β版
Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2004年04月29日(木)
今を楽しむには「年齢相応」。
たとえば服なんかも、財布の許す限りなるべく良いものを着たいとは思うんだけど、安い服を着てもおかしくない20代のうちに安い服を着ておこうという考え方もあっていいのかもしれない。経験とは年齢相応な順序で積み重ねていくからこそ価値があるのだ。
if→ifself(2004/04/29【身の程】)
私は特に旅行中に、同じようなコトを思ったりしますなぁ。大学4年の時に友達とふたりで1ヶ月くらいアジア方面を旅したのですが、今思えばあの旅って、22歳だったからこそできた旅だったのだなぁと思ったりします。ふたりともお金がないとはいえ、無理すれば高級ホテルにも泊まれるし、全行程飛行機で移動でもOKでありました。(→だってお金がないと言っても日本国内の基準ででしょ?)
でも、「そういうのは、それなりの年齢になってからでいいのよね?」と言い合いながら、貧乏旅行を楽しんだのでありました。って、あれから3年、当然ではありますが、未だに貧乏旅行しておりまする、はい。
で、最近しばしば思うのは、「早く贅沢旅行できる身分になりたいのぅ〜。」、ではなくて、「いつまで貧乏旅行し続けられるんだろう?」ってコト。お金に頼らずに自分という道具を主体として、"楽しむ"ことができるのは一体いつまでなんだろうなぁ、と。
けどまぁ、できることならいつか、10年後や20年後の、いつか。同じルートで旅をした時、「あの時は、あの時なりに精一杯楽しかったのだなぁ。」と、そして「今は、今なりに精一杯楽しいなぁ。」と思える自分になっていたいものです。って、要するに、振り返ってみると、今を楽しむためには年齢相応な行動・選択をするのが良いのかなぁと思うのであるよ候。(→って、無理やりまとめたよ候。)
2004年04月27日(火)
最近考えているコトなどなど。
誰かと一緒に住んでいる方には当然なんだろうけれど、「誰かが家に居てくれるのって良いものだなぁ〜。」としみじみ思いまする、はい。っう感じで、今まで一人暮らしが長かったぶん家族の有り難味を激しく実感しておりまして、次回の引越しではルームメイト募集しようかなぁとか、ぼんやり考えてしまいますなぁ。
それに、特に私のような自宅作業メインの労働をしていると、自発的に出かけない限り誰とも会わなくなってしまいますので、そういった面でも誰かと住むっうのは良さそうです候。明後日くらいには妹も帰省するらしいし、週末は家族水入らずになりそうですな。
って、結構しあわせな毎日を過ごしているのですが、世の中は大変なコトになっておりますなぁ。例えば、ニュースで見た北朝鮮の火傷を負った子供たち。何かできるコトはないのかなぁと思ったりしたのですが、医者でもないので行くわけにもいかないしNGOに募金することにしました、はい。団体が協賛資金をどう使うのは気になるものの、しないよりは幾分良いかなぁと思って。
話を変える。今までは大学&院と経営系のコトを学んできたけれど、何だか最近は法律にすごく惹かれるようになってきました、はい。何でだろうと考えてみたのですが、おそらくここ数年、困っている人をたくさん見てきたというのが大きいのかもしれませぬ。特に、お金に関するコトで困ってる人ってたくさんいるんだなぁって実感していて、何て言うか、言葉にすると一行で終わってしまうくらい陳腐なんだけど、そういう時、自分を道具として差し出せる人になりたいものだなぁと思うワケですよ、はい。
うーん、まぁ、そんなコト書いたところで、現に何もできない自分がいるワケで、何もできないクセにこういうコト思ってしまう自分にうんざりするのも山々なのですが、まぁ、うんざりばかりしていると非常に疲れるのも事実ですし、この言葉もひどく陳腐なのですが、とりあえず頑張ろうかなぁと思いまする、はい。っうことで、ココ実家に光ファイバー導入するまでは更新が少なくなりまする、はい。
2004年04月25日(日)
韓国ブーム。
韓国の友人から電話が。「軍隊の中でも携帯が使えるようになったよ〜。」とのこと。と言っても、公に許可させているってワケでもないらしく、あくまで軍内部での上下関係の変動によるものらしいです、はい。しかし、数年前まではどう考えても兵役中に携帯使用なんてありえなかったワケだし、かなりの進歩、というか、携帯の浸透度がうかがえるお話ですなぁ。
「6月上旬に休暇が取れるから遊びにおいで。」と誘われたのだが、あいにく上旬はどう考えても無理である・・・。でもまぁ、秋くらいになると資金させ集めておけば長期間滞在できるだろうし、ちゃんと韓国語を覚えるためにも語学留学でもしようかと考えております、はい。
そういや最近、韓国ブームなんですよね?私はあんまりテレビ見ない人なので、どのくらいの深度のブームなのかよく把握できていないのですが、書店に『冬のソナタ』の本とかたくさんあったし、『韓国語ジャーナル』も前よりかなり売れてるみたいだし、って、本屋が主なメディアだってバレバレなんだけど、まぁ、そんな感じで、とりあえずブームらしい、ってコトは知っておりまする、はい。
