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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年06月29日(水)
消費とコミュニケーション。


調べ物をしていたら、「アップ顔の美しい女になる!」【All About Japan】というのを発見してしまい、調べていた対象とこのコピーの差が激しく違いすぎて、一気にどっと疲れてしまった今宵でありますです。。ちと引くと、

日常生活で顔と顔が近づくことってけっこう多いもの。
そんな時、人はあなたの顔をさりげなくチェック!
いろいろな感想を抱くものなのです。その感想が好意的なものであれば問題なしですが、そうとは限らないのが現実のようで……。さまざまな場面で人はどんなふうにチェックしているのか、コメントを集めてみました。
みんなの意見を参考に、至近距離で見られても自信の持てる顔を目指してみましょう!


とのことで、「合コンで男はここをチェックする!」「ビジネスで男はここをチェックする!」「同窓会で女はここをチェックする!」と、場面別に3つに分けて、これでもかこれでもかと、消費者である女性の「見られている」という“不安感を煽る”方法を採用しているように見受けられますです。要するに、「アップ顔の美しい女になる!」という特集風の、商品を売り込もうとする広告なので、よくあるパターンと言えばそれまでなのであるが。

でもまぁ、何といいますか、こういうのって見てて疲れるんですよねぇ。。人のコンプレックスをネタにしている商売は数多くありますが、何もわざわざ“不安感を煽る”ことで、コンプレックスを「増殖させる」または「創造する」ことはないような気がするんですよなぁ。

「そんなこと言ってると商売にならないんですよw」という意見もあるでしょうが、商売にも「やり方」というのがありますよね、ふむふむ。

というか、最近よく思うのであるが、いつから「消費すること」がコミュニケーションの一環になったんでしょうなぁ。家庭菜園や、自給自足の生活に激しく憧れてしまう最近でありますです。。

(あ、ちなみに勘違いされるとメンドウなので書いておきますが、私個人はすでに「アップ顔の美しい女」ですので、この件に関してコンプレックスはありませんので。さらにちなみに書いてしまうと、別に高い化粧品使わなくてもイイんですよ、そんなの無駄ですって、いろんな意味で。そこらへんに生えてるアロエでも塗ったほうが効果的ですし、成分も新鮮そのものです、はい。)

2005年06月21日(火)
お得な朝の過ごし方。
朝の海辺は良いものですわ、やはり。身体が浄化された気がします、はい。海は酸素の生まれる場所なので、海のそばで運動すると痩せやすくなる、というのを前テレビでやっていた。(確か、あるある大辞典か何か。。)

ので、軽くストレッチをしたりしているのだが、やはり、家の中や庭や公園でやるよりも、海辺で行ったほうが満たされた気持ちになる。だからか、朝の野菜ジュースと手作りパンもいつも以上に美味しく感じるし、なんだかお得な朝の過ごし方だな、と思う最近であります、はい。

2005年06月20日(月)
散歩3日目。
今朝も30分散歩へ。今日で3日目。今日は昨日とは違う道へ。私の家は門を出ると、十字路になっているので、その日の気分によってコースを選べるのである。

どっちにしろ近所ではあるし、結局は海岸を通って帰ってくることに変わりはないのだが、なんとなく選べるというのは良いものだな、と思う。

今朝は、最初は海へ一直線の道を行こうとしたのだが、どこかのおじいさんがヨタヨタとした足取りで先方を散歩なされていた。ので、追い抜くのも気分が悪いな、と思い、違う道へ行ったりとか。

ということで、この習慣は続きそうな気配がしますわ。
(写真は昨夜の晩に作ったドーナツ♪)

2005年06月19日(日)
阿木燿子と事業計画。


今朝も30分散歩へいってきた。天気がいまいちなのであまり人いないかな、と思いつつ、海沿いに行ってみたら、海は荒れ模様。が、はりきって遠くから来たらしいサーファーさま方が数名おられた。

やはり、何事も気合なんだな、状況はそこまで関係ないんだな、とりあえず現地へ行ってみるのが大事なんだな、と思った。実際問題、天候がどうであれ、上手く乗るのがプロ・サーファーの条件だしな、ふむふむ。というか、海の写真を撮ろうとしたら、父親の携帯を誤って持って出てしまったので、撮影できずでありました。寝ぼけてたのかな、ふむふむ。。

