三度下がるだよね。
秋になるんだな〜と思いました。

本当は、その獲物を料理して、Wと一杯といいたいところだが、
妹が来ている関係で、失礼をさせてもらいました。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

さて、妹も、来週の月曜日に帰る。
いろいろ料理もしてくれたり、身の回りのことをしてくれたので、
ろうを労わなければと、よめさんと相談した。

そしたらば、カリフォルニア ロール ファクトリーに行こうということになった。妹は、料理の修業をしている。そして、本場のカリフォルニア ロールを食べたことがない。

まあ、驚いていたね。
こんなものを巻くなんて。。。
その驚いている顔に満足した自分達二人。
で、みんなご機嫌になった。

ここのお店に行くと必ず、カウンターに座り、ラテン系のおにいちゃんに握ってもらうことにしている。

邪道かな?
まず、日本人の板前に話しを聞かれたくない。
LAの日本人は、うざったい時もある。

そして、自分達がそのラテン系のおにいちゃんの握った、巻いたすしを食べれば、自信もつくだろうと思った。

和食は、日本人だけのものじゃないよ。
美味しい料理は、世界どこに行っても美味しいはず。
そして、誰が作っても。。。

例えば、日本人は、麺類が好きだね。
イタリア人が、納豆スパをみたら、どう思う?
明太子スパをみたらどう思う?

イタリア人は、そんな日本人がつくったへんなパスタは、食べれないっていう?

確かに、日本食は、四季が演出し、食べ物の味を生かしたものが多い。
だけど、日本人以外だって、和食は、作れるよね。

このおにいちゃんの握った、巻いたすしは、おいしいよ。(^O^)


2002年08月15日(木) マイケル デンバー =Michael Denvir=

今晩は、友達のライブにお出かけしました。
友達は、歌手を目指しています。
どのように知り合ったかというと、SMCで知り合いました。
同じ授業を取った仲間です。
CIS52 フロントページで一緒に勉強しました。

よめさんをロサンジェルスのダウンタウンでお迎えして、
軽く食べてから、ライブハウスへ。。。という段取りでした。

軽く食べた場所は、tommy's hamburger というLAでも有名なハンバーガー屋です。

妹があと三日を残すのみとなってしまいましたので、
それでは、旅行中も大して食べなかったハンバーガーを食べるべーよ
と、行きました。

チリソースがかかっているこのハンバーガーは、食べるにの一苦労しますが、
一度食べたら止められません。
ハラペニョをかじりながら、食べるハンバーガーは、このトミーズに限ります。

妹は、大変喜んでいました。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
今夜のマイケルデンバーは、
サークル オブ ソングスという企画の一部で歌って演奏をしていました。

四人が、同時に並んで舞台の上に上がっていて、
順繰りに歌と演奏を披露するものです。
約一時間に渡り、一人三曲つづ演奏しました。

出演者は、女性が一人、男性が三人。
マイケル以外は、フォークソングでした。
マイケル一人だけがロック。
以前は、フォークをやっていて、ハーモニカを弾きながら、ギターを弾いたりしていたんだけど、
今回は、ロックに挑戦。

マイケル以外は、そのアーチストの色がとても単調だった。
つまり、Aという歌手が演奏する度に、同じ歌に聞こえてしまう。

だけど、マイケルは、違った。
音域(オクターブ)は、そんなに持っていないけど、
メロディーなどは、違う音楽を三曲演奏したのは、
素晴らしい。

よめさんも、妹もライブを見て喜んでいた。
また、行きたいね。

頑張れ、マイケル デンバー



2002年08月14日(水) ざーます系スーパーマーケット =hi-society super market=

今日は、よく寝た。
何でこんなに寝れるのだろう?

とにかく眠い。

昨晩は、午後10時ごろに床についた。
嫁さんをバス停に送っていくのに朝の7:30に起きて、
帰ってきてから少し起きていて、また、寝てしまった。

日本から遊びに来ている妹が、寝てばかりいるのでつられているのだろうか?

なには、ともあれ、午後1:30ごろ起きだして、
妹が作ってくれたおにぎりを頂いた。
妹が、こまめに、食事のことを面倒見てくれているので、助かる。
よめさんも、いつもと違う料理が食卓にあるので新鮮と言っている。

そうなんだよね。
自分で料理をしていると偏っちゃうんだよ。

長い間、料理を作っているだけあって、
妹の千切りは、細いね。
ごぼうのサラダのごぼうは、細かったよ。
繊維も充分あるごぼうを食べて、痩せよう。と、思えるもの。
自分の千切りは、太くてだめだよ。食べても、食べても、体に良くなさそうだよ(笑)

さて、妹もまもなく帰国する予定なので、
お土産の買い足しができるようにと、アメリカのスーパーマーケットなどに行って来ました。
よめさんが、妹を韓国系や中華系のスーパーマーケットに一緒に行っているから、違うところを見たほうがいいと思った。

まず、Rite Aid ライトエイド(薬局)処方箋も受け付けるところがある。
まあ、日本の薬屋と違うよね。
自分が日本にいた頃、渋谷にマツモトキヨシがあったけど、
それともちょっと違うような気がする。
ちょっとした電化製品(珈琲メーカー、ハンドミキサー、ドライヤー、アイロンなど)が売っているし、写真現像もやっている。飲み物(酒類も)扱っている。
中途半端ななんでも屋って感じかな? 
ドラックストアーに行ったこと無い人にドラックストアーって、上手く説明出来ない。困るよ。
とにかく、ここのお薦めは、アイスクリームなんだよ。へへへ。知っていた?
自分の好きな味は、
ピーカンパラライン。(ピーカン豆が中心)
ミッドナイトエックスプレス。(チョコレートにエスプレッソ)
など。
是非お試しあれ!