確かに韓国は良いですなぁ。「え?何が良いのさ?」とほざいた画面の前のアナタ、教えて差し上げませう。あのですね、何が良いのかと言いますと、一番はやはりヒトかなぁと思います、はい。私は一応女性なので、その立場から述べますと韓国の男性は良いですなぁ。というか、異性の好みは料理の好み、とか何とかいう格言(?)がありますように、韓国料理がお好きでない方は、中国や香港、フランス、イタリア、シンガポールなんかもオススメですよ候。(同じ女性としては韓国よりも中国の女性の方が好きかなぁと思う。アグレッシブでステキ♪)
韓国の男性は日本の男性よりもさらに女性蔑視であーる。」と言われていまする。が、まぁ、そういうのはどの国でも年代によって大分異なりますし、何よりもミクロなレベルで交流するのは個人と個人ですから、もし「あぁ、ひどいのに当たってしもうた・・・。」ってコトになりましたら、まぁ、そういうコトでして、はい。ただし、統計上、日本よりもレイプは多いですので(といっても日本での痴漢は世界で圧倒的に多いのでその数を算入すると何ともいえんのだが・・・)、夜の一人歩きはもちろん避けるべきなぁ。(って当然だけど、危うそうな日本の人見るのさよ、たまに。)
って、今日こそはイラクについて(特にいわゆる自己責任の周辺を)マジメに書こうと思っていたのに、違う方向へ流してしまった。あぁ、無念。
2004年04月24日(土)
ひとやすみ。
ようやく引越し終了。午後から荷積みが始まって、最後の掃除が終わったのが18時。予想より時間がかかってしまったし、色々と気を使ったり(大家さん来たりとか。)で、ちと疲労した。このまま実家に帰っても良かったんだけど、中途半端な時間だしホテルに泊まることに。(実家まで新幹線&電車で4時間かかるのであるよ・・・。)
予約してなかったので「空いているかなぁ?」と少し不安だったのだけれど、運よく1室だけ空いておりました、はい。手荷物があったし、引越しで体力消耗していたのでもう動きたくなかったし、1発目で決まってホント良かった。
ってワケで、朝までひとやすみ。今日はもう何もせず、お風呂入って寝まする。ではおやすみなさいませ。。。
2004年04月22日(木)
好きじゃない。
「正直にやったら?」と唐突に言われる。「十分正直にやってるつもりだけど?」と思ったまま返すと、「行動とか選択とかじゃなく、君の能力を“正直に”活かせって意味。」とその人は言って、この前一緒に行ったカフェのオーナーY氏の話を例示してくれた。正確には、オーナーの話、ではなく、Y氏が私に抱いた印象、に関する話。
人づてに自分の評価を聞くのは好きじゃない。ちょうど何処へ行っても微妙に知っている人がいて、良くも悪くも見られているという事実にうんざりしていたし、そもそも、見られるよりも“見る”のが私の本分なのだから。(と思い込んでいるだけかもしれないけれど。。)
その人によると、Y氏は私の立ち姿とか話し方とか顔とか足とか、まぁ、そういった諸々のことを良いと言っていたらしい。で、その人はそういった外見的な要素をもっと“正直に”活かせってコトを伝えたかったようだ。で、「“見る”仕事じゃなく“見られる”仕事ってのも有りでしょう?」と再び唐突に言われて、なんか唖然とした。
ウェブでこんなコト書いても実際の友人知人にしか通じないのはわかってるんだけど、うーん、、、書かないとモヤモヤがとれないので敢えて書く。私は自分の立ち姿とか話し方とか顔とか足とか、そういう外見に関する諸々の要素が好きだけれど、“好かれる”のは好きじゃない。自分でも「あぁ、メンドクサイ心理だ〜。」と思うけれど、事実“好きじゃない”んだから仕方ない。
メンドウだなぁ・・・。個人的には、メールや電話のやり取りだけで仕事するのが理想だし(だから株なワケだじ)、ぶっちゃけた話、正直に言えば、仕事という名目であんまり人に会いたくないだよなぁ。人と会うのは好きだけど、仕事メインで人とつながりたくないっていうか何て言うか。上手くいえないけど、まぁ、そんな感じ。って、全然上手く書けてないし、100分の1も伝わらない我儘な感情なんだけど、まぁ、今日の気分はこんな感じ。
2004年04月21日(水)
前向きでも、後ろ向きでもなく。
今朝、ふと「前向きでも、後ろ向きでもなく生きて生きたいなぁ〜。」と思いました、はい。なので、そのまんまタイトルに。うーん、やはり引越しの影響かなぁ、こういうコト考えるのって。引越しは今まで3回したことがありまする。が、どれも同じエリア内の移動だったし、大学に入った18の頃からこの近辺に住んできたワケで、まぁ、思い出は色々あるワケで。。
っうか、当然のことなんだけど、この7年間で私は時系列的に変化してきたのだにゃ、としみじみ気づいたってワケであるよ。今振り返ると、大学2年くらいまでは無邪気なものであった。まさに怖いものナシ、っう感じ。かといって遊びほうけていたわけではなく、労働したり将来のことを考え資格の勉強もしてたりしたなぁ、とか。3年生の頃に関しては記憶ないんだけど(笑)、後半から4年次頭に渡っては就活に燃えていたなぁとか。院に入ってからは過去日記があるので省略。
で、こんな感じで、ある程度の期間における自分って存在の変化、を切り取って眺めてみて、自分の変化って要するに心の変化で、大きくは「前向きか、後ろ向きか」に分類できるなぁと思ったのであるよ。時には前向きすぎて自分自身が疲れたり、後ろ向きすぎて周囲の人たちを疲れさせたりしたなぁと、しみじみ思いまする、はい。