そういえば、彼が朝、TV「いつみても波瀾万丈」阿木燿子氏を見たらしく、今日は何かにつけて「阿木燿子に似てる〜、似てるわw」といわれ続けた。。雰囲気と話し方が似ているらしい。

自分ではそう思わないけど、そう言われてみると、似ている部分もあるな、と思った。番組を私もちらっと見たけど、「収入が“不安定”な人と結婚しようと決めていた」という発言あたりで、「うん、それわかるわかる〜」と思ったりもしたし。。

ちなみに、阿木燿子氏は今年、還暦をお迎えになられたらしいので、私もぜひその年齢になったら、ああいう感じになりたいな、と思う。というか、「いつみても波瀾万丈」に出る人ってことは、そうなりたい場合はやはり、「波乱万丈」路線でがんばれよ、ということなのかね、ふむ。。

というか、今日思い立ったのだが、そろそろ本腰を入れて、しょぼいながらも事業を始める決意をした。というか、今まで周囲で色々とあったり、自分自身の問題もあり、立ち直りが遅れがちでダラダラとしすぎていたように思う。ので、そろそろ始めねば「あいつ、有言不実行だな」と影で言われかねない。。(そうなると信用が減るので、さらに実行が困難になっていく、という悪循環になってしまう。)

で、まずは、その業界の各会社に潜入して(とぼけた顔していろんなことを聞き込むのである。これひそかに私の得意技なのであるよ。)、利益システムとサービスの質を把握してみる予定。それと、個人でやれば儲けは大きいんだけど、自分だけでどこまで営業できるかが一番不安なので、そこらへんを調査しているうちに、自分がどこまでやって人にどれだけ任せるかの配分を各社のシステムを比較しながら決められたらベストだなぁと現時点では思ったり。

と言っても、最初は個人でやるので、まぁ、まずは自分自身が顧客にとって満足のいくサービスを提供できる「従業員」になることが目標です、はい。
では、ぼちぼち、張り切っていきまする♪

2005年06月18日(土)
雨の朝の散歩。


何故か朝から散歩に出たくなり、さっき行って来た。ほんの30分程度だったけれど、行く前と比較すると、気持ちがだいぶ晴れやかになった。傍から見ていると、どうしようもなく不毛な人間関係なのに、それを継続することに意義を見出してしまっている方々の心理を垣間見る機会があったのだが、たぶん、それが心乱れた原因の1つだろうなぁと、今では冷静に思える。(あ、今朝散歩に出たくなった理由です、はい。。)またそういうコトがあったら、雨が降っていようが雪が降っていようか、散歩に出れば良いのだというコトを、今更ながら学んだ今朝でありました。。

━━━━━□その他のほざき。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★昨夜、 NHKのニュースで「過労自殺」についての特集(?)を見てしまった。たった一人で関西エリアを受け持っていたらしい。本社の上司に「忙しすぎる」と訴えても、「きみにならできる。頑張ってください」(→鬱の人には言ってはいけない言葉である。)で跳ね除けられ、ついに自殺してしまったらしい。正直、「思い切って、企業名出してしまえよ、NHK!!!」と思った。。

何と言えば良いのでありましょう。こういうのを見てしまうと、どうしても、ある種の企業って刑務所よりもキツイし、人を追い詰めて狂わせてしまうことにかけては悪徳宗教以上なんじゃないのかなぁと思ってしまう。
というか、アホな企業の「利益」や「社会的責任」に関する大きな勘違いを正すにはどうすればよいのかを、小さいながらも前向きに考えてみることにしまする。

今日の暮らしのお役立ち……生き甲斐【田口ランディブログ:アメーバ的日常|アメーバjp】を読んで。

ランディ氏のようなアクティブな人でも不安を感じるんだなぁとしみじみ。むしろ、不安だから動くのかなぁ、人って。それと、不安って毎日発生する感情で、かつ、誰でも感じるんだなぁと。当然のことではあるけど、それって忘れがちなのかも。。世界はたくさんの人たちの不安に満ちているんですよなぁ、そういう普通のコトを忘れないでいたいなぁと思う。

★というか、イケメンが多い?フランスのポンピエ(消防士)【フランス・パリ海外生活ブログ】を読んで。今度フランスに行ったら、ぜひに消防士サンに会いたいと思った。。

2005年06月17日(金)
人脈づくりの極意。


無理につくった人脈などよりも、自然に親しくなっていった人たちを大切にする。
そのような人間関係で十分です。(斎藤一人)