その次は、Ralph's ラルフス(スーパーマーケット)
まあ、加州一大きなスーパーマーケットと言われている。
どの店舗に行っても、デリ(カテッセン)が、充実しているよね。
ごく普通のお店です。

さらに、Whole Foods ホール フーズ(ざーます系スーパーマーケット)
健康食品などを手広く扱っているお店。
見栄えを良くしている。
ちっと、ざーます系かな?(笑)

その場でピーナッツバターなどを作れたり、
アメリカでは、朝食に欠かせないシリアル(コーンフレーク類)を
秤売りしていたりしている。
でも、田舎には、そんな健康食品なんてないんだよね。(笑)
都会に住んでいるから、健康食品、有機栽培なんて言っているんだよ。
そんなに、健康が気になるんだったら、田舎に住めって。
俺は、少なくても健康のためには、死ねない。
死んだ時に、健康だったら、バカだと思う。
たばこを吸うな。
酒を飲むな。
毎日、運動しろ。
うるさいって。

最後に、訪れたのは、Trader's Joe トレダ―ズ ジョー(酒屋兼スーパーマーケット)
ワインを安売りしたりしている。
スーパーマーケットでは、売っていない地方のビールや輸入ワインなどを扱っている。
最初は、お年寄り向けに出来たお店らしい。(価格帯や商品構成など)
だけど、評判がよくて全年齢的に人気がある。

ここで、よくペンネや渦巻き状のパスタ、蝶ネクタイパスタなどを買う。
一袋500Gで69セントだから安いよね。

妹が、食事を作ってくれていたので、今日は、ペンネとトマト缶を買って
トマトソースのパスタを作ります。

以上。




2002年08月13日(火) 夏の授業の成績 =grades in summer classes=

いやはや、夏の授業の成績がでました。

speech1は、Bで、english22は、creditでした。
まず、speech1の授業では、発表がとても満足の行く内容でした。
4回の発表で、気に入らなかったのは、最後の説得させる発表(persuasive)だった。
この授業の発表のお題目は、
第一回目 情報伝達(informative)--バナナは、麻薬
第二回目 視覚補助(visual aid)--オーパーツを利用し、ものの見方を変える
第三回目 自己紹介(free style)--考え方が違うと…
第四回目 説得  (persuasive)--十四頭の牛 (田舎に住もう)
でした。
基本的には、
First of all, Deny Everything!   最初に、「全てを否定しろ!」
Because Apology is their Policy!  なぜなら、「謝罪は、彼等の手段だから!」
So That Trust NO1!        だから、「誰も信じるな!」 
という自分の信念を発表の際に入れていました。

しかし、記述式(マークシート)が、良くなかった。
教科書の細かいところまで試験に出てくる。
だが、一度しか教科書を読む時間がないことに焦りを感じながら
徹夜を続けていた。
何度読んでも頭に入ってこず、珈琲を淹れたりしながら、
深夜にも勉強をしていたが、試験は、だめだった。


english22は、creditという成績でした。
これは、C以上と言う意味で、総合平均成績(GPA)には、反映されないものです。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
何故、このような処置をとったかというと…
今までは、少しずつ自分の専攻の科目つまり、コンピューター学科の授業しか取っていなかった。そのために総合平均成績は、3.2だった。
決して高いわけでは、ないが、自分としては仕事をしながら
よくやっている方だと思っていた。
しかし、一般教養(general education)を取るようになった去年の秋から
成績が、3.0そして、2.9と下がってきた。
english22は、四大に行くのに必修ではなく、
自分が必要と感じて取った科目なので、
総合平均成績が悪くならないようにするために
CREDIT/NON-CREDIT方式を申請した。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
この授業は、考えさせられたよ。
結局、英語って、なんなんだ?ってことだよ。
まず、英語の勉強上の難点は、
1.発音
2.文法
3.表現の仕方
だと思う。

発音は、しょうがない。だって、はなから自分の言葉じゃねんだもの。
生まれた時から話しているわけじゃない。
発音は、大切だけど、もっと大切なのは、文章をはっきり、つっかえないで
話すことだと思う。
英語にだって、なまりがあるんだからさ。。。

文法は、これはめんどくさい。
日本語と違うものもある。
時制なんていうのは、一番困るよね。
あと、品詞と文法上の分類するもの(主語、述語など)が、ごっちゃになっているんだよ。
これが、困るね。
たぶん、理解していないからこう思っているんだけどさ。

表現の仕方は、慣れだね。
正 my dream comes true.
誤 my dream realizes.
上は、英語式に訳したもの。
下は、直訳したもの。

難しいよね。下を言っても意味が通じないんだよ。つまり、英語らしいものを話しているけど、英語を話しているわけじゃなくなるんだな。
つまり、英語が母国語の人達は、なにを言いたいの?となる。
なぜなら、そんな言い方は、しないから。。。

だから、いろんな本を読んでいかないといけないんだな〜と思ったんだよ。
本を読めばいろんな表現を覚えるからね。
で、勉強したい時が一番身につく時なんだよね。
それが、今なのかもしれない。
英語に関して言えばね。


2002年08月12日(月) 眠い =mucho sueno=

08/12/02
眠い。そうりゃそうか?
だって、春の追い込み、というか悪あがきに、
徹夜の苦行(夏の6週間授業)、
それで、夏の旅行だよ。

疲れるよな。

寝たい。でも、緊張して、明け方目が覚める。
旅行中もそうだったんだけど、
なぜか、朝の起床時間まで寝てられない。

バスクリンのお風呂に入って、気を静めて
また床につく。

眠い。

眠いんだ。

疲れているに違いない。

でも、やることがあるんだよ。
いちばん心配しているのは、
旅行で撮ってきた写真を加工編集する作業に追われること。
だって、フィルムだけで、なんと、27枚 X 7本 = 149枚じゃん