っうか、突然だがまとめる。要するに、自分自身が前向きか後ろ向きかに関わらずに、どちらの状況でも、それとは別個の存在として他者を見つめたいものだなぁと思ったのであった。って、文脈的にも突然過ぎて意味通じない文を書いてしまった。。。ので、後で修正しまする。かしこ。
2004年04月20日(火)
一人暮らしor家族暮らし。
とりあえず引越し日は週末に決定。なので、金曜日の資源ゴミの日までには要らない書籍&雑誌をまとめなくてはなりませぬ。ってワケで、先週に引き続き作業しました、はい。「さすがにもうないだろう!」と思ったのもつかの間、クロゼットの奥深くからもう2度と読まないであろう書物がわんさと出てきてしもうた・・・。
改めて蔵書を見てみたら、似通った本、2度と読まないであろう本が多々ありました、はい。なので、そういった種のモノは思い切って捨てることに。
で、隣の部屋にまとめた、紙類の山を眺めながら思ったよ、「私は書籍&雑誌などの紙類には甘いのだなぁ〜。」と。洋服や靴、家具、電化製品などはある程度考えた上で購入する性質なのだけれど、書籍&雑誌は価格、大きさともに手軽なぶん、あまり考えないで買ってしまうのでありましょう。やはり、図書館の利用頻度を上げるべし、っうことかもしれぬ。
そういや、一人暮らしを始めて7年。それも一時休止になるのだなぁと思うと、ちと悲しい感じがしまする。っうか、何故か知らんがお腹が痛い・・・。よって、まだ午後3時なのであるがベットで休むことにしまする。今後はこういう時、気遣ってもらえるのだなぁ、と思うと、一人暮らしor家族暮らし、どちらも魅力的ですなぁ。
っうことで、真っ昼間からの早めの更新でありました、はい。
ダンボールの山に囲まれて in 我家
2004年04月19日(月)
言葉の意味と共有化。
「お前はホントに“わがまま”だよなぁ〜。」とヨウちゃん(お友達)にしみじみ言われる。昔はよく言われたものだけど、近年では非常に稀なお言葉。なので、ちと驚いた、というか、過剰反応したらしいよ候。で、“わがまま”とは良く言うものの、“わがまま”という日本語のどの定義を指して、私=“わがまま”と断定しているのか疑問に思い、ちと調べてみました、はい。
以下、“わがまま”の定義。
≪わがまま 【我が▼儘】≫(名・形動)[文]ナリ
【1】他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動する・こと(さま)。身勝手。自分勝手。「―をいう」「―な性格」
【2】思うとおりに贅沢をする・こと(さま)。
【連語】自分の意のままであること。
「天下を―にまつりごちておはします/大鏡(道長)」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)≫
うーん・・・。っうか、「私ってどっちの“わがまま”なんだろう?」と思ったので、早速発言者のヨウちゃんに聞いてみた。上の定義を口頭で述べながら「で、どれ?」と尋問。すると、彼曰く、【1】ではなく【2】とも違う、「よって、消去法で【連語】の意味かなぁ?」っうコトでありました、はい。つまり、“わがまま”=【連語】自分の意のままであること=私、っうコトらしい。
うーん、何か違うくないか?自分の意のまま、と言っても、“意のまま”になる「程度」や「場面」等の要素もあるワケでして、自分としては、“わがまま”という言葉の範疇に収まるような“意のまま”加減ではないと思うのだけれど。。。と、そのままヨウちゃんに言ってみたら、「じゃ、次回から“しばしば”“日常生活で”“意のまま”=“わがまま”、って意味で使うことにする。」とのこと。
っうか、今回の例でしみじみ思ったのだけれど、言葉ってかなり共有化されていませんなぁ。ひとつの言葉を始点とする意味のバリエーションは、“わがまま”を例にすれば、「程度」と「範囲」という2つの軸を取ったとしてもたくさんありまする。細かく言えば、「程度」を“しばしば”“いつも”“たまに”と3つ、また、「場面」を“買い物”“食事”“入浴”と3つに分類できると仮定しますと、9通りの意味が、さらに「対象人物」として“家族”“友人”“通行人”を加えますと、27通りの意味が存在するになってしまいまする。(場合わけしてやってみて下され。)
はぁ・・・。“友達”でさえもこんな具合で言葉が共有化できてないワケだから、“知人”とか“通行人”が「対象人物」だったら、共有化には程遠いよなぁと思う。こりゃあ会議進まないワケですなぁ。あ、それに「対象人物」によっては、軸とした“わがまま”な私、をどの程度“わがまま”と感じるか、その感応度が変化するでしょうし、「何事も時と場合によるのであーる。」というのは名言中の名言ですなぁ、はい。
やはり、思いを伝える道具として、言葉は慎重に、そして大切に扱わなくてはならぬ、っうことやもしれませぬ。かしこ。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
・先日、
いやしのつえのじっぽサマが、