ホントそうだなぁ、と、朝からしみじみ。交流会などに出ないとやはりダメなのかなぁとも思ったことあったけど、そういうのじゃなく、もっと自然に力を抜いている時に出会った人たちを大切にしていれば、精神的にも良いし、相手にとってもそうなんだろうなぁ、と。

Positive Life Radio Live(→ネットラジオです、朝はココを聞いていることが多い最近であります、はい。)

2005年06月16日(木)
年下の男の子。


今日は彼が、カレーを作ってくれた。今日は在宅の日だったので時間があったらしく、どうやら何かしてみたかったらしいです、はい。今回は野菜カレーで、かぼちゃの甘みと隠し味のコンソメとコーヒーの深みが良い具合にハーモニーを奏でていて、おいしく頂いた。次回はキーマカレーか何かを作ってくれるらしい。次回も楽しみであるよ。

というか、先日、4つ下の男子(22歳)と話していて、22歳当時付き合っていた彼のことをふと思い出した。なるほどなぁと。22歳の男子の「子供さ加減」をもっと遠くから眺めるコトが当時の私にはできていなかったのだなぁと。。これじゃ仕方ないよなぁ、無理があったなぁと。もっと優しく(甘く?)してあげればよかったな、と反省しました、以上。。

2005年06月13日(月)
ガールズ・トーク。


月曜の夜は美容院へ行った後、女友達5人と集合し、ごはん。楽しいひと時でありました。で、仕事のことや恋愛・結婚ネタやその他色々話した。

みんな職種も違うし業界も違うのだが、女同士かつ気心が知れている同士だと、職種云々とかではなくて、仕事というモノの本質について話し合えるし、良いものだなぁとしみじみ思ったり。

やはり、どうしても男性が混じっていると、彼らのプライドを傷つけないように様々な配慮をしたり、持ち上げたり褒めたりしなくてはならない圧力がかかることが多いので、色々と面倒なんですよねぇ、正直。。女同士のほうが、本質へと到達するのにかかる時間も気力も少なくて済むというか何というか。で、やはり、問題が起きるときの主原因は、「言葉の勘違いですよなぁ〜」という点で、一致。

で、やはり、ストレスは良くないよな、というネタとか。。友達が、電車の中で倒れて、「気付いたら電車の床で寝てた〜」という話をしてくれて、そういえば私も昔、ぶっ倒れたコトあったなぁとか。。で、あれって、慢性疲労だったんだろうねぇ、もしくは、血圧が急激に下がったとか、そういうのなんだろうねぇ、とか話したり。

結婚ネタについては、まぁ、まとめると、皆さん、「したいような気もしないでもないが、なんかね。。」という点で一致したような感じ。「今の彼とはどうなのよ?」という質問も受けたのであるが、私が回答せずとも違う友達が、「いや、する・しないじゃなくて、そもそも、この人(=私、なおさんのコト。)が結婚云々で、“喜び”を感じるはずないでしょーに」と、ずばり回答してくれたので、驚いた。。

要するに、私の脳から見ると、分かりやすく言えば、“「結婚式」は「葬式」にしか見えない”というコトなのかもしれんね、そりゃあ、“喜び”を感じるはずもないですよなぁ、ふむふむ。。(いや、こう思う理由は、私の性格がひねくれているというのもまぁありますが、学生時代に結婚式場でバイトしてたときに、まざまざと感じたことなのでありまする。。)

で、気付いたのだが、やはり、人から見た自分、要するに、他者評価って、大事だなぁ、と。例えば、私は小学生くらいの頃から会社員には向いていないと自覚していたのだが、それを言ってみたら「あ、それわかるわ〜。」「あんたって、サービスする側じゃないもんね、あはw」と同意されたし、また、結婚についても、「するかしないか、の問題じゃなくて、したらしたで1回じゃ済まなそうだもんねw」「何かあったら、すぐに逃げて帰ってきそう〜w」という点で、一致したし。。

ということで、やはり、友達というのは非常に非常に大切だなと思った夜であった。1次会で3人抜けたので、2次会は私も含め残りの3人で再びガールズ・トーク。という感じで、女同士のおしゃべりって、良いものだな、と思いつつ、夜遅くに帰宅。しかし、楽しい夜だったな、ふむふむw