しかし、フォトショップは、遅い。
たぶん、裏で何かつまらないソフトが動いているんだよね。
右下には、リアルプレーヤーのアイコンが
点滅しているし。。。

たぶん、そんなのがフォトショップの動きを邪魔している。

PCのアップグレードをしなきゃ。。。

しかし、寝ている。お昼過ぎまで。
でも、途中で三時間くらい起きているんだよね。
けどさ、お昼まで寝ているっていうと、ねぼすけさんだわな。。。





2002年08月10日(土) 13時間5分、869マイル =13hours and 5 min. and 869 miles=

07:00 left at accomodation in Alamogordo, NM US70
07:30 finished automobile check
08:00 arrived at White Sands National Monument, NM US70
10:05 left at White Sands National Monument, NM US70
10:50 Cruces, NM US70/I-25
11:00 Mesilla Park, NM I-25/I-10
13:10 reached AZ I-10
------------------------------------------------------------------
due to the time zone difference between AZ and NM, I use AZ (CA) time following time
------------------------------------------------------------------
12:10 reached AZ I-10
13:38 filled gas in Benson, AZ I-10
15:38 break in Rest area after exit 185 I-10
17:00 break in Rest area just before exit 45 I-10
18:00 filled gas in Quartzsite, AZ I-10
18:30 reached CA I-10
22:10 arrived at my apartment
23:00 returned rent-a-car and settled down in apartment

なんか今回は、帰ってくるのが早かったと思う。
前回は、同じ道を走って14時間だったのに、
なんと、今回は、13時間だったよ。
やっぱり、よめさんが運転できるようになったことが一番の理由だね。

だって、自分ひとりだけが運転していたら、どうしても
休憩が多くなるよね。
特に食事の時くらい。

まあ、今回は、お昼も車を走らせながら済ましたし、
夕食は、とらずに一気にQuartzsite, AZで、給油したあと、
LAまで帰ってきた。
などが、一時間早く着いた理由だと思う。

朝、ホワイトサンズ国定公園White Sands National Monumentに寄った。
Playa Trailを歩き回った。
300mの行程は、とても有意義だった。
初めは、草の生えている平坦な径を通ったが、順路が、丘にかかる登りになると
さすがにしんどい。

朝早く来たせいか、この径は、自分達が最初みたいだ。
足跡が昨日のもの、だけど、薄れかかっているものもある。

その足跡の上に、小さい不思議な足跡もある。
おお、これは、ふんころがし。
でも、動物の足跡もある。
不思議だけど、こんな砂漠でも生き物は、自然の中に溶け込んで生きているんだね。

資料によると動物、コヨーテ、狐、ウサギ、ねずみなどは、夜行性のようだ。
昆虫、鳥類、爬虫類(とかげなど)は、日中に行動しているそうだ。

いい汗をかいた。風が涼しい。
昨日の昼にきたときは、とても暑かったのに、
この朝は、心地よい。

最後に、昨日の昼に訪れた、辺り一面真っ白な砂に囲まれた場所に行って、
瞑想をしたい。

なにも聞こえない。
周りが白すぎて、遠近感がなくなる。
サングラスが必要だ。
このまま、目を閉じたら、それこそ、別世界に入り込んでしまうだろう。

案内所近くの売店により最後のお土産を買って出発する。
今度来る時は、また、冬にくるだろう。

US70を西に向う。ミサイルの実験場を過ぎ、峠を越える。
下りになるとそこは、一大工事現場になっていた。
NASAの施設ができるのだろう。

それに伴い、道路の拡張工事が行われていた。
きっと、今度来る時は、I-25からそのNASAの施設まで
高速規格の道路ができているだろう。

不思議なことに、見間違えかもしれないが、
ホワイトサンズ国定公園の東側は、空軍基地。
だけど、ミサイル実験施設は、陸軍なんだよね。
でも、その西側は、NASAで空軍。
複合軍事施設だよね。なんでそんなに軍事施設が必要なんだろう?

アリゾナ州で何回か休憩した。
気温は、46度を越していた。
オーバーヒートしている古い車が、路肩に停まっていた。

あと、六時間で家に着く予定だった。

この日の写真集


2002年08月09日(金) ホワイトサンズ国定公園 =White Sands National Monument=

07:25 Albuquerque, NM depature I-25
08:30 Rested at Acomilla, NM I-25
09:00 San Antonio, NM I-25/US380
09:10 - 09:30 stood by for military exparment of missile US380
10:35 Carrizozo, NM US380/US54
12:15 Alamogordo, NM US54

せっかくだから、グランデ川(Rio Grande)を見てから出発するべーよ。
そうだね〜。
と、言う訳で、車を東に走らせる。
先日見た同じ川とは、思えない。

川幅も広くそして、橋から高さもない。
とても緩やかな川だ。

車を西方向に変え、I-25を探す。
ダウンタウンを通過する。
かなりお洒落だ。
夕べきていたらなにか新しい発見があったかもしれない。
だって、Frying panという先住民の食べ物に興味あるのに、
食べてない。

その食べ物は、フォーコナーズ (Four coners)で見たのが始めだか、
おなかが一杯で食べはぐった。

夕べ、食事の第一候補は、先住民のお店で、そのFrying panを扱っているお店だった。
でも、お店が閉まっていた。とても残念。でも、美味しいフランス料理を食べれたからよしとしましょう。

今まで見たダウンタウンといわれている場所は、危険って、思っていた。
El Paso, TXなんて、最低だと思ったよ。
だけど、このダウンタウンは、小奇麗だね。時間があったらまた来たい街だね。
ここにも、ROUTE66が走っているんだよ。
なんだか、出発した日に、モハベ砂漠(CA)と、ここの通りが同じROUTE66とは、
思えないよね。

とにかく、I-25を南下する。
Albuquerqueは、思ったよりも大きな街だね。
I-25を南下しても街は、続く。

休憩所に入る。
とても面白い建物だ。
写真に収める。

380号線に乗り換える。
黄色と赤の点滅しかない信号の交差点を超える。
何回このような信号をみただろう?