14日の日記をリンクしてくださいました。じっぽサマ、重ねて御礼申し上げまする。ありがとうございました。
・
プレジデント・ビジョンのGMOの熊谷社長の言葉、「学ぶとは、いかに自らが知らざるかを知ること」に関してのエッセイ「無知の知」から。自分の現状を知ることから何事も始まるんだから、一度、できないこと・できることを具体的に特定してみようと思う。
タレスは「何が難しいか」と問われて、こう答えた。「汝自身を知ること」タレスは「何がやさしいか」と問われると、こう答えた。「他人に忠告すること」
2004年04月16日(金)
本当に必要なモノ。
本当に必要なモノってかなり少ない、っていうか、結局のところ“無い”のであーる。と、部屋を見渡して気づきました、はい。というか、そもそも私のような人が保有している物の価値なんてたかが知れているし、時価会計導入して現在価値なんて算出しちゃったりしたら、それこそ「はい、なおサン所有の固定資産は無価値で〜す!」ってコトになってしまう。あぁ、時価会計って、弱小企業には脅威だよな、やっぱ。
って、何でこんなコトほざいてるか、っていうとですね、今月中に引越す予定を立てたがばかりに、見積もり依頼とか箱詰めとかしてるうちに、何と言いますか、詰まるところ、冒頭で述べたように「すべて要らないのであーる!」と気づいた、っうコトであるよ。
だってさ、必要な本を箱詰めしたとして全部で10箱くらいだし、洋服はスーツケースに収まるし、生活雑貨とかも1箱でOKだし、家具なんてもう要らないし。本当に必要なモノ、というか、失くすと面倒なモノといえば、パスポート、免許証、通帳、ノートPC、携帯電話、メイク用品、現金少々くらいで、後はどうにでもなるんだよなぁ、実際。
こう考えてみると、結局、本当に必要なモノって、パスポートやノートPC、じゃなく、その中にある目に見えない何か、なんだよね、うん。って感じで、何だか自分が無意味なことをしているような気がしてきて、引越しという行為自体が面倒になってきてしまいましたよ候・・・。ってワケで、本と服は宅急便で送るとして、家具は引き取ってもらおうかなぁと思いまする、はい。かしこ。
■□■□■□■□■□■そのほかのほざき。□■□■□■□■□■□■□■□
・
「人質解放の費用公表を」 政府・与党に自己責任問う声あぁ、20億円・・・。ってコトは、一人当たり大めに見積もって7億近くですな。今回の事件で、税金の保険的機能を痛感された方も多いかと思いまする。それにしても一人当たり7億円、っていうのは多すぎるし、そもそも一人の日本国民が生涯に支払う税金額を何10倍も上回っているワケだから、この費用開示を行わないってのは許されんことだと思う。そうしないと、無鉄砲なことをした国民だけが税金を財源とする本来パブリックであるはずのサービスの恩恵を受けすぎてしまうことになる。厳しいかもしれないが、日本の現在の財政状況から考えても、一国民の立場から考えても、費用については本人にも支払い義務があると思うよ。
2004年04月14日(水)
鷺沢萠氏に捧ぐシンフォニー。 ―愛にいちばん近しいところへ―
ベットに入る寸前に見つけた、
ショッキングなニュース。作家の
鷺沢 萠氏が心不全のためお亡くなりになられたそうだ。少なくとも私にとっては衝撃的な出来事で、眠れるはずも無くこうしてキーボードを弾いているワケで。特別、氏のファンというわけではないのですが、彼女が翻訳した小説、
『愛しのろくでなし』(P.ヒューストン著/講談社文庫)にはかなり思い入れがあるのであるよ。
彼女の死を知ったとき、死という事実に驚くと同時に脳裏に浮かんだのは、この中の短編の1つ、“シンフォニー”の一文でした。
≪話すのが難しい話だ。なぜなら私が告げるべき真実は綱渡りのロープほどの細さの上にあって、そのロープの両側はもう真実ではなくなるのだから。細いロープの両側では、真実ではないものが大きく口を開けて手招きしながら待ち構えているのだから。≫(『愛しのろくでなし』p40)
確か、初めてこの小説を手に取ったのは20歳の頃だった。あの頃私は、この本のタイトル通り、ろくでもない男と付き合っていて、その人と一緒にバリから帰った直後、まさに引き寄せられるようにこの小説を読んだような記憶がある。だからかどうか定かではないけれど、未だにこの12の短編どれもがリアルに私の内面に刻まれていて、恋の始まりにはふと思い出したりするのだよ、特に、上の一文を。
つい5分前、何年かぶりにこの小説をパラパラとめくっていたら、またしても胸のモヤモヤを消してくれる箇所をみつけたり。鷺沢氏があとがきで書いているように、この短編集は奥深くて、氏の言葉を借りれば、この小説の味わいは「片隅で呟かれる数行にある」のだとしみじみ思う。
あ、そうそう。この箇所もステキだ。ただ、過去のあの昼下がり、ではなく夕暮れの思い出そのまま、ってだけなのだけれども・・・。
≪私は十分な教育を受けたし分厚い本をたくさん読んだ。けれど芯のほうではテレビドラマに感動する人間だし、それがこれから変わるとも思えない。単純明快なハッピーエンドがこの世の中で可能かどうか私にだって大いに疑問に思っているけれど、とにかくホーマーとは可能ではないんだ、ということがその昼下がりにはっきり判ったのだ。≫(同著、p75)