2005年06月12日(日)
ひとりでお泊り。
昨日は一人で銀座のメルキュールに泊まっていた。前にも1回友達と泊まったことがあるホテル。でも、今回一人で泊まってみて改めて、立地も良いし、一人部屋だったけど普通よりは少し広めだなぁと感じた。

このホテルは、Accorグループのアップスケールに位置するブランドなのでソフィテル東京より1ランク下。なので、カップルでご宿泊の場合は、ソフィテルにしたほうが無難かなぁとは思いまする。ここはあくまで、女性の一人出張orビジネス向きかなぁと思う。もしくは、友人同士、または、学生カップルむきでも良いかもしれず。

というか、やはり二人よりも、一人で泊まると高く付くものですなぁ。。まぁ、週末ってのがあったからその影響もあるけど、やはり一人は不利だな、と思った。。

ということで、なんとなくだけど、久々に1日半くらい一人で過ごしたからか、だいぶ気分転換になった気がする。一人暮らしの時には、かなり気軽に一人でホテルに泊まりに行ったりもしていたんだけど、最近はそういうの少なくなってたなぁとしみじみと感じましたわ。なので、今後は、もう少し増やしていこうかなと、こういう気まま行動。。

2005年06月10日(金)
いちおう、病院に行ってみたよ。


昨日は突然の兄貴分(過去に2回くらい、出てくれた方です、はい。長く愛読してくれている方々はわかるかもしれず。)の代打日記にお付き合いくださり、どうもでした〜。というか、気分は普通モードになったものの、友達のススメで、念には念を入れて、午後から病院へ行ってみた。

結果、やはり、うつ病ではなかったですわ。何らかのきっかけ(私の場合は知人が亡くなったこと。)を理由として、深刻になるというのは、センセイ曰く、普通の反応だし、それに総合的に見てもうつ病ではなくて、うつ状態だと思うよ〜、とのことであった。。

で、薬のことも聞いてみたけど、私の場合は、うつ状態になった原因が判明しているので基本的に必要ないし、休養を取ってその原因を自分の中で処理できるようにするのが一番大事とのことであった。で、重要なのは、感情を誤魔化して仕事に打ち込んだりするのではなく、「ちゃんと問題に向き合うこと」だそうである。で、どうしても辛くなったときのために、安定剤だけ出してくれた。

というか、私もなんとなく病気とは診断されないだろうなぁと思っていたものの、病院に行ってちゃんと診断されたことで、さらに気分的に安心したような感じがする。。

それに何気に思ったのだが、日ごろ客観的視点を意識しすぎているがために、それがブレて感情的になっていた自分自身に、過剰反応していたのかも、私。(女性にしては、かなり理性的なんですよ、私は。それがたまに仇なんだけど。。)

あとは、彼女が亡くなったことで、普通だったらまったく考えない幼少時代の記憶を思い出したのも大きいかもしれず。脳のはたらき上、子供の頃の思い出って、深く考えない限りは、良い思い出ばかりを抽出するものだし子供時代=「しあわせな時代」という風に合理化しがちではある。

んだけど、よくよく考えてみると、暗いことも多々あったよなぁと。。で、当時の出来事や情景などが当時感じたまま、当時の解釈のままで蘇ってきて、彼女の家庭の事情なども知っているだけに、余計胸にきたのかもなぁと思う。

ということで、自分的には、半分以上は処理できたとは思うものの、念には念を入れて、しばし、ゆったりモードで暮らしていこうと思いまする。。

2005年06月09日(木)
As changeable as the weather...


久しぶりに妹分のなお。さんへ。

弱音をその弱音ができるもととなった出来事や関係者にそのまま言う。という単純な事を躊躇う自分や、戸惑うのを正常とし抑圧するのを良しとする世間の価値観に僕は時々弱音を吐きたくなる...。その出来事と関係のない誰かに弱音を聞いてもらう事で解決したつもりになるのではなくて、弱音の連鎖を止めるために何かしたいなあと思うんだよなあー。

こういう時はどうしても死んだ親友の事を思い出してしまうという悪い癖が出てくるもので。あの男は正しかったのだなあと思うんですよ、ある意味ね。もしも世界の仕組みを完全に理解してしまったとして、その仕組みの上で動き回る自分自身に意味を見出せなかったとしたら、それはそれで凄く正しい選択なんだ、きっと。僕はといえば。もしかしたら理解しているのかもしれないし理解していないのかもしれない。この曖昧さに支えられて生きているだけのような、そんな気もしないでもない。煙草を吸い続けているのもこれが関係しているような気がする最近特に。

