山田 詠美
おすすめ平均 心の栄養に。 村上龍さんだけはすぐに俺語りをしだすのが鼻についたけど
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2006年04月19日(水)
「女から金を搾取すべし」(『不道徳教育講座』三島由紀夫著)
昨夜に引き続き、以下、
『不道徳教育講座』三島由紀夫著(角川文庫)より引用しメモ化。キーワードは「経済的主権」と「性的主権」「男の危機を乗り越える方法」という感じです、はい。
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『女から金を搾取すべし』
(略)性的主権と経済的主権を、共に握ることは男性の叶わぬ夢ですが、この考えがまちがっていはしないか。
資格もないのに両方握ろうとするから、女性にバカにされるのである。実際は性的に女性を征服するなどというのはバカげた妄想で、女というものは、特殊な条件でなければそういう男性の妄想に屈服しません。要はそういう特殊な条件を創造することにかかっている、と私は考える。
現代の多数の女性は、経済的主権のあやふやな男性に対しては、たとえ性的満足を彼から得ていても、彼の性的主権というものを心底認めていない傾きがある。しかし男はあやふやなまま両方握ろうとするから、さっきの青年のように恥をかくのです。
ヒモはちがいます。ヒモは経済的主権など屁の如きものと思っていて、経済的主権をまったく持たぬのみかそれを軽蔑している男を仰ぎ見て、女は性的主権を喜んで捧げるのです。彼は彼女には、性の権化、男性の権化に見えてくる。威張り返って金を搾取する男に、彼女たちは“征服されたように感じる”。なぜなら彼の主権には何らあやふやなものがないからだ。
女はあやふやなものに敏感です。あやふやなものを嗅ぎつけると、すぐバカにしてかかります。経済的主権のあやふやな、現代の大多数の男性は、同時に、その性的主権もあやふやなものと見られつつある。これこそは男性の危機である。
(略)私の月並みな教訓は、一生たいした収入も持てそうにない青年は、経済力のある稼ぎ手の女性と結婚して、せめて自分の性的主権を、男性的威厳を確保すべきだ、ということです。(p49−51)
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2006年04月18日(火)
“恋人は交換すべし” (『不道徳教育講座』三島由紀夫著)
以下、書籍
『不道徳教育講座』三島由紀夫著(角川文庫)の中の“恋人は交換すべし”というエッセイより引用。
言ってみれば、三島の浮気論のようなもの(→正しくは「恋人交換」について。)が書かれている箇所であります、はい。ちなみに、このエッセイ集を読んで、なぜ山田詠美氏が三島を好きなのかがよくわかったし、それと同時に、三島の小説も再読していきたいと思いました、はい♪
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“恋人は交換すべし”
昔、谷崎潤一郎氏と佐藤春夫氏が、夫人を交換したという事件が、世間をワッと言わせたことがあった。あのころに比べると、今はもっともっと乱雑な時代だが、あまりこの種の事件を耳にしないところを見ると、現代は表皮だけは乱雑でも、日数のたった最中(もなか)みたいに、中身はちんまりと固まった餡子(あんこ)よろしく、ひたすら常識的に当たらずさわらず生きている時代なのでしょうか?
(略)純粋なエロティシズムの本質は、孤独を前提にするものらしい。
その極致がドン・ファンであり、その過渡的な形が恋人交換だと思うのです。
日本でいわゆる「浮気」という概念と、これほど遠いものはありません。浮気というのは、いつも、根拠地、港が、前提となっております。帰ってゆくべきところがちゃんとあって、それとこれとは区別して、その上で、新しいものへちょっと手を出す。それが「浮気」で、浮気の持っているエロティシズムは、不透明で、不健全なものです。
(略)フランスのヌーヴェル・ヴォーグのはしりであった「いとこ同士」という映画で、自分の好きだった男の“いとこ”と出来て、その男と“いとこ”が二人で住んでいる家へ、さっさと住み替えた末、恋が終わると、又さっさと引き揚げて行き、そのあとでパーティーに招かれると、又ノコノコ出かけて行く、まことに割り切った女性が面白く描かれていました。
精神的に好きな男と、肉体的に好きな男と、二人並べておいて、その家へ平気で住みついてしまう彼女は、エロティシズムの原則に対して完全に忠実であり、自分の孤独をよく承知しています。絶対に孤独が出発点であり終点でもあるその情事は、まことにスッキリしたもので、感心しました。(p330− 331)
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2006年04月13日(木)
女性が結婚直前に「浮気」する理由。
突然ではありますが、友人から以下のようなメッセージが来ておりました。
『(・・・略・・・)先日、ある人(女性)が浮気をしたという話を聞いて、正直不思議な思いにかられました。浮気という言葉自体、忘れていた・・・みたいな感じがしたからなのかなぁ???