(鷺沢氏の訳者としての力量がすごくよくわかる小説なので、機会がありましたらぜひ手に取ってみて下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。貴方の言う、愛にいちばん近しいところへ。)
2004年04月12日(月)
26歳のハローワーク。 ―1978年に生まれて―
「今年26歳になるんだよなぁ〜。」などど考えていたからか
『26歳のハローワーク「仮の自分」に彷徨う私たち(asahi.com)という記事が目に留まる。前にも書いたけれど、皆が同時に同じ対象に憧れそれを目指す、要するにロールモデルが無かったという意味で、私を含め1978年生まれって微妙なのであるよ。同級生たちを見渡してみても、いわゆる成功の尺度やライフスタイル上の価値観など個人差が大きいよなぁとよく感じたりする。
もちろん私自身、
≪1978年に生まれ、高校生になったころにはバブルが弾けていた。輝かしい将来が約束されない時代だけに、きまじめに自分を見つめようとする純粋さと、あきらめや脆(もろ)さが混じり合っている。≫とこの記事にあるような感覚があるし、その延長線上で「あと2、3年早くか遅く生まれて現在を過ごせていたらよかったなぁ〜。」などど甘ったるいコトをたまに考えたりもしまする、はい。
っうか、記事に戻る。こうした現状を統括し、精神科医の香山リカ氏は
≪「自分の存在を連続したものとしてとらえられないのです」 ≫とコメントしている。この文脈でいくと、自己は“連続”するが、時代と組織は“不連続”であり、この記事に例示されているような人たちは“連続”するものと“非連続”なものとがあることを認識できていない、もしくは間違って認識している、ってことなのかもしれない。
うーん。私自身はどうだろう。私はもっと強かなのかも。上手くいえないけれど、自己は連続した存在だと同時に不連続な存在だと思っているし、だからこそ、不連続な時代が明日始まったとしても、その中で連続する部分が大きい技術を身につけ適応しようと努めてきたように思う。というか、そういう風に考えるようになれたのって、ただ単に、幸運にも20代の前半で腰を据えて取り組みたい対象に出会えたってだけなんだろうなぁ。
また、特定の職業を選ぶことで、
≪将来の自分を想像できてしまうことが逆に恐ろしかった≫という気持ちはよくわかる。ただ少し違うのは、私の場合は、作家の沢木耕太郎氏が、雨の日、新入社員として会社へ向かう途中に道を引き返した、という有名なエピソードを思い出してもらうと理解しやすいかもしれず。傘をささない主義の自分が、スーツを濡らさないために、自分よりも他者の眼のために、ほんの微かな主義を捨てようとした。そういう風に、何かの拍子に、自分なりの傘、つまり、譲れないものがわかるときが誰にでもあるだと思う。
それと、近頃、職業選びでさかんに言われている「好きかどうか?」という基準って、考えすぎると良くないんじゃないかなぁと思ったりもする。かなり個人的な意見だけれども、「好きかどうか?」よりも「それを通してどんな貢献したいのか?」(=目的)のほうがどちからと言えばより重要なんじゃないかと思うのであるよ。例えば、私だったら、嫌な仕事を頼まれたとしてもそれを行うことで貢献が可能ならばとりあえずYesと言う。そういう場合に、「好きかどうか?」なんていちいち考えたりする余地はないと思うのだ。
要するに、“連続”した自己を前提とした“考える”という行為によってよりも、突発的で“不連続”な何か(コントロールできない出来事や他者など)に遭遇することによって、「好きなこと」「できること」「したいこと」がわかったような気がするのだ。そういう意味で、自己なる存在を、“連続”か“不連続”かというような2項対立的に捉えるのはどうかなぁ、って香山氏のコメントを読んで思ったワケであるよ。2分法を否定しながらも2分法に囚われているように思えるんだけど、この記事って。
というか、そういうのって人それぞれだし、あくまで私にとっては、好きなコト&得意なコト&得意にしたいコトを動員して、他者に貢献するのための手段=労働、って式になってるってだけなのだが。
って、日頃言語化しようとしていないコトをこうして書いてみると、いかに言語化を試みることが大切か思い知らされますなあ。あぁ、日々精進、せねばですな。。
2004年04月11日(日)
看病などしてみたり。
ヨウちゃん(お友達・オス)から電話。「風邪ひいたから家に見舞い来い!」とのこと。あぁ面倒なこった、と思いつつ、ヨウちゃんの意見を聞きたいコトがあったのを思い出し、素直に了解しました、はい。で、「チンゲン菜と鶏肉のクリーム煮とトマトと卵のスープと程よい甘さのチーズケーキが食べたい」と要求されたので、材料を購入しお宅へ訪問。あ、もちろん材料費は後で請求しますよ候。
仕事中心性質のため次々と女に逃げられ、同時に手製の料理を食する機会を失くした彼にとって、要求どおりの食べ物を作れる私はどうやら貴重な人材ということなのかもしれん。で、「どうせ大したことない風邪でしょーに。」と予想して行ったのだけれど、大変大した風邪だったよ・・・。汗をビッシリかき熱にもがき苦しむヨウちゃんは可愛そうでありました、はい。というか、原因は過労でありましょうな、やぱり。