別に生死の話をしたい訳ではないのだけれど。こういう日はそんな事も思うというだけの事。

でも。いろいろあるしいろいろ思うけれども。僕はまだ経験してみたい事が残っている訳でw。昔のように何の疑問も抱かずに目標へ突進できる無知ゆえの勇気もないし、既知になった事を邪悪な目的で利用する勇敢さも残っていない。そんな自分に時々頭が痛くなるものの。過去の例と同じく何かを無くしては何かを再生し続けるだろう未来の自分自身を夢見ている自分がいるのも事実な訳で...。

こういうどっちつかずの自分に呆れつつ、晴れた空を見上げてみれば、さっきまで晴れていたはずの空が曇り空になっていて「ああ、空も気まぐれなんだから、まいいのかもなあー」と(苦笑)。晴天の日もあれば曇りの日も雷の日も大雨の日もあるという至極当然の事実を、僕は忘れていたような気がする、今日という日の朝から午後まで。By Y

2005年06月08日(水)
ようやく腑に落ちた〜♪


なんだか、ここ最近の苦悩が嘘みたいに晴れたので日記化。

正直、3日前くらいはもしかしたら鬱病になったのかもなぁとも思ったんけれど、どうやら違ったみたいである。(10日から2週間続かないと鬱ではないらしいです、はい。。)

何で気分が晴れたかというと、やはり、先月知人が亡くなったことをきっかけに色々と考えさせられたコトが、私の中でまとまったからだと思う。

というか色々と考えたはずなのに、結論はすごくシンプルで、「結局は、やりたいことをしてていいんだなぁ」とか、「周囲の人たちに無理して合わせることはないんだなぁ」とか、「どっち道、いつでも死ねるんだから、思いっきり楽しんだほうが良いんだよなぁ」とか。まぁ、無難といえば無難なところでまとまった感じ。。

そう思いたいのでも、そう思うべきだからそう思うのでもなくて(要するに、いわゆる「意思」云々ではなくて。)、もっと単純に、どうこうしたいorこうするべきだ、というようなコントロールを離れたところで、そう思える状態になって、そう思ったという感じ。要するに、腑に落ちたというか何というか。

ということで、しばし揺れたけど、今日はニュートラルな位置に自分が戻ったような感覚がして気分が晴れやかでありました。それに比例して、それなりに好成績を収めることができたし、今日という日もまだたくさん残っているし、後は自由時間として楽しもうと思いまする♪

というか。ここ数日を振り返ってみてしみじみ思ったコト。

結局のところ、私って人はどうもシリアスになりきれない人らしいのである。考えすぎたり不幸ぶったりするコトがどうしても不可能らしいのである。なり切れないというか、そういう自分に酔えないというか。最終的には、あぁ、これが自分なんだから仕方ないよなぁというようなポジションへ落ち着いてしまう性質とういうか何というか。。

ということで、やはり、地のキャラというのは消えないらしいです、どんなときでも。。と、なんとなく納得したので、これも日記化しておきまする。。

2005年06月07日(火)
刺激を求めて。


朝方感じたストレスのモトとなったコトから目をそらすのではなく、直視してみたら、ストレスが緩和した♪。正直、朝の時点では、かなり悶々としていたのだが、思い切って作業を中断し、『コンシャス・リビング』という本を読みつつ、意識を集中していたら、自動的にこうなった、という感じ。以下、その本から少しだけ引用してみまする。これが今朝の私の状態だったのなぁと気づけたことで、改善したのも、と思いまする。

「朝目覚めて、なんとなく気分が晴れないと感じたなら、まず自分が言行不一致に陥っている場所を探します。自分自身や他の誰かに正直でなかった場所を探すのです。次に、抑圧している感情や自分が守っていない取り決めを探します。

そして、どんな方法を用いてでもそれらを正しい状態に戻します。普通はそうするのに10分の電話をかけるよりも長い時間を必要とすることはありません。そうすれば、ほとんどの場合、自分自身への感情が一瞬にして前向きなものへと変化することに気づくでしょう。」(『コンシャス・リビング』p178より引用。)


で、結論。多分、最近のストレスをより深刻なものにしていた原因は、要するに、「刺激不足」だな、と思い至った。。シンプルすぎて自分でも驚いたけど、これ以外には考え付かない。。