前方に車が何台も連なって止まっている。
事故だったら、その車をよけて対向車線を通っていくだろう。
だけど、動く気配はない。なにかおかしい。

止む終えず、一番最後の車の後に止まる。
前を見に行こうと思うが、後続車が来る。
ハザードランプを付けて停止していることを伝える。
後ろの車が止まる、降りて自分が思ったことを説明すると、
「ああ、ミサイルの実験だよ。だから、俺達は、そこで飯を食っていたんだ。
ははは。」だって。

以前、ホワイトサンズを訪れた時、US70は、その実験で閉鎖することがあると
聞いていたが、それよりも大分北にある道でも、実験の際、閉鎖するとは、
思ってもいなかった。
でも、地元の人には、ミサイルの実験は、日常的になっているということに
驚く。

Carrizozo, NMで、54号線を南に下る。
道の横に線路がある。
今まで取れなかった、線路に関する写真を取りまくった。
太陽と信号、何処までも、まっすぐな線路に踏み切り。

Alamogordo, NMに着いた。
とりあえず、昼にする。
今まで、食べていなかったハンバーガーを食べてみる。

ロサンジェルスでも珍しい、Wendy'sに入った。

腹具合も整ったところで、ホワイトサンズ国定公園を目指す、
こんなに街から離れているかと思った。

遠くに丘が見える、白いと緑の丘だ。
きっとあそこから白い砂の砂漠が広がっているんだ。

入り口から続くアスファルトの道を走る。
途中から舗装がなくなり、白い砂の道になる。

キャンプ場の日よけとグリル板が見える。
さらに進むとそこには、ただ白い、タダ白い場所があるだけ。

海の砂だって、こんなに白くはないだろうと思う。
暑い。乾いている。

妹は、驚く。
よめさんは、ふたたびこの地に来れた感動に包まれている。
自分は、太陽が白い砂に反射しているので、目を細めるしかできない。


車を降りて、歩く。見渡す。
そんなうちに二時間が過ぎた。
寝不足の自分達の限界が来た。
一度、宿にて休んでから、出直そう。

宿で二時間ほど休んだあと、
ホワイトサンズ国定公園の夜の催し物に参加する為に
再びハンドルを握る。

公園の入り口を通りすぎ、集合場所まであわてながら、ゆっくり走る。

そこには、すでに何台かの車が留っていた。

夜の催し物は、ホワイトサンズ国定公園の鉱物や生き物についての
説明が係員からある。
実物を見ながらだから、とても面白い。その実物は、柵を越えて見に行く。
係員と一緒じゃないと出来ないだろうね。

気にしすぎかもしれないが、参加者は、白人だけしかいない。いや、一組だけアラブ系の人達がいた。
有色人種と白人の趣味は、違うのだろうか?とすると、自分達は、白人が好む趣味なのだろうか?

夕焼けは、またもや雲に邪魔されて全体が見れない。
みかん色から、桃色に変わる雲や雲の隙間を見ながら、冬の方が空も青がはっきりしていいな、なんて思ってしまいました。

ないものねだりだよね。
旅行も後一日を残すのみとなっちゃった。

この日の写真集

明日は、869マイルの帰路です。


2002年08月08日(木) サンタフェ アルバカーキ― =Santa Fe and Albuquerque, NM=

08:15 Taos depature
08:30 Arrived at Taos Pueblo villege state 68
09:45 Departed at Taos Pueblo villege state 68
11:20 Arrived at Santa Fe state 68/us 84
11:30 Georgia O'Keeffe Museum ジョジア オキーフ美術館見学
12:30 Moving to Plaza サンタフェの中心地まで移動
16:15 Leaving for Albuquerque, NM state 599/I-25
17:30 Arrived at Albuquerque, NM

プエブロインディアン(この言い方は、あまり好きではない。なぜなら、彼らは、彼らのことをそう読んでいないから。。。スペイン人が侵略してそう名づけただけだから。)の村の見学をした。

ここにも、文明と経済が入り込んでいる。
それ自体は、悪いことではない。
しかし、教会というのは、いただけないと思う。
なぜなら、欧州人(白人)は、キリスト教のもとに虐奪および殺戮を繰り返してきているからだ。
十字軍を見てみろ。イスラム教徒から侵略していない。
そう、イスラム教徒もイベリア半島に攻撃をしている。
しかし、キリスト教以外は、異端というとてつもない考え方をしていることは、
間違えでは無いはずだ。

村の真中を小川が流れ、キリスト教会が広場に面している。
入場料は、一人8ドルこれは、団体扱いしていただいた結果である。
通常は、一人10ドルだから、2ドル安いのだ。
聞いたところによると、案内をしていただける方は、
ボランティアなので、後で、心付けを渡さなければいけないと思う。

それが、問題だよね。
自分もチップで仕事をしているから、分かるけど、
ボランティアというと、所得税控除に限りなく近い収入なんだよ。
だから、時給で生活しているというよりも、
チップで生活しているという方が正しい。
だから、入場料をおまけしてもらった分、
その分は、心付けにまわすのが正しいと思う。
どうせ、その2ドルは、入場料として支払うつもりだったんだから。。。