ご飯を食べて安心したのか、食後10分も経たないうちに彼は熟睡。その隙に、後で恩を売ろうと思い、掃除&洗濯を済ませ、本棚を漁って建築や美術の本を読んだりとか、デスクを借りてちと勉強してみたりとか、お風呂に入ったりとか。そんなコトしているうちに夕方になってしもうた・・・。あぁ、もうヒマだよ、早く起きないかなぁ。
と、思っていたまでは覚えてるんだけど、どうやら私も寝てしまったらしい。っていうか、既にヨウちゃんいないんだけど・・・。帰ろうかなぁと思ったものの電車ないしどうしたものかと思索していたら、「2時間くらい商談に出てきます。まだ居て下さい。」という書置きを発見。なので2度寝して待つことにしまする、はい。
と、ここまで書いてアップしたものの眠れず勉強を再開。2時間どころか6時間経っても帰ってこないぞ、おい・・・。
ということで、男性のみなさんに余計なアドバイス。確かにお仕事は生きていく上でも自己表現のためにも素晴らしい行為なのですが、働きすぎると恋人どころか友達にも逃げられますぞ。かしこ。
2004年04月10日(土)
良好なサイクルを創る。
友人マツダ氏に車を出してもらい、ようやく研究室から荷物を撤収してきました。で、ついでに先月もらうはずだった卒業証書を受け取ろうと思っていたのだが、事務方があいにく閉まっておりました。ので、月曜か水曜に再訪する予定。しかし、休日出勤しておられる専門職の方が2名おり、ちとビックリ。行政法人化の影響なのかなぁ?何はともあれご苦労様でありまする。(→マツダさん、どうもでした♪)
で、作業後、春服を仕入れるために買い物に行ったのだけれど、20時閉店だと思ってゆっくりしていたら19時に閉められ、結局二人とも何も買えず・・・。「今の時代に19時閉店ってどうしてなのさ?」と、勝手な文句を言いつつ帰りました、はい。
って、何だか今日も普通すぎ・・・。ネタ切れっぽく見えるかもしれんね。けど、こういう平坦な文を書くときの私って、へンに頭を使ってないって意味で、実際すごく幸せなのであるよ。事実、ここ数日はちと身になる学習ができている感じがするし、来月は久しぶりにホテル暮らしできそうだし。
何と言いますか、モチベーション理論でいうところの、日々のタスクとその先にある報酬(楽しみ、みたいな。)が上手く循環している、って状態なのであるよ。ぜひとも1年を通して良好なサイクルを創っていきたいものですな候。
2004年04月09日(金)
平坦な日常を過ごせる、という幸せ。
ようやく身体が季節に追いついてきました。今日はヒールではなくスニーカーで出かけたので、通常よりも幾分機敏に動けた感じがしまする。で、あまりの快適さに「うーん、毎日スニーカーでも良いかも。」と思い現在物色中。帰りがけに立ち読みした雑誌に好みの品がのっていたので、デザイン等考え合わせ購入する予定であるよ。
家に着くとポストにDVDが届いていたので真っ先に鑑賞。『寵愛』という韓国映画でありまする。ふーむ。おそらく評価云々よりも“好み”による部分が多い映画だと思う。私はこういう種の映画って好みだなぁ。セリフが多くない分、細部の描写が美しいし、芸術的な男女のヌードが思う存分鑑賞できまする。ってコトでオススメでありまする、はい。
ってな風に、これといった事件もなく問題もなく、日常の中にささやかな幸せを見出しつつ暮らしているのであるよ。事実、私の日常は大概こんな感じで、こういう日常を過ごせるのって主観的には幸せなのだけれど、映画のように遠近法的な作図を用いたストーリーがない分、読み手の方々には“奥行”がないように見えるんだよね。って、『日本近代文学の起源』(柄谷行人著)を読んでちらっと思ったり・・・。
個人的には、平凡な日常を平凡なままに描いているWeb日記が好きだ。ちょっとした出来事をドラマチックな出来事のように演出するのって実際簡単だけれど、そうせずに、その些細な日常の幸福を等身大に描く、そんな遠近法的配置を多用しない平坦な文章ってステキだなぁと思う。って、どうやら絵画の好みと同じく、私は“奥行”がない作品が好きみたいだなぁ。(って今気づいた。)
って、邦人3人が拘束されたニュースについて書こうと思っていたのだけれど、私の考えを的確に表現して下さっている方がおりました。
『留学先でのひとりごと』様。年金や資産運用など金融問題を始めに“自己責任”は語られはじめたワケだけれど、そもそも本質的には、生きるって行為に纏わるコトの大半が自己責任なのであるよ。こうして今日私のように平凡な日常を過ごしているコトを“つまらない”と感じるか“幸せ”と感じるかという些細な主観的判断でさえ“自己責任”だと思う。って、残酷に聞こえちゃうのかなぁ、やっぱり。。
2004年04月08日(木)
近所にあってほしい施設。
午前中、引越し準備のため、書籍をダンボール詰めしました。で、早くも疲労しました、はい。もう使わないだろう専門書や図書館にもありそうな本などは売却中なのですが、使用するorしない、というように明確に区分できない品が多々あるのであるよ。っうか、迷わずにすべて箱に入れれば良いんだよね、今気づいたよ。