というか、もともと私という人は通常の人よりも明らかに「刺激」を必要とする人なのであるが(投資とかギャンブルやる人ってある意味みなさんそういう傾向ありますし。。)、でも、明らか過ぎるが故に忘れていたのでありましょう、きっと。

というか、それと同時に、この今の状況を刺激的だと感じなくなってしまっている自分自身が、ちと不安でもあるのよね、一体どこまで刺激を追及すれば満足するのかなぁと。。(あ、念のため書いておくと、異性・恋愛関係に刺激を求めるのは20代前半で終了しましたので、そういうのは求めていませんし、というか、そういうのは刺激でも何でもなくて、私からすると安心感の源泉となるものです、はい。)

で、とりあえず、友達2名には旅行行こうよと、1名にはこっち来る機会があったら遊んでくださいなと、それと、最近付き合いが遠のいていた友達にも連絡し、ネットで知り合ったもののまだ会ったことがない友人1名(→ちなみに同年代の女性です。さらにちなみに。女性のお友達は年がら年中募集しておりますので、私を仲間に加えてくれる方がいらっしゃいましたら、お気軽にメールでも下さい、ぜひに♪)にもぜひ夏くらいには会いましょうな、と誘いのメールを送信しておいた。ということで、具体的にはまだ何をするかは不明だけど、さらなる刺激を求めてみたいので、オススメのアクティビティなどがご存知の方いましたら、ぜひ教えてくださいませ〜w

2005年06月06日(月)
森林浴。



昨日の午前中、森へ散歩へ行ってきた。そんなに長い時間ではなかったけど、新鮮な空気を吸いつつ歩くのって良いものだなぁとしみじみ。で、この帰り道で、下の写真にある黒い犬と出会ったのだが、この犬、我が家まで送ってくれたのでありました。



頭をなでなでして、水とパンをあげたら、満足したらしく、帰宅なされたようである。なんか、もう少しゆっくりしていってくれても良かったのになぁ、ふむ。。また遊びに来てくれると良いな、と思った。(飼い主さんには少し悪いけど。。

2005年06月05日(日)
オーラソーマ・カラー心理診断。

「オーラソーマ・カラー心理診断」をやってみた。以下、その結果をメモw( )内はほざき。


★1本目:ソウルボトル(本来のあなた 人生の目的と可能性)
ボトル 番号083
カラー ターコイズ /ゴールド
ボトル名 Open Sesame (オープン・セサミ)

あなたは、未来に対して明確な展望を持ち、しかもそれを現実化するための知恵や知識、バイタリティを備えた人です。また、自らが日頃心に感じている平和で穏やかなフィーリングを、自然体のふるまいや雰囲気、笑顔や言葉、クリエイティブな表現を通して、多くの人々に伝えることができます。そのことがあなたの使命とも言えるでしょう。

少人数よりも大勢の人々とコミュニケーションを図ることが好きなあなたにとって、インターネットは強力な味方です。距離や時間を越えて世界中の人々と、情報をやりとりしたり自分の知識を発信することを楽しむでしょう。

(→なるほど。そう言われてみればそうかもなぁと思った。でも1コだけ引っかかったのは「少人数よりも大勢の人々とコミュニケーションを図ることが好きなあなた」という箇所かも。確かに今までの経験上、人から見ればそう見えるかもしれないけど、私本人からすると、単に「得意」なだけで「好き」とはいえないような気もするし、これはちと微妙な感じ。自己評価と他者評価の違いなのかもなぁ、これも。)


★2本目:チャレンジボトル(あなたの人生の課題やチャレンジ)
ボトル番号 024
カラー バイオレット/ターコイズ
ボトル名 New Message(新たなメッセージ)

なかなか自信が持てないあなたは、相手の反応がいつも気になり、本当に言いたいことが言えないのではありませんか? 特に、自分の感情を正直に表現することが苦手なようです。まずは自分自身としっかり向き合い、言いたいこと、伝えたいことを素直に表現しようと意識することです。その小さな第一歩から、変化が生まれてきます。自分のありのままを表現して、相手に必要なことを伝えられるようになるでしょう。自然と自信も生まれ、周囲の人々との信頼関係も深まってくるはずですよ。

(→うーーーーん。「相手の反応」をあまり気にしないのが私の特徴なので、これもちと微妙かも。それと、「本当に言いたいことを言えない」というのは確かにあるけど、それは相手にどう思われるかを気にしてるからではなくて、「相手の自我を崩壊させてしまうのが怖い」からなのよね。。。いくら何でも、「短小クン」を目の前にして「心の問題や人のせいにする前に、その短小ぶりを自覚しましょうよ」とは言えないしさ、だって。。。)