今でも、こちらに住んでいる人は、日本は豊かな国と思っている。
で、なんで、一人1ドルのチップしかくれないの?
ラテン系の人だって一人3ドル払うのに・・・

これは、普通の質問だよね。
ラテン系、つまり南アメリカ人は、スペイン文化を受けているから
チップという感覚が日常生活にある。
だけど、日本人には、ないな〜〜。
この辺は、日本人は、まだまだ勉強必要だよね。
日本人のいいところを残して、世界的な感覚と習慣を身につければいいね。

村の案内が終わるとき、こんな説明があった。
この村の35キロメートル山の方にこの川の源があり、それは、聖なる湖でした。
しかし、最初のルーズベルト大統領が自然を愛した時、
国立公園作りが盛んになり、その湖を国立公園に指定されました。
もちろん、反対したそうですが。。

しかし、あの悪名高きウォーターゲート事件のニクソン大統領が、
そのプエブロインディアンの要求を認めて湖を部族に返還したそうだ。
あの自分のことしか考えていないと思われていた大統領が
そんな大切なことをしていたとは、夢にも思わなかった。
悪い人間でも、いいところもあるんだな。
なんだか、鬼平犯科帳みたいだな(笑)

村の人は、とても素朴な人々だったはずであるが、
それでも、経済が先行する現代社会では、芸術品を売らなければ生活できないのは
とても悲しいことである。
村の家がお店代わりになっているところがある。
そこに、寄ってみた。

wanted! Christpher Colombusと書いてあるポスターがあった。

これは、その通りだよね。1492年以降、ヨーロッパ人のしたことを考えれば…

田舎の道を南に進む。
道の横には、川が流れている。
カヌーをしている人達がいる。
このカヌーだって、先住民の言葉だ。

気持ちよさそうだな。とみんなで言い合った。

タオスから、サンタフェに向う道には、
十字架がいくつもたっていた。
事故で亡くなった人達がいるんだと思った。
かなりの数だね。

サンタフェに着き、よめさんが興味ある
Georgia O'Keeffe Museum ジョジア オキーフ美術館を見学した。
学生は、無料だ。英語の学生証明書を用意した方がいいね。

この人は、全く知らなかった。
と、いうよりもよめさんと知り合ってから、
美術館に行くようになった。
これが、三回目位である。

でも、このGeorgia O'Keeffeという人は、いろんな描き方をする人だ。

クレヨン(パステル)、水彩画、油絵、エンピツのみ。
それも、時代に関係なくどれでも使う。
一番気に入った絵は、油絵で、外から見た家に一枚の葉っぱをあしらった絵だ。
正面から見たり、斜めから見たりしていたが、飽きない作品だった。

屋台のgyros ジロス を食べてから、約四時間の自由行動。

露天がプラザの周りに集まっている。
だけど、先住民かメキシコ系か、顔をみているだけでは、分からない。
できれば、先住民から買い物をしたい。
商店は、白人のみ。

プラザの露天商の周りは、お昼頃には込んでいたが、午後三時過ぎになると空き始めた。
日本の中学生か高校生かが、短期留学に来ているのだろう。
プラザの周りを歩いているのを見かけた。

旅行案内書に出ている北米一古い家や教会は、見なかった。
だって、それは、白人からみた歴史だから。

かなり積極的に歩いた。タオスの街よりも面白いからだろう。

約束の時間にみんなと会って、少し早いが、Albuquerque行きを提案した。

二車線のI-25を南に下る。
久々の州間高速道路を走る。やっぱり、走り易い。

Albuquerqueに着いて、すぐにold townに歩いて出掛けるが、
17:30を過ぎているのでお店は、ほとんど閉まっている。
全体的には、8ブロック程の小さな地域のことを old townと呼んでいるようだ。

でも、開いているお店は、白人経営のお店ばかり。
ほかのお店が開いていても、同じような感じだっただろうな。
アメリカは、行くところ、行くところ同じモノしかなくなっちゃうよ。

教会のそばに、露天がある。そこには、先住民が細々と道に商品を置いてを商いをしている。
観光客は、相変わらず白人が多い。

そういえば、今回は、綺麗な夕陽をみていないな。
星空も見ていない。

夜は、なんとフランス料理を食べた。
街の外れにある、なんとも小さいお店だった。
なかなか美味しい。
前菜は、盛り合わせ。
チーズに、パテなどが、新鮮に感じた。
サラダを頂き、
クレープ包みの鮭、キノコ、野菜(ラタトーュ)を一つづつ注文した。

残念なことに、甘いものまで辿り着けなかった。

妹が、運転しているお礼といって、ご馳走してくれた。

行程もあと二日残すのみとなっていた

この日の写真集

明日は、 White Sands National Monument ホワイトサンズ国定公園です。


2002年08月07日(水) タオス プエブロ インディアンの街 =Taos, NM=

ってなわけで、すでに旅行は、四日目の朝を迎えた。
よめさんが、アメリカ先住民に興味あり、
充分にタオスの街を見学したいとの意見(本当は、自分も気になるんだけど…)と、
寄ってみたいメサベルデ国立公園 Mesa Verde National Parkが、
火事の為、閉鎖されていることから、この日の出発は、少し早めとなった。

06:45 Cortez, CO depature
666 south
07:05 Entering to New Mexico
07:25 Shiplock, NM
666 south/64 East
09:53 Jlcarilla, NM
11:40 Tres Piedras, NM
12:35 Rio Grande Bridge, NM
13:20 Taos, NM

666を、南に走る。
まだ、出きっていないというか、雲に隠れている太陽を左手に見ながら、
ミニバンを運転する。

Shiplock, NMに着いた、予想よりも大きな街みたいだ。
666から、64に乗り換える
制限速度も時速35マイルと市街地並だ。
それもそのはず、隣町のBloomfield, NMまでの約30マイルは、
まさに市街地だった。