その人、今の彼氏と結婚するみたいです。。。』
そして、以下、私の返信。
「浮気という言葉自体、忘れていた」というのは、私もよくわかる感覚ですわ〜。なんていうか、「そんな概念もあったんだよねえ、そういえば。。」という感じ、というか(笑)。
>その人(女性)、今の彼氏と結婚するみたいです。。。
だとすると、その人は、「結婚前に1回くらいは、短小でない人・下手クソでない人と経験しておきたい♪」みたいな心理だったのかねえ(爆)。
しかし、理由は何であれ、結婚相手に対して性的に満足していないのに結婚してしまうと問題がおきるものだよねえ。。しかし、「短小」とか「下手クソ」って、深い問題ですな、ふむ。(以上)。
2006年04月10日(月)
『4U』。夢うつつの午後。
以下、昨夜の寝不足のため、あまりにも頭が朦朧として眠くなってきたので、気分転換にほざき。
というか、もしかすると、今現在、あまりにも頭が朦朧として眠くなってきたのは、寝不足というのもあるけど、今朝の読書タイムに、山田詠美氏の
『4U(ヨンユー)』を何年かぶりかで再読したからかも、しれず。。
そもそも、「小説」というジャンルの書籍を「朝読む」のは、その日の頭の働きを重視するとすれば良くはない選択である、それも山田詠美の小説となれば、さらに良くない、良くない。。
『4U』は短編集である。山田氏は、「一人の男を愛すれば、30枚の短編小説が書ける」(注;記憶があいまいなので正確ではないはず。)という名言もあるくらい、人と人とのあいだに横たわる感覚的・体感的なリアリティを短編小説という形式のなかに封じ込めるを得意とする作家でありまする。
というか、以前も何度も思ったんだけれど、今朝、この短編集を読んでみて、私が、彼女の小説を好むのは、彼女が「ふつう」のことを書いているからなのだなぁと、またしても思ったのでありました。彼女は「私にとって」「ふつう」のことを「ふつう」のままに書いてくれる数少ない作家の一人であります、はい。
ちなみに、山田詠美という作家は、一般的には「主に恋愛小説を書いている作家」として認識されているのかもしれないし、そういう認識を数多くの方々がしてくれていたほうが、むしろ小説それ自体は売れるだろうことは明らかなので、それはそれで喜ばしいことなのだけれど、100歩譲ってもしも彼女が描いているのが「恋愛」だとすれば、それは読者にある程度の距離感を持たせることで「憧れ」や「幻滅」という感情を呼び覚ませるようなそれ、ではなくて、読む者が「経験したことのある」恋愛にまるわる記憶を呼び覚ます種類のそれ、なんですよなぁ、ふむ。
というか、さっき、恋人サマとの週末のデートについて日記化しようかな、とも思ったんだけど(→温泉で遊んできました♪)
『4U(ヨンユー)』の中に「秘密にする楽しみもある」という趣旨の一行がありまして、というか、まぁ、どっち道、私が書くと、実際はどうであれ「ギャグめいた日記」になってしまうので、まぁ、そういうことで(汗)。
ちなみに、たまに思うんだけど、同じ日のことを書くにしても、恋人サマが書くと、私が書くのと違って、文学的で色っぽい日記になるんですよね。。「文は人なり」という言葉を真とすれば、まぁ、きっと私は、根本的に脳がふざけているということになるのかもしれませんね、ふむ。。
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