っうか、片付けの最中思ったのだが、次回の住居は図書館のそばが望ましいですなぁ。みなさん家のそばにあると望ましい施設・お店ってあると思うのですが、私の場合、本屋がポイントですな。(→それと喫茶店、映画館、スーパー、海、空港が近いと最高。)
今住んでいる所は徒歩3分圏内に中規模書店があるので大変便利。けどね、そうすると、どうしても借りるのではなく、買ってしまうのであるよ・・・。よって、引越しのときに荷物が多くなるし、本代も高くなりがち。支払っている税金に見合ったサービスを得るためにも、ぜひそうした方が良いですよ。>みなさん。
とか言いつつ、今日も本買ってしまった。あぁ、私って何て良いお客さんなんだろう・・・。次回こそは絶対に図書館の近くに住まねばならぬな。>自分。
□■□■□■□■□■□■□追記■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
・そういえば昨日、体脂肪率を測った。20%→23%へと変化していて驚いた。もしかして内臓の付近に脂肪ついてきてるのかもしれないなぁ。。。もっと激しく動いた方がよいのかもしれず・・・。
・ふとしたきっかけで元気になったり憂鬱になったりするなあ、最近。要は、もっと自分を高めないといかん。あと3、4ヶ月の努力で人生変わるんだから、他の人たちのことは忘れて限りなく猛烈に、自己中心的に過ごしてよいのかもしれない。
2004年04月07日(水)
年下の夫。
あぁ、温かすぎて頭が働かない。。。っうコトで、いつまでもウダウダしてるのもどうかと思い、ちとスーパー銭湯へ。真昼の暖かな日差しを浴びながら、露天風呂でくつろいできました。椅子に腰掛けて足マッサージしたりとか、文庫本読んだりしながら2時間くらい滞在し、気分爽快でありました、はい。
というか、今現在、NHKで漫画家の桜沢エリカ氏夫妻のトークを見ているんだけど、年下の夫というのもステキですな。お二人は妻が仕事、夫が家事・育児に専念するというスタイルで生活しているとのこと。社会学的に言えば、ただ単に昔ながらの「男は外、女は家」というのが逆転しただけで本質的には何にも変わってないのであるよー、ってコトになっちゃうんだろうけど、まぁ、実際問題、当人同士が快適なら何でも良いのさ、こういうのって。
っうか、ちと戻って、“年下の夫も良いなぁ”と述べた理由を説明しまする。女性の場合、20代は圧倒的に年上の男性と付き合う率が高いような気がする。で、20代から30代前半くらいまでは年上の人に育てて頂き、自分が年取ったら“年下の夫”を持ち育てる、っていうのも将来が楽しみに思える1つのプランなのではないかなぁ、と思ったのでありまする、ハイ。って、あくまで提案レベルですが。。。
そういやコレ書いてて思い出したけれど、去年25歳になってから、急に年下の男性にもてるようになったのであるよ。うーん、何でだろう?桜沢氏のように経済力あるワケでもないしなぁ・・・。(→遠い目。)たぶん、人間丸くなったってことかもしれず、ってコトで一時納得しておくことにします、ハイ。
2004年04月06日(火)
白い靴。
来月までなら去年のサンダルで凌げるかなぁ〜、と思っていたんだけれど、甘かった。壊れてしまったよ・・・。仕方なくカフェで休憩しながらどうしたものかと考えたものの、諦めて新しい靴を買うことに。黒と迷ったけれど、自分の直感に従い白を選択。今日履いていた細身のジーンズにすごく合う。あくまで自分が楽しむための靴、って感じ。1万6千円也。
靴に合わせて新しい服も買うつもりだったのだけれど、後日に回すことに。オーソドックスな白スーツとブルーのノースリブ・シャツ、なんて良いかも。
というか、ちと憂鬱。おそらくここ何日か、頭の中が混乱しているなぁと思う。やる事の優先順位をつけるどころか、やる事事態が頭の中で上手く判断できてないって感じ。一体どうしたんだい、私の脳よ・・・。ってコトで、とりあえず今夜は早寝しまする、ハイ。では、おやすみなさいませ。。。
■□■□■□■□■□いきなり日記読み日記。□■□■□■□■□■□■□□
寝ようとしたら無理だった・・・、ので突然ですが日記読み。
☆
『日々徒然』☆
はい、過去のも読みましたわな。っうか、私も一人旅したいかも。関西方面はステキかもしれない。岡山も行ってみたいのう。。
☆
『マニアックな憂鬱〜野望篇』☆
どっちにも転べる中途半端な位置じゃなく、極端に差異化されている集団に属せていたら楽だなぁとか、私もふとした拍子にに思いまする。例えば、極端に賢いとか美しいとかお金持ちだったりしたら、私の悩みはホントに無くなるかも、って思う。だって、集中と選択、どちらも楽チンだもの。
□■□■□■□■□■□そのほかのほざき。■□□■□■□■□■□■□■□
ふーむ。今日記書いてたり、皆様の日記を読ませて頂いたりしているうちに、どうにか思考できるレベルまでは頭が動いてきた。無意識下ではファイナンスから遠ざかるのが怖くて思考停止してたのかもしれない。でも、“遠ざかる”かどうかってあくまで私の意識の問題だよね、とか考えながら
ココを見てたら、やっぱり離れるなんて無理だって実感。だって市場は私の中にある。勤め人になってしばらくして税法マスターしたら、その時はまたファイナンスだけに集中しよう。その時に、忘れていないように、敢えてここに。
2004年04月04日(日)
ホントのこといおうか?