久々に聞く緊急車両のサイレン、その覆面パトカーのSUVは、
64号線を西側に全速力で走り抜けて行く。

ヒッチハイクする人も多いことに気付く。
白人ではなく、先住民かラテン系だろうと思われる。もちろん、男(達)だ。
仕事に行くのだろう。

旅は、道連れ、世は情け という諺を知っているなら、
行ける所まで一緒にといいたいところだ。
しかし、アメリカ旅行初めての妹もいるなかでのヒッチハイクは、
考えさせられるものがある。

このNMという州は、とても豊かな表情がある。
実は、今回の旅行をする五年前に、ニューメキシコ州南部のCarlsbad, Whitesandsを訪れたことがある。
その時の印象から、この州は、アリゾナ州みたいに砂漠の町だなと思った。

ところが、今回、ニューメキシコ州北部の64号線を走っている分には、そんなことを言えないくらい針葉樹林がある。
白樺まで生えている。この州は、決して、砂漠だけの州とは言えない。

牧草地が広がる山道を登り、そして、降りる。道の脇には、小川が流れている。
是非、車を降りてその小川まで行ってどんな生き物がいるのかを見てみたかった。
しかし、これぞと思う場所に車を停められない。
曲がりくねっている上に、路肩が狭すぎる。

かなり走った山道に、雲が被さってきた。
と、思ったら、にわか雨の到来である。
夕べの天気予報が当たっていた。
また、先の給油場所で話したおやじさんの話しは、本当だった。

タイヤ一番滑り易いのは、降り始めだ。慣れない山道を用心しながら進む。

下り終わった場所は、285号線と交差する付近になる。
自分達が憧れるような古き良きアメリカと印象付けられそうな
コーヒーショップがその交差点にあった。
灰色の重い雲が、ひなびたコーヒーショップを覆う。

グランデ川 Rio Grandeは、アメリカとメキシコの国境の川で有名だ。
この川に架かる橋を車で渡った後、歩きでも渡ってみた。
この川は、茶色に濁っている。
そして、ここは、とてつもなく深い。
コロラド川に架かる橋とは、全く異なる。高さがある。

大型トラックが、橋を通り抜けている。
地震かと思った。ただでさえ、高いところは、苦手。
おまけに、足場がしっかりしていない橋に立っている。
足がすくんだ。くるぶしあたりからなにかを訴えているように感じた。
橋の対面にいるよめさん達を見た。よめさんは、腰を抜かしそうになっている。


タオスの街を散策した。自由行動にした。
二時間の探索後、判明したことは、この街は、世界各国の民族的工芸品店や
芸術家の作品を並べているお店が集まっているということだ。
アフリカの民芸品、メキシコの民芸品、アメリカ先住民の民芸品。
外観は、薄茶色で統一されているが、取り扱っているものは、多種多様だ。

確かに、先住民の工芸品を扱っているお店もある。
しかし、そのようなお店は、白人が店員だ。
がっかりした。

自由行動のはずのよめさんと途中で合流した途端に、にわか雨が降り出した。

夕食は、宿の女将さんがお薦めする近くのメキシコ料理となった。

この日の写真集

明日は、Santa Fe and Albuquerque, NM 
ニューメキシコ州サンタフェとアルバカーキ―です


2002年08月06日(火) フォーコーナーズ =Four coners; UT, CO, NM, AZ=

09:00 departure at Page, AZ
09:05 Outlook at Lake Powell, AZ
09:30 Wah weap at Lake powell, AZ
13:00 Navojo Monument, AZ
16:00 Four Coners; UT, CO, NM, AZ
19:00 Cortes, CO

初日、二日目と長距離を走る日だったので、今日は、ゆっくりめの出だし。

曇りなのが残念だが、突き刺さる太陽よりはましだろう。

パウエル湖の展望台からの眺めは、すごいな〜。
遠くに煙を吐く建物がある。
たぶん、navajo族の発電所だろう。

このあと、WAH WEAP(ボートを湖に出し入れする場所)
を見学した。

女性陣も言っていたけど、ものすごい数の車が止まっているね。
それもそのはず、ボートを引っ張る車は、
SUV(スポーツ ユーティリティー ヴィヒケル)だから、でかい。
それに、船を牽引する車でしょ。
よって、駐車する場所も観光バス並の大きさ、つまり、普通の車の2倍だよね。
引っ張ってくるボートもジェットスキーから、クルーザーまで、いろんな種類があるよね。

そんな車が、たくさんとまっているにも関わらず、湖には、
それほどボートが見えない。

広いんだね。この湖は…。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
パウエル湖のあるPage, AZをあとにして、
この旅の第二の目標だったFour Conersに向けて、
進路をState98を南東に向かう。
そして、US160を北東に向かう。まだ、陽はでない。
地図に出ていない町、Kaibito, AZで、よめさんと運転を交代。

NAVAJO族の博物館に到着した。
荒地に雑草しか生えていないとしかみえないのに、
彼らは、その植物をしっかり自分達のものにしていた。

その植物は、薬草になったり、食用になったり、おまけに、染料になったりする。
そんな知恵があるからこそ、この荒野で生きつづけられたのだろう。

我々は西洋化しているが、彼らは、頑固に彼等の生き方を貫いている。
しかし、物質的経済は、彼らの生き方さえも変えるということを知るには、
あと二日必要だった。

昨日の残りのサンドイッチを野外にある備え付けの机と椅子で取る。
厚いフランスパンに豊富な種類のハム。それに、レタスときゅうり。

フランスパンが、ぽろぽろと地面にこぼれる。
それを小さな蟻が引っ張る。
ハムの切れ端が落ちた。
パンくずに集まっている蟻とは、異なる種類の大きな黒光りしている蟻が、
興奮しながら、かじっている。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
Four Conersに向けて出発したのは、14:10だった。
快適な運転環境が続く。
LAの街もこんな感じで運転しやすいといいけどね。

