ネットをぐるぐるしていると、WIREのレポートにめぐり合う。 電気、虹やったんだー、いいなー、いきたかった。。 ポエケット楽しかったし、前日の飲み会もめちゃくちゃ面白かったし、 ほんと参加して良かったと思うんだけど、 虹。。虹。。踊りながら号泣したかった(苦笑) 絶対きらきらしてたに違いないのに。。 なんですごく行きたかったり行かなきゃならなかったりするイベントが重なるんだろうか。 そんなに行動してるわけでもないのにー
冷凍庫の氷がどんなに長時間放置しても冷たい水どまりなのは、 わたしの日ごろの行いが悪いせいでしょうか。やっぱり。
ポエケットで詩集を買ってくださった方、本当にありがとうございます。 幸せです。 コトバコブースに立ち寄ってくださった皆様も、感謝感謝です。 たくさんの方にお会いできて、うれしかったです。 かわいい人が多くて衝撃的でした。そのせいで舞い上がってしまった。
ひとつひとつ、忘れたくないことを、忘れないように刻んで、 ここにいたことのめじるしにして、ひとつひとつ、歩いていくために。 それはここにいるということのめじるしでもあるって。 自分の書き付けた言葉の意味は、いつもあとからわかるものだから、 そうやってあともうすこしあともうすこし、進んでみてもいいんじゃないかって、 そのときになって初めて出会える、わたしのことばのまだ知らないひびきや色や、 そういうものがきっと、あるんじゃないかって。 思った。
それにしても買ってくださった方はわかる、コトバコデラックスに載っている わたしの四コマ漫画の痛さといったら無いわけですよ。 笑ってやってください。左側だけで。そして右側で忘れてください。 絶対に探ってはだめです。魔物が住んでます。
昨日はひさしぶりに会う知人に、ゴールデン街に連れて行ってもらいました。 (それで頂いた電話に気づけませんでした、申し訳ないです) 勝手がわからずに、ビールばっかり飲んでましたが(笑) ずっと手酌で飲んでましたが、最後のほうは手元が危うく常にあふれさせてました。 勢いよく注ぎすぎるので泡が予測できない・・・ マスターに苦笑いされていました。ごめんなさい。
隣の人が冷奴を頼んでいておいしそうだったので、私も頼んだら、 「一丁分作ったら品切れなの」といわれ、 残念ながらも素敵だなあと思ったり。 お店としては品切れよりも余らせるほうを選ぶべきなんだろうけど、 人間としては使いきりの精神が大事ですよ。 でも残念そうな顔をしていたら、「いま肉じゃが作っているので待って」といわれ、 マスターの手を見れば包丁とじゃがいも。皮をむいてる真っ最中なのでした。 いまから作るの!と思ったけど、ものの30分もしないで出てきましたよ。 ほくほくでおいしかったなー。ご満悦。
食べるのが大好きなんだけど、基本的にものを口に入れるのが好きなんだな。 おいしいもの好きだけど、まずいものを体験するのも嫌いじゃないのですよ。ある程度までは。 舌で触るのが好き。舌経験。 なのでことばもすきなのだろうと、こじ付けだけれども。 独り言が多いのとひっきりなしに何か食べてるのは、決して無関係じゃないはずだ、と。 思う今日この頃。
飲んでいたみっつ向こうの席に、某写真家さんが座ってらして、 わたしは彼の写真に衝撃を受けたことがあるので、感動してしまった。 自然でも町でも、そこにある色に目を奪われることが多いのでカラー写真のほうが好きなんですが、 彼の写真はモノクロでも迫ってくるものが強くて。自分にとって。 黒と白の中の光とか、その間にあるグラデーションとか、質感とか、奥行きとか。 たとえば新宿の街とか、雑然としていてそれだけでうるさいくらいなので、 色を失うことで雑音のなかの静けさが聞こえるようになるのかもしれないな、とか。 ミーハーなので彼の姿をちらちらと横目でつい見てしまったのですが、 とても穏やかなひとだなと思った。 すごく強い写真を撮れるひとというのは、媒体になれるひとなのかもしれない、 彼の目を一度通ることで、私の目で直接は捉えられないものが、見えるようになる気がするから。