★3本目:ヒア&ナウボトル(あなたの今現在の状態)
ボトル番号 060
カラー ブルー /クリア
ボトル名 Lao Tsu and Kwan Yin (老子と観音)

自分自身が誰であるか? 何のために生まれてきたか? その答えを知る時です。自分自身と真正面に向き合う時間を作ってください。心と身体の緊張をほどいてリラックスし、自分の意識の深いレベルを観ていきましょう。そこに隠れているネガティブな思考のパターンを見つけたら、それを引き出して煙のように消してしまう、そんなシーンをイメージしてみてください。

また、自分が得意なこと、これをすれば自分がイキイキできるということに目を向け、それを一つ一つ実行してみましょう。心の制限がほどけて自由になり、平和で穏やかな感覚を味わうことができるでしょう。

(→これは納得しましたわ。最近積もり積もったストレスが一気に出てきて自分でも少し驚いたのだが、そのことで逆に今まで目を向けていなかった自分自身のある部分に気づけたし。あとは、やってみたいなと思ったことをやってみるだけかも。例えば、カヌーとかしてみたかったので、そっち系のことをしてみたいなと思う。)


★4本目:フューチャーボトル(あなたの未来の可能性)
ボトル番号 090
カラー ゴールド /ディープマジェンタ
ボトル名 Wisdom Rescue (ウィズダム・レスキュー)

もともと心の奥に歓びが満ちあふれているあなた。同じことの繰り返しに見える毎日の中でも、ほんの小さな変化や歓びを見出し、その歓びのエネルギーとともに明るさや元気なパワーをつねに周囲に放射しています。

また、本来の旺盛な知的好奇心や知識欲に導かれ、興味を持った分野について徹底的に研究していくかも知れません。そうやって得た専門的な知識を、講師として多くの人々に教えていくでしょう。あるいは、集めた情報や研究成果を実践的に活かす新たなビジネスを展開し、社会に還元していく可能性もあります。人を教えることで、自らも学び成長していくでしょう。

(→なるほど。これも一理ありそうな気配がしまする。というか、遅かれ早かれこうなるとは思う。正直、大学院に入りなおそうかなとも思ったりもしてるんだけど、一番の問題は、私は経済学修士だってことかもしれず。いや、別にそれでも「神経経済学」方面へ進めばどうにかなるんだけど、わたしの研究したいことって、経済寄りじゃなくてもう少し根本的なコトなのよね、ふむ。。ということで、とりあえず、こっちの方向へ進む可能性は高いけど、その中のどの分野&カテゴリーに進むかはちと不明といえば不明かもと思いまする、現時点では。)

2005年06月04日(土)
音色。


というか、朝からバイオリンの音を聞くと、こんなにも気持ちよいのかと思った〜。自然にゆったりとした感じで、ぼ〜っとしていて、かつ敏感な感覚。で、朝から今までこの気分なのである。

全身の、全脳の、自分自身のすべてが自然にゆったりとして、ゼロにもどった感覚。ストレスがゼロになって、すごく気持ちが良い感じw。エキサイティング、というのではなくて、真のエキサイティングを感じるために必要な土台の感覚を手に入れた感じです、はい。夢を見てるのでもなく、夢を求めるのでもなく、夢を叶えた「後」に感じる感覚に似ているような気がする、なんとなく。

それと、これは、最近良く思っていたのだが、「気持ちの良い音色を生む人」になりたいなぁと。楽器を弾く、のでも、歌う、のでもなくて、人が生活していると自動的に生まれる「音色」。良く耳を澄まして聞いていると、「音ってその人そのものなんだなぁ」とよく思うことが最近多い。「音」というのは、つまりは「波動」なので、その人の出す「音色」ってその人のエネルギーそのものなのかもなぁと。

で、歩き方はよく褒められるので足音も悪くはないとは自分では思う。それに、基本的に必要以上のことは音声化しない性質なので(書き言葉では無駄口が多い私ではあるが、音声では少ないはずです、はい。。)口からはあまり音を出していない。

でも、この無駄口の少なさが(といっても、必要なことは話していまする。あくまで“必要以上”には話さないだけで。。)時として仇になることも多々あるので、これをどうにかしたいな、と思うのである。口数を必要以上に増やすのは「音」としても美しくないと思うし、何よりそれは私の方向性ではないので、やはりここは、「音声」そのものを鍛えようかな、と思うのである。ということで、しょぼいオチですが、毎日「音読」や「発声練習」をすることにした、という日記でありました。。

The Red Violin" by 川井郁子

2005年06月02日(木)
「過程そのものに価値がある」という生き方。


KISS第78号「理解と価値観などもろもろ」より。

結果より、過程にこそ価値があると、僕は信じています。
たとえば、恋愛においても、それにゴールを設定する必要なんて、一体どこにあるのでしょうか?