さあ、着いた。
ここは、NAVAJOの土地にある私有地なんだ。
だから、US160から彼等の私道を通っていかなければいけない。
その通行料は、一人三ドル。

おみやげ屋さんがあるんだね。
ここは、グランドキャニオン沿いにあるお店よりも安いよ。
やっぱりグランドキャニオンは、世界的に有名な観光地だからね。

だけどさ、観光するのは、やっぱり春から秋にかけてじゃない。
稼げる時に稼ぐのは、必然的だよね。

よめさんが、Tシャツを買った。
自分は、例によって例のごとく、
地名の入った帽子を買った。
今回は、気に入ったのがあったので、嬉しい。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
ここで、気付いたのは、今晩の目的地のCortez, COは、夏時間を採用していると
いう事実だ。

AZでも、NAVAJOの人たちは、夏時間を使っている。なぜなら、彼らは、AZだけではなく、別の州にも住んでいるから。
と、いうことで、
17:00 Four Coners着
18:00 Four Coners発 となった。

Four Conersをでて、すぐに水の流れる川があった。
久々にみた水の流れる川だった。
そんなに大きくないが、
鹿が、中州で水を飲んでいた。

19:00 Cortes, CO着
宿泊手続きをしてる時に、受け付けのおばちゃんがいうには、
mesa verde国立公園は、火事のため閉鎖中。金曜日に再開するという。
かなり悲しい出来事でした。
しかし、先住民の踊りが今晩見れるということで、荷物を部屋に置いて出発!

6歳くらいと3歳くらいの女の子の踊りから始まって。
次にそのお父さんの踊り。
さらに、6歳の女の子が、一人で踊り。
また、お父さんが、踊る。

モカシンって、先住民の知恵だったんだね。
シャツにいろいろものをつけて、動くと音が出るようにしているんだね。
小さい女の子も頑張っているよ。

おとうさんは、足首にも音がでるように飾りをつけていた。
長い時間踊るんだね。
二回目は、十分くらい踊っていたよ。

最後に、皆で手をつないで輪になってその広場を駈けた。
女性陣は、その案内が会った際に行ったが、
自分は、荷物を見ようと席を離れなかった。
が、みんなが手をつなぎ、楽しい声を上げて、広場を廻り始めたとき、
先頭で誘導している先住民のおとうさんと目が合い、来いと、言わた。
すぐさま席を立ち、ついていった。

これは、この旅の忘れられない思い出です。

注:この先住民の踊りを写真には、撮影しませんでした。

この日の写真集

明日は、Taos, NM ニューメキシコ州のタオスです。


2002年08月05日(月) グランドキャニオン 北側 =Grand Canyon North Rim=

08/05/02

今日は、朝陽を浴びるグランドキャニオンを見ようと考えたけど、
なんと言っても、630マイル、1008キロメートル運転した次の日は、
体力を蓄えないといけないよね。
ましてや、400マイル、640キロメートルを走る予定があるなら。。。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

と、いうことで、ご来光は、見なかった。大変残念。
女性陣二人(よめさんと妹)の体調も考慮して、
06:00起床
07:00出発
の予定。

旅の楽しみの一つに、その場所の帽子を買うことがある。
今回は、以前訪れたが帽子を買わなかったグランドキャニオンの帽子を
買った。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
昨日は、公園の入り口から一番近い展望台のYavapai pointで、見初めて、
一時間くらい歩いた。
妹は、初めてだから、なるべく彼女の希望と取るようにした。
でも、壮大だよね。20億年かかってできた渓谷というのは、
人間の考え以上にことがすすむよね。

そして、宿が固まって建っているGrand Canyon Villegeを西に横切り、
Powell pointと Hopi pointにトラムで移動して夕陽をみた。
つまり、普通の観光客が見るグランドキャニオンだね。

しかし、今日は、公園入口から、東に向けて北側を目指す。
Yaki point から始まり、4−5箇所から今までと違うグランドキャニオンの
表情をみた。
Grandview pointでは、少し山道を降りてみた。
絶壁を恐れながらの写真撮影(笑)
下をみたら、怖いよね。
Moran pointもすごいよ。
だって、切り立った岩が今までと違うよね。
Desertview ここは、東側の公園の入り口になっていた。
塔が立っていて、登ってみた。コロラド川が見えて、川下りしている人がいた。
いいね。やってみたいね。

お昼をDesertviewでとって、イザ北側に向けて出発。時は、11:36だった。
State64で、Carmeonまで、
US89 Bitter Springs
少し走ると、コロラド川の渓谷があった。すでに高さは充分にあって
橋の中央までくると足がすくんだ。
US89A Jacob Lake
16:20にState67 North Rim
全く違うグランドキャニオンの光景に驚いた。
言葉がでない。
手すりがない登山道をおっかなビックリ歩いて
Bright Angel pointから見学。
少し夕陽が切り立った岩を染めようとしていた
17:45に出発して、
20:20 page, AZ

この日の写真集

明日は、フォーコーナーズ(アメリカで唯一、四つの州の州境がある場所)


2002年08月04日(日) グランドキャニオン 南側 =Grand Canyon South Rim=

待ちに待っていた旅行が、始まった。
去年は、旅行に行けなかったので、今回は、大変期待している。
日本から、妹もちょうど着て、嫁さんと三人の行脚だ〜〜。

これからの一週間の面白道中があるに違いない。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
03:00 起床
04:30 レンタカーを借りてきて出発
16:10 グランドキャニオン南入り口に到着

