失恋ショコラティエが終わった。 なんとなく予想していた旅に出るラストだったことはともかくとして、毎回本当に楽しみながら見ました。 最初はあんなにムカついていたサエコさんも最終的にはあんまりムカつかなくなっていた。可愛いは正義とは凄いコピーだよなぁ!
あるある…とか、なるほど…とか色々思うことがあった。あのとき自分も爽太みたいに言えればよかったとか、薫子さんやえれなみたいに踏み出せばよかったとか(サエコさんにはなれない)色々考えながら見た。
ちゃんと考えて、そして行動することが、自分の人生を輝かせる為に、とても大事なことなんだと思いました。
爽太がサエコさんへの気持ちの変化になかなか気付けなかったように、自分がどう思っているかを確かめるのって本当に大変。
私はここ数年、仕事とか、生きがいとか、そういうものでずっと悩んでいる。 今の生活は悪くないけど、ずっとは続けられないし、続けたくない。 かと言って、どこへ行けばいいかもわからない。 誰か引っ張り出してくれないかな、なんて、本当にどうしようもないことを考えている。
仕事が生きがい…という人ではない、ということはしっかりわかっているんだけど……。
こんな怠け者を、好き好んで引っ張ってやろうなどという人はいなくて当たり前。
ようするに、もっと自立したい。
春だからなんだろうか。
そうやって季節のせいにする。
Facebook、たまには使おうと思いながら更新できないのは、たぶん好きじゃないからだ。 この人に伝えたいということがあっても、その人以外には別に伝えたいわけじゃないからだ。 人のことを知った気になるのもちょっと気持ち悪い。 まぁ……向いてないんでしょうな。 便利な面も多々あるのですが!
エンピツは大好き。 というわけで、今日でエンピツ歴13年目突入!!!! 恐ろしいです!
BUMPの新しいアルバム『RAY』が出ました。前作から3年。 今日やっと開封しました。 聴きながら日記。 明るい。 今までで一番明るい気がする。 寂しいような詞も、音楽が乗ると明るくなる。
さて、色々あって、色々終わりました。 反省点がありすぎる。自分が悪すぎる。ダメを凝縮したような日々だった。 まだ思い出すと辛い。たぶん相当ずっと先まで辛い。 何度謝っても意味がないことがある。 辛いので、無理矢理ポジティブに考えそうになるけど、それがよくない。 そんな都合よく片付かない。
この顛末を人に話すのをシミュレートすると、どうしたって自分贔屓になる。それが一番最悪。 笑って、まー私が悪いんすよ、って言って、あーそれはあんたが悪いねって笑ってもらえるようになるまでは話さないほうがいい。 自分を可哀想な人にするなんてバカみたい。 実際に可哀想ならいいけど、全然私は可哀想じゃない。 でも可哀想だねって慰められたい。そういうのが一番最悪。
はい。
そういうわけで、終わった勢いでちょっと始めてみようかと、かなり勢いで始めたことがあるので、なるべくそのことを考えて、大切にしようと思う。 周りの人を大切に。自分も大切に。
ところで、このアルバムはBOC-ARというスマホのアプリをブックレットにかざすと、とても面白いことが起きます。 どういうことなのかは…わからん。
そしてもっと面白いのが初音ミクとのコラボ…。最初聞いたときは戸惑ったけど、PV見たら結構いいですね。rayという曲自体がかなりポップなので嵌っています。 綾波から初音ミクへ…時代は変わるんだね。青っぽい髪の子が好きなのか。 面白いなぁBUMP。やりたいからやったんだろうな。こういうの見ると、あーなんか色々やっていいんだなぁって思いますね。
前半のアルバム曲がかなり良いです。ロックだなぁ。凄くロックだと思う。ロックが好きです。 ラストワンとか通勤中に聴いたら泣いちゃうだろうな…。
でも最後に印象に残るのが「アジのお刺身」なのがこのバンドだ!!
どんなにたくさんの本を読んでも、実体験でしか学ぶことができない。本や映画で知ることはできても、きっと学んではいない。
咄嗟に出てくる自分の哲学って、きっと今までの自分の実体験だけでできているんだろう。 器用な人はきっと本や映画で知ったことも自分の哲学のように語れるのかもしれないけど……私にはまぁ無理な話だ。
というのことを、昨日飲み会の中で感じた違和感を、その後見た失恋ショコラティエでそれがなんだったのか気付かされた。
本や映画、この場合はドラマ、それに他人の話というのは、その実体験が「なんだったのか」ということに気づかせてくれる道具なのかもしれない。 だから本や映画や他人の話に意味がないわけじゃなくて、実体験が「なんだったのか」を学ばせてくれる道具なんだと思う。
例えば実体験で「こんなことがあった。⚪︎⚪︎だと思った」というところまで理解したとして、それは主観でしか理解出来ない。本やら映画やらで似たような描写があって、そこには他人から見た「⚪︎⚪︎だと思った」が書いてある。それが共感できてもできなくても、「あのときのあれはそうだったのか」と客観的に確認ができる。
失恋ショコラティエは薫子8:えれな1.5:残り0.5:さえこ0の割合で共感しながら見ているのだけど、物語のキモは共感度0のさえこが握っている。今週の話で薫子さんが自分が本気の恋愛なんて何も理解していないことをさえこによって気付かされたのと同じ。昨日の飲み会でそんな話をしながら、私ってほんとわかってないよなーとしみじみ思った後だったのでグサリときました。 さえこが爽太をシャワールームで誘うシーンを見て、まじでこいつは可愛い皮をかぶったプレデターだ!エイリアンだ!と多少笑いながら思ったので、薫子さんがさえこに対して気持ち悪いと言っていたことと100%シンクロしました。でも、じゃあ自分は?って思うと、見た目が違うだけで立派にエイリアンなんじゃないかなって思いました。まぁ……爽太から見れば誰がエイリアンだって構いやしないと思うけど。でもそれが真理かな。
このドラマは爽太のバカっぽさと天然小悪魔のさえこさんのドタバタ、と見せかけて、本当は世の中にたくさんいる薫子さんみたいな人にスポットライトを当てる……というよりそういう人を炙り出そうとしてるんじゃないかな。 本気の恋から目を逸らしてる人へ。 キャッチーで、フジテレビらしい洒落たドラマなのに、毎回毎回刺さる部分が多すぎる!炙り出されてしまったよ。
知ってから実体験と照合するのもあり、実体験からフィクションで照合するのもあり。現実的に生活してると、みんながみんな、もちろん私も全部本当のことなんて言わないから、ドラマみたいに心の声が聞こえるものに気付かされたりするものですね。
自分の根源になるものってやっぱり実体験以外では補えないなって思いました。
冬ドラマは去年もはらちゃんがあったし、良いものに巡り合うなぁ。
|