夜遊びゲームでのセックスも、ステディーな付き合いにおける結婚も、とりあえずの「踊場」であって、けっしてゴールではありません。

起業家がIPOを目指すといいますが、これもまた、あたりまえですが起業におけるゴールではありません。

すべては、連続して流れの中にあります。
「ゴールにたどり着ければ、価値がある」ではなく、
「過程そのものに価値がある」という生き方をしたいのです。
だって、ゴールは無いんですから。


ですよなぁ。でも、私は正直まだよくわかんないですわ、自分にとっての“「過程そのものに価値がある」という生き方”。。そうできれば一番良いとは思うし、“「過程そのものに価値がある」”コトのほうが、結果を出せた場合でも出させなかった場合でも、幸せ度が高いというのも経験上わかる。それに、“「過程そのものに価値がある」という生き方”には色々なバリエーションがあるのもわかる。

というか、私から見れば、「過程そのものに価値がある」生き方をしている人はたくさんいるように思える。たとえば、登山家の山野井泰史氏は、まさに“「過程そのものに価値がある」”を重視した生き方をしてる人だなぁと思う。この方は登山においてソロ・クライミングをしてるけど、わたしは対象が登山ではなく投資であるものの、ソロ・クライミングという共通点があるので、この方の生き方には、すごーーく励まされるものがありまする。(一般的に、対象が何であれ、一人でやるとリスクが高まるので、あんまりやる人いないんですよね、ふむ。。)

けど、どういった要素を組み合わせれば、“「過程そのものに価値がある」”と“自分が思えるのか”、というのが今ひとつわかってないから、色々と雑念が入ってくるんだろうなぁと思うんですよなぁ。。ということで、これもまた課題です、はい。。ということで本日の名言は。
★本日の名言★

大きなことをしようとする人は細部を深く考えなければならない byポール ヴァレリー


2005年06月01日(水)
「空白の期間」の「終わり」の「始まり」。


人生という物語の創造のプロセスとしての転機(近畿大学教職教育部 教育論叢13巻1号掲載)という論文を昨夜偶然発見して気づいたんだけど、どうやら私は「空白の期間」(または「ニュートラルゾーン」「名づけられていない場所」「この世の空白の場所」とも呼ぶらしい。)というのを通過したらしいよ。。

上の論文から引用すると、わかりやすいのはこれかもしれず。要するに、「より安定した前向きさ」を獲得したらしく、気分爽快なのであるよ。

例えば,かつて仕事に邁進していた人が,自分のしている仕事の意味が分からなくなり,他の仕事に手を出してみたり,いろいろ迷ったあげく,再び自分の仕事のやりがいを見出して,前向きに仕事に取り組めるようになったとしよう.

そのように迷ったあげく手に入れた前向きさは,迷う前に仕事に邁進していた前向きさと同じものであるとは言えないだろう.それは,危機を乗り越えた自信や,なにもしないことのしんどさや,客観的に(一歩離れて)見た自分の姿や,明確化した仕事をする意味の付随した前向きさであり,表面上は同じ「前向き」という言葉でも,その前向きさを支える土台が大きく異なるのである.

転機後の前向きさという氷山の一角の下には,その何倍もの隠された土台があるのである.転機後の前向きさは,より安定した前向きさなのである.


で、この日記を書く、ということも、この論文によると、転機のプロセスの「5.転機の語り」というのに相当するのかもなぁと思った。。

ということで、とりあえず「空白の期間」の「終わり」を体験したという日記でありました。ふむ。でも今はまだ、「終わり」の「始まり」。なので、これからの「始まり」から「終わり」までの期間に、もっとすっきり爽快に、自然でゆったりとした気分になれるように、「こうありたい」ではなくて「こうしたい」と感じるまま反応していこうかなぁと思いますです、はい。
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