I-10からI-15に乗り換え、しばらく走ると朝陽を浴びる。
女性陣は、お休みのようだ。少し眠くなってきた。
だけど、コーヒーは、もう無い。給油休憩には、少し早い。
ガムが欲しい。

I-40に入る。
まちにまった、休憩。
珈琲を買って、カフェインを注入する。

標識には、US66とある。
この機会にROUTE66を走ってみようと女性陣に提案。
高速を降りると、あの懐かしきCAFEがあった。

このCAFEは、よめさんがまだ、彼女だった頃にはじめてLAに来た時、
一緒にGRAND CANYONに行ったとき寄ったんだよね。
よめさんも感動していた。

そして、ROUTE66を進んだ。
I-40と平行して走っているんだから、迷うことはないと
おもっていた。が、気付く隣にあるはずのI-40がない!

対向車も、後続車も前に車も見えない。
車の旅行は、こんな不安が常について廻る。

車の旅行で、死なないと思っているのは、甘い。
太陽が、じりじりと照りつける日陰の無いところでは、
命に関係してくる。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
携帯電話がなった。
勤め先のホテルからだ(笑)
きっと、昨日話した件だろう。
マネージャーの怠慢で、お休みの希望届けを一日前になって、だめだと
言ってきたことだろう。で、話しあった。問題なく休みをもらった。
当然だよね。約三週間前から届けを出しているんだから…

でも、そのマネージャーは、勤務表を書き換えなかったんだろうな。

もちろん、電話なんかには出ない(笑)
旅の出始めにそんなつまらないことに巻き込まれたくない!
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
コロラド川で、ボートで遊んでいる人達がいた。
緑の川だ。
アリゾナ州に入った。

相変わらず、ROUTE66を走る。
のどかな風景が続く。
同じ東に向かうのも、I-10とI-40では、こんなにも違うものかと驚く。

11:00 Kingsman, AZ通過できた。

Seligman, AZにてお昼

15:00 Willams, AZ のMotel8に到着。

16:10 Grand Canyon South entrance

グランドキャニオンには、予想よりも早く着いた。
観光客で賑わっていた。以前は、冬にきたのでこんなに、人はいなかった。

夕陽に当たる風景を見た。
しかし、デスバレー(Death Valley, CA)よりは、迫力がなかったような気がする

なぜかというと、グランドキャニオンは、渓谷で、隙間(陰)があるが、デスバレーは、地続きなので、夕陽の色が、少しずつ変わっていくのがはっきりしている。
例えば、右から左へみかん色が移っていく、染まっていくのが
ハッキリしている。
あと、今回のグランドキャニオンは、雲があったので、それも影響しているのかもしれない。

でも、いつもみても壮大な自然に驚く。

この日の写真集

明日の予定は、グランドキャニオン 北側 =Grand Canyon Nouth Rim=


2002年08月03日(土) 久々の旅行 =summer vacation=

明日から、夏休みです。
去年は、仕事を変えたので、夏休みは、取れませんでした。
最近は、よめさんと旅行したのは、
一昨年の夏にサンフランシスコに友達と行ったきりなんだ。

そういえば、その写真もアップしないとね。

明日から、アリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、テキサス州の
旅です。
写真アップするからね。


2002年08月02日(金) ギラデリー =GHIRARDELLI=

今日は、妹を連れてパサデナPASADENAに行って来た。
この古くからある、街は、今や完璧に復活して賑わいを見せている。

しかしながら、この街にも、大企業の進出が進んでいる。
このままで行くと、どこに行っても、
"GAP," "BANANA REPABLIC," "VICTRIA SECRET"などのお店ばかりが
繁華街または、モールにありふれることになるだろう。

これは、一般の人のお店が認められないということに繋がるし、
またそれは、一般の人は、夢を見れないということにもなるのでは、
ないだろうか?

そんななかでも、ギラデリー =GHIRARDELLI=は、パサデナのなかでは、
目立つ存在だと思う。

サンフランシスコが、本拠地のチョコレート屋さんだけど、
ここに、パーラーを営業している。

本当のチョコレートが無いアメリカでは、貴重なお土産となること間違えない。

SEE'Sは、ボンボンだけど、
ギラデリー =GHIRARDELLI=は、本物の板チョコ。

パサデナを後にして、中華街チャイナタウンに足を伸ばしたのだった。


2002年08月01日(木) やっても、やっても、 =i try hard, but...=

08/01/02
やっと、夏の短い学期が終わりました。
6週間の苦行でした。(苦笑)

いやはや、ENG22って、いうのは、なんともならないものかね。
これだけ、やっても、やっても、手ごたえがない科目も珍しいよね。
でも、徹夜、徹夜といっても、一夜漬けだからね。
それも、昼寝して、夕食をつくるから、勉強するのは、正味5-6時間なんだよね。
これじゃ、だめかな?

まあ、speech1は、面白かったわ。
生徒も和やかだったしよ。

今日から寝れるよ。
とりあえず、10時間以上寝たいね。(^0^)

そうしないと、08/04/02からの1週間の旅に影響するくらい、
体調が悪くなるでしょう。

今回は、日本から妹もちょうどきて、
アリゾナ州(グランドキャニオン、レークパウエル)、ニューメキシコ州(ホワイトサウド)、コロラド州(ベルデメサ)国立公園の旅です。
アリゾナの火事が気になるんだよね。
あと、温度。また、焼けるような日差しとの戦い。
でも、よめさんも運転できるようになったら、
大分楽になる車の旅行です。。。

楽しみだね。

過去の旅行は、
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/9312/myweb/myweb.html
をご覧あれ!



BACK NEXT 初日から日付順 最新 目次