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あした、ポエケットにコトバコとして出店します。 そこで、ユーリと一緒に作った詩集も売ります。 なんか、私のコピーが下手で、(コピー誌なんですが)あんまりきれいにできなかったのですけど・・・ でも、お互いにお互いの好きな詩を選びあったので、とりあえずユーリの詩はとても良いです(笑)
何かがひとつの形になるということは、とても嬉しい。 生きていると時間は過ぎていくばかりだし、 一度はわかったと思ったことがまたぐちゃぐちゃと見えなくなったりもするし、 それはそれで当たり前のことなのだけれど、 でも、たとえば詩集を作ろう、って思い立ったときって、 一番すとん、って気持ちがシンプルになってる瞬間だったような気がするから、 その証としても、自分の支えになる気がします。
ユーリもそうだし、ワニラの奈緒もそうだし、コトバコメンバーもそうだし、 それからほかのとても好きな詩を書く友人や、詩人の方や、 そういう人たちの言葉を、後ろめたさを持たずに好きだと言いつづけたいから、 そのために私は私であり続けるしかないのだなあ、と、思った。 それしかないもの。 自分が詩を書くことには、どうしてもネガティブな感情もつきまとうけれど、 別のところに立って、その人の内側から言葉をつむいでいる人たちを、 自分の後ろめたさに巻き込むことだけは絶対にしたくないと思った、 それは自分自身で抱えていくべきものなんだって、 そして私は、あなたのつむいだものがとても好きで大切ですって、 それに胸を張っていたいと思ったんだ。
点と点と、その間の余白と。 点で出会えたことに感謝する、 その間の余白を愛したいと思う、 その余白の中に流れ出して、そこで生まれていったものたちを、 大切にしていきたいと思う。
ポエケットで売り子してますので、よろしかったら遊びに来てくださいな。
2004年07月07日(水) |
つづくための途切れと、落とされた読点の響きについて |
台所からお湯が出た。 ちゃんと青の方をひねったのになあ。 おかしい。 バンコクの安宿なら許すけど、 日本の住宅で受け入れてよいものか。 夏だからって笑ってよいものか。 お湯が沸くのが早いからいいけれども。 ちゃんと青の蛇口なのになあ。
うそじゃないよ、っていう、うそと ほんとじゃないよ、っていう、ほんと。 どっちも結局のところ、嘘ってことになってしまうんだろうか。 それだけが私の本当なんだろうか。 ただ、瞬間瞬間に正直でありたいと、思った。 忘れないようにしたいと思った。
いつだって誰かに謝りたいので、 なるべくそれを飲み込むようにする。 許されたいと思っているうちは、許されないのだろう。 私が私を許すということ、 私が私に、いいよっていうこと、 ねえ、がんばるよ。 私もがんばるよ。 気がつくといつも上を向いていて、 それはきっとこの町で一番、空が広いからなんだ。 息をしたいって思ったんだ。 もうすこし、目線の高さをやさしく見渡せるように、 いつかなれるかな、 目の前を歩く人の、スーツの背中とか、 ベルを鳴らす通りすがりの自転車の女のひととか、 ウォークマンの音に頼らなくても、 ちゃんと見届けて、歩けるようになれるかな。 母親がメロンを切って、私の分を取っておいてくれている、 父親が家族旅行の、まだ定まらない予定を立てて、私の休日を待っていてくれている、 ずっとさきに歩いている人たちが、 たぶん、ずっとさきに折り返し地点を通り過ぎる人たちが、 まだどこにもたどり着かない私の足を、待ってくれているって、 がんばるよ、きっと、一緒に心から笑える日が、来るんだよ。 ありがとう。
会社の近くは海のにおいがする。 雨でも夏でもない生き物の湿ったにおいがする、 たとえ透き通る青の、白い砂浜の広い広い海岸でなくても、 生活の中に海を感じられるのはとても新鮮で、 とても幸せなことだと思った。
七夕の日に晴れました。 だけど、地上が晴れでも曇りでも、 空の上では毎年、二人は会えていたはずだ、 宇宙はそのぐらいは、きっとやさしい。
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