暑いけど夏だもの、とは思えても、暑いけど春だもの、とは思えない、などど悪態をつきつつ早足で進む。今日の気温が高いのか、私の体温が高いのか。どちらにせよ、いくら春用とはいえ何故スーツを選んだのかと後悔。相手を見つけた瞬間にその想いはさらに深まって、もっと薄着にすればよかったと再び後悔。
相変わらず、きれいに焼けてるなぁ。肌も髪も。くたびれたTシャツから覗く腕とか首とか。他人なんて見えてない、みたいな生意気そうな目元とか。その人が私に気づくまでの20秒、私はじーっと相手の変化を観察していて、変わったとか変わってないとか、そういう判断を私の側だけで終わらせてしまうのってバカらしい、って思えたとき、「なおちゃん!」と名前を呼ばれて、変化の有無を確認しなくちゃ躊躇するくらい、逢うのって久しぶりなんだと思い出す。
って、そのまま言ってみたら、その人はケラケラ笑って、もしも自分が先に君を見つけたとしたら同じように確かめたと思う、と言った。そして、日本ってこういう匂いだったっけ?、と呟いて鼻をくんくんして、香水変えたでしょ?と私へと鼻先を向ける。うーん、たぶん変えたかも。ブルガリのオムの何とかだよ、きっと。
ホントのこといおうか?ここ何年か、今日までにあったホントのことを。と、その人は言う。そういう長くなりそうな種の話をするのにふさわしくはない時間帯だよね、と返すと、まぁ、どうでもよいじゃん、今から話そう、と。うん、確かに。今から話し始めれば今日中に終わるかもしれないし、もしかすると今日の終わりには、ホントのことをいえてるかもしれない。
2004年04月02日(金)
“不信”という病。
ここ数日、思いっきり睡眠し、かつ実になる書物も読まずに過ごしてしもうた・・・。私自身が冬眠から醒めた熊状態で下界の生活について行けてない、っうのもあるけれど、まぁ、どっち道、気が緩み過ぎですな。しかし、こうやってタラタラと生活した後って、妙に知識欲がみなぎってくるもので不思議ですよな。今日、基本書を読んだりしていたらようやく頭が動いてきた感じがしまする。
っうか、さすがにこうも暖かくなってくると、“消費不信”という病気持ちの私でさえも新しい服や靴を仕入れたくなってきますな。なので、銀座あたりで商品の原価と売価に疑心暗鬼になりながらチマチマっと買い物をし、めぼしい展示会でもあれば行ってこようかなと思いまする。
それはそうと、絶対音感なる能力は幼い頃にしか身に付けられませぬが、どうしようもなく苦痛なこの能力、というか病気、商品の現物を見た瞬間にコスト構成がわかる能力は成人してからでも十分身に付けられますので興味のある方はトレーニングしてみれ下され。ただし、仕事には役立ちますが生活する分には本当に苦痛ですし、いわゆるスロー・ライフ的な生き方に激しくあこがれるようになりまする。
例えば、六本木ヒルズ的な消費活性化空間に間違って行ってしまいますと、四方八方から販売員という名の悪魔の潜在意識下の声が恐ろしいボリュームで聞こえてきますし、商品は数字と戦略のコンビネーションに見えます。もちろん買い物を楽しむなんて気持ちにはなれません。なので、自分には真似できないという意味で“Shopping is entertainment!"と堂々と言ってしまえる楽天の社長様は大変尊敬しております、はい。
って、思いつくまま書いてみたけれど、世の中には知らない方が幸せなコトってありますな。また、知らないからこそ堂々と主張できることもありますな。テレビや雑誌などで「これからは自己責任の時代です!」というようなコトを仰るエライ方がおりますが、実際、そういう方が“自己責任”という言葉が内包する事象を理解しておられるかどうか、私は激しく疑問に感じたりしてしまいまする。
だって、多くの場合、そう主張できる人はそう主張できる立場、要するに、上の例でいえば、“自己責任”という言葉が内包する事象の外に自分を位置づけているからこそなワケで、事象の内にいる人間は、そんなの普通のコトすぎて“自己責任”という言葉すら必要としていないように感じられまする。とか考えてしまう人間だからこそ、私は“消費不信”だけでなく、“学者不信”になってしまったのでありましょうな・・・。っうか、不信という病に侵されると面倒ですな。なので皆さんは気をつけて下され。かしこ。
■□■□■□■□■□■追記。□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
・コスト構造の瞬時判断力について。上ではデメリットばっかり書いてしまったけれど、メリットとは言えないまでも良いコトはありまする。たま〜に、ホントにたま〜にだけど、感動して泣きたくなる程美しいコストや戦略諸々のアロケーションをもつ企業や商品を目にすることがあり、誠に至福でありまする。そういうとき、しみじみ生きててよかったと思うし、もちろんそこの株も買いまする、はい。
・さらに追記、というか近々書くかもしれないネタとしてメモ。
時期的には今更なんだけど、さっき
『われ思ふ ゆえに・・・』サマの3月22日分の日記
「顔出し」にて、山田詠美氏のプロフィール写真についての言及を発見。私は山田氏の書籍は高校生の頃から8割方読んでる人なので、氏に対する意見には敏感なのであるよ。次回のネタにいいかもしれん。(そういや実は、この日記読んでくれている方に山田ファンって多いっぽいんだよな。)
←未来 目次 過去→